旧制中等教育学校
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旧制中等教育学校(きゅうせいちゅうとうきょういくがっこう)とはかつての日本で中等教育を行っていた学校の総称。
旧制中等学校とも言われ、中学校(旧制)・高等女学校・実業学校を含む。大半の旧制中等教育学校が1948年(昭和23年)の学制改革で新制(現在の)高等学校となった。
沿革
- 1891年(明治24年)12月14日 - 中学校令の一部改正 (明治24年勅令第243号)
- 14条に女子中等教育の規定が設けられ、高等女学校は尋常中学校(旧制中学校)の一種とされる。
- 1924年(大正13年)- 「実業学校卒業者を中学校卒業者と同等以上の学力をもつものと認める」という文部省告示が出される[1]。
- 1943年(昭和18年)
- 1945年(昭和20年)
- 1946年(昭和21年) - 修業年限が5年に戻る。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施、新制高等学校の発足)
- 1948年(昭和23年)以降 - 高校三原則に基づく公立高等学校の再編
- 1949年(昭和24年)3月31日 - 最後の卒業生[4]を送り出し、併設中学校が廃止される。
新制高等学校への移行
- 学校によっては複雑な統廃合・再編成を経たところもあるため一律な定義は不可能。
1946年度 (昭和21年度) |
1947年度 (昭和22年度) |
1948年度 (昭和23年度) |
1949年度 (昭和24年度) |
1950年度 (昭和25年度) |
1951年度 (昭和26年度) | |
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学制改革 旧制中等教育学校の募集を停止 新制中学校が発足 新制中学校を併設 |
学制改革 旧制中等教育学校を廃止 新制高等学校が発足 年度末で併設中学校廃止 |
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1943年(昭和18年)入学生 | 旧制中等教育学校4年 | 旧制中等教育学校5年 | 新制高校3年 | |||
1944年(昭和19年)入学生 | 旧制中等教育学校3年 | 旧制中等教育学校4年 | 新制高校2年 | 新制高校3年 | ||
1945年(昭和20年)入学生 | 旧制中等教育学校2年 | 併設(新制)中学3年 | 新制高校1年 | 新制高校2年 | 新制高校3年 | |
1946年(昭和21年)入学生 | 旧制中等教育学校1年 | 併設(新制)中学2年 | 併設(新制)中学3年 | 新制高校1年 | 新制高校2年 | 新制高校3年 |
一覧
各都道府県の該当校については旧制中等教育学校の一覧を参照
進学率
旧制中等学校は中・上流階級の教育機関として位置付けられていたため、例えば、1935年の旧制中学校、実業学校、高等女学校の進学率は18.5%に過ぎなかった。それでも受験競争は激しく、社会問題化していた。このため、筆記試験の廃止や復活、報告書、口頭試問の実施といった試行錯誤が繰り返された[8]。
旧制中等学校への進学率は農村部よりも都市部が高く[9]、成績優秀でかつ中以上の資産をもつ家庭に育った児童が進学することが多かった[10]。
脚注
- ↑ 実業学校令の改正 - 文部科学省ウェブサイト
- ↑ 本来は中等教育令で、1943年(昭和18年)度入学生より修業年限4年とされていたため、その入学生が卒業する1947年(昭和22年)3月に修業年限4年を施行予定であったが、戦況悪化に伴って1945年(昭和20年)に繰り上げられて実施されることとなった。
- ↑ 国民学校初等科を除く学校の昭和20年度1年間の授業停止を決定した。
- ↑ 4.0 4.1 4.2 1946年(昭和21年)入学生。旧制中等教育学校へ最後に入学した生徒。
- ↑ 5.0 5.1 1945年(昭和20年)入学生。
- ↑ 6.0 6.1 1944年(昭和19年)入学生。
- ↑ 7.0 7.1 1943年(昭和18年)入学生。
- ↑ 大脇康弘「戦後高校教育の歴史-1945年〜1990年- (PDF) 」 、『教育学論集』第23巻、大阪教育大学、1994年9月、 p. 48、 ISSN 02870061、 NCID AN00056771、. 2016閲覧.
- ↑ 「誰が中等学校に進学したか」 3頁。
- ↑ 「誰が中等学校に進学したか」 4頁。
参考文献
関連項目
- 旧制学校 - 旧制中学校・高等女学校・ 実業学校・旧制中等教育学校の一覧
- 学制改革
- 新制学校 - 中学校・高等学校・中等教育学校
- 日本の高等学校設立年表