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[[国際連合教育科学文化機関|UNESCO]]の[[世界遺産]]リストは後世に伝えるべき「顕著な普遍的価値」を持つ[[文化遺産 (世界遺産)|文化遺産]]や[[自然遺産 (世界遺産)|自然遺産]]の一覧であるが、登録理由となった要素が失われたと[[世界遺産委員会]]によって判断された資産<ref group = "注釈">世界遺産リストに掲載されている文化財や自然保護区は公式には「資産」(property) と呼ばれる({{Harvnb|日本ユネスコ協会連盟|2010|p=31}}ほか)。</ref>などは、リストから抹消されることもある。そのような'''抹消された世界遺産'''は2017年の[[第41回世界遺産委員会]]終了時点で2件存在している。UNESCOの[[世界遺産センター]]が公表している世界遺産リストでは、それらの物件は打ち消し線を引かれた状態で掲載されている。なお、その2件以外にも、過去に抹消の可能性が[[世界遺産委員会]]の審議で俎上に載せられた資産は複数存在している。
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{{テンプレート:20180815sk}} __NOINDEX__
 
 
世界遺産センターが英文で deletion と表現する手続きについて、日本では「抹消」と訳す文献<ref>{{Harvnb|世界遺産検定事務局|2010|p=221}}</ref>と、「削除」と訳す文献<ref>{{Harvnb|日本ユネスコ協会連盟|2013|pp=41,44}}</ref>がある。また、抹消された世界遺産について、「'''元・世界遺産'''」と表現する文献<ref>{{Harvnb|佐滝|2009}}</ref>もある。
 
 
 
== 規定 ==
 
[[世界遺産条約]]には、世界遺産リストからの資産の抹消に関する規定は存在しない。しかし、「世界遺産条約履行のための作業指針」(以下、「作業指針」)には、以下のような規定が存在する。
 
{{Quotation|192. 委員会は、世界遺産一覧表からの登録抹消に係る手続きとして、以下の手順を採択した。<br /> a) 世界遺産一覧表への登録を決定づけた資産の特徴が失われるほど資産の状態が悪化していた場合。<br /> b) 世界遺産資産の本来の特質が、登録推薦の時点で既に人間の行為により脅かされており、かつ、その時点で締約国によりまとめられた必要な改善措置が、予定された期間内に実施されなかった場合 ( 第116段落参照)。<br />193. 世界遺産一覧表登録資産の状況に深刻な劣化があった場合、又は、必要な改善措置が、予定された機関<!--引用元の原文ママ-->内に実施されなかった場合、当該資産を有する締約国は事務局に対して、その旨を通知すること。<br />194. 事務局が、そのような情報を、関係締約国以外の情報源から入手した場合は、当該締約国と協議の上、情報源及び情報の内容について可能な限り確認を行い締約国からのコメントを求める。<br />195. 事務局は、関係諮問機関に対して、受け取った情報に対するコメントを求める。<br />196. 委員会は、入手したすべての情報を審議し決定を行う。条約第13条第3項に従い、決定は出席しかつ投票した委員会メンバーの2/3以上の多数による議決で行う。この問題に関して事前に当該締約国と協議を行うまでは、委員会は登録抹消を決議することはできない。<br />197. 委員会決議は当事締約国に通知される。委員会は、直ちに本決議について公示する<br />198. 委員会の決議により、世界遺産一覧表を変更する必要がある場合は、次に発行される世界遺産一覧表更新版において変更が反映される。|「作業指針」第192段落から第198段落|日本の[[文化庁]]による翻訳<ref>[http://bunka.nii.ac.jp/special_content/h_13_4C 世界遺産条約履行のための作業指針](文化庁)(2015年9月15日閲覧)</ref><ref group = "注釈">[[第39回世界遺産委員会]](2015年)終了時点での「作業指針」は2015年版であるが、ここで引用した段落は2015年版の英語本文([http://whc.unesco.org/en/guidelines/ The Operational Guidelines for the Implementation of the World Heritage Convention] / 段落番号も同じ)と対照してもごく微細な変更しか存在しないため、文化庁の翻訳はより古いバージョンからの翻訳ではあるが、あえてそれを引用した。なお、誤字と思われるもの等はそのままである。</ref>}}
 
 
第192段落の規定にあるように、登録された後に状態が悪化して抹消される場合と、懸念材料を抱えた状態で登録され、そのまま改善が見込めずに抹消される場合がある。後述するように、前者に該当するのが[[ドレスデン・エルベ渓谷]]の事例であり、後者に該当するのが[[アラビアオリックスの保護区]]の事例である。顕在的ないし潜在的脅威が存在する資産については[[危機にさらされている世界遺産]](危機遺産)リストに記載して、国際的な支援を促すことが行われているが、状態の悪化が即座に抹消に繋がるとは限らない。たとえば、[[ターリバーン]]によって大仏が破壊された後に世界遺産登録された「[[バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群]]」([[アフガニスタンの世界遺産]]、2003年登録)のような事例もある<ref>{{Harvnb|佐滝|2009|pp=51-52}}</ref>。
 
 
 
なお、規定で何も言及がない通り、抹消に先立って[[危機にさらされている世界遺産]](危機遺産)リストに記載されていることは必須要件ではない。実際、アラビアオリックスの保護区の場合、危機遺産登録期間なしに登録を抹消された。
 
 
 
== 抹消された事例 ==
 
抹消された世界遺産は以下の通りである。
 
{| class="wikitable"
 
|+ 抹消された世界遺産の一覧
 
! 資産名 !! 保有国 !! 世界遺産登録年 !! 登録時の適用[[世界遺産#世界遺産登録基準|基準]] !! 危機遺産登録期間 !! 抹消年
 
|-
 
! [[アラビアオリックスの保護区]]
 
| {{OMN}} || 1994年 || (10) || なし || 2007年
 
|-
 
! [[ドレスデン・エルベ渓谷]]
 
| {{DEU}} || 2004年 || (2), (3), (4), (5) || 2006年 - 2009年 || 2009年
 
|}
 
 
 
=== アラビアオリックスの保護区 ===
 
[[ファイル:Arabian_oryx_(oryx_leucoryx).jpg|thumb|アラビアオリックス([[アラブ首長国連邦|UAE]]で撮影された画像)]]
 
{{Main|アラビアオリックスの保護区}}
 
アラビアオリックスの保護区は[[オマーン]]が1982年に設定した自然保護区であり、1994年に世界遺産リストに登録された。まっすぐ伸びた2本の角を持つ[[ウシ科]]の[[アラビアオリックス]]は、[[ユニコーン]]のモデルとも言われるが、角を目当てにした乱獲によって、1972年に一度は[[野生絶滅]]に追い込まれた<ref name = mizumura>{{Harvnb|講談社|2002|p=230}}</ref>。オマーン国王はジダット・アル・ハラシース平原に保護区を設定し、アメリカ動植物保護協会から譲り受けたアラビアオリックスの再導入を試みた<ref name = mizumura />。この資産の審議にあたり、世界遺産委員会の諮問機関(自然遺産分野)である[[国際自然保護連合]] (IUCN) は、保護管理面の不備を理由に「[[世界遺産#世界遺産委員会の決議|登録延期]]」を勧告したが、委員会でオマーン代表がしかるべき対応をとることを約束したことから登録が認められた<ref name = nihon08_p38 />。
 
 
 
ところが、オマーン政府は2007年1月に、自然保護区の範囲を27,500[[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]]から2,824 km<sup>2</sup>へと大幅に縮減した<ref name = shimotsuma_p16>{{Harvnb|下間|2007|p=16}}</ref>。実に約90 %におよぶ縮減である。この背景には[[天然ガス]]・[[石油]]などの資源開発優先の意向があった<ref>{{Harvnb|日本ユネスコ協会連盟|2008|pp=15, 38}}</ref>。この縮減は世界遺産委員会に無届けで行われたものであり、IUCNは世界遺産としての顕著な普遍的価値が失われたとして、「抹消」を勧告した<ref name = nihon08_p38 />。
 
 
 
委員会では抹消に躊躇する意見も複数出され、投票に持ち込まれたものの、抹消支持は13票で決議に必要な3分の2(21か国中14か国以上の賛成)に届かなかった<ref name = shimotsuma_p16 />。その後、ワーキンググループによる検討を経て、再び委員会審議になり、
 
委員国から以下のような反対意見が寄せられた。
 
{{Quotation|顕著な普遍的価値が損なわれ、単に一覧表から削除するだけなら、世界遺産委員会は一体何のためにあるのか|インド代表<ref name = oppose>{{Harvnb|下間|2007|p=17}}より引用。</ref>}}
 
{{Quotation|これは遺産保有国だけでなく、世界遺産委員会の失敗であるとも言えよう。削除する前にできるだけの努力をするべきである|日本代表<ref name = oppose />}}
 
しかし、オマーン当局が開発優先の意向を堅持したため、抹消と決議された<ref name = nihon08_p38 />。なお、登録時点で改善を約束した代表者と、抹消時点で開発優先を明示した代表者は同一人物である<ref name = nihon08_p38 />。これが世界遺産リストから抹消された初の事例である。
 
 
 
=== ドレスデン・エルベ渓谷 ===
 
{{Main|ドレスデン・エルベ渓谷}}
 
[[ファイル:Dresden-Altstadt_von_der_Marienbruecke-II.jpg|thumb|ドレスデンの夜景]]
 
[[ファイル:Waldschlößchenbrücke_-_Dresden,_Germany_-_DSC09119.JPG|thumb|ヴァルトシュレスヒェン橋と周辺の景観]]
 
ドレスデン・エルベ渓谷は、[[ドイツの世界遺産]]の一つとして2004年に登録された。18世紀に「[[エルベ川]]の[[フィレンツェ]]」の異名をとった歴史的な都市[[ドレスデン]]とその周辺、[[ユービガウ城]]から[[ピルニッツ城]]までのエルベ川沿岸約18 [[キロメートル|km]] が対象であった<ref name = academy2009>{{Harvnb|世界遺産アカデミー|世界遺産検定事務局|2009|p=217}}</ref>。ドレスデンには、18世紀には[[マイセン]]で築いた巨富を背景に華々しい建造物群が建てられ、19世紀には工業都市として成長する中で[[ネオ・ルネサンス様式]]の[[ゼンパー・オーパー]](歌劇場)などが建てられた<ref name = academy2009 />。世界遺産としては、ドレスデンとその周辺に残る歴史的建造物群のみならず、周辺の自然と一帯になった[[文化的景観]]としての登録であった<ref>{{Harvnb|佐滝|2009|pp=53, 56}}</ref>。
 
 
 
しかし、ドレスデンには[[第二次世界大戦]]以前から大規模な架橋計画が存在していた<ref>{{Harvnb|日本ユネスコ協会連盟|2010|p=35}}</ref>。その具体的な建設に向けた[[住民投票]]が2005年2月に実施され、橋({{仮リンク|ヴァルトシュレスヒェン橋|en|Waldschlösschen Bridge}})の建設が決まった<ref name = nihon08_p38>{{Harvnb|日本ユネスコ協会連盟|2008|p=38}}</ref>。そこで、翌年の第30回世界遺産委員会で危機遺産リストに加えられるとともに、建設が開始されたならば、世界遺産リストからの抹消もありうると決議された<ref>{{Harvnb|平澤|2006|p=50}}</ref>。
 
 
 
ドレスデンの住民投票では、賛成した場合に世界遺産リストから抹消されうるという危険性が周知されていなかったとして、若年層を中心に反対意見が出されることとなった<ref>{{Harvnb|佐滝|2009|p=57}}</ref>。また、委員会の決定を受け、ドレスデンの市議会では建設中止が決議されたが、これを州政府が拒否し、ザクセン州裁判所と連邦憲法裁判所も支持した<ref name = nihon08_p38 />。しかし、すぐさま建設が強行されなかったことから、2007年の[[第31回世界遺産委員会]]では、ひとまず結論は先送りとされた<ref name = nihon08_p38 />。この時期のドイツでは、世界遺産委員会の姿勢に対する不満なども報じられていたという<ref>{{Harvnb|下間|2007|p=18}}</ref>。
 
 
 
[[第32回世界遺産委員会]](2008年)の時点で既に工事が始まっていたが、ドレスデン市当局が計画の変更などを模索している旨の報告があり<ref>{{Harvnb|日本ユネスコ協会連盟|2009|p=40}}</ref>、建設の撤回とすでに着工された部分の復元を条件になおも1年の猶予が与えられることとなった<ref>{{Harvnb|西|2008|p=14}}</ref>。しかし、ドレスデン州議会が建設の推進を決議し、2008年11月に上部構造の建設が始まると、もはや不可逆の状態に至ったものとして、翌年の[[第33回世界遺産委員会]]で抹消が決議された<ref name = nihon10_p35>{{Harvnb|日本ユネスコ協会連盟|2010|p=35}}</ref>。第32回の時点で着工されていたこともあり、この第33回委員会では抹消やむなしという雰囲気があったという<ref>{{Harvnb|西|2009|p=37}}</ref>。形式的にオマーン当局による要請という形になったアラビアオリックスの保護区と異なり、世界遺産委員会が主体的に抹消を決議した最初の事例である<ref name = nihon10_p35 />。
 
 
 
決議では付帯事項として、文化的景観としての完全性は損なわれたものの、顕著な普遍的価値を有する部分も残ることから、異なる資産範囲と価値基準での再推薦を妨げない旨が盛り込まれた<ref>{{Harvnb|古田|古田|2013|p=132}}</ref><ref>{{Harvnb|佐滝|2009|p=60}}</ref>。なお、問題となったヴァルトシュレスヒェン橋は、2013年8月に開通しており<ref>{{Harvnb|木曽|2015|p=25}}</ref>、再推薦は当然これを除外したものとなるはずである。しかし、その具体的な区域設定には難航も予想されている<ref>{{Harvnb|七澤|2010|p=58}}</ref>。少なくとも、第39回世界遺産委員会(2015年)終了時点では、ドイツの[[世界遺産#暫定リスト|暫定リスト]](世界遺産推薦候補)18件にドレスデン関連は含まれていない<ref>[http://whc.unesco.org/en/statesparties/de Germany - State Party](UNESCO WHC)(2015年9月16日閲覧)</ref>。
 
 
 
== 登録範囲の縮小 ==
 
{{Double image stack|right|Bagrati_cathedral,_Georgia.jpg|Katedra_Bagrati.JPG|180|バグラティ大聖堂<br />(上・再建前、下・再建後)}}
 
世界遺産リストに登録された資産は、その価値を強化する構成資産を拡大登録することがしばしば見られる。しかし、逆に登録範囲が縮小された事例も存在する。中世[[グルジア王国|グルジア(ジョージア)]]建築の傑作として世界遺産登録された「[[ゲラティ修道院]]」([[ジョージアの世界遺産]]、1994年登録・2017年縮小)がそれである。
 
 
 
この資産は、もともと「[[バグラティ大聖堂]]と[[ゲラティ修道院]]」として登録されたものだった。しかし、バグラティ大聖堂の大規模な再建計画を理由に、2010年に危機遺産リストに登録された<ref>{{Harvnb|古田|古田|2013|p=107}}</ref>。バグラティ大聖堂の再建案は、世界遺産としての[[世界遺産#完全性と真正性|完全性と真正性]]を満たさなくなるとの危惧からである<ref>{{Harvnb|日本ユネスコ協会連盟|2011|pp=26, 30}}</ref>。その再建工事が実際に行なわれ、世界遺産としての顕著な普遍的価値が失われたと判断されたことから、バグラティ大聖堂を世界遺産リストから抹消し、ゲラティ修道院単独での登録に切り替える申請がなされたのである。
 
 
 
最初に俎上に載ったのは[[第39回世界遺産委員会]]でのことだった。世界遺産委員会の諮問機関である[[国際記念物遺跡会議]] (ICOMOS) は、ゲラティ修道院単独でもその顕著な普遍的価値の証明は可能と判断したが、保存計画の不備などから「情報照会」を勧告した。委員会審議でもその判断が踏襲されたため、「情報照会」決議となり<ref>{{Harvnb|World Heritage Centre|2015|p=215}}</ref>、バグラティ大聖堂のリストからの抹消はひとまず見送られた。しかし、条件を整えて再度俎上に載せられた[[第41回世界遺産委員会]]では、ICOMOSも縮小の「承認」を勧告し、委員会でも承認が決議された。結果、世界遺産登録名は「ゲラティ修道院」となり、危機遺産リスト登録理由が解消されたことから、危機遺産リストから除去された<ref>[http://whc.unesco.org/en/news/1692 Gelati Monastery, Georgia, removed from UNESCO’s List of World Heritage in Danger (Monday, 10 July 2017 at 13:00)]([[世界遺産センター]]、2017年7月14日)</ref>。
 
{{-}}
 
 
 
== 回避された事例 ==
 
過去には世界遺産リストからの抹消の可能性が検討されたものの、回避された事例も存在する。以下のリストは登録年順に並べてあるので、問題が顕在化した時期は前後している場合がある。
 
 
 
{| class="wikitable"
 
! 画像 !! 資産名 !! 保有国 !! 登録年 !! 分類 !! 危機遺産登録期間
 
|-
 
| rowspan = "2" | [[ファイル:Garamba_National_Park_overhead.jpg|180px]] || '''[[ガランバ国立公園]]''' || {{COD}} || 1980年 || 自然 || 1984年 - 1992年、1996年 -
 
|-
 
| colspan="5" style="text-align:left"| ガランバ国立公園は[[キタシロサイ]]の貴重な生息地域であり、かつては1,000頭以上が生息していた<ref>{{Harvnb|平山|2006|p=100}}</ref>。しかし、密猟のほか、近隣諸国の内戦や政情不安によって流入した兵士らによる殺戮により、2005年12月時点でのキタシロサイの生息数は10頭以下となっていた<ref>{{Harvnb|日本ユネスコ協会連盟|2007|pp=21, 26}}</ref>。その年7月の第29回世界遺産委員会では、翌年の委員会の時点でキタシロサイが確認されなかった場合の、登録抹消の可能性が指摘された<ref>{{Harvnb|平山|2006|p=101}}</ref>。その後、2012年の[[第36回世界遺産委員会]]ではついに[[野生絶滅]]に至った可能性が認められたが、登録抹消ではなくキタシロサイの再導入などによる環境改善が勧告されるにとどまった<ref>{{Harvnb|World Heritage Centre|2012|p=15}}</ref>。
 
|-
 
| rowspan = "2" | [[ファイル:Kakadu_2803.jpg|180px]] || '''[[カカドゥ国立公園]]''' || {{AUS}} || 1981年 || 複合 || なし
 
|-
 
| colspan="5" style="text-align:left"| カカドゥ国立公園はすぐれた[[岩絵]]群が残る[[アボリジニ]]の聖地であるとともに、固有の[[生物相]]を多く含む自然保護区である<ref name = nihon00_p56>{{Harvnb|日本ユネスコ協会連盟|2000|p=56}}</ref>。しかし、一帯には豊富な[[ウラン]]鉱脈が存在し、1979年の[[国立公園]]設定時点で開発予定区域が除外されていた<ref name = nihon00_p56 />。そして、除外された地区の一つであるジャビルカ地区でのウラン採掘事業が、自然と文化的伝統の双方にとって脅威になるとして反対運動が起こった<ref name = nihon00_p56 />。この計画については世界的な注目を集め、危機遺産登録を要請する声が高まった<ref>{{Harvnb|平山|2006|p=164}}</ref>。2000年の第24回世界遺産委員会ではひとまず危機遺産登録も回避されたものの<ref name = nihon00_p56 />、当時UNESCO事務局長だった[[松浦晃一郎]]はこの審議を後に振り返り、登録抹消の可能性も視野に入っていたが、それを是が非でも回避しようとするオーストラリア当局が開発延期を決めたと述べた<ref>{{Harvnb|日本ユネスコ協会連盟|2010|p=15}}</ref>。
 
|-
 
| rowspan = "2" | [[ファイル:Kdom.jpg|180px]] || '''[[ケルン大聖堂]]''' || {{DEU}} || 1996年 || 文化 || 2004年 - 2006年
 
|-
 
| colspan="5" style="text-align:left"| ケルン大聖堂は、1248年から1880年まで中断を挟んで600年以上を費やして建設された大聖堂で<ref>{{Harvnb|古田|古田|2013|p=128}}</ref>、「[[ゴシック建築]]の最高峰」と評されることもある<ref>{{Harvnb|佐滝|2009|p=54}}</ref>。その[[尖塔]]の高さ157 [[メートル|m]]は、完成当時には世界最高を誇った<ref>{{Harvnb|小林|2009|p=113}}</ref>。問題となったのは周辺の開発で、[[ケルン]]の傑出した[[ランドマーク]]であった大聖堂の象徴性を弱める高層建築群が計画されていた<ref name = nihon07_p38>{{Harvnb|日本ユネスコ協会連盟|2007|p=38}}</ref>。そのため、2004年には危機遺産リストに登録され、景観問題を理由とする初の事例となった<ref name = nihon07_p51 />。そして、第29回世界遺産委員会(2005年)で登録当時の大臣書簡(周辺環境に留意する旨の文言があった)との齟齬が問題視され、「作業指針」第192段落bに抵触する可能性が指摘されたことで、次回での登録抹消の可能性が明記された<ref>{{Harvnb|日本ユネスコ協会連盟|2006|p=45}}</ref>。ケルン市当局は当初、都市の発展を理由として規制に消極的だったが、登録抹消による観光収入悪化への懸念などもあり、最終的には建造物群の高さ規制に踏み切った<ref name = nihon07_p38 />。これにより、危機遺産登録は2006年に解除された。
 
|-
 
| rowspan = "2" | [[ファイル:Wien,_Karlskirche_und_TU.jpg|180px]] || '''[[ウィーン歴史地区]]''' || {{AUT}} || 2001年 || 文化 || 2017年 -
 
|-
 
| colspan="5" style="text-align:left"| ウィーン歴史地区は、古代ローマ時代以来の歴史を持つ[[ウィーン]]において、中世から近代までの時代ごとに異なる多様な建造物群が保存された地区である<ref>{{Harvnb|世界遺産アカデミー|世界遺産検定事務局|2009|pp=173-176}}</ref>。また同時に、「音楽の都」として、ヨーロッパ音楽史の発展と密接に結びついてきた都市でもある<ref>{{Harvnb|世界遺産アカデミー|世界遺産検定事務局|2009|p=175}}</ref>。しかし、2001年の世界遺産リスト登録直後に、緩衝地域での高層ビル建築計画が明らかになり、世界遺産委員会ではそのまま実行された場合、世界遺産リストから抹消すべきという提案まで出されることとなった<ref name = nihon07_p51>{{Harvnb|日本ユネスコ協会連盟|2007|p=51}}</ref>。このケースでは計画が修正されたため、抹消はもちろん、危機遺産リストに記載されることも回避された<ref name = nihon07_p51 />。2005年には世界遺産条約締約国会議で「世界遺産と現代建築に関するウィーン覚書」が発せられ、都市の景観保護の重要性なども謳われた<ref>{{Harvnb|世界遺産検定事務局|2016|p=40}}</ref>。しかし、再び高層建築を含む再開発計画が持ち上がり、2017年に危機遺産リスト入りし、登録抹消の可能性も出てきている<ref>「ウィーン 世界遺産取り消し? 再開発見直し ユネスコ要求」『[[読売新聞]]』2017年7月8日朝刊6面</ref>。
 
|-
 
| rowspan = "2" | [[ファイル:Miroir_d'eau_place_de_la_Bourse.JPG|180px]] || '''[[月の港ボルドー]]''' || {{FRA}} || 2007年 || 文化 || なし
 
|-
 
| colspan="5" style="text-align:left"| [[ボルドー]]は[[ガロンヌ川|ガロンヌ]]河岸の三日月状の屈曲部に発達したことから、「月の港」の異名を持つ<ref name = lune>{{Harvnb|世界遺産アカデミー|世界遺産検定事務局|2009|p=148}}</ref>。貿易港として繁栄した18世紀に築かれた[[古典主義建築]]・[[新古典主義建築]]群が残る<ref name = lune />。しかし、世界遺産登録直後に歴史的な[[旋回橋]]が取り壊され、代替橋が計画されていることが明らかになったため、登録翌年の[[第32回世界遺産委員会]]では、次回の登録抹消を視野に入れた決議がなされた<ref>{{Harvnb|日本ユネスコ協会連盟|2009|p=40}}</ref>。その[[第33回世界遺産委員会]]ではICOMOSが代替橋の影響を限定的としたのに対し、[[世界遺産センター]]が逆の評価を下し、両論併記される形で委員会審議に掛けられた<ref>{{Harvnb|日本ユネスコ協会連盟|2010|pp=35-36}}</ref>。結局、フランス当局に更なる改善が要請されるにとどまり、それ以上の対応はなされなかった<ref>{{Harvnb|日本ユネスコ協会連盟|2010|p=36}}</ref>。
 
|}
 
 
 
== 脚注 ==
 
=== 注釈 ===
 
{{reflist|group = "注釈"}}
 
 
 
=== 出典 ===
 
{{reflist|2}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
* {{Citation|author=World Heritage Centre|author-link=世界遺産センター|year=2012|title= Decisions adopted by the World Heritage Committee at its 36th session (Saint-Petersburg, 2012) (WHC-12/36.COM/19)|url= http://whc.unesco.org/document/117760}}
 
* {{Citation|author=World Heritage Centre|year=2015|title= Decisions adopted by the World Heritage Committee at its 39th session (Bonn, 2015)(WHC-15/39.COM/19)|url= http://whc.unesco.org/document/137710}}
 
* {{Citation|和書|last=木曽|first=功|author-link=木曽功|year=2015|title=世界遺産ビジネス|series=[[小学館新書]]|publisher=[[小学館]]|isbn=9784098252473}}
 
* {{Citation|和書|last1=城戸|first1=一夫|author1-link=城戸一夫|last2=吉岡|first2=淳|author2-link=吉岡淳|last3=吉田|first3=正人|author3-link=吉田正人|last4=目黒|first4=正武|author4-link=目黒正武|last5=中元|first5=千恵子|author5-link=中元千恵子|year=2008|title=世界遺産検定公式基礎ガイド2008年版|publisher=[[マイナビ|毎日コミュニケーションズ]]|isbn=9784839927202}}([[世界遺産アカデミー]]監修)
 
* {{Citation|和書|editor=講談社|editor-link=講談社|year=2002| title=オールカラー完全版 世界遺産第3巻 アジア(1)|series=[[講談社+α文庫]]|publisher=講談社|isbn=4062566265}}([[水村光男]]監修)
 
* {{Citation|和書|last=小林|first=克己|year=2009|title=世界遺産 一度は行きたい100選 ヨーロッパ|publisher=[[JTBパブリッシング]]|isbn=9784533074813}}
 
* {{Citation|和書|last=佐滝|first=剛弘|year=2009|title=「世界遺産」の真実 - 過剰な期待、大いなる誤解|series=[[祥伝社新書]]|publisher=[[祥伝社]]|isbn=9784396111854}}
 
* {{Citation|和書|last=下間|first=久美子|year=2007|title=第31回世界遺産委員会の概要|magazine=月刊文化財|issue=529|pages=13-18}}
 
* {{Citation|和書|author1=世界遺産検定事務局|author1-link=世界遺産検定|author2=世界遺産アカデミー|author2-link=世界遺産アカデミー|year=2009|title=世界遺産検定公式テキスト (2) 欧州の伝統と南洋の大自然|publisher=毎日コミュニケーションズ|isbn=9784839929831}}
 
* {{Citation|和書|author=世界遺産検定事務局|year=2010|title=世界遺産検定公式ガイド300|publisher=毎日コミュニケーションズ|isbn=9784839934736}}(世界遺産アカデミー監修)
 
* {{Citation|和書|author=世界遺産検定事務局|author-link=世界遺産検定|year=2016|title=すべてがわかる世界遺産大事典〈上〉|publisher=[[マイナビ出版]]|isbn=978-4-8399-5811-4}}([[世界遺産アカデミー]]監修)
 
* {{Citation|和書|last=七澤|first=利明|year=2010|title=ドイツエルベ川における橋の建設と世界遺産タイトルの抹消について - 世界遺産の保持、環境保全、住民投票と建設事業に関する一連の動き|magazine=PRI Review|issue=35|pages=50-59|publisher=[[国土交通政策研究所]]}}
 
* {{Citation|和書|last=西|first=和彦|year=2008|title=第32回世界遺産委員会の概要|magazine=月刊文化財|issue=541|pages=10-15}}
 
* {{Citation|和書|last=西|first=和彦|year=2009|title=第33回世界遺産委員会の概要|magazine=月刊文化財|issue=553|pages=36-39}}
 
* {{Citation|和書|editor=日本ユネスコ協会連盟|editor-link=日本ユネスコ協会連盟|year=2000|title=世界遺産年報2000|publisher=[[平凡社]]|isbn=4582714021}}
 
* {{Citation|和書|editor=日本ユネスコ協会連盟|year=2006|title=世界遺産年報2006|publisher=[[平凡社]]|isbn=4582714080}}
 
* {{Citation|和書|editor=日本ユネスコ協会連盟|year=2007|title=世界遺産年報2007|publisher=[[日経ナショナル ジオグラフィック社]]|isbn=9784931450882}}
 
* {{Citation|和書|editor=日本ユネスコ協会連盟|year=2008|title=世界遺産年報2008|publisher=日経ナショナル ジオグラフィック社|isbn=9784863130210}}
 
* {{Citation|和書|editor=日本ユネスコ協会連盟|year=2009|title=世界遺産年報2009|publisher=日経ナショナル ジオグラフィック社|isbn=9784863130623}}
 
* {{Citation|和書|editor=日本ユネスコ協会連盟|year=2010|title=世界遺産年報2010|publisher=[[東京書籍]]|isbn=9784487804375}}
 
* {{Citation|和書|editor=日本ユネスコ協会連盟|year=2011|title=世界遺産年報2011|publisher=[[東京書籍]]|isbn=9784487805181}}
 
* {{Citation|和書|editor=日本ユネスコ協会連盟|year=2013|title=世界遺産年報2013|publisher=[[朝日新聞出版]]|isbn=978402272433}}
 
* {{Citation|和書|last=平澤|first=毅|year=2006|title=第30回世界遺産委員会(ヴィリニュス会議)報告|magazine=月刊文化財|issue=518|pages=48-51}}
 
* {{Citation|和書|last=平山|first=郁夫(監修)|author-link=平山郁夫|title=SOS世界危機遺産|series=[[小学館文庫]]|publisher=[[小学館]]|isbn=4094187049}}
 
* {{Citation|和書|last1=古田|first1=陽久|author1-link=古田陽久|last2=古田|first2=真美|author2-link=古田真美|year=2013|title=世界遺産事典 - 2014改訂版|publisher=シンクタンクせとうち総合研究機構}}
 
 
 
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