将軍継嗣問題

提供: miniwiki
2018/12/31/ (月) 13:19時点におけるAdmin (トーク | 投稿記録)による版
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先:案内検索

将軍継嗣問題(しょうぐんけいしもんだい)

江戸幕府 13代将軍徳川家定は病弱で子がなかったため,その跡目相続をめぐって起った政争。ペリー来航後の難局を控えた時期に,攘夷論の中心であった水戸藩は,藩主徳川斉昭の子で聡明の聞えの高い一橋慶喜 (徳川慶喜 ) を推したが,これに対して彦根藩主井伊直弼を中心とする幕閣は,血統論から紀州の徳川慶福 (徳川家茂 ) を推した。開港論者でもあった井伊が安政5 (1858) 年4月大老に就任すると,同6月慶福が将軍の後嗣に決定された。家定はまもなく没したが,朝廷は一橋派の策動によって容易に将軍宣下を与えず,井伊は安政の大獄と呼ばれる弾圧を行なって,14代将軍家茂の就任を実現させた。



楽天市場検索: