小笠原諸島

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小笠原諸島
地理
場所 太平洋
座標 東経142度13分0秒北緯27.07778度 東経142.21667度27.07778; 142.21667
諸島 南方諸島
島数 約30[1]
主要な島 父島母島聟島硫黄島西之島沖ノ鳥島南鳥島
面積 106.1 km2 ({{rnd/b構文エラー: 予期しない演算子 < です。|構文エラー: 予期しない演算子 < です。|(構文エラー: 予期しない演算子 < です。)|構文エラー: 予期しない演算子 < です。 }} sq mi)[注釈 1][1]
長さ 400 km (250 mi)[1]
最高標高 916 m (3,005 ft)
最高峰 南硫黄島
行政
都道府県 東京都の旗 東京都
支庁 小笠原支庁
市町村 Flag of Ogasawara, Tokyo.svg 小笠原村
世界遺産 小笠原諸島
日本
英名 Ogasawara Islands
仏名 Iles d’Ogasawara
面積 7,939 ha
登録区分 自然遺産
IUCN分類 Unassigned
登録基準 (9)
登録年 2011年
公式サイト 世界遺産センター(英語)
表示

小笠原諸島(おがさわらしょとう)は、東京都特別区の南南東約1,000km太平洋上にある30余の島々である。日本の国土で、東京都小笠原村の区域と完全に一致する。総面積は104km2南鳥島沖ノ鳥島を除いて伊豆・小笠原・マリアナ島弧(伊豆・小笠原弧)の一部をなす。

概要

南鳥島を除く小笠原諸島は海洋地殻の上に形成された海洋性島弧である。太平洋プレートフィリピン海プレートの東縁に沿って沈み込むことによって誕生した。

民間人が居住するのは父島母島の2島。自衛隊などの公務員が常駐する島としては父島・硫黄島南鳥島がある [注釈 2]

これらを除く島は無人島である。ちなみに、小笠原群島は小笠原諸島の一部の名称であるが、時折混同され、小笠原群島の意味で小笠原諸島と言うことがある。

諸島を構成する島

自然

ファイル:Map of Oceanian Ecoregions.svg
オセアニア区の地図。北西端のOC0109が小笠原諸島である

小笠原諸島は生物地理区の区分上において、日本で唯一オセアニア区に属している[2]。また、形成以来ずっと大陸から隔絶していたため、島の生物は独自の進化を遂げており、「東洋ガラパゴス」とも呼ばれるほど、貴重な動植物が多い。しかし、人間が持ち込んだ生物や島の開発などが原因でオガサワラオオコウモリオガサワラノスリアカガシラカラスバトハハジマメグロなどの動物やムニンツツジムニンノボタンといった植物など、いくつかの固有種は絶滅の危機に瀕している。周辺の海域ではイルカが生息しており、それらを見るために島を訪れる人も多い。また陸上では、人間が持ち込み野生化したヤギも生息している。

指定

気候

日本気候区分では「南日本気候」、ケッペンの気候区分では、聟島(むこじま)列島・父島列島・母島列島・西之島が温帯に、火山列島南鳥島沖ノ鳥島熱帯に属するが、温帯に属する地域は一般的に亜熱帯とされる。それに併せて海洋性気候にも属する。

年間を通じて暖かく、夏と冬の気温差は小さい。から初冬にかけて台風が接近する。梅雨前線はこの地の北に現れ、太平洋高気圧の支配下となるため、北海道と同様に梅雨が無いとされる[3]

気象庁による有人観測施設は、父島気象観測所南鳥島気象観測所( 2か所とも高層気象観測も実施)、アメダスが母島(雨量のみ観測)に設置されている。なお、小笠原諸島には気象レーダーが設置されておらず、気象レーダーによる観測が行われていない[4]。また、2008年3月26日まで、日本全国で唯一気象に関する注意報警報および、週間天気予報は発表されていなかった[5]。ただし、小笠原諸島周辺海域は2017年現在でも地方海上予報区[6]の区域外であり、海上警報も発表されない。

歴史

年表

ファイル:HMS Blossom (1806).jpg
ハワイに碇泊中のブロッサム号
  • 1945年(昭和20年)2月19日3月26日 - 硫黄島の戦いが行われ、日本兵18,375名と米兵6,821名が戦死する。
  • 1945年(昭和20年) - 父島の日本軍守備隊によるアメリカ軍捕虜の処刑(人肉食については意見の相違あり)が発生(小笠原事件)。
  • 1945年(昭和20年)9月3日 - アメリカ軍駆逐艦ダンラップEnglish版号(USS Dunlap (DD-384))にて、小笠原の日本軍降伏を調印。
  • 1946年(昭和21年)1月26日 - 連合軍総司令部がSCAPIN-677を指令し、日本の小笠原諸島への施政権が停止される。
  • 1946年(昭和21年)10月 - 連合軍総司令部が欧米系の旧島民とその家族135人のみに帰島を許可する。うち129人が駆逐艦で帰島し、ボニン諸島評議会(Bonin island council)と五人委員会が設立される。
  • 1946年(昭和21年) - 小笠原支庁・村役場が東京都下谷区下谷小学校に移転する。
  • 1947年(昭和22年)7月 - 旧島民たちによって、小笠原島・硫黄島帰郷促進連盟が設立される。
  • 1948年(昭和23年) - 小笠原支庁・村役場が港区に移転する。
  • 1948年(昭和23年) - ボニン諸島貿易会社(Bonin Islands Trading Company 略称:BITC)が設立される。
  • 1951年(昭和26年) - 日本の気象庁がアメリカ政府の委託を受け、南鳥島で気象観測業務を行う[38]
  • 1952年(昭和27年)4月28日 - サンフランシスコ講和条約の発効により、小笠原諸島がアメリカの施政権下に置かれる。また、小笠原支庁及び上記5村が廃止され、役場の一般事務は東京都総務局行政部地方課分室で行われる。
  • 1956年(昭和31年) - ラドフォード提督初等学校(Admiral Radford Elementary School)が設立される。
  • 1963年(昭和38年) - 南鳥島ロランC局が完成する。これを受け、南鳥島にアメリカ沿岸警備隊が駐留し、日本の気象庁職員は撤収する[38]
  • 1965年(昭和40年) 5月 - 第1回墓参団が渡島する。
  • 1967年(昭和42年)11月16日 - 南方諸島及びその他の諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(米国との小笠原返還協定)により、小笠原諸島の日本への返還が決まる。
  • 1967年(昭和42年)12月 - 日本政府に小笠原復帰準備対策本部を設置。
  • 1968年(昭和43年)
    • 4月 - 日米間で小笠原復帰協定が締結された。
    • 4月16日 - 南方諸島及びその他の諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定の締結について国会の承認を求めるの件につき、閣議決定。
    • 5月22日 - 協定締結につき、国会で承認される。
    • 5月27日 - アメリカ合衆国へ協定を通告。協定第6条により、アメリカ合衆国政府が日本国政府から受領した日の後30日目の日(同年6月26日)に協定は効力を生ずる。
    • 6月12日 - 協定を公布(昭和43年条約第8号)。
    • 6月26日 - 協定が発効し、日本に返還される。東京都小笠原支庁設置。小笠原諸島全域を領域とする小笠原村が設置される。
    戦前の旧・大村、旧・扇村、袋沢村、旧・北村、旧・沖村および旧・硫黄島村は、小笠原村となる。かつて小笠原支庁直轄だった北硫黄島、南鳥島、沖ノ鳥島および西之島も小笠原村の区域となる。
  • 1969年(昭和44年) - 本土と小笠原を結ぶ無線電話回線が開通した。
  • 1970年(昭和45年) - 小笠原復興計画が閣議決定。
  • 1972年(昭和47年) - 東京電力が小笠原父島内燃力発電所の操業を開始(120V/60Hzから100V/50Hzへ)。
  • 1972年(昭和47年) 10月16日 - 小笠原諸島を国立公園に指定。小笠原支庁母島出張所および小笠原村役場母島支所の設置
  • 1974年(昭和49年) - 父島および母島の全域を都市計画区域に指定。小笠原復興計画(改定10箇年計画)が閣議決定。
  • 1976年(昭和51年) - 時雨ダムが完成。父島ケーブルテレビが開局。
  • 1979年(昭和54年) 3月31日 - 小笠原諸島復興特別措置法が、小笠原諸島振興特別措置法と改正される。
  • 1979年(昭和54年) 4月22日 - 村議会議員および村長の設置選挙。
  • 1979年(昭和54年) 4月23日 - 小笠原村が真の自治体として発足し、村政が確立する(それまでは東京都小笠原支庁長が村長職務執行者であった)。
  • 1981年(昭和56年) 12月24日 - 小笠原村基本構想を議決。
  • 1983年(昭和58年) 6月21日 - 通信衛星による電話のダイヤル即時通話開始。
  • 1984年(昭和59年) - 小笠原諸島振興特別措置法延長・改正。
  • 1984年(昭和59年) 10月1日 - 小笠原諸島周辺海域の海難救難・外国漁船密漁取締りなどの目的で、全国52番目の海上保安署として小笠原海上保安署が開設。
  • 1989年平成元年) - 小笠原諸島振興特別措置法が小笠原諸島振興開発特別措置法と改正。村政確立10周年。父島と母島から考古学調査始まる。
  • 1990年(平成2年) - 国土利用計画法の監視区域(200m2以上)に指定。北硫黄島の考古学調査。
  • 1991年(平成3年)7月 - 北硫黄島で遺跡調査が行われ、石野遺跡が発見される。
  • 1993年(平成5年) - 南鳥島ロランC局の施設が海上保安庁に引き渡され、アメリカ沿岸警備隊が撤収する[38]
  • 1994年(平成6年) - 天皇皇后が小笠原諸島を行幸啓する。小笠原諸島振興開発特別措置法の一部改正。
  • 1995年(平成7年) - 国土利用計画法の監視区域 (500m2) に再指定。
  • 1996年(平成8年) - テレビ地上波放送開始。
  • 2002年(平成14年) - アメリカ大統領退任後のジョージ・H・W・ブッシュが父島を訪問し、自らの乗機撃墜時に戦死した同僚を悼み、記念植樹を行う「小笠原村民だより」No.457 2002年7月1日号 (PDF)
  • 2011年(平成23年) - 小笠原諸島がユネスコ世界遺産自然遺産)に登録される。日本国内の自然遺産は白神山地青森県秋田県)、屋久島鹿児島県)、知床北海道)に続く4か所目。東京都初の世界遺産であり、唯一の自然遺産でもある。
  • 2011年(平成23年) 7月2日 - インターネット接続用の通信回線を、通信衛星経由による接続から海底光ケーブルを利用した接続へ切替工事を実施。同日の午前 5時より高速インターネット接続サービスの提供を開始。
  • 2013年(平成25年)3月31日 - 父島・母島に、NHKラジオ第1ラジオ第2FM放送の3波の中継局が設置され[注釈 4]、漸く小笠原での放送を開始する。[40]

入植の歴史

19世紀初頭林子平の『三国通覧図説』から小笠原諸島がボニン・アイランズ(Bonin Islands)としてヨーロッパへ紹介されると、各国の船舶が小笠原諸島へと寄港するようになった。

1827年イギリス海軍のブロッサム号を率いるフレデリック・ウィリアム・ビーチーが現在の父島二見港から上陸すると、前年行方不明となったイギリスの捕鯨船ウィリアム号の乗組員 2人と遭遇し、他国の船も来航していることを知ったビーチーは、領有宣言板を島内の木に打ち付け島を離れた。ビーチーより小笠原諸島の存在の報告を受けた在ホノルルイギリス領事は、ボニン・アイランズへの入植計画を進め、1830年欧米人5人と太平洋諸島出身者25人による入植団をつくり、現在の父島へ入植を果たした。この後も各国の船舶は、水や食料を確保したり病人を下船させるなど、様々な目的で頻繁に小笠原諸島に寄港した。

小笠原に漂着し外国船に助けられた日本人から伝わる情報や、ペリーの「小笠原諸島に関する覚書」におけるこの地への評価から、小笠原諸島は幕府首脳の関心を引いた。1861年江戸幕府は列国公使に小笠原の開拓を通告した。1862年1月(文久元年12月)外国奉行水野忠徳の一行が咸臨丸で小笠原に赴き、外国人島民に日本が管理することを告げた。その後八丈島から日本人の入植者が送りこまれ開拓が始まった[41]

連合軍占領下の小笠原

第二次世界大戦終戦以降は連合国軍の占領下におかれ、連合国軍の1国であったアメリカ軍の占領担当地域になった。アメリカ軍政時代にはアメリカ海軍の基地が設置され、物資の輸送は 1か月に 1回グアム島からの軍用船によって行われた。欧米系住民は戦前の土地区画に関係なく決められた区画に集められ、その多くはアメリカ軍施設で働いた。

島民の自治組織として五人委員会が設けられた。島の子供たちは、アメリカ軍の子弟のために1956年に設立されたラドフォード提督初等学校でアメリカ軍の子弟と一緒に学び、高等教育はグアム島で行われた。アメリカ軍によって戦前の土地区画に関係なく決められた区画に集められたことは、日本返還後も効率的な開発の都合から踏襲され、戦前の土地所有者との補償交渉で揉める[14]こととなった。

また、後に日本政府の意向を無視して父島に核兵器の貯蔵施設が作られていたことが、アメリカの情報公開によって知れ渡った[14]。軍政時代に数基の核弾頭が保管されていた[14]という。1950年代にも国務省が小笠原の日本返還を検討したが、アメリカ海軍を始めとする国防総省が反対したため、頓挫[14]した。その理由は核兵器の保管[14]だったという。返還後、欧米系住民の子弟は、日本語教育の困難な問題によりアメリカに移住した者もいた。

文化

言語

欧米系住民が話していた英語ハワイ語の語彙と日本語八丈方言(八丈語)、日本語共通語が混合された独特の言語(「小笠原方言」などと呼ばれるピジン言語クレオール言語[42][14])が存在する。

民謡

伊豆諸島の系統を引く大和民族的なものと、南洋諸島に移住した島民などから伝えられたミクロネシア系民族の影響を受けたものが共存する。後者の民謡は『南洋踊り』と呼ばれ、2000年東京都指定無形民俗文化財となった。

固有の植物や海産物が多く採れ、ボニンコーヒー海亀肉、島魚を使った焼き物・煮物・島寿司味噌汁・ピーマカ(魚の漬け、ビネガーの転訛)、パッションフルーツマンゴーパパイヤグァバなどを用いたデザートリキュール、ダンプレン(ダンプリング、欧米系住民の食文化)などがある。

産業

小笠原の就業者のうち公務員が 3割を占め[14]、観光業や飲食業などを加えて第三次産業従事者が 7割超である。以下第一次産業が 1割、第二次産業が 2割[14]となっている。

パッションフルーツ、レモンマンゴーコーヒー日本では沖縄諸島と小笠原のみ)の栽培のほか、はちみつラム酒の製造も行い、土産のほか本土にも出荷される。サツマイモアサガオなど一部の農産物や植物は本土には存在しない害虫の移出を防ぐため、諸島外への持ち出しに厳しい制限があり、消毒などの手続きを要する。

他国のサンゴ密漁での密航船が増加し、衝突などを恐れて漁を控える漁船が相次ぎ、地元漁業へ近年問題化している。

教育

父島に小笠原村立小笠原小中学校東京都立小笠原高等学校、母島に小笠原村立母島小中学校があり、初等教育および中等教育の教育機関は揃っているが、高等教育を受けるために島を離れる子供は多い。孤島ゆえに教員の数も不足しがちと記載されている書物もあるが[14]2009年現在のところ定員確保はされている。NHK学園放送大学などの通信教育を積極的に活用するなど質の高い教育を維持するための模索が続いている。21世紀になってから小笠原でも生涯学習機関設置の要望が高まってきており[14]、どのようにすべきか検討している。

流通

本土からの物資輸送は定期船「おがさわら丸」入港日に商店に品物が入荷されるため、その直前は販売品が少ない。小笠原諸島では曜日に関係なく船の入港日に合わせた活動が行われている事例があり、船が島に停泊していない(船が東京に戻り、観光客も大半がいない)日は閉まっている店舗も少なくない。都では生活必需品に限り運送費を補助し、価格の安定化を図っている。

物流面の制約からファーストフード店やコンビニエンスストアといったチェーン店は存在しないが、個人経営の食堂や商店などはあり、食料品や日用品も販売している。書店はなく、購入できるのは商店で売っているごく限られた雑誌のみである。新聞の宅配もなく、おがさわら丸の入港時に一週間分の新聞をまとめて商店に並べる。

父島

スーパーマーケット(レジ袋は有料)、レストラン薬局などは揃っている。父島の農協(JA)直売所では諸島内で収穫される亜熱帯果物が手に入る。現金自動預け払い機(ATM)は東京島しょ農業協同組合(JA東京島しょ)小笠原父島支店と小笠原郵便局信組系カードは七島信用組合小笠原支店で利用可能。かつては富士銀行が存在した(東京都小笠原出納事務所があったころ(1987年 - 2000年)、それに付随する東京都公金取扱金融機関として富士銀行本店公務部小笠原出張所が存在し公金の出納業務のみ扱った)。クレジットカードなどによる現金引き出しはゆうちょ銀行ATMでのみ利用可能。

母島

飲食店、商店がJA・漁協売店を含めて数軒、鮮魚店とガソリンスタンドが各 1軒存在する。「飲み屋」を除いては概ね午後 6時までの営業である。定休日は農協売店がおがさわら丸出港日翌日、漁協売店が日曜日、個人経営の商店も日曜日、但し、おがさわら丸入港中は日曜日も営業となっている。鮮魚店は平日午前 8時から 2時間の営業。理髪店は無い。

ATMはJA東京島しょ小笠原父島支店母島店(2006年10月までは「小笠原母島支店」があったが統廃合により「小笠原父島支店」に統合された)があり、外国の金融機関を除く金融機関のキャッシュカードやクレジットカードが使用できる(稼動時間:平日午前 8時30分から午後 4時まで)。郵便局のキャッシュカードは農協に併設されている簡易郵便局窓口を使用すれば、手数料無料で利用できる(窓口開設時間:平日午前 9時から午後 2時30分まで)。

通信など

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郵便局は小笠原では数少ない金融機関通信手段であった(小笠原郵便局)(金融機関は郵便局のほかに東京島しょ農業協同組合が父島と母島に、七島信用組合が父島にある)

郵便

父島と母島に 1局ずつ設置されている。 2局とも風景印が配備されている。

  • 小笠原郵便局 - かつては、小笠原村全域を郵便区とする集配普通郵便局であった。営業時間は特定郵便局と同じ扱いであり、他の普通局より短い。ゆうちょ銀行ATMは小笠原局と二見港の船客待合所内に設置されている。2007年3月5日付けで無集配局化され、これまで行ってきた集配業務は新東京郵便局(民営化後は郵便事業新東京支店)に継承された。
  • 母島簡易郵便局 - JA東京島しょ小笠原母島店が簡易郵便局業務を受託している。かつては局内の私書箱へ住民が取りに来る方式だったが、1997年からはJAが配達業務も受託している[43]。以前は年内に年賀状を受け取ることができたが、2009年以降は1月1日に配達される。ATMの稼働時間は平日午前8時から午後4時まで。

宅配便

自社による宅配便事業を行っているのは、日本郵便ゆうパック)の 1社のみである。他の宅配便業者は基本的に小笠原海運を通して、地元にある運送会社に連絡運輸(他業者差込)という形をとっている。なお、「おがさわら丸」が宅配便を扱う事実上唯一の交通手段になるため配達には相応の時間を要する。また、期日指定が出来ないほか、各社ともクール便の取り扱いはしていない。

上記の理由により通信販売は制約が生じる場合がある。ニッセンなど小笠原諸島への取り扱いを行っていない業者もあるほか、。また、商品の発送については代金引換の対応を行わなかったり銀行振込による代金先払いを要請する業者もあるという[44]。それでも、小笠原諸島の住民にとって通信販売日用品を得る貴重な手段である。

小笠原諸島は、ヤマト運輸宅急便のサービスが日本で最後(1997年11月)に営業を開始した地域である。ヤマト運輸ではサービス開始当初、新聞の 1ページ全面広告で最後の営業開始地域が東京都である旨を見出しにして、全国100%がサービスエリアであることをPRした。なお、父島にあった宅急便センターは後に撤退している[45]が、運賃体系は引き続き通常のものが適用している。

電話

小笠原の電話は、戦前に本土 - 小笠原 - グアム間の海底ケーブルがあり、1905年(明治38年)に本土との公衆電話が開通している。戦後は1969年(昭和44年)に父島から銚子無線電報局を相手に短波回線により運用を開始したことに始まり、1983年(昭和58年)まで短波帯多重無線による電話が行われていた。当時は回線が数回線しかなく、オペレーターに通話を申し込む方式で電話が殺到すると待たされることも多かったようである。電波障害により雑音が交じり、通信が困難になることも多かった。1983年昭和58年)からは通信衛星を利用した本土とのダイヤル即時通話が始まった。しかし衛星を利用しているため音声が若干遅れる。

母島において戦後、一般加入電話は1983年(昭和58年)まで小笠原村役場母島支所、小笠原島農業協同組合母島支店(当時)、小笠原母島漁業協同組合の 3回線のみであった(東京都小笠原支庁母島出張所は行政無線、五洋建設は独自に短波帯に無線回線を持っていた)。

携帯電話1999年(平成11年)から父島と母島の一部でNTTドコモの音声通話のみ使えるようになったが、当初はi-modeが使えなかった。FOMA2006年平成18年)6月8日よりFOMAプラスエリアとして父島と母島の一部地域で使えるようになり、movaでは利用出来なかったi-modeとデータ通信も含め、FOMAの全サービスを利用出来るようになった。利用可能機種はFOMAプラスエリア対応機種に限られる(iPhone3G、3GS、4のSIMフリー版は、正式には対応していないが、FOMAプラスエリア周波数帯を受信出来るため、利用可能である)。

KDDIau2007年(平成19年)3月末までに父島の一部地域からサービスを開始し、EZwebも利用可能。母島は2012年(平成24年)7月よりサービスを開始した[46]

SoftBank2011年9月6日に父島、2011年11月上旬には母島にて 3Gハイスピードのサービスを開始した[47][48]

インターネット

※ 特記ない場合は父島・母島。

固定
小笠原村により父島・母島のほとんどの世帯に光ファイバーケーブルが敷設されている。従来は本土との間で衛星回線を使用して接続していたため一般契約者の諸島外との通信速度は決して速くはなかったが、定額料金で利用できる。また衛星回線を大量に確保し、それを束ねることによって、本土と小笠原村役場間の回線のみ1Mbpsの回線が確保される運用も行われていた。一般利用ができる高速回線は「小笠原村情報センター」(父島)にあり、持込または備付のパソコンが使用できる。
2011年7月2日午前 5時より従来の衛星電話回線を父島・母島内IPネットワークのバックボーンとして利用したインターネット接続サービスから、海底光ファイバーケーブルを利用した高速インターネット接続サービスへ切り替え工事が実施され、名実ともに父島・母島内でブロードバンドインターネット接続サービスが利用できるようになった。これに併せて衛星回線経由によるサービス提供時には通信ポート制限を行なっていたが同日のバックボーン切り替え以降、通信ポートの制限は撤廃された。運用保守はNTT東日本
なお、宇宙航空研究開発機構2009年11月15日から24日の間、超高速インターネット衛星「きずな」 (WINDS) による初のブロードバンドインターネット接続利用に向けた実証実験を父島にて行なった[49]
移動体
NTTドコモの携帯電話では、FOMA開始によりパケ・ホーダイを利用して定額でi-mode経由によりインターネットも使えるようになった。2007年3月1日パケ・ホーダイフルが開始(PC用のウェブサイトを含め定額で閲覧可能)。
同年10月、PC向け定額インターネット「定額データプラン」が開始された(同サービスは利用出来るプロトコルや一部のサイトが閲覧できないなどの制限がある)。
同年12月22日、au(KDDI)が開始したPC向けデータ定額プランが利用可能になった。2009年1月27日NTTドコモもパケ・ホーダイダブルがPCおよびPDAでのデータ通信に関しても定額対象とし、従前のFOMA定額サービスとは異なり利用するサービス(動画観覧、FTPなど)に制限無くPCによる定額データ通信が可能になった。
前述のとおりSoftBank2011年9月6日に父島、2011年11月上旬には母島にて3Gハイスピードのサービスを開始した。
また、ウィルコムが提供する、FOMA回線(MVNO)を利用したWillcomCORE3Gサービスを開始し、端末・サービス限定ではあるが、利用可能である。
イー・モバイル、ウィルコム(PHS)、UQコミュニケーションズ(WiMAX)はサービスエリア外である。

アマチュア無線

アマチュア局に対してJD1で始まる(プリフィクスという)コールサインが本諸島地域へ指定される(本土及び伊豆諸島とは別地域扱いされる)ことから、このコールサインを使用した交信を行うべくアマチュア無線の運用を目的とする旅行者も存在する。 父島にアンテナなどの設備一式を備えた宿(民宿「境浦ファミリー」)があり、貸し出してくれるため簡単に運用することが可能である。

アメリカ無線中継連盟 (ARRL) が発行するDXCCというアワードにおいては、日本は南鳥島、南鳥島以外の小笠原諸島、小笠原諸島以外の3つのエンティティに分けられている。 南鳥島については他の陸地と大きく離れており、別のエンティティとされる。 南鳥島以外の小笠原諸島は、日本本土との最短距離が177マイル で距離に関する規定の225マイル以上は満たさないが、行政上の扱いによる規定により、日本復帰時に「小笠原が本土と異なるコールサインを使う」との条件により、日本アマチュア無線連盟郵政省に折衝し、JD1のプリフィクスのコールサインを指定することで本土とは別のカントリー(当時の呼称、1998年改称)になった。 なお、QST(ARRL機関誌1949年3月号のカントリーリストによると日本復帰前のコールサインは米国のKG6IA-IZ(太平洋諸島信託統治領の一部)が指定されていた。 1972年沖縄県の本土復帰にあたっては小笠原のようなコールサインの指定が行われなかったため、沖縄県は本土と同じエンティティとして扱われている(復帰前の沖縄はKR6(米軍関係)およびKR8(琉球人))。

また、電話の項に記述しているが、以前は本土との有線系電話が非常につながりにくかったことや、父島と母島間の通話が困難だったことからかなりの島民が開局していたが、有線系電話回線の改善によりその数は減少した。開局していた島民の大部分は単に日常通信手段としてアマチュア無線を使っていたためで、2014年3月31日現在、島民による島外向け運用は父島・母島(小笠原村で住民登録できるのは父島・母島のみ)あわせても一桁程度で、JD1のアマチュア局が聞こえていても、その運用のほとんどが旅行者によるものである。

放送

日本国内向けの衛星放送(BS・CS放送[50])は視聴できるので、ここでは地上系による放送に限って記述する。

テレビ

地上波中継停止前の
テレビチャンネル
局名 父島 母島
NHK BS1 9ch 10ch
NHK BSプレミアム 11ch 12ch
TOKYO MX 47ch 48ch
NHK Eテレ 49ch 50ch
NHK総合 51ch 52ch
日本テレビ放送網 53ch 54ch
TBSテレビ 55ch 56ch
フジテレビジョン 57ch 58ch
テレビ朝日 59ch 60ch
テレビ東京 61ch 62ch

地上波テレビ放送はアナログ放送のみ放送されていたが、2011年7月24日正午をもって地上波中継を停止し、以降は村が敷設した光ファイバーケーブルによる小笠原村ケーブルテレビ経由となっている。

沿革

小笠原のテレビ放送は1976年に父島、1977年に母島にケーブルテレビ局が開局し、本土から船便で送られたテレビ番組を 1日数時間放送したことに始まる(後述のBS実用化放送開始により廃局)。この方法ではニュース番組生放送できないため、共同通信が自社の船舶向けファクシミリ通信で、小笠原向けニュース配信を行っていた。

本土と変わらないテレビ放送としては、1984年NHK-BS実用化放送開始により、小笠原でもBSの番組が視聴できるようになったことに始まる。1996年から、東京都による「難視聴対策用衛星中継回線」の運用が始まった。

江東区青海にあるテレコムセンターにて、東京タワーから発射されるNHK民放の放送を受信し、デジタル圧縮を行い、信号のスクランブル化を施し、SHF波(Ku-band 14GHz帯)に変換した後、電波通信衛星JCSAT-3号に送信(アップリンク)していた。

地上波をわざわざスクランブル化とデジタル圧縮を施していた理由は、衛星回線を使用しているため、小笠原地域以外(本土や近隣諸国など)でその電波を傍受される可能性があり、再送信目的の放送を他地域で視聴されるのを防止するためである。スクランブル方式は「小笠原向け方式」と云われる独自の方式で、このスクランブルを解読するデコーダーは、一般では入手出来なかった。

衛星ではCバンド(4GHz帯)に周波数変換され、父島と母島にある地上局でそれぞれ受信(ダウンリンク)、スクランブルを解読(デスクランブル)し、上表のUHF波に変換した上で、島内設置の送信所からUHF再送信していたが、一部の地区では共聴受信により、東京タワー本局とほぼ同じチャンネルで受信できるようにチャンネル変更していた(ただしTBS 4ch、TOKYO MX 5ch、日本テレビ 6chとなっていた。NHK-BSは上表と同じ)。衛星回線の使用には年額 4億円もの莫大な費用がかかることから、この放送の視聴のため島民から毎月3,000円を「テレビ放送受信費」として徴収し、NHKや在京民放各社も費用を出していた。


天候変化に弱いマイクロ波の衛星回線を使用しているため、大雨時などの際に受信障害が発生していた。

2011年7月のアナログ放送終了による地上デジタル放送への移行について、衛星回線経由と海底光ファイバーケーブル経由が検討されていたが、インターネットなどの通信事業と併せて、都が主体で情報基盤が整備されることとなり、小笠原向けの地上デジタル放送の伝送は「統合情報基盤光ケーブル」と称される海底ケーブル経由で行われることとなった[51]。報道によると、2009年内に業者選定および工事発注を行い、2011年7月の地上アナログ放送終了までには整備を終わらせる予定とのことである[52]

また、父島・母島での地上デジタル放送の伝送方法については、現行の中継局設置ではなく、既設の小笠原村営光ファイバーケーブルによる小笠原村ケーブルテレビを利用することとなった[53][54]

2011年5月18日、統合情報基盤光ケーブルと小笠原村ケーブルテレビを通じ、在京各社の地上デジタル放送の試験放送が開始された。放送開始までの間は、TOKYO MXを除き、地デジ難視対策衛星放送(BSセーフティーネット/標準画質放送)によって、地上デジタル放送が受信できる地域に指定されていた[注釈 5]。統合情報基盤光ケーブルでの放送波の伝送ルートは、八丈島にある八丈中継局を同島内で受信し、ここから父島および母島に向けて海底伝送される[注釈 6]

ラジオ

局名 父島 母島
NHK東京
FM
79.6MHz 79.6MHz
NHK東京
第1
82.6MHz 82.6MHz
NHK東京
第2
84.6MHz 84.6MHz

小笠原諸島には長らくNHK、民放を含めてラジオ中継局が存在しなかったため、超短波(FM)放送は異常伝播時以外は全く聴くことができず、中波放送も一部地域を除き電離層に反射して届く夜間に限り聴くことが出来る状態で、直接受信で終日聴取可能な国内放送はスターデジオ等CSラジオ各局、BSデジタルラジオの放送大学短波放送ラジオNIKKEIだけであった。

国外向けの短波放送、NHKワールド・ラジオ日本が受信される場合もある(短波のほかNHKワールドのテレビ放送で使用している衛星を用いたデジタルラジオ放送も行われているが、こちらは国外衛星放送受信装置とCバンドのLNB、パラボラアンテナ(国内衛星放送より大きめのサイズ)を用意すれば終日、安定した電波、テレビ・FMラジオ並みの高音質で聴取可能)。

NHKの国内放送に関しては、放送法で「協会は、中波放送と超短波放送とのいずれかおよびテレビジョン放送が、それぞれあまねく全国において受信できるように措置をしなければならない」と定められているため、中波放送(NHKラジオ第1第2)または超短波放送(NHK-FM)のどちらかの中継局は必ず設置し、終日聴取できるようにしなければならない義務があるものの、長らく開局のめどが立っていなかったが、2013年3月31日から、父島・母島にあったアナログテレビ放送の中継局を再利用する形で、NHKラジオ第1・第2・FM放送の3波すべてで中継局が設置された。なお、中波のNHKラジオ第1・第2は、外国波による混信対策のため、FM波での送信である。

ラジオ放送の再送信

NHK東京第1放送とTOKYO FMは、小笠原村が村営光ケーブル回線を利用して実施している防災行政無線の戸別受信機により、モノラルで聴くことができる。

両局以外の放送については、在京の民放ラジオ各局(TOKYO FMおよび東京隣県FM3局含む)がインターネットラジオradiko」により、NHKのラジオ第2・FM放送(東京第1放送含む)は、2011年9月1日に運用開始されたインターネットラジオ「NHKネットラジオ らじる★らじる」により配信しており、PCやスマートフォンからインターネット経由で聞くことができる。

医療

父島と母島にそれぞれ村営診療所があり医師歯科医師がそれぞれ常駐している。問診のみならず、一般的な血液検査機器(自動血球計算器、自動生化学測定器など)および、超音波画像診断装置上部消化管内視鏡単純X線撮影装置、X線透視装置、ヘリカルスキャンCT装置が両島に配備されている。これは特に母島診療所においてこの規模の離島としては国内に類を見ない設備[55]である。これを補完するために専門医による診療は定期的巡回診療の際に行われる。

診療所で対応困難な急病人が発生した場合は村役場からの連絡を受け、東京都知事が海上自衛隊に出動要請を行って海上自衛隊機で搬送することになる(後述)。

急患搬送

本土から小笠原諸島へは非常にアクセスしにくいため、島内で急を要する重病が発生した場合は自衛隊による搬送が行われる。海上自衛隊硫黄島航空基地所在の救難ヘリコプターにより一旦硫黄島へ向かい、硫黄島から海上自衛隊や航空自衛隊の航空機によって本土に搬送される方法、または海上自衛隊岩国基地所在の第31航空群第71航空隊が海上自衛隊厚木基地に常時1機待機させている救難飛行艇で本土へ搬送する方法がある。以前は小笠原のヘリポートに夜間照明が設置されていなかったため「夜間に発病すると手遅れ」とも言われていた[14]が、現在は夜間でも搬送ができる。

交通

ファイル:Chichi-jima Hutami Port Tokyo,JAPAN.jpg
父島・二見港(奥におがさわら丸が接岸中)
ファイル:Ogasawara Maru JAPAN.jpg
おがさわら丸(父島二見港)
ファイル:Hahajima-Maru,JAPAN.jpg
ははじま丸(母島沖港)
ファイル:Kyosyo-Maru No28 JAPAN.jpg
共勝丸(東京港月島ふ頭)
ファイル:小笠原村営バス.jpg
待機中の小笠原村営バス

父島と母島以外の島行の公共交通機関又はそれに準ずる一般客向け輸送機関は存在しない。また、父島や母島へ行く場合も交通手段はおがさわら丸ははじま丸のみ。

父島へのアクセス

  • 小笠原海運おがさわら丸」(通称:おが丸)
    • 東京港竹芝桟橋)と父島(二見港)を結ぶ貨客船(所要時間24時間、おおむね観光シーズンは 3日に 1便、オフシーズンは 6日に 1便就航)。片道運賃は等級によって異なり、2万2570円 - 5万6490円、夏期 2万5100円 - 6万2790円)。2016年平成28年)7月から新造船である 3代目おがさわら丸の就航により所要時間が約 1時間30分短縮された。
    • テクノスーパーライナー (TSL)「SUPER LINER OGASAWARA」(最高時速約70km、総トン数1万4500トン、乗客数740人)が2006年春以降に就航する計画があり、実現できれば所要時間は約17時間に短縮される見込みだった。しかし、現在のおがさわら丸に比べ接岸時には悪天候に弱く、また高速航行でエネルギー効率燃費)が悪く(船は速度が上がるにつれて造波抵抗の影響でエネルギー効率が悪くなる)、燃油価格の高騰も理由として、小笠原海運2005年8月にTSLの就航中止を発表した。
  • 共勝丸「第二十八共勝丸」
    • 東京港(月島ふ頭) - 父島(二見港) - 母島(沖港)を結ぶ貨物船で、以前は定員 9名分の客室があり旅客営業も行っていた。東京港(月島)と父島間を所要45時間程度で結ぶ。海況が悪い時は何日も余計にかかることもある。
    • 主たる貨物としてガソリンプロパンガスなどの危険物旅客船には法令により危険物を積載することができない)や建設資材などの重量物や食料品(アイスクリームなどの冷凍品を含む)・日用雑貨などを島に運び、島からは空き缶や空きペットボトル、廃車などの廃棄物を本土に運んでいる。

母島へのアクセス

  • 伊豆諸島開発ははじま丸
    • 父島二見港と母島沖港を結ぶ貨客船。1日0.5 - 1往復就航(所要時間 2時間、休航日あり)。おがさわら丸入出港日は接続するダイヤを組む(片道運賃 1等7,560円、 2等3,780円)。
  • 共勝丸「第二十八共勝丸」
    • 東京港と母島を乗り換え無しで結ぶ唯一の船便。父島 - 母島間は所要約 3時間(東京 - 母島間の片道運賃 2万円、父島 - 母島間の片道運賃2000円)。現在、旅客輸送は行っていない[56]

父島内

父島には小笠原村営バスが運行されている(東京都シルバーパス使用可)。他には観光タクシー、レンタカー、レンタルスクーターレンタサイクルがある。諸島外から自家用車やバイクを持ち込む場合は貨物扱いとなり、125cc以下のバイクはチッキ(受託手荷物)扱いとなる。

母島内

母島には定期公共交通機関がない。レンタカー、レンタルスクーターがある。レンタカー、レンタルスクーターの取り扱い店は共に 1軒であり、それぞれ保有台数は少ない。予約をしておらず、当日朝の先着順で貸し出しを行っている。その他、島内各地へは有償運送(乗合タクシー)を行っている。母島発遊覧・遊漁船が運行している。

空港建設

ファイル:Futami port , chichi-jima - panoramio.jpg
二見港の見送り。空港建設を訴える横断幕が見える

かつて父島には洲崎地区に旧日本海軍の飛行場があったが、戦後はヘリポートのみで固定翼の陸上機が発着できる場所がない。空港のない父島列島には以前から民間航空路線開設の要望がある。

海上自衛隊父島基地には飛行艇用の揚陸スロープが設置されており、岩国基地所属の飛行艇が飛来するが、急病人および東京都知事閣僚など要人の搬送を目的とする場合に限られている。1994年2月の小笠原行幸啓ではUS-1が使用された[57]

下記の都議会予算特別委員会などで今までに父島洲崎(1000m級滑走路)、兄島(1600m級滑走路)、父島時雨山(しぐれやま)を予定地とする空港建設がそれぞれ検討された。

ATR 42ボンバルディア Q400などの中型ターボプロップ機は、航続距離1700km以上ながら1200m級滑走路での運用が可能で、40名前後の旅客型の他にコンビ機(旅客と貨物兼用)の設定も可能である。これらは旅客機としては低価格であるが、パイロットには機種別の限定ライセンスが必要であり、人件費と維持費や燃料代などが需要と釣り合うかは不明である。このような中型機は洲崎候補地では運用できないが、キングエア350ホンダジェットなどの小型ビジネス機デ・ハビランド・カナダ DHC-6などのSTOLが可能なコミューター機は1000m級の滑走路に対応し本州まで直行できる。しかし乗員は10名前後で大型貨物は搭載できないなど制約もある。

水上機は陸上機に比べ資格者・機体が少なく機体価格も高価で運航が海の状況に左右されるものの、滑走路が不用となり地上の設備が最小限で済むメリットがある。海上自衛隊が採用するUS-2には民間向けとしてコンビ機仕様の計画が存在するが、1機が120億円と高価で資格者は海上自衛官と少数のOBのみであり民間への売却が行われるかも不明である。DHC-6は低価格ながら水陸両用モデルが存在し、スリランカ航空が滑走路のない観光地の島へ客を送迎するエアタクシーとして利用している。

小笠原村議会の特別委員会ではSTOL性能を向上させ800mの滑走路に対応するATR 42-600Sが候補とされた[58]が、メーカーでは運用開始を2020年の予定しており飛行テストも完了していない。

島民は定期航空路線の開設を切望しているが定期路線には制約が多く、日本国内の地方路線では燃費の良いコミューター機でも採算が合わず縮小や撤退が続いている。航空会社はATR 42-600を導入している日本エアコミューターや、羽田-八丈島の路線を開設している全日本空輸などが有力視されているが、取材には明確な答えを出していない[58]。なおチャーター便エアタクシーなど不定期路線であれば制約が少なく、水上機による不定期便であれば現在でも実現可能である。

兄島候補地では父島との交通手段を確保する必要があるなどの困難を伴い、貴重な動植物の保護の必要があることから空港建設のめどは立っていない。羽田空港からの民間飛行艇による運航や黄島航空基地を経由した大型ヘリコプターによる運航、同じく硫黄島から船便での運航など空港を父島列島に建設しなくてすむ方法も検討されているが、結論は出ていない。

古くからの住民の多くは空港建設を熱望している一方で、小笠原の自然に惚れ込んで移住した新住民の多くは秘境らしさを残したいため、簡単に行き来できる空港建設に消極的であるなど、島民の意見もまとまっていないといわれる[59]。また世界遺産登録後は環境の悪化に対する懸念も浮上している[58]

2000年には横浜港と小笠原(兄島)との間を飛行艇で定期航空路を開設する計画を横浜国際航空が発表したが、実現していない。

2005年東京都知事石原慎太郎テクノスーパーライナーの就航断念を受け、空港が「地域振興に極めて必要である」として、環境に配慮しながらも最低限の第三種空港を建設する意欲を明らかにした[60]。その方法として、羽田空港D滑走路建設で検討されながらも採用されなかった「メガフロート」と地上滑走路の併用を考えていることを明らかにした。

2006年3月15日の都議会予算特別委員会で石原都知事は「(かつて旧日本軍が建設した飛行場があった)父島洲崎地区を(空港として)利用したい」旨、表明した[61]

2018年1月5日小池百合子都知事が定例の会見において、平成30年度予算案に小笠原諸島における空港建設のための調査費を計上したと伝えられた[58]

主な機関

父島

母島

  • 東京都小笠原支庁母島出張所
  • 小笠原警察署母島駐在所(警視庁管内で最南端の駐在所)
  • 小笠原村役場母島支所

南鳥島

  • 気象庁南鳥島気象観測所
  • 海上自衛隊第4航空群硫黄島航空基地隊南鳥島航空派遣隊

※ 海上保安庁南鳥島ロランC局は、2009年平成21年)12月をもって運用を終了している。

その他

  • 常駐者の住民税など
硫黄島と南鳥島両島の常駐者の住民税は、「居所」として東京都小笠原村に納付している[63]。選挙の際は、小笠原村職員が、常駐者等が元々住民登録されている自治体神奈川県綾瀬市及び埼玉県狭山市)からの職員及び補助要員として訪島し、期日前投票等を行う。

脚注

注釈

  1. 10,536ha (105.36km2)や104.41km2とする文献も存在する[1]
  2. 父島に海上自衛隊横須賀地方隊父島基地分遣隊が常駐。硫黄島には、海上自衛隊の硫黄島航空基地隊等と、航空自衛隊の硫黄島基地隊が所在している。南鳥島には、海上自衛隊硫黄島航空基地隊の南鳥島航空派遣隊が常駐し、国土交通省気象庁及び関東地方整備局なども常駐している。
  3. 最初の入植者である25人の出身地は、欧米人はアメリカ人2名、イギリス人2名、デンマーク人1名で、太平洋諸島出身者はハワイ諸島出身者7名をはじめ、マリアナ諸島カロリン諸島ポンペイ島ギルバート諸島マルキーズ諸島タヒチなど、ポリネシアミクロネシア各地からの出身者で構成されていた。 田中 pp41-42, p62
  4. 父島中継局・母島中継局とも、ラジオ第1・ラジオ第2はFM波に変換して、FM放送はそのまま放送。
  5. ただしTOKYO MXは、海底ケーブルによる地上デジタル放送の試験放送開始まで、本土から船便で送られたテレビ番組を3週遅れの内容で丸1日放送していた。
  6. 地上デジタル放送の送信チャンネルは八丈中継局と同じ。

出典

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 小笠原諸島(おがさわらしょとう)とは”. コトバンク. . 2018閲覧.
  2. 世界遺産条約暫定リスト 環境省、林野庁
  3. お天気Q&A
  4. 気象レーダー観測の概要について|気象庁 - 2010年10月16日閲覧
  5. 気象庁・報道発表
  6. 気象庁・地方海上予報区
  7. 東京都・土地分類基本調査「父島・母島」1992
  8. 小田静夫水山昭宏編集『発掘された小笠原の歴史 (Ogasawara Archaeology and History)』小笠原村教育委員会発行、2002年
  9. 9.0 9.1 歴史:硫黄島 « 小笠原村 公式サイト
  10. 田中 p17
  11. 田中 pp10-12
  12. 田中 pp17-18
  13. 田中 pp2-7
  14. 14.00 14.01 14.02 14.03 14.04 14.05 14.06 14.07 14.08 14.09 14.10 14.11 14.12 14.13 14.14 ダニエル・ロング『小笠原学ことはじめ』 南方新社2002年(ISBN 9784-9313-76762)
  15. 田中 pp7-9
  16. 田中 p9
  17. 17.0 17.1 田中 pp9-10
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  19. 田中 pp12-13
  20. 田中 p68
  21. 松尾[2014:220]
  22. 田中 p35
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  24. 松尾[2014:220]
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  28. 松尾[2014:221]
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  32. 接触と変容の諸相 : 江戸時代漂流民によるオセアニア関係史料
  33. 田中 pp74-75
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  35. 35.0 35.1 田中 pp94-95
  36. 36.0 36.1 15.「咸臨丸風波ノ図」 - 外務省
  37. 田中 pp205-206
  38. 38.0 38.1 38.2 38.3 歴史:南鳥島 « 小笠原村公式サイト
  39. 明治13年太政官布告第44号 - 国立国会図書館近代デジタルライブラリー
  40. NHKのウェブサイトには掲載していないが、小笠原村の広報誌「小笠原村民だより 平成25年3月1日付(小笠原村総務課発行)[1]」に開局情報を掲載している。
  41. 田中弘之 『幕末の小笠原』 中央公論社、1997年。ISBN 4121013883。
  42. ダニエル・ロング「小笠原諸島における言語接触の歴史」『日本語研究センター報告』6号、1998年[2]
  43. 「わたしたちの小笠原」(小笠原村教育委員会発行・小学生用副読本)
  44. 第2章 島の生活>7 インフラ - 小笠原暮らし(窪田悦子、TactPlanning)
  45. 最寄店検索でセンターが検索されず、既に撤退していることが確認できる。
  46. auサービスエリアマップ
  47. 小笠原村観光協会トピックス
  48. ソフトバンクピンポイント検索
  49. “超高速インターネット衛星「きずな」 (WINDS) による初のブロードバンド・インターネット実利用に向けた実証実験について” (プレスリリース), 宇宙航空研究開発機構, (2009年11月2日), http://www.jaxa.jp/press/2009/11/20091102_kizuna_j.html . 2011閲覧. 
  50. 「小笠原地域におけるブロードバンド化促進に関する検討会」報告書 1-2-5 (PDF) よりスカパー!は小笠原の地上波で使用している衛星と同じ衛星 (JCSAT-3A)を使用して放送を行っている。スカパー!のサービスエリアはJCSAT-3Aの衛星カバーエリア(Kuバンド)を参照。
  51. 東京都建設局・小笠原の情報基盤整備について
  52. 日刊建設工業新聞 2009年7月17日報道 - 2009年8月1日閲覧
  53. これは、放送中継局の設置に莫大な予算費用と工事期間を要するためである。
  54. 総務省関東総合通信局・東京都小笠原村への海底光ファイバーケーブル敷設に補助金交付決定≪医療画像伝送や超高速インターネットの利用及び地デジ視聴が可能に≫ - 2010年2月5日閲覧
  55. 小笠原100の素顔〜もうひとつのガイドブック〜 東京農業大学出版会
  56. 共勝丸 ホームページ”. . 2017閲覧.
  57. 第71航空隊 US-1A 90号除籍記念式典
  58. 58.0 58.1 58.2 58.3 小笠原空港、いよいよ実現か 航空会社はどこでどんな飛行機が飛ぶのか”. 乗りものニュース. . 2018閲覧.
  59. 2008年7月5日東京新聞夕刊
  60. “小笠原・父島に空港検討 超高速船代替で石原都知事”. 47NEWS. 共同通信 (全国新聞ネット). (2005年10月28日). オリジナル2011年10月25日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20111025165751/http://www.47news.jp/CN/200510/CN2005102801003217.html 
  61. “小笠原空港は父島・洲崎に 石原都知事”. 47NEWS. 共同通信 (全国新聞ネット). (2006年3月15日). オリジナル2013年5月12日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130512170503/http://www.47news.jp/CN/200603/CN2006031501004714.html 
  62. 立川飛行場 → 父島片道1010キロ 平成12年11月18日
  63. 地方税法第294条の規定による。

関連書

関連項目

外部リンク