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(ページの作成:「もとおりのりなが [生] 享保15(1730).5.7 伊勢,松坂 [没] 享和1(1801).9.29 伊勢,松坂 江戸時代後期の国学者、歌人。姓…」)
 
 
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江戸時代後期の国学者、歌人。姓はもと小津(おづ)氏、宝暦2(1752)年23歳、本居と改姓した。幼名は富之助。12歳、実名を栄貞(よしさだ)と定めたが、20歳栄貞(ながさだ)と読みを改め、別に一時期、真良(しんりょう)とも称した。通称は、14歳弥四郎を称したが、24歳健蔵と改めた。26歳にいたり、さらに名を宣長、通称を春庵(蕣庵、舜庵)と改めた。20歳俳名を華風、24歳号を芝蘭(しらん)と称したが、後年は、もっぱら鈴屋(すずのや)の家号が用いられた。
 
江戸時代後期の国学者、歌人。姓はもと小津(おづ)氏、宝暦2(1752)年23歳、本居と改姓した。幼名は富之助。12歳、実名を栄貞(よしさだ)と定めたが、20歳栄貞(ながさだ)と読みを改め、別に一時期、真良(しんりょう)とも称した。通称は、14歳弥四郎を称したが、24歳健蔵と改めた。26歳にいたり、さらに名を宣長、通称を春庵(蕣庵、舜庵)と改めた。20歳俳名を華風、24歳号を芝蘭(しらん)と称したが、後年は、もっぱら鈴屋(すずのや)の家号が用いられた。
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2018/7/23/ (月) 03:09時点における最新版

もとおりのりなが

[生] 享保15(1730).5.7 伊勢,松坂

[没] 享和1(1801).9.29 伊勢,松坂


江戸時代後期の国学者、歌人。姓はもと小津(おづ)氏、宝暦2(1752)年23歳、本居と改姓した。幼名は富之助。12歳、実名を栄貞(よしさだ)と定めたが、20歳栄貞(ながさだ)と読みを改め、別に一時期、真良(しんりょう)とも称した。通称は、14歳弥四郎を称したが、24歳健蔵と改めた。26歳にいたり、さらに名を宣長、通称を春庵(蕣庵、舜庵)と改めた。20歳俳名を華風、24歳号を芝蘭(しらん)と称したが、後年は、もっぱら鈴屋(すずのや)の家号が用いられた。