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{{干支}}
 
'''干支'''(かんし、えと、[[中国語]]:干支、[[ピンイン]]:gānzhī)は、[[十干]]と[[十二支]]を組み合わせた[[60]]を周期とする[[数詞]]。[[暦]]を始めとして、時間、方位などに用いられる。'''六十干支'''(ろくじっかんし)、'''十干十二支'''(じっかんじゅうにし)、'''天干地支'''(てんかんちし)ともいう。
 
  
==概説==
+
'''干支'''(かんし、えと、[[中国語]]:干支、[[ピンイン]]:gānzhī)
[[画像:Chu Kỳ 60 Năm.svg|thumb|280px|干支の60周期を表した図]]
 
[[中国]]を初めとして[[アジア]]の[[漢字文化圏]]において、[[年]]・[[月 (暦)|月]]・[[日]]・[[時間 (単位)|時間]]や[[方位]]、[[角度]]、ことがらの順序を表すのにも用いられ、[[陰陽五行説]]とも結び付いて様々な[[占い|卜占]]にも応用された。古くは'''十日十二辰'''、'''十母十二子'''とも呼称した。
 
  
起源は商([[殷]])代の中国に遡る。日・月・年のそれぞれに充てられ、60日(ほぼ2か月)、60か月(ほぼ[[太陰太陽暦]]5年)、60年など<!--(約2世代)-->をあらわす。'''干'''は'''幹・肝'''と、'''支'''は'''枝・肢'''と同源であるという。[[日本]]、[[朝鮮半島]]、[[ベトナム]]、西は[[ロシア]]、[[東ヨーロッパ|東欧]]などに伝わった。
+
干支 (えと。幹支〈もとすえ〉の意) ともいう。中国の上古に始る暦法上の用語。十干は,甲,乙,丙,丁,戊,己,庚,辛,壬,癸で,何を基準としたかは明らかでないが,もと一旬 (10日) を表わす。十二支は,子,丑,寅,卯,辰,巳,午,未,申,酉,戌,亥。すでに殷代に,干支の組合せで暦日を表わしていた。前4世紀頃,十干が五行 (木,火,土,金,水) に配当され,前2世紀頃,十二支が鼠,牛,虎,兎,竜,蛇,馬,羊,猿,鶏,犬,猪に配当され,これが伝えられて,日本では甲子を「きのえね」 (木鼠) ,乙丑を「きのとうし」 (木牛) ,丙寅を「ひのえとら」 (火虎) のように呼ぶ。漢代,前2世紀頃,干支の組合せが,年,月の順を表わすのに用いられ,十二支の時刻,方角などを表わすのに用いられるようになった。また,この頃から,占星術,五行説,その他の俗信と結びついて,迷信が盛んに行われるようになった。
 
 
日本では「干支」を「'''えと'''」と呼んで、ね、うし、とら、う、たつ…の十二支のみを指すことが多いが、「干支」は十干と十二支の組み合わせを指す語であり、「えと」は十干において「きの'''え'''(甲)」「きの'''と'''(乙)」「ひの'''え'''(丙)」「ひの'''と'''(丁)」と陽陰に応じて「え」「と」の音が入ることに由来するので、厳密には二重に誤りである。
 
 
 
[[10]]と[[12]]の[[最小公倍数]]は[[60]]なので、干支は60回で一周する。干支には、すべての組合せのうちの半数しかない。例えば、一覧01〜60で5回ある「子」のうちに、「甲子」はあるが「乙子」はない。これは、10と12に共通の約数2があるので、干支の周期が積の120ではなく、最小公倍数の60になるからである。
 
 
 
== 種類 ==
 
'''十干'''は[[甲]]・[[乙]]・[[丙]]・[[丁]]・[[戊]]・[[己]]・[[庚]]・[[辛]]・[[壬]]・[[癸]]の10種類からなり、'''十二支'''は[[子 (十二支)|子]]・[[丑]]・[[寅]]・[[卯]]・[[辰]]・[[巳]]・[[午]]・[[未]]・[[申]]・[[酉]]・[[戌]]・[[亥]]の12種類からなっており、これらを合わせて'''干支'''と呼ぶ。十干十二支は戦国時代に作られた陰陽五行説よりもはるかに古い起源をもつので、陰陽五行説による説明は後付けであって学問的な意味はない。また生命消長の循環過程とする説もあるが、これは干支を幹枝と解釈したため生じた植物の連想と、同音漢字を利用した一般的な語源俗解手法による[[後漢]]時代の解釈<ref>『[[釈名]]』、『[[史記]]』暦書、『[[漢書]]』律暦志</ref>である。鼠、牛、虎…の12の動物との関係がなぜ設定されているのかにも諸説があるが詳細は不明である。
 
 
 
=== 十干 ===
 
{| class="wikitable" style="text-align:center"
 
|-
 
!rowspan=2|[[十干]]
 
!colspan=3|[[日本語]]
 
!rowspan=2|[[中国語]]
 
!rowspan=2|[[朝鮮語]]
 
!rowspan=2|[[ベトナム語]]
 
!rowspan=2|本義<ref>参考文献:『中国的実在観の研究』(著:[[木村英一]])、『中国上代陰陽五行思想の研究』(著:[[小林信明]])、『宋代易学の研究』(著:[[今井宇三郎]])</ref>
 
|-
 
![[音読み]]
 
![[訓読み]]
 
!意味
 
|-
 
|[[甲]]||こう||きのえ||木の兄
 
|lang="zh-tw"|jiǎ
 
|lang="kr"|갑 (gap)
 
|lang="vi"|giáp
 
|草木の芽生え、鱗芽のかいわれの象意
 
|-
 
|[[乙]]||いつ、おつ||きのと||木の弟
 
|lang="zh-tw"|yǐ
 
|lang="kr"|을 (eul)
 
|lang="vi"|ất
 
|陽気のまだ伸びない、かがまっているところ
 
|-
 
|[[丙]]||へい||ひのえ||火の兄
 
|lang="zh-tw"|bǐng
 
|lang="kr"|병 (byeong)
 
|lang="vi"|bính
 
|陽気の発揚
 
|-
 
|[[丁]]||てい||ひのと||火の弟
 
|lang="zh-tw"|dīng
 
|lang="kr"|정 (jeong)
 
|lang="vi"|đinh
 
|陽気の充溢
 
|-
 
|[[戊]]||ぼ||つちのえ||土の兄
 
|lang="zh-tw"|wù
 
|lang="kr"|무 (mu)
 
|lang="vi"|mậu
 
|“茂”に通じ、陽気による分化繁栄
 
|-
 
|[[己]]||き||つちのと||土の弟
 
|lang="zh-tw"|jǐ
 
|lang="kr"|기 (gi)
 
|lang="vi"|kỷ
 
|“紀”に通じ、分散を防ぐ統制作用
 
|-
 
|[[庚]]||こう||かのえ||金の兄
 
|lang="zh-tw"|gēng
 
|lang="kr"|경 (gyeong)
 
|lang="vi"|canh
 
|結実、形成、陰化の段階
 
|-
 
|[[辛]]||しん||かのと||金の弟
 
|lang="zh-tw"|xīn
 
|lang="kr"|신 (shin)
 
|lang="vi"|tân
 
|陰による統制の強化
 
|-
 
|[[壬]]||じん||みずのえ||水の兄
 
|lang="zh-tw"|rén
 
|lang="kr"|임 (im)
 
|lang="vi"|nhâm
 
|“妊”に通じ、陽気を下に姙む意
 
|-
 
|[[癸]]||き||みずのと||水の弟
 
|lang="zh-tw"|guǐ
 
|lang="kr"|계 (gye)
 
|lang="vi"|quý
 
|“揆”に同じく生命のない残物を清算して地ならしを行い、新たな生長を行う待機の状態
 
|}
 
 
 
=== 十二支 ===
 
{| class="wikitable" style="text-align:center"
 
|-
 
!rowspan="2"|[[十二支]]
 
!colspan="2"|日本語
 
!rowspan="2"|中国語
 
!rowspan="2"|朝鮮語
 
!rowspan="2"|ベトナム語
 
!rowspan="2"|本義<ref>参考文献:『中国的実在観の研究』(著:[[木村英一]])、『中国上代陰陽五行思想の研究』(著:[[小林信明]])、『宋代易学の研究』(著:[[今井宇三郎]])</ref>
 
|-
 
!音読み!!訓読み
 
|-
 
|[[子 (十二支)|子]]||し||ね
 
|lang="zh"|zǐ
 
|lang="kr"|자 (ja)
 
|lang="vi"|tý
 
|“孳”で、陽気が色々に発現しようとする動き
 
|-
 
|[[丑]]||ちゅう||うし
 
|lang="zh"|chǒu
 
|lang="kr"|축 (chuk)
 
|lang="vi"|sửu
 
|“紐”で、生命エネルギーの様々な結合
 
|-
 
|[[寅]]||いん||とら
 
|lang="zh"|yín
 
|lang="kr"|인 (in)
 
|lang="vi"|dần
 
|“演”で、形をとっての発生
 
|-
 
|[[卯]]||ぼう||う
 
|lang="zh"|mǎo
 
|lang="kr"|묘 (myo)
 
|lang="vi"|mão/mẹo
 
|同音“冒”に通じ、開発の意
 
|-
 
|[[辰]]||しん||たつ
 
|lang="zh"|chén
 
|lang="kr"|진 (jin)
 
|lang="vi"|thìn
 
|“震”、同音“申”に同じ、生の活動
 
|-
 
|[[巳]]||し||み
 
|lang="zh"|sì
 
|lang="kr"|사 (sa)
 
|lang="vi"|tỵ
 
|“已”に通じ、陽盛の極、漸く陰に移ろうとする所
 
|-
 
|[[午]]||ご||うま
 
|lang="zh"|wǔ
 
|lang="kr"|오 (o)
 
|lang="vi"|ngọ
 
|“忤(さからう)”に通じ、上昇する陰と下退する陽との抵触
 
|-
 
|[[未]]||び||ひつじ
 
|lang="zh"|wèi
 
|lang="kr"|미 (mi)
 
|lang="vi"|mùi
 
|“昧”で、陰気の支配
 
|-
 
|[[申]]||しん||さる
 
|lang="zh"|shēn
 
|lang="kr"|신 (shin)
 
|lang="vi"|thân
 
|陰気の支配
 
|-
 
|[[酉]]||ゆう||とり
 
|lang="zh"|yǒu
 
|lang="kr"|유 (yu)
 
|lang="vi"|dậu
 
|酒熟して気の漏れる象。陰気の熟する所
 
|-
 
|[[戌]]||じゅつ||いぬ
 
|lang="zh"|xū
 
|lang="kr"|술 (sul)
 
|lang="vi"|tuất
 
|同音“恤”であり、“滅”である。統一退蔵。
 
|-
 
|[[亥]]||がい||い
 
|lang="zh"|hài
 
|lang="kr"|해 (hae)
 
|lang="vi"|hợi
 
|“核”で、生命の完全な収蔵含蓄
 
|}
 
 
 
=== 干支概略史 ===
 
[[画像:Orakelknochen.JPG|left|thumb|240px|[[亀甲獣骨文字]]([[ウシ|牛]]の[[肩胛骨]]に甲骨文字が刻されている)、[[上海博物館]]蔵]]
 
[[画像:In-syou-teishitu.PNG|right|thumb|160px|殷商帝室の系譜]]
 
 
 
干支はすでに商([[殷]])代に現れており、[[殷墟]]出土の[[亀甲獣骨文字|亀甲獣骨]]にたくさんの干支が日付を表すために用いられている。[[甲骨文]]には、干名だけで日を表すこともあり、祖王の名を「祖甲」「父丁」など、その人に関連する特定の干名で呼ぶ例があることから、十二支よりも十干の方がより基本的であったことが伺える(これについては、「[[殷#殷王の一覧]]」も併せて参照のこと)。
 
 
 
[[春秋戦国時代]]に、[[自然]]や世界の成り立ちを[[木]]・[[火]]・[[土壌|土]]・[[金属|金]]・[[水]]から説明する[[五行思想]]が起こり、干支も五行と結びつけられるようになった。
 
 
 
古くは十干を「十日」、十二支を「十二辰」と呼んだ。『[[史記]]』律書では上を母、下を子に見立てて「'''十母十二子'''」と呼んでいる。幹(干)と枝(支)に喩えて「'''干支'''」と呼ばれるようになったのは[[後漢]]代からである。
 
 
 
月や年を表すために干支を用いるようになった時期は、殷代よりも後の時代に属する。
 
 
 
年を表すには、古来、著しい事件や[[帝王]]の[[即位]]年を基準とすることが多かったが、[[戦国時代 (中国)|戦国時代]]の中ごろになって[[木星]](歳星)の天における位置によって年を指し示すことが考案された。後述のように、この方法がやがて発達し、当初は木星の位置により、次には十二支により、[[漢]]代には干支の組合せによって年を表す例が広く行われるようになった。
 
 
 
1日(24時間)を十二支に分けるようになった時期も漢代である。十二支に対して十二獣を充当することは[[秦]]代にも見られるが、[[文献資料 (歴史学)|文献]]における初出は後漢代からである。また、「外事には剛日を用い、内事には柔日を用いる」<ref>用兵など外事には十干の奇数日、[[祭祀]]など内事には十干の偶数日を用いるのが良い、という意味。</ref>とされたのも漢代であり、これは、戦国時代の[[陰陽家]]の影響を受けている。
 
 
 
[[方位]]への応用も、[[陰陽五行思想]]と結びついたことによって漢代に広がった。
 
 
 
ただし、全10巻中8巻が『[[四庫全書]]』にも収められている[[唐]]の時代に編纂された兵書である『神機制敵太白陰經』
 
<ref>一般に流布しているのは10巻本であるが、[[四庫全書]]には巻九、十を除いた8巻本が収録されている。</ref>([[李筌]]編)のうち、巻四「戰具」や巻九「遁甲」において、夜半、鶏鳴といった[[十二時]]による[[時刻]]名とともに、この時刻の干支は云々と記載されているので、時刻を干支で呼ぶ[[習慣]]の定着には長い時を要し、唐の時代にはまだ古い記憶の名残があったと推測できる。
 
 
 
== 干支による紀日 ==
 
干支によって日付を記述する'''干支紀日法'''は、すでに殷代の[[甲骨文]]に現れている。
 
 
 
西洋では1月を4分割して「[[週]]」(7日)というサイクルを編み出した(ただし7という数字は天体から)が、古代中国では1月を3分割して「[[旬 (単位)|旬]]」(10日)というサイクルを考案し、[[十干]]という順序符号をつけた。甲骨文には「卜旬(ぼくじゅん)」があり、これは、ある特定の日(癸の日)から向こう10日間の吉凶を占ったものである<ref>甲骨を用いた占いには、[[癸]]の日以後10日間の吉凶を判断する定期的な卜旬と、開戦・豊作・異常気象の終わりを祈願する不定期的な占いがあった。</ref>。10日、すなわち十干を3回繰り返すと1か月([[30]][[日]])になるので、十干と[[十二支]]を組み合わせると、2か月(60日)周期で日付を記録することになる。
 
 
 
ある日を[[甲子]]とすると、第2日が[[乙丑]]、第3日が[[丙寅]]というように進んで第60日の[[癸亥]]へと進み、第61日に至ると再び[[甲子]]に還って日を記述していった。これは、3,000年以上経った今に至るまで、断絶することなく用いられている。また、干支紀日は『[[日本書紀]]』など[[東アジア]]の[[歴史書]]にも広く使用されている。
 
 
 
殷代においては、干支はもっぱら紀日法として用いられ、年に関しては1から始まる順序数([[自然数]])を使用しており、月に関しても順序数を基本としていた。
 
 
 
現在のような順序数による紀日法がいつ始まったかはわかっていないが、現在のところ、[[山東省]][[臨沂]]県(りんぎけん)から出土した[[銀雀山漢墓]][[竹簡]]、および[[武帝 (漢)|武帝]]7年([[元光 (漢)|元光]]元年、[[紀元前134年]])の[[暦譜]]竹簡の例が最古とされている。
 
 
 
中国でも日本でも[[暦]]はしばしば改定されているが、干支による紀日は古代から連綿と続いており、古い記録の日付を確定する際の有力な手がかりになる。
 
 
 
さらに、旧暦の月は29日また30日で規律があまりなく、閏(うるう、月と月の間にさらに一ヶ月を入れる)もあるため、干支を使えば閏があるかないかがわかる。
 
 
 
一例として、史料に「○月甲寅朔(1日は甲寅の日)」のように記録したら、「乙丑、…(なにかのできごと)」はその月の12日であることは自明。そして「七月甲子」と「八月甲子」の間に60日もあるから七月と八月の間に「閏七月」があることがわかる。
 
 
 
== 干支による紀月 ==
 
古くから中国では[[冬至]]を含む月を11月とする[[慣習|習わし]]があり、この月を「[[子 (十二支)|子月]]」と呼び、以下12月を「[[丑|丑月]]」、正月を「[[寅|寅月]]」と呼んだ。
 
 
 
こうした呼び方は[[戦国時代 (中国)|戦国時代]]からあったが、さらに月名に十干を加えることは[[唐]]代には行われており、その場合の配当は年の干名によって各月の干が割り当てられた。たとえば、寅月についていえば、甲や己の年は[[丙]]、乙や庚の年は[[戊]]、丙や辛の年は[[庚]]、丁や壬の年は[[壬]]、戊や癸の年は[[甲]]となる。つまり、干名が甲である年の寅月は「丙寅月」となる。詳細を、下表に示す。
 
 
 
{| class=wikitable style="font-size:95%"
 
!月の十二支||[[節気]]の区切り||[[中気]]||[[旧暦]]の[[月 (暦)|月]]||[[新暦]]の月||甲・己年||乙・庚年||丙・辛年||丁・壬年||戊・癸年
 
|-
 
|寅月||[[立春]]—啓蟄||[[雨水]]||正月||[[2月]]||丙寅月||戊寅月||庚寅月||壬寅月||甲寅月
 
|-
 
|卯月||[[啓蟄]]—清明||[[春分]]||二月||[[3月]]||丁卯月||己卯月||辛卯月||癸卯月||乙卯月
 
|-
 
|辰月||[[清明]]—立夏||[[穀雨]]||三月||[[4月]]||戊辰月||庚辰月||壬辰月||甲辰月||丙辰月
 
|-
 
|巳月||[[立夏]]—芒種||[[小満]]||四月||[[5月]]||己巳月||辛巳月||癸巳月||乙巳月||丁巳月
 
|-
 
|午月||[[芒種]]—小暑||[[夏至]]||五月||[[6月]]||庚午月||壬午月||甲午月||丙午月||戊午月
 
|-
 
|未月||[[小暑]]—立秋||[[大暑]]||六月||[[7月]]||辛未月||癸未月||乙未月||丁未月||己未月
 
|-
 
|申月||[[立秋]]—白露||[[処暑]]||七月||[[8月]]||壬申月||甲申月||丙申月||戊申月||庚申月
 
|-
 
|酉月||[[白露]]—寒露||[[秋分]]||八月||[[9月]]||癸酉月||乙酉月||丁酉月||己酉月||辛酉月
 
|-
 
|戌月||[[寒露]]—立冬||[[霜降]]||九月||[[10月]]||甲戌月||丙戌月||戊戌月||庚戌月||壬戌月
 
|-
 
|亥月||[[立冬]]—大雪||[[小雪]]||十月||[[11月]]||乙亥月||丁亥月||己亥月||辛亥月||癸亥月
 
|-
 
|子月||[[大雪]]—小寒||[[冬至]]||十一月||[[12月]]||丙子月||戊子月||庚子月||壬子月||甲子月
 
|-
 
|丑月||[[小寒]]—立春||[[大寒]]||十二月||[[1月]]||丁丑月||己丑月||辛丑月||癸丑月||乙丑月
 
|}
 
 
 
== 干支による紀年 ==
 
[[紀年法]]とは、[[年]]を記したり数えたりするための方法のことで、[[中国]]を中心とした漢字文化圏では[[年号|年号紀元]]に基づく紀年法とともに、60年周期の干支による'''干支紀年法'''が併用されてきた。その起源は[[木星]]の観測と深い関わりがある。
 
 
 
=== 歳星紀年法 ===
 
[[画像:Jupiter.jpg|270px|right|thumb|[[木星]]]]
 
'''歳星紀年法'''は、[[天球]]における[[木星]]の位置に基づく紀年法である。
 
 
 
中国の[[戦国時代 (中国)|戦国時代]]に始まった。[[木星]]は約12年で[[天球]]上を一周し、[[十二次]](天球を[[天の赤道]]帯に沿って西から東に12等分した12の区画)を1年に一次進む。そこで、[[木星]]は年を示す星であるとして「歳星」と呼び、[[木星]]の[[十二次]]における位置で[[年]]を記した。たとえば「歳在星紀(歳、星紀に在り)」は、[[木星]]が[[天球]]上の「星紀」という場所に存在する年という意味である。
 
 
 
=== 太歳紀年法 ===
 
[[ファイル:Taisai.svg|240px|right|thumb|太歳と木星の移動]]
 
'''太歳紀年法'''は、[[木星]]の鏡像である[[太歳]]の[[天球]]における位置に基づく紀年法である。
 
 
 
[[木星]]は[[天球]]上を[[十二次]]に沿って[[西]]から[[東]]に進むが、当時の人たちがよく使っていた[[十二辰]](天球を天の赤道帯に沿って東から西に十二等分した区画、十二支が配当された)に対しては、運行の方向と順序が逆であった。そこで、[[木星]]の円軌道に一本の直径を引き、その直径を境に[[木星]]と線対称の位置に存在する[[太歳]]という仮想の星を設定し、その[[十二辰]]における位置で年を記すようにしたものである。
 
 
 
中国の戦国時代には、この直径は[[寅]]の起点と[[申]]の起点とを結んで引かれ、たとえば、「太歳在寅(太歳、寅に在り)」という記述があれば、その年は[[太歳]]が[[寅]]の位置に存在する年、つまり[[木星]]が[[丑]]の位置に存在する年のことである。その翌年は「太歳在卯」となり、[[太歳]]は[[卯]]、[[木星]]は[[子 (十二支)|子]]に位置する。
 
 
 
さらに、「太歳在寅」「太歳在卯」と記録する代わりに、[[太歳]]が位置する各「年」に名称を設けて使用することが行われた(『[[爾雅]]』「釈天」より)。
 
 
 
{| border="1" class="wikitable" style="text-align:center"
 
|-
 
|- style="background:#efefef;"
 
!太歳の位置
 
|[[寅]]||[[卯]]||[[辰]]||[[巳]]||[[午]]||[[未]]||[[申]]||[[酉]]||[[戌]]||[[亥]]||[[子 (十二支)|子]]||[[丑]]
 
|-
 
! style="background:#efefef;" rowspan="2"|歳名
 
|摂提格||単閼||執徐||大荒落||敦牂||叶洽||涒灘||作噩||閹茂||大淵献||困敦||赤奮若
 
|-
 
|セッテイカク||ゼンエン||シュウジョ||ダイコウラク||トンショウ||キョウコウ||トンタン||サクガク||エンモ||ダイエンケン||コントン||セキフンジャク
 
|}
 
 
 
[[前漢|漢代]]に入ると、[[淮南子|『淮南子』]]天文訓に「淮南元年冬、天一在丙子」と記述されるように、十干と組み合わせた'''干支'''で[[太歳]]の位置が記述されるようになった。
 
 
 
この[[太歳]]の位置を示す[[十干]]にも歳名が付けられた。
 
 
 
{| border="1" class="wikitable" style="text-align:center"
 
|-
 
|- style="background:#efefef;"
 
!太歳の位置
 
|[[甲]]||[[乙]]||[[丙]]||[[丁]]||[[戊]]||[[己]]||[[庚]]||[[辛]]||[[壬]]||[[癸]]
 
|-
 
! style="background:#efefef;" rowspan="2"|歳名
 
|閼逢||旃蒙||柔兆||強圉||著雍||屠維||上章||重光||玄黓||昭陽
 
|-
 
|エンホウ||センモウ||ジュウチョウ||キョウギョ||チョヨウ||トイ||ジョウショウ||チョウコウ||ゲンヨク||ショウヨウ
 
|}
 
 
 
この十干(歳陽)と十二辰(歳陰)の歳名とを組み合わせ、例えば、ある年を閼逢摂提格とすると、その翌年は旃蒙単閼、第3年は柔兆執徐…となり、第60年の昭陽赤奮若に至ると、再び閼逢摂提格から始めるという60年周期の歳名とした。
 
 
 
ただし、[[木星]]の公転周期は正確には11.862年であるため、実際には1年に一次と少し進んでいることになり、約86年に一次(太歳は一辰)ずれることになる。これを「超辰」と呼ぶ。この超辰によるずれを解消するため、[[秦]]の[[顓頊暦]]では、[[太歳]]を設定するための直径を[[丑]]の起点と[[未]]の起点に引き、秦の[[始皇帝]]元年([[紀元前246年]])を[[木星]]が[[亥]]にあり、[[太歳]]が[[寅]]にある年とする新しい基準を設けた。
 
 
 
[[前漢]]の[[太初 (漢)|太初]]元年([[紀元前104年]])<ref>この年の紀年は、『呂氏春秋』、『前漢書』賈誼伝、『前漢書』翼奉伝、『史記』歴書では、それぞれ[[乙亥]]、[[丙子]]、[[丁丑]]、[[甲寅]]となっており、それぞれ流派の異なる紀年が混在していた。前漢末に[[劉キン (学者)|劉歆]]によって整備が始まり、これが最終的に整理されて完全に統一されるのは後漢初期の[[元和 (漢)|元和]]2年([[85年|西暦85年]])の改暦であった。</ref>の改暦([[太初暦]])では、超辰を行い、[[丙子]]を[[丁丑]]に改めた。後に[[三統暦]]の補正では超辰は114年に一次ずれると定義し、[[太初 (漢)|太初]]元年を再び[[丙子]]に戻し、[[太始 (漢)|太始]]2年([[紀元前95年]])を[[乙酉]]から[[丙戌]]へ超辰するとした。これによって三統暦による太歳紀年と後の干支紀年は太始2年から見かけ上、同じになる。
 
 
 
=== 干支紀年法 ===
 
[[後漢]]の[[建武 (漢)|建武]]26年(西暦[[50年]])は、当時使われていた[[劉キン (学者)|劉歆]]の[[三統暦]]の超辰法に従うならば、[[庚戌]]を[[辛亥]]とすべき年であった。にもかかわらず、[[光武帝]]に随従していた学者たちは超辰を行わず、[[庚戌]]のまま紀年を続けた。さらに[[元和 (漢)|元和]]2年(西暦[[85年]])の改暦では三統暦の超辰法自体が廃止された<ref>この改暦は、中国における官暦の最初とされる。</ref>。これ以後、[[木星]]を観測して、その位置で[[年]]を記録することはなくなった。この時から、木星の運行とは関係なく、60年周期の干支を1年ごとに機械的に進めていく干支紀年法が用いられるようになり、絶えることなく現在まで続いている。これは、後代に干支が伝来した朝鮮や日本とも共通である。
 
 
 
民間では干支のうちの十二支の部分だけを用い、それに動物を配当した'''生肖紀年法'''が今も広く用いられている。なお、[[好太王碑|広開土王碑]]と[[12世紀]]成立の[[高麗]]朝による[[正史]]『[[三国史記]]』の干支に1年の違いがあるなど、時代や地域によっては必ずしも一定しないことも散見される。
 
 
 
==== 生肖紀年法 ====
 
{{main|十二支}}
 
十二支と十二獣<ref>十二獣がなぜ十二支と結びつけられたかには、西方[[バビロニア]]の[[天文学]]における[[黄道]][[十二宮]]が各宮の多くを動物で表すことから、その影響を受けたのではないかとする見方がある。また、これが普及したのは農事暦を農民に教え、浸透させるための便法という説もある。</ref>がいつから結びつけられたのかは不明であるが、[[1975年]]に[[湖北省]]雲夢睡虎地の[[秦]]代の墓から出土した竹簡には既に現在のように動物<ref>ただし、[[シカ]]が入り[[イヌ]]がなく、配当も異なっているなど現代のものとは大きく異なる。</ref>が配当されている様子が伺われる。
 
 
 
後漢の[[王充]]が著した『[[論衡]]』物勢篇では、十二支を動物名で説明しており、これによって干支の本来の意味が失われ、様々な俗信を生んだ。ただし、日、月、[[時刻]]、[[方位]]などを干支で示す[[慣習]]が廃れた今日でもなお、干支紀年に限っては今なお民間で広く定着している要因ともなっている。日本の[[風習]]である[[年賀状]]<ref>中国や韓国にも似た風習がある。</ref>などにも動物の絵柄が好んで描かれているが、下表のとおり、配当される動物には国によって違いが見られる<ref>[[亥]](中国や韓国などにおける猪([[ブタ]]))が日本では[[イノシシ]]、丑が[[ベトナム]]では[[スイギュウ]]などとなっている。日本で「猪」がイノシシを表すようになったのは、生肖紀年が伝来した当時の日本では、豚の飼育が必ずしも一般的でなかったからと考えられている。</ref>。
 
 
 
{| class=wikitable style="font-size:95%"
 
!各国の十二獣||子||丑||寅||卯||辰||巳||午||未||申||酉||戌||亥
 
|-
 
|中国の十二獣||鼠||牛||虎||兎||竜||蛇||馬||羊<ref>ヤギを含む</ref>||猴<ref>類人猿を除いたサルを意味する</ref>||鶏||狗||猪([[ブタ|豚]]<ref>『猪』は中国語ではブタを意味する</ref>)
 
|-
 
|日本の十二獣||[[ネズミ|鼠]]||[[ウシ|牛]]||[[トラ|虎]]||[[ウサギ|兎]]||[[竜]]||[[ヘビ|蛇]]||[[ウマ|馬]]||[[ヒツジ|羊]]||[[サル|猿]]||[[ニワトリ|鶏]]||[[犬]]||[[イノシシ|猪]]
 
|-
 
|[[大韓民国|韓国]]の十二獣||鼠||牛||虎||兎||竜||蛇||馬||羊||猿||鶏||犬||豚
 
|-
 
|[[タイ王国|タイ]]の十二獣||鼠||牛||虎||[[ネコ|猫]]||竜||蛇||馬||[[ヤギ|山羊]]||猿||鶏||犬||豚
 
|-
 
|[[ベトナム]]の十二獣||鼠||[[スイギュウ|水牛]]||虎||[[ネコ|猫]]||竜||蛇||馬||山羊||猿||鶏||犬||豚
 
|-
 
|[[チベット]]の十二獣||鼠||牛||虎||猫||竜||蛇||馬||羊||猿||鶏||犬||豚
 
|-
 
|[[モンゴル国|モンゴル]]の十二獣||鼠||牛||[[ヒョウ|豹]]・虎||兎||竜||蛇||馬||羊||猿||鶏||犬||豚
 
|-
 
|[[インド]]の十二獣||鼠||牛||虎||兎||竜||蛇||馬||羊||猿||[[ガルダ]]||犬||豚
 
|-
 
|[[アラビア]]の十二獣||鼠||牛||虎||兎||[[ワニ|鰐]]||蛇||馬||羊||猿||鶏||犬||豚
 
|-
 
|[[ロシア]]の十二獣||鼠||牛||虎||兎・猫||竜||蛇||馬||羊・山羊||猿||鶏||犬||豚
 
|-
 
|[[ベラルーシ]]の十二獣||鼠||牛||虎||兎・猫||竜||蛇||馬||羊||猿||鶏||犬||豚
 
|}
 
 
 
==== 干支紀年と日本 ====
 
[[ファイル:Gyoda Inariyama Tumulus In Spring 1.JPG|270px|right|thumb|[[稲荷山古墳 (行田市)|稲荷山古墳]]]]
 
干支紀年の日本への伝来時期はよくわかっていない。日本に中国の[[暦本]]が[[百済]]を通じて渡来したのは[[欽明天皇]]15年([[554年]])<ref>『日本書紀』巻第19。欽明天皇14年、[[暦博士]]を交代し暦本(こよみのためし)を送るようにとの[[勅]]を発し、翌年、固徳王保尊が暦博士として来日した記事が掲載される。巻第22には、[[推古天皇]]治下の[[602年]]に百済僧[[観勒]]が来日した記事もある。日本書紀には[[神武天皇]]以来の干支が記載されているが、『[[古事記]]』にはない。</ref>とされるが、実際には、それ以前にさかのぼる可能性が高い。
 
 
 
[[埼玉県]][[行田市]]埼玉の[[埼玉古墳群]]の一つ、[[稲荷山古墳 (行田市)|稲荷山古墳]]から出土した[[金錯銘鉄剣]]には「辛亥年七月中記」の紀年があり、銘中「獲加多支鹵(わかたける)大王」を[[雄略天皇]]とする考えが主流であることから、「[[辛亥]]年」を[[471年]]とする説が有力である。ただし、これに対しては[[531年]]とする反論もある。
 
 
 
一方、[[和歌山県]][[橋本市]]隅田の[[隅田八幡神社|隅田八幡宮]]に所蔵されている[[隅田八幡宮人物画像鏡|人物画像鏡]]には、「癸未年八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時斯麻念長寿…」という銘文が鋳されており、この「[[癸未]]年」は、「男弟(おとど)王」が[[継体天皇]]と考えられることから、[[503年]]とする見方が有力である<ref>銘中の「斯麻」は[[百済]]の[[武寧王]]と推測される。しかし、この「癸未年」に対しても[[443年]]との異論がある。</ref>。
 
 
 
== 陰陽五行説との連関 ==
 
{{main|陰陽五行思想}}
 
=== 陰陽五行説と十干 ===
 
[[陰陽五行説]]では、'''十干'''に対し、天運を表す[[木]]、[[火]]、[[土壌|土]]、[[金属|金]]、[[水]]の五行にそれぞれ[[陰陽]]一対を配して表す。[[訓読み]]では十干の名称は、甲(きのえ)、乙(きのと)、丙(ひのえ)、丁(ひのと)、戊(つちのえ)、己(つちのと)、庚(かのえ)、辛(かのと)、壬(みずのえ)、癸(みずのと)となり、五行のそれぞれに「(の)え」・「(の)と」がついたものである。「(の)え」は「(の)[[兄]][[姉]]」を意味する。「(の)と」は「(の)おと」に由来し、「(の)[[弟]][[妹]]」を意味する。「'''えと'''」の呼称もこれに由来している。
 
 
 
=== 陰陽五行説と十二支 ===
 
'''十二支'''にも五行が配される。[[四季]]に対応する五行は、[[春]]が木、[[夏]]が火、[[秋]]が金、[[冬]]は水であり、土は各季節の最後の月にあたり、季節の変わり目を表す。[[土用の丑の日]]は夏の最終月([[土用]])の[[丑]]の日という意味である。各季節に十二支を配すと、
 
*'''[[春]]'''…寅(木)、卯(木)、辰(土)
 
*'''[[夏]]'''…巳(火)、午(火)、未(土)
 
*'''[[秋]]'''…申(金)、酉(金)、戌(土)
 
*'''[[冬]]'''…亥(水)、子(水)、丑(土)
 
となる。
 
 
 
陰陽五行説が起こったのは、中国の[[戦国時代 (中国)|戦国時代]]であり、{{Lang|zh|&#39478;衍}}の[[五行思想]]に[[陰陽|陰陽思想]]が結びついたものである。これが干支と結びついて'''干支五行説'''として天地間の森羅万象における根本原理であると考えられるようになった。
 
 
 
=== 五行説と干支 ===
 
[[画像:Wuxing.svg|250px|thumb|right|相生と相剋]]
 
{{main|五行思想}}
 
上記のように割り当てられた十干と十二支それぞれの五行は、その組合せによって吉凶を占うことができるとされる。代表的なものを下に掲げる。
 
 
 
*「'''[[五行思想#相生|相生]]'''」…この関係は、天地陰陽の気が調和を保ち、万事が順調に進んで吉とされる。
 
**木生火(木は火を生じる)
 
**火生土(火は土を生じる)
 
**土生金(土は金を生じる)
 
**金生水(金は水を生じる)
 
**水生木(水は木を生じる)
 
 
 
*「'''[[五行思想#相剋|相剋]]'''」…この関係は、天地の平衡が失われるため凶とされる。
 
**木剋土(木は土を剋す)
 
**土剋水(土は水を剋す)
 
**水剋火(水は火を剋す)
 
**火剋金(火は金を剋す)
 
**金剋木(金は木を剋す)
 
 
 
*「'''[[五行思想#比和|比和]]'''(相勝)」…この関係は、同気が重なるため、五行それぞれの性質を強め、良い場合はますます良く、悪い場合はますます悪くなるとされる。
 
 
 
他に、[[五行思想#相侮|相侮]]、[[五行思想#相乗|相乗]]がある。
 
 
 
== 時刻と方角 ==
 
干支は、[[時刻]]や[[方位]]、[[角度]]を表すのにも用いられる。
 
 
 
=== 時刻 ===
 
時刻については、現代の23時から翌1時までを[[子 (十二支)|子]]の刻とし、以下、丑、寅、…と続いて、11時から13時までを[[午]]の刻とした。現在、夜0時を「[[真夜中|子夜]]」、昼12時を「[[正午]]」、正午より前を「[[午前]]」、正午より後を「[[午後]]」と称するのは、これに由来する。[[怪談]]などで用いられる「草木も眠る丑三ツどき」とは今日でいう午前2時半ごろのことである。
 
 
 
なお、日本で初めて中国伝来の暦日を遵用して、時刻に十二支を配し、子を真夜中としたのは[[推古天皇]]12年([[604年]]、[[甲子]]の年)の正月のことであった<ref>『日本書紀』推古天皇12年条。</ref>とされる。[[平安時代]]の[[延喜]]年間に編纂が始まり[[延長 (元号)|延長]]5年([[927年]])に完成した「[[延喜式]]」でも、[[宮中]]の諸門の開閉や[[日の出]]、[[日の入り]]の時刻について、「申四刻六分」のように十二支を用いて示している。
 
 
 
=== 方位 ===
 
{{main|方位}}
 
[[画像:Model Si Nan of Han Dynasty.jpg|350px|right|thumb|「[[指南]]」(漢代)]]
 
[[画像:China 24 cardinal directions.png|350px|right|thumb|二十四方]]
 
[[画像:Ehou-direction.png|290px|right|thumb|恵方]]
 
十干は、[[五行説]]によって説明されるようになると五行が表す方位である[[五方]]と結び付けられた。さらに、後には十二支や、[[易]]における[[八卦]]を交えて細かい[[二十四山|二十四方]]が用いられるようになった。
 
 
 
十二支では、[[東]]を[[卯]]、[[西]]を[[酉]]、[[南]]を[[午]]、[[北]]を[[子 (十二支)|子]]の方位としている。東西を結ぶ線([[緯線]]とは厳密には異なる)を「'''[[卯酉線]]'''(ぼうゆうせん)」、南北を結ぶ線([[経線]]に相当)を「'''[[子午線]]'''」、[[経度]]0[[度 (角度)|度]]の[[ロンドン]]の[[グリニッジ天文台]]を通る経線を「'''[[本初子午線]]'''」と呼ぶのは、これに由来する。
 
 
 
四隅については、[[北東]]・[[南東]]・[[南西]]・[[北西]]がそれぞれ「うしとら」<ref>[[艮]](うしとら、北東)を[[鬼門]]とする考えは、とくに日本で深められた。[[鬼]]が[[ウシ|牛]]のような角をもち、[[トラ|虎]]皮のパンツをはいて具象されるのも、「うしとら」からの連想である。なお、鬼退治のための動物が、[[桃太郎]]の伝説では[[イヌ]]、[[サル]]、[[キジ]]なのは、「うしとら」の反対方向が「ひつじさる」で、「ひつじ」の代わりに「とり」「いぬ」が入り、さらに「とり」が「きじ」に代わっていったのではないかという推測もある。</ref>、「たつみ」<ref>[[喜撰法師]]の「わがいほは 都の辰巳(たつみ) しかぞすむ 世を宇治山と 人はいふなり」の「たつみ」とは南東方向を示している。</ref>、「ひつじさる」、「いぬい」と呼ばれ、該当する[[八卦]]から、「[[艮]](ごん)」、「[[巽]](そん)」、「[[坤]](こん)」、「[[乾]](けん)」の字を充当している。指南の実物を見るかぎり、南を指すためのレンゲの形状の磁石を置いた板の模様は、[[六壬神課]]で使用する[[式盤]]の地盤の形状に酷似している。
 
 
 
なお、二十四方(下表参考)では、十干のうちの[[戊]]・[[己]]は用いられない。したがって、十干のうちの8、十二支の12、八卦のうちの4を合わせての24方位となる。
 
 
 
{| class="wikitable" style="text-align:center"
 
! !! [[漢字]] !! [[中国語]] !! 日本語([[音読み|音]]) !! 日本語([[訓読み|訓]]) !! 角度 !! 方位
 
|-
 
!1
 
| 子 || zǐ || し || ね || 0° || 北
 
|-
 
! 2
 
| 癸 || guǐ || き || みずのと || 15° || 北北東微北
 
|-
 
! 3
 
| 丑 || chǒu || ちゅう || うし || 30° || 北北東微東
 
|-
 
! 4
 
| 艮 || gèn || ごん || うしとら || 45° || 北東
 
|-
 
! 5
 
| 寅 || yín || いん || とら || 60° || 東北東微北
 
|-
 
! 6
 
| 甲 || jiǎ || こう || きのえ || 75° || 東北東微東
 
|-
 
! 7
 
| 卯 || mǎo || ぼう || う || 90° || 東
 
|-
 
! 8
 
| 乙 || yǐ || いつ || きのと || 105° || 東南東微東
 
|-
 
! 9
 
| 辰 || chén || しん || たつ || 120° || 東南東微南
 
|-
 
! 10
 
| 巽 || xùn || そん || たつみ || 135° || 南東
 
|-
 
! 11
 
| 巳 || sì || し || み || 150° || 南南東微東
 
|-
 
! 12
 
| 丙 || bǐng || へい || ひのえ || 165° || 南南東微南
 
|-
 
! 13
 
| 午 || wǔ || ご || うま || 180° || 南
 
|-
 
! 14
 
| 丁 || dīng || てい || ひのと || 195° || 南南西微南
 
|-
 
! 15
 
| 未 || wèi || み || ひつじ || 210° || 南南西微西
 
|-
 
! 16
 
| 坤 || kūn || こん || ひつじさる || 225° || 南西
 
|-
 
! 17
 
| 申 || shēn || しん || さる || 240° || 西南西微南
 
|-
 
! 18
 
| 庚 || gēng || こう || かのえ || 255° || 西南西微西
 
|-
 
! 19
 
| 酉 || yǒu || ゆう || とり || 270° || 西
 
|-
 
! 20
 
| 辛 || xīn || しん || かのと || 285° || 西北西微西
 
|-
 
! 21
 
| 戌 || xū || じゅつ || いぬ || 300° || 西北西微北
 
|-
 
! 22
 
| 乾 || qián || けん || いぬい || 315° || 北西
 
|-
 
! 23
 
| 亥 || hài || がい || い || 330° || 北北西微西
 
|-
 
! 24
 
| 壬 || rén || じん || みずのえ || 345° || 北北西微北
 
|}
 
 
 
十二支が方位と結合していくのは、漢代のことと考えられている。漢代には易の解釈学である「象数易」という学問が隆盛し、そこでは、易の[[六十四卦|卦]]や、それを構成する[[爻]]に、十二月、[[十二律]](音律)、十二辰(支)、[[二十四節気]]、五行、方位などが配当され、極めて複雑な理論が編み出された。
 
 
 
なお、[[歳徳神]]の在する方向とされる[[恵方]](えほう)は、その年の干名によって定められている。
 
 
 
== 干支にかかわる伝承や俗信 ==
 
干支が十二獣や陰陽五行思想と結びついたことで、さまざまな伝承や俗信が生まれたが、日本に伝来すると日本固有のものとも習合して独自の俗信を生んでいった。中には、[[申]](さる)の日は「去る」と通じるので[[結婚式]]を行わないなどというものもあった。
 
 
 
=== 還暦 ===
 
[[数え年]]の61歳は、生まれた年の干支に戻るので、「暦が還(かえ)った」という意味で「[[還暦]](かんれき)」といい、歳をとる[[正月]]には、公私ともに正式に[[隠居]]して長寿の祝いをした(東洋にあっては[[誕生日]]の概念は乏しかった)。この年齢に達すると[[親族]]などが赤い[[頭巾]]や[[ちゃんちゃんこ]]を贈るのは、もう一度[[赤ちゃん]]に戻って「生まれ直す」という意味合いをこめている<ref>飯倉(2003)。</ref>。現在は、[[満年齢|満]]60歳の誕生日や60[[数え年#数え年、満年齢、周年の違い|周年]]に還暦の祝いをすることが多い。2周(120年)した場合は[[大還暦]]という。
 
 
 
中国では「花甲」、日本と同じように60年の長寿を祝い、無病息災を願う習慣が今も続いている。
 
 
 
=== 辛酉革命、甲子革令 ===
 
中国漢代[[緯書]]にみえる予言説([[讖緯]])である。中国よりもむしろ日本で信じられた。
 
 
 
[[辛酉]]は[[天|天命]]が改まる年とされ、王朝が交代する[[革命]]の年で[[辛酉|辛酉革命]]という。日本では、[[平安時代]]に政治的変革が起るのを防ぐ目的で、[[三善清行]]の提唱によって、辛酉年の[[昌泰]]4年([[901年]])が「[[延喜]]」と改元された。それ以来、日本では[[慶応]]に至るまで、辛酉年と前年の[[庚申]]年の2年続きで改元が実施されたが、中国ではこのような例はない。
 
 
 
また、『日本書紀』では、[[神武天皇]]が即位したとする年を西暦[[紀元前660年]]の辛酉の年に充てている。これについて、[[明治時代]]の歴史学者[[那珂通世]]は、『緯書』にある鄭玄の注に、1260年に一度(干支一周の60年(1元)×21元=1260年=1蔀)の辛酉年には大革命が起こるとの記述があり、[[推古天皇]]9年([[601年]])がその年に充たることから、この1260年前にあたる西暦紀元前660年を即位年に充てたとの説を立てた。また、1320年(60年×22回=1320年)周期説を採用する学者もあり、その場合、辛酉の3年後に充たる甲子年が革令([[甲子|甲子革令]])の年であり、[[白村江の戦い]]の翌年の甲子年(西暦[[664年]])が基点とされる。
 
 
 
甲子革命については、中国でも、後漢末に[[太平道]]の教祖[[張角]]は[[光和]]3年([[180年]])に「{{Lang|zh-hant|蒼天已死 黃天當立 歲在甲子 天下大吉}}(『[[後漢書]]』71巻 皇甫嵩朱鑈列傳 第61 [[皇甫嵩]]伝<ref>{{cite wikisource|後漢書/卷71|范曄|zh|nobullet=yes}}</ref>)」、蒼天(漢朝)已に死す 黄天(黄巾党)當に立つべし 歳は「甲子」に在り 天下大吉)とのスローガンを発しており、干支に基づく[[易姓革命]]を意識して[[光和]]7年([[184年]])という甲子の年に[[黄巾の乱]]を起こした史実がある。
 
 
 
=== 庚申 ===
 
[[画像:Kōshinkuyōtō, Iseyama, Fujisawa, Kanagawa.jpg|thumb|270px|right|[[神奈川県]][[藤沢市]][[伊勢山 (藤沢市)|伊勢山]]公園の庚申塔([[申]]にちなんで[[三猿]]が彫られている)]]
 
 
 
{{main|庚申塔}}
 
近代以前の日本では、[[庚申]]の日に広く庚申講が行われたが、これは[[道教]]の[[伝説]]に基づいている。
 
 
 
中国の言い伝えによれば、人間の頭と腹と足には[[三尸]](さんし)の虫がいて、いつもその人の悪事を監視している。三尸の虫は庚申の日の夜の寝ている間に天に登って天帝に日頃の行いを報告し、罪状によっては[[寿命]]が縮められるとされる。そこで、三尸の虫が天に登れないようにするため、この日には徹夜しなければならないとされた。これを「守庚申」という。また、中国では、庚申の日には、菜食するのがよいとも言われていた。
 
 
 
日本では、「庚申さま」として庚申の日そのものも神格化された。庚申の日の夜は村人が集まって神々を祀り、その後、寝ずに酒盛りなどをして夜を明かした。これを[[庚申講]]という。庚申講を3年18回<ref>庚申の日は60日ごとなので、1年に6回ある。</ref>続けた記念に建立されたのが[[庚申塔]]で、今も各地に残っている。
 
 
 
なお、日本には、庚申の晩に生まれた子、あるいは庚申の日の交わりで孕んだ子は盗人になるという言い伝えもあった。
 
 
 
=== 丙午 ===
 
[[陰陽五行説]]によれば、[[丙]]も[[午]]もともに剛強なる陽であって[[火]]の性格をもち、中国ではその年は火災が多いなどといわれていた。
 
 
 
それが日本では、[[八百屋お七]]が[[丙午]]の年([[1666年]])生まれだという風説があった<ref>実際は1668年生まれだった可能性が高い。</ref>ところから、丙午の年に生まれた[[女性]]は気性が激しく、[[夫]]の運勢を圧倒して連れ合いを短命にするという俗信に変化した<ref>[[1810年]]『[[燕石雑志]]』に「丙午の女は必ず男を食えると世に伝えし」とある。</ref>。これは[[男性]]中心主義の見方であり、迷信俗説に類するものであるが、日本では丙午年の出産が避けられて、新生児の数が他の干支の年よりも少なかった。最近では[[1966年]]で、前年比で45万人減少した136万人が生まれた。その反動もあり、翌年の丁未の年は新生児の数が例年よりおよそ57万人増え、193万人が生まれた。なお、同様に火の重なる[[丁巳]](ひのとみ)は[[八専]]の一つである。
 
 
 
=== 強の寅 ===
 
[[五黄の寅]]参照。
 
 
 
=== 干支と年中行事 ===
 
[[画像:Japanese Festival in Honor of the Birth of Children.jpg|thumb|270px|right|[[端午の節句]]([[江戸時代]]の[[鯉のぼり]])、『日本の礼儀と習慣のスケッチ』([[1867年]])より]]
 
 
 
干支は、[[二十四節気]]や[[雑節]]と結びついて、各地でさまざまな[[行事]]が行われている。
 
 
 
中国の漢代には、[[正月]]最初の[[子 (十二支)|子]]の日には[[皇帝]]が[[鋤]]で耕し、[[皇后]]が[[箒]]で蚕床をはらって、[[祖先神]]や[[蚕神]]をまつる行事があったといわれている。
 
 
 
この行事は、古代日本にも伝播しており、[[正倉院]]には使用した鋤と箒が現存している。正月初子(はつね)の日に、山野に出て若菜をつみ、若松をひいて長寿を願った行事が、『[[小右記]]』にも記された「[[子の日のお遊び]]」であり、平安時代の宮中の年中行事であった。
 
 
 
それ以外で著名なものとしては、次のものがある。
 
*[[初午]]…[[2月]]最初の[[午]]の日に[[稲荷神社]]で[[祭礼]]が行われる。
 
*[[端午の節句]]…[[5月]]の月初めの午(端午)の日に行われる[[年中行事]]。
 
*[[土用の丑の日]]…[[土用]]<ref>[[雑節]]に基づく暦。雑節とは[[二十四節気]]以外に設けられた季節の区切りのこと。本来は、[[土用]]は[[立春]]前、[[立夏]]前、[[立秋]]前、[[立冬]]前の年4回ある。</ref>([[立秋]]前の18日間)の[[丑]]の日。[[風呂]]に入ったり、[[灸]]をしたり、「ウ」のつく食べ物<ref>「ウ」のつく食べ物とは、丑(うし)からの連想と思われる。[[ウリ]]や[[梅干し]]、[[ウナギ]]などであるが、ことにウナギは有名である。実際に牛を食べなかったのは、肉食が憚られる時代には無理だったこと、当時の牛は肉や乳を供するのではなく主として労働力に用いられていたからなどの説がある。</ref>を食べるとよいとされた<ref>飯倉(2003)。</ref>。
 
*[[田の神#亥の子|亥の子]]…旧暦10月の[[亥]]の日に行う刈上げ行事。
 
*[[酉の市]]…[[11月]]の[[酉]]の日の[[鷲神社]]で行われる祭礼の際、[[神社]]境内に立つ[[市場|市]]。
 
*[[子の日祭]]…[[ネズミ]]が[[大黒天]]の使獣と考えられたところから、[[子 (十二支)|子]]の月(11月)の子の日に行われた。
 
*[[丑紅]]…[[寒]]中に作った紅は質が良いとして[[丑]]の日に「丑紅(寒紅)」を売る行事。
 
*戌の日…[[犬]]はお産が軽いとされることから、[[帯祝い]]などにはこの日を選ぶ風習がある。
 
 
 
=== 選日 ===
 
==== 天赦日 ====
 
干支相生の日とされた[[天赦日]]は、「よろずよし」の大吉日と考えられてきた。春([[立春]]から[[立夏]]前まで)は[[戊寅]]、夏(立夏から[[立秋]]前まで)は[[甲午]]、秋(立秋から[[立冬]]前まで)は[[戊申]]、冬(立冬から立春前まで)は[[甲子]]の日である。
 
 
 
==== 三隣亡(さんりんぼう) ====
 
{{main|三隣亡}}
 
[[選日]]のひとつ。1月・4月・7月・10月の[[亥]]の日、2月・5月・8月・11月の[[寅]]の日、3月・6月・9月・12月の[[午]]の日を[[三隣亡]]という。[[棟上げ]]など[[建築]]に関することの凶日とされる。
 
 
 
==== 十方暮(じっぽうくれ) ====
 
{{main|十方暮}}
 
選日のひとつ。干支21番目の[[甲申]]の日から30番目の[[癸巳]]の日までの10日間を凶とした。
 
 
 
==== 三伏(さんぶく)====
 
{{main|三伏}}
 
選日のひとつ。[[夏至]]以降3度目の[[庚]]の日(初伏)、4度目の庚の日(中伏)、立秋以後の最初の庚の日(末伏)を凶日とする。庚(かのえ)は「金の兄」で金の陽性であり、金は火に伏せられること(火剋金)から、火性の最も盛んな夏の時期の庚の日は凶であるとする考えに由来している。
 
 
 
==== それ以外の選日 ====
 
それ以外の選日に次のものがあり、いずれも干支が用いられる。
 
*[[八専]]
 
*[[不成就日]]
 
*[[天一天上]]
 
*[[一粒万倍日]]
 
*[[犯土]](大土・小土)
 
*[[臘日]]
 
 
 
=== 干支と占い ===
 
漢代には[[易]]の解釈学として象数易が流行し、そこでは、易の[[六十四卦|卦]]や、それを構成する[[爻]]に、十二月、十二支、二十四節気、五行、方位などが配当されて、複雑な理論が編み出された。
 
 
 
特に[[八卦]]と干支が結びついて占いに用いたものとして、[[納甲]]がある<ref>納甲という名前だが、実際の占いでは十二支を使用することがほとんどである。</ref>。完成は[[前漢]]代の[[京房]]によるといわれており、[[三国時代 (中国)|三国時代]]の[[呉 (三国)|呉]]の[[虞翻]]らによって継承された。後には十二支も易に用いられるようになり、八卦の各爻に干支が当てはめられた。唐の李淳風は『周易元義』で八卦六位図を伝えている。
 
 
 
一方、[[納音]]は、干支を陰陽五行説や中国古代の音韻理論を応用し、[[形容詞]]を付加して30に分類したものである。生まれ年の納音は、その人の運命を判断するのに用いられた<ref>[[荻原井泉水]]は生まれ年の納音「井泉水」を[[俳号]]としたものである。<!--[[種田山頭火]]の「山頭火」は納音に由来するが、生まれ年の納音ではなく、字面を好んでの命名という。--></ref>。
 
納音において凶日とされたのが[[五墓日]]であった。[[戊辰]]の日、[[壬辰]]の日、[[丙戌]]の日、[[辛丑]]の日、[[乙未]]の日がそれで<!--五墓日って納音に基づくものなのでしょうか?日干五行から日支にひいた十二運の墓で決まっているように見えるのですが-->、家作りは構わないが、動土・地固め・葬式・墓作り・播種・旅行・祈祷などは凶とされた。その名から、この日に葬式などを行うと、墓を5つ並べるといって忌むことがあった。
 
 
 
==== 十二直 ====
 
{{main|十二直}}
 
'''十二直'''とは、[[暦注]]の一つであり、十二支とは別の12のサイクルを月に合わせて暦をつくり、その日の吉凶を占ったものである。中国では戦国時代に萌芽が見られ、秦と[[楚 (春秋)|楚]]では異なる十二直を使用していた。現代まで伝わっているのは中国を統一した秦の十二直である。[[十二直]]は、建・除・満・平・定・執・破・危・成・納・開・閉から構成される。
 
 
 
==== 現代における干支占い ====
 
現代において干支占いは、[[血液型性格分類]]や[[占星術]]と比べてマイナーである。[[ABO式血液型|血液型]]や[[星座]]は個人のプロフィールによく記述されるが、干支は記載されないことが多い。そのせいもあって、干支は血液型や星座などと異なり[[疑似科学]]の扱いを受けないことが多い。[[心理学|心理学者]]でもあった[[増永篤彦]]によって行われた、生日の干支において干から支にひいた[[十二運]]とある種の性格分類に相関があるとする研究は、動物占いや動物占いの動物キャラクターを別のもので置き換えた様々な占いに無断で流用されている。
 
 
 
== 干支の求め方 ==
 
=== 年の干支 ===
 
ある年を[[西暦]](あるいは[[神武天皇即位紀元|皇紀]])で表した値を10で割った余り、すなわち一の位を求め、下表から十干を割り出す。
 
{| class="wikitable" style="text-align:center"
 
! 余り(一の位)
 
| 0 || 1 || 2 || 3 || 4 || 5 || 6 || 7 || 8 || 9</td></tr>
 
|-
 
! 十干
 
| 庚 || 辛 || 壬 || 癸 || 甲 || 乙 || 丙 || 丁 || 戊 || 己
 
|}
 
 
 
同様に、西暦(あるいは皇紀)で表した値を12で割った余りを求め、下表から十二支を割り出す。
 
{| class="wikitable" style="text-align:center"
 
!余り
 
| 0 || 1 || 2 || 3 || 4 || 5 || 6 || 7 || 8 || 9 || 10 || 11
 
|-
 
!十二支
 
| 申 || 酉 || 戌 || 亥 || 子 || 丑 || 寅 || 卯 || 辰 || 巳 || 午 || 未
 
|}
 
 
 
この二つの組合せが、その年の干支である。すなわち、西暦と皇紀においては、10の倍数の年が[[庚]]、12の倍数の年が[[申]]、60の倍数の年が[[庚申]]となる。例えば、西暦2005年(皇紀2665年)は、2005(2665)を 10 で割った余りが 5 となり、12 で割った余りが 1 となるので、[[乙酉]](きのととり・いつゆう)となる。
 
 
 
また、西暦で表した値から 3 を引いて 60 で割った余りが干支一覧の左端の数となる(0の場合は60にする)。例えば、西暦2005年は、2005から 3 を引くと2002で、2002を 60 で割った余りは 22となり、乙酉が求められる。
 
 
 
現在の日本においては、[[太陽暦]]の年に対して干支を適用することが多いが、伝統的には[[節月]]([[立春]]から翌年の立春の前日まで)を1つの干支として適用することも多く、一部の占いにおいては今日にも引き継がれている。また中国においては[[太陽太陰暦]](農暦)に対して適用している。
 
 
 
=== 月の干支 ===
 
十二支は[[月 (暦)|月]]と同じ12個なので、月の十二支は毎年同じになる<!--太陽太陰暦の閏月は?-->。十干は10個なので、十二支と組み合わせると、[[太陽暦]]では5年(60か月)周期で月の同じ干支が繰り返されることになる。
 
 
 
{| border="1" class="wikitable"
 
!西暦年の下1桁!!1月!!2月!!3月!!4月!!5月!!6月!!7月!!8月!!9月!!10月!!11月!!12月
 
|-
 
|甲と己(4,9)||丙寅||丁卯||戊辰||己巳||庚午||辛未||壬申||癸酉||甲戌||乙亥||丙子||丁丑
 
|-
 
|乙と庚(5,0)||戊寅||己卯||庚辰||辛巳||壬午||癸未||甲申||乙酉||丙戌||丁亥||戊子||己丑
 
|-
 
|丙と辛(6,1)||庚寅||辛卯||壬辰||癸巳||甲午||乙未||丙申||丁酉||戊戌||己亥||庚子||辛丑
 
|-
 
|丁と壬(7,2)||壬寅||癸卯||甲辰||乙巳||丙午||丁未||戊申||己酉||庚戌||辛亥||壬子||癸丑
 
|-
 
|戊と癸(8,3)||甲寅||乙卯||丙辰||丁巳||戊午||己未||庚申||辛酉||壬戌||癸亥||甲子||乙丑
 
|}
 
 
 
ここでいう月は、「暦月」(1日から翌月1日の前日まで)を適用する場合と「[[節月]]」(節気から次の節気の前日まで)を適用する場合とがある。
 
 
 
=== 日の干支 ===
 
[[ユリウス通日]]に49を加えて60で割った余りに1を加えると、上表(「干支」のページ、一番上の右側に表示) に示した数字となる。
 
 
 
'''検表法'''
 
{| class="wikitable collapsible collapsed" style="text-align:center"
 
|-
 
! colspan="8" | 十干 || A <br/> 甲 || B <br/> 乙 || C <br/> 丙 || D <br/> 丁 || E <br/> 戊 || F<br/> 己 || G<br/> 庚 || H<br/> 辛 || I<br/> 壬 || J<br/> 癸 || colspan="10" | 天<br/>干 ||  rowspan="15" colspan="5"| 干<br/> 支 <br/>纪 <br/>日 <br/>速 <br/>查 <br/>表
 
|-
 
| rowspan="4" colspan="4"  | 世紀 || rowspan="4" colspan="4" | 日付 || 01 || 02 || 03 || 04 || 05 || 06 || 07 || 08 || 09 || 10 || rowspan="4" colspan="10" | 年
 
|-
 
| 11 || 12 || 13 || 14 || 15 || 16 || 17 || 18 || 19 || 20
 
|-
 
| 21 || 22 || 23 || 24 || 25 || 26 || 27 || 28 || 29 || 30
 
|-
 
| 31 ||  ||  ||  ||  ||  ||  ||  ||  ||
 
|-
 
| <font color="red">16</font>
 
! colspan="3" | <font color="red">ユリウス</font>
 
| 08 || colspan="3" | 
 
! A || B || C || D || E || F || G || H || I || J
 
| <font color="red">0</font>0 || 02 || 21 || 23 || <font color="red">40</font> || 42 || 61 || 63 || <font color="red">80</font> || 82
 
|-
 
| colspan="2" | || 23 ||  || 02  || 06  || 07 || || J || A || B || C || D || E || F || G || H || I || <font color="red">04</font> || 06 || 25 || 27 || <font color="red">44</font> || 46 || 65 || 67|| <font color="red">84</font> || 86
 
|-
 
| 18 || colspan="3" | || 01  || 04  || 05 || <font color="red">02</font>  || I || J || A || B || C || D || E || F || G || H || <font color="red">08</font> || 10 || 29 || 31 || <font color="red">48</font> || 50 || 69 || 71 || <font color="red">88</font> || 90
 
|-
 
| || {{yes|}}<font color="red">20</font> || colspan="2" | ||  || 03 ||  || <font color="red">01</font>  || {{yes|}}H || {{yes|}}I || {{yes|}}J || {{yes|}}A || {{yes|}}B || {{yes|}}C || {{yes|}}D || {{yes|}}E || {{yes|}}F || {{yes|}}G || <font color="red">12</font> || 14 || 33 || 35 || <font color="red">52</font> || 54 || 73 || 75 || <font color="red">92</font> || 94
 
|-
 
| colspan="4" | ||colspan="4" |  || {{yes|}}G || {{yes|}}H || {{yes|}}I || {{yes|}}J || {{yes|}}A || {{yes|}}B || {{yes|}}C || {{yes|}}D || {{yes|}}E || {{yes|}}F || <font color="red">16</font> || {{yes|}}18 || 37 || 39 || <font color="red">56</font> || 58 || 77 || 79 || <font color="red">96</font> || 98
 
|-
 
| colspan="2" | || 22 ||  || colspan="4" | || F || G || H || I || J || A || B || C || D || E || 01 || 03 || <font color="red">20</font> || 22 ||  41|| 43 || <font color="red">60</font> || 62 || 81 || 83
 
|-
 
| 17 ||colspan="2" | ||  <font color="red">24</font> || colspan="4" | || E || F || G || H || I || J || A || B || C || D || 05 || 07 || <font color="red">24</font> || 26 || 45 || 47 || <font color="red">64</font> || 66 || 85 || 87
 
|-
 
| colspan="4" | || colspan="4" | || D || E || F || G || H || I || J || A || B || C || 09 || 11 || <font color="red">28</font> || 30 || 49 || 51 || <font color="red">68</font> || 70 || 89 || 91
 
|-
 
| || 19 || colspan="2" | || 11 ||  12 || colspan="2" | || C || D || E || F || G || H || I || J || A || B || 13 || 15 || <font color="red">32</font> || 34 || 53 || 55 || <font color="red">72</font> || 74 || 93 || 95
 
|-
 
| colspan="2" | || 21 ||  || 09  || 10 || colspan="2" | || B || C || D || E || F || G || H || I || J || A || 17 || 19 || <font color="red">36</font> || 38 || 57 || 59 || <font color="red">76</font> || 78 || 97 || 99
 
 
 
|-
 
! colspan="8" | 十二支 || A <br/> 子 || B <br/> 丑 || C <br/> 寅 || D <br/> 卯 || E <br/> 辰 || F <br/> 巳 || G <br/> 午 || H <br/> 未 ||  I<br/> 申 || J <br/> 酉 || K <br/> 戌 || L <br/> 亥 || colspan="13"| 地<br/>支
 
|-
 
| rowspan="3" colspan="4" | 世紀 || rowspan="3" colspan="4" | 日付 || 01 || 02 || 03 || 04 || 05 || 06 || 07 || 08 || 09 || 10 || 11 || 12 || rowspan="3" colspan="13"| 年
 
|-
 
| 13 || 14 || 15 || 16 || 17 || 18 || 19 || 20 || 21 || 22 || 23 || 24
 
|-
 
| 25 || 26 || 27 || 28 || 29 || 30 || 31 ||  ||  ||  ||  ||
 
|-
 
!colspan="4" | <font color="red">ユリウス</font>
 
|colspan="3" | || 11
 
! A || B || C || D || E || F || G || H || I || J || K || L
 
| <font color="red">0</font>0 || 07 || <font color="red">16</font> || 23 || <font color="red">32</font> || 39 || <font color="red">48</font> || 55 || <font color="red">64</font> || 71 || <font color="red">80</font> || 87 || <font color="red">96</font> 
 
|-
 
| colspan="2" | || {{yes|}}<font color="red"> 20 </font> || 23 || colspan="2" | || 09 || || {{yes|}}L || {{yes|}}A || {{yes|}}B || {{yes|}}C || {{yes|}}D || {{yes|}}E || {{yes|}}F || {{yes|}}G || {{yes|}}H || {{yes|}}I || {{yes|}}J || {{yes|}}K ||  || 14 ||  || 30 ||  || 46 ||  || 62 ||  || 78 ||  || 94 ||
 
|-
 
| 17 || colspan="3" | || colspan="4" | || K || L || A || B || C || D || E || F || G || H || I || J || 05 ||  || 21 ||  || 37 ||  || 53 ||  || 69 ||  || 85 ||  ||
 
|-
 
| colspan="4" | || colspan="2" | || 07 || || J || K || L || A || B || C || D || E || F || G || H || I || 03 || <font color="red">12</font>|| 19 || <font color="red">28</font> || 35 || <font color="red">44</font> || 51 || <font color="red">60</font> || 67 || <font color="red">76</font> || 83 || <font color="red">92</font> || 99
 
|-
 
| colspan="3" | || <font color="red">24</font> || 01 || 05 || colspan="2" | || I || J || K || L || A || B || C || D || E || F || G || H ||  || 10 ||  || 26 ||  || 42 ||  || 58 ||  || 74 ||  || 90 ||
 
|-
 
| colspan="2" | || 21 || || <font color="red">01</font> || 03 || colspan="2" | || H || I || J || K || L || A || B || C || D || E || F || G || 01 ||  || 17 ||  || 33 ||  || 49 ||  || 65 ||  || 81 ||  || 97
 
|-
 
| || 18 || colspan="2" | || colspan="3" | || 12 || G || H || I || J || K || L || A || B || C || D || E || F ||  || <font color="red">08</font> || 15 || <font color="red">24</font> || 31 || <font color="red">40</font> || 47 || <font color="red">56</font> || 63 || <font color="red">72</font> || 79 || <font color="red">88</font> || 95
 
|-
 
| colspan="4" | || colspan="3" | || 10 || F || G || H || I || J || K || L || A || B || C || D || E || 06 || || 22 ||  || 38 ||  || 54 ||  || 70 ||  || 86 ||  ||
 
|-
 
| colspan="4" | || colspan="2" | || 08 || || E || F || G || H || I || J || K || L || A || B || C || D ||  || 13 ||  || 29 ||  || 45 ||  || 61 ||  || 77 ||  || 93 ||
 
|-
 
| colspan="2" | || 22 || || 02 || 06 || colspan="2" | || D || E || F || G || H || I || J || K || L || A || B || C || <font color="red">04</font> || 11 || <font color="red">20</font> || 27 || <font color="red">36</font> || 43 || <font color="red">52</font> || 59 || <font color="red">68</font> || 75 || <font color="red">84</font> || 91 ||
 
|-
 
| <font color="red">16</font> || 19 || colspan="2" | || <font color="red">02</font> || 04 || colspan="2" | || {{yes|}}C || {{yes|}}D || {{yes|}}E || {{yes|}}F || {{yes|}}G || {{yes|}}H || {{yes|}}I || {{yes|}}J || {{yes|}}K || {{yes|}}L || {{yes|}}A || {{yes|}}B || 02 || || {{yes|}}18 ||  || 34 ||  || 50 ||  || 66 ||  || 82 ||  || 98
 
|-
 
| colspan="4" | || colspan="4" | || B || C || D || E || F || G || H || I || J || K || L || A  ||  || 09 ||  || 25 ||  || 41 ||  || 57 ||  || 73 ||  || 89 ||
 
|}
 
 
 
例えば、西暦2018年5月21日は、十干日付5月21日I、年18I、世紀20'''J''' (癸)、十二支5.21E、18E、20'''B'''(丑)、癸丑の日である。ユリウス暦の場合、西曆年で表した値を80で割った余りを求め(年 mod 80)、その他のステップと同じである。例えば、紀元前105年(-104 mod 80 = 56)12月25日は、十干日付12月25日G、年56G、世紀ユリウス'''A'''(甲)、十二支12.25G、56G、ユリウス'''A'''(子)、甲子の日である。例を挙げましょう。
 
#1960.12.6: 十干HH'''E'''戊、十二支LL'''E'''辰、干支は戊辰である。
 
#1800.1.1: 十干II'''G'''庚、十二支II'''C'''寅、干支は庚寅である。
 
#1582.10.4: 1582 mod 80 = 62、十干EE'''J'''癸、十二支II'''J'''酉、干支は癸酉である。
 
#-2020.2.29: -2020 mod 80 = 60、十干GG'''B'''乙、十二支GG'''J'''酉、干支は乙酉である。
 
 
 
'''公式法'''
 
*グレゴリオ暦の公式:干支数 = (10 + [年/400] - [年/100] + 年 mod 80 x 5 + [年 mod 80/4] + 月値(m) + 日(d)) mod 60。
 
*ユリウス暦の公式:干支数 = (8 + 年 mod 80 x 5 + [年 mod 80/4] + 月値(m) + 日(d)) mod 60。
 
:{| class="wikitable" style="text-align:right"
 
|-
 
!月<br/>値
 
||01<br>00||02<br/>31||03<br/>-1||04<br/>30||05<br/>00||06<br/>31||07<br/>01||08<br/>32||09<br/>03||10<br/>33||11<br>04||12<br/>34
 
|-
 
!闰
 
||-1||30
 
!m
 
|colspan="9"|([30.6(M - 3) + 0.4] - 1) mod 60
 
|}
 
*例1: 2000年1月1日
 
:c = 10 + [20/4] - 20 = -5
 
:y = 2000 mod 80 x 5 + [2000 mod 80/4] = 0
 
:干支数 = (c + y + m + d) mod 60
 
:干支数 = (-5 + 0 - 1 + 1) mod 60 = 55
 
:干支は戊午である。
 
*例2: 紀元前4713年1月1日
 
:c = 8
 
:y = -4712 mod 80 x 5 [-4712 mod 80/4] = 42
 
:干支数 = (8 + 42 - 1 + 1) mod 60 = 50
 
:干支は癸丑である。
 
 
 
== 干支一覧 ==
 
「五行」は十干、十二支それぞれの五行をあらわす。なお、十干が「弟(と)」の場合だけ、十干と十二支の間に「の」を入れて読むのが慣例である。
 
{|border=1 class="wikitable"
 
|-
 
!順
 
!干支<br />(読み)
 
!五行
 
![[選日]]
 
!その干支に関する事項
 
!1804-<br />1923年
 
!1924-<br />2043年
 
|-
 
| style="text-align:center" | 1
 
|[[甲子]]<br />(きのえね・かっし)
 
|木水
 
|[[天赦日]](立冬後)
 
|[[甲子士禍]]([[1504年]]、[[朝鮮]])<br />[[松尾芭蕉|芭蕉]]『[[甲子吟行]]』([[1684年]])<br />[[松浦清|松浦静山]]『[[甲子夜話]]』([[1821年]]、甲子の日に執筆開始)<br />[[伊東甲子太郎]]上洛([[1864年]])<br />[[阪神甲子園球場]]開園([[1924年]])<br />[[甲子信用組合]]創業(1924年)<br />[[甲子革命]]・[[甲子改元]]<br />[[飯沼本家|甲子正宗]]
 
|[[1804年]]<br />[[1864年]]
 
|[[1924年]]<br />[[1984年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 2
 
|[[乙丑]]<br />(きのとのうし・いっちゅう)
 
|木土
 
|&nbsp;
 
|&nbsp;
 
|[[1805年]]<br />[[1865年]]
 
|[[1925年]]<br />[[1985年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 3
 
|[[丙寅]]<br />(ひのえとら・へいいん)
 
|火木
 
|&nbsp;
 
|[[文化の大火|丙寅の大火]]([[1806年]]、日本)<br />[[丙寅教獄]]・[[丙寅洋擾]]([[1866年]]、朝鮮)
 
|[[1806年]]<br />[[1866年]]
 
|[[1926年]]<br />[[1986年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 4
 
|[[丁卯]]<br />(ひのとのう・ていぼう)
 
|火木
 
|&nbsp;
 
|[[丁卯胡乱]]([[1627年]]、朝鮮)
 
|[[1807年]]<br />[[1867年]]
 
|[[1927年]]<br />[[1987年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 5
 
|[[戊辰]]<br />(つちのえたつ・ぼしん)
 
|土土
 
|&nbsp;
 
|[[戊辰戦争]]([[1868年]]、[[日本]])
 
|[[1808年]]<br />[[1868年]]
 
|[[1928年]]<br />[[1988年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 6
 
|[[己巳]]<br />(つちのとのみ・きし)
 
|土火
 
|&nbsp;
 
|[[己巳換局]]([[1689年]]、朝鮮)
 
|[[1809年]]<br />[[1869年]]
 
|[[1929年]]<br />[[1989年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 7
 
|[[庚午]]<br />(かのえうま・こうご)
 
|金火
 
|[[犯土|大土]]
 
|[[古代の戸籍制度#庚午(こうご)の年籍|庚午年籍]]([[670年]]、日本)<br />[[庚午事変]]([[1870年]]、日本)
 
|[[1810年]]<br />[[1870年]]
 
|[[1930年]]<br />[[1990年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 8
 
|[[辛未]]<br />(かのとのひつじ・しんび)
 
|金土
 
|大土
 
|[[辛未戸籍]]([[1871年]]、日本)<br />[[辛未洋擾]](1871年、朝鮮)
 
|[[1811年]]<br />[[1871年]]
 
|[[1931年]]<br />[[1991年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 9
 
|[[壬申]]<br />(みずのえさる・じんしん)
 
|水金
 
|大土
 
|[[壬申の乱]]([[672年]]、日本)<br />[[壬申戸籍]]([[1872年]]、日本)
 
|[[1812年]]<br />[[1872年]]
 
|[[1932年]]<br />[[1992年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 10
 
|[[癸酉]]<br />(みずのとのとり・きゆう)
 
|水金
 
|大土
 
|[[癸酉靖難]]([[1453年]]、朝鮮)
 
|[[1813年]]<br />[[1873年]]
 
|[[1933年]]<br />[[1993年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 11
 
|[[甲戌]]<br />(きのえいぬ・こうじゅつ)
 
|木土
 
|大土
 
|[[甲戌の獄]]・[[甲戌換局]]([[1694年]]、朝鮮)
 
|[[1814年]]<br />[[1874年]]
 
|[[1934年]]<br />[[1994年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 12
 
|[[乙亥]]<br />(きのとのい・いつがい)
 
|木水
 
|大土
 
|[[乙亥党論]]([[1575年]]、朝鮮)
 
|[[1815年]]<br />[[1875年]]
 
|[[1935年]]<br />[[1995年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 13
 
|[[丙子]]<br />(ひのえね・へいし)
 
|火水
 
|大土
 
|[[丙子冤獄]]([[1456年]]、朝鮮)<br />[[丙子胡乱]]([[1636年]]、朝鮮)<br />[[日朝修好条規|丙子修交条約]](日朝修好条規・江華島条約、[[1876年]]、朝鮮)
 
|[[1816年]]<br />[[1876年]]
 
|[[1936年]]<br />[[1996年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 14
 
|[[丁丑]]<br />(ひのとのうし・ていちゅう)
 
|火土
 
|&nbsp;
 
|[[丁丑公論]]([[1877年]]、日本)
 
|[[1817年]]<br />[[1877年]]
 
|[[1937年]]<br />[[1997年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 15
 
|[[戊寅]]<br />(つちのえとら・ぼいん)
 
|土木
 
|[[犯土|小土]]<br />天赦日([[立春]]後)
 
|[[戊寅元暦]]([[中国]])
 
|[[1818年]]<br />[[1878年]]
 
|[[1938年]]<br />[[1998年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 16
 
|[[己卯]]<br />(つちのとのう・きぼう)
 
|土木
 
|小土
 
|[[己卯士禍]]([[1519年]]、朝鮮)
 
|[[1819年]]<br />[[1879年]]
 
|[[1939年]]<br />[[1999年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 17
 
|[[庚辰]]<br />(かのえたつ・こうしん)
 
|金土
 
|小土
 
|&nbsp;
 
|[[1820年]]<br />[[1880年]]
 
|[[1940年]]<br />[[2000年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 18
 
|[[辛巳]]<br />(かのとのみ・しんし)
 
|金火
 
|小土
 
|&nbsp;
 
|[[1821年]]<br />[[1881年]]
 
|[[1941年]]<br />[[2001年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 19
 
|[[壬午]]<br />(みずのえうま・じんご)
 
|水火
 
|小土
 
|[[壬午事変]]([[1882年]]、朝鮮)
 
|[[1822年]]<br />[[1882年]]
 
|[[1942年]]<br />[[2002年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 20
 
|[[癸未]]<br />(みずのとのひつじ・きび)
 
|水土
 
|小土
 
|&nbsp;
 
|[[1823年]]<br />[[1883年]]
 
|[[1943年]]<br />[[2003年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 21
 
|[[甲申]]<br />(きのえさる・こうしん)
 
|木金
 
|小土・[[十方暮]]
 
|[[甲申政変]]([[1884年]]、朝鮮)
 
|[[1824年]]<br />[[1884年]]
 
|[[1944年]]<br />[[2004年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 22
 
|[[乙酉]]<br />(きのとのとり・いつゆう)
 
|木金
 
|十方暮
 
|&nbsp;
 
|[[1825年]]<br />[[1885年]]
 
|[[1945年]]<br />[[2005年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 23
 
|[[丙戌]]<br />(ひのえいぬ・へいじゅつ)
 
|火土
 
|十方暮
 
|&nbsp;
 
|[[1826年]]<br />[[1886年]]
 
|[[1946年]]<br />[[2006年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 24
 
|[[丁亥]]<br />(ひのとのい・ていがい)
 
|火水
 
|十方暮
 
|&nbsp;
 
|[[1827年]]<br />[[1887年]]
 
|[[1947年]]<br />[[2007年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 25
 
|[[戊子]]<br />(つちのえね・ぼし)
 
|土水
 
|十方暮
 
|&nbsp;
 
|[[1828年]]<br />[[1888年]]
 
|[[1948年]]<br />[[2008年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 26
 
|[[己丑]]<br />(つちのとのうし・きちゅう)
 
|土土
 
|十方暮
 
|&nbsp;
 
|[[1829年]]<br />[[1889年]]
 
|[[1949年]]<br />[[2009年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 27
 
|[[庚寅]]<br />(かのえとら・こういん)
 
|金木
 
|十方暮
 
|[[庚寅年籍]]([[690年]]、日本)<br />[[庚寅新誌社]]創業([[1890年]]、4年後に日本初の[[時刻表]]創刊)
 
|[[1830年]]<br />[[1890年]]
 
|[[1950年]]<br />[[2010年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 28
 
|[[辛卯]]<br />(かのとのう・しんぼう)
 
|金木
 
|十方暮
 
|&nbsp;
 
|[[1831年]]<br />[[1891年]]
 
|[[1951年]]<br />[[2011年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 29
 
|[[壬辰]]<br />(みずのえたつ・じんしん)
 
|水土
 
|十方暮
 
|[[文禄の役|壬辰倭乱]]([[文禄の役]]、[[1592年]]、朝鮮)
 
|[[1832年]]<br />[[1892年]]
 
|[[1952年]]<br />[[2012年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 30
 
|[[癸巳]]<br />(みずのとのみ・きし)
 
|水火
 
|十方暮<br />[[天一神#天一天上|天一天上]]
 
|&nbsp;
 
|[[1833年]]<br />[[1893年]]
 
|[[1953年]]<br />[[2013年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 31
 
|[[甲午]]<br />(きのえうま・こうご)
 
|木火
 
|天一天上<br />天赦日(立夏後)
 
|[[甲午農民戦争]]([[1894年]]、朝鮮)<br />[[日清戦争|甲午戦争]]([[日清戦争]] 1894年、中国)
 
|[[1834年]]<br />[[1894年]]
 
|[[1954年]]<br />[[2014年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 32
 
|[[乙未]]<br />(きのとのひつじ・いつび)
 
|木土
 
|天一天上
 
|[[乙未戦争]]([[1895年]]、[[台湾]])<br />[[乙未事変]](1895年、朝鮮)
 
|[[1835年]]<br />[[1895年]]
 
|[[1955年]]<br />[[2015年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 33
 
|[[丙申]]<br />(ひのえさる・へいしん)
 
|火金
 
|天一天上
 
|&nbsp;
 
|[[1836年]]<br />[[1896年]]
 
|[[1956年]]<br />[[2016年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 34
 
|[[丁酉]]<br />(ひのとのとり・ていゆう)
 
|火金
 
|天一天上
 
|[[慶長の役|丁酉再乱]]([[慶長の役]]、[[1597年]]、朝鮮)<br />[[丁酉文社]]([[1897年]]、日本)
 
|[[1837年]]<br />[[1897年]]
 
|[[1957年]]<br />[[2017年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 35
 
|[[戊戌]]<br />(つちのえいぬ・ぼじゅつ)
 
|土土
 
|天一天上
 
|[[高野長英]]『[[戊戌夢物語]]』([[1838年]])<br />[[戊戌変法]]・[[戊戌政変]]([[1898年]]、中国)
 
|[[1838年]]<br />[[1898年]]
 
|[[1958年]]<br />[[2018年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 36
 
|[[己亥]]<br />(つちのとのい・きがい)
 
|土水
 
|天一天上
 
|己亥東征([[応永の外寇]]、[[1419年]]、朝鮮)<br />[[礼訟#第1次礼訟(己亥礼訟)|己亥礼訟]]([[1659年]]、朝鮮)<br />[[己亥邪獄]]([[1839年]]、朝鮮)
 
|[[1839年]]<br />[[1899年]]
 
|[[1959年]]<br />[[2019年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 37
 
|[[庚子]]<br />(かのえね・こうし)
 
|金水
 
|天一天上
 
|[[義和団の乱|庚子事変(北清事変)]]([[1900年]]、中国)<br />[[庚子賠款]](1900年、中国)
 
|[[1840年]]<br />[[1900年]]
 
|[[1960年]]<br />[[2020年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 38
 
|[[辛丑]]<br />(かのとのうし・しんちゅう)
 
|金土
 
|天一天上
 
|[[北京議定書|辛丑条約(北京議定書)]]([[1901年]]、中国)
 
|[[1841年]]<br />[[1901年]]
 
|[[1961年]]<br />[[2021年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 39
 
|[[壬寅]]<br />(みずのえとら・じんいん)
 
|水木
 
|天一天上
 
|
 
|[[1842年]]<br />[[1902年]]
 
|[[1962年]]<br />[[2022年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 40
 
|[[癸卯]]<br />(みずのとのう・きぼう)
 
|水木
 
|天一天上
 
|[[癸卯園遊会]]([[1903年]]、日本)
 
|[[1843年]]<br />[[1903年]]
 
|[[1963年]]<br />[[2023年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 41
 
|[[甲辰]]<br />(きのえたつ・こうしん)
 
|木土
 
|天一天上
 
|&nbsp;
 
|[[1844年]]<br />[[1904年]]
 
|[[1964年]]<br />[[2024年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 42
 
|[[乙巳]]<br />(きのとのみ・いっし)
 
|木火
 
|天一天上
 
|[[乙巳の変]]([[645年]]、日本)<br />[[乙巳士禍]]([[1545年]]、朝鮮))<br />[[乙巳保護条約]]([[1905年]]、日本・[[大韓帝国]])
 
 
 
|[[1845年]]<br />[[1905年]]
 
|[[1965年]]<br />[[2025年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 43
 
|[[丙午]]<br />(ひのえうま・へいご)
 
|火火
 
|天一天上
 
|生まれ年にかかる俗信([[丙午#迷信|ひのえうまの迷信]])
 
|[[1846年]]<br />[[1906年]]
 
|[[1966年]]<br />[[2026年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 44
 
|[[丁未]]<br />(ひのとのひつじ・ていび)
 
|火土
 
|天一天上
 
|[[丁未換局]]([[1727年]]、朝鮮)<br />[[丁未印社]]([[1907年]]、日本)
 
|[[1847年]]<br />[[1907年]]
 
|[[1967年]]<br />[[2027年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 45
 
|[[戊申]]<br />(つちのえさる・ぼしん)
 
|土金
 
|天一天上<br />天赦日(立秋後)
 
|[[戊申の乱]]([[1728年]]、朝鮮)<br />[[戊申詔書]]([[1908年]]、日本)
 
|[[1848年]]<br />[[1908年]]
 
|[[1968年]]<br />[[2028年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 46
 
|[[己酉]]<br />(つちのとのとり・きゆう)
 
|土金
 
|&nbsp;
 
|[[己酉約条]](慶長条約、[[1609年]]、朝鮮)
 
|[[1849年]]<br />[[1909年]]
 
|[[1969年]]<br />[[2029年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 47
 
|[[庚戌]]<br />(かのえいぬ・こうじゅつ)
 
|金土
 
|&nbsp;
 
|[[庚戌の変]]([[1550年]]、中国)
 
|[[1850年]]<br />[[1910年]]
 
|[[1970年]]<br />[[2030年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 48
 
|[[辛亥]]<br />(かのとのい・しんがい)
 
|金水
 
|&nbsp;
 
|[[辛亥邪獄]]([[1791年]]、朝鮮)<br />[[辛亥革命]]([[1911年]]、中国)
 
|[[1851年]]<br />[[1911年]]
 
|[[1971年]]<br />[[2031年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 49
 
|[[壬子]]<br />(みずのえね・じんし)
 
|水水
 
|[[八専]]
 
|&nbsp;
 
|[[1852年]]<br />[[1912年]]
 
|[[1972年]]<br />[[2032年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 50
 
|[[癸丑]]<br />(みずのとのうし・きちゅう)
 
|水土
 
|&nbsp;
 
|&nbsp;
 
|[[1853年]]<br />[[1913年]]
 
|[[1973年]]<br />[[2033年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 51
 
|[[甲寅]]<br />(きのえとら・こういん)
 
|木木
 
|八専
 
|[[礼訟#第2次礼訟(甲寅礼訟)|甲寅礼訟]]([[1674年]]、朝鮮)
 
|[[1854年]]<br />[[1914年]]
 
|[[1974年]]<br />[[2034年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 52
 
|[[乙卯]]<br />(きのとのう・いつぼう)
 
|木木
 
|八専
 
|&nbsp;
 
|[[1855年]]<br />[[1915年]]
 
|[[1975年]]<br />[[2035年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 53
 
|[[丙辰]]<br />(ひのえたつ・へいしん)
 
|火土
 
|&nbsp;
 
|&nbsp;
 
|[[1856年]]<br />[[1916年]]
 
|[[1976年]]<br />[[2036年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 54
 
|[[丁巳]]<br />(ひのとのみ・ていし)
 
|火火
 
|八専
 
|&nbsp;
 
|[[1857年]]<br />[[1917年]]
 
|[[1977年]]<br />[[2037年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 55
 
|[[戊午]]<br />(つちのえうま・ぼご)
 
|土火
 
|&nbsp;
 
|[[戊午士禍]]([[1498年]]、朝鮮)<br />[[戊午の密勅]]([[1858年]]、日本)
 
|[[1858年]]<br />[[1918年]]
 
|[[1978年]]<br />[[2038年]]
 
|-
 
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|[[己未]]<br />(つちのとのひつじ・きび)
 
|土土
 
|八専
 
|&nbsp;
 
|[[1859年]]<br />[[1919年]]
 
|[[1979年]]<br />[[2039年]]
 
|-
 
| style="text-align:center" | 57
 
|[[庚申]]<br />(かのえさる・こうしん)
 
|金金
 
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|[[辛酉邪獄]]([[1801年]]、朝鮮)<br />[[辛酉政変]]([[1861年]]、中国) <br /> [[辛酉革命]]・[[辛酉改元]]
 
|[[1861年]]<br />[[1921年]]
 
|[[1981年]]<br />[[2041年]]
 
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|[[壬戌]]<br />(みずのえいぬ・じんじゅつ)
 
|水土
 
|&nbsp;
 
|[[壬戌民乱]]([[1862年]]、朝鮮)
 
|[[1862年]]<br />[[1922年]]
 
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|[[癸亥]]<br />(みずのとのい・きがい)
 
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== 脚注 ==
 
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== 参考文献 ==
 
<!-- 実際に参考にした文献一覧 -->
 
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* 陽史明『最新四柱推命理論 十干と生月「窮通宝鑑」』遊タイム出版、2006年12月、ISBN 4-86010-207-X
 
 
 
== 関連項目 ==
 
<!-- 関連するウィキリンク、ウィキ間リンク -->
 
{| cellspacing="0" cellpadding="0" style="width:100%"
 
|style="width:33%;vertical-align:top"|
 
* [[十干]]
 
* [[十二支]]
 
* [[甲骨文]]
 
* [[甲子園球場]]
 
* [[六十進法]]
 
 
 
{{Wiktionary|干支}}
 
|style="width:33%;vertical-align:top"|
 
* [[陰陽五行思想]]
 
* [[五行思想]]
 
* [[陰陽家]]
 
* [[讖緯]]
 
* [[辛酉#辛酉の年|辛酉の年]]
 
* [[甲子#甲子の年|甲子の年]]
 
* [[庚申]]
 
* [[丙午]]
 
* [[方位]]
 
* [[十二宮]]
 
* [[十二神将]]
 
* [[干支表]]
 
 
 
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* [[十二次]]
 
* [[十二運]]
 
* [[十二直]]
 
* [[中国暦]]
 
* [[日本の暦]]
 
* [[二十四節気]]
 
* [[雑節]]
 
* [[選日]]
 
* [[暦注]]
 
* [[納甲]]
 
* [[納音]]
 
* [[雑書]]
 
* [[琉球古字]]
 
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== 外部リンク ==
 
{{ウィキプロジェクトリンク|紀年法|[[画像:Nuvola apps date.svg|34px|Project:紀年法]]}}
 
* [http://www.ndl.go.jp/koyomi/index2.html 国立国会図書館「日本の暦」]
 
* [http://www.konton.net/kanji/kanshi.html 十干十二支 -- 干支(えと・かんし)]
 
* [http://koyomi8.com/directjp.cgi?http://koyomi8.com/sub/rekicyuu.htm 暦注計算](こよみのページ)
 
 
 
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2018/10/16/ (火) 22:51時点における最新版

干支(かんし、えと、中国語:干支、ピンイン:gānzhī)

干支 (えと。幹支〈もとすえ〉の意) ともいう。中国の上古に始る暦法上の用語。十干は,甲,乙,丙,丁,戊,己,庚,辛,壬,癸で,何を基準としたかは明らかでないが,もと一旬 (10日) を表わす。十二支は,子,丑,寅,卯,辰,巳,午,未,申,酉,戌,亥。すでに殷代に,干支の組合せで暦日を表わしていた。前4世紀頃,十干が五行 (木,火,土,金,水) に配当され,前2世紀頃,十二支が鼠,牛,虎,兎,竜,蛇,馬,羊,猿,鶏,犬,猪に配当され,これが伝えられて,日本では甲子を「きのえね」 (木鼠) ,乙丑を「きのとうし」 (木牛) ,丙寅を「ひのえとら」 (火虎) のように呼ぶ。漢代,前2世紀頃,干支の組合せが,年,月の順を表わすのに用いられ,十二支の時刻,方角などを表わすのに用いられるようになった。また,この頃から,占星術,五行説,その他の俗信と結びついて,迷信が盛んに行われるようになった。



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