日本史

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日本列島がいかにして更新世のアジア大陸から分離し、その過程でいかにして最初の人類がこの列島に住みついたかについては、地球の歴史の領域に譲らざるをえない。第2次世界大戦後、その存在が証明された旧石器時代に始る日本人のもつ長い歴史も、西暦紀元以前はまったく記録を欠き、記録された歴史は紀元後に始る。かつて「大八洲(おおやしま)」と呼び、「倭(わ)」と呼ばれ、「やまと」と称し、大化以降「日本」の国号を用いてきた日本の歴史は、古くから、あるいは天皇中心の国家の理念に照して、あるいは仏教、儒教の世界観に照して論究されたが、明治以降はさらに近代ヨーロッパの歴史学の成果を吸収しつつ、研究され、論述されて今日にいたった。とりわけ第2次世界大戦後は、長い間神話やタブーによって直視できなかった分野も忌憚なく研究され、日本歴史の展開は、世界史の一環として、その展開に即して再構成されるようになった。その成果は、時代区分の仕方にもはっきりと現れた。

かつて広く採用された時代区分は神代と人代に分け、人代を政権の所在地を基準として大和時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土・桃山時代、江戸時代に分け、東京時代の代りに明治・大正・昭和の元号による時代区分を加えたものであり、また、ヨーロッパでルネサンス以降広く用いられた古代・中世・近代(近世)にならって、上世(上代)・中世・近世の呼び名を用いてこれに最近世を加えることもあった。

これに対して現在では、考古学の研究成果や、経済・政治・文化が構造的にかかわり合う社会構成の特質を考えて、世界の諸国家・諸民族の歴史との比較可能な基準を求める努力の成果として、原始共産制社会、古代奴隷制社会、中世封建社会、近代資本主義社会、現代帝国主義社会の5分法がかなり普及し、必ずしもこうした区分を文字どおり用いない場合でも、これと従来の区分法とを併用した時代区分を用いることが多くなった。その際、世界史的な意味での中世は、通常、狭義の中世と近世に分けられる。

こうして、本項目でも、近年広く用いられている原始・古代・中世・近世・近代・現代の6区分を採用し、原始を先縄文文化の時代、縄文文化の時代、弥生文化の時代として、古代に先行する時代を概観したのち、古代を4世紀の大和朝廷の統一から平氏政権の没落まで、中世を鎌倉幕府の成立より室町幕府の滅亡まで、近世を織豊政権(しょくほうせいけん)の成立より江戸幕府の倒壊まで、近代を王政復古より第2次世界大戦の終結までとし、戦後を現代として近代から分立させた。