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'''日本語'''(にほんご、にっぽんご<ref group="注">「にっぽんご」を見出し語に立てている国語辞典は[[日本国語大辞典]]など少数にとどまる。</ref>)は、主に[[日本]]国内や[[日本人]]同士の間で使用されている[[言語]]である。
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'''日本語'''(にほんご、にっぽんご<ref group="注">「にっぽんご」を見出し語に立てている国語辞典は[[日本国語大辞典]]など少数にとどまる。</ref>
  
日本は[[法令]]によって[[公用語]]を規定していないが、法令その他の公用文は全て日本語で記述され、各種法令<ref>[[裁判所法]]第74条、[[公証人法]]第27条、[[会社計算規則]]第57条第2項、[[特許法]]施行規則第2条など</ref>において日本語を用いることが規定され、[[学校教育]]においては「[[国語 (教科)|国語]]」として学習を課されるなど、事実上、唯一の公用語となっている。
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日本の[[国語]]。歴史的には3世紀頃から日本語とみられる単語が中国の文献などにみえはじめる。
  
使用人口について正確な統計はないが、日本国内の人口、および日本国外に住む日本人や[[日系人]]、日本がかつて統治した地域の一部住民など、約1億3千万人以上と考えられている<ref>{{cite web
+
奈良時代は,『古事記』『万葉集』などにより,一応の全体的姿がわかる時期である。[[上代特殊仮名遣]]の名前で知られる現象があり,6つの母音が音韻的に区別され,かつ母音調和の痕跡とみられる現象が認められる。一方,東歌,防人歌などから,中央方言と著しく異なる東国方言が存在していたことがわかる。中古になると,母音はいまと同じ5母音体系となり,[[音便]]が発生した。文字も[[万葉がな]]からできた[[片仮名]],[[ひらがな]]が用いられはじめた。その後期には音韻変化の結果,発音といろは 47仮名との間にずれができ,[[かなづかい]]の問題が生じた。中世は古代語的世界の最後の時期で,かなり近代語的になる。動詞・形容詞の連体形が終止形を駆逐した。近世には上方語に対立するものとして江戸語が勢力を伸ばし,やがて東京語が標準語となる足場を固めた。
|url=http://web.mit.edu/jpnet/articles/JapaneseLanguage.html
 
|title=Japanese Language
 
|publisher=MIT
 
|accessdate=2009-05-13
 
}}</ref>。統計によって前後する場合もあるが、この数は[[ネイティブスピーカーの数が多い言語の一覧|世界の母語話者数]]で上位10位以内に入る人数である。
 
  
日本で生まれ育ったほとんどの人は、日本語を[[母語]]とする<ref group="注">多くの場合、[[外国人|外国籍]]であっても日本で生まれ育てば日本語が一番話しやすい。しかし日本語以外を母語として育つ場合もあり、また[[琉球語]]を日本語と別の言語とする立場を採る考え方などもあるため、一概に「全て」と言い切れるわけではない。</ref>。日本語の[[文法]]体系や[[音韻]]体系を反映する[[手話]]として[[日本語対応手話]]がある。
+
文法的には二段活用の一段化が完成。明治期には欧米の近代思想を輸入し,翻訳の必要から多くの[[漢語]]を用い,また新しく多くの漢字語をつくった。最近は西洋語,特に英語からの外来語がふえつつある。系統問題では他言語との[[親族関係]]は未確立である。朝鮮語と同系の可能性があり,それがさらにアルタイ諸語へつながるかもしれないが,未証明である。一方,南方系説,混合語説もあるが,言語学的証明からは遠い。
  
2017年4月現在、[[インターネット]]上の言語使用者数は、[[英語]]、[[中国語]]、[[スペイン語]]、[[アラビア語]]、[[ポルトガル語]]、[[マレー語]]に次いで7番目に多い<ref>[http://www.internetworldstats.com/stats7.htm INTERNET WORLD USERS BY LANGUAGE]</ref>。
+
中国語からは言語的にも文化的にも大きな影響を受けたが,音韻構造,文法構造などが著しく異なり,朝鮮語・アルタイ諸語よりも日本語に近い親族関係を有することはありえない。琉球方言は明らかに本土方言と同系で,奈良時代以前に両者が分れたと認められる。
  
==特徴==
+
琉球方言では宮古がほかと大きく異なる特徴を有している。八丈島方言は奈良時代東国方言の系統をひくもので,中央方言からの分岐年代は琉球方言と同様著しく古いと考えられるが,本土方言の同化的影響をはなはだしく受け,わずかに動詞・形容詞などに特異点を保っている。
[[日本語の音韻]]は、「[[っ]]」「[[ん]]」を除いて[[母音]]で終わる[[音節|開音節]]言語の性格が強く、また[[標準語]]([[共通語]])を含め多くの[[日本語の方言|方言]]が[[モーラ]]を持つ。[[アクセント]]は[[高低アクセント]]である。
 
 
 
なお元来の古い[[大和言葉]]では、原則として
 
*「[[ら行]]」音が語頭に立たない([[しりとり]]遊びで「ら行」で始まる言葉が見つけにくいのはこのため。「らく(楽)」「らっぱ」「りんご」などは大和言葉でない)
 
*[[濁音]]が語頭に立たない(「抱(だ)く」「どれ」「ば(場)」「ばら(薔薇)」などは後世の変化)
 
*同一語根内に母音が連続しない(「あお(青)」「かい(貝)」は古くは「あを {{IPA2|/awo/}}」, 「かひ {{IPA2|/kaɸi/}}」)
 
などの特徴があった(「[[#系統|系統]]」および「[[#音韻|音韻]]」の節参照)。
 
 
 
文は、「[[主語]]・[[修飾語]]・[[述語]]」の[[語順]]で構成される。修飾語は被修飾語の前に位置する。また、[[名詞]]の格を示すためには、語順や[[語尾]]を変化させるのでなく、文法的な機能を示す機能語(助詞)を後ろに付け加える(膠着させる)。これらのことから、[[言語類型論]]上は、語順の点では[[SOV型]]の言語に、形態の点では[[膠着語]]に分類される(「[[#文法|文法]]」の節参照)。
 
 
 
語彙は、古来の大和言葉(和語)のほか、[[漢語]](字音語)、[[外来語]]、および、それらの混ざった混種語に分けられる。字音語(漢字の音読みに由来する語の意、一般に「漢語」と称する)は、[[漢文]]を通して古代・中世の[[中国]]から渡来した語またはそれらから派生した語彙であり、現代の語彙の過半数を占めている。さらに近代以降には西洋由来の語を中心とする外来語が増大している(「[[#語種|語種]]」の節参照)。
 
 
 
待遇表現の面では、文法的・語彙的に発達した敬語体系があり、叙述される人物どうしの微妙な関係を表現する(「[[#待遇表現|待遇表現]]」の節参照)。
 
 
 
日本語は地方ごとに多様な方言があり、とりわけ[[琉球諸島]]で方言差が著しい(「[[#方言|方言]]」の節参照)。[[近世]]中期までは[[京言葉|京都方言]]が中央語の地位にあったが、近世後期には[[江戸言葉|江戸方言]]が地位を高め、[[明治]]以降の現代日本語では[[山の手#東京における山の手|東京山の手]]の[[中流階級]]以上の方言([[山の手言葉]])を基盤に標準語(共通語)が形成された(「[[標準語#日本|標準語]]」参照)。
 
 
 
表記体系はほかの諸言語と比べて複雑である。[[漢字]]([[国字]]を含む。[[音読み]]および[[訓読み]]で用いられる)と[[平仮名]]、[[片仮名]]が日本語の主要な文字であり、常にこの3種類の文字を組み合わせて表記する(「[[#字種|字種]]」の節参照){{Refn|group="注"|[[朝鮮語]]も漢字・[[ハングル]]・ラテン文字を併用するが、国家政策によって漢字の使用は激減しており、[[朝鮮民主主義人民共和国]]では公式に漢字を廃止している(「[[朝鮮における漢字|朝鮮漢字]]」や「[[ハングル専用文と漢字ハングル混じり文|ハングル専用]]」を参照)<ref>呉善花 (2008)『「漢字廃止」で韓国に何が起きたか』PHP研究所。</ref>。}}。ほかに、[[ラテン文字]]([[ローマ字]])や[[ギリシア文字|ギリシャ文字]](医学・科学用語に多用)などもしばしば用いられる。また、[[縦書きと横書き]]がいずれも用いられる(表記体系の詳細については「[[日本語の表記体系]]」参照)。
 
 
 
音韻は「[[子音]]+母音」[[音節]]を基本とし、母音は5種類しかないなど、分かりやすい構造を持つ一方、[[直音]]と[[拗音]]の対立、「1音節2モーラ」の存在、[[無声音|無声化]]母音、語の組み立てに伴って移動する高さアクセントなどの特徴がある(「[[#音韻|音韻]]」の節参照)。
 
 
 
==分布==
 
日本語は、主に日本国内で使用される。話者[[人口]]についての調査は国内・国外を問わず未だないが、日本の人口に基づいて考えられることが一般的である<ref>亀井 孝・河野 六郎・千野 栄一 [編] (1997)『言語学大辞典セレクション 日本列島の言語』(三省堂)の南不二男「日本語・総説」を参照。またEthnologue ウェブ版では、日本での話者人口を1985年に1億2100万人、全世界で1億2208万0100人と推計している[http://www.ethnologue.com/show_language.asp?code=jpn] (2010-01-03閲覧)。<br />
 
なお、田野村忠温が1977年から1997年までに刊行された10点 (版の相違を含めると16点) の資料を調査した結果、それぞれに記載された日本語の話者人口は最少で1.02億人、最多で1.25億人以上だった。{{cite journal|和書|author=田野村忠温|title=日本語の話者数順位について: 日本語は世界第六位の言語か?|url=http://www.joao-roiz.jp/SJL/search/start/author=%2B%25E7%2594%25B0%25E9%2587%258E%25E6%259D%2591%2B%25E5%25BF%25A0%25E6%25B8%25A9%2B%2B&year=1997|journal=国語学|issue=189集|pages=pp. 37-41}}{{リンク切れ|date=2017年9月}} [http://www.let.osaka-u.ac.jp/~tanomura/intro/kokugogaku.html 表 (増補2版、2010-01-03閲覧)]。</ref>。
 
 
 
日本国内に、法令上、日本語を公用語ないし国語と定める直接の規定はない。しかし法令は日本語で記されており、[[裁判所法]]においては「裁判所では、日本語を用いる」(同法74条)とされ、[[文字・活字文化振興法]]においては「国語」と「日本語」が同一視されており(同法3条、9条)、その他多くの法令において、日本語が唯一の公用語ないし国語であることが当然の前提とされている。また、法文だけでなく公用文はすべて日本語のみが用いられ、学校教育では日本語が「国語」として教えられている。
 
 
 
日本では、テレビやラジオ、映画などの放送、小説や[[漫画]]、新聞などの出版の分野でも、日本語が使われることがほとんどである。国外のドラマや映画が放送される場合でも、基本的には日本語に訳し、字幕を付けたり声を当てたりしてから放送されるなど、受け手が日本語のみを理解することを当然の前提として作成される。原語のまま放送・出版されるものも存在するが、それらは外国向けに発表される前提の論文、もしくは日本在住の外国人、あるいは原語の学習者など限られた人を対象としており、大多数の日本人に向けたものではない。
 
 
 
日本国外では、主として、中南米([[ペルー]]・[[ブラジル]]・[[ボリビア]]・[[ドミニカ共和国]]・[[パラグアイ]]など)や[[ハワイ州|ハワイ]]などの日本人移民の間に日本語の使用がみられる<ref>見坊 豪紀 (1964)「アメリカの邦字新聞を読む」『言語生活』157(1983年の『ことば さまざまな出会い』(三省堂)に収録)では、1960年代のロサンゼルスおよびハワイの邦字新聞の言葉遣いに触れる。<br>井上 史雄 (1971)「ハワイ日系人の日本語と英語」『言語生活』236は、ハワイ日系人の談話引用を含む報告である。<br>本堂 寛 (1996)「ブラジル日系人の日本語についての意識と実態―ハワイ調査との対比から」『日本語研究諸領域の視点 上』によれば、1979~1980年の調査において、ブラジル日系人で「日本語をうまく使える」と回答した人は、1950年以前生まれで20.6%、以後生まれで8.3%だという。</ref>が、3世・4世と世代が下るにしたがって非日本語話者が多くなっているのが実情である<ref>亀井 孝・河野 六郎・千野 栄一 [編] (1997)『言語学大辞典セレクション 日本列島の言語』(三省堂)の南不二男「日本語・総説」などを参照。</ref>。また、太平洋戦争の終結以前に日本領ないし日本の勢力下にあった[[朝鮮総督府]]の[[朝鮮半島]]・[[台湾総督府]]の[[台湾]]・旧[[満州国]]で現在[[中華人民共和国]]の一部・[[樺太庁]]の[[樺太]]([[サハリン州|サハリン]])・旧[[南洋庁]]の[[南洋諸島]](現在の[[北マリアナ諸島]]・[[パラオ]]・[[マーシャル諸島]]・[[ミクロネシア連邦]])などの地域では、日本語教育を受けた人々の中に、現在でも日本語を記憶して話す人がいる{{Refn|group="注"|ミクロネシアでは日本語教育を受けた世代が今でも同世代との会話に日本語を利用し、一般にも日本語由来の語句が多く入っているという<ref>真田 信治 (2002)「ポナペ語における日本語からの借用語の位相―ミクロネシアでの現地調査から」『国語論究』9-25。</ref>。}}。台湾では先住民の異なる部族同士の会話に日本語が用いられることがある<ref>青柳 森 (1986)「台湾山地紀行」『東京消防』1986年10月(ウェブ版は、{{cite web |url=http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/essay/aoyagishigeru.html |title=日本ペンクラブ:電子文藝館・地球ウォーカー |accessdate=2012年2月15日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120715050442/http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/essay/aoyagishigeru.html |archivedate=2012年7月15日 |deadlinkdate=2017年10月 }})。</ref>だけでなく、[[宜蘭クレオール]]など日本語と[[タイヤル語]]の[[クレオール言語]]も存在している<ref>[http://ci.nii.ac.jp/naid/110006946039 台湾における日本語クレオールについて]</ref>。また、パラオの[[アンガウル州]]では歴史的経緯から日本語を公用語の一つとして採用している<ref>矢崎幸生『現代先端法学の展開』信山社出版、2001年10月、10-11頁、ISBN 479723038X。</ref>が、現在州内には日本語を日常会話に用いる住民は存在せず、象徴的なものに留まっている<ref>「{{cite web |url=http://www.spc.int/prism/country/pw/stats/PalauStats/Publication/2005CENSUS.pdf |title=2005年度パラオ共和国国勢調査 |accessdate=2012年6月26日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080216045724/http://www.spc.int/prism/country/pw/stats/PalauStats/Publication/2005CENSUS.pdf |archivedate=2008年2月16日 }}(英語、PDF)」パラオ共和国統計局、2005年12月、26頁。</ref>。
 
 
 
日本国外の日本語学習者は2015年調査で365万人にのぼり、[[中華人民共和国]]の約95万人、[[インドネシア]]の約75万人、[[大韓民国]]の約56万人、[[オーストラリア]]の約36万人、[[台湾]]の約22万人が上位となっている。地域別では、[[東アジア]]・[[東南アジア]]で全体の学習者の約8割を占めている。[[日本語教育]]が行われている地域は、137か国・地域に及んでいる<ref>{{PDFlink|[http://www.jpf.go.jp/j/about/press/2016/dl/2016-057-2.pdf 2015年度海外日本語教育機関調査結果(速報値)]}} </ref>。また、日本国内の日本語学習者は、[[アジア]]地域の約16万人を中心として約19万人に上っている<ref>[http://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/nihongokyoiku_jittai/h27/pdf/h27_zenbun.pdf 文化庁調査「平成27年度国内の日本語教育の概要」] (2015)。</ref>。
 
{{Main|日本語教育}}
 
 
 
==系統==
 
{{精度|date=2014年12月|section=1}}
 
[[画像:Altaic family2.svg|right|thumb|300px|[[アルタイ諸語]]と'''日本語(族)'''、[[朝鮮語]]の分布]]
 
{{main|日本語の起源}}
 
 
 
「日本語」の範囲を[[日本語族#日本語派|本土方言]]のみとした場合、[[琉球語]]が日本語と同系統の言語になり両者は'''[[日本語族]]'''を形成する。いっぽう琉球語(琉球方言)も含めて日本語とする場合は、日本語は[[孤立した言語]]となる。
 
 
 
日本語(族)の系統は明らかでなく、解明される目途も立っていない。言語学・音韻論などの総合的な結論は『'''[[孤立した言語]]'''』である。しかし、いくつかの理論仮説があり、いまだ総意を得るに至っていない<ref name="E">亀井 孝 他 [編] (1963)『日本語の歴史1 民族のことばの誕生』(平凡社)。</ref><ref>大野 晋・柴田 武 [編] (1978)『岩波講座 日本語 第12巻 日本語の系統と歴史』(岩波書店)。</ref>。
 
 
 
[[アルタイ諸語]]に属するとする説は、[[明治|明治時代]]末から特に注目されてきた<ref>藤岡 勝二 (1908)「日本語の位置」『國學院雑誌』14。</ref>。その根拠として、古代の日本語([[大和言葉]])において語頭にr音([[流音]])が立たないこと、一種の[[母音調和]]<ref name="G">有坂 秀世 (1931)「国語にあらはれる一種の母音交替について」『音声の研究』第4輯(1957年の『国語音韻史の研究 増補新版』(三省堂)に収録)。</ref>が見られることなどが挙げられる。ただし、[[アルタイ諸語]]に属するとされるそれぞれの言語自体、互いの親族関係が証明されているわけではなく<ref>北村 甫 [編] (1981)『講座言語 第6巻 世界の言語』(大修館書店)p.121。</ref>、したがって、古代日本語に上記の特徴が見られることは、日本語が類型として「アルタイ型」の言語である<ref>亀井 孝・河野 六郎・千野 栄一 [編] (1996)『言語学大辞典6 術語編』(三省堂)の「アルタイ型」。</ref>という以上の意味をもたない。
 
 
 
南方系の[[オーストロネシア語族]]とは、音韻体系や語彙に関する類似も指摘されている<ref>泉井 久之助 (1952)「日本語と南島諸語」『民族学研究』17-2(1975年の『マライ=ポリネシア諸語 比較と系統』(弘文堂)に収録)。</ref>が、語例は十分ではなく、推定・不確定の例を多く含む。
 
 
 
[[ドラヴィダ語族]]との関係を主張する説もあるが、これを認める研究者は少ない。[[大野晋]]は日本語が語彙・文法などの点で[[タミル語]]と共通点を持つとの説を唱える<ref>大野 晋 (1987)『日本語以前』(岩波新書)などを参照。研究の集大成として、大野 晋 (2000)『日本語の形成』(岩波書店)を参照。</ref>が、比較言語学の方法上の問題から批判が多い<ref>主な批判・反批判として、以下のものがある。家本 太郎・児玉 望・山下 博司・長田 俊樹 (1996)「「日本語=タミル語同系説」を検証する―大野晋『日本語の起源 新版』をめぐって」『日本研究(国際文化研究センター紀要)』13/大野 晋 (1996)「「タミル語=日本語同系説に対する批判」を検証する」『日本研究』15/山下 博司 (1998)「大野晋氏のご批判に答えて―「日本語=タミル語同系説」の手法を考える」『日本研究』17。</ref>(「[[大野晋#クレオールタミル語説]]」も参照)。
 
 
 
個別の言語との関係についていえば、中国語、とりわけ古典中国語は、古来、[[漢字]]・[[漢語]]を通じて日本語の表記や語彙・形態素に強い影響を与えており、拗音等の音韻面や、古典中国語における書面語の文法・語法の模倣を通じた文法・語法・文体への影響もみられた。日本は、文明圏として中国を中心とする[[漢字文化圏]]に属するが、言語系統としては、基礎語彙が対応しておらず、文法的・音韻的特徴でも、中国語が孤立語であるのに対し日本語は[[膠着語]]であり、日本語には中国語のような[[声調]]がないなどの相違点があり、系統的関連性は認められない。
 
 
 
[[アイヌ語]]は、語順(SOV語順)において日本語と似るものの、文法・形態は類型論的に異なる[[抱合語]]に属し、音韻構造も有声・無声の区別がなく[[音節|閉音節]]が多いなどの相違がある。基礎語彙の類似に関する指摘<ref name="R">服部 四郎 (1959)『日本語の系統』(岩波書店、1999年に岩波文庫)。</ref>もあるが、例は不充分である<ref name="R"/>。一般に似ているとされる語の中には、日本語からアイヌ語への[[外来語|借用語]]が多く含まれるとみられる<ref>中川 裕 (2005)「アイヌ語にくわわった日本語」『国文学 解釈と鑑賞』70-1。</ref>。目下のところは系統的関連性を示す材料は乏しい。
 
 
 
[[朝鮮語]]は、文法構造に類似点が多いものの、基礎語彙が大きく相違する。音韻の面では、固有語において語頭に流音が立たないこと、一種の母音調和が見られることなど、上述のアルタイ諸語と共通の類似点がある一方で、閉音節や子音連結が存在する、有声・無声の区別が無いなど、大きな相違もある。[[朝鮮半島]]の[[死語 (言語学)|死語]]である[[高句麗語]]とは、数詞など似る語彙もあるといわれる<ref>新村 出 (1916)「国語及び朝鮮語の数詞に就いて」『芸文』7-2・4(1971年の『新村出全集 第1巻』(筑摩書房)に収録)。</ref>が、高句麗語の実態はほとんど分かっておらず、現時点では系統論上の判断材料にはなりがたい。
 
 
 
また、[[レプチャ語]]・[[ヘブライ語]]などとの同系論も過去に存在したが、ほとんど[[偽言語比較論]]の範疇に収まる<ref name="R"/>。
 
 
 
[[南西諸島|琉球列島]](旧[[琉球王国]]領域)の言葉は、日本語の一[[方言]]([[琉球語|琉球方言]])とする場合と、日本語と系統を同じくする別言語([[琉球語]]ないしは琉球諸語)とし、日本語とまとめて[[日本語族]]とする意見があるが、研究者や機関によって見解が分かれる(各項目参照)。
 
 
 
==音韻==
 
{{main|日本語の音韻}}
 
 
 
===音韻体系===
 
日本語話者は普通、「いっぽん(一本)」という語を、「い・っ・ぽ・ん」の4単位と捉えている。[[音節]]ごとにまとめるならば {{IPA|ip̚.poɴ}} のように2単位となるところであるが、音韻的な捉え方はこれと異なる。[[音声学]]上の単位である音節とは区別して、[[音韻論]]では「い・っ・ぽ・ん」のような単位のことを[[モーラ]]<ref>服部 四郎 (1950) "Phoneme, Phone and Compound Phone" 『言語研究』16(1960年の『言語学の方法』(岩波書店)に収録)。</ref>(拍<ref>亀井 孝 (1956)「「音韻」の概念は日本語に有用なりや」『国文学攷』15。</ref>)と称している。
 
 
 
日本語のモーラは、大体は[[仮名 (文字)|仮名]]に即して体系化することができる。「いっぽん」と「まったく」は、音声学上は {{IPA|ip̚poɴ}} {{IPA|mat̚takɯ}} であって共通する単音がないが、日本語話者は「っ」という共通のモーラを見出す。また、「ん」は、音声学上は後続の音によって {{IPA|ɴ}} {{IPA|m}} {{IPA|n}} {{IPA|ŋ}} などと変化するが、日本語の話者自らは同一音と認識しているので、音韻論上は1種類のモーラとなる。
 
 
 
日本語では、ほとんどのモーラが母音で終わっている。それゆえに日本語は[[音節|開音節]]言語の性格が強いということができる。もっとも、特殊モーラの「っ」「ん」には母音が含まれない。
 
 
 
モーラの種類は、以下に示すように111程度存在する。ただし、研究者により数え方が少しずつ異なっている。「[[か行|が行]]」の音は、語中語尾では鼻音(いわゆる[[鼻濁音]])の「{{JIS2004フォント|か&#x309A;行}}」音となる場合があるが、「が行」と「{{JIS2004フォント|か&#x309A;行}}」との違いは何ら弁別の機能を提供せず、単なる[[異音]]どうしに過ぎない。そこで、「{{JIS2004フォント|か&#x309A;行}}」を除外して数える場合、モーラの数は103程度となる。これ以外に、「[[外来語の表記]]」第1表にもある「シェ」「チェ」「ツァ・ツェ・ツォ」「ティ」「ファ・フィ・フェ・フォ」その他の外来音を含める場合は、さらにまた数が変わってくる<ref>松崎 寛 (1993)「外来語音と現代日本語音韻体系」『日本語と日本文学』18では、外来音を多く認めた129モーラからなる音韻体系を示す。</ref>。このほか、外来語の表記において用いられる「ヴァ・ヴィ・ヴ・ヴェ・ヴォ」については、バ行として発音されることが多いものの、独立した音韻として発音されることもあり、これらを含めるとさらに増えることとなる。
 
 
 
{|class="wikitable"
 
|-
 
!\||colspan="5"|[[直音]]||colspan="3"|[[拗音]]||清濁
 
|-
 
![[母音]]
 
|[[あ]]||[[い]]||[[う]]||[[え]]||[[お]]||colspan="3"| ||――
 
|-
 
!rowspan="13"|[[子音]]+母音
 
|[[か]]||[[き]]||[[く]]||[[け]]||[[こ]]||きゃ||きゅ||きょ||([[清音]])
 
|-
 
|[[さ]]||[[し]]||[[す]]||[[せ]]||[[そ]]||しゃ||しゅ||しょ||(清音)
 
|-
 
|[[た]]||[[ち]]||[[つ]]||[[て]]||[[と]]||ちゃ||ちゅ||ちょ||(清音)
 
|-
 
|[[な]]||[[に]]||[[ぬ]]||[[ね]]||[[の]]||にゃ||にゅ||にょ||――
 
|-
 
|[[は]]||[[ひ]]||[[ふ]]||[[へ]]||[[ほ]]||ひゃ||ひゅ||ひょ||(清音)
 
|-
 
|[[ま]]||[[み]]||[[む]]||[[め]]||[[も]]||みゃ||みゅ||みょ||――
 
|-
 
|[[ら]]||[[り]]||[[る]]||[[れ]]||[[ろ]]||りゃ||りゅ||りょ||――
 
|-
 
|[[が]]||[[ぎ]]||[[ぐ]]||[[げ]]||[[ご]]||ぎゃ||ぎゅ||ぎょ||([[濁音]])
 
|-
 
|{{JIS2004フォント|[[か゜|か&#x309A;]]}}||{{JIS2004フォント|[[き゜|き&#x309A;]]}}||{{JIS2004フォント|[[く゜|く&#x309A;]]}}||{{JIS2004フォント|[[け゜|け&#x309A;]]}}||{{JIS2004フォント|[[こ゜|こ&#x309A;]]}}||{{JIS2004フォント|き&#x309A;ゃ}}||{{JIS2004フォント|き&#x309A;ゅ}}||{{JIS2004フォント|き&#x309A;ょ}}||([[鼻濁音]])
 
|-
 
|[[ざ]]||[[じ]]||[[ず]]||[[ぜ]]||[[ぞ]]||じゃ||じゅ||じょ||(濁音)
 
|-
 
|[[だ]]||[[ぢ]]||[[づ]]||[[で]]||[[ど]]||colspan="3"| ||(濁音)
 
|-
 
|[[ば]]||[[び]]||[[ぶ]]||[[べ]]||[[ぼ]]||びゃ||びゅ||びょ||(濁音)
 
|-
 
|[[ぱ]]||[[ぴ]]||[[ぷ]]||[[ぺ]]||[[ぽ]]||ぴゃ||ぴゅ||ぴょ||([[半濁音]])
 
|-
 
!rowspan="2"|半子音+母音
 
|[[や]]|| ||[[ゆ]]|| ||[[よ]]||colspan="3"| ||――
 
|-
 
|[[わ]]|| || || ||[[を]]||colspan="3"| ||――
 
|}
 
 
 
{|class="wikitable"
 
|-
 
!rowspan="3"|特殊モーラ
 
|[[ん]]||([[ん|撥音]])
 
|-
 
|[[っ]]||([[促音]])
 
|-
 
|[[長音符|ー]]||([[長音]])
 
|}
 
 
 
なお、[[五十音|五十音図]]は、音韻体系の説明に使われることがしばしばあるが、上記の日本語モーラ表と比べてみると、少なからず異なる部分がある。五十音図の成立は平安時代にさかのぼるものであり、現代語の音韻体系を反映するものではないことに注意が必要である(「[[#日本語研究史|日本語研究史]]」の節の「[[#江戸時代以前|江戸時代以前]]」を参照)。
 
 
 
====母音体系====
 
[[ファイル:Japanese (standard) vowels.png|frame|right|基本5母音の調音位置<br><small>左側を向いた人の口の中を模式的に示したもの。左へ行くほど舌が前に出、上へ行くほど口が狭まることを表す。なお、{{IPA|o}} のときは唇の丸めを伴う。</small>]]
 
[[母音]]は、「[[あ]]・[[い]]・[[う]]・[[え]]・[[お]]」の文字で表される。[[音韻論]]上は、日本語の[[母音]]はこの文字で表される5個であり、[[音素]]記号では以下のように記される。
 
*{{ipa|a}}, {{ipa|i}}, {{ipa|u}}, {{ipa|e}}, {{ipa|o}}
 
一方、[[音声学]]上は、基本の5母音は、それぞれ
 
*{{IPA|ä}}、{{IPA|i̠}}、 {{IPA|u̜}}または{{IPA|ɯ̹}}、{{IPA|e̞}}または{{IPA|ɛ̝}} 、{{IPA|o̜}}または{{IPA|ɔ̜̝}}
 
に近い発音と捉えられる。 ̈ は[[中舌母音|中舌寄り]]、 ̠ は後寄り、 ̜ は弱めの円唇、 ̹ は強めの円唇、˕ は下寄り、 ˔ は上寄りを示す補助記号である。
 
 
 
日本語の「あ」は、[[国際音声記号]] (IPA) では前舌母音 {{IPA|a}} と後舌母音 {{IPA|ɑ}} の中間音 {{IPA|ä}} に当たる。「い」は少し後寄りであり {{IPA|i̠}} が近い。「え」は半狭母音 {{IPA|e}} と半広母音 {{IPA|ɛ}} の中間音であり、「お」は半狭母音 {{IPA|o}} と半広母音 {{IPA|ɔ}} の中間音である。
 
 
 
日本語の「う」は、東京方言では、英語などの {{IPA|u}} のような円唇後舌母音より、少し中舌よりで、それに伴い円唇性が弱まり、中舌母音のような張唇でも円唇でもないニュートラルな唇か、それよりほんの僅かに前に突き出した唇で発音される、半後舌微円唇狭母音である<ref>「日本語の音声」窪園晴夫、1999、p35~p37</ref>。これは舌と唇の動きの連関で、前舌母音は張唇、中舌母音は平唇・ニュートラル(ただしニュートラルは、現行のIPA表記では非円唇として、張唇と同じカテゴリーに入れられている)、後舌母音は円唇となるのが自然であるという法則に適っている<ref>「日本語の音声」窪園晴夫、1999、p34~p35</ref>。しかし「う」は母音融合などで見られるように、音韻上は未だに円唇後舌狭母音として機能する<ref>「日本語の音声」窪園晴夫、1999、p100</ref>。また、[ɯᵝ] という表記も行なわれる{{要出典|date=2015年6月}}。
 
 
 
円唇性の弱さを強調するために、{{IPA|ɯ}} を使うこともあるが<ref>「日本語の音声」窪園晴夫、1999、p35</ref>、これは本来朝鮮語に見られる、iのような完全な張唇でありながら、u のように後舌の狭母音を表す記号であり、円唇性が減衰しつつも残存し、かつ後舌よりやや前よりである日本語の母音「う」の音声とは違いを有する。またこの種の母音は、唇と舌の連関から外れるため、母音数5以上の言語でない限り、発生するのは稀である。「う」は[[唇音]]の後ではより完全な[[円唇母音]]に近づく(発音の詳細はそれぞれの文字の項目を参照)。一方、西日本方言では「う」は東京方言よりも奥舌で、唇も丸めて発音し、 {{IPA|u}} に近い。
 
 
 
音韻論上、「コーヒー」「ひいひい」など、「ー」や「あ行」の仮名で表す[[長音]]という単位が存在する(音素記号では {{ipa|R}})。これは、「直前の母音を1モーラ分引く」という方法で発音される独立した特殊モーラである<ref>金田一 春彦 (1950) 「「五億」と「業苦」―引き音節の提唱」『国語と国文学』27-1(1967年に「「里親」と「砂糖屋」―引き音節の提唱」として『国語音韻の研究』(東京堂出版)に収録)などを参照。</ref>。「鳥」(トリ)と「通り」(トーリ)のように、長音の有無により意味を弁別することも多い。ただし、音声としては「長音」という特定の音があるわけではなく、長母音 {{IPA|äː}} {{IPA|i̠ː}} {{IPA|u̜̟ː}} {{IPA|e̞ː}} {{IPA|o̜̞ː}} の後半部分に相当するものである。
 
 
 
「えい」「おう」と書かれる文字は、発音上は「ええ」「おお」と同じく長母音 {{IPA|e̞ː}} {{IPA|o̜̞ː}} として発音されることが一般的である(「けい」「こう」など、頭子音が付いた場合も同様)。すなわち、「衛星」「応答」「政党」は「エーセー」「オートー」「セートー」のように発音される。ただし、九州や四国南部・西部、紀伊半島南部などでは「えい」を {{IPA|e̞i}} と発音する<ref name="D">徳川 宗賢 [編] (1989) 『日本方言大辞典 下』(小学館)の「音韻総覧」。</ref>。「思う」{{IPA|omoɯᵝ}}、「問う」{{IPA|toɯᵝ}}などの単語は必ず[[二重母音]]となり、また軟骨魚の[[エイ]]など、語彙によって二重母音になる場合もあるが、これには個人差がある。1文字1文字丁寧に発話する場合には「えい」を {{IPA|e̞i}} と発音する話者も多い。
 
 
 
単語末や無声子音の間に挟まれた位置において、「イ」や「ウ」などの[[狭母音]]はしばしば無声化する。たとえば、「です」「ます」は {{IPA|de̞su̜̟̥}} {{IPA|mäsu̜̟̥}} のように発音されるし、「菊」「力」「深い」「放つ」「秋」などはそれぞれ {{IPA|kʲi̠̥ku̜̟}} {{IPA|ʨi̠̥käɾä}} {{IPA|ɸu̜̟̥käi̠}} {{IPA|hänäʦu̜̟̥}} {{IPA|äkʲi̠̥}} と発音されることがある。ただしアクセント核がある拍は無声化しにくい。個人差もあり、発話の環境や速さ、丁寧さによっても異なる。また方言差も大きく、たとえば[[近畿方言]]ではほとんど母音の無声化が起こらない。
 
 
 
「[[ん]]」の前の母音は[[鼻音化]]する傾向がある。また、母音の前の「ん」は前後の母音に近似の[[鼻音化|鼻母音]]になる。
 
 
 
====子音体系====
 
[[子音]]は、[[音韻論]]上区別されているものとしては、現在の主流学説によれば「か・さ・た・な・は・ま・や・ら・わ行」の子音、濁音「が・ざ・だ・ば行」の子音、半濁音「ぱ行」の子音である。[[音素]]記号では以下のように記される。ワ行とヤ行の語頭子音は、音素 u と音素 i の音節内の位置に応じた変音であるとする解釈もある。特殊モーラの「ん」と「っ」は、音韻上独立の音素であるという説と、「ん」はナ行語頭子音 n の音節内の位置に応じた変音、「っ」は単なる[[二重子音|二重子音化]]であるとして音韻上独立の音素ではないという説の両方がある。
 
*{{ipa|k}}, {{ipa|s}}, {{ipa|t}}, {{ipa|h}}(清音)
 
*{{ipa|ɡ}}, {{ipa|z}}, {{ipa|d}}, {{ipa|b}}(濁音)
 
*{{ipa|p}}(半濁音)
 
*{{ipa|n}}, {{ipa|m}}, {{ipa|r}}
 
*{{ipa|j}}, {{ipa|w}}(半母音とも呼ばれる)
 
一方、[[音声学]]上は、子音体系はいっそう複雑な様相を呈する。主に用いられる子音を以下に示す(後述する[[口蓋化]]音は省略)。
 
 
 
{|class="wikitable" style="text-align: center;"
 
|-
 
!rowspan="2" colspan="2"|<!--空-->
 
!|[[唇音]]
 
!colspan="2"|[[舌頂音]]
 
!colspan="3"|[[舌背音]]
 
!|[[咽喉音]]
 
|-
 
![[両唇音]]
 
![[歯茎音]]
 
![[そり舌音|そり<br>舌音]]
 
![[硬口蓋音|硬口<br>蓋音]]
 
![[軟口蓋音|軟口<br>蓋音]]
 
![[口蓋垂音|口蓋<br>垂音]]
 
![[声門音]]
 
|-
 
!colspan="2"|[[破裂音]]
 
|class="IPA"|[[無声両唇破裂音|p]]&nbsp;&nbsp;[[有声両唇破裂音|b]]
 
|class="IPA"|[[無声歯茎破裂音|t]]&nbsp;&nbsp;[[有声歯茎破裂音|d]]
 
|class="IPA"|&nbsp;
 
|class="IPA"|&nbsp;
 
|class="IPA"|[[無声軟口蓋破裂音|k]]&nbsp;&nbsp;[[有声軟口蓋破裂音|ɡ]]
 
|class="IPA"|&nbsp;
 
|class="IPA"|&nbsp;
 
|-
 
!colspan="2"|[[鼻音]]
 
|class="IPA"|[[両唇鼻音|m]]
 
|class="IPA"|[[歯茎鼻音|n]]
 
|class="IPA"|&nbsp;
 
|class="IPA"|&nbsp;
 
|class="IPA"|[[軟口蓋鼻音|ŋ]]
 
|class="IPA"|[[口蓋垂鼻音|ɴ]]
 
|style="background:gray;"|&nbsp;
 
|-
 
!colspan="2"|[[はじき音]]
 
|class="IPA"|&nbsp;
 
|class="IPA"|[[歯茎はじき音|ɾ]]
 
|class="IPA"|[[そり舌はじき音|ɽ]]
 
|class="IPA"|&nbsp;
 
|class="IPA"|&nbsp;
 
|class="IPA"|&nbsp;
 
|style="background:gray;"|&nbsp;
 
|-
 
!colspan="2"|[[摩擦音]]
 
|class="IPA"|[[無声両唇摩擦音|ɸ]]
 
|class="IPA"|[[無声歯茎摩擦音|s]]&nbsp;&nbsp;[[有声歯茎摩擦音|z]]
 
|class="IPA"|&nbsp;
 
|class="IPA"|[[無声硬口蓋摩擦音|ç]]
 
|class="IPA"|[[有声軟口蓋摩擦音|ɣ]]
 
|class="IPA"|&nbsp;
 
|class="IPA"|[[無声声門摩擦音|h]]
 
|-
 
!colspan="2"|[[接近音]]
 
|class="IPA"|[[両唇接近音|(β̞)]]
 
|class="IPA"|&nbsp;
 
|class="IPA"|&nbsp;
 
|class="IPA"|[[硬口蓋接近音|j]]
 
|class="IPA"|[[軟口蓋接近音|ɰ]]
 
|class="IPA"|&nbsp;
 
|class="IPA"|&nbsp;
 
|-
 
!rowspan="2" style="width:1em"|[[側面音]]
 
![[側面はじき音|はじき音]]
 
|style="background:gray;"|&nbsp;
 
|class="IPA"|[[歯茎側面はじき音|ɺ]]
 
|class="IPA"|&nbsp;
 
|class="IPA"|&nbsp;
 
|class="IPA"|&nbsp;
 
|class="IPA"|&nbsp;
 
|style="background:gray;"|&nbsp;
 
|-
 
![[側面音|側面接近音]]
 
|style="background:gray;"|&nbsp;
 
|class="IPA"|&nbsp;[[歯茎側面接近音|l]]
 
|class="IPA"|&nbsp;
 
|class="IPA"|&nbsp;
 
|class="IPA"|&nbsp;
 
|class="IPA"|&nbsp;
 
|style="background:gray;"|&nbsp;
 
|}
 
 
 
===その他の記号===
 
{|frame="box" rules="all" cellpadding="1" class="wikitable" style="text-align:center;"
 
|-
 
!class="IPA" style="font-weight:normal;font-size:120%"|[[無声歯茎硬口蓋摩擦音|ɕ]] [[有声歯茎硬口蓋摩擦音|ʑ]]
 
|[[歯茎硬口蓋音|歯茎硬口蓋]]摩擦音
 
|}
 
 
 
{|frame="box" rules="all" cellpadding="1" class="wikitable" style="text-align:center;"
 
|+破擦音
 
|-
 
!<!--空-->
 
!style="width:4em"|歯茎音
 
!style="width:4em"|歯茎硬口蓋音
 
|-
 
!無声音
 
|class="IPA"|[[無声歯茎破擦音|t͡s]]
 
|class="IPA"|[[無声歯茎硬口蓋破擦音|t͡ɕ]]
 
|-
 
!有声音
 
|class="IPA"|[[有声歯茎破擦音|d͡z]]
 
|class="IPA"|[[有声歯茎硬口蓋破擦音|d͡ʑ]]
 
|}
 
 
 
基本的に「か行」は {{IPA|k}}、「さ行」は {{IPA|s}}({{IPA|θ}} を用いる地方・話者もある<ref name="D">徳川 宗賢 [編] (1989) 『日本方言大辞典 下』(小学館)の「音韻総覧」。</ref>)、「た行」は {{IPA|t}}、「な行」は {{IPA|n}}、「は行」は {{IPA|h}}、「ま行」は {{IPA|m}}、「や行」は {{IPA|j}}、「だ行」は {{IPA|d}}、「ば行」は {{IPA|b}}、「ぱ行」は {{IPA|p}} を用いる。
 
 
 
「ら行」の子音は、語頭では {{IPA|ɺ}} 、「ん」の後のら行は英語の {{IPA|l}} に近い音を用いる話者もある。
 
一方、「あらっ?」というときのように、語中語尾に現れる場合は、舌をはじく {{IPA|ɾ}} もしくは {{IPA|ɽ}} となる。
 
 
 
標準日本語およびそれの母体である首都圏方言(共通語)において、「わ行」の子音は、上で挙げた同言語の「う」と基本的な性質を共有し、もう少し空気の通り道の狭い接近音である。このため、{{ipa|u}} に対応する接近音{{ipa|w}} と、{{ipa|ɯ}} に対応する接近音{{ipa|ɰ}} の中間、もしくは微円唇という点で僅かに {{ipa|w}} に近いと言え、軟口蓋(後舌母音の舌の位置)の少し前よりの部分を主な調音点とし、両唇も僅かに使って調音する[[二重調音]]の接近音といえる<ref>「日本語の音声」窪園晴夫、1999、p59</ref>。このため、五十音図の配列では、ワ行は唇音に入れられている(「日本語」の項目では、特別の必要のない場合は {{ipa|w}} で表現する)。外来音「ウィ」「ウェ」「ウォ」にも同じ音が用いられるが、「ウイ」「ウエ」「ウオ」と2モーラで発音する話者も多い。
 
 
 
「が行」の子音は、語頭では破裂音の {{IPA|g}} を用いるが、語中では鼻音の {{IPA|ŋ}}(「が行」鼻音、いわゆる[[鼻濁音]])を用いることが一般的だった。現在では、この {{IPA|ŋ}} を用いる話者は減少しつつあり、代わりに語頭と同じく破裂音を用いるか、摩擦音の {{IPA|ɣ}} を用いる話者が増えている。
 
 
 
「ざ行」の子音は、語頭や「ん」の後では[[破擦音]](破裂音と摩擦音を合わせた {{IPA|d͡z}} などの音)を用いるが、語中では[[摩擦音]]({{IPA|z}} など)を用いる場合が多い。いつでも破擦音を用いる話者もあるが、「手術(しゅじゅつ)」などの語では発音が難しいため摩擦音にするケースが多い。なお、「だ行」の「ぢ」「づ」は、一部方言を除いて「ざ行」の「じ」「ず」と同音に帰しており、発音方法は同じである。
 
 
 
母音「い」が後続する子音は、独特の音色を呈する。いくつかの子音では、前舌面を[[硬口蓋]]に近づける[[口蓋化]]が起こる。たとえば、「か行」の子音は一般に {{IPA|k}} を用いるが、「[[き]]」だけは {{IPA|kʲ}} を用いるといった具合である。口蓋化した子音の後ろに母音「あ」「う」「お」が来るときは、表記上は「[[い段]]」の仮名の後ろに「ゃ」「ゅ」「ょ」の仮名を用いて「きゃ」「きゅ」「きょ」、「みゃ」「みゅ」「みょ」のように記す。後ろに母音「え」が来るときは「ぇ」の仮名を用いて「きぇ」のように記すが、外来語などにしか使われない。
 
 
 
「さ行」「ざ行」「た行」「は行」の「い段」音の子音も独特の音色であるが、これは単なる口蓋化でなく、調音点が硬口蓋に移動した音である。「し」「ち」の子音は {{IPA|ɕ}} {{IPA|ʨ}} を用いる。外来音「スィ」「ティ」の子音は口蓋化した {{IPA|sʲ}} {{IPA|tʲ}} を用いる。「じ」「ぢ」の子音は、語頭および「ん」の後ろでは {{IPA|d͡ʑ}}、語中では {{IPA|ʑ}} を用いる。外来音「ディ」「ズィ」の子音は口蓋化した {{IPA|dʲ}} {{IPA|d͡ʑʲ}} および {{IPA|zʲ}} を用いる。「ひ」の子音は {{IPA|h}} ではなく[[硬口蓋音]] {{IPA|ç}} である。
 
 
 
また、「[[に]]」の子音は多くは口蓋化した {{IPA|nʲ}} で発音されるが、[[硬口蓋鼻音]] {{IPA|ɲ}} を用いる話者もある。同様に、「[[り]]」に[[硬口蓋はじき音]]を用いる話者や、「ち」に[[無声硬口蓋破裂音]] {{IPA|c}} を用いる話者もある。
 
 
 
そのほか、「は行」では「[[ふ]]」の子音のみ[[無声両唇摩擦音]] {{IPA|ɸ}} を用いるが、これは「は行」子音が {{IPA|p}} → {{IPA|ɸ}} → {{IPA|h}} と変化してきた名残りである。五十音図では、奈良時代に音韻・音声でp、平安時代に{{IPA|ɸ}}であった名残で、両唇音のカテゴリーに入っている。外来語には {{IPA|f}} を用いる話者もある。これに関して、現代日本語で「っ」の後ろや、漢語で「ん」の後ろにハ行が来たとき、パ行(p)の音が現れ、連濁でもバ行(b)に変わり、有音声門摩擦音{{IPA|ɦ}}ではないことから、現代日本語でも語種を和語や前近代の漢語等の借用語に限れば(ハ行に由来しないパ行は近代以降のもの)、ハ行の音素はhでなくpであり、摩擦音化規則で上に挙げた場合以外はhに変わるのだという解釈もある。現代日本語母語話者の直感には反するが、ハ行の連濁や「っ」「ん」の後ろでのハ行の音の変化をより体系的・合理的に表しうる<ref>「p音考」、上田萬年、1898</ref><ref>「ハ行子音の分布と変化」、田中伸一、2008、東京大学教養学部の講義「言語科学2」にて</ref>。
 
 
 
また、「た行」では「[[つ]]」の子音のみ {{IPA|t͡s}} を用いる。これらの子音に母音「あ」「い」「え」「お」が続くのは主として外来語の場合であり、仮名では「ァ」「ィ」「ェ」「ォ」を添えて「ファ」「ツァ」のように記す(「ツァ」は「おとっつぁん」「ごっつぁん」などでも用いる)。「フィ」「ツィ」は子音に口蓋化が起こる。また「ツィ」は多く「チ」などに言い換えられる。「トゥ」「ドゥ」({{ipa|tɯ}} {{ipa|dɯ}})は、外国語の {{ipa|t}} {{ipa|tu}} {{ipa|du}} などの音に近く発音しようとするときに用いることがある。
 
 
 
[[促音]]「っ」(音素記号では {{ipa|Q}})および[[ん|撥音]]「ん」({{ipa|N}})と呼ばれる音は、音韻論上の概念であって、前節で述べた[[長音]]と併せて特殊モーラと扱う。実際の音声としては、「っ」は {{IPA|-k̚k-}} {{IPA|-s̚s-}} {{IPA|-ɕ̚ɕ-}} {{IPA|-t̚t-}} {{IPA|-t̚ʦ-}} {{IPA|-t̚ʨ-}} {{IPA|-p̚p-}} などの子音連続となる。ただし「あっ」のように、単独で出現することもあり、そのときは声門閉鎖音となる。また、「ん」は、後続の音によって {{IPA|ɴ}} {{IPA|m}} {{IPA|n}} {{IPA|ŋ}} などの子音となる(ただし、母音の前では[[鼻音化|鼻母音]]となる)。文末などでは {{IPA|ɴ}} を用いる話者が多い。
 
 
 
===アクセント===
 
{{See also|アクセント#日本語のアクセント}}
 
日本語は、一部の方言を除いて、音(ピッチ)の上下による[[アクセント|高低アクセント]]を持っている。アクセントは語ごとに決まっており、モーラ(拍)単位で高低が定まる。同音語をアクセントによって区別できる場合も少なくない。たとえば東京方言の場合、「雨」「飴」はそれぞれ「ア\メ」(頭高型)、「ア/メ」(平板型)と異なったアクセントで発音される(/を音の上昇、\を音の下降とする)。「が」「に」「を」などの助詞は固有のアクセントがなく、直前に来る名詞によって助詞の高低が決まる。たとえば「箸」「橋」「端」は、単独ではそれぞれ「ハ\シ」「ハ/シ」「ハ/シ」となるが、後ろに「が」「に」「を」などの助詞が付く場合、それぞれ「ハ\シガ」「ハ/シ\ガ」「ハ/シガ」となる。
 
 
 
共通語のアクセントでは、単語の中で音の下がる場所があるか、あるならば何モーラ目の直後に下がるかを弁別する。音が下がるところを'''下がり目'''または'''アクセントの滝'''といい、音が下がる直前のモーラを'''アクセント核'''<ref group="注">厳密にはアクセント核とは、弁別的なピッチの変動をもたらすモーラまたは音節のことで、下げ核、上げ核、昇り核、降り核の総称である。下げ核は直後のモーラの音を下げる働きを持つ。</ref>または'''下げ核'''という。たとえば「箸」は第1拍、「橋」は第2拍にアクセント核があり、「端」にはアクセント核がない。アクセント核は1つの単語には1箇所もないか1箇所だけあるかのいずれかであり、一度下がった場合は単語内で再び上がることはない。アクセント核を {{下げ核|○}} で表すと、2拍語には ○○(核なし)、{{下げ核|○}}○、○{{下げ核|○}} の3種類、3拍語には ○○○、{{下げ核|○}}○○、○{{下げ核|○}}○、○○{{下げ核|○}} の4種類のアクセントがあり、拍数が増えるにつれてアクセントの型の種類も増える。アクセント核が存在しないものを平板型といい、第1拍にアクセント核があるものを頭高型、最後の拍にあるものを尾高型、第1拍と最後の拍の間にあるものを中高型という。頭高型・中高型・尾高型をまとめて起伏式または有核型と呼び、平板型を平板式または無核型と呼んで区別することもある。
 
 
 
また共通語のアクセントでは、単語や文節のみの形で発音した場合、「し/るしが」「た/ま\ごが」のように1拍目から2拍目にかけて音の上昇がある(頭高型を除く)。しかしこの上昇は単語に固有のものではなく、文中では「あ/かいしるしが」「こ/のたま\ごが」のように、区切らずに発音した一まとまり(「句」と呼ぶ)の始めに上昇が現れる。この上昇を'''[[句音調]]'''と言い、句と句の切れ目を分かりやすくする機能を担っている。一方、アクセント核は単語に固定されており、「たまご」の「ま」の後の下がり目はなくなることがない。共通語の音調は、句の2拍目から上昇し(句の最初の単語が頭高型の場合は1拍目から上昇する)、アクセント核まで平らに進み、核の後で下がる。従って、句頭で「低低高高…」や「高高高高…」のような音調は現れない。アクセント辞典などでは、アクセントを「し{{高線|るしが}}」「た{{下げ核|ま}}ごが」のように表記する場合があるが、これは1文節を1つの句として発音するときのもので、句音調とアクセント核の両方を同時に表記したものである<ref>[[上野善道]] (1989)「日本語のアクセント」『講座日本語と日本語教育 第2巻 日本語の音声・音韻(上)』(明治書院)。</ref>。
 
 
 
==文法==
 
{{main|現代日本語文法}}
 
 
 
===文の構造===
 
[[File:Nihongo_bunkozo.png|thumb|440px|right|日本語の文の例{{smaller|上の文は、橋本進吉の説に基づき主述構造の文として説明したもの。下の文は、主述構造をなすとは説明しがたいもの。三上章はこれを題述構造の文と捉えている。}}]]
 
日本語では「私は本を読む。」という語順で文を作る。英語で「I read a book.」という語順を[[SVO型]](主語・動詞・目的語)と称する説明にならっていえば、日本語の文は[[SOV型]]ということになる。もっとも、厳密にいえば、英語の文に動詞が必須であるのに対して、日本語文は動詞で終わることもあれば、形容詞や名詞+助動詞で終わることもある。そこで、日本語文の基本的な構造は、「S(主語)‐V(動詞)」というよりは、「S(主語)‐P(述語)」という「'''主述構造'''」と考えるほうが、より適当である。
 
#私は(が) 社長だ
 
#私は(が) 行く。
 
#私は(が) 嬉しい。
 
上記の文は、いずれも「S‐P」構造、すなわち主述構造をなす同一の文型である。英語などでは、それぞれ「SVC」「SV」「SVC」の文型になるところであるから、それにならって、1を名詞文、2を動詞文、3を形容詞文と分けることもある。しかし、日本語ではこれらの文型に本質的な違いはない。そのため、英語の初学者などは、「I am president」「I am happy.」と同じ調子で「I am go.」と誤った作文をすることがある<ref>酒井 邦嘉(2002)『言語の脳科学』(中公新書)105頁。</ref>。
 
 
 
====題述構造====
 
また、日本語文では、主述構造とは別に、「題目‐述部」からなる「'''題述構造'''」を採ることがきわめて多い。題目とは、話のテーマ(主題)を明示するものである([[三上章]]は「<span dir="ltr" lang="en">what we are talking about</span>」と説明する<ref name="A">三上 章 (1972) 『続・現代語法序説』(くろしお出版)。</ref>)。よく主語と混同されるが、別概念である。主語は多く「が」によって表され、動作や作用の主体を表すものであるが、題目は多く「は」によって表され、その文が「これから何について述べるのか」を明らかにするものである。主語に「は」が付いているように見える文も多いが、それはその文が動作や作用の主体について述べる文、すなわち題目が同時に主語でもある文だからである。そのような文では、題目に「は」が付くことにより結果的に主語に「は」が付く。一方、動作や作用の客体について述べる文、すなわち題目が同時に目的語でもある文では、題目に「は」が付くことにより結果的に目的語に「は」が付く。たとえば、
 
*4. 象は 大きい。
 
*5. 象は おりに入れた。
 
*6. 象は えさをやった。
 
*7. 象は 鼻が長い。
 
などの文では、「象は」はいずれも題目を示している。4の「象は」は「象が」に言い換えられるもので、事実上は文の主語を兼ねる。しかし、5以下は「象が」には言い換えられない。5は「象を」のことであり、6は「象に」のことである。さらに、7の「象は」は何とも言い換えられないものである(「象の」に言い換えられるともいう<ref>三上 章 (1960)『象は鼻が長い―日本文法入門』(くろしお出版)。</ref>)。これらの「象は」という題目は、「が」「に」「を」などの特定の[[格]]を表すものではなく、「私は象について述べる」ということだけをまず明示する役目を持つものである。
 
 
 
これらの文では、題目「象は」に続く部分全体が「述部」である<ref>[[鈴木重幸]]『日本語文法・形態論』は、5,6の「象は」は、題目を差し出す機能を持つ「題目語」ととらえる。ただし、7の文について「象は」が主語、「鼻が長い」を連語述語ととらえる。</ref>。
 
 
 
[[大野晋]]は、「が」と「は」はそれぞれ未知と既知を表すと主張した。たとえば
 
*私が佐藤です
 
*私は佐藤です
 
においては、前者は「佐藤はどの人物かと言えば(それまで未知であった)私が佐藤です」を意味し、後者は「(すでに既知である)私は誰かと言えば(田中ではなく)佐藤です」となる。したがって「何」「どこ」「いつ」などの疑問詞は常に未知を意味するから「何が」「どこが」「いつが」となり、「何は」「どこは」「いつは」とは言えない。
 
 
 
日本語と同様に題述構造の文を持つ言語([[主題優勢言語]])は、東アジアなどに分布する。たとえば、[[中国語]]・[[朝鮮語]]・[[ベトナム語]]・[[マレー語]]・[[タガログ語]]にもこの構造の文が見られる。
 
 
 
====主語廃止論====
 
[[ファイル:Difference between Japanese and English sentences.gif|frame|right|日本語・英語の構文の違い<div style="font-size: smaller;">三上説によれば、日本語の文は、「紹介シ」の部分に「ガ」「ニ」「ヲ」が同等に係る。英語式の文は、「甲(ガ)」という主語だけが述語「紹介シタ」と対立する。</div>]]
 
上述の「象は鼻が長い。」のように、「主語‐述語」の代わりに「題目‐述部」と捉えるべき文が非常に多いことを考えると、日本語の文にはそもそも主語は必須でないという見方も成り立つ。[[三上章]]は、ここから「主語廃止論」(主語という文法用語をやめる提案)を唱えた。三上によれば、
 
*甲ガ乙ニ丙ヲ紹介シタ。
 
という文において、「甲ガ」「乙ニ」「丙ヲ」はいずれも「紹介シ」という行為を説明するために必要な要素であり、優劣はない。重要なのは、それらをまとめる述語「紹介シタ」の部分である。「甲ガ」「乙ニ」「丙ヲ」はすべて述語を補足する語(補語)となる。いっぽう、英語などでの文で主語は、述語と人称などの点で呼応しており、特別の存在である<ref name="A"/>。
 
 
 
この考え方に従えば、英語式の観点からは「主語が省略されている」としかいいようがない文をうまく説明することができる。たとえば、
 
*ハマチの成長したものをブリという。
 
*ここでニュースをお伝えします。
 
*日一日と暖かくなってきました。
 
などは、いわゆる主語のない文である。しかし、日本語の文では述語に中心があり、補語を必要に応じて付け足すと考えれば、上記のいずれも、省略のない完全な文と見なして差し支えない。
 
 
 
今日の文法学説では、主語という用語・概念は、作業仮説として有用な面もあるため、なお一般に用いられている。一般的には格助詞「ガ」を伴う文法項を主語と見なす。ただし、三上の説に対する形で日本語の文に主語が必須であると主張する学説は、生成文法や鈴木重幸らの言語学研究会グループなど、主語に統語上の重要な役割を認める学派を除いて、少数派である。森重敏は、日本語の文においても主述関係が骨子であるとの立場を採るが、この場合の主語・述語も、一般に言われるものとはかなり様相を異にしている<ref>森重 敏 (1965)『日本文法―主語と述語』(武蔵野書院)。</ref>。現在一般的に行われている学校教育における文法([[学校文法]])では、主語・述語を基本とした伝統的な文法用語を用いるのが普通だが、教科書によっては主語を特別扱いしないものもある<ref group="注">たとえば、東京書籍『新編 新しい国語 1』(中学校国語教科書)では、1977年の検定本では「主語・述語」を一括して扱っているが、1996年の検定本ではまず述語について「文をまとめる重要な役割をする」と述べたあと、主語については修飾語と一括して説明している。</ref>。
 
 
 
===文の成分===
 
文を主語・述語から成り立つと捉える立場でも、この2要素だけでは文の構造を十分に説明できない。主語・述語には、さらに[[修飾語]]などの要素が付け加わって、より複雑な文が形成される。文を成り立たせるこれらの要素を「文の成分」と称する。
 
 
 
学校文法(中学校の国語教科書)では、文の成分として「主語」「述語」「修飾語」(連用修飾語・連体修飾語)「接続語」「独立語」の5つを挙げている。「並立語(並立の関係にある文節/連文節どうし)」や「補助語・被補助語(補助の関係にある文節/連文節どうし)は文の成分(あるいはそれを示す用語)ではなく、文節/連文節どうしの関係を表した概念であって、常に連文節となって上記五つの成分になるという立場に学校文法は立っている。したがって、「並立の関係」「補助の関係」という用語(概念)を教科書では採用しており、「並立語」「補助語」という用語(概念)については載せていない教科書が主流である。なお「連体修飾語」も厳密にいえばそれだけでは成分にはなり得ず、常に被修飾語と連文節を構成して文の成分になる。
 
 
 
学校図書を除く四社の教科書では、単文節でできているものを「主語」のように「-語」と呼び、連文節でできているものを「主部」のように「-部」と呼んでいる。それに対し学校図書だけは、文節/連文節どうしの関係概念を「-語」と呼び、いわゆる成分(文を構成する個々の最大要素)を「-部」と呼んでいる。
 
 
 
====種類とその役割====
 
以下、学校文法の区分に従いつつ、それぞれの文の成分の種類と役割とについて述べる。
 
 
 
=====主語・述語=====
 
文を成り立たせる基本的な成分である。ことに述語は、文をまとめる重要な役割を果たす。「雨が降る。」「本が多い。」「私は学生だ。」などは、いずれも主語・述語から成り立っている。教科書によっては、述語を文のまとめ役として最も重視する一方、主語については修飾語と併せて説明するものもある(前節「[[#主語廃止論|主語廃止論]]」参照)。
 
 
 
=====連用修飾語=====
 
用言に係る修飾語である(用言については「[[#自立語|自立語]]」の節を参照)。「兄が弟に算数を教える。」という文で「弟に」「算数を」など格を表す部分は、述語の動詞「教える」にかかる連用修飾語ということになる。また、「算数をみっちり教える。」「算数を熱心に教える。」という文の「みっちり」「熱心に」なども、「教える」にかかる連用修飾語である。ただし、「弟に」「算数を」などの成分を欠くと、基本的な事実関係が伝わらないのに対し、「みっちり」「熱心に」などの成分は、欠いてもそれほど事実の伝達に支障がない。ここから、前者は文の根幹をなすとして'''補充成分'''と称し、後者に限って'''修飾成分'''と称する説もある<ref>北原 保雄 (1981)『日本語の世界 6 日本語の文法』(中央公論社)</ref>。国語教科書でもこの2者を区別して説明するものがある。
 
 
 
=====連体修飾語=====
 
体言に係る修飾語である(体言については「[[#自立語|自立語]]」の節を参照)。「私の本」「動く歩道」「赤い髪飾り」「大きな瞳」の「私の」「動く」「赤い」「大きな」は連体修飾語である。[[鈴木重幸]]・[[鈴木康之]]・[[高橋太郎 (言語学者)|高橋太郎]]・[[鈴木泰]]らは、ものを表す文の成分に特徴を付与し、そのものがどんなものであるかを規定(限定)する文の成分であるとして、連体修飾語を「'''規定語'''」(または「'''連体規定語'''」)と呼んでいる。
 
 
 
=====接続語=====
 
「疲れたので、動けない。」「買いたいが、金がない。」の「疲れたので」「買いたいが」のように、あとの部分との論理関係を示すものである。また、「今日は晴れた。だから、ピクニックに行こう。」「君は若い。なのに、なぜ絶望するのか。」における「だから」「なのに」のように、前の文とその文とをつなぐ成分も接続語である。品詞分類では、常に接続語となる品詞を接続詞とする。
 
 
 
=====独立語=====
 
「はい、分かりました。」「姉さん、どこへ行くの。」「新鮮、それが命です。」の「はい」「姉さん」「新鮮」のように、他の部分に係ったり、他の部分を受けたりすることがないものである。係り受けの観点から定義すると、結果的に、独立語には感動・呼びかけ・応答・提示などを表す語が該当することになる。品詞分類では、独立語としてのみ用いられる品詞は[[感動詞]]とされる。名詞や形容動詞語幹なども独立語として用いられる。
 
 
 
=====並立語=====
 
「ミカンとリンゴを買う。」「琵琶湖の冬は冷たく厳しい。」の「ミカンとリンゴを」や、「冷たく厳しい。」のように並立関係でまとまっている成分である。全体としての働きは、「ミカンとリンゴを」の場合は連用修飾部に相当し、「冷たく厳しい。」は述部に相当する。
 
 
 
====目的語と補語====
 
現行の学校文法では、英語にあるような「目的語」「補語」などの成分はないとする。英語文法では「<span dir="ltr" lang="en">I read a book.</span>」の「<span dir="ltr" lang="en">a book</span>」はSVO文型の一部をなす目的語であり、また「<span dir="ltr" lang="en">I go to the library.</span>」の「<span dir="ltr" lang="en">the library</span>」は前置詞とともに付け加えられた修飾語と考えられる。一方、日本語では、
 
*私は本を読む。
 
*私は図書館へ行く。
 
のように、「本を」「図書館へ」はどちらも「名詞+格助詞」で表現されるのであって、その限りでは区別がない。これらは、文の成分としてはいずれも「連用修飾語」とされる。ここから、学校文法に従えば、「私は本を読む。」は、「主語‐目的語‐動詞」(SOV) 文型というよりは、「主語‐修飾語‐述語」文型であると解釈される。
 
 
 
=====対象語(補語)=====
 
[[鈴木重幸]]・[[鈴木康之]]らは、「連用修飾語」のうち、「目的語」に当たる語は、述語の表す動きや状態の成立に加わる対象を表す「対象語」であるとし、文の基本成分として認めている。([[高橋太郎 (言語学者)|高橋太郎]]・[[鈴木泰]]・[[工藤真由美]]らは「対象語」と同じ文の成分を、主語・述語が表す事柄の組み立てを明示するために、その成り立ちに参加する物を補うという文中における機能の観点から、「補語」と呼んでいる。)
 
 
 
=====状況語=====
 
「明日、学校で運動会がある。」の「明日」「学校で」など、出来事や有様の成り立つ状況を述べるために時や場所、原因や目的(「雨だから」(「体力向上のために」など)を示す文の成分のことを「状況語」とも言う(鈴木重幸『日本語文法・形態論』、高橋太郎他『日本語の文法』他)。学校文法では「連用修飾語」に含んでいるが、(連用)修飾語が、述語の表す内的な属性を表すのに対して、状況語は外的状況を表す「とりまき」ないしは「額縁」の役目を果たしている。状況語は、出来事や有様を表す部分の前に置かれるのが普通であり、主語の前に置かれることもある。なお、「状況語」という用語はロシア語・スペイン語・中国語(中国語では「状語」と言う)などにもあるが、日本語の「状況語」と必ずしも概念が一致しているわけではなく、修飾語を含んだ概念である。
 
 
 
====修飾語の特徴====
 
日本語では、修飾語はつねに被修飾語の前に位置する。「ぐんぐん進む」「白い雲」の「ぐんぐん」「白い」はそれぞれ「進む」「雲」の修飾語である。修飾語が長大になっても位置関係は同じで、たとえば、
 
{{Quote|ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なるひとひらの雲|佐佐木信綱}}
 
という[[短歌]]は、冒頭から「ひとひらの」までが「雲」に係る長い修飾語である。
 
 
 
法律文や翻訳文などでも、長い修飾語を主語・述語の間に挟み、文意を取りにくくしていることがしばしばある。たとえば、[[日本国憲法|憲法]]前文の一節に、
 
{{Quote|われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。}}
 
とあるが、主語(題目)の「われら」、述語の「信ずる」の間に「いづれの国家も……であると」という長い修飾語が介在している。この種の文を読み慣れた人でなければ分かりにくい。英訳で "We hold…"(われらは信ずる)と主語・述語が隣り合うのとは対照的である。
 
 
 
もっとも、修飾語が後置される英語でも、修飾関係の分かりにくい文が現れることがある。次のような文は「袋小路文」([[:en:garden path sentence]]) と呼ばれる。
 
{{Quote|{{lang|en|The horse raced past the barn fell.}}(納屋のそばを走らされた馬が倒れた。)}}
 
この場合、日本語の文では「馬」に係る連体修飾語「納屋のそばを走らされた」が前に来ているために誤解がないが、英語では「<span dir="ltr" lang="en">The horse</span>」を修飾する「<span dir="ltr" lang="en">raced past the barn</span>」があとに来ているために、誤解の元になっている。すなわち、「崩れた納屋のそばを馬が素早く走り抜けた」とも読める。
 
 
 
===品詞体系===
 
[[ファイル:JapanesePartsOfSpeech.png|frame|right|学校文法の品詞体系<br><small>元の図は、
 
橋本進吉「国語法要説」<ref name="F">橋本 進吉 (1948)『国語法研究(橋本進吉博士著作集 第2冊)』(岩波書店)。</ref>に掲載。上図および現在の国語教科書では微修正を加えている。</small>]]
 
名詞や動詞、形容詞といった「[[品詞]]」の概念は、上述した「文の成分」の概念とは分けて考える必要がある。名詞「犬」は、文の成分としては主語にもなれば修飾語にもなり、「犬だ」のように助動詞「だ」を付けて述語にもなる。動詞・形容詞・形容動詞も、修飾語にもなれば述語にもなる。もっとも、副詞は多く連用修飾語として用いられ、また、連体詞は連体修飾語に、接続詞は接続語に、感動詞は独立語にもっぱら用いられるが、必ずしも、特定の品詞が特定の文の成分に1対1で対応しているわけではない。
 
 
 
では、それぞれの品詞の特徴を形作るものは何かということが問題になるが、これについては、さまざまな説明があり、一定しない。俗に、事物を表す単語が名詞、動きを表す単語が動詞、様子を表す単語が形容詞などといわれることがあるが、例外がいくらでも挙がり、定義としては成立しない。
 
 
 
[[橋本進吉]]は、品詞を分類するにあたり、単語の表す意味(動きを表すか様子を表すかなど)には踏み込まず、主として形式的特徴によって品詞分類を行っている<ref name="F"/>。橋本の考え方は初学者にも分かりやすいため、[[学校文法]]もその考え方に基づいている。
 
 
 
学校文法では、[[語]]のうち、「太陽」「輝く」「赤い」「ぎらぎら」など、それだけで[[文節]]を作り得るものを'''[[品詞|自立語]]'''(詞)とし、「ようだ」「です」「が」「を」など、単独で文節を作り得ず、自立語に付属して用いられるものを'''[[品詞|付属語]]'''(辞)とする。なお、日本語では、自立語の後に[[接辞]]や付属語を次々につけ足して文法的な役割などを示すため、[[言語類型論]]上は[[膠着語]]に分類される。
 
{{See also|品詞#日本語の品詞}}
 
 
 
====自立語====
 
自立語は、[[活用]]のないものと、活用のあるものとに分けられる。
 
 
 
自立語で活用のないもののうち、主語になるものを'''[[名詞]]'''とする。名詞のうち、'''[[代名詞]]'''・'''[[数詞]]'''を独立させる考え方もある。一方、主語にならず、単独で連用修飾語になるものを'''[[副詞]]'''、連体修飾語になるものを'''[[連体詞]]'''(副体詞)、接続語になるものを'''[[接続詞]]'''、独立語としてのみ用いられるものを'''[[感動詞]]'''とする。副詞・連体詞については、それぞれ一品詞とすべきかどうかについて議論があり、さらに細分化する考え方<ref>渡辺 実 [編] (1983)『副用語の研究』(明治書院)などを参照。</ref>や、他の品詞に吸収させる考え方<ref>鈴木 一彦 (1959)「副詞の整理」『国語と国文学』36-12。</ref>などがある。
 
 
 
自立語で活用のあるもののうち、命令形のあるものを'''[[動詞]]'''、命令形がなく終止・連体形が「い」で終わるものを'''[[形容詞]]'''(日本語教育では「イ形容詞」)、連体形が「な」で終わるものを'''[[形容動詞]]'''(日本語教育では「ナ形容詞」)とする。形容動詞を一品詞として認めることについては、[[時枝誠記]]<ref name="B">時枝 誠記 (1950) 『日本文法 口語篇』(岩波全書)。</ref>や[[鈴木重幸]]など、否定的な見方をする研究者もいる。
 
 
 
なお、「名詞」および「体言」という用語は、しばしば混同される。古来、ことばを分類するにあたり、活用のない語を「[[品詞|体言]]」(体)、活用のある語を「[[品詞|用言]]」(用)、そのほか、助詞・助動詞の類を「てにをは」と大ざっぱに称することが多かった。現在の学校文法では、「用言」は活用のある自立語の意味で用いられ(動詞・形容詞・形容動詞を指す)、「体言」は活用のない自立語の中でも名詞(および代名詞・数詞)を指すようになった。つまり、現在では「体言」と「名詞」とは同一物と見ても差し支えはないが、活用しない語という点に着目していう場合は「体言」、文の成分のうち主語になりうるという点に着目していう場合は「名詞」と称する。
 
 
 
====付属語====
 
付属語も、[[活用]]のないものと、活用のあるものとに分けられる。
 
 
 
付属語で活用のないものを'''[[助詞]]'''と称する。「春'''が'''来た」「買っ'''て'''くる」「やる'''しか'''ない」「分かった'''か'''」などの太字部分はすべて助詞である。助詞は、名詞について述語との関係(格関係)を表す'''格助詞'''(「[[#名詞の格|名詞の格]]」の節参照)、活用する語について後続部分との接続関係を表す'''接続助詞'''、種々の語について、程度や限定などの意味を添えつつ後続の用言などを修飾する'''副助詞'''、文の終わりに来て疑問や詠嘆・感動・禁止といった気分や意図を表す'''終助詞'''に分けられる。鈴木重幸・高橋太郎他・鈴木康之らは助詞を単語とは認めず、付属辞(「くっつき」)として、単語の一部とする。(格助詞・並立助詞・係助詞・副助詞・終助詞の全部および接続助詞のうち「し」「が」「けれども」「から」「ので」「のに」について)または語尾(接続助詞のうち「て(で)」、条件の形の「ば」、並べ立てるときの「たり(だり)」について)。
 
 
 
付属語で活用のあるものを'''[[助動詞 (国文法)|助動詞]]'''と称する。「気を引か'''れる'''」「私は泣か'''ない'''」「花が笑っ'''た'''」「さあ、出かけ'''よう'''」「今日は来ない'''そうだ'''」「もうすぐ春'''です'''」などの太字部分はすべて助動詞である。助動詞の最も主要な役割は、動詞(および助動詞)に付属して以下のような情報を加えることである。すなわち、動詞の[[態]](特に受け身・使役・可能など。ヴォイス)・[[極性 (言語学)|極性]](肯定・否定の決定。ポラリティ)・[[時制]](テンス)・[[相 (言語学)|相]](アスペクト)・[[法 (文法)|法]](推量・断定・意志など。ムード)などを示す役割を持つ。[[山田孝雄]]は、助動詞を認めず、動詞から分出される語尾(複語尾)と見なしている<ref>山田 孝雄 (1909) 『日本文法論』(宝文館)。</ref>。また[[時枝誠記]]は、「れる(られる)」「せる(させる)」を助動詞とせず、動詞の接尾語としている<ref name="B"/>。鈴木重幸・鈴木康之・高橋太郎らは大部分の助動詞を単語とは認めない。「た(だ)」「う(よう)は、動詞の語尾であるとし、「ない」「よう」「ます」「れる」「られる」「せる」「させる」「たい」「そうだ」「ようだ」は、接尾辞であるとして、単語の一部とする。(「ようだ」「らしい」「そうだ」に関しては、「むすび」または「コピュラ」「繋辞」であるとする。)
 
 
 
===名詞の格===
 
名詞および動詞・形容詞・形容動詞は、それが文中でどのような成分を担っているかを特別の形式によって表示する。
 
 
 
名詞の場合、「が」「を」「に」などの[[助詞|格助詞]]を後置することで動詞との関係(格)を示す。語順によって格を示す言語ではないため、日本語は語順が比較的自由である。すなわち、
 
*桃太郎'''が''' 犬'''に''' きびだんご'''を''' やりました。
 
*犬'''に''' 桃太郎'''が''' きびだんご'''を''' やりました。
 
*きびだんご'''を''' 桃太郎'''が''' 犬'''に''' やりました。
 
などは、強調される語は異なるが、いずれも同一の内容を表す文で、しかも正しい文である。
 
 
 
主な格助詞とその典型的な機能は次の通りである。
 
{|class=wikitable
 
!助詞
 
!機能
 
!使用例
 
|-
 
|が
 
|動作・作用の主体を表す。
 
|例:「空が青い」、「犬がいる」
 
|-
 
|の
 
|連体修飾を表す。
 
|「私の本」、「理想の家庭」
 
|-
 
|を
 
|動作・作用の対象を表す。
 
|「本を読む」、「人を教える」
 
|-
 
|に
 
|動作・作用の到達点を表す。
 
|「駅に着く」、「人に教える」
 
|-
 
|へ
 
|動作・作用の及ぶ方向を表す。
 
|「駅へ向かう」、「学校へ出かける」
 
|-
 
|と
 
|動作・作用をともに行う相手を表す。
 
|「友人と帰る」、「車とぶつかる」
 
|-
 
|から
 
|動作・作用の起点を表す。
 
|「旅先から戻る」、「6時から始める」
 
|-
 
|より
 
|動作・作用の起点や、比較の対象を表す。
 
|「旅先より戻る」、「花より美しい」
 
|-
 
|で
 
|動作・作用の行われる場所を表す。
 
|「川で洗濯する」、「風呂で寝る」
 
|}
 
 
 
このように、格助詞は、述語を連用修飾する名詞が述語とどのような関係にあるかを示す(ただし、「の」だけは連体修飾に使われ、名詞同士の関係を示す)。なお、上記はあくまでも典型的な機能であり、主体を表さない「が」(例、「水が飲みたい」)、対象を表さない「を」(例、「日本を発った」)、到達点を表さない「に」(例、受動動作の主体「先生にほめられた」、地位の所在「今上天皇にあらせられる」)、主体を表す「の」(例、「私は彼の急いで走っているのを見た」)など、上記に収まらない機能を担う場合も多い。
 
 
 
格助詞のうち、「が」「を」「に」は、話し言葉においては脱落することが多い。その場合、文脈の助けがなければ、最初に来る部分は「が」格に相当すると見なされる。「くじらをお父さんが食べてしまった。」を「くじら、お父さん食べちゃった。」と助詞を抜かして言った場合は、「くじら」が「が」格相当ととらえられるため、誤解の元になる。「チョコレートを私が食べてしまった。」を「チョコレート、私食べちゃった。」と言った場合は、文脈の助けによって誤解は避けられる。なお、「へ」「と」「から」「より」「で」などの格助詞は、話し言葉においても脱落しない。
 
 
 
題述構造の文(「[[#文の構造|文の構造]]」の節参照)では、特定の格助詞が「は」に置き換わる。たとえば、「空が 青い。」という文は、「空」を題目化すると「空は 青い。」となる。題目化の際の「は」の付き方は、以下のようにそれぞれの格助詞によって異なる。
 
{|class="wikitable"
 
|-
 
!無題の文||題述構造の文
 
|-
 
|空'''が'''青い。||空'''は'''青い。
 
|-
 
|本'''を'''読む。||本'''は'''読む。
 
|-
 
|学校'''に'''行く。||学校'''は'''行く。(学校'''には'''行く。)
 
|-
 
|駅'''へ'''向かう。||駅'''へは'''向かう。
 
|-
 
|友人'''と'''帰る。||友人'''とは'''帰る。
 
|-
 
|旅先'''から'''戻る。||旅先'''からは'''戻る。
 
|-
 
|川'''で'''洗濯する。||川'''では'''洗濯する。
 
|}
 
 
 
格助詞は、下に来る動詞が何であるかに応じて、必要とされる種類と数が変わってくる。たとえば、「走る」という動詞で終わる文に必要なのは「が」格であり、「馬が走る。」とすれば完全な文になる。ところが、「教える」の場合は、「が」格を加えて「兄が教えています。」としただけでは不完全な文である。さらに「で」格を加え、「兄が小学校で教えています(=教壇に立っています)。」とすれば完全になる。つまり、「教える」は、「が・で」格が必要である。
 
 
 
ところが、「兄が部屋で教えています。」という文の場合、「が・で」格があるにもかかわらず、なお完全な文という感じがしない。「兄が部屋で弟に算数を教えています。」のように「が・に・を」格が必要である。むしろ、「で」格はなくとも文は不完全な印象はない。
 
 
 
すなわち、同じ「教える」でも、「教壇に立つ」という意味の「教える」は「が・で」格が必要であり、「説明して分かるようにさせる」という意味の「教える」では「が・に・を」格が必要である。このように、それぞれの文を成り立たせるのに必要な格を「必須格」という。
 
 
 
===活用形と種類===
 
{{main|活用}}
 
名詞が格助詞を伴ってさまざまな格を示すのに対し、用言(動詞・形容詞・形容動詞)および助動詞は、語尾を変化させることによって、文中のどの成分を担っているかを示したり、[[時制]]・[[相 (言語学)|相]]などの情報や文の切れ続きの別などを示したりする。この語尾変化を「[[活用]]」といい、活用する語を総称して「活用語」という。
 
 
 
学校文法では、口語の活用語について、6つの[[活用|活用形]]を認めている。以下、動詞・形容詞・形容動詞の活用形を例に挙げる(太字部分)。
 
 
 
{|class=wikitable
 
!活用形||動詞||形容詞||形容動詞
 
|-
 
|[[未然形]]
 
|'''打た'''ない<br>'''打と'''う||'''強かろ'''う||'''勇敢だろ'''う
 
|-
 
|[[連用形]]
 
|'''打ち'''ます<br>'''打っ'''た||'''強かっ'''た<br>'''強く'''なる<br>'''強う'''ございます||'''勇敢だっ'''た<br>'''勇敢で'''ある<br>'''勇敢に'''なる
 
|-
 
|[[終止形 (文法)|終止形]]
 
|'''打つ'''。||'''強い'''。||'''勇敢だ'''。
 
|-
 
|[[連体形]]
 
|'''打つ'''こと||'''強い'''こと||'''勇敢な'''こと
 
|-
 
|[[已然形|仮定形]]
 
|'''打て'''ば||'''強けれ'''ば||'''勇敢なら'''ば
 
|-
 
|[[命令形]]
 
|'''打て'''。||○||○
 
|}
 
 
 
一般に、終止形は述語に用いられる。「(選手が球を)打つ。」「(この子は)強い。」「(消防士は)勇敢だ。」など。
 
 
 
連用形は、文字通り連用修飾語にも用いられる。「強く(生きる。)」「勇敢に(突入する。)」など。ただし、「選手が球を打ちました。」の「打ち」は連用形であるが、連用修飾語ではなく、この場合は述語の一部である。このように、活用形と文中での役割は、1対1で対応しているわけではない。
 
 
 
仮定形は、文語では[[已然形]]と称する。口語の「打てば」は仮定を表すが、文語の「打てば」は「已(すで)に打ったので」の意味を表すからである。また、形容詞・形容動詞は、口語では命令形がないが、文語では「稽古は強かれ。」([[風姿花伝]])のごとく命令形が存在する。
 
 
 
動詞の活用は種類が分かれている。口語の場合は、[[五段活用]]・[[上一段活用]]・[[下一段活用]]・[[カ行変格活用]](カ変)・[[サ行変格活用]](サ変)の5種類である。
 
 
 
{|class=wikitable
 
!動詞の種類
 
!特徴
 
!例
 
|-
 
|五段動詞
 
|未然形活用語尾が「[[あ段]]音」で終わるもの||「買う」
 
|-
 
|上一段動詞
 
|未然形活用語尾が「[[い段]]音」で終わるもの||「見る」「借りる」
 
|-
 
|下一段動詞
 
|未然形活用語尾が「[[え段]]音」で終わるもの||「出る」「受ける」
 
|-
 
|カ変動詞
 
|「来る」および「来る」を語末要素とするもの||
 
|-
 
|サ変動詞
 
|「する」および「する」を語末要素とするもの||
 
|}
 
 
 
==語彙==
 
{{main|日本語の語彙}}
 
 
 
===分野ごとの語彙量===
 
ある言語の[[語彙]]体系を見渡して、特定の分野の語彙が豊富であるとか、別の分野の語彙が貧弱であるとかを決めつけることは、一概にはできない。日本語でも、たとえば「自然を表わす語彙が多いというのが定評」<ref>金田一 春彦 (1988)『日本語 新版』上(岩波新書)。</ref>といわれるが、これは人々の直感から来る評判という意味以上のものではない。
 
 
 
実際に、旧版『分類語彙表』<ref>国立国語研究所 (1964)『分類語彙表』(秀英出版)。</ref>によって分野ごとの語彙量の多寡を比べた結果によれば、名詞(体の類)のうち「人間活動―精神および行為」に属するものが27.0%、「抽象的関係」が18.3%、「自然物および自然現象」が10.0%などとなっていて、この限りでは「自然」よりも「精神」や「行為」などを表す語彙のほうが多いことになる<ref>中野 洋 (1981)「『分類語彙表』の語数」『計量国語学』12-8。</ref>。ただし、これも、他の言語と比較して多いということではなく、この結果がただちに日本語の語彙の特徴を示すことにはならない。
 
 
 
====人称語彙====
 
こうした中で、日本語に[[人称]]を表す語彙が多いことは注意を引く。たとえば、『類語大辞典』<ref>柴田 武・山田 進 [編] (2002)『類語大辞典』(講談社)</ref>の「わたし」の項には「わたし・わたくし・あたし・あたくし・あたい・わし・わい・わて・我が輩・僕・おれ・おれ様・おいら・われ・わー・わん・朕・わっし・こちとら・自分・てまえ・小生・それがし・拙者・おら」などが並び、「あなた」の項には「あなた・あんた・きみ・おまえ・おめえ・おまえさん・てめえ・貴様・おのれ・われ・お宅・なんじ・おぬし・その方・貴君・貴兄・貴下・足下・貴公・貴女・貴殿・貴方(きほう)」などが並ぶ。
 
 
 
上の事実は、現代[[英語]]の一人称・二人称代名詞がほぼ "I" と "you" のみであり、[[フランス語]]の一人称代名詞が "je"、二人称代名詞が "tu" "vous" のみであることと比較すれば、特徴的ということができる。もっとも、日本語においても、本来の人称代名詞は、一人称に「ワ(レ)」「ア(レ)」、二人称に「ナ(レ)」があるのみである。今日、一・二人称同様に用いられる語は、その大部分が一般名詞からの転用である<ref>亀井 孝・河野 六郎・千野 栄一 [編] (1996)『言語学大辞典6 術語編』(三省堂)の「人称代名詞」。</ref>。一人称を示す「ぼく」「手前」や三人称を示す「彼女」などを、「ぼく、何歳?」「てめえ、何しやがる」「彼女、どこ行くの?」のように二人称に転用することが可能であるのも、日本語の人称語彙が一般名詞的であることの現れである。
 
 
 
なお、[[#敬意表現|敬意表現]]の観点から、目上に対しては二人称代名詞の使用が避けられる傾向がある。たとえば、「あなたは何時に出かけますか」とは言わず、「何時にいらっしゃいますか」のように言うことが普通である。
 
 
 
「[[#親族語彙の体系|親族語彙の体系]]」の節も参照。
 
 
 
====音象徴語彙(オノマトペ)====
 
また、音象徴語、いわゆる[[擬声語|オノマトペ]]の語彙量も日本語には豊富である(オノマトペの定義は一定しないが、ここでは、擬声語・擬音語のように耳に聞こえるものを写した語と、擬態語のように耳に聞こえない状態・様子などを写した語の総称として用いる)。
 
 
 
擬声語は、人や動物が立てる声を写したものである(例、おぎゃあ・がおう・げらげら・にゃあにゃあ)。擬音語は、物音を写したものである(例、がたがた・がんがん・ちんちん・どんどん)。擬態語は、ものごとの様子や心理の動きなどを表したものである(例、きょろきょろ・すいすい・いらいら・わくわく)。擬態語の中で、心理を表す語を特に擬情語と称することもある。
 
 
 
オノマトペ自体は多くの言語に存在する。たとえば猫の鳴き声は、英語で「{{lang|en|mew}}」、ドイツ語で「{{lang|de|miau}}」、フランス語で 「{{lang|fr|miaou}}」、ロシア語で「{{lang|ru|мяу}}」<ref>{{lang-*-Latn|ru|myau}}</ref>、中国語で「{{lang|zh|喵喵}}」<ref>{{lang-*-Latn|zh|miao miao}}</ref>、朝鮮語で「{{lang|ko|야옹야옹}}」<ref>{{lang-*-Latn|ko|yaongyaong}}</ref>などである<ref>改田 昌直・クロイワ カズ・『リーダーズ英和辞典』編集部 [編] (1985)『漫画で楽しむ英語擬音語辞典』(研究社)による。</ref>。しかしながら、その語彙量は言語によって異なる。日本語のオノマトペは欧米語や中国語の3倍から5倍存在するといわれ<ref>山口 仲美 [編] (2003)『暮らしのことば擬音・擬態語辞典』(講談社)p.1。</ref>、とりわけ擬態語が多く使われるとされる<ref>浅野 鶴子 [編] (1978)『擬音語・擬態語辞典』(角川書店)p.1。</ref>。
 
 
 
新たなオノマトペが作られることもある。「(心臓が)ばくばく」「がっつり(食べる)」などは、近年に作られた(広まった)オノマトペの例である。
 
 
 
漫画などの媒体では、とりわけ自由にオノマトペが作られる。漫画家の[[手塚治虫]]は、漫画を英訳してもらったところ、「ドギューン」「シーン」などの語に翻訳者が「お手あげになってしまった」と記している<ref>手塚 治虫 (1977) 『マンガの描き方』(光文社)p.112。</ref>。また、漫画出版社社長の[[堀淵清治]]も、アメリカで日本漫画を売るに当たり、独特の擬音を訳すのにスタッフが悩んだことを述べている<ref>堀淵 清治 (2006) 『萌えるアメリカ 米国人はいかにしてMANGAを読むようになったか』(日経BP社)。</ref>。
 
 
 
===品詞ごとの語彙量===
 
日本語の語彙を品詞ごとにみると、圧倒的に多いものは名詞である。その残りのうちで比較的多いものは動詞である。『新選国語辞典』の収録語の場合、名詞が82.37%、動詞が9.09%、副詞が2.46%、形容動詞が2.02%、形容詞が1.24%となっている<ref>金田一 京助他 [編] (2002)『新選国語辞典』第8版(小学館)裏見返し。</ref>。
 
 
 
このうち、とりわけ目を引くのは形容詞の少なさである。かつて[[柳田國男]]はこの点を指摘して「形容詞饑饉」と称した<ref>柳田 国男 (1938)「方言の成立」『方言』8-2(1990年の『柳田國男全集 22』(ちくま文庫)に収録 p.181)</ref>。英語の場合、『[[オックスフォード英語辞典]]』第2版では、半分以上が名詞、約4分の1が形容詞、約7分の1が動詞ということであり<ref>[https://en.oxforddictionaries.com/explore/how-many-words-are-there-in-the-english-language How many words are there in the English language?]</ref>、英語との比較の上からは、日本語の形容詞が僅少であることは特徴的といえる。
 
 
 
ただし、これは日本語で物事を形容することが難しいことを意味するものではない。品詞分類上の形容詞、すなわち「赤い」「楽しい」など「~い」の形式を採る語が少ないということであって、他の形式による形容表現が多く存在する。「真っ赤だ」「きれいだ」など「~だ」の形式を採る形容動詞(「~的だ」を含む)、「初歩(の)」「酸性(の)」など「名詞(+の)」の形式、「目立つ(色)」「とがった(針)」「はやっている(店)」など動詞を基にした形式、「つまらない」「にえきらない」など否定助動詞「ない」を伴う形式などが形容表現に用いられる。
 
 
 
もともと少ない形容詞を補う主要な形式は形容動詞である。漢語・外来語の輸入によって、「正確だ」「スマートだ」のような、漢語・外来語+「だ」の形式の形容動詞が増大した。上掲の『新選国語辞典』で名詞扱いになっている漢語・外来語のうちにも、形容動詞の用法を含むものが多数存在する。現代の二字漢語(「世界」「研究」「豊富」など)約2万1千語を調査した結果によれば、全体の63.7%が事物類(名詞に相当)、29.9%が動態類(動詞に相当)、7.3%が様態類(形容動詞に相当)、1.1%が副用類(副詞に相当)であり<ref name="M">野村 雅昭 (1998)「現代漢語の品詞性」『東京大学国語研究室創設百周年記念 国語研究論集』(汲古書院)。</ref>、二字漢語の7%程度が形容動詞として用いられていることが分かる。<!--
 
 
 
「~い」(古くは「~し」)の形の形容詞は早い時期に造語力を失った。「~い」の代わりに、ほとんど無限の造語力を持つ「~だ」(古くは「~なり」)の形容動詞が広まったことで「~い」は永らく造語力を失ったままであったが、近年若年層を中心に「~い」の造語復活の傾向もある。ただし、多くの新語彙は俗語・卑語(イマい、ナウい、ダサい、マブい、キモい、など)であり、本格的な復活とは言い難い。-->
 
 
 
「[[#語彙の増加と品詞|語彙の増加と品詞]]」の節も参照。
 
 
 
===語彙体系===
 
それぞれの[[語]]は、ばらばらに存在しているのではなく、意味・用法などの点で互いに関連をもったグループを形成している。これを[[語彙]]体系と称する<ref>柴田 武 (1988)『語彙論の方法』(三省堂)などを参照。</ref>。日本語の語彙自体、一つの大きな語彙体系といえるが、その中にはさらに無数の語彙体系が含まれている。
 
 
 
以下、体系をなす語彙の典型的な例として、指示語・色彩語彙・親族語彙を取り上げて論じる。
 
 
 
====指示語の体系====
 
日本語では、ものを指示するために用いる語彙は、一般に「こそあど」と呼ばれる4系列をなしている。これらの[[指示語]](指示詞)は、主として名詞(「これ・ここ・こなた・こっち」など)であるため、概説書の類では名詞(代名詞)の説明のなかで扱われている場合も多い。しかし、実際には副詞(「こう」など)・連体詞(「この」など)・形容動詞(「こんなだ」など)にまたがるため、ここでは語彙体系の問題として論じる。
 
 
 
「こそあど」の体系は、伝統的には「近称・中称・遠称・不定(ふじょう、ふてい)称」の名で呼ばれた。[[明治|明治時代]]に、[[大槻文彦]]は以下のような表を示している<ref>大槻 文彦 (1889)「語法指南」(国語辞書『言海』に収録)。</ref>。
 
 
 
{|class=wikitable
 
!\||近称||中称||遠称||不定称
 
|-
 
!事物
 
|これ こ||それ そ||あれ あ<br>かれ か||いづれ(どれ) なに
 
|-
 
!地位
 
|ここ||そこ||あしこ あそこ<br>かしこ||いづこ(どこ) いづく
 
|-
 
!rowspan=2|方向
 
|こなた||そなた||あなた<br>かなた||いづかた(どなた)
 
|-
 
|こち||そち||あち||いづち(どち)
 
|}
 
 
 
ここで、「近称」は最も近いもの、「中称」はやや離れたもの、「遠称」は遠いものを指すとされた。ところが、「そこ」などを「やや離れたもの」を指すと考えると、遠くにいる人に向かって「そこで待っていてくれ」と言うような場合を説明しがたい。また、自分の腕のように近くにあるものを指して、人に「そこをさすってください」と言うことも説明しがたいなどの欠点がある。佐久間鼎(かなえ)は、この点を改め、「こ」は「わ(=自分)のなわばり」に属するもの、「そ」は「な(=あなた)のなわばり」に属するもの、「あ」はそれ以外の範囲に属するものを指すとした<ref>佐久間 鼎 (1936)『現代日本語の表現と語法』(厚生閣、1983年くろしお出版から増補版)。</ref>。すなわち、体系は下記のようにまとめられた。
 
 
 
{|class=wikitable
 
!rowspan=2|\||colspan=2|指示されるもの
 
|-
 
!対話者の層||所属事物の層
 
|-
 
!話し手
 
|(話し手自身)<br>ワタクシ ワタシ||(話し手所属のもの)<br>コ系
 
|-
 
!相手
 
|(話しかけの目標)<br>アナタ オマエ||(相手所属のもの)<br>ソ系
 
|-
 
!はたの<br>人 もの
 
|(第三者)(アノヒト)||(はたのもの)<br>ア系
 
|-
 
!不定
 
|ドナタ ダレ||ド系
 
|}
 
 
 
このように整理すれば、上述の「そこで待っていてくれ」「そこをさすってください」のような言い方はうまく説明される。相手側に属するものは、遠近を問わず「そ」で表されることになる。この説明方法は、現在の学校教育の国語でも取り入れられている。
 
 
 
とはいえ、すべての場合を佐久間説で割り切れるわけでもない。たとえば、道で「どちらに行かれますか」と問われて、「ちょっとそこまで」と答えたとき、これは「それほど遠くないところまで行く」という意味であるから、大槻文彦のいう「中称」の説明のほうがふさわしい。ものを無くしたとき、「ちょっとそのへんを探してみるよ」と言うときも同様である。
 
 
 
また、目の前にあるものを直接指示する場合(現場指示)と、文章の中で前に出た語句を指示する場合(文脈指示)とでも、事情が変わってくる。「生か死か、それが問題だ」の「それ」は、「中称」(やや離れたもの)とも、「相手所属のもの」とも解釈しがたい。直前の内容を「それ」で示すものである。このように、指示語の意味体系は、詳細に見れば、なお研究の余地が多く残されている。
 
 
 
なお、指示の体系は言語によって異なる。不定称を除いた場合、3系列をなす言語は日本語(こ、そ、あ)や朝鮮語({{lang|ko|이}}、{{lang|ko|그}}、{{lang|ko|저}})などがある。一方、英語({{lang|en|this}}、{{lang|en|that}})や中国語({{lang|zh|这}}、{{lang|zh|那}})などは2系列をなす。日本人の英語学習者が「これ、それ、あれ」に「{{lang|en|this}}、{{lang|en|it}}、{{lang|en|that}}」を当てはめて考えることがあるが、「{{lang|en|it}}」は文脈指示の代名詞で系列が異なるため、混用することはできない。
 
 
 
====色彩語彙の体系====
 
日本語で[[色|色彩]]を表す語彙([[色名|色彩語彙]])は、古来、「[[赤|アカ]]」「[[白|シロ]]」「[[青|アヲ]]」「[[黒|クロ]]」の4語が基礎となっている<ref>佐竹 昭広 (1955)「古代日本語における色名の性格」『国語国文』24-6(2000年に『萬葉集抜書』(岩波現代文庫)に収録)。</ref>。「アカ」は明るい色、「シロ」は顕(あき)らかな色、「アヲ」は漠然とした色、「クロ」は暗い色を総称した。今日でもこの体系は基本的に変わっていない。葉の色・空の色・顔色などをいずれも「アオ」と表現するのはここに理由がある<ref>小松 英雄 (2001)『日本語の歴史―青信号はなぜアオなのか』(笠間書院)。</ref>。
 
 
 
文化人類学者のバーリンとケイの研究によれば、種々の言語で最も広範に用いられている基礎的な色彩語彙は「白」と「黒」であり、以下、「赤」「緑」が順次加わるという<ref>Brent Berlin &amp; Paul Kay (1969), ''Basic color terms: their universality and evolution'', Berkeley: University of California Press.</ref>。日本語の色彩語彙もほぼこの法則に合っているといってよい。
 
 
 
このことは、日本語を話す人々が4色しか識別しないということではない。特別の色を表す場合には、「[[黄色]](語源は「木」かという<ref>大矢 透 (1899)『国語溯原』p.26など。</ref>)」「[[紫|紫色]]」「[[茶色]]」「[[蘇芳色]]」「[[浅葱色]]」など、植物その他の一般名称を必要に応じて転用する。ただし、これらは基礎的な色彩語彙ではない。
 
 
 
====親族語彙の体系====
 
日本語の[[続柄|親族語彙]]<ref name="H">柴田 武 (1968)「語彙体系としての親族名称―トルコ語・朝鮮語・日本語」『アジア・アフリカ言語文化研究』(東京外国語大学)1別冊(1979年の『日本の言語学 第5巻 意味・語彙』(大修館書店)に収録)。</ref><ref>田中 章夫 (1978)『国語語彙論』(明治書院)第2章の図。</ref>は、比較的単純な体系をなしている。英語の基礎語彙で、同じ親から生まれた者を「{{lang|en|brother}}」「{{lang|en|sister}}」の2語のみで区別するのに比べれば、日本語では、男女・長幼によって「アニ」「アネ」「オトウト」「イモウト」の4語を区別し、より詳しい体系であるといえる(古代には、年上のみ「アニ」「アネ」と区別し、年下は「オト」と一括した<ref name="H"/>)。しかしながら、たとえば[[中国語]]の親族語彙と比較すれば、はるかに単純である。中国語では、父親の父母を「{{lang|zh|祖父}}」「{{lang|zh|祖母}}」、母親の父母を「{{lang|zh|外祖父}}」「{{lang|zh|外祖母}}」と呼び分けるが、日本語では「ジジ」「ババ」の区別しかない。中国語では父の兄弟を「{{lang|zh|伯}}」「{{lang|zh|叔}}」、父の姉妹を「{{lang|zh|姑}}」、母の兄弟を「{{lang|zh|舅}}」、母の姉妹を「{{lang|zh|姨}}」などというが、日本語では「オジ」「オバ」のみである。「オジ」「オバ」の子はいずれも「イトコ」の名で呼ばれる。日本語でも、「伯父(はくふ)」「叔父(しゅくふ)」「従兄(じゅうけい)」「従姉(じゅうし)」などの語を文章語として用いることもあるが、これらは中国語からの借用語である。
 
 
 
親族語彙を他人に転用する虚構的用法<ref>鈴木 孝夫 (1973)『ことばと文化』(岩波新書)p.158以下にも言及がある。</ref>が多くの言語に存在する。例えば、朝鮮語(「{{lang|ko|아버님}}」お父様)・モンゴル語(「{{lang|mn|aab}}」父)では尊敬する年配男性に用いる。英語でも議会などの長老やカトリック教会の神父を「{{lang|en|father}}(父)」、寮母を「{{lang|en|mother}}(母)」、男の親友や同一宗派の男性を「{{lang|en|brother}}(兄弟)」、女の親友や修道女や見知らぬ女性を「{{lang|en|sister}}」(姉妹)と呼ぶ。中国語では見知らぬ若い男性・女性に「{{lang|zh|老兄}}」(お兄さん)「{{lang|zh|大姐}}」(お姉さん)と呼びかける、そして年長者では男性・女性に「{{lang|zh|大爺}}」(旦那さん)「{{lang|zh|大媽}}」(伯母さん)と呼びかける。日本語にもこの用法があり、赤の他人を「お父さん」「お母さん」と呼ぶことがある。たとえば、店員が中年の男性客に「お父さん、さあ買ってください」のように言う。フランス語・イタリア語・デンマーク語・チェコ語などのヨーロッパの言語で他人である男性をこのように呼ぶことは普通ではなく、日本語で赤の他人を「お父さん」と呼ぶのが失礼になりうるのと同じく、失礼にさえなるという。
 
 
 
一族内で一番若い世代から見た名称で自分や他者を呼ぶことがあるのも各国語に見られる用法である。例えば、父親が自分自身を指して「お父さん」と言ったり(「お父さんがやってあげよう」)、自分の母を子から見た名称で「おばあちゃん」と呼んだりする用法である。この用法は、中国語・朝鮮語・モンゴル語・英語・フランス語・イタリア語・デンマーク語・チェコ語などを含め諸言語にある。
 
 
 
===語種===
 
{{main|語種}}
 
 
 
日本語の語彙を出自から分類すれば、大きく、[[大和言葉|和語]]・[[漢語]]・[[外来語]]、およびそれらが混ざった[[混種語]]に分けられる。このように、出自によって分けた言葉の種類を「[[語種]]」という。和語は日本古来の大和言葉、漢語は中国渡来の漢字の音を用いた言葉、外来語は中国以外の他言語から取り入れた言葉である。もっとも、和語とされる「ウメ(梅)」「ウマ(馬)」が元来中国語からの借用語であった可能性があるなど、語種の境界はときに曖昧である(「[[#語彙史|語彙史]]」の節参照)。
 
 
 
和語は日本語の語彙の中核部分を占める。「これ」「それ」「きょう」「あす」「わたし」「あなた」「行く」「来る」「良い」「悪い」などのいわゆる基礎語彙はほとんど和語である。また、「て」「に」「を」「は」などの助詞や、助動詞の大部分など、文を組み立てるために必要な付属語も和語である。
 
 
 
一方、抽象的な概念や、社会の発展に伴って新たに発生した概念を表すためには、漢語や外来語が多く用いられる。和語の名称がすでにある事物を漢語や外来語で言い換えることもある。「めし」を「御飯」「ライス」、「やどや」を「旅館」「ホテル」などと称するのはその例である<ref>樺島 忠夫 (1981)『日本語はどう変わるか―語彙と文字』(岩波新書)p.18、およびp.176以下。</ref>。このような語種の異なる同義語には、微妙な意味・ニュアンスの差異が生まれ、とりわけ和語には易しい、または卑俗な印象、漢語には公的で重々しい印象、外来語には新しい印象が含まれることが多い。
 
 
 
一般に、和語の意味は広く、漢語の意味は狭いといわれる。たとえば、「しづむ(しずめる)」という1語の和語に、「沈」「鎮」「静」など複数の漢語の造語成分が相当する。「しづむ」の含む多様な意味は、「沈む」「鎮む」「静む」などと漢字を用いて書き分けるようになり、その結果、これらの「しづむ」が別々の語と意識されるまでになった。2字以上の漢字が組み合わさった漢語の表す意味はとりわけ分析的である。たとえば、「弱」という造語成分は、「脆」「貧」「軟」「薄」などの成分と結合することにより、「脆弱」「貧弱」「軟弱」「薄弱」のように分析的・説明的な単語を作る<ref>岩田 麻里 (1983)「現代日本語における漢字の機能」『日本語の世界16』(中央公論社)p.183。</ref>(「[[#語彙史|語彙史]]」の節の「[[#漢語の勢力拡大|漢語の勢力拡大]]」および「[[#語彙の増加と品詞|語彙の増加と品詞]]」を参照)。
 
 
 
漢語は、「学問」「世界」「博士」などのように、古く中国から入ってきた語彙が大部分を占めるのは無論であるが、日本人が作った漢語([[和製漢語]])も古来多い。現代語としても、「国立」「改札」「着席」「挙式」「即答」「熱演」など多くの和製漢語が用いられている<ref>現代語の例は、陳 力衛 (2001)「和製漢語と語構成」『日本語学』20-9の例示による。</ref>。漢語は[[音読み]]で読まれることから、字音語と呼ばれる場合もある。
 
 
 
外来語は、もとの言語の意味のままで用いられるもの以外に、日本語に入ってから独自の意味変化を遂げるものが少なくない。英語の "claim" は「当然の権利として要求する」の意であるが、日本語の「クレーム」は「文句」の意である。英語の "lunch" は昼食の意であるが、日本の食堂で「ランチ」といえば料理の種類を指す<ref>以上は、石綿 敏雄 (2001)『外来語の総合的研究』(東京堂出版)の例示による。</ref>。
 
 
 
外来語を組み合わせて、「アイスキャンデー」「サイドミラー」「テーブルスピーチ」のように日本語独自の語が作られることがある。また、当該の語形が外国語にない「パネラー」(パネリストの意)「プレゼンテーター」(プレゼンテーションをする人。プレゼンター)などの語形が作られることもある。これらを総称して「[[和製外来語|和製洋語]]」、英語系の語を特に「[[和製英語]]」と言う。
 
 
 
===単純語と複合語===
 
{{See also|複合語|熟語 (漢字)}}
 
日本語の語彙は、語構成の面からは単純語と[[複合語]]に分けることができる。単純語は、「あたま」「かお」「うえ」「した」「いぬ」「ねこ」のように、それ以上分けられないと意識される語である。複合語は、「あたまかず」「かおなじみ」「うわくちびる」「いぬずき」のように、いくつかの単純語が合わさってできていると意識される語である。なお、[[熟語 (漢字)|熟語]]と総称される漢語は、本来漢字の字音を複合させたものであるが、「えんぴつ(鉛筆)」「せかい(世界)」など、日本語において単純語と認識される語も多い。「[[#語種|語種]]」の節で触れた混種語、すなわち、「プロ野球」「草野球」「日本シリーズ」のように複数の語種が合わさった語は、語構成の面からはすべて複合語ということになる。
 
 
 
日本語では、限りなく長い複合語を作ることが可能である。「平成十六年新潟県中越地震非常災害対策本部」「服部四郎先生定年退官記念論文集編集委員会」といった類も、ひとつの長い複合語である。国際協定の[[関税及び貿易に関する一般協定]]は、英語では「{{lang|en|General Agreement on Tariffs and Trade}}」(関税と貿易に関する一般協定)であり、ひとつの句であるが、日本の新聞では「関税貿易一般協定」と複合語で表現することがある。これは漢字の結合力によるところが大きく、中国語・朝鮮語などでも同様の長い複合語を作る。なお、[[インド・ヨーロッパ語族|ヨーロッパ語]]を見ると、ロシア語では「{{lang|ru|человеконенавистничество}}」(人間嫌い)、[[ドイツ語]]では「{{lang|de|Naturfarbenphotographie}}」(天然色写真)などの長い語の例を比較的多く有し<ref>金田一 春彦 (1991)『日本語の特質』(NHKブックス)p.54。</ref>、英語でも「{{lang|en|antidisestablishmentarianism}}」(国教廃止条例反対論。英首相[[ウィリアム・グラッドストン|グラッドストン]]の造語という<ref>『ランダムハウス英和大辞典』(小学館)の当該項目による。</ref>)などの語例がまれにある。
 
 
 
接辞は、複合語を作るために威力を発揮する。たとえば、「感」は、「音感」「語感」「距離感」「不安感」など漢字2字・3字からなる複合語のみならず、「透け感」「懐かし感」「しゃきっと感」「きちんと感」など動詞・形容詞・副詞との複合語を作り、さらには「『昔の名前で出ています』感」(=昔の名前で出ているという感じ)のように文であったものに下接して長い複合語を作ることもある。
 
 
 
日本語の複合語は、難しい語でも、表記を見れば意味が分かる場合が多い。たとえば、英語の「{{lang|en|apivorous}}」 は生物学者にしか分からないのに対し、日本語の「蜂食性」は「蜂を食べる性質」であると推測できる<ref>鈴木 孝夫 (1990)『日本語と外国語』(岩波新書)。</ref>。これは表記に漢字を用いる言語の特徴である。
 
 
 
==表記==
 
{{main|日本語の表記体系}}
 
現代の日本語は、[[漢字]]・[[平仮名]]・[[片仮名]]を用いて、[[常用漢字]]・[[現代仮名遣い]]に基づいて表記されることが一般的である。[[アラビア数字]]や[[ラテン文字|ローマ字(ラテン文字)]]なども必要に応じて併用される。
 
 
 
正書法の必要性を説く主張<ref>梅棹 忠夫 (1972)「現代日本文字の問題点」『日本文化と世界』(講談社現代新書)など。</ref>や、その反論<ref>鈴木 孝夫 (1975)『閉された言語・日本語の世界』(新潮選書)など。</ref>がしばしば交わされてきた。
 
 
 
===字種===
 
平仮名・片仮名は、2017年9月現在では以下の46字ずつが使われる。
 
{|class=wikitable
 
!名称
 
!字形<!--音声読み上げ式ウェブブラウザーでは意味を持たない-->
 
|-
 
|平仮名
 
|<span title="平仮名の「あ」の字形">あ</span> <span title="平仮名の「い」の字形">い</span> <span title="平仮名の「う」の字形">う</span> <span title="平仮名の「え」の字形">え</span> <span title="平仮名の「お」の字形">お</span> <span title="平仮名の「か」の字形">か</span> <span title="平仮名の「き」の字形">き</span> <span title="平仮名の「く」の字形">く</span> <span title="平仮名の「け」の字形">け</span> <span title="平仮名の「こ」の字形">こ</span> <span title="平仮名の「さ」の字形">さ</span> <span title="平仮名の「し」の字形">し</span> <span title="平仮名の「す」の字形">す</span> <span title="平仮名の「せ」の字形">せ</span> <span title="平仮名の「そ」の字形">そ</span> <span title="平仮名の「た」の字形">た</span> <span title="平仮名の「ち」の字形">ち</span> <span title="平仮名の「つ」の字形">つ</span> <span title="平仮名の「て」の字形">て</span> <span title="平仮名の「と」の字形">と</span> <span title="平仮名の「な」の字形">な</span> <span title="平仮名の「に」の字形">に</span> <span title="平仮名の「ぬ」の字形">ぬ</span> <span title="平仮名の「ね」の字形">ね</span> <span title="平仮名の「の」の字形">の</span> <span title="平仮名の「は」の字形">は</span> <span title="平仮名の「ひ」の字形">ひ</span> <span title="平仮名の「ふ」の字形">ふ</span> <span title="平仮名の「へ」の字形">へ</span> <span title="平仮名の「ほ」の字形">ほ</span> <span title="平仮名の「ま」の字形">ま</span> <span title="平仮名の「み」の字形">み</span> <span title="平仮名の「む」の字形">む</span> <span title="平仮名の「め」の字形">め</span> <span title="平仮名の「も」の字形">も</span> <span title="平仮名の「や」の字形">や</span> <span title="平仮名の「ゆ」の字形">ゆ</span> <span title="平仮名の「よ」の字形">よ</span> <span title="平仮名の「ら」の字形">ら</span> <span title="平仮名の「り」の字形">り</span> <span title="平仮名の「る」の字形">る</span> <span title="平仮名の「れ」の字形">れ</span> <span title="平仮名の「ろ」の字形">ろ</span> <span title="平仮名の「わ」の字形">わ</span> <span title="平仮名の「を」の字形">を</span> <span title="平仮名の「ん」の字形">ん</span>
 
|-
 
|片仮名
 
|<span title="片仮名の「ア」の字形">ア</span> <span title="片仮名の「イ」の字形">イ</span> <span title="片仮名の「ウ」の字形">ウ</span> <span title="片仮名の「エ」の字形">エ</span> <span title="片仮名の「オ」の字形">オ</span> <span title="片仮名の「カ」の字形">カ</span> <span title="片仮名の「キ」の字形">キ</span> <span title="片仮名の「ク」の字形">ク</span> <span title="片仮名の「ケ」の字形">ケ</span> <span title="片仮名の「コ」の字形">コ</span> <span title="片仮名の「サ」の字形">サ</span> <span title="片仮名の「シ」の字形">シ</span> <span title="片仮名の「ス」の字形">ス</span> <span title="片仮名の「セ」の字形">セ</span> <span title="片仮名の「ソ」の字形">ソ</span> <span title="片仮名の「タ」の字形">タ</span> <span title="片仮名の「チ」の字形">チ</span> <span title="片仮名の「ツ」の字形">ツ</span> <span title="片仮名の「テ」の字形">テ</span> <span title="片仮名の「ト」の字形">ト</span> <span title="片仮名の「ナ」の字形">ナ</span> <span title="片仮名の「ニ」の字形">ニ</span> <span title="片仮名の「ヌ」の字形">ヌ</span> <span title="片仮名の「ネ」の字形">ネ</span> <span title="片仮名の「ノ」の字形">ノ</span> <span title="片仮名の「ハ」の字形">ハ</span> <span title="片仮名の「ヒ」の字形">ヒ</span> <span title="片仮名の「フ」の字形">フ</span> <span title="片仮名の「ヘ」の字形">ヘ</span> <span title="片仮名の「ホ」の字形">ホ</span> <span title="片仮名の「マ」の字形">マ</span> <span title="片仮名の「ミ」の字形">ミ</span> <span title="片仮名の「ム」の字形">ム</span> <span title="片仮名の「メ」の字形">メ</span> <span title="片仮名の「モ」の字形">モ</span> <span title="片仮名の「ヤ」の字形">ヤ</span> <span title="片仮名の「ユ」の字形">ユ</span> <span title="片仮名の「ヨ」の字形">ヨ</span> <span title="片仮名の「ラ」の字形">ラ</span> <span title="片仮名の「リ」の字形">リ</span> <span title="片仮名の「ル」の字形">ル</span> <span title="片仮名の「レ」の字形">レ</span> <span title="片仮名の「ロ」の字形">ロ</span> <span title="片仮名の「ワ」の字形">ワ</span> <span title="片仮名の「ヲ」の字形">ヲ</span> <span title="片仮名の「ン」の字形">ン</span>
 
|}
 
 
 
このうち、「゛」(濁音符)および「゜」(半濁音符)を付けて濁音・半濁音を表す仮名もある(「[[#音韻|音韻]]」の節参照)。[[拗音]]は小書きの「ゃ」「ゅ」「ょ」を添えて表し、[[促音]]は小書きの「っ」で表す。「つぁ」「ファ」のように、小書きの「ぁ」「ぃ」「ぅ」「ぇ」「ぉ」を添えて表す音もあり、補助符号として[[長音]]を表す「ー」がある。[[歴史的仮名遣|歴史的仮名遣い]]では上記のほか、表音は同じでも表記の違う、平仮名「[[ゐ]]」「[[ゑ]]」および片仮名「ヰ」「ヱ」の字が存在し、その他にも[[変体仮名]]がある。
 
 
 
漢字は、日常生活において必要とされる2136字の[[常用漢字]]と、子の名づけに用いられる861字の[[人名用漢字]]が、法で定められている。実際にはこれら以外にも一般に通用する漢字の数は多いとされ、[[日本工業規格]]は[[JIS X 0208]](通称JIS漢字)として約6300字を電算処理可能な漢字として挙げている。なお、漢字の本家である[[中華人民共和国|中国]]においても同様の基準は存在し、[[現代漢語常用字表]]により、「常用字」として2500字、「次常用字」として1000字が定められている。これに加え、[[現代漢語通用字表]]ではさらに3500字が追加されている。
 
 
 
一般的な文章では、上記の漢字・平仮名・片仮名を交えて記すほか、アラビア数字・ローマ字なども必要に応じて併用する。基本的には、漢語には漢字を、和語のうち概念を表す部分(名詞や用言語幹など)には漢字を、形式的要素(助詞・助動詞など)や副詞・接続詞の一部には平仮名を、外来語(漢語以外)には片仮名を用いる場合が多い。公的な文書では特に表記法を規定している場合もあり<ref>文化庁 (2001)『[[公用文の書き表し方の基準 資料集|公用文の書き表し方の基準(資料集)増補二版]]』(第一法規)には、1981年の『公用文における漢字使用等について』『法令における漢字使用等について』など、諸種の資料が収められている。</ref>、民間でもこれに倣うことがある。ただし、厳密な正書法はなく、表記のゆれは広く許容されている。文章の種類や目的によって、
 
*さくらのはながさく / サクラの花が咲く / 桜の花が咲く
 
などの表記がありうる。
 
 
 
多様な文字体系を交えて記す利点として、単語のまとまりが把握しやすく、速読性に優れるなどの点が指摘される。日本語の単純な音節構造に由来する同音異義語が漢字によって区別され、かつ字数も節約されるという利点もある。[[計算機科学]]者の[[村島定行]]は、日本語では、表意文字と表音文字の二重の文章表現ができるため、記憶したり、想起したりするのに手がかりが多く、言語としての機能が高いと指摘している<ref name="murashima">村島定行『漢字かな混じり文の精神』(風詠社)。</ref>。一方で中国文学者の[[高島俊男]]は、漢字の表意性に過度に依存した日本語の文章は、他の自然言語に類を見ないほどの[[同音異義語]]を用いざるを得なくなり、しばしば実用の上で支障を来たすことから、言語として「顚倒している」と評している<ref>高島俊男 (2001) 『漢字と日本人』(文藝春秋)。</ref>。歴史上、漢字を廃止して、仮名またはローマ字を国字化しようという主張もあったが、広く実行されることはなかった<ref name="L">西尾 実・久松 潜一 [監修] (1969)『国語国字教育史料総覧』(国語教育研究会)。</ref>(「[[国語国字問題]]」参照)。今日では漢字・平仮名・片仮名の交ぜ書きが標準的表記の地位をえている。
 
 
 
===方言と表記===
 
日本語の表記体系は中央語を書き表すために発達したものであり、[[日本語の方言|方言]]の音韻を表記するためには必ずしも適していない。たとえば、東北地方では「柿」を {{IPA|kagɨ}}、「鍵」を {{IPA|kãŋɨ}} のように発音するが<ref>北条 忠雄 (1982)「東北方言の概説」『講座方言学 4 北海道東北地方の方言』(国書刊行会)p.161-162。</ref>、この両語を通常の仮名では書き分けられない(アクセント辞典などで用いる表記によって近似的に記せば、「カギ」と「{{JIS2004フォント|カ<small>ン</small>キ&#x309A;}}」のようになる)。もっとも、方言は書き言葉として用いられることが少ないため、実際上に不便を来すことは少ない。
 
 
 
岩手県気仙方言([[ケセン語]])について、[[山浦玄嗣]]により、文法形式を踏まえた正書法が試みられているというような例もある<ref NAME="I">山浦 玄嗣 (1986)『ケセン語入門』(共和印刷企画センター、1989年に改訂補足版)。</ref>。ただし、これは実用のためのものというよりは、学術的な試みのひとつである。
 
 
 
[[琉球語]](「[[#系統|系統]]」参照)の表記体系もそれを準用している。たとえば、[[琉歌]]「てんさごの花」([[てぃんさぐぬ花]])は、伝統的な表記法では次のように記す。
 
 
 
{{Quote|てんさごの<!-- 引用は正確ですか?IPAでtiɴʃagunuならば「てんしやごの」であるはず -->花や 爪先に染めて 親の寄せごとや 肝に染めれ|<ref>西岡 敏・仲原 穣 (2000)『沖縄語の入門―たのしいウチナーグチ』(白水社)p.154。</ref>}}
 
 
 
この表記法では、たとえば、<!--琉球語の2種の母音({{IPA|u}} と {{IPA|ʔu}} など)は書き分けられない --「を」と「う」「お」で書き分けられる。また「2種の母音」という表現は不正確-->「ぐ」「ご」がどちらも {{IPA|gu}} と発音されるように、かな表記と発音が一対一で対応しない場合が多々ある。表音的に記せば、{{IPA|tiɴʃagunu hanaja ʦimiʣaʧiɲi sumiti, ʔujanu juʃigutuja ʧimuɲi sumiri}} のようになるところである<ref>国立国語研究所 [編] (1969)『沖縄語辞典』(大蔵省印刷局)に記載されている表音ローマ字を[[国際音声記号]]に直したもの。</ref>。
 
 
 
漢字表記の面では、[[方言字|地域文字]]というべきものが各地に存在する。たとえば、名古屋市の地名「[[いりなか駅|杁中]](いりなか)」などに使われる「杁」は、名古屋と関係ある地域の「地域文字」である。また、「垰」は「たお」「たわ」などと読まれる[[国字]]で、中国地方ほかで定着しているという<ref>笹原 宏之 (2006)『日本の漢字』(岩波新書)p.142-5。</ref>。
 
<!--正書法云々には表記節に概説があります。各論は[[日本語の表記体系]]などの子項目にあれば十分では?適切な出典も欠いているため一次的にコメントアウト
 
===正書法===
 
漢字の読み方には中国語由来の[[音読み]]と、[[大和言葉]]の読み方をあてた[[訓読み]]が存在し、しかも音読みには、中国の発音を取り入れた時代の違いにより、[[漢音]]・[[呉音]]・[[唐音]]などいくつもあることがある。さらに訓読みにもひとつの漢字に複数の読み方があることが多く(例 生「いき(る)、う(む)、うぶ、お(う)、き、なま、は(える)」)、これらは前後関係によって判断する必要がある。「生きる」、「生む」のように送り仮名で読み方がわかることもあるが、「酷い(むごい、ひどい)」、「汚す(よごす、けがす)」などは表記が同じである(←[[訓読み]]に書くべき記載と思います)。
 
 
 
ふたつ以上の漢字からなる語も意味により複数の語・発音に対応することもよくある。(例 「上手(かみて、うわて、じょうず、うま(い))」、「何人(なんにん、なにじん、なんびと、なんぴと)」)、文脈によって読みわけねばならない(←[[熟語 (漢字)]]に記載してはいかがでしょう)。
 
 
 
同音(かつしばしば同語源)の大和言葉でも、意味により漢字の書きわけがなされることがよくあり、[[国語教育]]ではその区別の習得に多くの時間をさく(例 「測る」、「計る」、「量る」、「図る」、「諮る」、「謀る」)が、それを完全に習得して使いわけることは困難である(←このあたりは[[国語国字問題]]に書いては?)。
 
 
 
またいわゆる[[熟字訓]]では語がその発音とまったく無関係な漢字を用いて表記されるため、その表記法を知らなければ読むことができない(例 「流石(さすが)」、「蒲公英(たんぽぽ)」、「五月蠅い(うるさい)」「聖林(ハリウッド)」、「躊躇(ためら)う」、「驀地(まっしぐら) 」)。(←熟字訓は正書法よりむしろ[[日本語における漢字]]の範疇では?)また熟字訓も同じ語に対して二つ以上ある場合もある。たとえば「強請る」は「ねだる、せびる、たかる、ゆする」の4種類の発音を表すのに使われているので、文脈により選択する必要がある。さらに「強請む」は「せがむ」と読む。また「如何」は「如何(いかん、いかが)」、「如何(いか)に」、「如何(どう)して」などの読み方がある(←全体として「ある特定の観点を推進」するような記述になっています。適切な出典を用いて中立化が必要です。)。
 
 
 
漢字の音訓の読みを借りて単語の音を表すのに使用する「[[当て字]]」という表記法もある(例 「目出度い(めでたい)」、「浅墓(あさはか)」、「梃子摺る(てこずる)」、「若気る(にやける)」、「珍紛漢紛・珍糞漢糞・陳奮翰奮(ちんぷんかんぷん)」、「巫山戯る(ふざける)」、「土耳古(トルコ)(これは中国における当て字の借用)」など)。当て字では使われる漢字の意味は無視されていることが多いが、音と意味を考慮して文字が選ばれている場合もある(例 「型録(カタログ)」、「浪漫(ろうまん)」)。
 
 
 
熟字訓や当て字にはほとんど判じ物・[[言葉遊び]]のようなものも多く、これらを使ったり読めたりすることをある種の教養とみなすむきがある。特に地名や人名には熟字訓や当て字が多い。[[難読地名]]にはたとえば「月出里(すだち)」、「大歩(わご)」、「接骨木(にわとこ)」、「月出山岳(かんとうだけ)」、「雲母峰(きららみね)」などがある。人名では最近熟字訓や当て字を使う傾向がいちじるしく、「緑輝(さふぁいあ)」、「今鹿(なうしか)」、「空海(すかい)」のような、読み方がわかりにくかったり、読むのが不可能に近い名前が無制限に作られており、[[DQN]]ネーム、キラキラネームなどとよばれている。役所に子どもの名前をとどける際、使用する漢字の種類には制限があるが、それをどう読むかには特に制限がなく、親が望めば「太郎」を「はなこ」と読むことも可能である。(←さすがにキラキラネームは言語学の範疇ではないような……)
 
 
 
ある語を漢字で書くか、平仮名あるいは片仮名で書くか、あるいは漢字仮名交じりで書くかには絶対的な規範や規定がなく(例 「禿」、「はげ」、「ハゲ」、「禿げ」/「掌」、「手の平」、「手のひら」)、個人の文体的な好みや状況・文脈に応じた判断にまかされることが多い。また漢字仮名交じりの場合、どの部分を仮名書きするか([[送り仮名]])にもいくつもの書き方が許容されていることがよくある(例 「締切」、「締切り」、「締め切り」、「締めきり」、「しめきり」、「〆切り」、「〆切」、「〆め切」、「〆め切り」など/「引き金、引金、引きがね、ひき金、引き鉄、引鉄、弾き鉄、弾鉄、弾き金、弾金、銃爪、ひきがね」など)。
 
 
 
たとえば"Niwatori ga tamago o unda." という短い文でも、"niwatori"に「にわとり、ニワトリ、鶏」の3種類、"tamago" に「卵、玉子、タマゴ、たまご」の4種類、"unda"に「産んだ、生んだ、」の2種類の表記があるので、この文にはごく普通の表記だけで24通りの表記法が存在することになる。要するに日本語には体系的[[正書法]]が存在しない。少なくとも先進諸国には、このように公用語に体系的な正書法がない国は他に存在しない(←表記に関して学校科目「国語」で一応の縛りがありますし、法令文書や公文書では当用漢字による厳しい制約があり「正書法が存在しない」と断言はできません。また英語やフランス語でも全ての表現を正書法の範疇で揺らぎなく転写することはできません)。しかし、特定の出版社・団体の内部では独自にどの語にどの表記を用いるかを決めていることもよくあり、書き手はそれに従わされることもある。書物の編集者は少なくともある書物の中では表記法の統一を図ることも多い。
 
-->
 
 
 
==文体==
 
文は、目的や場面などに応じて、さまざまな異なった様式を採る。この様式のことを、書き言葉(文章)では「[[文体]]」と称し、話し言葉(談話)では「話体」<ref>飛田 良文 [編] (2007)『日本語学研究事典』(明治書院)の半澤幹一「談話体」p.266。</ref>と称する。
 
 
 
日本語では、とりわけ文末の助動詞・助詞などに文体差が顕著に現れる。このことは、「ですます体」「でございます体」「だ体」「である体」「ありんす言葉」(江戸・新吉原の遊女の言葉)「てよだわ言葉」(明治中期から流行した若い女性の言葉)などの名称に典型的に表れている。それぞれの文体・話体の差は大きいが、日本語話者は、複数の文体・話体を常に切り替えながら使用している。
 
 
 
なお、「文体」の用語は、書かれた文章だけではなく談話についても適用されるため<ref>松岡 弘 [編] (2000)『初級を教える人のための日本語文法ハンドブック』(スリーエーネットワーク)p.324。</ref>、以下では「文体」に「話体」も含めて述べる。また、文語文・口語文などについては「[[#文体史|文体史]]」の節に譲る。
 
 
 
===普通体・丁寧体===
 
日本語の文体は、大きく普通体(常体)および丁寧体(敬体)の2種類に分かれる。日本語話者は日常生活で両文体を適宜使い分ける。日本語学習者は、初めに丁寧体を、次に普通体を順次学習することが一般的である。普通体は相手を意識しないかのような文体であるため独語体と称し、丁寧体は相手を意識する文体であるため対話体と称することもある<ref>橋本 進吉 (1928)「国語学史概説」(1983年『国語学史・国語特質論(橋本進吉博士著作集 第9・10冊)』岩波書店)p.4の図に「独語体・対話体」の語が出ている。</ref>。
 
 
 
普通体と丁寧体の違いは次のように現れる。
 
 
 
{|class="wikitable"
 
|-
 
!\||普通体||丁寧体
 
|-
 
!名詞文
 
|もうすぐ春'''だ'''(春'''である''')。||もうすぐ春'''です'''。
 
|-
 
!形容動詞文
 
|ここは静か'''だ'''(静か'''である''')。||ここは静か'''です'''。
 
|-
 
!形容詞文
 
|野山の花が美しい。||(野山の花が美しい'''です'''。)
 
|-
 
!動詞文
 
|鳥が空を飛ぶ。||鳥が空を飛び'''ます'''。
 
|}
 
 
 
普通体では、文末に名詞・形容動詞・副詞などが来る場合には、「だ」または「である」を付けた形で結ぶ。前者を特に「だ体」、後者を特に「である体」と呼ぶこともある。
 
 
 
丁寧体では、文末に名詞・形容動詞・副詞などが来る場合には、助動詞「です」を付けた形で結ぶ。動詞が来る場合には「ます」を付けた形で結ぶ。ここから、丁寧体を「ですます体」と呼ぶこともある。丁寧の度合いをより強め、「です」の代わりに「でございます」を用いた文体を、特に「でございます体」と呼ぶこともある。丁寧体は、[[敬語]]の面からいえば[[丁寧語]]を用いた文体のことである。なお、文末に形容詞が来る場合にも「です」で結ぶことはできるが「花が美しく咲いています」「花が美しゅうございます」などと言い、「です」を避けることがある。
 
 
 
===文体の位相差===
 
談話の文体(話体)は、話し手の性別・年齢・職業など、[[位相 (言語学)|位相]]の違いによって左右される部分が大きい。「私は食事をしてきました」という丁寧体は、話し手の属性によって、たとえば、次のような変容がある。
 
*ぼく、ごはん食べてきたよ。(男性のくだけた文体)
 
*おれ、めし食ってきたぜ。(男性のやや乱暴な文体)
 
*あたし、ごはん食べてきたの。(女性のくだけた文体)
 
*わたくし、食事をしてまいりました。(成人の改まった文体)
 
このように異なる言葉遣いのそれぞれを'''位相語'''と言い、それぞれの差を位相差という。
 
 
 
物語作品やメディアにおいて、位相が極端にステレオタイプ化されて現実と乖離したり、あるいは書き手などが仮想的(バーチャル)な位相を意図的に作り出したりする場合がある。このような言葉遣いを「'''[[役割語]]'''」と称することがある<ref>金水 敏 (2003)『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』(岩波書店)。</ref>。例えば以下の文体は、実際の博士・令嬢・地方出身者などの一般的な位相を反映したものではないものの、小説・漫画・アニメ・ドラマなどで、仮想的にそれらしい感じを与える文体として広く観察される。これは現代に始まったものではなく、近世や近代の文献にも役割語の例が認められる([[仮名垣魯文]]『西洋道中膝栗毛』に現れる外国人らしい言葉遣いなど)。
 
*わしは、食事をしてきたのじゃ。(博士風)
 
*あたくし、お食事をいただいてまいりましてよ。(お嬢様風)
 
*おら、めし食ってきただよ。(田舎者風)
 
*ワタシ、ごはん食べてきたアルヨ。(中国人風。[[協和語]]を参照)
 
 
 
==待遇表現==
 
{{main|待遇表現|敬語}}
 
日本語では、[[待遇表現]]が文法的・語彙的な体系を形作っている。とりわけ、相手に敬意を示す言葉([[敬語]])において顕著である。
 
 
 
「敬語は日本にしかない」と言われることがあるが、日本と同様に敬語が文法的・語彙的体系を形作っている言語としては、[[朝鮮語]]・[[ジャワ語]]・[[ベトナム語]]・[[チベット語]]・[[ベンガル語]]・[[タミル語]]などがあり、尊敬・謙譲・丁寧の区別もある<ref>林 四郎・南 不二男 [編] (1974)『敬語講座8 世界の敬語』(明治書院)。</ref>。朝鮮語ではたとえば動詞「{{lang|ko|내다}}(ネダ)」(出す)は、敬語形「{{lang|ko|내시다}}(ネシダ)」(出される)・「{{lang|ko|냅니다}}(ネムニダ)」(出します)の形を持つ。
 
 
 
敬語体系は無くとも、敬意を示す表現自体は、さまざまな言語に広く観察される。相手を敬い、物を丁寧に言うことは、発達した社会ならばどこでも必要とされる。そうした言い方を習得することは、どの言語でも容易でない。
 
 
 
[[金田一京助]]などによれば、現代日本語の敬語に特徴的なのは次の2点である。
 
*相対敬語である
 
*文法体系となっている
 
朝鮮語など他の言語の敬語では、たとえば自分の父親はいかなる状況でも敬意表現の対象であり、他人に彼のことを話す場合も「私のお父様は…」という絶対的敬語を用いるが、日本語では自分の身内に対する敬意を他人に表現することは憚られ、「私の父は…」のように表現しなければならない。ただし[[皇室]]では絶対敬語が存在し、皇太子は自分の父親のことを「天皇陛下は…」と表現する。
 
 
 
どんな言語も敬意を表す表現を持っているが、日本語や朝鮮語などはそれが文法体系となっているため、表現・言語行動のあらゆる部分に、高度に組織立った体系が出来上がっている<ref>菊地康人『敬語』。</ref>。そのため、敬意の種類や度合いに応じた表現の選択肢が予め用意されており、常にそれらの中から適切な表現を選ばなくてはならない。
 
 
 
以下、日本語の敬語体系および敬意表現について述べる。
 
 
 
===敬語体系===
 
日本語の敬語体系は、一般に、大きく'''[[敬語#尊敬語|尊敬語]]'''・'''[[敬語#謙譲語|謙譲語]]'''・'''[[丁寧語]]'''に分類される。[[文化審議会]]国語分科会は、2007年2月に「敬語の指針」を答申し、これに'''[[敬語#丁重語|丁重語]]'''および'''[[敬語#美化語|美化語]]'''を含めた5分類を示している<ref>{{Cite 敬語指針2007}}</ref>。
 
 
 
====尊敬語====
 
尊敬語は、動作の主体を高めることで、主体への敬意を表す言い方である。動詞に「お(ご)~になる」を付けた形、また、助動詞「(ら)れる」を付けた形などが用いられる。たとえば、動詞「取る」の尊敬形として、「(先生が)お取りになる」「(先生が)取られる」などが用いられる。
 
 
 
語によっては、特定の尊敬語が対応するものもある。たとえば、「言う」の尊敬語は「おっしゃる」、「食べる」の尊敬語は「召し上がる」、「行く・来る・いる」の尊敬語は「いらっしゃる」である。
 
 
 
====謙譲語====
 
謙譲語は、古代から基本的に動作の客体への敬意を表す言い方であり、現代では「動作の主体を低める」と解釈するほうがよい場合がある。動詞に「お~する」「お~いたします」(謙譲語+丁寧語)をつけた形などが用いられる。たとえば、「取る」の謙譲形として、「お取りする」などが用いられる。
 
 
 
語によっては、特定の謙譲語が対応するものもある。たとえば、「言う」の謙譲語は「申し上げる」、「食べる」の謙譲語は「いただく」、「(相手の所に)行く」の謙譲語は「伺う」「参上する」「まいる」である。
 
 
 
なお、「夜も更けてまいりました」の「まいり」など、謙譲表現のようでありながら、誰かを低めているわけではない表現がある。これは、「夜も更けてきた」という話題を丁重に表現することによって、聞き手への敬意を表すものである。宮地裕は、この表現に使われる語を、特に「丁重語」<!--敬語体系にリンクあり→「'''[[敬語#丁重語|丁重語]]'''」-->と称している<ref name="J">宮地 裕 (1971)「現代の敬語」『講座国語史5 敬語史』(大修館書店)。</ref><ref name="K">宮地 裕 (1976)「待遇表現」『国語シリーズ別冊4 日本語と日本語教育 文字・表現編』(大蔵省印刷局)。</ref>。丁重語にはほかに「いたし(マス)」「申し(マス)」「存じ(マス)」「小生」「小社」「弊社」などがある。文化審議会の「敬語の指針」でも、「明日から海外へまいります」の「まいり」のように、相手とは関りのない自分側の動作を表現する言い方を丁重語としている。
 
 
 
====丁寧語====
 
丁寧語は、文末を丁寧にすることで、聞き手への敬意を表すものである。動詞・形容詞の終止形で終わる'''常体'''に対して、名詞・形容動詞語幹などに「です」を付けた形(「学生です」「きれいです」)や、動詞に「ます」をつけた形(「行きます」「分かりました」)等の丁寧語を用いた文体を'''敬体'''という。
 
 
 
一般に、目上の人には丁寧語を用い、同等・目下の人には丁寧語を用いないといわれる。しかし、実際の言語生活に照らして考えれば、これは事実ではない。母が子を叱るとき、「お母さんはもう知りませんよ」と丁寧語を用いる場合もある。丁寧語が用いられる多くの場合は、敬意や謝意の表現とされるが、、<!--逆に嫌悪?→嫌悪感などを示すため、-->稀に一歩引いた心理的な距離をとろうとする場合もある。
 
 
 
「お弁当」「ご飯」などの「お」「ご」も、広い意味では丁寧語に含まれるが、宮地裕は特に「美化語」<!--敬語体系にリンクあり→'''[[敬語#美化語|美化語]]'''-->と称して区別する<ref name="J"/><ref name="K"/>。相手への丁寧の意を示すというよりは、話し手が自分の言葉遣いに配慮した表現である。したがって、「お弁当食べようよ。」のように、丁寧体でない文でも美化語を用いることがある。文化審議会の「敬語の指針」でも「美化語」を設けている。
 
 
 
===敬意表現===
 
日本語で敬意を表現するためには、文法・語彙の敬語要素を知っているだけではなお不十分であり、時や場合など種々の要素に配慮した適切な表現が必要である。これを敬意表現(敬語表現)ということがある<ref>蒲谷 宏・坂本 恵・川口 義一 (1998)『敬語表現』(大修館書店)。</ref>。
 
 
 
たとえば、「課長もコーヒーをお飲みになりたいですか」は、尊敬表現「お飲みになる」を用いているが、敬意表現としては適切でない。日本語では相手の意向を直接的に聞くことは失礼に当たるからである。「コーヒーはいかがですか」のように言うのが適切である。第22期[[国語審議会]](2000年)は、このような敬意表現の重要性を踏まえて、「現代社会における敬意表現」を答申した。
 
 
 
婉曲表現の一部は、敬意表現としても用いられる。たとえば、相手に窓を開けてほしい場合は、命令表現によらずに、「窓を開けてくれる?」などと問いかけ表現を用いる。あるいは、「今日は暑いねえ」とだけ言って、窓を開けてほしい気持ちを含意することもある。
 
 
 
日本人が商取引で「考えさせてもらいます」という場合は拒絶の意味であると言われる。英語でも {{lang|en|"Thank you for inviting me."}}(誘ってくれてありがとう)とは誘いを断る表現である。また、[[京都]]では、[[京言葉|京都弁]]で帰りがけの客にその気がないのに「ぶぶづけ([[茶漬け|お茶漬け]])でもあがっておいきやす」と愛想を言うとされる(出典は[[落語]]「京のぶぶづけ」「京の茶漬け」よるという<ref>入江 敦彦 (2005)『イケズの構造』(新潮社)。</ref>)。これらは、相手の気分を害さないように工夫した表現という意味では、広義の敬意表現と呼ぶべきものであるが、その呼吸が分からない人との間に誤解を招くおそれもある。<!--
 
 
 
===敬語漸減の法則===
 
敬語は相手に対する敬意を表現するが、永らく使っていると次第に本来の敬意が薄れ通常の表現に格下げとなることが多い。たとえば「食べる」は古くは「食(た)ぶ」で、「賜(た)ぶ」に由来して「賜ったものを食う(いただく)」という謙譲語であったが、現代では「食う」に代わる中立の表現となり、「食う」はぞんざいな語となった。-->
 
 
 
==方言==
 
{{main|日本語の方言}}
 
日本語には多様な[[方言]]がみられ、それらはいくつかの方言圏にまとめることができる。どのような方言圏を想定するかは、区画するために用いる指標によって少なからず異なる。
 
 
 
===方言区画===
 
[[ファイル:Japanese dialects-ja.png|thumb|right|400px|日本語の方言区分の一例。大きな方言境界ほど太い線で示している。]]
 
[[東条操]]は、全国で話されている言葉を大きく東部方言・西部方言・[[九州方言]]および[[琉球方言]]に分けている<ref>東条 操 (1954)『日本方言学』(吉川弘文館)。</ref>。またそれらは、[[北海道方言|北海道]]・[[東北方言|東北]]・[[関東方言|関東]]・[[八丈方言|八丈島]]・[[東海東山方言|東海東山]]・[[北陸方言|北陸]]・[[近畿方言|近畿]]・[[中国方言|中国]]・[[雲伯方言|雲伯]](出雲・伯耆)・[[四国方言|四国]]・[[豊日方言|豊日]](豊前・豊後・日向)・[[肥筑方言|肥筑]](筑紫・肥前・肥後)・[[薩隅方言|薩隅]](薩摩・大隅)・[[奄美方言|奄美群島]]・[[沖縄方言|沖縄諸島]]・先島諸島に区画された。これらの分類は、今日でもなお一般的に用いられる。なお、このうち奄美・沖縄・先島の言葉は、日本語の一方言(琉球方言)とする立場と、独立言語として[[琉球語]]とする立場とがある。
 
 
 
また、[[金田一春彦]]は、近畿・四国を主とする内輪方言、関東・中部・中国・九州北部の一部を主とする中輪方言、北海道・東北・九州の大部分を主とする外輪方言、沖縄地方を主とする南島方言に分類した<ref>金田一 春彦 (1964)「私の方言区画」(日本方言研究会編『日本の方言区画』東京堂)。</ref>。この分類は、アクセントや音韻、文法の特徴が畿内を中心に輪を描くことに着目したものである。このほか、幾人かの研究者により方言区画案が示されている。
 
 
 
一つの方言区画の内部も変化に富んでいる。たとえば、[[奈良県]]は近畿方言の地域に属するが、[[十津川村]]や[[下北山村]]周辺ではその地域だけ東京式アクセントが使われ、さらに下北山村池原にはまた別体系のアクセントがあって東京式の地域に取り囲まれている<ref>山口 幸洋(2003)『日本語東京アクセントの成立』(港の人)p.238-p.247。</ref>。[[香川県]][[観音寺市]]伊吹町([[伊吹島]])では、[[平安時代]]のアクセント体系が残存しているといわれる<ref>和田 実 (1966)「第一次アクセントの発見―伊吹島―」『国語研究』(國學院大學)22。</ref>(異説もある<ref>山口 幸洋 (2002)「「伊吹島」アクセントの背景―社会言語学的事情と比較言語学的理論」『近代語研究』11。</ref>)。これらは特に顕著な特徴を示す例であるが、どのような狭い地域にも、その土地としての言葉の体系がある。したがって、「どの地点のことばも、等しく記録に価する<ref>吉田 則夫 (1984)「方言調査法」『講座方言学 2 方言研究法』(国書刊行会)。</ref>」ものである。
 
 
 
{{main|方言区画論}}
 
 
 
===東西の文法===
 
一般に、方言差が話題になるときには、文法の東西の差異が取り上げられることが多い。[[東部方言]]と[[西部方言]]との間には、およそ次のような違いがある。
 
 
 
否定辞に東で「ナイ」、西で「ン」を用いる。完了形には、東で「テル」を、西で「トル」を用いる。断定には、東で「ダ」を、西で「ジャ」または「ヤ」を用いる。アワ行[[五段活用]]の[[動詞]][[連用形]]は、東では「カッタ(買)」と促音便に、西では「コータ」とウ音便になる。形容詞連用形は、東では「ハヤク(ナル)」のように非音便形を用いるが、西では「ハヨー(ナル)」のようにウ音便形を用いるなどである<ref>[[都竹通年雄]] (1986)「文法概説」飯豊毅一・日野資純・佐藤亮一編『講座方言学 1 方言概説』(国書刊行会)。</ref>。
 
 
 
方言の東西対立の境界は、画然と引けるものではなく、どの特徴を取り上げるかによって少なからず変わってくる。しかし、おおむね、日本海側は[[新潟県]]西端の[[糸魚川市]]、太平洋側は[[静岡県]][[浜名湖]]が境界線(糸魚川・浜名湖線)とされることが多い。糸魚川西方には難所[[親不知]]があり、その南には[[日本アルプス]]が連なって東西の交通を妨げていたことが、東西方言を形成した一因とみられる。
 
 
 
{{main|日本語の方言#文法|東日本方言|西日本方言}}
 
 
 
===アクセント===
 
[[File:Japanese pitch accent map-ja.png|right|thumb|300px|日本語のアクセント分布]]
 
日本語のアクセントは、方言ごとの違いが大きい。日本語のアクセント体系はいくつかの種類に分けられるが、特に広範囲で話され話者数も多いのは[[東京式アクセント]]と[[京阪式アクセント]]の2つである。東京式アクセントは下がり目の位置のみを弁別するが、京阪式アクセントは下がり目の位置に加えて第1拍の高低を弁別する。一般にはアクセントの違いは日本語の東西の違いとして語られることが多いが、実際の分布は単純な東西対立ではなく、東京式アクセントは概ね[[北海道]]、[[東北地方]]北部、[[関東地方]]西部、[[甲信越地方]]、[[東海地方]]の大部分、[[中国地方]]、[[四国|四国地方]]南西部、[[九州]]北東部、[[沖縄県]]の一部に分布しており、京阪式アクセントは[[近畿地方]]・四国地方のそれぞれ大部分と[[北陸地方]]の一部に分布している。すなわち、近畿地方を中心とした地域に京阪式アクセント地帯が広がり、その東西を東京式アクセント地域が挟む形になっている。日本語の標準語・共通語のアクセントは、東京の[[山の手言葉]]のものを基盤にしているため東京式アクセントである。
 
 
 
九州西南部や沖縄の一部には型の種類が2種類になっている[[二型式アクセント]]が分布し、[[宮崎県]][[都城市]]などには型の種類が1種類になっている[[一型式アクセント]]が分布する。また、[[岩手県]][[雫石町]]や[[山梨県]][[早川町]][[西山村 (山梨県)|奈良田]]などのアクセントは、音の下がり目ではなく上がり目を弁別する。これら有アクセントの方言に対し、東北地方南部から関東地方北東部にかけての地域や、九州の東京式アクセント地帯と二型式アクセント地帯に挟まれた地域などには、話者にアクセントの知覚がなく、どこを高くするという決まりがない[[無アクセント]](崩壊アクセント)の地域がある。これらのアクセント大区分の中にも様々な変種があり、さらにそれぞれの体系の中間型や別派なども存在する。
 
 
 
「花が」が東京で「低高低」、京都で「高低低」と発音されるように、単語のアクセントは地方によって異なる。ただし、それぞれの地方のアクセント体系は互いにまったく無関係に成り立っているのではない。多くの場合において規則的な対応が見られる。たとえば、「花が」「山が」「池が」を東京ではいずれも「低高低」と発音するが、京都ではいずれも「高低低」と発音し、「水が」「鳥が」「風が」は東京ではいずれも「低高高」と発音するのに対して京都ではいずれも「高高高」と発音する。また、「松が」「空が」「海が」は東京ではいずれも「高低低」と発音されるのに対し、京都ではいずれも「低低高」と発音される。このように、ある地方で同じアクセントの型にまとめられる語群([[類 (アクセント)|類]]と呼ぶ)は、他の地方でも同じ型に属することが一般的に観察される。
 
 
 
この事実は、日本の方言アクセントが、過去の同一のアクセント体系から分かれ出たことを意味する<ref>[[北原保雄]]監、[[上野善道]]編(2003)『朝倉日本語講座③音声・音韻』朝倉書店、262頁。</ref>。[[服部四郎]]はこれを原始日本語のアクセントと称し<ref>服部 四郎 (1951)「原始日本語のアクセント」『国語アクセント論叢』(法政大学出版局)。</ref>、これが分岐し互いに反対の方向に変化して、東京式と京阪式を生じたと考えた。現在有力な説は、[[院政|院政期]]の[[京阪式アクセント]]([[類聚名義抄|名義抄]]式アクセント)が日本語アクセントの祖体系で、現在の諸方言アクセントのほとんどはこれが順次変化を起こした結果生じたとするものである([[金田一春彦]]<ref>金田一 春彦 (1954)「東西両アクセントのちがいができるまで」『文学』22-8。</ref>や奥村三雄<ref>奥村 三雄 (1955)「東西アクセント分離の時期」『国語国文』20-1。</ref>)。一方で、地方の無アクセントと中央の京阪式アクセントの接触で諸方言のアクセントが生じたとする説(山口幸洋<ref>山口 幸洋 (2003)『日本語東京アクセントの成立』(港の人) p.9-p.61。</ref>)もある。
 
 
 
{{main|日本語の方言のアクセント}}
 
 
 
===音声・音韻===
 
{{main|日本語の方言#音韻・音声}}
 
発音の特徴によって本土方言を大きく区分すると、表日本方言、[[裏日本方言]]、薩隅(鹿児島)式方言に分けることができる<ref>金田一春彦「音韻」</ref>。表日本方言は共通語に近い音韻体系を持つ。裏日本式の音韻体系は、東北地方を中心に、北海道沿岸部や新潟県越後北部、関東北東部(茨城県・栃木県)と、とんで島根県出雲地方を中心とした地域に分布する。その特徴は、イ段とウ段の母音に[[中舌母音]]を用いることと、エが狭くイに近いことである。関東のうち千葉県や埼玉県東部などと、越後中部・佐渡・富山県・石川県能登の方言は裏日本式と表日本式の中間である。また薩隅式方言は、大量の母音脱落により[[閉音節]]を多く持っている点で他方言と対立している。[[薩隅方言]]以外の九州の方言は、薩隅式と表日本式の中間である。
 
 
 
音韻の面では、[[母音]]の「[[う]]」を、東日本、北陸、出雲付近では[[中舌母音|中舌]]寄りで[[非円唇母音]](唇を丸めない)の {{IPA|ɯ}} または {{IPA|ɯ̈}} で、西日本一般では奥舌で[[円唇母音]]の {{IPA|u}} で発音する。また、母音は、東日本や北陸、出雲付近、九州で[[無声音|無声化]]しやすく、東海、近畿、中国、四国では無声化しにくい<ref>[[平山輝男]] (1998)「全日本の発音とアクセント」NHK放送文化研究所編『NHK日本語発音アクセント辞典』(日本放送出版協会)。</ref>。
 
 
 
またこれとは別に、近畿・四国(・北陸)とそれ以外での対立がある。前者は[[京阪式アクセント]]の地域であるが、この地域ではアクセント以外にも、「木」を「きい」、「目」を「めえ」のように一音節語を伸ばして二拍に発音し、また「赤い」→「あけー」のような連母音の融合が起こらないという共通点がある。また、西日本(九州・山陰・北陸除く)は[[母音]]を強く[[子音]]を弱く発音し、東日本や九州は子音を強く母音を弱く発音する傾向がある。
 
 
 
==歴史==
 
{{see also|上代日本語|中古日本語|中世日本語|近世日本語}}
 
 
 
===音韻史===
 
====母音・子音====
 
母音の数は、[[奈良時代]]およびそれ以前には現在よりも多かったと考えられる。[[橋本進吉]]は、江戸時代の[[上代特殊仮名遣|上代特殊仮名遣い]]の研究を再評価し<ref>橋本 進吉 (1917)「国語仮名遣研究史上の一発見―石塚龍麿の仮名遣奥山路について」『帝国文学』26-11(1949年の『文字及び仮名遣の研究(橋本進吉博士著作集 第3冊)』(岩波書店)に収録)。</ref>、[[記紀]]や『[[万葉集]]』などの[[万葉仮名]]において「き・ひ・み・け・へ・め・こ・そ・と・の・も・よ・ろ」の表記に2種類の仮名が存在することを指摘した(甲類・乙類と称する。「も」は『古事記』のみで区別される)。橋本は、これらの仮名の区別は音韻上の区別に基づくもので、特に母音の差によるものと考えた<ref>大野 晋 (1953)『上代仮名遣の研究』(岩波書店)p.126以下に研究史の紹介がある。</ref>。橋本の説は、後続の研究者らによって、「母音の数がアイウエオ五つでなく、合計八を数えるもの<ref>大野 晋 (1982)『仮名遣いと上代語』(岩波書店)p.65。</ref>」という8母音説と受け取られ、定説化した(異説として、[[服部四郎]]の6母音説<ref name="R"/>などがある)。8母音の区別は[[平安時代]]にはなくなり、現在のように5母音になったとみられる。なお、上代日本語の語彙では、母音の出現の仕方が[[ウラル語族]]や[[アルタイ諸語|アルタイ語族]]の[[母音調和]]の法則に類似しているとされる<ref name="G">有坂 秀世 (1931)「国語にあらはれる一種の母音交替について」『音声の研究』第4輯(1957年の『国語音韻史の研究 増補新版』(三省堂)に収録)。</ref>。
 
 
 
「[[は行]]」の子音は、[[奈良時代]]以前には {{IPA|p}} であったとみられる<ref>上田 万年 (1903)「P音考」『国語のため 第二』(冨山房)。</ref>。すなわち、「はな(花)」は {{IPA|pana}}(パナ)のように発音された可能性がある。{{IPA|p}} は遅くとも平安時代初期には[[無声両唇摩擦音]] {{IPA|ɸ}} に変化していた<ref>橋本 進吉 (1928)「波行子音の変遷について」『岡倉先生記念論文集』(1950年の『国語音韻の研究(橋本進吉博士著作集 第4冊)』(岩波書店)に収録)。</ref>。すなわち、「はな」は {{IPA|ɸana}}(ファナ)となっていた。中世末期に、[[ローマ字]]で当時の日本語を記述した[[キリシタン資料]]が多く残されているが、そこでは「[[は行]]」の文字が「fa, fi, fu, fe, fo」で転写されており、当時の「は行」は「ファ、フィ、フ、フェ、フォ」に近い発音であったことが分かる。中世末期から[[江戸時代]]にかけて、「は行」の子音は {{IPA|ɸ}} から {{IPA|h}} へ移行した。ただし、「[[ふ]]」は {{IPA|ɸ}} のままに、「[[ひ]]」は {{IPA|çi}} になった<ref>土井 忠生 [編] (1957)『日本語の歴史 改訂版』(至文堂)の土井 忠生「鎌倉・室町時代の国語」p.158-159。</ref>。現代でも引き続きこのように発音されている。
 
 
 
このように、「は行」子音はおおむね {{IPA|p}} → {{IPA|ɸ}} → {{IPA|h}} と[[唇音]]が衰退する方向で推移した。唇音の衰退する例は、[[#ハ行転呼|ハ行転呼]]の現象(「は行」→「わ行」すなわち {{IPA|ɸ}} → {{IPA|w}} の変化)にも見られる。また、関西で「う」を唇を丸めて発音する([[円唇母音]])のに対し、関東では唇を丸めずに発音するが、これも[[唇音退化]]の例ととらえることができる。
 
 
 
「[[や行]]」の「え」({{IPA|je}}) の音が古代に存在したことは、「[[あ行]]」の「え」の仮名と別の文字で書き分けられていたことから明らかである<ref name="佐藤1995古代の音韻">佐藤武義(1995)『概説日本語の歴史』朝倉書店、p.84-97。</ref>。平安時代初期に成立したと見られる「[[天地の詞]]」には「え」が2つ含まれており、「あ行」と「や行」の区別を示すものと考えられる。この区別は[[10世紀]]の頃にはなくなっていたとみられ<ref name="佐藤1995古代の音韻"/>、970年成立の『[[口遊]]』に収録される「[[大為爾の歌]]」では「あ行」の「え」しかない。この頃には「あ行」と「や行」の「え」の発音はともに {{IPA|je}} になっていた([[#ハ行転呼|次節]]参照)。
 
 
 
「が行」の子音は、語中・語尾ではいわゆる[[鼻濁音]](ガ行鼻音)の {{IPA|ŋ}} であった。鼻濁音は、近代に入って急速に勢力を失い、語頭と同じ[[破裂音]]の {{IPA|ɡ}} または[[摩擦音]]の {{IPA|ɣ}} に取って代わられつつある。今日、鼻濁音を表記する時は、「か行」の文字に半濁点を付して「{{JIS2004フォント|カ&#x1017F4;ミ(鏡)}}」のように書くこともある。
 
 
 
「[[し|じ]]・[[ち|ぢ]]」「[[す|ず]]・[[つ|づ]]」の[[四つ仮名]]は、室町時代前期の京都ではそれぞれ {{IPA|ʑi}}, {{IPA|dʲi}}, {{IPA|zu}}, {{IPA|du}} と発音されていたが、16世紀初め頃に「ち」「ぢ」が[[口蓋化]]し、「つ」「づ」が[[破擦音]]化した結果、「ぢ」「づ」の発音がそれぞれ {{IPA|ʥi}}, {{IPA|ʣu}} となり、「じ」「ず」の音に近づいた。16世紀末の[[キリシタン資料]]ではそれぞれ「ji・gi」「zu・zzu」など異なるローマ字で表されており、当時はまだ発音の区別があったことが分かるが、当時既に混同が始まっていたことも記録されている<ref name="佐藤1995近代の音韻">佐藤武義(1995)『概説日本語の歴史』朝倉書店、p.98-114。</ref>。17世紀末頃には発音の区別は京都ではほぼ消滅したと考えられている(今も区別している方言もある<ref name="D"/>)。「[[せ]]・ぜ」は「xe・je」で表記されており、現在の「シェ・ジェ」に当たる {{IPA|ɕe}}, {{IPA|ʑe}} であったことも分かっている。関東では室町時代末にすでに {{IPA|se}}, {{IPA|ze}} の発音であったが、これはやがて西日本にも広がり、19世紀中頃には京都でも一般化した。現在は東北や九州などの一部に {{IPA|ɕe}}, {{IPA|ʑe}} が残っている。
 
 
 
====ハ行転呼====
 
{{main|ハ行転呼}}
 
平安時代以降、語中・語尾の「は行」音が「[[わ行]]」音に変化する[[ハ行転呼]]が起こった<ref name="佐藤1995古代の音韻"/>。たとえば、「かは(川)」「かひ(貝)」「かふ(買)」「かへ(替)」「かほ(顔)」は、それまで {{IPA|kaɸa}} {{IPA|kaɸi}} {{IPA|kaɸu}} {{IPA|kaɸe}} {{IPA|kaɸo}} であったものが、 {{IPA|kawa}} {{IPA|kawi}} {{IPA|kau}} {{IPA|kawe}} {{IPA|kawo}} になった。「はは(母)」も、[[キリシタン資料]]では「faua」(ハワ)と記された例があるなど、他の語と同様にハ行転呼が起こっていたことが知られる。
 
 
 
平安時代末頃には、
 
#「い」と「[[ゐ]]」(および語中・語尾の「ひ」)
 
#「え」と「[[ゑ]]」(および語中・語尾の「へ」)
 
#「お」と「を」(および語中・語尾の「ほ」)
 
が同一に帰した。3が同音になったのは11世紀末頃、1と2が同音になったのは12世紀末頃と考えられている。[[藤原定家]]の『下官集』([[13世紀]])では「お」・「を」、「い」・「ゐ」・「ひ」、「え」・「ゑ」・「へ」の仮名の書き分けが問題になっている。
 
 
 
当時の発音は、1は現在の {{IPA|i}}(イ)、2は {{IPA|je}}(イェ)、3は {{IPA|wo}}(ウォ)のようであった。
 
 
 
3が現在のように {{IPA|o}}(オ)になったのは江戸時代であったとみられる<ref name="佐藤1995近代の音韻"/>。[[18世紀]]の『音曲玉淵集』では、「お」「を」を「ウォ」と発音しないように説いている。
 
 
 
2が現在のように {{IPA|e}}(エ)になったのは、[[新井白石]]『東雅』総論の記述からすれば早くとも元禄享保頃([[17世紀]]末から18世紀初頭)以降<ref>橋本 進吉 (1942)「国語音韻史の研究」(1966年の『国語音韻史(橋本進吉博士著作集 第6冊)』(岩波書店)に収録)p.352。</ref>、『謳曲英華抄』の記述からすれば18世紀中葉頃とみられる<ref>外山 映次 (1972)「近代の音韻」『講座国語史2 音韻史』(大修館書店)p.238-239。</ref>。
 
 
 
====音便現象====
 
{{main|音便}}
 
平安時代から、発音を簡便にするために単語の音を変える[[音便]]現象が少しずつ見られるようになった。「次(つ)ぎて」を「次いで」とするなどの'''イ音便'''、「詳(くは)しくす」を「詳しうす」とするなどの'''ウ音便'''、「発(た)ちて」を「発って」とするなどの'''促音便'''、「飛びて」を「飛んで」とするなどの'''撥音便'''が現れた。『[[源氏物語]]』にも、「いみじく」を「いみじう」とするなどのウ音便が多く、また、少数ながら「苦しき」を「苦しい」とするなどのイ音便の例も見出される<ref>桜井 茂治 (1966)「形容詞音便の一考察―源氏物語を中心として」『立教大学日本文学』16。</ref>。[[鎌倉時代]]以降になると、音便は口語では盛んに用いられるようになった。
 
 
 
中世には、「差して」を「差いて」、「挟みて」を「挟うで」、「及びて」を「及うで」などのように、今の共通語にはない音便形も見られた。これらの形は、今日でも各地に残っている。
 
 
 
====連音上の現象====
 
[[鎌倉時代]]・[[室町時代]]には[[連声]](れんじょう)の傾向が盛んになった。[[ん|撥音]]または[[促音]]の次に来た母音・半母音が「[[な行]]」音・「[[ま行]]」音・「[[た行]]」音に変わる現象で、たとえば、銀杏は「ギン」+「アン」で「ギンナン」、雪隠は「セッ」+「イン」で「セッチン」となる。助詞「は」(ワ)と前の部分とが連声を起こすと、「人間は」→「ニンゲンナ」、「今日は」→「コンニッタ」となった。
 
 
 
また、この時代には、「中央」の「央」など「アウ」 {{IPA|au}} の音が合して長母音 {{IPA|ɔː}} になり、「応対」の「応」など「オウ」 {{IPA|ou}} の音が {{IPA|oː}} になった(「カウ」「コウ」など頭子音が付いた場合も同様)<ref name="佐藤1995近代の音韻"/>。口をやや開ける前者を'''開音'''、口をすぼめる後者を'''合音'''と呼ぶ。また、「イウ」 {{IPA|iu}} 、「エウ」 {{IPA|eu}} などの二重母音は、{{IPA|juː}} 、{{IPA|joː}} という拗長音に変化した。「[[等呼|開合]]」の区別は次第に乱れ、江戸時代には合一して今日の {{IPA|oː}}(オー)になった。京都では、一般の話し言葉では17世紀に開合の区別は失われた<ref name="佐藤1995近代の音韻"/>。しかし方言によっては今も開合の区別が残っているものもある<ref name="D"/>。
 
 
 
====外来の音韻====
 
漢語が日本で用いられるようになると、古来の日本に無かった[[拗音|合拗音]]「クヮ・グヮ」「クヰ・グヰ」「クヱ・グヱ」の音が発音されるようになった<ref name="佐藤1995近代の音韻"/>。これらは {{IPA|kwa}} {{IPA|ɡwe}} などという発音であり、「キクヮイ(奇怪)」「ホングヮン(本願)」「ヘングヱ(変化)」のように用いられた。当初は外来音の意識が強かったが、平安時代以降は普段の日本語に用いられるようになったとみられる<ref>橋本 進吉 (1938)「国語音韻の変遷」『国語と国文学』15-10(1980年の『古代国語の音韻に就いて 他2篇』(岩波文庫)に収録)。</ref>。ただし「クヰ・グヰ」「クヱ・グヱ」の寿命は短く、13世紀には「キ・ギ」「ケ・ゲ」に統合された。「クヮ」「グヮ」は中世を通じて使われていたが、室町時代にはすでに「カ・ガ」との間で混同が始まっていた。江戸時代には混同が進んでいき、江戸では18世紀中頃には直音の「カ・ガ」が一般化した。ただし一部の方言には今も残っている<ref name="D"/>。
 
 
 
漢語は平安時代頃までは原語である中国語に近く発音され、日本語の音韻体系とは別個のものと意識されていた。入声韻尾の {{IPA|-k}}, {{IPA|-t}}, {{IPA|-p}}, 鼻音韻尾の {{IPA|-m}}, {{IPA|-n}}, {{IPA|-ŋ}} なども原音にかなり忠実に発音されていたと見られる。鎌倉時代には漢字音の日本語化が進行し、{{IPA|ŋ}} はウに統合され、韻尾の {{IPA|-m}} と {{IPA|-n}} の混同も13世紀に一般化し、[[ん|撥音]]の {{ipa|ɴ}} に統合された。入声韻尾の {{IPA|-k}} は開音節化してキ、クと発音されるようになり、{{IPA|-p}} も {{IPA|-ɸu}}(フ)を経てウで発音されるようになった。{{IPA|-t}} は開音節化したチ、ツの形も現れたが、子音終わりの {{IPA|-t}} の形も17世紀末まで並存して使われていた。室町時代末期のキリシタン資料には、「butmet」(仏滅)、「bat」(罰)などの語形が記録されている。江戸時代に入ると開音節の形が完全に一般化した。
 
 
 
近代以降には、[[外国語]](特に[[英語]])の音の影響で新しい音が使われ始めた。比較的一般化した「シェ・チェ・ツァ・ツェ・ツォ・ティ・ファ・フィ・フェ・フォ・ジェ・ディ・デュ」などの音に加え、場合によっては、「イェ・ウィ・ウェ・ウォ・クァ・クィ・クェ・クォ・ツィ・トゥ・グァ・ドゥ・テュ・フュ」などの音も使われる<ref>「外来語の表記」(1991年6月内閣告示)による。</ref>。これらは、子音・母音のそれぞれを取ってみれば、従来の日本語にあったものである。「ヴァ・ヴィ・ヴ・ヴェ・ヴォ・ヴュ」のように、これまで無かった音は、書き言葉では書き分けても、実際に発音されることは少ない。
 
 
 
===文法史===
 
====活用の変化====
 
動詞の活用種類は、[[平安時代]]には9種類であった。すなわち、[[四段活用|四段]]・[[上一段活用|上一段]]・[[上二段活用|上二段]]・[[下一段活用|下一段]]・[[下二段活用|下二段]]・[[カ行変格活用|カ変]]・[[サ行変格活用|サ変]]・[[ナ行変格活用|ナ変]]・[[ラ行変格活用|ラ変]]に分かれていた。これが時代とともに統合され、[[江戸時代]]には5種類に減った。上二段は上一段に、下二段は下一段にそれぞれ統合され、ナ変(「死ぬ」など)・ラ変(「有り」など)は四段に統合された。これらの変化は、古代から中世にかけて個別的に起こった例もあるが、顕著になったのは江戸時代に入ってからのことである。ただし、ナ変は近代に入ってもなお使用されることがあった。
 
 
 
このうち、最も規模の大きな変化は二段活用の一段化である。二段→一段の統合は、室町時代末期の京阪地方では、まだまれであった(関東では比較的早く完了した)。それでも、江戸時代前期には京阪でも見られるようになり、後期には一般化した<ref>奥村 三雄 (1968)「所謂二段活用の一段化について」『近代語研究 第2集』(武蔵野書院)。</ref>。すなわち、今日の「起きる」は、平安時代には「き・き・く・くる・くれ・きよ」のように「き・く」の2段に活用したが、江戸時代には「き・き・きる・きる・きれ・きよ(きろ)」のように「き」の1段だけで活用するようになった。また、今日の「明ける」は、平安時代には「け・く」の2段に活用したが、江戸時代には「け」の1段だけで活用するようになった。しかも、この変化の過程では、[[#終止・連体形の合一|終止・連体形の合一]]が起こっているため、[[鎌倉時代|鎌倉]]・[[室町時代]]頃には、前後の時代とは異なった活用の仕方になっている。次に時代ごとの活用を対照した表を掲げる。
 
 
 
{|class="wikitable" style="text-align: center; "
 
|-
 
!現代の語形||時代||語幹||未然||連用||終止||連体||已然||命令
 
|-
 
|rowspan="3"|起きる||平安||rowspan="3"|お||き||き||く||くる||くれ||きよ
 
|-
 
|室町||き||き||くる||くる||くれ||きよ
 
|-
 
|江戸||き||き||きる||きる||きれ||きよ(きろ)
 
|-
 
|rowspan="3"|明ける||平安||rowspan="3"|あ||け||け||く||くる||くれ||けよ
 
|-
 
|室町||け||け||くる||くる||くれ||けよ
 
|-
 
|江戸||け||け||ける||ける||けれ||けよ(けろ)
 
|-
 
|rowspan="3"|死ぬ||平安||rowspan="3"|し||な||に||ぬ||ぬる||ぬれ||ね
 
|-
 
|rowspan="2"|室町<br>~<br>近代||な||に||ぬる||ぬる||ぬれ||ね
 
|-
 
|な||に||ぬ||ぬ||ね||ね
 
|-
 
|rowspan="3"|有る||平安||rowspan="3"|あ||ら||り||り||る||れ||れ
 
|-
 
|室町||ら||り||る||る||れ||れ
 
|-
 
|江戸||ら||り||る||る||れ||れ
 
|}
 
 
 
形容詞は、平安時代には「く・く・し・き・けれ(から・かり・かる・かれ)」のように活用したク活用と、「しく・しく・し・しき・しけれ(しから・しかり・しかる・しかれ)」のシク活用が存在した。この区別は、[[#終止・連体形の合一|終止・連体形の合一]]とともに消滅し、形容詞の活用種類は一つになった。
 
 
 
今日では、文法用語の上で、四段活用が五段活用(実質的には同じ)と称され、[[已然形]]が仮定形と称されるようになったものの、活用の種類および活用形は基本的に江戸時代と同様である。
 
 
 
====係り結びとその崩壊====
 
かつての日本語には、[[係り結び]]と称される文法規則があった。文中の特定の語を「ぞ」「なむ」「や」「か」「こそ」などの係助詞で受け、かつまた、文末を[[連体形]](「ぞ」「なむ」「や」「か」の場合)または[[已然形]](「こそ」の場合)で結ぶものである([[奈良時代]]には、「こそ」も連体形で結んだ)。
 
 
 
係り結びをどう用いるかによって、文全体の意味に明確な違いが出た。たとえば、「山里は、冬、寂しさ増さりけり」という文において、「冬」という語を「ぞ」で受けると、「山里は冬'''ぞ'''寂しさ増さり'''ける'''」(『[[古今和歌集|古今集]]』)という形になり、「山里で寂しさが増すのは、ほかでもない冬だ」と告知する文になる。また仮に、「山里」を「ぞ」で受けると、「山里'''ぞ'''冬は寂しさ増さり'''ける'''」という形になり、「冬に寂しさが増すのは、ほかでもない山里だ」と告知する文になる。
 
 
 
ところが、中世には、「ぞ」「こそ」などの係助詞は次第に形式化の度合いを強め、単に上の語を強調する意味しか持たなくなった。そうなると、係助詞を使っても、文末を連体形または已然形で結ばない例も見られるようになる。また、逆に、係助詞を使わないのに、文末が連体形で結ばれる例も多くなってくる。こうして、係り結びは次第に崩壊していった。
 
 
 
今日の口語文には、規則的な係り結びは存在しない。ただし、「貧乏で'''こそあれ'''、彼は辛抱強い」「進む道'''こそ違え'''、考え方は同じ」のような形で化石的に残っている。
 
 
 
====終止・連体形の合一====
 
活用語のうち、四段活用以外の動詞・形容詞・形容動詞および多くの助動詞は、平安時代には、[[終止形 (文法)|終止形]]と[[連体形]]とが異なる形態を採っていた。たとえば、動詞は「対面す。」(終止形)と「対面する(とき)」(連体形)のようであった。ところが、係り結びの形式化とともに、上に係助詞がないのに文末を連体形止め(「対面する。」)にする例が多く見られるようになった。たとえば、『[[源氏物語]]』には、
 
{{Quote|すこし立ち出でつつ見わたしたまへば、高き所にて、ここかしこ、僧坊どもあらはに見おろさるる。|『源氏物語』若紫巻<ref>阿部 秋生・秋山 虔・今井 源衛 [校注] (1970)『日本古典文学全集 源氏物語 一』(小学館)p.274。</ref>}}
 
などの言い方があるが、本来ならば「見おろさる」の形で終止すべきものである。
 
このような例は、中世には一般化した。その結果、動詞・形容詞および助動詞は、形態上、連体形と終止形との区別がなくなった。
 
 
 
形容動詞は、終止形・連体形活用語尾がともに「なる」になり、さらに語形変化を起こして「な」となった。たとえば、「辛労なり」は、終止形・連体形とも「辛労な」となった。もっとも、終止形には、むしろ「にてある」から来た「ぢや」が用いられることが普通であった。したがって、終止形は「辛労ぢや」、連体形は「辛労な」のようになった。「ぢや」は主として上方で用いられ、東国では「だ」が用いられた。今日の共通語も東国語の系統を引いており、終止形語尾は「だ」、連体形語尾は「な」となっている。このことは、用言の活用に連体形・終止形の両形を区別すべき根拠の一つとなっている。
 
 
 
文語の終止形が化石的に残っている場合もある。文語の助動詞「たり」「なり」の終止形は、今日でも並立助詞として残り、「行ったり来たり」「大なり小なり」といった形で使われている。
 
 
 
====可能動詞====
 
今日、「漢字が書ける」「酒が飲める」などと用いる、いわゆる可能動詞は、[[室町時代]]には発生していた。この時期には、「読む」から「読むる」(=読むことができる)が、「持つ」から「持つる」(=持つことができる)が作られるなど、[[四段活用]]の動詞を元にして、可能を表す[[下二段活用]]の動詞が作られ始めた。これらの動詞は、やがて一段化して、「読める」「持てる」のような語形で用いられるようになった<ref>坂梨 隆三 (1969)「いわゆる可能動詞の成立について」『国語と国文学』46-11。なお、坂梨によれば、「読むる」などの形が歴史的に確認されるため、「読み得(え)る」から「読める」ができたとする説は誤りということになる。</ref>。これらの可能動詞は、[[江戸時代]]前期の上方でも用いられ、後期の江戸では普通に使われるようになった<ref>湯沢 幸吉郎 (1954)『増訂江戸言葉の研究』(明治書院)。</ref>。
 
 
 
従来の日本語にも、「(刀を)抜く時」に対して「(刀が自然に)抜くる時(抜ける時)」のように、四段動詞の「抜く」と下二段動詞の「抜く」(抜ける)とが対応する例は多く存在した。この場合、後者は、「自然にそうなる」という自然生起(自発)を表した。そこから類推した結果、「文字を読む」に対して「文字が読むる(読める)」などの可能動詞が出来上がったものと考えられる。
 
 
 
近代以降、とりわけ大正時代以降には、この語法を四段動詞のみならず一段動詞にも及ぼす、いわゆる「[[ら抜き言葉]]」が広がり始めた<ref>松井 栄一 (1983)『国語辞典にない言葉』(南雲堂)p.130以下で、明治時代の永井荷風『をさめ髪』(1899年)に「左団扇と来(こ)れる様な訳なんだね。」という例があることなどを紹介している。</ref>。「見られる」を「見れる」、「食べられる」を「食べれる」、「来られる」を「来れる」、「居(い)られる」を「居(い)れる」<!-- 同じ表記でも「居(お)れる」と読まれることを意図して書かれ、その通りに読まれる場合には何の問題もない -->という類である。この語法は、地方によっては早く一般化し、第二次世界大戦後には全国的に顕著になっている。
 
 
 
====受け身表現====
 
受け身の表現において、人物以外が主語になる例は、近代以前には乏しい。もともと、日本語の受け身表現は、自分の意志ではどうにもならない「自然生起」の用法の一種であった<ref>小松 英雄 (1999)『日本語はなぜ変化するか』(笠間書院)。</ref>。したがって、物が受け身表現の主語になることはほとんどなかった。『[[枕草子]]』の「にくきもの」に
 
{{Quote|すずりに髪の入りてすられたる。(すずりに髪が入ってすられている)|『枕草子』<ref>池田 亀鑑・岸上 慎二・秋山 虔 [校注] (1958)『日本古典文学大系19 枕草子 紫式部日記』p.68。</ref>}}
 
とある例などは、受け身表現と解することもできるが、むしろ自然の状態を観察して述べたものというべきものである。一方、「この橋は多くの人々によって造られた」「源氏物語は紫式部によって書かれた」のような言い方は、古くは存在しなかったと見られる。これらの受け身は、状態を表すものではなく、事物が人から働き掛けを受けたことを表すものである。
 
 
 
「この橋は多くの人々によって造られた」式の受け身は、英語などの欧文脈を取り入れる中で広く用いられるようになったと見られる<ref>楳垣 実 (1943)『日本外来語の研究』(青年通信社出版部)の「形式的借用概説」。</ref>。明治時代には
 
{{Quote|民子の墓の周囲には野菊が一面に植えられた。|[[伊藤左千夫]]『[[野菊の墓]]』1906年}}
 
のような欧文風の受け身が用いられている。
 
 
 
===語彙史===
 
====漢語の勢力拡大====
 
漢語([[中国語]]の語彙)が日本語の中に入り始めたのはかなり古く、文献以前の時代にさかのぼると考えられる。今日和語と扱われる「ウメ(梅)」「ウマ(馬)」なども、元々は漢語からの借用語であった可能性がある<ref name="E"/>。
 
 
 
当初、漢語は一部の識字層に用いられ、それ以外の大多数の日本人は和語(大和言葉)を使うという状況であったと推測される。しかし、中国の文物・思想の流入や仏教の普及などにつれて、漢語は徐々に一般の日本語に取り入れられていった。[[鎌倉時代]]最末期の『[[徒然草]]』では、漢語及び混種語(漢語と和語の混交)は、異なり語数で全体の31%を占めるに至っている。ただし、延べ語数では13%に過ぎず、語彙の大多数は和語が占める<ref name="C">宮島 達夫 [編] (1971)『笠間索引叢刊4 古典対照語い表』(笠間書院)。</ref>。幕末の[[和英辞典]]『和英語林集成』の見出し語でも、漢語はなお25%ほどに止まっている<ref>宮島 達夫 (1967)「近代語彙の形成」『国立国語研究所論集3 ことばの研究3』。</ref>。
 
 
 
漢語が再び勢力を伸張したのは幕末から明治時代にかけてである。「電信」「鉄道」「政党」「主義」「哲学」その他、西洋の文物を漢語により翻訳した(新漢語。古典中国語にない語を特に[[和製漢語]]という)。幕末の『都鄙新聞』の記事によれば、京都祇園の芸者も漢語を好み、「霖雨ニ盆池ノ金魚ガ脱走シ、火鉢ガ因循シテヰル」(長雨で池があふれて金魚がどこかへ行った、火鉢の火がなかなかつかない)などと言っていたという<ref>『都鄙新聞』第一 1868(慶応4)年5月(1928年の『明治文化全集』17(日本評論社)に収録)。</ref>。[[二葉亭四迷]]の『[[浮雲 (二葉亭四迷の小説)|浮雲]]』の中では、お勢という女学生が
 
{{Quote|私の言葉には漢語が雑ざるから全然何を言ッたのだか解りませんて……}}
 
と、漢語の理解できない下女を見下す様子が描かれている。
 
 
 
漢語の勢力は今日まで拡大を続けている。雑誌調査では、延べ語数・異なり語数ともに和語を上回り、全体の半数近くに及ぶまでになっている<ref name="N">国立国語研究所 (1964)『現代雑誌九十種の用語用字』。</ref> <ref name="O">国立国語研究所 (2006)『現代雑誌200万字言語調査語彙表』。</ref>(「[[語種]]」参照)。
 
 
 
====外来語の勢力拡大====
 
漢語を除き、他言語の語彙を借用することは、古代にはそれほど多くなかった。このうち、[[サンスクリット|梵語]]の語彙は、多く漢語に取り入れられた後に、[[仏教]]と共に日本に伝えられた。「[[娑婆]]」「[[布施|檀那]]」「[[曼荼羅]]」などがその例である。また、今日では[[大和言葉|和語]]と扱われる「ほとけ([[仏陀|仏]])」「かわら([[瓦]])」なども梵語由来であるとされる<ref>楳垣 実 (1943)『日本外来語の研究』(青年通信社出版部)。</ref>。
 
 
 
西洋語が輸入され始めたのは、中世に[[キリシタン]]宣教師が来日した時期以降である。[[室町時代]]には、[[ポルトガル語]]から「カステラ」「コンペイトウ」「サラサ」「ジュバン」「タバコ」「バテレン」「ビロード」などの語が取り入れられた。「[[メリヤス]]」など一部[[スペイン語]]も用いられた。[[江戸時代]]にも、「カッパ(合羽)」「カルタ」「チョッキ」「パン」「ボタン」などのポルトガル語、「エニシダ」などのスペイン語が用いられるようになった。
 
 
 
また、江戸時代には、[[蘭学]]などの興隆とともに、「アルコール」「エレキ」「ガラス」「コーヒー」「ソーダ」「ドンタク」などの[[オランダ語]]が伝えられた<ref>以上、伝来の時代認定は、『コンサイスカタカナ語辞典』第3版(三省堂)による。</ref>。
 
 
 
幕末から[[明治|明治時代]]以後には、英語を中心とする外来語が急増した。「ステンション(駅)」「テレガラフ(電信)」など、今日では普通使われない語で、当時一般に使われていたものもあった。[[坪内逍遥]]『当世書生気質』(1885) には書生のせりふの中に「我輩の時計(ウオツチ)ではまだ十分(テンミニツ)位あるから、急いて行きよつたら、大丈夫ぢゃらう」「想ふに又貸とは遁辞(プレテキスト)で、七(セブン)〔=質屋〕へ典(ポウン)した歟(か)、売(セル)したに相違ない」などという英語が多く出てくる。このような語のうち、日本語として定着した語も多い。
 
 
 
[[第二次世界大戦]]が激しくなるにつれて、外来語を禁止または自粛する風潮も起こったが、戦後はアメリカ発の外来語が爆発的に多くなった。現在では、[[報道]]・[[交通]]機関・[[通信]]技術の発達により、新しい外来語が瞬時に広まる状況が生まれている。雑誌調査では、異なり語数で外来語が30%を超えるという結果が出ており<ref name="O"/>、現代語彙の中で欠くことのできない存在となっている(「[[語種]]」参照)。
 
 
 
====語彙の増加と品詞====
 
漢語が日本語に取り入れられた結果、名詞・サ変動詞・形容動詞の語彙が特に増大することになった。漢語は活用しない語であり、本質的には[[#自立語|体言]](名詞)として取り入れられたが<ref>山田 孝雄 (1940)『国語の中に於ける漢語の研究』(宝文館、1958年に訂正版)の「第一章 序説」。</ref>、「す」をつければ[[サ行変格活用|サ変]]動詞(例、祈念す)、「なり」をつければ[[形容動詞]](例、神妙なり)として用いることができた。
 
 
 
漢語により、厳密な概念を簡潔に表現することが可能になった。一般に、和語は一語が広い意味で使われる<ref>飛田 良文 [編] (2007)『日本語学研究事典』(明治書院)の遠藤好英「和語」p.152。</ref>。たとえば、「とる」という動詞は、「資格をとる」「栄養をとる」「血液をとる」「新人をとる」「映画をとる」のように用いられる。ところが、漢語を用いて、「取得する(取得す)」「摂取する」「採取する」「採用する」「撮影する」などと、さまざまなサ変動詞で区別して表現することができるようになった。また、日本語の「きよい(きよし)」という形容詞は意味が広いが、漢語を用いて、「清潔だ(清潔なり)」「清浄だ」「清澄だ」「清冽だ」「清純だ」などの形容動詞によって厳密に表現することができるようになった<ref>岩田 麻里 (1983)「現代日本語における漢字の機能」『日本語の世界16』(中央公論社)。</ref>。
 
 
 
外来語は、漢語ほど高い[[生産性 (言語学)|造語力]]を持たないものの、漢語と同様に、特に名詞・サ変動詞・形容動詞の部分で日本語の語彙を豊富にした。「インキ」「バケツ」「テーブル」など名詞として用いられるほか、「する」を付けて「スケッチする」「サービスする」などのサ変動詞として、また、「だ」をつけて「ロマンチックだ」「センチメンタルだ」などの形容動詞として用いられるようになった。
 
 
 
漢語・外来語の増加によって、形容詞と形容動詞の勢力が逆転した。元来、和語には形容詞・形容動詞ともに少なかったが、数の上では、形容詞が形容表現の中心であり、形容動詞がそれを補う形であった。『[[万葉集]]』では名詞59.7%、動詞31.5%、形容詞3.3%、形容動詞0.5%であり、『[[源氏物語]]』でも名詞42.5%、動詞44.6%、形容詞5.3%、形容動詞5.1%であった(いずれも異なり語数)<ref name="C"/>。ところが、漢語・外来語を語幹とした形容動詞が漸増したため、現代語では形容動詞が形容詞を上回るに至っている(「[[#品詞ごとの語彙量|品詞ごとの語彙量]]」の節参照)。ただし、一方で漢語・外来語に由来する名詞・サ変動詞なども増えているため、語彙全体から見ればなお形容詞・形容動詞の割合は少ない。
 
 
 
形容詞の造語力は今日ではほとんど失われており、近代以降のみ確例のある新しい形容詞は「甘酸っぱい」「黄色い」「四角い」「粘っこい」などわずかにすぎない<ref>鈴木 一彦・林 巨樹 [編] (1973)『品詞別日本文法講座4 形容詞・形容動詞』(明治書院)の「古今形容詞一覧」には1343語の形容詞が載り、うち文語形が示されているものは1192語である。残りの151語のうち、『日本国語大辞典』第2版(小学館)において明治以降の用例のみ確認できるものは「甘酸っぱい」「黄色い」「四角い」「粘っこい」など30語程度である。</ref>。一方、形容動詞は今日に至るまで高い造語力を保っている。特に、「科学的だ」「人間的だ」など接尾語「的」を付けた語の大多数や、「エレガントだ」「クリーンだ」など外来語に由来するものは近代以降の新語である。しかも、新しい形容動詞の多くは漢語・外来語を語幹とするものである。現代雑誌の調査によれば、形容動詞で語種のはっきりしているもののうち、和語は2割ほどであり、漢語は3割強、外来語は4割強という状況である<ref name="O"/>。
 
 
 
===表記史===
 
====仮名の誕生====
 
元来、日本に文字と呼べるものはなく、言葉を表記するためには中国渡来の[[漢字]]を用いた(いわゆる[[神代文字]]は後世の偽作とされている<ref>山田 孝雄 (1937)『国語史 文字篇』(刀江書院)p.41以下などを参照。</ref>)。漢字の記された遺物の例としては、[[1世紀]]のものとされる福岡市出土の「[[漢委奴国王印]]」などもあるが、本格的に使用されたのはより後年とみられる。『[[古事記]]』によれば、[[応神天皇]]の時代に百済の学者[[王仁]]が「論語十巻、千字文一巻」を携えて来日したとある。[[稲荷山古墳 (行田市)|稲荷山古墳]]出土の[[稲荷山古墳出土鉄剣|鉄剣]]銘([[5世紀]])には、雄略天皇と目される人名を含む漢字が刻まれている。「隅田八幡神社鏡銘」([[6世紀]])は純漢文で記されている。このような史料から、大和政権の勢力伸長とともに漢字使用域も拡大されたことが推測される。
 
 
 
漢字で和歌などの[[大和言葉]]を記す際、「波都波流能(はつはるの)」のように日本語の1音1音を漢字の音(または訓)を借りて写すことがあった。この表記方式を用いた資料の代表が『[[万葉集]]』([[8世紀]])であるため、この表記のことを「[[万葉仮名]]」という(すでに[[7世紀]]中頃の木簡に例が見られる<ref>2006年10月、大阪・難波宮跡で「皮留久佐乃皮斯米之刀斯」(春草のはじめのとし)と記された木簡が発見された。7世紀中頃のものとみられる。</ref>)。
 
 
 
[[9世紀]]には万葉仮名の字体をより崩した「草仮名」が生まれ(『讃岐国戸籍帳』の「藤原有年申文」など)、さらに、草仮名をより崩した[[平仮名]]の誕生をみるに至った。これによって、初めて日本語を自由に記すことが可能になった。平仮名を自在に操った王朝文学は、[[10世紀]]初頭の『[[古今和歌集]]』などに始まり、[[11世紀]]の『[[源氏物語]]』などの物語作品群で頂点を迎えた。
 
 
 
僧侶や学者らが漢文を[[訓読]]する際には、漢字の隅に点を打ち、その位置によって「て」「に」「を」「は」などの助詞その他を表すことがあった(ヲコト点)。しかし、次第に万葉仮名を添えて助詞などを示すことが一般化した。やがて、それらは、字画の省かれた簡略な[[片仮名]]になった。
 
 
 
平仮名も、片仮名も、発生当初から、1つの[[音価]]に対して複数の文字が使われていた。たとえば、{{ipa|ha}}(当時の発音は {{IPA|ɸa}})に当たる平仮名としては、「波」「者」「八」などを字源とするものがあった。1900年([[1900年|明治33年]])に「[[小学校令]]施行規則」が出され、小学校で教える仮名は1字1音に整理された。これ以降使われなくなった仮名を、今日では[[変体仮名]]と呼んでいる。変体仮名は、現在でも料理屋の名などに使われることがある。
 
 
 
====仮名遣い問題の発生====
 
[[平安時代]]までは、発音と仮名はほぼ一致していた。その後、発音の変化に伴って、発音と仮名とが1対1の対応をしなくなった。たとえば、「はな(花)」の「は」と「かは(川)」の「は」の発音は、平安時代初期にはいずれも「ファ」({{IPA|ɸa}}) であったとみられるが、平安時代に起こった[[ハ行転呼]]により、「かは(川)」など語中語尾の「は」は「ワ」と発音するようになった。ところが、「ワ」と読む文字には別に「わ」もあるため、「カワ」という発音を表記するとき、「かわ」「かは」のいずれにすべきか、判断の基準が不明になってしまった。ここに、仮名をどう使うかという[[仮名遣い]]の問題が発生した。
 
 
 
その時々の知識人は、仮名遣いについての規範を示すこともあったが([[藤原定家]]『下官集』など)、必ずしも古い仮名遣いに忠実なものばかりではなかった(「[[#日本語研究史|日本語研究史]]」の節参照)。また、従う者も、歌人、国学者など、ある種のグループに限られていた。万人に用いられる仮名遣い規範は、明治に学校教育が始まるまで待たなければならなかった。
 
 
 
====漢字・仮名遣いの改定====
 
漢字の字数・字体および[[仮名遣い]]については、近代以降、たびたび改定が議論され、また実施に移されてきた<ref name="L"/>。
 
 
 
仮名遣いについては、早く小学校令施行規則(1900年)において、「にんぎやう(人形)」を「にんぎょー」とするなど、漢字音を発音通りにする、いわゆる「[[棒引き仮名遣い]]」が採用されたことがあった。1904年から使用の『尋常小学読本』(第1期)はこの棒引き仮名遣いに従った。しかし、これは評判が悪く、規則の改正とともに、次期1910年の教科書から元の仮名遣いに戻った。
 
 
 
第二次世界大戦後の1946年には、「[[当用漢字]]表」「[[現代仮名遣い|現代かなづかい]]」が内閣告示された。これに伴い、一部の漢字の[[字体]]に略字体が採用され、それまでの[[歴史的仮名遣|歴史的仮名遣い]]による学校教育は廃止された。
 
 
 
1946年および1950年の[[アメリカ教育使節団報告書|米教育使節団報告書]]では、国字のローマ字化について勧告および示唆が行われ<ref>村井 実 [訳・解説] (1979)『アメリカ教育使節団報告書』(講談社学術文庫)には、第1次報告書が収められている。</ref>、[[国語審議会]]でも議論されたが、実現しなかった。1948年には、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]の[[民間情報教育局]] (CIE) の指示による読み書き能力調査が行われた。漢字が日本人の[[識字率]]を抑えているとの考え方に基づく調査であったが、その結果は、調査者の予想に反して日本人の識字率は高水準であったことが判明した<ref>読み書き能力調査委員会 (1951)『日本人の読み書き能力』(東京大学出版会)。</ref>。
 
1981年には、当用漢字表・現代かなづかいの制限色を薄めた「常用漢字表」および改訂「現代仮名遣い」が内閣告示された。また、送り仮名に関しては、数次にわたる議論を経て、1973年に「送り仮名の付け方」が内閣告示され、今日に至っている。戦後の国語政策は、必ずしも定見に支えられていたとはいえず、今に至るまで議論が続いている。
 
 
 
===文体史===
 
====和漢混淆文の誕生====
 
平安時代までは、朝廷で用いる公の書き言葉は[[漢文]]であった。これはベトナム・朝鮮半島などと同様である。当初漢文は中国語音で読まれたとみられるが、日本語と中国語の音韻体系は相違が大きいため、この方法はやがて廃れ、日本語の文法・語彙を当てはめて[[漢文訓読|訓読]]されるようになった。いわば、漢文を日本語に直訳しながら読むものであった。
 
 
 
[[漢文訓読]]の習慣に伴い、漢文に日本語特有の「賜」(…たまふ)や「坐」(…ます)のような語句を混ぜたり、一部を日本語の語順で記したりした「和化漢文」というべきものが生じた([[6世紀]]の[[法隆寺金堂薬師如来像光背銘|法隆寺薬師仏光背銘]]などに見られる)。さらには「王等臣等<sub>乃</sub>中<sub>尓</sub>」(『[[続日本紀]]』)のように、「乃(の)」「尓(に)」といった助詞などを小書きにして添える文体が現れた。この文体は[[祝詞]](のりと)・[[宣命]](せんみょう)などに見られるため、「宣命書き」と呼ばれる。
 
 
 
漢文の読み添えには片仮名が用いられるようになり、やがてこれが本文中に進出して、漢文訓読体を元にした「[[仮名交じり文|漢字片仮名交じり文]]」を形成した。最古の例は『東大寺諷誦文稿』([[9世紀]])とされる。漢字片仮名交じり文では、[[漢語]]が多用されるばかりでなく、言い回しも「甚(はなは)ダ広クシテ」「何(なん)ゾ言ハザル」のように、漢文訓読に用いられるものが多いことが特徴である。
 
 
 
一方、平安時代の宮廷文学の文体(和文)は、基本的に[[大和言葉|和語]]を用いるものであって、漢語は少ない。また、漢文訓読に使う言い回しもあまりない。たとえば、漢文訓読ふうの「甚ダ広クシテ」「何ゾ言ハザル」は、和文では「いと広う」「などかのたまはぬ」となる。和文は、表記法から見れば、平仮名にところどころ漢字の交じる「平仮名漢字交じり文」である。「春はあけぼの。やうやうしろく成行山ぎはすこしあかりて……」で始まる『[[枕草子]]』の文体は典型例の一つである。
 
 
 
両者の文体は、やがて合わさり、『[[平家物語]]』に見られるような[[和漢混淆文]]が完成した。
 
{{Quote|強呉(きゃうご)忽(たちまち)にほろびて、姑蘇台(こそたい)の露荊棘(けいきょく)にうつり、暴秦(ぼうしん)すでに衰へて、咸陽宮(かんやうきう)の煙埤堄(へいけい)を隠しけんも、かくやとおぼえて哀れなり。|『平家物語』聖主臨幸<ref>高木 市之助・小澤 正夫・渥美 かをる・金田一 春彦 [校注] (1958)『日本古典文学大系33 平家物語 下』p.101。用字は一部改めた。</ref>}}
 
ここでは、「強呉」「荊棘」といった漢語、「すでに」といった漢文訓読の言い回しがある一方、「かくやとおぼえて哀れなり」といった和文の語彙・言い回しも使われている。
 
 
 
今日、最も普通に用いられる文章は、和語と漢語を適度に交えた一種の和漢混淆文である。「先日、友人と同道して郊外を散策した」というような漢語の多い文章と、「この間、友だちと連れだって町はずれをぶらぶら歩いた」というような和語の多い文章とを、適宜混ぜ合わせ、あるいは使い分けながら文章を綴っている。
 
 
 
====文語文と口語文====
 
話し言葉は、時代と共にきわめて大きな変化を遂げるが、それに比べて、書き言葉は変化の度合いが少ない。そのため、何百年という間には、話し言葉と書き言葉の差が生まれる。
 
 
 
日本語の書き言葉がひとまず成熟したのは平安時代中期であり、その頃は書き言葉・話し言葉の差は大きくなかったと考えられる。しかしながら、中世の[[キリシタン資料]]のうち、語り口調で書かれているものを見ると、書き言葉と話し言葉とにはすでに大きな開きが生まれていたことが窺える。江戸時代の[[洒落本]]・[[滑稽本]]の類では、会話部分は当時の話し言葉が強く反映され、地の部分の書き言葉では古来の文法に従おうとした文体が用いられている。両者の違いは明らかである。
 
 
 
明治時代の書き言葉は、依然として古典文法に従おうとしていたが、単語には日常語を用いた文章も現れた。こうした書き言葉は、一般に「普通文」と称された。普通文は、以下のように小学校の[[読本]]でも用いられた。
 
{{Quote|ワガ国ノ人ハ、手ヲ用フル工業ニ、タクミナレバ、ソノ製作品ノ精巧ナルコト、他ニ、クラブベキ国少シ。|『国定読本』第1期 1904}}
 
普通文は、厳密には、古典文法そのままではなく、新しい言い方も多く混じっていた。たとえば、「解釈せらる」というべきところを「解釈さる」、「就学せしむる義務」を「就学せしむるの義務」などと言うことがあった。そこで、文部省は新しい語法のうち一部慣用の久しいものを認め、「文法上許容スベキ事項」(1905年・[[1905年|明治38年]])16条を告示した。
 
 
 
一方、明治20年代頃から、[[二葉亭四迷]]・[[山田美妙]]ら文学者を中心に、書き言葉を話し言葉に近づけようとする努力が重ねられた([[言文一致]]運動)。二葉亭は「だ」体、美妙は「です」体、[[尾崎紅葉]]は「である」体といわれる文章をそれぞれ試みた。このような試みが広まる中で、新聞・雑誌の記事なども話し言葉に近い文体が多くなっていく。古来の伝統的文法に従った文章を[[文語|文語文]]、話し言葉を反映した文章を[[口語|口語文]]という。第二次世界大戦後は、法律文などの公文書ももっぱら口語文で書かれるようになり、文語文は日常生活の場から遠のいた。
 
 
 
===方言史===
 
{{See also|日本語の方言#歴史}}
 
====近代以前====
 
日本語は、文献時代に入ったときにはすでに[[方言]]差があった。『[[万葉集]]』の巻14「東歌」や巻20「防人歌」には当時の東国方言による歌が記録されている{{Refn|group="注"|万葉集に記録された東国方言は8母音ではないことが知られる<ref>佐藤 喜代治 [編] (1971)『国語史』再版(桜楓社)の前田 富棋「奈良時代」p.60-64。</ref>。}}。820年頃成立の『東大寺諷誦文稿』には「此当国方言、毛人方言、飛騨方言、東国方言」という記述が見え、これが国内文献で用いられた「方言」という語の最古例とされる。平安初期の中央の人々の方言観が窺える貴重な記録である。
 
 
 
[[平安時代]]から[[鎌倉時代]]にかけては、中央の文化的影響力が圧倒的であったため、方言に関する記述は断片的なものにとどまったが、[[室町時代]]、とりわけ[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]には中央の支配力が弱まり地方の力が強まった結果、地方文献に方言を反映したものがしばしば現われるようになった。洞門抄物と呼ばれる東国系の文献が有名であるが、古文書類にもしばしば方言が登場するようになる。
 
 
 
[[安土桃山時代]]から[[江戸時代]]極初期にかけては、[[ポルトガル]]人の宣教師が数多くの[[キリシタン資料]]を残しているが、その中に各地の方言を記録したものがある。[[京都]]のことばを中心に据えながらも九州方言を多数採録した『[[日葡辞書]]』(1603年~1604年)や、[[筑前国|筑前]]や[[備前国|備前]]など各地の方言の言語的特徴を記した『ロドリゲス日本大文典』(1604年~1608年)はその代表である。
 
 
 
この時期には[[琉球語|琉球方言(琉球語)]]の資料も登場する。最古期に属するものとしては、中国資料の『琉球館訳語』(16世紀前半成立)があり、琉球の言葉を音訳表記によって多数記録している。また、1609年の島津侵攻事件で[[琉球王国]]を支配下に置いた[[薩摩藩]]も、記録類に琉球の言葉を断片的に記録しているが、語史の資料として見た場合、[[琉球諸島]]に伝わる古代歌謡・ウムイを集めた『[[おもろさうし]]』(1531年~1623年)が、質・量ともに他を圧倒している。
 
 
 
[[奈良時代]]以来、[[江戸幕府]]が成立するまで、近畿方言が中央語の地位にあった。[[朝廷]]から[[徳川氏|徳川家]]へ[[征夷大将軍]]の宣下がなされて以降、江戸文化が開花するとともに、[[江戸言葉|江戸語]]の地位が高まり、[[明治|明治時代]]には東京語が日本語の[[標準語]]と見なされるようになった。
 
 
 
====近代以降====
 
明治政府の成立後は、政治的・社会的に全国的な統一を図るため、また、近代国家として外国に対するため、言葉の統一・標準化が求められるようになった<ref>真田 信治 (1991)『標準語はいかに成立したか』(創拓社)。</ref>。学校教育では「東京の中流社会」の言葉が採用され<ref>文部省 (1904)『国定教科書編纂趣意書』に収録されている「尋常小学読本編纂趣意書」の「第二章 形式」には、「文章ハ口語ヲ多クシ用語ハ主トシテ東京ノ中流社会ニ行ハルルモノヲ取リカクテ国語ノ標準ヲ知ラシメ其統一ヲ図ルヲ務ムルト共ニ……」(p.51)とある。</ref>、放送でも同様の言葉が「共通用語」([[共通語]])とされた<ref>1934年に発足した放送用語並発音改善調査委員会の「放送用語の調査に関する一般方針」では、「共通用語は、現代の国語の大勢に順応して大体、帝都の教養ある社会層において普通に用いられる語彙・語法・発音・アクセント(イントネーションを含む)を基本とする」とされた(日本放送協会放送史編修室 (1965)『日本放送史 上』(日本放送出版協会)p.427)。</ref>。こうして[[標準語]]の[[規範意識]]が確立していくにつれ、方言を矯正しようとする動きが広がった。教育家の[[伊沢修二]]は、教員向けに書物を著して東北方言の矯正法を説いた<ref>伊沢 修二 (1909)『視話応用 東北発音矯正法』(楽石社)。</ref>。地方の学校では方言を話した者に首から「[[方言札]]」を下げさせるなどの罰則も行われた<ref>仲宗根 政善 (1995)『琉球語の美しさ』(ロマン書房)の序では、1907年生まれの著者が、沖縄の小学校時代に経験した方言札について「あの不快を、私は忘れることができない」と記している。</ref>。軍隊では命令伝達に支障を来さないよう、初等教育の段階で共通語の使用が指導された<ref>戦意高揚映画『[[決戦の大空へ]]』(1943年)では全国から集められた[[海軍飛行予科練習生]]の新入隊員らが、指導教官から訛りがあると指摘され、軍隊の言葉を使えと指導されるシーンがある。</ref>。
 
 
 
戦後になり、経済成長とともに地方から都市への人口流入が始まると、標準語と方言の軋轢が顕在化した。1950年代後半から、地方出身者が自分の言葉を笑われたことによる自殺・事件が相次いだ<ref>石黒 修 (1960)「方言の悲劇」『言語生活』108には茨城なまりを笑われて人を刺した少年の記事が紹介されている。また、『毎日新聞』宮城版(1996年8月24日付)には1964年に秋田出身の少年工員が言葉を笑われ同僚を刺した事件その他が紹介されている(毎日新聞地方部特報班 (1998)『東北「方言」ものがたり』(無明舎)に収録)。</ref>。このような情勢を受けて、方言の矯正教育もなお続けられた。[[鎌倉市立腰越小学校]]では、[[1960年代]]に、「ネサヨ運動」と称して、語尾に「~ね」「~さ」「~よ」など関東方言特有の語尾をつけないようにしようとする運動が始められた<ref>橋本 典尚 (2004)「「ネサヨ運動」と「ネハイ運動」」『東洋大学大学院紀要』(文学研究科 国文学)40。</ref>。同趣の運動は全国に広がった。
 
 
 
[[高度経済成長#日本の高度経済成長|高度成長]]後になると、方言に対する意識に変化が見られるようになった。[[1980年代]]初めのアンケート調査では、「方言を残しておきたい」と回答する者が90%以上に達する結果が出ている<ref>加藤 正信 (1983)「方言コンプレックスの現状」『言語生活』377。調査は1979~1981年。回答者は首都圏・茨城県・東北地方を中心に全国に及ぶ。</ref>。方言の共通語化が進むとともに、いわゆる「方言コンプレックス」が解消に向かい、方言を大切にしようという気運が盛り上がった。
 
 
 
[[1990年代]]以降は、若者が言葉遊びの感覚で方言を使うことに注目が集まるようになった。1995年にはラップ「DA.YO.NE」の関西版「SO.YA.NA」などの[[EAST END×YURI#『DA.YO.NE』のローカル版|方言替え歌]]が話題を呼び、報道記事にも取り上げられた<ref>『朝日新聞』夕刊 1995年6月22日付など。</ref>。首都圏出身の都内大学生を対象とした調査では、東京の若者の間にも関西方言が浸透していることが観察されるという<ref>陣内 正敬 (2003)「関西的コミュニケーションの広がり―首都圏では」『文部省平成14年度科研費成果報告書 コミュニケーションの地域性と関西方言の影響力についての広域的研究』。</ref>。2005年頃には、東京の女子高生たちの間でも「でら(とても)かわいいー!」「いくべ」などと各地の方言を会話に織り交ぜて使うことが流行し始め<ref>『産経新聞』2005年9月18日付。</ref>、女子高生のための方言参考書の類も現れた<ref>コトバ探偵団 (2005)『THE HOUGEN BOOK ザ・方言ブック』(日本文芸社)その他。</ref>。「超おもしろい」など「超」の新用法も、もともと静岡県で発生して東京に入ったとされるが<ref>井上 史雄・鑓水 兼貴 [編] (2002)『辞典〈新しい日本語〉』(東洋書林)。</ref>、[[若者言葉]]や[[造語|新語]]の発信地が東京に限らない状況になっている(「[[若者言葉#方言由来の若者言葉|方言由来の若者言葉]]」を参照)。
 
 
 
方言学の世界では、かつては、標準語の確立に資するための研究が盛んであったが<ref>たとえば、脇田 順一 (1938)、『讃岐方言の研究』(1975年に国書刊行会から復刻版)の緒言には、「児童をして純正なる国語生活を営ましむるには先づ其の方言を検討し之が醇化矯正に力を致さなければならぬ」とある。また、戦後の高度成長の頃でも、グロータース, W. A./柴田 武 [訳] (1964)『わたしは日本人になりたい』(筑摩書房)の中で「日本の方言研究家たちは、方言によって標準語を豊かにしようという考えだから、結局は、標準語による日本語の統一が重要な目標になる。」(p.153)と指摘されている([[W・A・グロータース|グロータース]]は方言学者)。</ref>、今日の方言研究は、必ずしもそのような視点のみによって行われてはいない。中央語の古形が方言に残ることは多く、方言研究が中央語の史的研究に資することはいうまでもない<ref>柳田 國男 (1930)『[[蝸牛考]]』(刀江書院、1980年に岩波文庫)では、方言が中央を中心に同心円状の分布をなすこと(周圏分布)が示される。</ref>。しかし、それにとどまらず、個々の方言の研究は、それ自体、独立した学問と捉えることができる。[[山浦玄嗣]]の「[[ケセン語]]」研究に見られるように<ref NAME="I"/>、研究者が自らの方言に誇りを持ち、日本語とは別個の言語として研究するという立場も生まれている。
 
 
 
===研究史===
 
日本人自身が日本語に関心を寄せてきた歴史は長く、『[[古事記]]』『[[万葉集]]』の記述にも語源・用字法・助字などについての関心が垣間見られる。古来、さまざまな分野の人々によって日本語研究が行われてきたが、とりわけ、[[江戸時代]]に入ってからは、秘伝にこだわらない自由な学風が起こり、客観的・実証的な研究が深められた。近代に西洋の言語学が輸入される以前に、日本語の基本的な性質はほぼ明らかになっていたといっても過言ではない。以下では、江戸時代以前・以後に分けて概説し、さらに近代について付説する。
 
 
 
====江戸時代以前====
 
[[江戸時代]]以前の日本語研究の流れは、大きく分けて3分野あった。中国語(漢語)学者による研究、[[悉曇]](しったん)学者による研究、[[歌学]]者による研究である。
 
 
 
中国語との接触、すなわち漢字の音節構造について学習することにより、日本語の相対的な特徴が意識されるようになった。『[[古事記]]』には「淤能碁呂嶋<sub>自淤以下四字以音</sub>」(オノゴロ嶋〈淤より以下の四字は音を以ゐよ〉)のような音注がしばしば付けられているが、これは漢字を[[万葉仮名|借字]]として用い、中国語で表せない日本語の固有語を1音節ずつ漢字で表記したものである。こうした表記法を通じて、日本語の音節構造が自覚されるようになったと考えられる。また漢文の[[訓読]]により、中国語にない[[助詞]]・[[助動詞 (国文法)|助動詞]]の要素が意識されるようになり、漢文を読み下す際に必要な「て」「に」「を」「は」などの要素は、当初は点を漢字に添えることで表現していたのが(ヲコト点)、後に借字、さらに[[片仮名]]が用いられるようになった。これらの要素は「てにをは」の名で一括され、後に一つの研究分野となった。
 
 
 
日本語の1音1音を仮名で記すようになった当初は、音韻組織全体に対する意識はまだ弱かったが、やがてあらゆる直音を1回ずつ集めて誦文にしたものが成立する。[[平安時代]]初期には「[[天地の詞]]」が、平安時代中期から後期にかけて「[[いろは歌]]」が現れた。これらはほんらい漢字音のアクセント習得のために使われたとみられるが<ref>『いろはうた』(『中公新書』558 中央公論社、1979年)小松英雄著。</ref>、のちにいろは歌は文脈があって内容を覚えやすいことから、『[[色葉字類抄]]』([[12世紀]])など物の順番を示す「[[いろは順]]」として用いられ、また仮名の手本としても人々の間に一般化している。
 
 
 
一方、悉曇学の研究により、[[サンスクリット|梵語]](サンスクリット)に整然とした音韻組織が存在することが知られるようになった。平安時代末期に成立したと見られる「[[五十音|五十音図]]」は、「あ・か・さ・た・な……」の行の並び方が梵語の悉曇章(字母表)の順に酷似しており、悉曇学を通じて日本語の音韻組織の研究が進んだことをうかがわせる。もっとも、五十音図作成の目的は、一方では、中国音韻学の[[反切]]を理解するためでもあった。当初、その配列はかなり自由であった(ほぼ現在に近い配列が定着したのは[[室町時代]]以後)。最古の五十音図は、平安時代末期の悉曇学者[[明覚]]の『反音作法』に見られる。明覚はまた、『悉曇要訣』において、梵語の発音を説明するために日本語の例を多く引用し、日本語の音韻組織への関心を見せている。
 
 
 
歌学は平安時代以降、大いに興隆した。和歌の実作および批評のための学問であったが、正当な語彙・語法を使用することへの要求から、日本語の古語に関する研究や、「てにをは」の研究、さらに[[仮名遣い]]への研究に繋がった。
 
 
 
このうち、古語の研究では、語と語の関係を音韻論的に説明することが試みられた。たとえば、[[顕昭]]の『袖中抄』では、「七夕つ女(たなばたつめ)」の語源は「たなばたつま」だとして(これ自体は誤り)、「『ま』と『め』とは同じ五音(=五十音の同じ行)なる故也」<ref>橋本 進吉 (1928)「国語学史概説」(1983年の『国語学史・国語特質論(橋本進吉博士著作集 第9・10冊〔合冊〕)』(岩波書店)に収録)p.61。</ref>と説明している。このように、「五音相通(五十音の同じ行で音が相通ずること)」や「同韻相通(五十音の同じ段で音が相通ずること)」などの説明が多用されるようになった。
 
 
 
「てにをは」の本格的研究は、[[鎌倉時代]]末期から室町時代初期に成立した『手爾葉大概抄(てにはたいがいしょう)』という短い文章によって端緒が付けられた。この文章では「名詞・動詞などの自立語(詞)が寺社であるとすれば、『てにをは』はその荘厳さに相当するものだ」と規定した上で、係助詞「ぞ」「こそ」とその結びの関係を論じるなど、「てにをは」についてごく概略的に述べている。また、室町時代には『姉小路式(あねがこうじしき)』が著され、係助詞「ぞ」「こそ」「や」「か」のほか終助詞「かな」などの「てにをは」の用法をより詳細に論じている。
 
 
 
仮名遣いについては、鎌倉時代の初め頃に藤原定家がこれを問題とし、定家はその著作『[[下官集]]』において、仮名遣いの基準を前代の平安時代末期の草子類の仮名表記に求め、規範を示そうとした。ところが「お」と「を」の区別については、平安時代末期にはすでにいずれも{{IPA|wo}}の音となり発音上の区別が無くなっていたことにより、相当な表記の揺れがあり、格助詞の「を」を除き前例による基準を見出すことができなかった。そこで『下官集』ではアクセントが高い言葉を「を」で、アクセントが低い言葉を「お」で記しているが、このアクセントの高低により「を」と「お」の使い分けをすることは、すでに『色葉字類抄』にも見られる。[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]には[[行阿]]がこれを増補して『仮名文字遣』を著した(これがのちに「[[定家仮名遣]]」と呼ばれる)。行阿の姿勢も基準を古書に求めるというもので、「お」と「を」の区別についても定家仮名遣の原則を踏襲している。しかし行阿が『仮名文字遣』を著した頃、日本語にアクセントの一大変化があり、{{IPA|wo}}の音を含む語彙に関しても定家の時代とはアクセントの高低が異なってしまった。その結果「お」と「を」の仮名遣いについては、定家が示したものとは齟齬を生じている。
 
 
 
なお、「お」と「を」の発音上の区別が無くなっていたことで、五十音図においても鎌倉時代以来「お」と「を」とは位置が逆転した誤った図が用いられていた(すなわち、「あいうえを」「わゐうゑお」となっていた)。これが正されるのは、江戸時代に[[本居宣長]]が登場してからのことである。
 
 
 
外国人による日本語研究も、中世末期から近世前期にかけて多く行われた。[[イエズス会]]では日本語と[[ポルトガル]]語の辞書『[[日葡辞書]]』(1603年)が編纂され、また、同会の[[ジョアン・ロドリゲス|ロドリゲス]]により文法書『日本大文典』(1608年)および『日本小文典』(1620年)が表された。ロドリゲスの著書は、ラテン語の文法書の伝統に基づいて日本語を分析し、価値が高い。一方、中国では『日本館訳語』(1549年頃)、[[李氏朝鮮]]では『捷解新語』(1676年)といった日本語学習書が編纂された。
 
 
 
====江戸時代====
 
日本語の研究が高い客観性・実証性を備えるようになったのは、[[江戸時代]]の[[契沖]]の研究以来のことである。契沖は『万葉集』の注釈を通じて[[仮名遣い]]について詳細に観察を行い、『和字正濫抄』(1695年)を著した。この書により、古代は語ごとに仮名遣いが決まっていたことが明らかにされた。契沖自身もその仮名遣いを実行した。すなわち、後世、[[歴史的仮名遣|歴史的仮名遣い]]と称される仮名遣いである。契沖の掲出した見出し語は、後に[[楫取魚彦]]編の仮名遣い辞書『古言梯(こげんてい)』(1765年)で増補され、[[村田春海]]『仮字拾要(かなしゅうよう)』で補完された。
 
 
 
古語の研究では、[[松永貞徳]]の『和句解(わくげ)』(1662年)、[[貝原益軒]]の『日本釈名(にほんしゃくみょう)』(1700年)が出た後、[[新井白石]]により大著『東雅』(1719年)がまとめられた。白石は、『東雅』の中で語源説を述べるに当たり、終始穏健な姿勢を貫き、曖昧なものは「義未詳」として曲解を排した。また、[[賀茂真淵]]は『語意考』(1789年)を著し、「約・延・略・通」の考え方を示した。すなわち、「語形の変化は、縮める(約)か、延ばすか、略するか、音通(母音または子音の交替)かによって生じる」というものである。この原則は、それ自体は正当であるが、後にこれを濫用し、非合理な語源説を提唱する者も現れた。語源研究では、ほかに、[[鈴木朖]](すずきあきら)が『雅語音声考(がごおんじょうこう)』(1816年)を著し、「ほととぎす」「うぐいす」「からす」などの「ほととぎ」「うぐい」「から」の部分は鳴き声であることを示すなど、興味深い考え方を示している。
 
 
 
[[本居宣長]]は、仮名遣いの研究および文法の研究で非常な功績があった。まず、仮名遣いの分野では、『字音仮字用格(じおんかなづかい)』(1776年)を著し、漢字音を仮名で書き表すときにどのような仮名遣いを用いればよいかを論じた。その中で宣長は、[[鎌倉時代]]以来、五十音図で「お」と「を」の位置が誤って記されている(前節参照)という事実を指摘し、実に400年ぶりに、本来の正しい「あいうえお」「わゐうゑを」の形に戻した。この事実は、後に[[東条義門]]が『於乎軽重義(おをきょうちょうぎ)』(1827年)で検証した。
 
 
 
また、宣長は、文法の研究、とりわけ、係り結びの研究で成果を上げた。係り結びの一覧表である『ひも鏡』(1771年)をまとめ、『詞の玉緒』(1779年)で詳説した。文中に「ぞ・の・や・何」が来た場合には文末が[[連体形]]、「こそ」が来た場合は[[已然形]]で結ばれることを示したのみならず、「は・も」および「徒(ただ=主格などに助詞がつかない場合)」の場合は文末が[[終止形 (文法)|終止形]]になることを示した。主格などに「は・も」などが付いた場合に文末が終止形になるのは当然のようであるが、必ずしもそうでない。主格を示す「が・の」が来た場合は、「君が思ほせりける」(万葉集)「にほひの袖にとまれる」(古今集)のように文末が連体形で結ばれるのであるから、あえて「は・も・徒」の下が終止形で結ばれることを示したことは重要である。
 
 
 
品詞研究で成果を上げたのは[[富士谷成章]](ふじたになりあきら)であった。富士谷は、品詞を「名」(名詞)・「装(よそい)」(動詞・形容詞など)・「挿頭(かざし)」(副詞など)・「脚結(あゆい)」(助詞・助動詞など)の4類に分類した。『挿頭抄(かざししょう)』(1767年)では今日で言う副詞の類を中心に論じた。特に注目すべき著作は『脚結抄(あゆいしょう)』(1778年)で、助詞・助動詞を系統立てて分類し、その活用の仕方および意味・用法を詳細に論じた。内容は創見に満ち、今日の品詞研究でも盛んに引き合いに出される。『脚結抄』の冒頭に記された「装図(よそいず)」は、動詞・形容詞の活用を整理した表で、後の研究に資するところが大きかった。
 
 
 
活用の研究は、その後、鈴木朖の『活語断続譜』(1803年頃)、[[本居春庭]]の『詞八衢(ことばのやちまた)』(1806年)に引き継がれた。盲目であった春庭の苦心は、一般には[[足立巻一]]の小説『やちまた』で知られる。幕末には義門が『活語指南』(1844年)を著し、これで日本語の活用は、全貌がほぼ明らかになった。
 
 
 
このほか、江戸時代で注目すべき研究としては、[[石塚龍麿]]の『仮字用格奥山路(かなづかいおくのやまみち)』がある。万葉集の仮名に2種の書き分けが存在することを示したものであったが、長らく正当な扱いを受けなかった。後に[[橋本進吉]]が[[上代特殊仮名遣|上代特殊仮名遣い]]の先駆的研究として再評価した。
 
 
 
====近代以降====
 
[[江戸時代]]後期から[[明治|明治時代]]にかけて、[[西洋]]の[[言語学]]が紹介され、日本語研究は新たな段階を迎えた。もっとも、西洋の言語に当てはまる理論を無批判に日本語に応用することで、かえってこれまでの蓄積を損なうような研究も少なくなかった。
 
 
 
こうした中で、古来の日本語研究と西洋言語学とを吟味して文法をまとめたのが[[大槻文彦]]であった。大槻は、日本語辞書『[[言海]]』の中で文法論「語法指南」を記し(1889年)、後にこれを独立、増補して『広日本文典』(1897年)とした。
 
 
 
その後、高等教育の普及とともに、日本語研究者の数は増大した。[[東京大学|東京帝国大学]]には国語研究室が置かれ(1897年)、ドイツ帰りの[[上田萬年|上田万年]]が初代主任教授として指導的役割を果たした。
 
 
 
以下、[[第二次世界大戦]]後に至るまで、重要な役割を果たした主な日本語学者を挙げる。
 
 
 
{|class=wikitable
 
!分野
 
!研究者
 
!備考
 
|-
 
|対照言語研究
 
|[[藤岡勝二]]・[[金沢庄三郎]]・[[小倉進平]]・[[服部四郎]]||
 
|-
 
|文法論
 
|[[山田孝雄]]・[[松下大三郎]]・[[橋本進吉]]・[[時枝誠記]]||この4人の文法論は一般に4大文法と呼ばれる<ref>「[[現代日本語文法]]」参照。</ref>。橋本文法は[[学校文法]]の基礎になっている。
 
|-
 
|音韻論
 
|[[金田一京助]]・[[有坂秀世]]・[[亀井孝 (国語学者)|亀井孝]]||
 
|-
 
|音声学
 
|[[神保格]]・[[佐久間鼎]]||
 
|-
 
|仮名字体・仮名遣い
 
|[[大矢透]]||
 
|-
 
|方言学
 
|[[東条操]]・[[小林好日]]||
 
|-
 
|キリシタン資料
 
|[[土井忠生]]・[[新村出]]||
 
|-
 
|訓点資料
 
|[[春日政治]]・[[遠藤嘉基]]||
 
|-
 
|日本語史
 
|[[湯沢幸吉郎]]・[[安藤正次]]||
 
|}
 
 
 
===日本国外の日本語===
 
近代以降、[[日本統治時代の台湾|台湾]]や[[日本統治時代の朝鮮|朝鮮半島]]などを併合・統治した日本は、現地民の[[台湾人]]・[[朝鮮民族]]への[[皇民化政策]]を推進するため、[[学校教育]]で日本語を[[国語]]として採用した。[[満州国]](現在の[[中国東北部]])にも[[日本人]]が数多く移住した結果、日本語が広く使用され、また、日本語は[[中国語]]とともに公用語とされた。日本語を解さない主に[[漢民族]]や[[満州民族|満州族]]には簡易的な日本語である[[協和語]]が用いられていたこともあった。現在の[[台湾]]([[中華民国]])や[[朝鮮半島]]([[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]・[[大韓民国|韓国]])などでは、現在でも高齢者の中に日本語を解する人もいる。
 
 
 
一方、[[明治]]・[[大正]]から[[昭和]]戦前期にかけて、日本人が[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[カナダ]]・[[メキシコ]]・[[ブラジル]]・[[ペルー]]などに多数移民し、[[日系人]]社会が築かれた。これらの地域コミュニティでは日本語が使用されたが、世代が若年になるにしたがって、日本語を解さない人が増えている。
 
 
 
1990年代以降、日本国外から日本への渡航者数が増加し、かつまた、日本企業で勤務する[[外国人労働者]]([[日本の外国人]])も飛躍的に増大しているため、国内外に[[日本語教育]]が広がっている。国・地域によっては、日本語を第2外国語など選択教科の一つとしている国もあり、日本国外で日本語が学習される機会は増えつつある<ref>本名 信行 [他] (2000)『アジアにおける日本語教育』(三修社)。</ref><ref>{{cite web |url=http://www.jpf.go.jp/j/urawa/world/world.html |title=世界の日本語教育 |accessdate=2005年3月4日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150117070451/http://www.jpf.go.jp/j/urawa/world/world.html |archivedate=2015年1月17日 }}も参照。</ref>。
 
 
 
とりわけ、[[1990年代]]以降、「[[クールジャパン]]」といわれるように日本国外で[[アニメ|アニメーション]]や[[コンピュータゲーム|ゲーム]]、[[日本映画|映画]]、[[テレビドラマ]]、[[J-POP]]([[邦楽]])に代表される音楽、[[日本の漫画|漫画]]などに代表させる日本の現代[[サブカルチャー]]を「カッコいい(cool)」と感じる若者が増え<ref>Douglas McGray(神山京子訳) (2003)「世界を闊歩する日本のカッコよさ」『[[中央公論]]』(2003年5月号)</ref>、その結果、彼らの日本語に触れる機会が増えつつあるという<ref>浜野 保樹 (2005)『模倣される日本』(祥伝社)p12によると『[[キル・ビル]]』などの映画で非日本人俳優同士が日本語で会話しているのは、日本の「カッコよさ」の高さを表す証左だという。</ref>。
 
 
 
日本人が訪問することの多い日本国外の[[観光地]]などでは、現地の広告や商業施設店舗の従業員との会話に日本語が使用されることもある<ref>井上 史雄 (2001)『日本語は生き残れるか』(PHP新書)p.69。</ref>。このような場で目に触れる日本語のうち、新奇で注意を引く例は、雑誌・書籍などで紹介されることも多い<ref>月刊宝島編集部 [編] (1987)『VOW 現代下世話大全―まちのヘンなモノ大カタログ』(宝島社)、田野村 忠温 (2003)「中国の日本語」『日本語学』22-12(2003年11月号)など。</ref>。
 
 
 
==日本語話者の意識==
 
{{main|日本語論}}
 
 
 
===変化に対する意識===
 
{{main|日本語の乱れ}}
 
日本語が時と共に変化することはしばしば批判の対象となる。この種の批判は、古典文学の中にも見られる。『[[枕草子]]』では文末の「んとす」が「んず」といわれることを「いとわろし」と評している(「ふと心おとりとかするものは」)。また、『[[徒然草]]』では古くは「車もたげよ」「火かかげよ」と言われたのが、今の人は「もてあげよ」「かきあげよ」と言うようになったと記し、今の言葉は「無下にいやしく」なっていくようだと記している(第22段)。
 
 
 
これにとどまらず、言語変化について注意する記述は、歴史上、仮名遣い書や、『[[俊頼髄脳]]』などの歌論書、『音曲玉淵集』などの音曲指南書をはじめ、諸種の資料に見られる。なかでも、[[江戸時代]]の俳人[[安原貞室]]が、なまった言葉の批正を目的に編んだ『片言(かたこと)』(1650年)は、800にわたる項目を取り上げており、当時の言語実態を示す資料として価値が高い。
 
 
 
近代以降も、[[芥川龍之介]]が「澄江堂雑記」で、「とても」は従来否定を伴っていたとして、「とても安い」など肯定形になることに疑問を呈するなど、言語変化についての指摘が散見する。研究者の立場から同時代の気になる言葉を収集した例としては、浅野信『巷間の言語省察』(1933年)などがある。
 
 
 
[[戦後|第二次世界大戦後]]は、1951年に雑誌『言語生活』(当初は[[国立国語研究所]]が監修)が創刊されるなど、日本語への関心が高まった。そのような風潮の中で、あらゆる立場の人々により、言語変化に対する批判やその擁護論が活発に交わされるようになった。典型的な議論の例としては、[[金田一春彦]]「日本語は乱れていない」<ref>金田一 春彦 (1964)「日本語は乱れていない」『文藝春秋』1964年12月号<!-- 文藝春秋は巻号制です -->。</ref>および宇野義方の反論<ref>宇野 義方 (1964)「日本語は乱れていないか―金田一春彦氏に反論」『朝日新聞』夕刊 1964年12月5日付。</ref>が挙げられる。
 
 
 
いわゆる「[[日本語の乱れ]]」論議において、毎度のように話題にされる言葉も多い。1955年の[[国立国語研究所]]の有識者調査<ref>国立国語研究所 (1955)『国立国語研究所年報7 語形確定のための基礎調査』。</ref>の項目には「ニッポン・ニホン(日本)」「ジッセン・ジュッセン(十銭)」「見られなかった・見れなかった」「御研究されました・御研究になりました」など、今日でもしばしば取り上げられる語形・語法が多く含まれている。とりわけ「見られる」を「見れる」とする語法は、1979年のNHK放送文化研究所「現代人の言語環境調査」で可否の意見が二分するなど、人々の言語習慣の違いを如実に示す典型例となっている。この語法は[[1980年代]]には「[[ら抜き言葉]]」と称され、盛んに取り上げられるようになった。
 
 
 
「言葉の乱れ」を指摘する声は、新聞・雑誌の投書にも多い。[[文化庁]]の「[[国語に関する世論調査]]」では、「言葉遣いが乱れている」と考える人が1977年に7割近くになり、2002年11月から12月の調査では8割となっている。人々のこのような認識は、いわゆる日本語ブームを支える要素の一つとなっている。
 
 
 
===若者の日本語===
 
日本語の変化に対する批判の矛先は、往々にして若い世代に向かう。若者は、旧世代の用いなかった言語および言語習慣を盛んに創出し、時として上の世代に違和感を与えることになる。
 
 
 
====若者言葉====
 
いわゆる「[[若者言葉]]」は種々の意味で用いられ、必ずしも定義は一定していない。井上史雄の分類<ref>井上 史雄 (1994)『方言学の新地平』(明治書院)。</ref>に即して述べると、若者言葉と称されるものは以下のように分類される。
 
#一時的流行語。ある時代の若い世代が使う言葉。戦後の「アジャパー」、[[1970年代]]の「チカレタビー」など。
 
#コーホート語(同世代語)。流行語が生き残り、その世代が年齢を重ねてからも使う言葉。次世代の若者は流行遅れと意識し、使わない。
 
#若者世代語。どの世代の人も、若い間だけ使う言葉。「ドイ語」(ドイツ語)など[[学生言葉]](キャンパス用語)を含む。
 
#言語変化。若い世代が年齢を重ねてからも使い、次世代の若者も使うもの。結果的に、世代を超えて変化が定着する。[[ら抜き言葉]]・[[鼻濁音]]の衰退など。
 
上記は、いずれも批判にさらされうるという点では同様であるが、1 - 4の順で、次第に言葉の定着率は高くなるため、それだけ「言葉の乱れ」の例として意識されやすくなる。
 
 
 
上記の分類のうち「一時的流行語」ないし「若者世代語」に相当する言葉の発生要因に関し、米川明彦は心理・社会・歴史の面に分けて指摘している<ref>米川 明彦 (1996)『現代若者ことば考』(丸善ライブラリー)。</ref>。その指摘は、およそ以下のように総合できる。すなわち、成長期にある若者は、自己や他者への興味が強まるだけでなく、従来の言葉の規範からの自由を求める。日本経済の成熟とともに「まじめ」という価値観が崩壊し、若者が「ノリ」によって会話するようになった。とりわけ、[[1990年代]]以降は「ノリ」を楽しむ世代が低年齢化し、消費・娯楽社会の産物として若者言葉が生産されているというものである。また、2007年頃から[[マスメディア]]が「[[場の空気]]」の文化を取り上げるようになってきて<ref>[[北原保雄]]『KY式日本語―ローマ字略語がなぜ流行るのか』[[大修館書店]]</ref>から、言葉で伝えるより、察し合って心を通わせることを重んじる者が増えた。これに対し、[[文化庁]]は、[[場の空気|空気]]読めない ([[KY語|KY]]) と言われることを恐れ、場の空気に合わせようとする風潮の現れではないかと指摘している<ref>{{Cite news|url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090904-OYT1T00983.htm|title=KYイヤ…言葉で伝えず「察し合う」が人気|newspaper=YOMIURI ONLINE|publisher=読売新聞社|date=2009-09-04|archiveurl=https://archive.is/20090906012139/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090904-OYT1T00983.htm|archivedate=2009-09-06}}</ref>。
 
 
 
====若者の表記====
 
若者の日本語は、表記の面でも独自性を持つ。年代によりさまざまな日本語の表記が行われている。
 
 
 
=====丸文字=====
 
{{main|丸文字}}
 
[[1970年代]]から[[1980年代]]にかけて、少女の間で、丸みを帯びた書き文字が「かわいい」と意識されて流行し、「[[丸文字]]」「まんが文字」「変体少女文字(=書体の変わった少女文字の意)」などと呼ばれた。[[山根一眞]]の調査によれば、この文字は1974年までには誕生し、1978年に急激に普及を開始したという<ref>山根一眞 (1986)『変体少女文字の研究』(講談社)。</ref>。
 
 
 
=====ヘタウマ文字=====
 
1990年頃から、丸文字に代わり、少女の間で、金釘流に似た縦長の書き文字が流行し始めた。平仮名の「に」を「レこ」のように書いたり、長音符の「ー」を「→」と書いたりする特徴があった。一見下手に見えるため、「長体ヘタウマ文字」などとも呼ばれた。マスコミでは「チョベリバ世代が楽しむヘタウマ文字」<ref>『週刊読売』1996年9月15日号。</ref>「女高生に広まる変なとんがり文字」<ref>『AERA』1997年6月30日号。</ref>などと紹介されたが、必ずしも大人世代の話題にはならないまま、確実に広まった。この文字を練習するための本<ref>『HA・YA・RI系文字マスターノート』(アスキー 1997)など。</ref>も出版された。
 
 
 
=====ギャル文字=====
 
{{main|ギャル文字}}
 
携帯メールやインターネットの普及に伴い、ギャルと呼ばれる少女たちを中心に、デジタル文字の表記に独特の文字や記号を用いるようになった。「さようなら」を「±∋ぅTょら」と書く類で、「[[ギャル文字]]」としてマスコミにも取り上げられた<ref>NHK総合テレビ「お元気ですか日本列島・気になることば」2004年2月18日など。</ref>。このギャル文字を練習するための本も現れた<ref>『ギャル文字 へた文字 公式BOOK』(実業之日本社 2004)など。</ref>。
 
 
 
=====顔文字=====
 
{{main|顔文字}}
 
コンピュータの普及と、コンピュータを使用したパソコン通信などの始まりにより、日本語の約物に似た扱いとして顔文字が用いられるようになった。これは、コンピュータの文字としてコミュニケーションを行うときに、文章の後や単独で記号などを組み合わせた「(^_^)」のような顔文字を入れることにより感情などを表現する手法である。1980年代後半に使用が開始された顔文字は、若者へのコンピュータの普及により広く使用されるようになった。
 
 
 
=====絵文字=====
 
{{main|絵文字文化}}
 
携帯電話に[[携帯電話の絵文字|絵文字]]が実装されたことにより、絵文字文化と呼ばれるさまざまな絵文字を利用したコミュニケーションが行われるようになった。漢字や仮名と同じように日本語の文字として扱われ、約物のような利用方法にとどまらず、単語や文章の置き換えとしても用いられるようになった<ref>[http://internet.watch.impress.co.jp/docs/event/webdb2009/20091120_330426.html 【WebDB Forum 2009】 渦巻き絵文字は「台風」ではなく「まいった」、バイドゥが調査 -INTERNET Watch]</ref>。
 
 
 
=====小文字=====
 
{{main|小文字文化}}
 
すでに普及した顔文字や絵文字に加え、2006年頃には「[[小文字文化|小文字]]」と称される独特の表記法が登場した。「ゎたしゎ、きょぅゎ部活がなぃの」のように特定文字を小字で表記するもので、マスコミでも紹介されるようになった<ref>『毎日新聞』2006年10月5日付など。</ref>。また、「ぅゎょぅι゛ょっょぃ」のように、すべての文字を小文字化したり、ι゛のような通常は使用されない文字も使われることがある。
 
 
 
===日本語ブーム===
 
人々の日本語に寄せる関心は、[[戦後|第二次世界大戦後]]に特に顕著になったといえる<ref>飯間 浩明(2010)「「日本語ブーム」はあったのか、そしてあるのか」『日本語学』29-5。</ref>。1947年10月から[[日本放送協会|NHK]]ラジオで「ことばの研究室」が始まり、1951年には雑誌『言語生活』が創刊された。
 
 
 
日本語関係書籍の出版点数も増大した。敬語をテーマとした本の場合、[[1960年代]]以前は解説書5点、実用書2点であったものが、[[1970年代]]から1994年の25年間に解説書約10点、実用書約40点が出たという<ref>菊地 康人 (2003)『敬語再入門』(丸善ライブラリー)。</ref>。
 
 
 
戦後、最初の日本語ブームが起こったのは1957年のことで、[[金田一春彦]]『日本語』(岩波新書、旧版)が77万部、[[大野晋]]『日本語の起源』(岩波新書、旧版)が36万部出版された。1974年には[[丸谷才一]]『[[日本語のために]]』(新潮社)が50万部、大野晋『日本語をさかのぼる』(岩波新書)が50万部出版された<ref>見坊 豪紀 (1977)「日本語ブームの回顧と展望」『辞書と日本語』(玉川大学出版部)は、1975年頃の日本語ブームを検証した文章である。</ref>。
 
 
 
その後、1999年の大野晋『日本語練習帳』(岩波新書)は190万部を超えるベストセラーとなった(2008年時点)<ref>{{Cite news|url=http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20080603bk07.htm|title=岩波新書 「現代」つかみ続けて70年|newspaper=YOMIURI ONLINE|publisher=読売新聞社|date=2008-06-03}}{{リンク切れ|date=2017年9月}}</ref>。さらに、2001年に[[齋藤孝 (教育学者)|齋藤孝]]『声に出して読みたい日本語』(草思社)が140万部出版された頃から、出版界では空前の日本語ブームという状況になり、おびただしい種類と数の一般向けの日本語関係書籍が出た<ref>以上、部数の数字は『朝日新聞』夕刊 2002年11月18日付による。</ref>。
 
 
 
2004年には[[北原保雄]]編『問題な日本語』(大修館書店)が、当時よく問題にされた語彙・語法を一般向けに説明した。翌2005年から2006年にかけては、テレビでも日本語をテーマとした番組が多く放送され、大半の番組で日本語学者がコメンテーターや監修に迎えられた。「[[タモリのジャポニカロゴス]]」(フジテレビ 2005~2008)、「[[クイズ!日本語王]]」(TBS 2005~2006)、「[[三宅式こくごドリル]]」(テレビ東京 2005~2006)、「[[Matthew's Best Hit TV|Matthew's Best Hit TV+]]・なまり亭」(テレビ朝日2005~2006。方言を扱う)、「[[合格!日本語ボーダーライン]]」(テレビ朝日 2005)、「[[ことばおじさんのナットク日本語塾]]」(NHK 2006~2010)など種々の番組があった。
 
 
 
===日本語特殊論===
 
<!--
 
総論的記述にふさわしくない。「日本語論」などの小項目に記載すべき
 
一般的に言われる日本語特殊論は次の通りである。
 
*表記体系が群を抜いて複雑
 
*メジャーな言語の中でSOV構造を持つ
 
*音節文字をもつ
 
*敬語体系がある
 
*擬態語が豊富
 
*母音の数が少ない
 
これらのうち、表記体系については実際に際だった特殊性があると言って良いだろう。3種もの表記体系が複雑に混ざり合って用いられる言語は世界でも類を見ない。他の特徴については必ずしも日本語だけに見られるものではなく、したがって特殊と見なすことは適切でないか、もしくは特殊性の度合いについて議論が必要である。--><!--
 
敬語についても、[[#待遇表現]]の項にあるように他の言語にも見られ、日本語だけの特殊性とはいうことはできない。ただし、世界的に見て同項で挙げられているような発達した敬語体系は多くはないので、やや特殊な部類に入るとは言うことができる。-->
 
日本語が特殊であるとする論は、近代以降しばしば提起されている。極端な例ではあるが、戦後、[[志賀直哉]]が「日本の国語程、不完全で不便なものはないと思ふ」として、[[フランス語]]を[[国語]]に採用することを主張した<ref>志賀 直哉 (1964)「国語問題」『改造』1946年4月号(1974年の『志賀直哉全集 第7巻』(岩波書店)p.339-343 に収録)。</ref>([[国語外国語化論]])。また、1988年には、[[国立国語研究所]]所長・野元菊雄が、外国人への日本語教育のため、文法を単純化した「簡約日本語」の必要性を説き、論議を呼んだ<ref>野元 菊雄 (1979)「「簡約日本語」のすすめ―日本語が世界語になるために」『言語』8-3などですでに主張されていたが、論議が起こったのは1988年のことである。</ref><ref group="注">ただし、[[自然言語]]を単純化して新しい[[国際補助語]]を作る試みは「簡約日本語」のほかにも例があり、「[[ベーシック英語]]」、「[[スペシャル・イングリッシュ]]」、「[[無活用ラテン語]]」などがそれである。</ref>。
 
 
 
このように、日本語を劣等もしくは難解、非合理的とする考え方の背景として、近代化の過程で広まった欧米中心主義があると指摘される<ref name="P">柴谷 方良 (1981)「日本語は特異な言語か?」『言語』12-12。</ref><ref name="Q">松村 一登 (1995)「世界の中の日本語―日本語は特異な言語か」『アジア・アフリカ言語文化研究所通信』84。</ref>。戦後は、消極的な見方ばかりでなく、「日本語は個性的である」と積極的に評価する見方も多くなった。その変化の時期はおよそ[[1980年代]]であるという<ref name="Q"/>。いずれにしても、日本語は特殊であるとの前提に立っている点で両者の見方は共通する。
 
 
 
日本語特殊論は日本国外でも論じられる。外交官養成教育を行う[[アメリカ合衆国国務省|アメリカ国務省]]の下部組織である Foreign Service Institute (FSI) は、日本語を[[中国語]]・[[アラビア語]]などとともに、レベル4(習得に時間の掛かる、最も難解な言語群)に分類している<ref>千野 栄一 (1999)『ことばの樹海』(青土社)</ref>(ただしこれは英語話者から見ての指摘であって、あくまでも相対的な見方を示すものである)。[[エドウィン・O・ライシャワー|E. ライシャワー]]によれば、日本語の知識が乏しいまま、日本語は明晰でも論理的でもないと不満を漏らす外国人は多いという。ライシャワー自身はこれに反論し、あらゆる言語には曖昧・不明晰になる余地があり、日本語も同様だが、簡潔・明晰・論理的に述べることを阻む要素は日本語にないという<ref>Edwin O. Reischauer (1977) ''The Japanese'', Tokyo: Charles E. Tuttle, p.385-386.</ref>。今日の言語学において、日本語が特殊であるという見方自体が否定的である。たとえば、日本語に5母音しかないことが特殊だと言われることがあるが、[[クラザーズ]]の研究によれば、209の言語のうち、日本語のように5母音を持つ言語は55あり、類型として最も多いという。また語順に関しては、日本語のように [[SOV型|SOV構造]]を採る言語が約45%であって最も多いのに対して、英語のように[[SVO型|SVO構造]]を採る言語は30%強である(ウルタン、スティール、グリーンバーグらの調査結果より)。この点から、日本語はごく普通の言語であるという結論が導かれるとされる<ref name="P"/>。また言語学者の角田太作は語順を含め19の特徴について130の言語を比較し、「日本語は特殊な言語ではない。しかし、英語は特殊な言語だ」と結論している<ref>角田 太作 (1991)『世界の言語と日本語』(くろしお出版)。</ref>。これらは統計の基準を言語数としたものであり、代わりに話者数を基準とすれば異なった順位付けが得られるが、その場合でも5母音体系には話者数4位のスペイン語が、SOV構造には話者数3位のヒンディー語がある等、特殊であるという結論には達しがたい。
 
 
 
かつてジャーナリスト森恭三は、日本語の語順では「思想を表現するのに一番大切な動詞は、文章の最後にくる」ため、文末の動詞の部分に行くまでに疲れて、「もはや動詞〔部分で〕の議論などはできない」と記している<ref>森 恭三 (1959)『滞欧六年』(朝日新聞社)。</ref>。このように、動詞が最後に来ることを理由に日本語を曖昧、不合理と断ずる議論は多い。しかし、文の中では「誰が、何を、どこで」など、述語以外の部分のほうが情報として重要な場合も多く、これらの部分を述語の前に置く妥当性もまた無視しえない。
 
 
 
また、[[計算機科学]]者の[[村島定行]]の主張によれば、古くから日本人が文字文化に親しみ、庶民階級の識字率も比較的高水準であったのは、日本語には表意文字(漢字)と表音文字(仮名)の2つの文字体系を使用していたからだという<ref name="murashima"/>。もちろん、表意・表音文字の二重使用は、日本語で唯一無比というわけではなく、[[朝鮮における漢字|韓文漢字]]や[[女真文字]]など、[[漢字文化圏]]なら日本語以外においてでも認められる現象である<ref>金 文京 (2010) 『漢文と東アジア』(岩波書店)。</ref>。漢字文化圏以外でも、[[マヤ文字]]や[[ヒエログリフ]]などにおいては、表意文字と表音文字の使い分けが存在していたという。さらに、もっぱら表音文字のみを使用する言語でも、音声よりもむしろその綴字に重きを置かれる[[ヘブライ語]]のような言語では、表意・表音の並列処理という点で日本語と共通の特徴をもつという指摘もある<ref name="uchida_2009">内田 樹 (2009) 『日本辺縁論』(新潮社)</ref>。ただ、漢字と仮名を巧みに組み合わせることは、日本語における特徴的な利点であると、村島と同様の主張をする者は多い。一方で、[[カナモジカイ]]のように、数種類の文字体系を使い分けることの不便さを主張する者も存在し、両者の間で論争は絶えない。
 
 
 
日本語における語順や音韻論、もしくは表記体系などを取り上げて、それらを日本人の文化や思想的背景と関連付け、日本語の特殊性を論じる例もある。しかし、大体においてそれらの説は、手近な英語や中国語などの言語との差異を牧歌的に列挙するにとどまり、言語学的根拠に乏しいものが多い([[サピア=ウォーフの仮説]]も参照)。近年では日本文化の特殊性を論する文脈であっても、出来るだけ多くの文化圏を俯瞰し、総合的な視点に立った主張が多く見られるという<ref name="uchida_2009"/>。
 
 
 
[[村山七郎]]は、「外国語を知ることが少ないほど日本語の特色が多くなる」という「反比例法則」を主張したという<ref>グロータース, W. A./柴田 武 [訳] (1984)「日本語には特色などない」『私は日本人になりたい―知りつくして愛した日本文化のオモテとウラ』(大和出版 グリーン・ブックス56)p.181-182。</ref>。日本人自らが日本語を特殊と考える原因としては、身近な他言語がほぼ[[英語]]のみであることが与って大きい。もっとも、日本語が[[インド・ヨーロッパ語族|印欧語]]との相違点を多く持つことは事実である。そのため、[[対照言語学]]の上では、印欧語とのよい比較対象となる。
 
 
 
日本語成立由来という観点からの諸研究については『[[日本語の起源]]』を参照のこと。
 
 
 
==辞書==
 
{{main|国語辞典}}
 
===古代から中近世===
 
日本では古く漢籍を読むための[[辞典|辞書]]が多く編纂された。国内における辞書編纂の記録としては、天武11年(682年)の『新字』44巻が最古であるが(『[[日本書紀]]』)、伝本はおろか逸文すらも存在しないため、書名から漢字字書の類であろうと推測される以外は、いかなる内容の辞書であったかも不明である。
 
 
 
[[奈良時代]]には『[[楊氏漢語抄]]』や『[[弁色立成]](べんしきりゅうじょう)』という辞書が編纂された。それぞれ逸文として残るのみであるが、和訓を有する漢和辞書であったらしい。現存する最古の辞書は[[空海]]編と伝えられる『[[篆隷万象名義]]』(9世紀)であるが、中国の『[[玉篇]]』を模した部首配列の漢字字書であり、和訓は一切ない。10世紀初頭に編纂された『[[新撰字鏡]]』は伝本が存する最古の漢和辞書であり、漢字を部首配列した上で、和訓を万葉仮名で記している。[[平安時代]]中期に編纂された『[[和名類聚抄]]』は、意味で分類した[[漢語]]におおむね和訳を万葉仮名で付したもので、漢和辞書ではあるが百科辞書的色彩が強い。[[院政|院政期]]には過去の漢和辞書の集大成とも言える『[[類聚名義抄]]』が編纂された。同書の和訓に付された豊富な[[声点]]により院政期のアクセント体系はほぼ解明されている。
 
 
 
[[鎌倉時代]]には百科辞書『[[二中歴]]』や詩作のための実用的韻書『[[平他字類抄]]』、語源辞書ともいうべき『[[塵袋]]』や『[[名語記]](みょうごき)』なども編まれるようになった。[[室町時代]]には、読み書きが広い階層へ普及し始めたことを背景に、漢詩を作るための韻書『[[聚分韻略]]』、漢和辞書『[[倭玉篇]](わごくへん)』、和訳に通俗語も含めた国語辞書『[[下学集]]』、日常語の単語をいろは順に並べた通俗的百科辞書『[[節用集]]』などの辞書が編まれた。[[安土桃山時代]]最末期には、[[イエズス会]]のキリスト教宣教師によって、日本語とポルトガル語の辞書『[[日葡辞書]]』が作成された。
 
 
 
[[江戸時代]]には、室町期の『節用集』を元にして多数の辞書が編集・刊行された。易林本『節用集』『[[書言字考節用集]]』などが主なものである。そのほか、俳諧用語辞書を含む『[[世話尽]]』、語源辞書『[[日本釈名]]』、俗語辞書『[[志布可起]](しぶがき)』、枕詞辞書『[[冠辞考]]』なども編纂された。
 
 
 
===近現代===
 
[[明治|明治時代]]に入り、1889年から[[大槻文彦]]編の小型辞書『[[言海]]』が刊行された。これは、古典語・日常語を網羅し、五十音順に見出しを並べて、品詞・漢字表記・語釈を付した初の近代的な[[国語辞典|日本語辞書]]であった。『言海』は、後の辞書の模範的存在となり、後に増補版の『大言海』も刊行された。
 
 
 
その後、広く使われた小型の日本語辞書としては、金沢庄三郎編『辞林』、[[新村出]]編『辞苑』などがある。[[第二次世界大戦]]中から戦後にかけては金田一京助編([[見坊豪紀]]執筆)『[[明解国語辞典]]』がよく用いられ、今日の『[[三省堂国語辞典]]』『[[新明解国語辞典]]』に引き継がれている。
 
 
 
中型辞書としては、第二次世界大戦前は『大言海』のほか松井簡治・上田万年編『大日本国語辞典』などが、戦後は新村出編『[[広辞苑]]』などが広く受け入れられている。現在では林大編『言泉』、松村明編『[[大辞林]]』をはじめ、数種の中型辞書が加わっている他、唯一にして最大の大型辞書『[[日本国語大辞典]]』(約50万語)がある。
 
  
 
==脚注==
 
==脚注==
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===注釈===
 
 
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===出典===
+
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==関連項目==
 
{{Sisterlinks
 
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*[[国学]]
 
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==外部リンク==
 
*[http://www.bunka.go.jp/seisaku/kokugo_nihongo/ 国語施策・日本語教育|政策について] - [[文化庁]]
 
*[http://www.ninjal.ac.jp/ 国立国語研究所]{{ja icon}}
 
*[https://www.jpling.gr.jp/ 日本語学会]{{ja icon}}
 
*[http://www.nkg.or.jp/ 日本語教育学会]{{ja icon}}
 
*[http://www.coelang.tufs.ac.jp/mt/ja/ 日本語] - [[東京外国語大学]]言語モジュール{{ja icon}}
 
*[http://www.ethnologue.com/show_language.asp?code=jpn Ethnologue report for language codejpn] - [[国際SIL]]{{en icon}}
 
 
 
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日本語(にほんご、にっぽんご[注 1]

日本の国語。歴史的には3世紀頃から日本語とみられる単語が中国の文献などにみえはじめる。

奈良時代は,『古事記』『万葉集』などにより,一応の全体的姿がわかる時期である。上代特殊仮名遣の名前で知られる現象があり,6つの母音が音韻的に区別され,かつ母音調和の痕跡とみられる現象が認められる。一方,東歌,防人歌などから,中央方言と著しく異なる東国方言が存在していたことがわかる。中古になると,母音はいまと同じ5母音体系となり,音便が発生した。文字も万葉がなからできた片仮名ひらがなが用いられはじめた。その後期には音韻変化の結果,発音といろは 47仮名との間にずれができ,かなづかいの問題が生じた。中世は古代語的世界の最後の時期で,かなり近代語的になる。動詞・形容詞の連体形が終止形を駆逐した。近世には上方語に対立するものとして江戸語が勢力を伸ばし,やがて東京語が標準語となる足場を固めた。

文法的には二段活用の一段化が完成。明治期には欧米の近代思想を輸入し,翻訳の必要から多くの漢語を用い,また新しく多くの漢字語をつくった。最近は西洋語,特に英語からの外来語がふえつつある。系統問題では他言語との親族関係は未確立である。朝鮮語と同系の可能性があり,それがさらにアルタイ諸語へつながるかもしれないが,未証明である。一方,南方系説,混合語説もあるが,言語学的証明からは遠い。

中国語からは言語的にも文化的にも大きな影響を受けたが,音韻構造,文法構造などが著しく異なり,朝鮮語・アルタイ諸語よりも日本語に近い親族関係を有することはありえない。琉球方言は明らかに本土方言と同系で,奈良時代以前に両者が分れたと認められる。

琉球方言では宮古がほかと大きく異なる特徴を有している。八丈島方言は奈良時代東国方言の系統をひくもので,中央方言からの分岐年代は琉球方言と同様著しく古いと考えられるが,本土方言の同化的影響をはなはだしく受け,わずかに動詞・形容詞などに特異点を保っている。

脚注

  1. 「にっぽんご」を見出し語に立てている国語辞典は日本国語大辞典など少数にとどまる。