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'''安芸国'''(あきのくに)は、かつて[[日本]]の地方行政区分だった[[令制国]]の一つ。[[山陽道]]に属する。
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'''安芸国'''(あきのくに)
  
== 「安芸」の名称 ==
+
現在の広島県西半部。[[山陽道]]の一国。上国。もと阿岐国造が支配。国府は初め西条盆地におかれたが,のち安芸郡府中町に移った。国分寺は東広島市西条町。『延喜式』によれば沙田 (まよた) ,沼田 (ぬた) ,安芸,佐伯,高宮,高田,賀茂,山県の8郡があり,『和名抄』には郷 63,田 7357町余が載っている。佐伯郡[[厳島神社]]は『延喜式』神名帳で名神大社,のち当国の一宮とされた。祭神は宗像三女神。久安2 (1146) 年,[[平清盛]]が安芸守に任じられて以後,本社を深く崇敬し,平家の氏神社とし,後白河法皇,高倉上皇も再三参詣。神主佐伯景弘は安芸守に任じられた。鎌倉時代には宗氏,武田氏,藤原氏が守護となり,南北朝時代から室町時代にかけては武田氏,今川氏,渋川氏,山名氏,大内氏が支配した。戦国時代には守護武田氏の勢力はふるわなくなり,大内氏が安芸国内にしばしば侵入するにいたった。[[毛利元就]]は初め尼子氏に属したが,のち大内氏に従い,天文 10 (1541) 年武田氏を銀山 (かなやま) 城に攻めて滅ぼした。しかし同 20年[[大内義隆]]はその家臣[[陶晴賢]]に殺され,毛利元就が弘治1 (55) 年陶晴賢を厳島に破ってこれを滅ぼし,安芸国の支配を確立した。豊臣秀吉は毛利氏を封じ,輝元 ([[毛利輝元]] ) のときには 120万石。慶長5 (1600) 年関ヶ原の戦いの結果,[[福島正則]]の領となったが,その後罰せられて除かれ,元和5 (19) 年に浅野長晟が安芸国に封じられた。江戸時代を通じて浅野氏の[[広島藩]] 45万石は変らず,幕末にいたった。明治4 (1871) 年の[[廃藩置県]]では新田藩 (浅野一族3万石) を合せて広島県に編入。
安芸は古くは「阿岐」と書いた。『[[古事記]]』には「阿岐国」と記載されている。スサノオノミコトの拠点は[[出雲国]] 、安来(現;山陰、島根県)の地であり歴史的に混同されることが多かった。
+
 
 
== 領域 ==
 
明治維新の直前の領域は、[[広島県]][[広島市]]、[[呉市]]、[[竹原市]]、[[大竹市]]、[[廿日市市]]、[[安芸高田市]]、[[江田島市]]、[[安芸郡 (広島県)|安芸郡]]、[[豊田郡]]の全域および[[三原市]]の一部(概ね和田浜町、和田、宗郷、新倉、新倉町、沼田町、高坂町許山、久井町土取、久井町山中野、久井町小林、大和町大草、大和町大具、大和町椋梨、大和町下草井以西)、[[尾道市]]の一部(瀬戸田町各町・因島洲江町・因島原町)、[[三次市]]の一部(秋町・粟屋町)、[[東広島市]]の大部分(豊栄町飯田・豊栄町吉原を除く)、[[山県郡]]の大部分([[北広島町]]西八幡原の一部を除く)にあたる。
 
 
 
== 沿革 ==
 
[[7世紀]]に阿岐国造の領域に安芸国が設置された。
 
 
 
=== 近世以降の沿革 ===
 
* 「[[旧高旧領取調帳]]」の記載によると、[[明治]]初年時点では全域が安芸'''[[広島藩]]'''領であった(313,164石余)。蔵米3万石を安芸'''[[広島新田藩]]'''に分知していたが、封地は定めず。
 
** [[沼田郡]](25,941石余)、[[安芸郡 (広島県)|安芸郡]](38,327石余)、[[佐伯郡]](39,307石余)、[[山県郡]](31,639石余)、[[高田郡]](43,836石余)、[[高宮郡]](17,923石余)、[[賀茂郡 (広島県)|賀茂郡]](57,557石余)、[[豊田郡]](58,630石余)
 
* 明治2年[[12月26日 (旧暦)|12月26日]]([[1870年]][[1月27日]]) - 広島新田藩が広島藩に編入。
 
* 明治4年[[7月14日 (旧暦)|7月14日]]([[1871年]][[8月29日]]) - [[廃藩置県]]により'''[[広島県]]'''の管轄となる。
 
 
 
== 国内の施設 ==
 
=== 国府 ===
 
平安時代編纂の[[倭名類聚抄]]によれば[[国府]]は安芸郡にあった。遺跡は見つかっておらず、正確な位置は不明である。現在の[[安芸郡 (広島県)|安芸郡]][[府中町]]と推定される。また、国分寺が作られた東広島市西条に求める説もある<ref>岸田裕広・編『広島県の歴史』(山川出版社、1999年)33-34頁。</ref>。
 
 
 
=== 国分寺・国分尼寺 ===
 
; 安芸国分寺
 
: 広島県東広島市西条町吉行。
 
 
 
=== 神社 ===
 
; [[延喜式内社]]
 
: 『[[延喜式神名帳]]』には、以下に示す大社3座3社が記載されている。小社はない。大社3社は、全て[[名神大社]]である。
 
* [[佐伯郡]] [[速谷神社]] ([[廿日市市]])
 
* 佐伯郡 伊都伎島神社 (現 [[厳島神社]]、廿日市市)
 
* [[安芸郡 (広島県)|安芸郡]] [[多家神社]] (安芸郡府中町)
 
 
 
; [[総社]]・[[一宮]]以下
 
* 総社 多家神社に合祀。
 
* 一宮 '''[[厳島神社]]'''
 
* 二宮 [[速谷神社]]
 
 
 
== 地域 ==
 
=== 郡 ===
 
* [[沼田郡]] - 「ぬたぐん」と読む。鎌倉期までに豊田郡に編入され消滅した。[[寛文]]4年([[1664年]])に佐東郡を改称した近世沼田郡(こちらは「ぬまたぐん」と読む)とは領域が異なり、現在の東広島市東部や三原市西部などが該当。全7郷。
 
* [[賀茂郡 (広島県)|賀茂郡]] - 現在の東広島市中部など。[[1956年]]([[昭和]]31年)に豊田郡と所属市町村を調整。全9郷。
 
* [[安芸郡 (広島県)|安芸郡]] - 現在の安芸郡や呉市西部など。鎌倉期までに安北郡と安南郡に分割され、江戸期に安南郡を再改称した。全11郷。
 
* [[佐伯郡]] - 現在の広島市南西部や廿日市市など。鎌倉期までに佐東郡と佐西郡に分割され、[[寛文]]4年(1664年)に佐西郡を再改称。全12郷。
 
* [[山県郡]] - 現在の山県郡とほぼ同じ。全8郷。
 
* [[高宮郡]] - 鎌倉期までに高田郡に編入。江戸期に安北郡を改称した近世の高宮郡とは領域が異なる。現在の安芸高田市高宮町・甲田町・美土里町などは古代高宮郡の領域であったとされる。全6郷。
 
* [[高田郡]] - 現在の安芸高田市西部など。後に高宮郡と統合・再編される。全7郷。
 
* [[豊田郡]] - はじめは「'''沙田郡'''」(ますたぐん)と表記。中世までに改称された。[[芸予諸島]]のうち広島県に属する部分の多くは豊田郡。全6郷。
 
 
 
=== 江戸時代の藩 ===
 
* [[広島藩]]、[[福島氏#福島(ふくしま)氏(尾張系)|福島家]](49.8万石)→[[浅野氏|浅野家]](42.6万石)
 
* [[広島藩#広島新田藩|広島新田藩]](広島藩支藩、3万石)
 
 
 
== 人物 ==
 
=== 国司 ===
 
{{節スタブ}}
 
==== 安芸守 ====
 
*[[坂上苅田麻呂]]:[[宝亀]]2年([[771年]])任官
 
*[[藤原園人]]:[[延暦]]4年([[785年]])任官
 
*[[藤原伊勢人]]:[[大同 (日本)|大同]]元年([[806年]])任官
 
*[[豊前王]]:[[承和 (日本)|承和]]14年([[847年]])任官
 
*[[紀綱雄]]:[[嘉祥]]元年([[848年]])任官
 
*[[橘真直]]:嘉祥2年([[849年]])任官
 
*[[橘貞根]]:嘉祥3年([[850年]])任官
 
*[[清原瀧雄]]:[[斉衡]]元年([[854年]])任官
 
*[[百済安宗]]:[[天安 (日本)|天安]]2年([[858年]])任官
 
*[[大和吉直]]:天安2年([[858年]])任官
 
*[[藤原関主]]:[[貞観 (日本)|貞観]]3年([[861年]])任官
 
*[[基兄王]]:貞観7年([[865年]])任官
 
*[[藤原興世]]:貞観11年([[869年]])任官
 
*[[橘岑守]]:貞観11年(869年)任官
 
*[[安倍肱主]]:[[仁和]]2年([[886年]])任官
 
*[[源頼清]]
 
*[[源有光]]:[[康平]]5年([[1062年]])頃
 
*[[平清盛]]:[[久安]]2年([[1146年]])任官
 
*[[平経盛]]:[[保元]]元年([[1156年]])任官
 
*[[平頼盛]]:保元元年(1156年)任官
 
*[[源季遠]]
 
*[[佐伯景弘]]:[[寿永]]元年([[1182年]])任官
 
 
 
==== 安芸介 ====
 
*[[百済河成]]:[[承和 (日本)|承和]]13年([[846年]])任官
 
 
 
=== 守護 ===
 
==== 鎌倉幕府 ====
 
*1189年 - ? : [[武田信光]]?
 
*1196年 - 1221年 : [[宗孝親]]
 
*1231年 - ? : 武田信光
 
*1235年 - ? : [[藤原親実]]
 
*1270年 - 1276年 : [[武田信時]]
 
*1293年 - ? : [[名越宗長]]
 
 
 
==== 室町幕府 ====
 
*1335年 - 1345年 : [[武田信武]]
 
*1345年 - 1368年 : [[武田氏信]]
 
*1371年 - 1390年 : [[今川貞世]]
 
*1392年 - 1394年 : [[細川頼元]]
 
*1394年 - 1400年 : [[渋川満頼]]
 
*1404年 - 1406年 : [[山名満氏]]
 
*1406年 - 1411年 : [[山名熙重]]
 
*1418年 - 1419年 : [[山名教孝]]
 
*1429年 - 1433年 : [[山名時熙]]
 
*1433年 - 1454年 : [[山名宗全|山名持豊]]
 
*1454年 - ? : [[山名教豊]]
 
*1462年 - 1475年 : [[山名是豊]]
 
*1475年 - ? : [[山名政豊]]
 
 
 
=== 戦国大名 ===
 
* [[武田氏#安芸武田氏|安芸武田氏]]
 
* [[毛利氏]]
 
* [[吉川氏]]
 
* [[小早川氏]]
 
 
 
=== 武家官位としての安芸守 ===
 
==== 江戸時代以前 ====
 
*[[足利安芸守]]
 
*[[石川盛義]]
 
*[[加地春綱]]
 
*[[北条高広]]
 
*[[黒川晴氏]]
 
*[[小早川弘景 (初代)|小早川弘景]]
 
*[[小早川弘平]]
 
*[[小早川盛景]]
 
*[[宍戸隆家]]
 
*[[諏訪頼満 (安芸守)|諏訪頼満]]
 
*[[諏訪時継]]
 
*[[武田信賢]]:安芸分群守護
 
*[[武田光和]]:安芸武田家当主
 
*[[仁科盛能]]
 
*[[毛利季光]](安芸介)
 
 
 
==== 江戸時代 ====
 
*安芸[[広島藩]]
 
**[[浅野光晟]]:第2代藩主
 
**[[浅野綱長]]:第4代藩主
 
**[[浅野吉長]]:第5代藩主
 
**[[浅野宗恒]]:第6代藩主
 
**[[浅野重晟]]:第7代藩主
 
**[[浅野斉賢]]:第8代藩主
 
**[[浅野斉粛]]:第9代藩主
 
**[[浅野慶熾]]:第10代藩主
 
**[[浅野長訓]]:第11代藩主
 
**[[浅野長勲]]:第12代藩主
 
*その他
 
**[[大久保忠増]]:[[相模国|相模]][[小田原藩]]第2代藩主・老中
 
**[[大久保忠真]]:小田原藩第7代藩主・老中
 
**[[酒井忠一 (安房勝山藩主)|酒井忠一]]:[[安房国|安房]][[安房勝山藩|勝山藩]]第8代藩主
 
**[[諏訪忠虎]]:[[信濃国|信濃]][[諏訪藩]]第4代藩主
 
**[[諏訪忠厚]]:諏訪藩第6代藩主
 
**[[本庄道貫]]:[[美濃国|美濃]][[高富藩]]第9代藩主
 
**[[松平資俊]]:[[常陸国|常陸]][[笠間藩]]第2代藩主、[[遠江国|遠江]][[浜松藩]]初代藩主
 
**[[森長記]]:[[播磨国|播磨]][[三日月藩]]第2代藩主
 
 
 
== 安芸国の合戦 ==
 
*[[1517年]] : [[有田中井手合戦|有田中井手の戦い]]、[[毛利元就]] × [[武田元繁]]
 
*[[1523年]] : [[鏡山城の戦い]]、[[尼子経久]]・毛利元就 × [[大内氏]]
 
*[[1540年]] - [[1541年]] : [[吉田郡山城の戦い]]、毛利・大内連合軍(毛利元就、[[陶晴賢]]) × [[尼子晴久|尼子詮久]]
 
*[[1554年]] : [[折敷畑の戦い]]、毛利元就 × 陶晴賢([[宮川房長]])
 
*[[1555年]] : [[厳島の戦い]]、毛利元就 × 陶晴賢
 
*[[1866年]] : 芸州口の戦い([[長州征討#第二次長州征討|長州征討]])、長州藩 × 江戸幕府
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{reflist}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
* 岸田裕広・編『広島県の歴史』、山川出版社、1999年。
 
* [[角川日本地名大辞典]] 34 広島県
 
* [http://www.rekihaku.ac.jp/up-cgi/login.pl?p=param/kyud/db_param 旧高旧領取調帳データベース]
 
 
 
== 関連項目 ==
 
{{Commonscat|Aki Province}}
 
* [[令制国一覧]]
 
* [[安芸]]
 
  
 
{{令制国一覧}}
 
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{{安芸国の郡}}
 
{{安芸国の郡}}
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[[Category:日本の旧国名]]
 
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2018/10/19/ (金) 14:05時点における最新版

安芸国(あきのくに)

現在の広島県西半部。山陽道の一国。上国。もと阿岐国造が支配。国府は初め西条盆地におかれたが,のち安芸郡府中町に移った。国分寺は東広島市西条町。『延喜式』によれば沙田 (まよた) ,沼田 (ぬた) ,安芸,佐伯,高宮,高田,賀茂,山県の8郡があり,『和名抄』には郷 63,田 7357町余が載っている。佐伯郡厳島神社は『延喜式』神名帳で名神大社,のち当国の一宮とされた。祭神は宗像三女神。久安2 (1146) 年,平清盛が安芸守に任じられて以後,本社を深く崇敬し,平家の氏神社とし,後白河法皇,高倉上皇も再三参詣。神主佐伯景弘は安芸守に任じられた。鎌倉時代には宗氏,武田氏,藤原氏が守護となり,南北朝時代から室町時代にかけては武田氏,今川氏,渋川氏,山名氏,大内氏が支配した。戦国時代には守護武田氏の勢力はふるわなくなり,大内氏が安芸国内にしばしば侵入するにいたった。毛利元就は初め尼子氏に属したが,のち大内氏に従い,天文 10 (1541) 年武田氏を銀山 (かなやま) 城に攻めて滅ぼした。しかし同 20年大内義隆はその家臣陶晴賢に殺され,毛利元就が弘治1 (55) 年陶晴賢を厳島に破ってこれを滅ぼし,安芸国の支配を確立した。豊臣秀吉は毛利氏を封じ,輝元 (毛利輝元 ) のときには 120万石。慶長5 (1600) 年関ヶ原の戦いの結果,福島正則の領となったが,その後罰せられて除かれ,元和5 (19) 年に浅野長晟が安芸国に封じられた。江戸時代を通じて浅野氏の広島藩 45万石は変らず,幕末にいたった。明治4 (1871) 年の廃藩置県では新田藩 (浅野一族3万石) を合せて広島県に編入。





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