「本門佛立宗」の版間の差分

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{{出典の明記|date=2013年10月}}
 
'''本門佛立宗'''(ほんもんぶつりゅうしゅう)は、[[長松清風]]によって開かれた、[[日蓮]]を宗祖と仰ぐ、[[法華宗|法華系仏教]]の一派である。宗派としての独立より日が浅く、[[新宗教]]に分類されることもある。
 
  
== 開祖 ==
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'''本門佛立宗'''(ほんもんぶつりゅうしゅう)
開祖の'''[[長松清風]]'''(日扇)は、人生への懐疑と求道心から法華経本門の教えに帰依して出家したが、当時の宗門大勢のあり様にあきたらず、やがて独自の道を歩み、1857年(安政4年)41歳のとき京都の新町通り蛸薬師(通り)下に在家信徒のみで本門佛立講を開いたのに始まる(ただし、清風自身は深く教学を研鑚し、この時点で一度[[出家]]もしている)。
 
  
清風(日扇)の教えは、どこまでも祖師[[日蓮]]の伝えた[[法華経]]の題目([[南無妙法蓮華経]])を口に唱える修行を第一とし、それによって授かる目に見える現証利益を強調するものであった。正法弘通のはたらきのない寺院・僧侶の意義を認めない姿勢は、やがて徒党を組む既成寺院の僧侶からの度重なる政府当局への讒言となり、清風(日扇)は弟子とともに逮捕されること2回、遠足止めなどの弾圧を受けるが、1878年(明治11年)には清風(日扇)自ら「花洛佛立講三十三組、人数凡1万人」というほど教線を伸ばした。このため[[本門法華宗]]宗門と少なからず軋轢が起こり、1869年(明治2年)には活動の拠点としていた[[本能寺]]から退去、[[宥清寺]]を入手しここを本拠とした。
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法華(ほっけ)系の新宗教。1857年(安政4)長松日扇(ながまつにっせん)が京都で開いた本門仏立講に始まる。仏立とは仏の立てた教えを意味する。日扇は本門法華宗の僧であったが、宗門を批判して在家(ざいけ)主義の信仰運動をおこして還俗(げんぞく)し、近畿の商工民を講に組織した。教義は『法華経(ほけきょう)』本門八品(はっぽん)を依経(えきょう)とする八品派の系統で、本迹勝劣義(ほんじゃくしょうれつぎ)にたち、唱題(しょうだい)による『法華経』の現証利益(げんしょうりやく)を強調する。日扇は教えを平易な和歌で示し、1878年(明治11)『妙講一座』を定めて教義を確立。信者は少人数のグループをつくって信仰生活を営んだ。明治初期に弾圧されたが、明治中期以後全国的に発展し、法華系新宗教の源流となった。1946年(昭和21)本門法華宗から独立。日蓮(にちれん)を高祖(こうそ)、日隆(にちりゅう)を門祖(もんそ)、日扇を開導(かいどう)とよび、宗内の最高位を講有(こうゆう)と称する。大本山は京都市上京(かみぎょう)区の宥清(ゆうせい)寺。
  
清風(日扇)の僧形・俗形の区別に本質的な差異を認めない姿勢をもって、しばしば在家主義といわれることがあるが、自身は1868年(慶応4年)に当時の京都府の命令・斡旋を受けて本能寺で再出家した後、明治になって時を経ても特に僧籍を離れることもなく、1881年(明治14年)には[[本門法華宗]]に教導職授与の申請を出している。
 
:この申請は、すでに本門佛立講を開講当初の数名から1万人の大講に育て上げ、また1873年(明治6年)に[[妙蓮寺]]貫主・日成みずからが、[[教部省]]の命じた[[三条教則]]や十一兼題に対する宗門の公式見解の上申書作成を清風(日扇)に依頼するなど、その教学を含めた学識も認められていたにもかかわらず、時をおかずに却下された。宗門批判、僧侶批判が嫌われたためという。
 
内弟子の[[御牧現喜]](日聞)、[[野原弁了]](日随)らも師の命で法華宗の僧籍を持ち、妙蓮寺の役僧を勤めている。
 
 
以上のことからみて、在家講としての始まりは大法弘通と宗内の改良を目的として、当時の宗内情勢による制約から発したことであり、出家行為そのものを敵視したものではないといえる。日扇は、この僧形俗形の区別に本質的差異を認めない姿勢を本能寺貫主・日肇から教わった、と伝えており、[[種子島]]に法を伝えた日典・日良(ともに八品派)の事跡を引いて、僧侶として法を説き、法難に遭ってついに殉教した前者を「出家形の菩薩」、日典の遺志を継ぎ、袈娑をたたんで茶人となって法をひろめた後者を「在家形の菩薩」と讃えている(日随上人手記)。
 
 
在家信者の宝前で勤まる講席は、開講以来の重要行事として続いており、在家運動的であるのは事実である。
 
 
清風(日扇)遷化の後、在家中心主義と僧侶との位置づけの問題・[[現世利益]]の強調など様々な論争を経て、離脱や分派が相次ぐ([[#分派と影響|後述]])。1947年(昭和22年)に本門法華宗から独立して本門佛立宗となった。
 
 
== 本山 ==
 
*[[宥清寺]](京都府)
 
*由緒寺院として誕生寺(京都市)、長松寺(京都市)、佛立寺(大津市)、義天寺(守口市)がある。
 
 
== 教義 ==
 
=== 現証利益と他宗排他 ===
 
布教にあたっては正信の証として現証利益を強調することが強く、加えて他宗・他宗教に対する批判も激しかった。入信に当たっては他宗・他宗教のお守りや札・像を破却するという、いわゆる'''謗法払い'''も佛立講が最初に行ったものであり、これらの布教方法は明治初年に[[大津法難]]を初めとする圧迫を生む一因となった。
 
 
=== 御教歌 ===
 
万人に、誰にでも分かりやすく御仏の教えを広めようと、御教歌と呼ばれる仏教の教義を和歌へ盛り込んだものなど、その教えは現代においても非常に分かりやすい。ちなみに長松清風は、書画においては江戸末期の三筆と言われたり、当時の知識層などが掲載された平安人物誌、西京人物誌にその名が掲載されたり[[明治天皇]]の[[和歌]]の教師であった[[高崎正風]]が清風の詠んだ歌を優れた歌として明治天皇に紹介し、明治天皇から清風の歌を非常に賞賛されていることを知らせる使者が清風の元に使わされており、明治天皇以外にも[[三条実美]]などの公家にも清風の[[短冊]]を所望する声が多かったという。江戸末期から明治を代表する優れた文化人とも言える。
 
 
=== 分派と影響 ===
 
清風入滅の後、講の運営に対する僧侶の関与や現世利益の強調・[[本門法華宗]]との関係のあり方など多くの論争を生み、その中から[[獅子吼会]]や[[日蓮主義佛立講]]、[[在家日蓮宗浄風会]]などの分派を生んでいった。また、在家主導の組織運営・現世利益の強調・他宗攻撃などのスタンスは、その後の法華系の[[新宗教]]に広く影響を与え、佛立講から[[霊友会]]へと入信して[[妙智会教団]]を創設した[[宮本ミツ]]の様な遍歴を重ねるものもいた。また、霊友会の[[小谷喜美]]は佛立講と直接の関わりがないものの、御教歌を[[久保継成]]に聞かせていたと言われている。
 
 
== 歴史 ==
 
*1857年(安政4年)[[本門法華宗]]の内部に前身の本門佛立講を開く。
 
*1869年(明治2年)本門法華宗から[[宥清寺]]を譲り受ける。
 
*1941年(昭和16年)に宗教団体法により、本門法華宗と本妙法華宗と法華宗が合同し、法華宗と公称する。
 
*1946年(昭和21年)法華宗から離脱し、本門佛立宗と公称する。
 
 
== 関連項目 ==
 
*[[三途成不論争]]
 
 
== 外部リンク ==
 
*[http://www.honmon-butsuryushu.or.jp/ 本門佛立宗]
 
*[http://www.honmon-butsuryushu.or.jp/yuseiji1 本山宥清寺]
 
*[http://www.buddhology.jp/ 佛立研究所]
 
*[http://jyousenji.com/ 妙証山乗泉寺]
 
*[http://www.kenkokuji.net/ 建国寺(御教歌ビデオ配信あり)]
 
*[http://myoshinji.jp/ 横浜妙深寺]
 
*[http://hita-betuin.com/ 大分県日田市 光道寺日田別院]
 
  
 
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[[Category:仏教の宗派]]
 
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本門佛立宗(ほんもんぶつりゅうしゅう)

法華(ほっけ)系の新宗教。1857年(安政4)長松日扇(ながまつにっせん)が京都で開いた本門仏立講に始まる。仏立とは仏の立てた教えを意味する。日扇は本門法華宗の僧であったが、宗門を批判して在家(ざいけ)主義の信仰運動をおこして還俗(げんぞく)し、近畿の商工民を講に組織した。教義は『法華経(ほけきょう)』本門八品(はっぽん)を依経(えきょう)とする八品派の系統で、本迹勝劣義(ほんじゃくしょうれつぎ)にたち、唱題(しょうだい)による『法華経』の現証利益(げんしょうりやく)を強調する。日扇は教えを平易な和歌で示し、1878年(明治11)『妙講一座』を定めて教義を確立。信者は少人数のグループをつくって信仰生活を営んだ。明治初期に弾圧されたが、明治中期以後全国的に発展し、法華系新宗教の源流となった。1946年(昭和21)本門法華宗から独立。日蓮(にちれん)を高祖(こうそ)、日隆(にちりゅう)を門祖(もんそ)、日扇を開導(かいどう)とよび、宗内の最高位を講有(こうゆう)と称する。大本山は京都市上京(かみぎょう)区の宥清(ゆうせい)寺。





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