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(内容を「{{政治家 |人名 = 扇 千景 |各国語表記 = おおぎ ちかげ<br/>林 寛子<br/>はやし ひろこ |画像 = Chikage Ogi 2006.png |画像説明 = 扇千景(2…」で置換)
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|出身校 = [[宝塚音楽学校]]
 
|出身校 = [[宝塚音楽学校]]
 
|前職 = [[俳優|女優]]
 
|前職 = [[俳優|女優]]
|現職 = [[靖国神社崇敬奉賛会]]会長
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|所属政党 = (自由民主党→)<br/>([[新生党]]→)<br/>([[新進党]]→)<br/>([[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]→)<br/>([[保守新党|保守党]]→)<br/>([[保守新党]]→)<br />[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]
 
|称号・勲章 = [[旭日大綬章]]<br />[[桐花大綬章]](女性初)<BR/>[[大韓民国]][[勲章#大韓民国|修交勲章光化章]]<BR/>[[台湾]]一等景星勲章<br />[[参議院]]永年在職議員
 
|親族(政治家) = [[長男]]・[[中村鴈治郎 (4代目)|4代目中村鴈治郎]]<br/>次男・[[中村扇雀 (3代目)|3代目中村扇雀]]<br />[[孫]]・[[中村虎之介]]
 
|配偶者 = [[坂田藤十郎 (4代目)|4代目坂田藤十郎]]
 
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|職名 = 第26代 [[参議院議長]]
 
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|当選回数 =
 
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|退任日 = [[2007年]][[7月28日]]
 
|退任理由 = 自身の国会引退のため
 
|国旗2 = JPN
 
|職名2 = 初代・2代 [[国土交通大臣]]
 
|内閣2 = [[第2次森内閣 (改造 中央省庁再編後)|第2次森改造内閣(中央省庁再編後)]]<br/>[[第1次小泉内閣]]<br/>[[第1次小泉内閣 (第1次改造)|第1次小泉第1次改造内閣]]
 
|就任日2 = [[2001年]][[1月6日]]
 
|退任日2 = [[2003年]][[9月22日]]
 
|退任理由2 =
 
|国旗3 = JPN
 
|職名3 = 第69代 [[建設大臣]]<br />第36代 [[国土庁|国土庁長官]]
 
|内閣3 = [[第2次森内閣]]<br />[[第2次森内閣 (改造 中央省庁再編前)|第2次森改造内閣(中央省庁再編前)]]
 
|就任日3 = [[2000年]][[7月4日]]
 
|退任日3 = [[2001年]][[1月6日]]
 
|退任理由3 =
 
|国旗4 = JPN 
 
|職名4 = 78代  [[運輸大臣]]<br/ >
 
第72代 [[北海道開発庁|北海道開発庁長官]]
 
|内閣4 = [[第2次森改造内閣 (中央省庁再編前) ]]
 
|就任日4 = [[2000年]][[12月5日]]
 
|退任日4 = [[2001年]][[1月6日]]
 
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|選挙区5 = ([[全国区]]→)<br/>[[比例代表|比例区]]<ref>[[参議院議員通常選挙]]の[[全国区制]]は1983年に[[比例代表制]]に改定された。比例代表制は当初、厳正拘束名簿式だったが、2001年に非拘束名簿式に改定されている。</ref>
 
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'''扇 千景'''(おおぎ ちかげ、[[1933年]]〈[[昭和]]8年〉[[5月10日]] - )は、[[日本]]の[[俳優|女優]](元[[宝塚歌劇団]]娘役)、[[政治家]]。<!--2008年5月25日に-->[[靖国神社崇敬奉賛会]]<!--の-->会長(第3代)<!--に就任した-->。本名、'''林 寛子'''(はやし ひろこ)。旧姓、木村(きむら)。<!--[[血液型]]は[[ABO式血液型|B型]]。-->[[兵庫県]][[神戸市]]出身。
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'''扇 千景'''(おおぎ ちかげ、[[1933年]]〈[[昭和]]8年〉[[5月10日]] -
  
[[位階]]・[[称号]]は[[旭日大綬章]]、[[桐花大綬章]](女性初)、[[大韓民国]][[勲章#大韓民国|修交勲章光化章]]、[[台湾]]一等景星勲章、[[フランス|フランス共和国]][[ボジョレーワイン|ボージョレーワイン]]委員会・フランス食品振興会認定[[名誉騎士|コンパニヨン・デュ・ボージョレー騎士]]。
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昭和後期-平成時代の女優,政治家。
  
[[参議院議員]](5期)、[[科学技術庁|科学技術]][[政務次官]]([[鈴木善幸内閣 (改造)|鈴木善幸改造内閣]])、[[保守新党|保守党]][[党首]](初代)、[[運輸大臣]]([[第2次森内閣 (改造 中央省庁再編前)|第78代]])、[[建設大臣]]([[第2次森内閣 (改造 中央省庁再編前)|第69代]])、[[北海道開発庁長官]]([[第2次森内閣 (改造 中央省庁再編前)|第72代]])、[[国土庁長官]]([[第2次森内閣 (改造 中央省庁再編前)|第36代]])、[[国土交通大臣]]([[第2次森内閣 (改造 中央省庁再編後)|初代]]・[[第1次小泉内閣|第2代]])、[[参議院議長]](第26代・女性として初)などを歴任した。
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昭和8年5月10日生まれ。神戸高をでて,宝塚音楽学校にまなぶ。29年から映画で活躍。33年中村扇雀(3代鴈治郎)と結婚。のちテレビの司会やドラマで人気を得,52年自民党の全国区から参議院議員(当選5回)。新生党,新進党をへて,平成10年自由党に属す。12年保守党結成で党首,第2次森連立内閣の建設相,国土庁長官。13年初代国土交通相。同年小泉連立内閣で国土交通相に再任。16年参議院議長。兵庫県出身。本名は林寛子。
  
夫である[[坂田藤十郎 (4代目)|4代目坂田藤十郎]](本名:林宏太郎)との間に、歌舞伎役者の長男・[[中村鴈治郎 (4代目)|4代目中村鴈治郎]](本名:林智太郎)、次男・[[中村扇雀 (3代目)|3代目中村扇雀]](本名:林浩太郎)がいる。夫の妹は女優の[[中村玉緒]]である。
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{{テンプレート:20180815sk}}
 
 
== 経歴 ==
 
=== 生い立ち ===
 
[[兵庫県]][[神戸市]][[須磨区]]に銀行員の父・木村松太郎、母・みさゑの三女として生まれる。[[兵庫県立神戸高等学校]]卒業後、[[大学]]進学を望んでいたが、父親の強い希望により大学進学をあきらめる。その代わりに友人が勝手に願書を送付したために、父親への反発もあったことから、受験して合格した[[宝塚音楽学校]]に進学する。[[宝塚歌劇団]]入団時の成績は51人中4位だった<ref name='thundred'>監修:[[小林公一]]『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』([[阪急コミュニケーションズ]]、[[2014年]][[4月1日]])pp.52-53。ISBN 9784484146010</ref>。[[宝塚歌劇団41期生]]。宝塚歌劇団在団時の愛称は'''カン子'''(本名の寛子から)。
 
 
 
=== 宝塚歌劇団 ===
 
[[1954年]]4月に『[[春の踊り (1954年の宝塚歌劇)|春の踊り]]』で初舞台を踏む。同期生に[[内重のぼる]](元[[月組 (宝塚歌劇)|月組]]トップスター)、武蔵野裕美([[森奈みはる]]の母)、白菊八千代([[出雲綾]]の母)、日夏悠理([[小山田宗徳]]夫人)らがいる。宝塚歌劇団の意向により、[[八千草薫]]と共に新設された[[専科 (宝塚歌劇)|映画専科]]に編入する。宝塚歌劇団在団中の同年10月に[[宝塚映像|宝塚映画]]『快傑鷹 第一篇 蛟竜風雲の巻』で[[映画]]デビューを果たす。以降も[[テレビドラマ]]や映画に出演し、[[1956年]]には『夜霧の女』で[[春日野八千代]]の相手役として盲目の少女ジェニイを演じ、新人演劇賞を受賞した。
 
 
 
=== 女優時代 ===
 
[[1957年]][[5月31日]]付<ref name='thundred'/>で[[歌舞伎]]役者の[[坂田藤十郎 (4代目)|2代目中村扇雀(後の4代目坂田藤十郎)]]との結婚のため退団。[[1958年]]に結婚し、しばらく芸能活動から遠ざかった。しかし、知人の薦めにより日本教育テレビ(現:[[テレビ朝日]])制作の単発テレビドラマ『君はいま何を見つめている』([[1959年]][[10月29日]]放送)に出演。この作品で第14回[[芸術祭 (文化庁)|文部省芸術祭]]個人奨励賞を受賞し、再デビューする。芸能界に復帰してからは映画やテレビドラマなどに多数出演し、[[1965年]]の[[連続テレビ小説]]『[[たまゆら (テレビドラマ)|たまゆら]]』([[日本放送協会|NHK]])や[[1968年]]の『[[大奥 (1968年のテレビドラマ)|大奥]]』([[関西テレビ放送|関西テレビ]])、『[[花は散るらん]]』([[東海テレビ放送|東海テレビ]])などに出演した。
 
 
 
[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の主婦向け[[ワイドショー]]『[[3時のあなた]]』で司会を4年間担当したほか、[[富士フイルム]]の[[8ミリ映画|8ミリカメラ]]の[[コマーシャルメッセージ|CM]]で「'''わたしにも写せます'''」のフレーズが人気を集めたことも有名である。これまでに出演した映画は53作品に上る。
 
 
 
=== 参議院議員 ===
 
[[自由民主党総裁]][[福田赳夫]]や[[自由民主党幹事長|幹事長]][[大平正芳]]らの要請を受け、[[1977年]]7月、[[第11回参議院議員通常選挙]]に[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]公認候補として[[全国区]]から立候補し初当選する。当時は[[タレント政治家|タレント候補]]の一人と評された。自民党内では当初、福田率いる[[清和会]]に属した。[[1989年]]の[[第15回参議院議員通常選挙]]では次点で落選したが、[[1993年]]に[[山岡賢次]]が[[第40回衆議院議員総選挙]]出馬に伴い自動失職したため[[繰上当選]]。
 
 
 
[[1994年]]に自民党を離党して[[新生党]]に入党し、同年[[12月10日]]の[[新進党]]結党に参加する。[[1995年]]、[[第17回参議院議員通常選挙]]比例区で再選した。新進党解党後は[[小沢一郎]]率いる[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]結党に参画し、自由党が自民党と連立を組んだことで再び[[与党]]議員となった。
 
 
 
[[2000年]]4月、[[自公連立政権|与党連立政権]]を離脱した小沢らと袂を分かち、[[海部俊樹]]や[[野田毅]]、[[二階俊博]]ら25名の議員とともに[[保守新党|保守党]]を結成して初代党首に就任する。
 
 
 
=== 運輸大臣・建設大臣 ===
 
[[第2次森内閣 (改造 中央省庁再編前)|第2次森改造内閣(省庁再編前)]]では[[建設大臣]]兼[[国土庁]][[長官]]として初入閣する。[[中央省庁再編]]に備えて[[運輸大臣]]、[[北海道開発庁長官]]も兼務した。
 
 
 
==== 建設行政のイメージアップ策 ====
 
建設大臣時代は、内閣支持率が低迷する中で[[若築建設事件]]で接待を受けた建設官僚の名前を公表し、「建設白書」や防災服デザインの見直しなどの施策を打ち出したことで、森内閣のイメージアップ策に寄与した<ref name ="kankai2000-11" >「森政権六ヶ月の「功」の部分」『月刊官界』2000年11月</ref>。
 
 
 
==== 三宅島噴火への対処 ====
 
運輸大臣・建設大臣時代の扇の仕事の一つには、[[2000年]]6月末から[[噴火]]して段階的に拡大していった[[三宅島]]の全島民避難([[9月2日]]より実施)の指揮が含まれる<ref name ="kennsetsugyoukai2004-1">[http://www.dokokyo.or.jp/ce/ce0401/tokusyu_01.html 日本が歩むべき道 -将来に希望を持てる国にするために-]梅田貞夫(日本土木工業会会長)扇千影『建設業界』2004年1月<br />公共工事入札・契約適正化法成立の裏事情などが語られている。</ref>。
 
 
 
==== 公共工事入札・契約適正化法の立法 ====
 
後年、『建設業界』誌の対談で語ったところによれば、扇は建設畑は未知で、国会に設置されている建設委員会の委員経験もなかった。しかし、森から与えられた機会を活かし、せめて持論の「一閣僚一仕事」程度は全うしようと考えた。当時、扇が気にかけていたのは、職員の士気が停滞しており、世間ではマスコミの報道によって「[[公共工事]]」イコール「悪」という認識が大手を振っていたように見えたことであった。
 
 
 
事実、扇自身も、自らの起用理由が[[第1次橋本内閣]]で建設大臣の地位にあった[[中尾栄一]]の[[石橋産業事件|汚職事件]]に起因することは意識していた。これらの問題を解決するため、扇は、汚職の原因である[[入札制度]]について世界中の事例を調査するように命じた。[[フランス]]、[[ドイツ]]、[[イタリア]]で施行されている「公共工事基本法」を参考とし、公共工事の入札の透明化を図るため、[[公共工事の入札及び契約の適正化の促進に関する法律|公共工事入札契約適正化法]]を作成することを課題とした。法案提出に当たっての問題は、公共工事の所管が各省庁に分散しており、調整作業を通常の慣行で実施した場合に5年はかかると見込まれたことであった。そこで扇は総理の森に直訴したところ、森は「扇君が建設大臣として公共工事の基本法をつくろうとしているから、関係の省庁は挙げて協力するように」と閣議で指示した。その結果、法案提出は3か月で達成され、同法は成立に至った<ref name ="kennsetsugyoukai2004-1"/><ref name ="kankai2000-11"/>。
 
 
 
=== 初代国土交通大臣 ===
 
[[File:Nameboard of Ministry of Land, Infrastructure, Transport and Tourism (2014.05.07) 2.jpg|thumb|90px|国土交通省の看板。扇が[[揮毫]]した。]]
 
中央省庁再編に伴い[[第2次森内閣 (改造 中央省庁再編前)|第2次森改造内閣(省庁再編後)]]が発足すると、そのまま初代[[国土交通大臣]]に就任した。初代国土交通大臣としての初会見では、自らを「[[扇子|扇]]の要」であると発言した。首都圏の空港問題に絡めて[[東京国際空港|羽田空港]]に地理的利便性があることを理由に「首都圏空港の国内線は羽田、国際線は[[成田国際空港|成田]]」という原則を崩して羽田の国内・国際共用を匂わせる発言をしたが、この発言に[[成田国際空港|成田空港]]の地位低下を危惧した[[千葉県]]が反発した。
 
 
 
引き続き[[第1次小泉内閣]]から[[第1次小泉内閣 (第1次改造)|第1次小泉第1次改造内閣]]まで国土交通大臣を務める。この間、[[第19回参議院議員通常選挙]]で史上初の[[非拘束名簿式]]比例代表で再選したが、保守党の当選者が扇のみであったことの責任をとり、[[2001年]][[9月17日]]、保守党党首の座を[[野田毅]]に譲った。
 
 
 
[[無閉塞運転#鹿児島線列車追突事故|鹿児島線列車追突事故]]では、停止信号下での列車進入を許容する「無閉塞運転」存続にこだわる鉄道局に強い指導性を発揮し、通信手段確保により「列車指令の許可のない無閉塞運転の禁止」(=閉塞指示運転採用)を決めさせている。[[日本共産党]][[衆議院議員]][[瀬古由起子]]の質問通告を受けて、[[九州旅客鉄道|JR九州]]・[[西日本旅客鉄道|JR西日本]]・[[東海旅客鉄道|JR東海]]を翻意させ、同種の事故を繰り返させた省庁としての監督責任追及質問をかわしたが、国会質問を介して、扇・瀬古とも自分の専門ではない技術分野に具体的に踏み込んで省庁側見解を改めさせた珍しい例である。
 
 
 
ちなみに[[国土交通大臣]]時代、「[[宝塚歌劇団]]」「[[梨園]]の妻」「[[政治家]]」の中で最も大変だったのはどれかとの問いに、躊躇なく「宝塚歌劇団」と回答している。
 
 
 
=== 参議院議長 ===
 
保守党の解党により[[保守新党]]が結成されると党参議院議員会長に就任し、[[2003年]][[11月21日]]に保守新党が解党されると、自民党総裁[[小泉純一郎]]と幹事長[[安倍晋三]]の誘いで9年7か月ぶりに自民党に復党する。[[2004年]][[7月30日]]、第26代[[参議院議長]]に選出された。女性が参議院議長に就くのは憲政史上初めてで、衆参両院でも第68代[[衆議院議長]][[土井たか子]]に次ぎ2人目だった。
 
 
 
[[2007年]]5月、[[第21回参議院議員通常選挙|次期参院選]]への不出馬と政界からの[[引退]]を表明する。引退後は夫と2人で互助新婚生活をしてみたいと語った。
 
 
 
== 公的場面での通名(芸名)使用 ==
 
[[国会議員]]は、日本国民の代表として、[[国会 (日本)|国会]]で[[立法]]に参画して[[行政]]にもの申す立場であり、行政機関の一員ではないため、通名使用が認められている。しかし、[[国務大臣]]・政務次官などに任ぜられた場合は、議員としての立場とは別に、[[日本国政府]]の行政機関の一員として公文書を発し、時に国務大臣などの肩書きで、日本国民の権利・義務・許認可を左右することがあるため、[[説明責任]]明確化の観点から芸名の使用は認められていない。
 
 
 
このため、立法府の長である[[参議院議長]]としては、公式にも芸名の「'''扇千景'''」が用いられ、国土交通大臣などの行政官としても、記者会見・ウェブサイト・テレビ出演などの[[政府広報]]のような、権力の行使が直接伴わない場面では芸名が用いられたが、国務大臣任命の[[官記]]、国務大臣名義の公文書などの発出・署名など、権力・権限に関連する部分では、全て本名の「'''林寛子'''」が用いられた。
 
 
 
閣議口頭了解([[平成]]12年([[2000年]])[[7月4日]]付)は、次の通りである。
 
{{Quotation|建設大臣・国土庁長官である扇千景(本名:林寛子)国務大臣の名前については、今後、政府代表等への任命行為及び許可等対外的な法律上の行為については林寛子名を使用し、それ以外は扇千景名を使用することとする。}}
 
 
 
== エピソード ==
 
=== 阪急電車の追突事故 ===
 
[[ファイル:Hankyu Kasuganomichi Station accident.jpg|thumb|260px|[[1948年]](昭和23年)[[9月8日]]に発生した追突事故を報じる[[神戸新聞]]]]
 
[[1948年]][[9月8日]]、[[春日野道駅 (阪急)|阪急春日野道駅]]付近で発生した電車追突事故に巻き込まれ、肩の骨を[[複雑骨折]]して入院した。この際、見舞いに訪れた[[阪急電鉄|阪急]]の責任者・中田大三(後の[[神戸電鉄]]社長)が扇の父に「娘さんを[[宝塚歌劇団]]に預けてみませんか」と打診したところ、扇の父は激怒したという<ref>『坂田藤十郎 扇千景 ― 夫婦の履歴書』([[日本経済新聞出版社]]、2008年10月)p156より。該当部分の初出は[[日本経済新聞]]2008年4月3日朝刊 「[[私の履歴書]] 扇千景」</ref>。ただし、この事故が扇の宝塚歌劇団入団のきっかけになったとする文献もある<ref>『阪急電車駅めぐり 神戸線の巻』(阪急電鉄、1980年)p95</ref>。
 
 
 
=== 皇室 ===
 
; 香淳皇后崩御とイブニングドレス
 
: [[第2次森内閣]]で[[建設大臣]]、[[国土庁長官]]、研究・学園都市担当大臣、土地対策担当大臣、首都機能移転担当大臣に任命され、[[皇居]]宮殿での認証式に臨んだが、{{要出典範囲|date=2014年5月15日 (木) 04:43 (UTC)|その際の服装に[[報道機関|マスコミ]]や服飾評論家から批判が挙がった。これは、[[香淳皇后]][[崩御]]により[[皇室]]が当時は喪中であったにも拘わらず、扇が華麗な[[イブニングドレス]]を着用していたためである}}。
 
 
 
=== コマーシャル ===
 
[[保守新党|保守党]]が、[[2001年]]の[[第19回参議院議員通常選挙]]用に制作したテレビ[[コマーシャル]]「ホシュピタル編」では、国政を治療するというコンセプトで、[[看護師]]に[[コスプレ]]して登場した。コマーシャルの撮影は、[[国会議事堂]]内で行われた。最後に巨大な[[注射器]]のイミテーションを抱えた扇がアップになり、「私にも治せます」と決めゼリフを発するカットがあるが、この部分は[[#宝塚・女優時代|上述]]の8ミリカメラのコマーシャル(「私にも写せます」)の[[パロディ]]である。
 
 
 
=== 家族 ===
 
2人の愛息とその嫁、そして内孫たちには自分のことを「ママ」とよばせている。嫁は第三者に姑のことをきかれるとき、扇のことを「扇のママ」と呼称する。
 
 
 
今でも[[宝塚音楽学校]]への絶対的尊敬感情は厚く、変わらないとされる。次男・[[中村扇雀 (3代目)|3代目扇雀]]の長女が生れる前、「私の心残りは息子二人、孫も男児二人だったので、娘(孫娘)を宝塚に行かせてやれなかったことだ」と語っていた<ref>扇千景『できることできないこと』(世界文化社、2001年5月)</ref>。[[2002年]]、次男・扇雀に第二子となる長女(扇にとって3人目の孫)が生まれた時の扇の喜びようは相当なものだったと伝えられている(扇雀の長女は「歌舞伎役者の娘なので、今後和服を着る機会は多くなる」という理由で、洋装の[[:en:christening gown|ベビードレス]]を着せて宮参りをした)。
 
 
 
== 略歴 ==
 
* [[1933年]]5月 - [[兵庫県]][[神戸市]][[須磨区]]で出生。
 
* [[1952年]]3月 - [[兵庫県立神戸高等学校]]卒業。
 
* [[1954年]] - [[宝塚歌劇団]]入団([[宝塚歌劇団41期生|41期生]])。
 
* [[1957年]]5月 - 宝塚歌劇団退団。
 
* [[1958年]]10月 - [[坂田藤十郎 (4代目)|2代目中村扇雀(後の4代目坂田藤十郎)]]と結婚。
 
* [[1959年]]2月 - [[中村鴈治郎 (4代目)|長男(後の4代目中村鴈治郎)]]を出産。
 
* [[1960年]]
 
** 第14回[[芸術祭 (文化庁)#文部科学大臣賞(芸術祭賞)|文部省芸術祭]]個人奨励賞受賞。
 
** 12月 - [[中村扇雀 (3代目)|次男(後の3代目中村扇雀)]]を出産。
 
* [[1977年]]7月 - [[参議院議員]]に初当選。
 
* [[1978年]]12月 - [[参議院]]交通安全対策特別委員会理事に就任。
 
* [[1979年]]12月 - 参議院内閣委員会理事、参議院エネルギー対策特別委員に就任。
 
* [[1980年]]7月 - 参議院科学技術特別委員会理事、日本[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]国内委員に就任。
 
* [[1981年]]12月 - [[科学技術庁|科学技術]][[政務次官]]に就任。
 
* [[1983年]]6月 - 再選。[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]科学技術部会長に就任。
 
* [[1985年]]6月 - 参議院[[文部科学委員会|文教委員長]]に就任。
 
* [[1986年]] - 自由民主党婦人局長に就任。
 
* [[1989年]]7月 - 落選。
 
* [[1993年]]9月 - 繰上当選(3選)。参議院規制緩和に関する特別委員長に就任。
 
* [[1994年]]
 
** 5月 - 参議院[[予算委員会]]筆頭理事に就任。
 
** 自由民主党を離党し[[新生党]]に入党。
 
** 12月 - [[新進党]]結党に参画。
 
* [[1995年]]7月 - 4選。[[懲罰委員会]]理事に就任。
 
* [[1998年]]1月 - [[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]結党に参画。自由党参議院幹事長に就任。
 
* [[2000年]]
 
** 4月 - 自由党と袂を分かち[[保守新党|保守党]]結党。保守党初代党首・参議院議員会長に就任。
 
** 12月 - [[運輸大臣]]、[[建設大臣]]、[[北海道開発庁長官]]、[[国土庁長官]]に就任。
 
* [[2001年]]
 
** 1月 - 初代[[国土交通大臣]]に就任。
 
** 7月 - 5選。
 
* [[2002年]]12月 - [[保守新党]]結党に参画。保守新党参議院議員会長に就任。
 
* [[2003年]] - 自由民主党に復党。
 
* [[2004年]]7月 - [[参議院議長]]に就任(女性初)。
 
* [[2007年]] - 政界引退。
 
* [[2010年]] - [[桐花大綬章]]受章(女性初)。
 
 
 
== 選挙歴 ==
 
{|class = "wikitable"
 
|-
 
!当落!!選挙!!施行日!!選挙区!!政党!!得票数!!得票率!!<small>得票順位<br/>/候補者数</small>!!比例区!!<small>比例順位<br/>/候補者数</small>
 
|-
 
|当||[[第11回参議院議員通常選挙]]||1977年7月10日||[[全国区]]||[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]||style="text-align: right;"|'''790,022'''||style="text-align: right;"|''''''||style="text-align: right;"|'''28'''/102|| - || -
 
|-
 
|当||[[第13回参議院議員通常選挙]]||1983年6月26日||[[比例代表|比例区]]||自由民主党||style="text-align: right;"|''''''||style="text-align: right;"|''''''||style="text-align: right;"|''''''||第16位|| -
 
|-
 
|繰当||[[第15回参議院議員通常選挙]]||1989年7月23日||比例区||自由民主党||style="text-align: right;"|''''''||style="text-align: right;"|''''''||style="text-align: right;"|''''''||第16位|| -
 
|-
 
|当||[[第17回参議院議員通常選挙]]||1995年7月23日||比例区||[[新進党]]||style="text-align: right;"|''''''||style="text-align: right;"|''''''||style="text-align: right;"|''''''||第2位|| -
 
|-
 
|当||[[第19回参議院議員通常選挙]]||2001年7月29日||比例区||[[保守新党|保守党]]||style="text-align: right;"|'''610,212'''||style="text-align: right;"|'''91.7'''||style="text-align: right;"|'''1'''/5|| - || -
 
|-
 
!colspan="11"|当選回数5回 (参議院議員5)
 
|}
 
 
 
== 栄典 ==
 
* [[旭日大綬章]](2003年)
 
* [[大韓民国|韓国]][[勲章#大韓民国|修交勲章光化章]](2005年)
 
* [[台湾]]一等景星勲章(2008年)
 
* [[桐花大綬章]](2010年)
 
 
 
== 主な出演作 ==
 
{{sectstub}}
 
=== 舞台 ===
 
==== 宝塚歌劇団退団後 ====
 
* 喜劇 [[四谷怪談]](1969年、[[帝国劇場]])
 
 
 
=== 映画 ===
 
* [[快傑鷹#1954年版|怪傑鷹]](1954年、[[東宝]])
 
** 第一篇 蛟竜風雲の巻 - 美鈴 役
 
** 第二篇 奔流怒涛の巻 - 美鈴 役
 
** 第三篇 剣風乱舞の巻 - 美鈴 役
 
*[[照る日くもる日]](1954年、東宝)
 
** 前篇 - 妙 役
 
** 後篇 - 妙 役
 
*[[岩見重太郎 決戦天の橋立]](1954年、東宝) - お継 役
 
*[[初恋ワルツ]](1995年、東宝) - 鶴子 役
 
*[[右門捕物帖]] 献上博多人形(1955年、東宝) - こずえ 役
 
*[[海の小扇太]](1955年、東宝) - 亜矢 役
 
*[[女の学校]](1955年、東宝) - 相沢雪子 役
 
*[[復讐浄瑠璃坂]](1955年、東宝)
 
** 第一部 鬼伏峠の襲撃 - 菊乃 役
 
** 第二部 暁の血戦 - 菊乃 役
 
*[[白井権八]](1956年、東宝) - 織江 役
 
*[[鞍馬天狗 御用盗異変]](1956年、東宝) - お滝 役
 
*[[恋すがた狐御殿]](1956年、東宝) - あけみ 役
 
*[[疾風!鞍馬天狗]](1956年、東宝) - お縫 役
 
*[[箱入娘と番頭]](1956年、東宝) - 妙子 役
 
*[[お初の片恋]](1956年、東宝) - おまつ 役
 
*[[男の花道]](1956年、東宝) - お市ちゃん 役
 
*[[アチャコ行状記 嫁取り試験]](1956年、東宝) - 清子 役
 
*[[てんてん娘]](1956年、東宝)
 
** 第一部 てんてん天気は日本晴れ - お喜代 役
 
** 第二部 てんてん娘に花が咲く - 雪乃 役
 
*[[金語楼純情日記 初恋社長]](1957年、東宝) - まり子 役
 
*[[金語楼純情日記 珍遊侠伝]](1957年、東宝)- 恵子 役
 
*[[美貌の都]](1957年、東宝) - 三笠綾子 役
 
*[[雨情]](1957年、東宝) - 田奈部房江 役
 
*[[三十六人の乗客]](1957年、東宝) - バスガイド・幸子 役
 
*[[別れの茶摘み歌]](1957年、東宝) - 末娘道子 役
 
*[[「元禄忠臣蔵 大石最後の一日」より 琴の爪]](1957年、東宝) - おみの 役
 
*[[別れの茶摘み歌 お姉さんと呼んだ人]](1957年、東宝) - 井上道子 役
 
*[[太夫さんより 女体は哀しく]](1957年、東宝) - 深雪 役
 
*[[花嫁は待っている]](1957年、東宝) - 西条マユミ 役
 
*[[青春航路]](1957年、東宝) - 江藤雅子 役
 
*[[社長三代記]](1958年、東宝)- 梅千代 役
 
*[[続・社長三代記]](1958年、東宝) - 梅千代 役
 
*[[東京の休日 (1958年の映画)|東京の休日]](1958年、東宝) - ちかげ 役
 
*[[大笑い捕物帖]](1958年、東宝) - おせん 役
 
*[[ちゃっきり金太]](1958年、東宝) - 上州屋おつう 役
 
*[[続ちゃっきり金太]](1958年、東宝) - 上州屋おつう 役
 
*[[続々サラリーマン出世太閤記]](1958年、東宝) - 今川好子 役
 
*[[密告者は誰か]](1958年、東宝) - あけみ 役
 
*暖簾 1958年
 
*[[山麓]](1962年、[[東映]]) - 片桐操 役
 
*[[勢揃い関八州]](1962年、東映) - お浜 役
 
*[[お姐ちゃん三代記]](1963年、東宝) - 石橋景子 役
 
*[[遊侠三代]](1966年、東映) - 鶴代 役
 
*[[昭和残侠伝 一匹狼]](1966年、東映)秋津加代
 
*[[無頼非情]](1968年、[[日活]]) - 沢田亜紀 役
 
*[[神々の深き欲望]](1968年、日活) - 刈谷夫人 役
 
*[[喜劇 おめでたい奴]](1971年、東宝) - タコ焼屋 役
 
*[[藤圭子 わが歌のある限り]](1971年、[[松竹]]) - 松平澄子 役
 
 
 
=== テレビドラマ ===
 
* [[君はいま何を見つめている]](1959年10月29日、[[テレビ朝日|日本教育テレビ]]) ※第14回[[文部省芸術祭]]個人奨励賞受賞
 
* [[ぼんち (小説)|ぼんち]](1962年1月 - 6月、日本教育テレビ)
 
* [[恐喝者]](1962年2月、日本教育テレビ)
 
* [[嫁ぐ日まで]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]])
 
** 「姉妹」(1963年2月20日)
 
** 「女の館」(1963年7月1日)
 
* [[日本映画名作ドラマ]] [[猟銃 (小説)|猟銃]](1963年11月3日、日本教育テレビ)
 
* [[日産スター劇場]] [[何処へ (石坂洋次郎の小説)|何処へ]](1964年1月18日、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]) - 才太郎 役
 
* [[風雪 (テレビドラマ)|風雪]] 第5回「大久保利通と車夫」(1964年5月7日、[[日本放送協会|NHK]]) - 菊枝 役
 
* [[徳川家康 (1964年のテレビドラマ)|徳川家康]](1964年7月 - 1965年10月、日本教育テレビ) - [[築山殿]] 役
 
* [[香華]](1965年1月 - 3月、日本教育テレビ)
 
* [[連続テレビ小説]] [[たまゆら (テレビドラマ)|たまゆら]](1965年 - 1966年、NHK) - 宮本さち子 役
 
* [[アッちゃん|続アッちゃん]](1965年8月 - 1966年3月、日本テレビ) - 河鹿高子(ママ) 役
 
* [[新吾十番勝負]](1966年、[[TBSテレビ|TBS]])
 
* [[鳴門秘帖]](1966年、[[MBSテレビ|毎日放送]])
 
* [[船場 (テレビドラマ)|船場]](1967年4月 - 1968年3月、[[関西テレビ放送|関西テレビ]])
 
* [[ご存知からす堂]](1967年10月 - 12月、フジテレビ)
 
* [[大奥 (1968年のテレビドラマ)|大奥]](1968年、[[関西テレビ放送|関西テレビ]]/東映) - 松島 役
 
* [[花は散るらん]](1968年 - 1969年、[[東海テレビ放送|東海テレビ]])
 
* [[妻と女の間]](1969年4月 - 7月、毎日放送)
 
* [[暖春 (テレビドラマ)|暖春]](1969年4月 - 6月、フジテレビ) - 佐々木せい 役
 
* [[女人武蔵]](1971年4月 ― 9月、関西テレビ) - [[出雲阿国]] 役
 
* [[ぼてじゃこ物語]](1971年4月 - 12月、[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]) - 堤川敬子 役
 
* [[夫婦学校]] 第1期 第20話「亭主関白とはいうけれど」(1972年、日本テレビ)
 
* [[木枯し紋次郎]] 第1期 第8話「一里塚に風を断つ」(1972年、フジテレビ)
 
* [[新・番頭はんと丁稚どん (1972年のテレビドラマ)|新・番頭はんと丁稚どん]](1972年4月 - 12月、毎日放送/[[松竹芸能]])
 
* [[怪談 (1972年のテレビドラマ)|怪談]] 「大奥あかずの間」(1972年、毎日放送/[[歌舞伎座|歌舞伎座テレビ室]])
 
* [[冬物語 (テレビドラマ)|冬物語]](1972年11月 - 1973年4月、日本テレビ) - 足立圭子 役
 
* [[どてらい男]](1973年 - 1977年、フジテレビ) - 糸路 役
 
* [[百年目の恋]](1973年10月 - 1974年3月、読売テレビ) - 和代 役
 
* [[池田大助捕物日記]](1974年10月 - 1975年3月、関西テレビ) - 波江 役
 
* [[NHKスペシャル|NHK特集]] [[明治の群像 海に火輪を]] 第4・5回「[[鹿鳴館]] 〜条約改正〜」前・後編(1976年4月 - 5月、NHK) - 速見綾子 役
 
 
 
=== ワイドショー・情報番組 ===
 
* [[3時のあなた]](1973年5月 - 1974年3月、フジテレビ系列) - 司会
 
 
 
== 著書 ==
 
*『泣いて笑って3時のわたし』([[サンケイ出版]]、1977年4月)
 
*『できることできないこと』([[世界文化社]]、2001年5月、ISBN 4418015094)
 
*『決断のとき』([[世界文化社]]、2007年7月、ISBN 978-4-418-07511-9)
 
*『坂田藤十郎 扇千景―夫婦の履歴書』([[日本経済新聞出版社]]、2008年10月、ISBN 978-4532166700)
 
: ※2008年4月の[[日本経済新聞]]朝刊最終面(文化面)に毎日掲載された「[[私の履歴書]]」をまとめたもの。
 
 
 
== 脚注 ==
 
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{{Reflist|2}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[自由民主党国会議員一覧]]
 
* [[新しい波_(派閥)|新しい波]]
 
* [[日韓議員連盟]]
 
* [[神戸空港]]
 
* [[靖国神社崇敬奉賛会]]
 
* [[林寛子 (タレント)]] - 扇の本名と同じ芸名で、参院立候補の経歴もある。
 
 
 
== 外部リンク ==
 
* {{allcinema name|120292}}
 
* {{Kinejun name|104604}}
 
* {{Commonscat-inline}}
 
 
 
{{-}}
 
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| title  = {{Flagicon|日本}} [[参議院議長]]
 
| before = [[倉田寛之]]
 
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| after  = [[江田五月]]
 
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| title  = {{Flagicon|日本}} 参議院文教委員長
 
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| title  = {{Flagicon|日本}} [[建設大臣]]
 
| before = [[中山正暉]]
 
| years  = 第69代:2000年 - 2001年
 
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| title  = {{Flagicon|日本}} [[国土庁|国土庁長官]]
 
| before = [[中山正暉]]
 
| years  = 第36代:2000年 - 2001年
 
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| title  = [[保守新党|保守党党首]]
 
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| title  = [[新進党|新進党参議院議員代表]]
 
| before = [[吉田之久]]
 
| years  = 第3代 : 1996年 - 1997年
 
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[[Category:参議院議長]]
 
[[Category:参議院議長]]

2018/10/3/ (水) 23:46時点における最新版

扇 千景(おおぎ ちかげ、1933年昭和8年〉5月10日 - )

昭和後期-平成時代の女優,政治家。

昭和8年5月10日生まれ。神戸高をでて,宝塚音楽学校にまなぶ。29年から映画で活躍。33年中村扇雀(3代鴈治郎)と結婚。のちテレビの司会やドラマで人気を得,52年自民党の全国区から参議院議員(当選5回)。新生党,新進党をへて,平成10年自由党に属す。12年保守党結成で党首,第2次森連立内閣の建設相,国土庁長官。13年初代国土交通相。同年小泉連立内閣で国土交通相に再任。16年参議院議長。兵庫県出身。本名は林寛子。



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