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[[file:ITM_01.jpg|thumb|250px|上空から見た大阪国際空港(2014年)]]
 
  
'''大阪国際空港'''(おおさかこくさいくうこう、[[英語|英]]:Osaka International Airport)は、[[大阪府]][[豊中市]]、同[[池田市]]、[[兵庫県]][[伊丹市]]にまたがる[[日本の空港#会社管理空港|会社管理空港]]である。'''大阪空港'''(おおさかくうこう)あるいは'''伊丹空港'''(いたみくうこう、[[英語|英]]:Itami Airport)の通称でも知られる。かつては名実ともに[[国際空港]]であったが、現在は日本の国内線の[[拠点空港]](基幹空港)として運用されている。近隣の[[関西国際空港]]・[[神戸空港]]とともに[[関西三空港]]のひとつである。空港運営は関西エアポートが実施している。
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'''大阪国際空港'''(おおさかこくさいくうこう、[[英語|英]]:Osaka International Airport)
  
__TOC__
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兵庫県伊丹市と大阪府池田市,豊中市にまたがる[[空港]]。2008年の空港法で定められた[[拠点空港]]の国管理空港で,旧[[第1種空港]]にあたる。総面積 3.11km<sup>2</sup>。
  
== 概要 ==
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用地の 73%を伊丹市が占めることから伊丹空港としても知られる。それまで木津川尻にあった大阪空港に代わるものとして,1939年大阪第2飛行場として開設。第2次世界大戦中は軍に供用され,戦後はアメリカ軍に接収されたが,1958年に返還された。
[[大阪市]]の[[北北西]]約12km<ref group="注">大阪市役所とターミナルビルの直線距離</ref>にあり、[[京阪神|京阪神都市圏]]のほぼ中心に位置する日本の国内線の基幹空港。[[空港法]]上の拠点空港であり、[[航空法]]上の[[混雑空港]]に指定されている。国内線用の空港として運用され、国際線の旅客・貨物便は就航していない<ref group="注">2016年3月時点で、[[古物|中古]]機体の売却による[[回送|フェリーフライト]]や外国[[要人]]の[[政府専用機|専用機]]の発着などは不定期に行われている。</ref>。
 
  
[[1939年]]に開設された大阪第二飛行場が前身。[[1959年]]から[[空港整備法]]上の[[第一種空港]]となり、1970年代には国際線が多数就航する国際空港として発展したが、騒音などの公害問題で住民訴訟が相次ぎ、地元[[自治体]]などが空港廃止を求める事態になった。国は、周辺環境対策の一環として航空機の機材や発着枠、運用時間などの制限を設けるとともに、空港廃止も視野に新たな空港の整備を進めた。[[1990年]]には、地元自治体などが空港存続に方針を転換。[[1994年]]には、すべての国際線が新たに整備された[[関西国際空港]]に移転したが、国内線用の空港として存続した。2008年の空港法改正で、国際航空輸送網又は国内航空輸送網の拠点となる「拠点空港」に位置づけられた。
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翌1959年に第1種空港に指定され,大阪国際空港と改称。1970年には従来の A滑走路(1828m)に加え B滑走路(3000m)も完成した。ところが,空港の面積が狭いうえ,周辺には人家が密集していることから騒音問題が深刻化,1969年と 1971年には周辺住民から国を相手に夜間の飛行禁止と損害賠償を求める訴えがなされ([[伊丹空港騒音事件]]),1976年7月からは国際線,国内線ともに夜間の発着をとりやめることとなった。
 
 
[[滑走路]]は[[滑走路#クロースパラレル|クロース・パラレル]]で、A滑走路 (1,828 m) とB滑走路 (3,000 m) の長短2本が整備されている。周辺市街地の環境対策として、運用時間は7時から21時まで、1日の発着回数は370回(ジェット機200回、低騒音機170回)までに制限されている<ref name="nkiac-2013-8">{{Cite web |url=http://www.nkiac.co.jp/news/2013/1812/gaikyou8gatu.pdf |title=2013年(平成25年)関西国際空港・大阪国際空港8月運営概況(速報値) |publisher=[[新関西国際空港]] |accessdate=2013-10-08}}</ref><ref name="toyonakatorikumi">{{Cite web |title=大阪国際空港におけるとりくみ |publisher=豊中市 都市活力部 空港課 |date=2016-6 |url=https://www.city.toyonaka.osaka.jp/machi/kukou/kankyotaisaku/gaiyou.files/2016all.pdf |format=PDF |accessdate=2017-5-7 }}P19</ref>。また、空港周辺には緩衝[[緑地]]などが設けられている。
 
 
 
他空港と比較して運用時間の制約が厳しいこともあり、定時運航の面で優れた実績をあげている。2008年1月に[[フォーブス (雑誌)|フォーブス]]電子版が発表した世界の空港の効率性に関する番付で、'''「定刻通りに出発できる効率的な空港」第1位'''に選ばれた<ref>{{cite news |title=米経済誌発表の「世界の空港の効率性番付」、大阪・伊丹がトップ |author= |url=http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2337507/2529124 |agency=AFP BB News |newspaper= |date= |accessdate= |archiveurl=http://s03.megalodon.jp/2008-0123-1716-21/www.afpbb.com/article/life-culture/life/2337507/2529124 |archivedate=2008-01-23}}</ref>。加えて、1日200回以上の発着回数規模の空港を対象とした[[FlightsStats]]社の'''定刻運航賞'''も受賞している。その一部門である'''[[アジア]]の主要空港における出発実績賞'''を2010年に、同じく'''アジアの地域空港における出発実績賞'''を2011年に、それぞれ連続受賞した。2010年・2011年ともに、定刻運航賞のすべての部門の受賞空港のなかで、最も優秀な定刻出発率となっている<ref group="注">大阪国際空港では、全運航便の95%以上が定刻出発を記録した。</ref><ref group="注">2010年で大阪国際空港の次に優秀な定刻出発率を記録したのは、アジアの地域空港における出発実績賞受賞の[[宮崎空港]]。2011年に大阪国際空港の次に優秀な定刻出発率を記録したのは、アジアの主要空港における出発実績賞受賞の東京国際空港。</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.facebook.com/photo.php?fbid=428231903884640&set=a.419026858138478.88058.418442628196901 |title=大阪国際空港さんのページ |publisher=[[大阪国際空港ターミナル]] |accessdate=2013-10-09}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://opsawards.flightstats.com/winners-airport-2010.html |title=FlightStats On-time Performance Service Awards |publisher=[[FlightsStats]] |accessdate=2013-10-09}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://opsawards.flightstats.com/winners-airport-2011.html |title=FlightStats On-time Performance Service Awards |publisher=[[FlightsStats]] |accessdate=2013-10-09}}</ref>。2015年度には、英国の調査会社OAGによる空港の定時運航率ランキングで、定時運航率93.85%で小規模空港の世界一となった<ref>[http://www.cnn.co.jp/travel/35075905.html 世界の空港の定刻運航率、羽田と伊丹がトップ][[CNN]](2016年1月7日12時51分配信)2016年1月7日閲覧。</ref>。
 
 
 
[[空港法]]上の正式名称は「大阪国際空港」で<ref name="faq"/><ref>{{Cite web |url=http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S31/S31HO080.html |title=空港法 |publisher=e-Gov(イーガブ) |accessdate=2013-08-21}}</ref>、これは国際線移転後も、「国際空港」の名称を据え置くよう地元自治体などが希望したためとされる<ref name="airportname">{{Cite web |url=https://www.city.toyonaka.osaka.jp/machi/kukou/kukoenkaku.html |title=大阪国際空港の沿革 |publisher=豊中市 |accessdate=2017-06-19}}</ref><ref name="Takemoto"/>。このほか、'''大阪空港'''(おおさかくうこう、英:'''Osaka Airport''')<ref>{{Cite web |url=http://www.kate.co.jp/pc/time_table/osaka_kuko_tt.html |title=関西空港交通株式会社 大阪空港・蛍池駅発着時刻表 |publisher=関西空港交通 |accessdate=2013-08-20}}</ref>の名称が広く用いられているほか、旧称の伊丹飛行場と伊丹ベースに由来して'''伊丹空港'''(いたみくうこう、英:'''Itami Airport''')<ref name="faq">{{Cite web |url=http://osaka-airport.co.jp/faq/ |title=大阪国際空港(伊丹空港)よくあるご質問 |publisher=大阪国際空港ターミナル |accessdate=2013-08-20}}</ref><ref name="airportname" />とも呼ばれている。単に「'''伊丹'''」でも通用する{{誰|date=2017年11月|post-text=に}}。
 
 
 
空港の設置・運営・管理は、2008年まで第一種空港として国が行い、費用を全額負担していたが、2008年6月の[[空港法]]改正により旧・[[第二種空港]]相当となり、地元自治体が一部負担をするようになった<ref>[https://web.archive.org/web/20080806053625/http://sankei.jp.msn.com/politics/local/080731/lcl0807312349009-n2.htm 廃止検討で再注目 老舗・大阪空港の存在価値は?](2008年8月6日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) 産経ニュース 2008年7月31日</ref>。2012年7月1日、関西国際空港との経営統合に伴い、空港の設置・運営・管理は[[特殊会社]]の[[新関西国際空港|新関西国際空港株式会社]]に移管され、2016年4月1日からは、運営権を取得した民間会社の[[関西エアポート]]株式会社が、関西国際空港と一体的に運営・管理している。
 
 
 
敷地は[[大阪府]]の[[豊中市]]と[[池田市]]及び[[兵庫県]][[伊丹市]]の2府県3市にまたがり、ターミナルビルと事務所等は主に豊中市に、滑走路等は池田市と伊丹市に配されている<ref>{{Cite web |url=http://ocab.mlit.go.jp/about/jurisdiction/osaka/ |title=大阪国際空港 |publisher=国土交通省大阪航空局 |accessdate=2013-08-20}}</ref>。[[空港ターミナルビル]]、[[大阪高速鉄道大阪モノレール線|大阪モノレール線]][[大阪空港駅]]、[[エプロン (飛行場)|エプロン]]付近では、これらの府県・市の境界が複雑に入り組み、[[飛地]]が無数に点在している([[#空港建設以前]]を参照)。
 
 
 
マスコットは、飛行機をモチーフにした「そらやん」で、開港75周年を記念して2014年に製作された<ref>{{Cite press release |title=大阪国際空港マスコットキャラクターの名前が「そらやん」に決定! |publisher=新関西国際空港 |date=2014-05-24 |url=http://www.nkiac.co.jp/news/2014/1952/itmcharacter.pdf |format=PDF |accessdate= }}</ref><ref>{{Cite news |title=伊丹空港:キャラクター「そらやん」 世界に羽ばたけ |newspaper=[[毎日新聞]] |date=2014-05-25 |author= |url=http://mainichi.jp/select/news/20140525k0000e040121000c.html |accessdate= }}</ref>。2018年3月31日からは関西エアポートグループ全体の公式キャラクターとなっている<ref>{{Cite press release |title=関西国際空港キャラクター「カンクン」出発式を開催します ~「そらやん」が関西3空港キャラクターへ~ |publisher=関西エアポート |date=2018-03-23 |url=http://www.kansai-airports.co.jp/update/list/180323_kankunsorayan/pdf.pdf |format=PDF |accessdate=2018-04-16 }}</ref>。
 
 
 
=== 利用状況 ===
 
年間利用客数は1500万1,396人(2016年度)<ref>{{Cite web |url=http://www.mlit.go.jp/common/001198039.pdf |title=平成28年度空港管理状況調書 |format=pdf |publisher=国土交通省 |accessdate=2018-04-28}}</ref>で、旅客数と着陸回数は日本の空港で第7位、関西三空港では関西国際空港に次ぐ第2位{{refnest|group="注"|2014年までは、関西国際空港とほぼ同規模か、年によっては多かった<ref name="nkiac-2013gaikyo">{{Cite press release |url=http://www.nkiac.co.jp/news/2014/1934/gaikyou14032013nenndo.pdf |title=2014年(平成26年)関西国際空港・大阪国際空港3月及び年度運営概況(速報値) |publisher=[[新関西国際空港]] |format=PDF |accessdate=2014-06-16}}</ref>。}}となっている<ref>{{Cite web |url=http://www.mlit.go.jp/common/001198041.pdf |title=平成28年度(年度)空港別順位表 |format=pdf |publisher=国土交通省 |accessdate=2018-04-28}}</ref>。国内線だけで見ると、旅客数・着陸回数ともに関西三空港で最も多い。大阪市などのオフィス街へのアクセスの良さから、特に[[ビジネスマン]]の需要が高い<ref>{{Cite journal |和書 |author= |title= |year= |publisher=イカロス出版 |journal=[[エアライン (雑誌)|エアライン]] |issue=2014年5月号 |page= }}</ref>。
 
 
 
== 歴史 ==
 
本節「歴史」では、大阪国際空港とその周辺の歴史と現状、および他の関西三空港(関西国際空港・神戸空港)などとの関連について、大阪国際空港の記述を主軸に解説する。
 
 
 
=== 空港建設以前 ===
 
本節「空港建設以前」では、後の大阪国際空港が設置される前の、現在の大阪府豊中市・池田市と兵庫県伊丹市の境界付近の地域の歴史について、上述の飛地が生まれた経緯などを中心に、解説する。
 
 
 
;近世以前
 
[[奈良時代]]には、本地域は[[摂津国]]に属していた。当時は一帯は田園地帯であった。これらの田畑は、[[条里制]]のもとに管理されており、一帯の[[農地]]は直線状に張り巡らされた[[用水路]]などによって区画整理されていた。なお、条里制によるこの区画整理の名残が、今日の飛地の境界線が直線による[[矩形]]状になっていることの由来であるとされている。これらの農地が飛地となる転機は、[[安土桃山時代]]の[[太閤検地]]であった。太閤検地では、農地からの[[徴税]]システムを管理しやすくするために、農地の所有者や所属[[惣村]]の確定作業が行われた。このとき、農地管理の都合上、大きな村が細かく小さな多数の村に分割されることになった。ある農地の所有者は、この太閤検地の結果、所有する田畑が別の村の所属になることもあった。このような別の村の田畑になってしまった土地を代々[[相続]]していくうちに、これらが飛地となってしまったとみられている。この状況に加え、飛地の発生に一層の拍車をかけたのは、[[江戸時代]]の村の合併であった。太閤検地で大きな村が分割された際に、無数にできた小さな村は、似たような名称をもっていた。この名称が混乱をもたらした原因であった。例えば、現在の池田市である場所には、西今在家村と東今在家村が存在し、これらが江戸時代に合併して、今在家村になった。ところが、現在の豊中市である場所にも、同名の今在家村があった。そのため、2つの今在家村が存在することになった。これらの村境の管理も曖昧で、その結果、さらに飛地を生み出す結果となった。なお、混乱解消のために当時には、現池田市の今在家村は北今在家村、現豊中市の今在家村は南今在家村に改名した。左記の例を含むこのような合併による土地の再編成が、当時は繰り返されたという。その結果生まれた飛地は、江戸時代や[[明治]]時代の文献で確認されている。例えば、池田市にある[[正智寺]]所蔵の絵図の「享保十六年小坂田村絵図」には、1731年時点の小坂田村(現・伊丹市)の飛地が示されている。<ref name="nikkei-kansai-nazo"/>
 
 
 
;近代以後
 
このようにして生まれた飛地を有する村々は、[[近代]]には現在の豊中・池田・伊丹の3市に合併していき、飛地も継承されていった。これら3市への合併当時も、市境の管理は曖昧なままであったが、これを確定させたのは現代になってからである。大阪国際空港が建設され、その拡張工事が実施された1967年に、必要に迫られて境界を確定させて、ようやく現在の姿になった。<ref name="nikkei-kansai-nazo"/>
 
 
 
現在の飛地は、すべて豊中市の内部および辺縁部にあり、そこには、池田市の飛地が6箇所と伊丹市の飛地が1箇所ある。池田市の飛地の中には、豊中市の二重飛地も1箇所存在する。一般的に飛地の居住者の一部は、行政サービスの水準などが「本土」の居住者より低下することがある<ref name="asai-tobiti">{{Cite book|和書|author=[[浅井建爾]] |title=日本列島飛び地の謎 |year=2008 |publisher=[[廣済堂出版]] |isbn=978-4331513477}}</ref>。また、[[固定資産税]]などの管理も飛地では複雑となる。しかしながら、大阪国際空港には官民を含む多くの[[労働者]]はいるが、空港に居を構える者はおらず<ref name="asai-tobiti"/>、境界確定当時の大阪国際空港の土地は[[国有地]]だったので、固定資産税なども発生しなかった<ref name="nikkei-kansai-nazo"/>。これらの事情から、豊中・池田・伊丹の3市は、これらの複雑な境界線や飛地を解消しようとはしなかったのである<ref name="nikkei-kansai-nazo"/>。2012年に、大阪国際空港の土地は[[新関西国際空港]]が所有する[[私有地]]となり、これら3市に対して固定資産税が発生することになったが、現在も飛地はそのままである。なお、空港管理事務所によると、このような飛地の存在による航空機等の運航への支障はない<ref name="nikkei-kansai-nazo"/>。
 
 
 
余談だが、関西国際空港も飛地を抱えている。関西国際空港島の対岸の3自治体(大阪府[[泉佐野市]]・[[田尻町]]・[[泉南市]])の境界線が、海を越えて空港島まで延長されて、関西国際空港を直線的に3分割している<ref group="注">田尻町・泉南市からは、泉佐野市の[[関西国際空港連絡橋]]を通らないと、関西国際空港の同市町内へは行けない。また、関西国際空港の1期島と2期島は田尻町内でしか陸続きになっていないため、1期島の泉佐野市・泉南市の領域から2期島の同市内へ行くには、必ず田尻町を通らなければならない。</ref>。これは、泉佐野・田尻・泉南の3市町が固定資産税などを公平に徴収するためなどに、このような措置が取られているとされる<ref name="nikkei-kansai-nazo"/>。
 
 
 
=== 開港(「大阪国際空港」に至るまで) ===
 
[[File:Itami Air Base in 1950s.JPG|thumb|250px|1950年代の伊丹エアベース]]
 
[[近畿地方]]の主要な国内線が発着する基幹空港である現在の大阪国際空港は、[[1939年]]([[昭和]]14年)[[1月17日]]に、'''大阪第二飛行場'''として、[[兵庫県]][[川辺郡]][[神津村]](現・伊丹市の一部)に開設された<ref group="注">ちなみに、'''大阪第一飛行場'''は大阪府の[[大和川]]河口に建設が予定されていたが実現しなかった。</ref>。大阪第二飛行場は、当時の[[木津川飛行場]]の新規移転先であった。当初は、軍民共用飛行場として[[大日本航空]]の[[三菱MC-20]]・[[中島AT-2]]・[[ロッキード L-14 スーパーエレクトラ|ロッキードL14]]・[[ダグラス DC-3]]なども就航していた。
 
 
 
[[太平洋戦争]]([[第二次世界大戦]])中は[[軍用飛行場]]の'''伊丹飛行場'''(通称:摂津飛行場)となり、大阪府[[中河内郡]][[大正 (八尾市)|大正村]]の大正飛行場(現在の[[八尾空港]])や兵庫県[[加古郡]][[尾上町 (加古川市)|尾上村]]の[[加古川飛行場]]とともに、近畿圏における主要飛行場として[[大日本帝国陸軍|陸軍]]が使用した。大戦後期の[[日本本土空襲|本土空襲]]時には、[[三式戦闘機|三式戦闘機「飛燕」]]を装備する[[飛行第56戦隊]]などが伊丹飛行場に駐屯し、大正駐屯の[[飛行第246戦隊]]([[二式単座戦闘機|二式単座戦闘機「鍾馗」]]・[[四式戦闘機|四式戦闘機「疾風」]]装備)などの[[陸軍飛行戦隊|飛行戦隊]]とともに[[京阪神大都市圏]]の防空に活躍した。
 
 
 
[[File:ItamiAirBaseOsaka.JPG|thumb|250px|1950年代後半、国道176に掲示された伊丹エアベース入口ゲートサイン]]
 
[[日本の降伏|敗戦]]後は[[連合国軍最高司令官総司令部|占領軍]]に接収され、伊丹の名称を継承して、'''伊丹エアベース'''<ref>[http://www2.osk.3web.ne.jp/~aranishi/itmbase2.htm 伊丹エアベース]</ref>と名付けられた。現在広く用いられている大阪国際空港の通称である'''伊丹空港'''は、この時に定着したと言われている<ref name="faq"/>。接収解除後、1958年3月18日に'''大阪空港'''として再開港した。1959年7月3日には、第1種空港として国際路線を開設し、同時に大阪国際空港に改称した<ref>[http://aranishi.hobby-web.net/3web_ara/itmkuko.htm 1950年代の大阪(伊丹)国際空港](「伊丹市他周辺都市の騒音対策の沿革」等)</ref>{{信頼性要検証|date=2014-01}}。
 
 
 
[[1960年代]]以降の[[高度経済成長]]期には、[[大阪市]]近郊の市街地が拡大し、大阪国際空港の周辺も[[ベットタウン]]化の波が押し寄せた。同じころ、離着陸回数の増加や航空機の大型化・ジェット化が進み、1964年6月1日よりジェット機の乗り入れが開始した。[[ボーイング707]]や[[ダグラス DC-8]]、[[コンベア880]]などの大型ジェット機が相次いで就航した。これに対応して、1969年2月1日には現・旅客ターミナルビルが、1970年2月5日には3,000 mのB滑走路(14R/32L)が、それぞれ供用開始され、現在の大阪国際空港がほぼ完成した<ref group="注">「B滑走路や現在のターミナルビルは1970年の[[日本万国博覧会|大阪万博]]のために作られた」といわれる事があるが、これは正確ではない。確かに万博開催が決定されたことによって大阪国際空港の拡張が各方面から後押しされたのは事実であるが、実際は同空港の拡張は航空需要の伸びに対応するものである。事実、万博開催が決定した時点では、既に拡張工事は始まっていたのである</ref><ref name="ikarosu-kansai3">{{Cite book|和書 |author= |title=関西3空港 |year=2011 |publisher=イカロス出版 |isbn=978-4-86320-445-4 |series=日本のエアポート}}</ref>。なお、当時完成したばかりの[[空港ターミナルビル]]は、第11回[[BCS賞]]を受賞した<ref>{{Cite web |url=http://www.nikkenren.com/activity/bcs/detail.html?r=1970&ci=116 |title=BCS賞受賞作品|BCS賞|一般社団法人 日本建設業連合会 |publisher=[[一般社団法人]][[日本建設業連合会]] |accessdate=2013-10-09}}</ref>。
 
 
 
またこの時期に、1962年のワイズマン報告書の関西新空港建設の提唱<ref>[https://web.archive.org/web/20120115012154/http://www.kald.co.jp/symposium_data/075/japanese/075c/075c26.html 第二日目/事例報告関西国際空港](2012年1月15日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>や、増え続ける航空需要に対してこれ以上の拡張が困難な大阪国際空港の現状を考慮して、新空港建設が検討されはじめ、現在の関西国際空港の計画へとつながっていく。
 
 
 
=== 国際空港時代 ===
 
[[File:Osaka International Airport 1971.JPG|thumb|250px|1970年代の国際線ターミナル(現在の南ターミナル)]]
 
3,000 m級滑走路を整備し、1970年の[[日本万国博覧会|大阪万博]]を迎え、大阪国際空港は[[国際空港]]としての全盛時代を迎えた。[[1970年代]]には、国内外の航空会社が相次いで新規参入・新規路線就航し、年間利用者数が1,000万人を越え、年間発着回数は15万7,000回(1971年)に達し、大いに賑わいを見せた。この頃には、滑走路以外の空港施設も充実し始め、各社の[[メンテナンス|整備]]センターや[[格納庫|ハンガー]]、エンジン試運転用遮音壁、防音壁などが設置された。
 
 
 
しかし、空港の活性化と同時に、周辺地域との間に騒音や[[排気ガス]]などの[[公害]]問題が発生した。空港周辺の環境悪化をうけて、[[1969年]]以降、空港周辺住民が夜間の飛行差し止めなどを求めて国を相手に訴訟を起こした<ref name="mlit-19740813">{{Cite web |url=http://www.mlit.go.jp/singikai/koutusin/koku/seibi/12/images/shiryou1_1.pdf |title=大阪国際空港の在り方について(論点等) |publisher=国土交通省 |accessdate=2017-05-12}}</ref>。また、伊丹市が1973年10月1日に'''大阪国際空港撤去都市宣言'''を掲げたり<ref>{{Cite web |url=http://www.city.itami.lg.jp/var/rev0/0016/9682/201011213542.pdf |format=PDF |title=大阪国際空港撤去都市宣言 |publisher=[[伊丹市]] |date= |accessdate=2013-09-29}}</ref>、空港に[[ボーイング747|ジャンボ機]]が発着すると騒音測定を実施する{{誰|date=2013年10月}}など、終始緊迫した状態が続いた。これをうけて、夜間飛行の制限や発着回数の見直しが行われた。1975年12月12日からは、[[民間機]]の7時以前・21時以降の離着陸が禁止された。この“門限”(カーフュー)が設けられて以来、21時以降に離着陸するいわゆる“門限破り”が発生すると、翌日の新聞で[[ベタ記事]]になるほどだった{{要出典|title= 記述内容は正しいと思いますが、件のベタ記事の実例を紹介できると、読者に親切だと思います。|date= 2016年7月}}<ref group="注">[[1980年代]]では[[キャセイパシフィック航空]]がよく“門限破り”を行っていたようであり、当時の朝日新聞大阪版の社会面では「またキャセイ機が門限破り」といった記事が散見された。</ref>。このような状況のなか、1974年8月13日の[[運輸省]](当時・現[[国土交通省]])の航空審議会(現・[[交通政策審議会]]航空分科会)答申では、当時建設に向けて動き出していた関西国際空港について、「関西国際空港は、'''大阪国際空港の廃止を前提として'''、その位置及び規模を定める」<ref name="mlit-19740813"/>と明記された。こうして、関西国際空港は、近畿圏の航空交通網の拡充装置としてのみならず、大阪国際空港の騒音問題を解決し、その受け皿となる代替空港としての使命を帯びるようになっていった。この答申は、関西国際空港開港後の大阪国際空港の廃止を匂わせるものであったが、運輸省が公式に大阪国際空港の廃止方針を定めたというものではない。運輸省はこの答申について、直後から「'''仮に同空港が廃止されても'''、その機能を十分に果たしうる新空港の建設を推進すること」という意味合いであるとの見解を述べており、大阪国際空港の廃止を選択肢の一つに入れつつも、同空港の存続にも含みをもたせた、将来の情勢変化を見据えた政策をとることになった<ref name="mlit-19740813"/>。その結果は後述のとおりで、その後の大阪国際空港を取り巻く情勢は変化し、大阪国際空港は関西国際空港開港後も存続することが決定している<ref>{{Cite web |url=http://www.mlit.go.jp/pubcom/04/kekka/pubcomk120825_.html |title=大阪国際空港の運用見直し案に関する[[パブリックコメント]] 募集結果について |publisher=国土交通省 |accessdate=2013-10-01}}</ref>。
 
{{seealso|関西三空港の経緯と現状#過去の経緯}}
 
{{seealso|大阪空港訴訟}}
 
 
 
1977年10月1日からは、1日の離着陸回数が370回まで(内訳はジェット機枠が200回、プロペラ機枠が170回)と制限された。後年、プロペラ機枠においては、暫定的な経過措置として代替ジェット枠([[YS-11]]代替枠や[[ボンバルディア CRJ]]枠など)の特例が存在し、その後一部のジェット機も利用可能な低騒音機枠への転換が行われた<ref group="注">後述の関西国際空港との経営統合に伴う規制の見直しで、2013年から2015年にかけて、プロペラ機枠は段階的に低騒音機枠へと転換された。</ref>が、1977年に決定された「1日合計370回」という総発着枠は2017年まで変更されていない。発着回数が年間13万5,000回(1日370回)に制限された状態での空港運用となったが、空港利用者数は増加を続け、[[1980年代]]には年間利用者数が2,000万人を超えた。[[マクドネル・ダグラス DC-10|DC-10]]や[[ボーイング747]]、[[ボーイング767]]などの新型機が導入されるなど、航空機の大型化がさらに進んだ。同時に、航空機の低騒音化や空港内外の防音設備の整備も進められ、[[大阪空港訴訟]]も[[和解]]が[[成立]]するなど、1980年代は空港と周辺住民の調和に向けて前進をはじめた時期でもあった。
 
 
 
そんな中、1985年[[8月12日]]には大惨事が起こった。同日、[[日本航空]]の[[ボーイング747#747SR-100型|ボーイング747SR-100型機(JA8119)]]が[[東京国際空港|東京(羽田)]]発大阪(伊丹)行・JAL123便として飛行中に[[相模湾]]上空で操縦不能に陥り、約30分間の迷走飛行後に[[群馬県]]の[[御巣鷹の尾根|山中]]に墜落し、死者520名と重傷者4名を出した([[日本航空123便墜落事故]])。JAL123便の目的地であった大阪国際空港には、多くの関係者が詰めかけた。なお、JA8119型機の墜落事故の遠因とされる[[日本航空115便しりもち事故|しりもち事故]]は、1978年6月2日に大阪国際空港で起こっており、このときの修理不良が123便の墜落事故の原因となった。
 
 
 
1987年、[[和泉|泉州]]沖に建設地が決まった関西国際空港の建設工事が[[着工]]され、近畿の航空業界は新時代へ向けて歩みを進め始めた。1990年に入り、関西国際空港の開港が間近に迫ると、運輸省は大阪国際空港周辺の調査を行った。その結果、運輸省は、近畿経済圏における大阪国際空港の重要性や、都市型空港であるが故の利便性の高さ、国家的な交通戦略上の大阪国際空港の必要性などを確認していた。これらの調査結果をうけ、運輸省は関西国際空港開港後の大阪国際空港の存続方針を固めていた。またその当時、それまで大阪国際空港の廃止を掲げていた関連団体や住民は一転して、大阪国際空港の利便性の良さ・空港がもたらす経済効果などから、騒音問題の改善も手伝って、大阪国際空港の存続を求める機運を高めていた。このような背景から、大阪国際空港の存続を運輸省が地元自治体に打診し、地元はこれを受諾した。その結果、1990年12月3日には、[[関西三空港の経緯と現状#1990年 大阪国際空港の存続方針の確定|'''大阪国際空港の存続及び今後の同空港の運用等に関する協定'''(いわゆる'''存続協定''')]]が、大阪国際空港騒音対策協議会(後の[[大阪国際空港周辺都市対策協議会]];通称'''11市協'''、詳細は当該項目および[[#対策協議会]]を参照)と運輸省との間で結ばれた。こうして、大阪国際空港は関西国際空港開港後も存続することが決定した<ref name="kksk-3kuko">{{Cite web |url=http://www.kksk.jp/php/public_file/files/017.pdf |format=PDF |title=関西3空港の概要 |publisher=[[大阪国際空港及びその周辺地域活性化促進協議会]] |date= |accessdate=2013-09-28}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=国土交通省航空局 |title=数字でみる航空2007 |year=2007 |publisher=[[航空振興財団]] |isbn= |page=230 |chapter=航空機騒音対策}}</ref><ref>{{Cite news |title=「伊丹存続は国が要請」近畿経済圏への影響大きく |newspaper=[[産経新聞]] |date=2003-01-21}}</ref>。また当時、大阪国際空港は地方を中心に新路線開拓や増便が行われ、関西国際空港開港後の国内線専用空港としての運用を見据えた路線展開が、この時期に行われていた。
 
 
 
[[File:Kix aerial photo.jpg|thumb|250px|泉州沖に建設された[[関西国際空港]](画像は2007年時点のもの)]]
 
1994年に入り、関西国際空港の施設はほぼ完成し、後は9月の開港を待つのみとなった。大阪国際空港の国際線の関西国際空港への移管に先立ち、6月には大阪国際空港の[[IATA空港コード]]がOSAから'''ITM'''に変更された('''OSA'''は引き続き大阪国際空港・関西国際空港に共通の大阪の[[国際航空運送協会|IATA]]都市コードとされた)。関西国際空港開港前日の9月3日、大阪国際空港の最後の国際線となった大阪(伊丹)発[[グアム国際空港|グアム]]行の日本航空の[[チャーター便]]を含む『伊丹空港サヨナラフライト』を送り出して、1960年より続いてきた「国際空港」としての大阪国際空港の歴史は、この日をもって終了した<ref group="注">機材は[[ボーイング747-400]](機体番号:JA8912)現在はJALの営業路線からは退いており、この機体番号も登録抹消されている。</ref>。なお、この便の復路は、翌日のグアム発関西国際空港行であった。このサヨナラフライトには、大阪国際空港長室に飾られていた[[ダグラス DC-6|DC-6B]]の[[模型航空機]]と関西国際空港長へ宛てた[[親書]]が積み込まれており、これらは翌日に到着した関西国際空港で空港長に届けられた<ref name="ikarosu-kansai3"/>。
 
 
 
=== 関西国際空港開港後 ===
 
;国内線の基幹空港としての再出発
 
 
 
1994年9月4日、近畿圏第2の主要空港として関西国際空港が開港し、大阪国際空港からすべての国際線と全体の2割の国内線が関西国際空港へ移った。なお、概ね1000km以上の長距離路線は基本的に関西空港に展開すると定められた<ref>{{Cite web |url=https://www.mlit.go.jp/singikai/koutusin/koku/seibi/12/images/shiryou1_2.pdf |title=大阪国際空港の在り方について(資料1) |publisher=国土交通省 |accessdate=2017-05-12 |format=PDF}}P19,「大阪国際空港と関西国際空港の機能分担について」</ref>。これより、大阪国際空港は'''国内線の基幹空港'''として運用が開始されたが、関西国際空港開港直後は、大阪国際空港は旅客数・便数ともに減少し、かつての賑わいは失われた。しかし、大阪国際空港の方がアクセス利便性が勝ることや、関西国際空港への一部国内線の移管に合理性がないことなどから、{{要検証範囲|date=2014年1月|2002年頃より}}[[北海道]]・[[沖縄県|沖縄]]方面などの長距離便を含め、大阪国際空港への復便や開設<ref group="注">これらには、関西国際空港便からの再移管を含む。</ref>が相次ぎ、[[2000年代]]中頃には、大阪国際空港はかつての国内線の旅客数・便数に並ぶ実績をあげた。
 
 
 
関西国際空港開港の翌年の1995年1月17日には、[[阪神・淡路大震災]]が発生した。大阪国際空港では、滑走路や[[誘導路]]に亀裂が生じたほか、空港ターミナルビルなどが損傷する被害を出した。しかし、航空機の運航には支障は出なかったため、その日のうちに、[[警視庁]]・[[消防庁]]・[[自衛隊]]・[[アメリカ軍]]・[[日本政府|政府]][[チャーター便]]が被災地支援に多数飛来した。加えて、大阪国際空港の平時の運用時間(7時 - 21時)外となる21時台に、特別措置として[[臨時便]]を運航させた。この措置は2月7日 - 4月17日の期間続けられ、復興を支援した<ref name="ikarosu-kansai3"/>(なお、2011年の[[東日本大震災]]の復興支援時にも、同様の措置が取られ、大阪国際空港において、[[#発着枠|発着枠]]を超える運用や21時を過ぎる遅延便への柔軟な対応がなされていた<ref>{{Cite web |url=http://www.city.itami.lg.jp/home/SOGOSEISAKU/KUKO/0000243.html |title=大阪国際空港周辺都市対策協議会 |publisher=伊丹市 |accessdate=2013-10-25 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20131014101227/http://www.city.itami.lg.jp/home/SOGOSEISAKU/KUKO/0000243.html |archivedate=2013-10-14}}</ref>。)。
 
 
 
[[File:Ja-osaka-itm-okujou.jpg|thumb|250px|ターミナルビル屋上(ラ・ソーラ)のガーデニング]]
 
[[File:Itami harukas 01.jpg|thumb|250px|ターミナルビル屋上からの大阪市内方面の遠景]]
 
震災からも復興し、前述の大阪国際空港の再活性化にあわせるように、1999年にはターミナルビルが大改装された。1969年に供用開始された既存建物をそのまま活用しつつも、新築建物並みのサービス提供を実現したことや、屋上のデッキ(ラ・ソーラ)の[[園芸|ガーデニング]]が評価され、2000年12月11日に'''第20回[[大阪都市景観建築賞]]の奨励賞'''を受賞した。空港周辺施設の整備もすすみ、1997年4月1日の、大阪モノレール線大阪空港駅の開設をはじめ、緩衝緑地の公園化などが相次ぎ、地域と密接した空港づくりの努力が行われている。
 
 
 
一方で、[[2000年代]]に入り、関西国際空港の経営は巨額の[[負債]]に苦しめられていた<ref group="注">上述のとおり、関西国際空港から大阪国際空港へと国内線の旅客便が移った時期であり、[[アメリカ同時多発テロ]]や[[重症急性呼吸器症候群]]の流行により国際線の需要も低下していた時期である。</ref>。また、空港の運用実績の指標となる発着回数も伸び悩んでいた<ref group="注">一例として、2007年の動きをみてみると、関西国際空港における拡張工事について、[[財務省 (日本)|財務省]]から工事予算の認可を取り付けるにあたり、関西国際空港では航空機の発着回数の実績で[[ノルマ]](年間で約13万回)を達成することを財務省から求められていた。関西国際空港では航空機の発着回数は年間13万回にわずかに届かない見通しであり、財務省から与えられたノルマ達成の可否は微妙な情勢であった。詳細は、[[関西国際空港#2007年度]]を参照のこと。</ref>。このころ時を同じくして2000年代に、国土交通省は大阪国際空港周辺の環境対策(騒音軽減)を理由に<ref name="mlit-itm-res">{{Cite web |url=http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha04/12/120803_.html |title=大阪国際空港の今後の運用のあり方について(案) |publisher=国土交通省 |accessdate=2013-10-05}}</ref>大阪国際空港の機能を制限し始めた。具体的には、大阪国際空港で利用する航空機の小型化や、大阪国際空港に就航している長距離国内線の関西国際空港などへの移転などが挙げられる(下記参照)。これらの措置については、大阪国際空港の環境対策を名目にしているものの、実際は、発着回数が伸びず財政難にも苦しむ関西国際空港へ配慮であり、大阪国際空港の航空便・旅客を関西国際空港へ行政主導で移転させる、あからさまな関西国際空港の救済策であると、複数の[[報道機関]]・航空関係者・有識者らが指摘した<ref name="asahi-kanku">{{cite news |title=伊丹空港を積極活用へ 機能縮小から転換 政府方針 |newspaper=[[朝日新聞]] |date=2012-05-26 |url=http://www.asahi.com/kansai/travel/news/OSK201205260022.html |accessdate=2013-08-22 }}</ref><ref name="uchida-kicho2">{{Cite book|和書|author=[[内田幹樹]] |title=機長からアナウンス第2便 |year=2005 |publisher=[[新潮社]] |series=[[新潮文庫]] |isbn=978-4101160429 |page=214}}</ref><ref name="kato-kanku">{{Cite journal |和書 |author=[[加藤一誠]] |title=航空需要と空港政策 |year=1974 |publisher=全日本空輸 |journal=ていくおふ |number=113 |page= |url=http://www.kksk.jp/news/ |accessdate=2013-10-05}}</ref><ref name="abc-kanku">{{Cite web |url=http://abc1008.com/news/onair/050422.html |title=abc1008.com|ニュース探偵局 |publisher=[[番場巌]]・[[ABCラジオ]] |accessdate=2013-10-05}}</ref>。
 
 
 
2004年9月29日、国土交通省は、上記の理由により段階的に大型機の乗り入れ規制を強化し、YS-11代替枠やボンバルディア CRJ枠を縮小・廃止した。さらに2005年からは、3発以上のジェット機の乗り入れ制限(後述)が行われた。また、2005年から2006年にかけては、「飛行距離が1,000 kmを越える路線」の他空港への移管が国土交通省の方針のもと行われた。[[女満別空港]]便・[[旭川空港]]便・[[函館空港]]便が関西国際空港に、[[石垣空港]]便が神戸空港に移管された。さらに、大阪国際空港の[[新千歳空港]]便と[[那覇空港]]便を減便し、その減便分を関西国際空港便・神戸空港便に振り替えた。この飛行距離による制限には、上述のジャンボジェット機制限のような騒音との合理的な理由がなく、理不尽なものであるとの批判があった<ref>大阪国際空港及びその周辺地域活性化促進協議会らの主張(2007年11月29日に国土交通大臣に提出した「大阪国際空港の活用等について(要望)」)による。</ref><ref name="kksk-3kuko"/>。また、同措置に対しては大阪国際空港利用者の84%が反対と回答しており、大阪国際空港近隣居住者のみならず、[[北海道]]・[[沖縄県]]居住者らも「利便性が低下する」と反対していた<ref name="kksk-3kuko"/>。これらをうけて、2011年には、空港周辺の豊中市や池田市、伊丹市が、北海道や沖縄県、[[鹿児島県]]の自治体と共同で、大阪国際空港からの国内長距離便の増便や復活を求める要望書を国土交通大臣に提出した。さらに、要望書では、低騒音のジェット機を発着枠に余裕があるプロペラ機枠としてカウントすることなどを求めていた<ref>{{cite news |title=伊丹空港:周辺3都市、長距離増便など要望 国交相、前向き発言 |author= |newspaper=毎日新聞 |date=2011-10-13 |url= |accessdate= }}</ref>。大阪国際空港の地元や就航先の航空利用者・関係者のこれらの要望の一部は、2012年の関西国際空港との経営統合を機に、実現されることになった({[[#関西国際空港との経営統合後〜現在]])。
 
 
 
前述の存続協定が結ばれた頃には、既に周辺自治体は大阪国際空港との共存方針に舵を切りはじめていたが、時を経て、空港との共存に対応した様々な変更が行われている。存続協定から17年後となる2007年4月1日、空港の周辺環境の改善などをうけ、伊丹市は、前述の'''大阪国際空港撤去都市宣言'''から方針を大幅転換した'''大阪国際空港と共生する都市宣言'''を採択し、かねてからの空港との共存路線を改めて宣言した<ref>{{Cite web |url=http://www.city.itami.lg.jp/library/home/SOGOSEISAKU/KUKO/0000242_001.pdf |format=PDF |title=大阪国際空港と共生する都市宣言全文 |publisher=伊丹市 |date= |accessdate=2012-10-28}}</ref>。さらに、「時代の流れである」として、大阪国際空港近隣の同市を含む大阪府・兵庫県の11市から構成される[[大阪国際空港周辺都市対策協議会|11市協]]が、その正式名称を「大阪国際空港'''騒音'''対策協議会」から「大阪国際空港'''周辺都市'''対策協議会」へ変更した。
 
 
 
国が管理運用していた時代は、[[空港整備特別会計]]の空港別の財務状況において、数少ない黒字空港で、特に2006年度分の空港別の財務状況では、43億円の黒字を計上していた<ref>{{cite news |title=大阪空港黒字…06年度試算43億円 |author= |newspaper=[[読売新聞]] |date=2009-08-01 |url= |accessdate= }}</ref>。この大阪国際空港がうみだす利益は、負債を抱える関西国際空港との統合において、業界関係者によって着目されることになった([[#関西国際空港開港後〜現在]]を参照)<ref name="sankei-75th"/><ref name="wbs-togo">{{Cite web |url=http://wbs.co.jp/news/2012/06/30/4631.html |title=関空と伊丹空港 あす(7月1日)経営統合 |publisher=[[和歌山放送]] |accessdate=2013-10-06}}</ref><ref name="dpj-togo">{{Cite web |url=http://www.dpj.or.jp/article/100008/ |title=関空・伊丹統合法案が成立。1兆円以上の債務解消を目指す |publisher=[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]] |accessdate=2013-10-06}}</ref>。
 
{{seealso|関西三空港の経緯と現状}}
 
 
 
空港施設に視点を転ずると、[[2000年代]]半ば頃からは、大阪国際空港の「地域と密接した空港づくり」はさらに促進され、新規[[テナント]]や[[カルチャースクール]]の進出がさらに進んだ。航空利用者のみならず、周辺地域の一般客を呼び込む、[[レジャー]]施設としての要素を取り入れ始めた。さらに、空港ターミナルビルの再々改修が行われ、老朽化していた中央ブロックなどが新しく生まれ変わった。中央ブロックでは、大阪エアポートホテル<ref group="注">大阪エアポートホテルは、1969年以来、中央ブロックで37年間営業してきており、国際線の運航が終了してからちょうど12年目にあたる2006年9月3日より閉鎖して改修を行っていた。</ref>は、2010年3月25日に改修を終えて[[大阪空港ホテル]]として再開した。
 
 
 
また空港周辺では、2000年代半ば頃まで、B滑走路(14R/32L)の14R端付近の[[中村 (伊丹市)|中村地区]]に、航空法の告示範囲内に300世帯の住宅等が乱立していた<ref>{{cite news |title=伊丹・中村地区は今 |author= |newspaper=[[神戸新聞]] |year=2002 |url=http://www.kobe-np.co.jp/chiiki/rensai/0202hansin/index.html |accessdate= }}</ref>。住民との協議の末にこれらの住宅などの移動が完了し、2009年5月に跡地に整備された道路が開通し、残りの跡地も整備が行われた<ref>{{Cite web |url=http://www.city.itami.lg.jp/home/SOGOSEISAKU/KUKO/0000248.html |title=中村地区整備事業 |publisher=伊丹市総合政策部 |date=2007-11-08 |accessdate=2012-10-13}}</ref>。これにより、告示範囲内に違法占拠している住宅等はなくなった。
 
 
 
大阪国際空港の再国際化を模索した動きもみられている。2010年7月9日、[[中国東方航空]]の[[エアバスA320]]により[[上海浦東国際空港]]への国際線[[チャーター便]]が運航された。運航にあたっては、[[ひょうごツーリズム協会]]が費用を負担した(詳細は[[#関西国際空港開港後の国際線]]を参照)。また、2011年11月4日、ひょうごツーリズム協会は[[中国国際航空]]の[[ボーイング737|ボーイングB737-800]]により、広東省旅游文化節にあわせての観光PRとして大阪国際空港から[[広州白雲国際空港]]へ向けてのチャーター便も運航し、これは11月7日に帰国した。
 
 
 
上記の兵庫県による国際チャーター便の運航に関する動きや下記の[[#橋下大阪府知事・大阪市長に関する動き]]などをうけて、大阪国際空港と他の関西三空港のあり方について、各方面で議論が起こることになった。これまで大阪国際空港と関西国際空港、神戸空港は、限られた旅客や航空便などの[[パイ#食品でないパイ|パイ]]を取り合い、互いの足を引っ張り合う競争関係にあった<ref>{{Cite web |url=http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/125595.html |title=時論公論 「関空・伊丹統合の目指すもの」|時論公論|解説委員室:NHK |publisher=[[日本放送協会]] |accessdate=2013-10-06}}</ref>。これを改めて関西三空港が相互補完をして、航空需要の掘り起こしを行うべきだとの意見などが現れ、やがて、大阪国際空港と関西国際空港の一体経営などが模索された<ref>{{Cite web |url=http://www.ocab.mlit.go.jp/news/tougou/pdf/houan110218.pdf |title=関空・伊丹経営統合法案の骨子(案) |publisher=国土交通省 |accessdate=2013-10-06}}</ref>。これには、関西国際空港の抱える巨額の負債を大阪国際空港の利益で補填し、関西国際空港の国際競争力を高めるという狙いもあった<ref name="wbs-togo"/>。やがて、国土交通省や関係機関は、下記の新関西国際空港株式会社の設立へと動き出し、両空港の経営統合に向けての準備が進められた。関連法の整備も進み、2011年5月17日には、'''[[関西国際空港及び大阪国際空港の一体的かつ効率的な設置及び管理に関する法律]]'''が[[国会 (日本)|国会]]で可決・成立し、経営統合が現実のものとなった<ref>{{Cite web |url=http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H24/H24SE054.html |title=関西国際空港及び大阪国際空港の一体的かつ効率的な設置及び管理に関する法律施行令 |publisher=[[総務省]] |accessdate=2013-10-06}}</ref><ref name="dpj-togo"/>。
 
 
 
==== 3発以上のジェット機の乗り入れ制限 ====
 
[[File:MyPhotoJal-18.jpg|thumb|250px|エンジンが3基ある日本航空のマクドネル・ダグラスDC-10-40と4基ある全日空のボーイング747-200]]
 
[[File:Japan Airlines, B777-300, JA751J (19715148005).jpg|thumb|250px|エンジン2基の日本航空のボーイング777-300]]
 
上述の規制の実施をうけて、2005年4月1日に[[ボーイング747-400]]を除く3発以上のエンジンを持つジェット機の大阪国際空港への乗り入れが禁止された<ref group="注">この運航規制による該当機の最終運用日は、2005年3月30日で全日本空輸 (ANA) 38便(東京国際空港行、ボーイング747LR型機・機体番号JA8174。この機体は、現在はANAの営業路線からは退いており、当機の機体番号も登録抹消されている)であった。</ref>。さらに2006年4月1日には、'''(ボーイング747-400を含む)3発以上のエンジンを持つジェット機全ての乗り入れが全面禁止'''された。ただし、この全面禁止措置は、'''有償飛行(乗客を乗せる飛行)に対する禁止措置'''であり、整備のためのフェリーフライトや悪天候によるダイバートでの飛来や、政府要人を乗せた特別機などは対象外である。「ジャンボジェット(ボーイング747)最終日」の同年3月31日には、最後のジャンボ機となった日本航空1528便(東京国際空港行、ボーイング747-400D型機<ref group="注">機体記号JA8907。現在はJALの営業路線からは退いており、この機体番号も登録抹消されている</ref>)が、20時20分に大阪国際空港から出発した。翌日の4月1日より、この乗り入れ禁止への措置として、大阪国際空港に就航する各社は、提供座席の減少数が1割程度に収まる双発(エンジン2基)の機体、[[ボーイング777|ボーイング777-200/-300型機]]への機材変更を行った。
 
 
 
この禁止措置により、当初は使用航空機の運用面で各社は多少の影響を受けた。その後、各航空会社は航空機の新旧入れ替えにあたり、近年の燃料費高騰や、また路線別の採算に合わせた中型機以下の導入を行った。具体的には、経済面で不利なエンジン3発以上の航空機から、燃費のよいエンジン2発の航空機(ボーイング777型機やボーイング767型機、[[ボーイング737]]型機等)へ入れ替えた。なお、ボーイング747-400は、日本航空は2011年にすべて退役、全日本空輸も2014年3月で退役しており<ref name="mainichi140112">{{cite news |title=ANA:ジャンボ機が大阪・伊丹に8年ぶり飛来 |author= |newspaper=毎日新聞 |date=2014-01-12 |url=http://mainichi.jp/select/news/20140112k0000e040153000c.html |accessdate=2014-01-14}}</ref>、日本の国内線から完全に姿を消すことになった。また、定期便以外の扱いについては、国内外の[[要人|VIP]]搭乗機やフェリーフライトなどのイレギュラーや緊急時には、今まで通りボーイング747型機なども着陸できるため、現在は事実上この規制の影響はない。
 
 
 
;乗り入れ制限後の主な3発以上のジェット機の運用
 
 
 
* 2006年5月5日: 有償飛行での乗り入れ禁止後に初めて全日本空輸のボーイング747-400(機体番号:JA8962)が飛来した。これは有償飛行でなく、契約満了に伴い[[ポケモンジェット]]USAを通常塗装に戻す整備を行うためである。5月18日、同機は通常塗装へ変更され、成田へ向かった。この便も同年3月31日までならこのまま大阪国際空港発の営業路線に投入されるが、上記の事情のためにフェリーフライトとした。
 
* 2008年1月19日: 全日本空輸のボーイング747-400型機(機体番号:JA8958<ref group="注">ANA最後の国際線用ボーイング747-400である。2006年3月31日、有償飛行として最後となった成田線用のボーイング747-400型機(国際線仕様)として使用されていた。</ref>)が成田空港より飛来した。これはアッパーデッキ後方の「Yokoso!Japan」の塗装を削除する作業のためのフェリーフライトであった。1月31日早朝、同機は同じくフェリーフライトとして成田空港に向かった。
 
* 2014年1月12日: 全日本空輸のボーイング747-400D型機(機体番号:JA8961<ref name="aviationwire140113">{{Cite web |author= |date=2014-01-13 |url=http://www.aviationwire.jp/archives/31013 |title=展望デッキへ「ありがとうございました」伊丹747イベントでファンに感謝 |work=Aviation Wire |publisher=旭技研 |accessdate=2014-01-14}}</ref>)が、同社のボーイング747退役記念企画である「里帰りフライト」において飛来した<ref name="mainichi140112"/>。この「里帰りフライト」を以て同社のボーイング747の大阪国際空港への乗り入れは最後となった<ref name="aviationwire140113" />。
 
 
 
{{seealso|#関西国際空港開港後の国際線}}
 
 
 
==== 橋下大阪府知事・大阪市長に関する動き ====
 
[[File:橋下徹の応援演説.jpg|thumb|250px|[[橋下徹]][[大阪市長]](写真は2013年の[[第23回参議院議員通常選挙]]でのもの)]]
 
本節では、旧関西国際空港株式会社(現関西国際空港土地保有株式会社)の株主であり、関西国際空港と[[ステークホルダー|利害関係]]<ref>{{Cite web |url=http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/bitstream/10466/10389/1/2010000038.pdf |title=関空と南大阪地域の発展 |publisher=[[今木秀和]] |accessdate=2013-09-30}}</ref>にある[[大阪市長]]の[[橋下徹]]<ref>{{Cite web |url=http://facta.co.jp/article/200912004.html |title=火を噴いた「神戸空港廃港」論 |publisher=[[FACTA]] |accessdate=2013-09-30}}</ref>とその周辺の動向について記す。
 
 
 
; 関西国際空港集約論と大阪国際空港廃止論の打ち上げ
 
 
 
2008年7月、関西国際空港に航空各社から減便の打診が相次いだ<ref>{{cite news |title=関空発着の減便・廃止 対象は20路線超 |author= |newspaper=[[産経新聞]] |date=2008-07-23 |url= |accessdate= }}</ref>。これを受けて橋下[[大阪府知事]]は、7月31日に大阪国際空港廃止も視野に含め、関西三空港のあり方の検討をすると発表した。この発表に対し、[[井戸敏三]][[兵庫県知事]]や[[藤原保幸]]伊丹市長(11市協会長を兼務)らは、大阪国際空港の廃止に反対の声明を発表した。また、当時大阪国際空港を管理していた国土交通省は、「廃止は困難である」との見解を示した<ref>{{cite news |title=井戸知事「思い上がりだ」 橋下氏の大阪空港廃止発言 |author= |newspaper=神戸新聞 |date=2008-08-01 |url= |accessdate= }}</ref>。そして橋下は、関空が沈んでいる元凶は伊丹-[[成田国際空港|成田]]便であり「日本国内で国際拠点が成田しか無かった時の伊丹-成田便だった。関空が開港しても国内線と位置付けるのは“脱法行為”であり、ばかな路線である」として同路線廃止を要請した<ref>{{cite news |title=「ばかな路線」と橋下府知事 大阪-成田便廃止要請へ |author= |date=2008-11-04 |agency=共同通信 |publisher=47NEWS |url=http://www.47news.jp/CN/200811/CN2008110401000883.html |accessdate=2012-10-28}}</ref>。
 
 
 
2009年1月に橋下は「勉強不足だった」として大阪国際空港廃止論を撤回し、大阪府としては関西国際空港の活性化を重視し、関西3空港の一体的運営に関しては、将来的な課題とする大阪府の従来方針に準じた内容を、関西3空港に関する提言<ref>{{Cite web |url=http://www.pref.osaka.jp/attach/9460/00000000/201401siryo.pdf |format=PDF |title=関西3空港に関する提言(素案) |publisher=大阪府空港戦略室 |date=2009-01-28 |accessdate=2012-10-28}}</ref>としてまとめたことを表明した<ref>{{cite news |title=「伊丹空港廃止論」半年で撤回 橋下知事 |author= |newspaper=朝日新聞 |date=2009-01-31 |url= |accessdate= }}</ref><ref>{{cite news |title=大阪府が関西3空港に関する提言 関空を出入国拠点に |author= |newspaper=産経新聞 |date=2009-01-31 |url= |accessdate=2012-10-28}}</ref>。しかし、2009年9月に開かれた懇談会では、再び橋下が大阪国際空港廃止論を主張し、関西国際空港・神戸空港に路線を集約させるという案を提案した。これに対し、井戸は強い反発を示し、橋下の「関西に24時間空港は要らないのか」という問いかけに対し、井戸は神戸空港に2本目の滑走路を造ればいいと応じた。
 
 
 
2010年1月9日、大阪国際会議場で行われた新年互礼会において橋下は「1にも2にも3にも4にも5にも6にも7にも8にも9にも、伊丹廃港しかありません!」と述べた。後日行われた記者会見においては、それまでに主張していた2035年の[[中央新幹線|中央リニア新幹線]]開業と同時に大阪国際空港を廃止するというプランを改めて、リニア開業よりももっと早期に大阪国際空港を廃止する案を打ち上げて、「早く廃港にしてほしい」と記者会見で語った。さらに、[[徳島飛行場|徳島空港]]や[[南紀白浜空港]]も整理していかなければならないと話した<ref>{{YouTube|y0zKE7q6Wp4|橋下知事 伊丹廃港10年前倒し、理解できません(井戸知事)2010年}}</ref>。
 
 
 
; 井戸兵庫県知事との対立激化
 
 
 
[[File:Ido Toshizo 1-1.jpg|thumb|250px|大阪国際空港の積極活用策を打ち出す[[井戸敏三]][[兵庫県知事]]]]
 
2010年春、橋下大阪府知事と井戸兵庫県知事の対立は、[[大阪府議会]]と[[兵庫県議会]]を巻き込んだ。橋下は、大阪府議会にて「大阪国際空港の廃止を求める」決議の採択を画策した。大阪府議会では、この議案についての意見が割れ、[[自由民主党 (日本)|自由民主党大阪府議会議員団]]などは、『廃止を求める』などという直接的な文言に難色を示した<ref name="47n-osaka">{{Cite web |url=http://www.47news.jp/CN/201003/CN2010031901000982.html |title=府議会、伊丹空港“廃止”決議へ 橋下知事は歓迎 |publisher=[[47NEWS]] |accessdate=2013-10-01}}</ref>。この動きをうけて井戸は、兵庫県議会での「大阪国際空港の存続・活用を求める」決議の採択へ向けて動き出した。兵庫県議会での審議は、大阪府議会よりも早く進行し、[[3月23日]]に[[自由民主党 (日本)|自民党]]、[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党・県民連合]]、[[公明党|公明党・県民会議]]の主要3会派の賛成によって、'''大阪国際空港の存続と関西3空港の有効活用を求める決議'''を可決した<ref>{{Cite web |url=http://www.47news.jp/news/2010/03/post_20100323163526.html |title=兵庫県議会が「伊丹存続」決議 「廃港」大阪府議会に対抗 |publisher=[[47NEWS]] |accessdate=2013-10-01}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.hyogokengikai.jp/regular/05-131.html |title=兵庫県議会/定例会臨時会の概要/意見書・決議 |publisher=[[兵庫県]] |accessdate=2013-10-01}}</ref>。対して当初先行していた大阪府議会では、本件について各[[会派]]の採択案が複数出される異例の事態となった。結局、自由民主党大阪府議会議員団が、『廃止を求める』という文言を『関西空港の[[ハブ空港|ハブ]](拠点)化の実現を求める』と置き換え、『中長期的に廃港する』という文言も『〜廃港を考える』という表現に軟化させ、万一大阪国際空港を廃止する場合は関西国際空港のアクセスの改善を前提とすること、などの条件を付けたうえで譲歩した<ref name="47n-osaka"/>。その結果、3月24日に自由民主党大阪府議会議員団、公明党大阪府議会議員団、[[大阪維新の会|大阪維新の会大阪府議会議員団]]などの賛成によって、自民・公明の両党の案である'''関西国際空港のハブ化の実現を求める決議'''を可決した<ref>{{Cite web |url=http://www.nikkei.com/article/DGXNASHC2401A_U0A320C1000000/ |title=大阪府議会が「伊丹廃港」決議 |publisher=[[日本経済新聞]] |accessdate=2013-10-01}}</ref>。なお、民主党議員団は、大阪国際空港の廃止に触れずに関西国際空港のハブ空港化のみを求める議案を提出したほか、[[日本共産党|日本共産党大阪府議会議員団]]にいたっては、逆に大阪国際空港の存続を求める議案を提出していた(いずれも否決されている)。本命の自民・公明案の採決にあたっては、大阪国際空港廃港に否定的な大阪府北部選出の自民党の府議らが[[造反]]し、民主党議員の一部は議場から退席するなどして、混乱が起こった<ref>{{cite news |title=大阪府議会が伊丹空港廃港を決議 大阪、兵庫で相反 |publisher=[[産経新聞]] |date=2010-03-24}}</ref>。両府県議会の決議の後は、橋下は「兵庫県議会の大阪国際空港存続方針には具体なプランがなく、そのような決議には意味がない」と批判した<ref>{{Cite web |url=http://www.47news.jp/CN/201003/CN2010032301000262.html |title=伊丹空港存続決議「意味ない」 橋下氏、兵庫県議会に |publisher=[[47NEWS]] |accessdate=2013-10-01}}</ref>。これをうけて、井戸は「(橋下に)全く同じ言葉を返す」と斬り捨てたうえで、大阪府議会の議決について「空想論の決議に何の意味があるのか」などと批判した<ref>{{cite news |title=橋下知事に応酬、伊丹廃港案で兵庫知事「世の中を動かしてみなさい」 |publisher=[[産経新聞]] |date=2010-03-24}}</ref>。
 
 
 
2010年、井戸らが主導して、大阪国際空港からオウンユースチャーターの国際線チャーター便を飛ばしたことに対して、橋下は「1便飛ばしたからといって何も意味も無い」と不快感を露わにし、「全く意味ないですね、公的なお金を入れて。効果のない行政的な[[パブリック・リレーションズ|PR]]活動の典型だ」と発言した。さらに橋下は、今後はオウンユース以外の国際線チャーター便を大阪国際空港から飛ばさないよう、当時の国土交通大臣の[[前原誠司]]に要望書を提出した。また、大阪国際空港の周辺住民には、井戸と同様に空港存続論者がいる一方、これを足がかりに国際便を容認する方向に進めば、大阪国際空港の便数が増えて騒音がまた激しくなるのではないかとの懸念を示す者もいた<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100707-OYT1T00699.htm?from=navr 橋下知事「意味ない」、伊丹に16年ぶり国際便]{{リンク切れ|date=2012年10月}}</ref>。
 
 
 
; 大阪国際空港・関西国際空港経営統合後の動向
 
 
 
<!--藤原保幸伊丹市長の写真も必要か-->
 
[[File:Tomoko Nakagawa in Takarazuka Kinen 2013 (01) IMG 4731 20130623.JPG|thumb|250px|[[2013年伊丹・宝塚市長選挙|2013年宝塚市長選挙]]などで大阪国際空港活性化を訴えてきた[[中川智子]][[宝塚市|宝塚]][[市町村長|市長]](中央)]]
 
[[#関西国際空港との経営統合後〜現在|次節]]で示す内容と前後するが、2012年には大阪国際空港と関西国際空港の経営が新関西国際空港株式会社に統合され、両空港の協力体勢が開始している。大阪国際空港の廃止を主張してきた橋下であるが、経営統合後は大阪国際空港に対する姿勢を変化させている。橋下は、もはや大阪国際空港は[[民間企業]]であるからと、その経営方針には口出しをしないことを語った。また、橋下率いる[[日本維新の会 (2012-2014)|日本維新の会]]は、大阪国際空港のお膝元である兵庫県伊丹市と[[宝塚市]]における2013年4月14日投開票の[[2013年伊丹・宝塚市長選挙|両市長選挙]]への進出を画策した<ref group="注">この両市長選挙への進出は、かねてから諸政策で橋下と意見が衝突してきた井戸兵庫県知事への対抗措置の側面もあった。日本維新の会にとってこの選挙は、次の7月の[[2013年兵庫県知事選挙]]において、4選を目指す井戸への[[刺客]]を送り込むことを想定した、いわば維新の兵庫県進出を見据えた前哨戦であった。</ref>。大阪国際空港の地元での両市長選を展開するにあたって、橋下と両市長候補をはじめ維新の会の陣営は、これまで主張してきた大阪国際空港廃止論を封印して、選挙活動に臨んだ<ref name="mainichi-itami-takarazuka">{{Cite web |url=http://senkyo.mainichi.jp/news/20130401ddn002010064000c.html |title=関西発:「伊丹廃港」維新封印 兵庫・伊丹市長選、見解巡り混乱 |publisher=[[毎日新聞]] |date=2013-04-01 |accessdate=2013-09-29}}</ref>。このように大阪国際空港廃止論をトーンダウンさせた一方で、日本維新の会では大阪国際空港廃止論はくすぶり続けていた。[[大阪市長]]に転身していた橋下は、将来的な大阪国際空港の廃止を諦めておらず、大阪国際空港の活用方針を打ち出す11市協から大阪市を脱退させた。またその後も、日本維新の会[[幹事長]]・大阪府知事の[[松井一郎]]は、将来的な大阪国際空港の廃止を匂わす発言をしていた<ref>{{Cite web |url=http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/644277/ |title=大阪外で初 伊丹・宝塚市長選に候補擁立 維新 兵庫進出なるか |publisher=[[産経新聞]] |date=2013-04-06 |accessdate=2013-09-29}}</ref>。このような状態から、日本維新の会の党内では、大阪国際空港の存続・廃止をめぐり、党内意見が混乱した<ref name="mainichi-itami-takarazuka"/>。伊丹・宝塚両市長選挙では、日本維新の会の候補は、大阪国際空港の積極活用策を打ち出す[[藤原保幸]]候補と[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]]<ref group="注">社民党は、前身であった[[日本社会党]]時代から、騒音問題を抱えていた大阪国際空港に批判的であった。</ref>出身ながらも大阪国際空港の活性化に前向きな[[中川智子]]候補<ref name="nakagawa"/>の両現職候補と選挙戦を争い、両市とも圧倒的大差で現職候補が勝利し、日本維新の会は大敗を喫した<ref name="kobe-itami-takarazuka">{{Cite web |url=http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201304/0005902108.shtml |title=「重く受け止める」 日本維新の会共同代表・橋下氏 |publisher=[[神戸新聞]] |date=2013-04-15 |accessdate=2013-09-29}}</ref>。この結果について、橋下は、自身の掲げる将来的な大阪国際空港廃港構想を含む諸[[政策]]について、両市民にしっかり説明できなかったと敗因を語った。これに対して、「両市民は日本維新の会が掲げる大阪国際空港廃港論を含む政策をしっかり理解したうえで維新候補を拒絶したのではないか」との意見も[[報道機関]]から寄せられた<ref name="kobe-itami-takarazuka"/>。また、当選を果たした藤原市長は、自身の当選によって、地元の[[世論]]の大阪国際空港への支持が示されたとし、本選挙結果で大阪国際空港の存廃議論に決着がついた、との見方を示した<ref>{{Cite web|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130415/elc13041507150001-n1.htm|title=「橋下市長と戦っている気がした」3選を決めた伊丹市長が勝利宣言|publisher=[[産経新聞社]]|accessdate=2013-10-01}}</ref>。なお、橋下率いる日本維新の会は、後の[[2013年兵庫県知事選挙]]において、井戸への対立候補擁立を、党勢の低迷などを理由に断念することになった<ref group="注">ちなみに、2013年7月の兵庫県知事選で井戸は4選をはたしている</ref>。
 
{{seealso|2013年伊丹・宝塚市長選挙}}
 
 
 
=== 関西国際空港との経営統合後〜現在 ===
 
これまで大阪国際空港の運営は国(国土交通省)が行ってきたが、[[#関西国際空港開港後|前節]]で述べた議論を経て、2012年7月1日に、大阪国際空港は関西国際空港と経営が統合され、新体制がスタートした。経営統合にともない、大阪国際空港の運営は、大阪航空局大阪空港事務所から'''新関西国際空港株式会社'''へ引継がれ、大阪国際空港は'''会社管理空港'''となった<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120702-OYT8T00054.htm 関空・伊丹統合にエール 記念式典や引き継ぎ式] 読売新聞 2012年7月2日{{リンク切れ|date=2012年10月}}</ref>。これを機に、大阪国際空港・関西国際空港の正式な協力態勢が打ち出されることとなった。従来の両空港同士の足を引っ張り合うような政策は見直され、両空港の協力による航空需要の拡大が進められることになった。例えば、上述のとおり、これまで関西国際空港に配慮して大阪国際空港の空港機能を規制してきたが<ref name="asahi-kanku"/><ref name="uchida-kicho2"/><ref name="kato-kanku"/><ref name="abc-kanku"/>、経営統合をうけて大阪国際空港の規制を緩和し、'''利便性の高い都市型空港'''として<ref>「関西国際空港及び大阪国際空港の一体的かつ効率的な設置及び管理に関する基本方針」, [[国土交通省]], [[2012年]]制定</ref>活性化を行う方針が打ち出された。また、大阪国際空港の利益をもって、関西国際空港の財政の健全化も進められた<ref name="wbs-togo"/>。
 
 
 
大阪国際空港の規制の緩和は航空機の運用の面でまず進んだ。経営統合後の2012年12月3日に、国土交通省、新関西国際空港株式会社、地元自治体の間で協議会が開かれ、2012年当時計170枠あったプロペラ機枠を低騒音機に限ってジェット機にも順次開放することで合意した<ref name="kobe-teisouon">{{Cite web |url=http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201212/0005573849.shtml |title=大阪空港、来春からジェット増便 10市協が了承 |publisher=[[神戸新聞]] |accessdate=2013-10-08}}</ref>。この結果、2013年には低騒音機枠が設けられ、ジェット機の運用拡大が実現し、機材大型化にともなう大阪国際空港の利用者増へとつながるなどの成果を上げた<ref name="nkiac-2013-8"/>。また、関西国際空港へ移管されていた長距離路線(1,000 km超の路線)も、経営統合を機に大阪国際空港へ一部復便した。他にも混雑時間帯における単位時間あたりの発着回数制限も緩和されるなどの空港活用策が打ち出された。
 
{{seealso|#発着枠}}
 
 
 
2014年1月17日、大阪国際空港は開港から75周年を迎えた。このころには経営統合により大阪国際空港の収益強化体制がさらに推し進められ、当初の経営統合のもくろみ<ref name="wbs-togo"/>通り、大阪国際空港は巨額の負債にあえいでいた[[新関西国際空港]]の財政基盤を支える重要な存在となった<ref name="sankei-75th">{{cite news |title=伊丹開港75周年 関空との住み分けは? 求められる将来ビジョン 運営権売却先は秋にも決定 |author= |newspaper=[[産経新聞]] |date=2014-01-16 |url= |accessdate= }}</ref>。1月23日には記念の[[セレモニー]]が行われ、この席では空港の[[ゆるキャラ]]の[[マスコット]]が発表された。このキャラクターの名前は公募の結果「そらやん」と名付けられた<ref>{{Cite web |url=http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140123/wlf14012317210019-n1.htm |title=伊丹空港にゆるキャラ誕生 名前つけて! |publisher=[[産経新聞]] |accessdate=2014-01-25}}</ref>。
 
 
 
経営統合・民営化の次なるステップとして[[コンセッション方式]]による関西国際空港と合わせた空港運営権の民間への売却が行われ、[[2016年]][[4月1日]]、[[オリックス (企業)|オリックス]]と[[ヴァンシ・エアポート]]並びに[[パナソニック]]・[[阪急阪神ホールディングス]]・[[りそな銀行]]等が出資する空港運営会社「'''[[関西エアポート|関西エアポート株式会社]]'''」による運営が始まった<ref>{{Cite web|url=http://www.sankei.com/west/news/151208/wst1512080057-n1.html |title=関西エアポート初代社長に山谷オリックス副社長 オリックス連合の関空運営新会社 |publisher=[[産経新聞]] |accessdate=2015-12-10}}</ref><ref>[http://新設法人.com/Corp/Detail?cnum=2848f75f20220025f222fdd9e62b2398f1ae67596e28c2f63593776bf91b4810 | 関西エアポート株式会社(大阪府大阪市西区)](2015年12月10日閲覧)</ref>。
 
空港の新経営体制開始にあたり運用時間の延長などの規制緩和を求める意見があがっていたが<ref>{{Cite web |url=http://www.sankei.com/west/news/160330/wst1603300087-n1.html |title=伊丹の時間延長 議論を 関西エアポートに運営権移管 |publisher=[[産経新聞]] |accessdate=2016-05-07}}</ref><ref>[[#概要]]も参照のこと</ref>、関西エアポート社長は大阪国際空港の現状の制約とこれからについて述べたうえで「伊丹の新たな歴史をつくる」と制約の見直しを含めた空港活性化への姿勢をみせた<ref>{{Cite web |url=http://www.nikkei.com/article/DGXLASHD07H36_X00C16A3LDA000/ |title=関空 回遊性向上に意欲 関西エアポート社長「商業施設に客誘導」 |publisher=[[日本経済新聞]] |accessdate=2016-05-07}}</ref>。また、運営開始時の記念式典でも「(まずは関西国際空港に注力したが)大阪国際空港も関空と同様に強化を図る」と述べ、関西国際空港とあわせた2つの空港を1つのシステムとして経営する考えを明らかにした<ref>{{Cite web |url=http://travel.watch.impress.co.jp/docs/news/20160423_754817.html |title=関空・伊丹両空港の運営を4月1日から行なう関西エアポートが運営開始記念式典開催 |publisher=[[Impress Watch]] |accessdate=2016-05-07}}</ref>。
 
 
 
''' 再国際化に向けた動き '''<br/>
 
一部の[[日本の国会議員|国会議員]]<ref name="Takemoto">{{Cite web |url=http://ameblo.jp/takemoto-naokazu/entry-11557577502.html |title=大阪経済活性化政策の死角〜伊丹空港の有効活用を〜 |publisher=[[竹本直一]] |accessdate=2013-08-21}}</ref>や[[地方自治体]]の[[首長]]<ref group="注">[[兵庫県知事]][[井戸敏三]]は大阪国際空港から国際線のチャーター便を運行させるなど、同空港の活用に積極的である([[#関西国際空港開港後の国際線]]を参照)。また、[[伊丹市]]長の[[藤原保幸]]も国際線復活を主張している([[藤原保幸#大阪国際空港に対する姿勢]]を参照)。</ref>、[[知識人|有識者]]<ref>{{Cite web |url=http://web.pref.hyogo.lg.jp/ks06/documents/seminar1.pdf |format=PDF |title=第1回 関西全体の航空需要拡大に向けたセミナー |publisher=[[関西学院大学]]経済学部 教授 野村宗訓 |accessdate=2013-08-21}}</ref>などには再度の国際化を求める声があるほか、地元[[商工会議所]]などの連合からなる団体も将来の国際線就航に向けた規制緩和を要望している<ref>{{Cite web |url=http://www.kksk.jp/release/detail.html?id=46|title=「大阪国際空港と周辺地域の活性化について(要望)」提出 石井国交大臣宛 |publisher=大阪国際空港及びその周辺地域活性化促進協議会 |date=2016-09-01 |accessdate=2017-5-8}}</ref>。[[首都圏 (日本)|首都圏]]では、大阪国際空港と同じく定期国際線がなかった<ref group="注">ただし、2002年より「チャーター便」扱いで近距離国際線が事実上定期運航していた。</ref>ものの「国際」の文字を冠していた[[東京国際空港]]が、成田空港の容量不足を補う形で[[2010年]]に再度の本格的な国際化を遂げた。この動きを見て、これらの大阪国際空港の活用推進派は、関西国際空港との経営統合による規制緩和で「大阪国際空港にも再国際化のチャンスがある」と期待を膨らませている<ref name="nikkei-kansai-nazo">{{Cite book|和書|editor=日本経済新聞 |title=関西のナゾ 鉄道・道路・空港編 新大阪・新神戸駅なぜできた? |year=2013 |publisher=[[日本経済新聞]] |series=日経e新書 |isbn=}}</ref>。[[産経新聞]]は論説記事で「大阪国際空港と関西国際空港のそれぞれのポテンシャルを活かすのが肝要であり、都市部に近い大阪国際空港ではビジネス客をターゲットとして国際線を再導入するべきである」と、学識者の見解を引用して発表している<ref>{{Cite news |title=西論 関空20周年 |newspaper=[[産経新聞]] |date=2014-08-26}}</ref>。
 
 
 
''' ターミナルビル改修 '''
 
 
 
[[2014年]][[9月2日]]には、50年来使用してきた大阪国際空港ターミナルビルの改修の実施が発表された。これは、[[2015年]]から[[2021年]]にかけて窓口や搭乗口などの動線を見直すなどの大規模改修となることとなった<ref>[http://www.traicy.com/archives/8514047.html 伊丹空港、50年ぶり大規模リニューアルの詳細発表! 手荷物のセルフ預け入れやMRJに対応へ]</ref><ref>[http://flyteam.jp/news/article/39988 伊丹空港、2015年春からターミナル改修 2020年春にグランドオープンへ]</ref><ref>[http://www.ytv.co.jp/press/kansai/D7524.html 伊丹空港ターミナルビル大規模改修へ]</ref><ref>[http://www.excite.co.jp/News/column_g/20140903/Cobs_035572.html 東京五輪に向け伊丹空港が過去最大の改修へ - MRJ対応や関西グルメゲートも]</ref>。下記の点について増改築を行うことが発表されている。
 
 
 
*出発動線関連
 
** [[大阪空港駅]]とターミナルビルをシームレスにつなぐペデストリアンデッキを新設し、2階保安検査場まで階層移動が不要に
 
** バス降車場の出発ターミナルビルの前への再配置(チェックインカウンターや保安検査場までの移動はよりスピーディーに)
 
** 駐車場とターミナルビルの間の横断歩道部分にルーフを設置し、雨の日もぬれずに移動可能に
 
** セキュリティーチェックや出発手続きに、インラインスクリーニングシステムを導入
 
** セルフバゲージドロップの導入等も検討
 
** 保安検査場を拡張し、待ち時間を短縮
 
** 搭乗口までのムービングサイドウォークの設置
 
** 小型機対応フィンガーの新設([[MRJ]]等の小型機の利用時にも搭乗橋でスムーズに乗降可能に)
 
 
 
*到着動線関連
 
** 到着口を中央2階に集約し、新設ペデストリアンデッキにより各交通機関にダイレクトに接続(次の目的地に向けてスピーディーな出発が可能に)
 
** 到着ロビーおける[[情報技術|IT]]・デジタルサイネージによりる交通情報提供システムの設置(利用者の各交通機関の選択を的確にサポート)
 
 
 
*その他利用環境の整備
 
** 到着口の集約に合わせ、新しく3階まで吹き抜けの到着ロビーを開設(中央2階)
 
** 到着口を見下ろせるロビースペース、カードラウンジ、ビジネスサポートセンターも備えた空間を新設(中央3階)
 
** ゲートラウンジの全面リニューアル、段差の解消や点字・多言語の案内標識の整備を実施(ユニバーサルデザイン対応)
 
** 全館[[Wi-Fi]]の導入
 
なお、2018年4月18日に中央ブロックの一部が開業し、到着口が1ヶ所に集約される。
 
 
 
== 施設 ==
 
=== ターミナルビル ===
 
[[File:JAL aircrafts.JPG|thumb|250px|北ターミナルを利用する日本航空のエプロン。]]
 
[[File:130421 Osaka International Airport Japan01s3.jpg|thumb|250px|[[利き酒]]もできる[[日本酒]]専門店(北ターミナル2階出発ロビー)]]
 
[[File:ANAFleet ItamiAirport.jpg|thumb|250px|南ターミナルを利用する[[全日本空輸]]の[[エプロン (飛行場)|エプロン]]付近。]]
 
[[File:110922 Osaka International Airport Japan03s3.jpg|thumb|250px|[[スターバックス]]の大阪空港店(南ターミナル2階出発ロビー)]]
 
[[File:Osaka International Airport6.jpg|thumb|250px|展望デッキ「ラ・ソーラ」。奥は旧管制塔(塔の部分は、現存しない)]]
 
 
 
建物は、鉄骨造・鉄骨鉄筋コンクリート造・鉄筋コンクリート造の地上8階(一部4階)・地下2階建<ref name="terminal_renewal">{{Cite web |url=https://web.pref.hyogo.lg.jp/ks06/documents/oat-seminar1003.pdf |format=PDF |title=大阪国際空港ターミナルビル改修計画について |publisher=大阪国際空港ターミナルビル |accessdate=2017-06-16}}</ref>。大阪で開催された[[日本万国博覧会]]前に建設され、設計は[[安井建築設計事務所]]、施工は[[清水建設]]、[[大林組]]などが担当。1969年1月に竣工し、同年2月1日に供用を開始した。
 
 
 
南ターミナルが国際線、北ターミナルが国内線に利用され、中央ブロックには管制塔や大阪エアポートホテルが設けられた。4階と[[フィンガー]]上に送迎デッキが設けられたが、後に保安上の理由からフィンガー上の使用は中止された。国際線の撤退後、1999年から2001年にかけて、南北ターミナルの改修や管制塔の移転・撤去、展望デッキ「ラ・ソーラ」を設置するなどの改装が行われた。2010年3月25日には、2006年に閉館した大阪エアポートホテルに代わって[[大阪空港ホテル]]が開業した。2016年から、2020年開催の東京オリンピックに向けた改修が進められており<ref name="terminal_renewal" />、2018年4月18日に中央ブロックが先行オープンした<ref>{{Cite web |url=http://www.kansai-airports.co.jp/news/2017/2552/J_180130Release_ITAMICentralArea.pdf |format=PDF |title=改修中の大阪国際空港中央エリアが4月18日に先行オープン! |publisher=関西エアポート |accessdate=2018-04-18}}</ref>。
 
 
 
現在は、北ターミナルを[[日本航空]]グループと[[天草エアライン]]、南ターミナルを[[全日本空輸]]グループと[[アイベックスエアラインズ]]が使用している。
 
 
 
当初、建物の建設と運営は[[大阪国際空港ターミナル|関西国際空港ビルディング株式会社]](後の大阪国際空港ターミナル株式会社)が行ったが、関西国際空港と一体での空港運営権の売却に伴い、2016年4月1日から[[関西エアポート]]株式会社が管理・運営している。
 
 
 
豊中市、池田市、伊丹市の境界と飛地の入り組む複雑な場所に位置するが、登記上の住所は大阪府豊中市蛍池西町三丁目555番地で、これは大阪国際空港ターミナル株式会社の空港事務所があった位置に基づいている。ターミナルビルには[[豊中警察署|大阪府豊中警察署]]と[[伊丹警察署|兵庫県伊丹警察署]]の[[派出所]]があり、他の旧第一種空港のような[[空港警察署]]は設置されていない。[[郵便]]業務は[[豊中郵便局]]大阪国際空港内分室が担当する。
 
 
 
建物は、1970年に第11回[[BCS賞]]を、2000年12月11日に第20回大阪都市景観建築賞の奨励賞を受賞した。
 
 
 
* 建築面積:54,751m<sup>2</sup><ref name="terminal_renewal" />
 
* 延床面積:126,113m<sup>2</sup><ref name="terminal_renewal" />
 
* 開館時間:5時30分 - 22時
 
 
 
''' フロア配置図 '''
 
 
 
:{| class="wikitable" style="text-align:left;font-size: 80%;"
 
|-
 
! colspan="2" |
 
! | 南ターミナル
 
! | 中央エリア(中央ブロック)
 
! | 北ターミナル
 
|-
 
! colspan="2"| 5-8階
 
| style="background-color:#ccc;"|
 
| style="vertical-align:top;" |
 
* 事務所など
 
| style="background-color:#ccc;vertical-align:top;"|
 
|-
 
!  rowspan="2" | 4階
 
!  rowspan="2" | 一般区域
 
| colspan="3" style="vertical-align:top;"|
 
'''展望デッキ「ラ・ソーラ」(La Sora)'''
 
* [[インテリア]]ショップ、子供用遊び場
 
* レストラン・売店
 
|-
 
| style="vertical-align:top;"|
 
| style="vertical-align:top;"|
 
| style="vertical-align:top;"|
 
* 会議室
 
|-
 
! rowspan="2"| 3階
 
! | 一般区域
 
| style="vertical-align:top;" |
 
| rowspan="2" style="vertical-align:top;" |
 
* レストラン・カフェ
 
* ラウンジオーサカ
 
* [[大阪空港ホテル]]
 
| style="vertical-align:top;" |
 
|-
 
! | 制限区域
 
| style="background-color:#fdd;vertical-align:top;"|
 
* ANAラウンジ
 
| style="background-color:#fdd;vertical-align:top;"|
 
* ダイヤモンド・プレミアラウンジ
 
|-
 
! rowspan="3" | 2階
 
! | 制限区域
 
| style="background-color:#fdd;vertical-align:top;" |
 
* 搭乗口(4 - 12番)
 
* 搭乗バスゲート(9A, 9B, 9C)
 
* 保安検査場
 
* 売店・軽食店
 
* ANAスイートラウンジ
 
|style="background-color:#fdd;vertical-align:top;" |
 
* 搭乗口(13 - 14番)
 
* 手荷物受取場
 
|style="background-color:#fdd;vertical-align:top;" |
 
* 搭乗口(15 - 25番)
 
* 搭乗バスゲート(23A, 23B, 23C)
 
* 保安検査場
 
* 売店
 
* サクララウンジ
 
|-
 
! rowspan="2"| 一般区域
 
|  rowspan="2" style="vertical-align:top;" |
 
'''出発ロビー'''
 
* 出発口
 
* カフェ・レストラン
 
* 売店・土産物店
 
| style="vertical-align:top;" |
 
'''到着ロビー'''
 
* 到着口
 
* カフェ・レストラン
 
* 売店・土産物店
 
| rowspan="2" style="vertical-align:top;" |
 
'''出発ロビー'''
 
* 出発口
 
* カフェ・レストラン
 
* 売店・土産物店
 
|-
 
|style="background-color:#fff;vertical-align:top;" |
 
* モノレール大阪空港駅連絡口
 
|-
 
! |1階
 
! | 一般区域
 
| style="vertical-align:top;" |
 
* [[全日本空輸]]・[[アイベックスエアラインズ]]<br />[[航空券|チケット]]カウンター
 
* 団体カウンター
 
* 喫茶・売店
 
| style="vertical-align:top;" |
 
* [[豊中郵便局]]大阪国際空港内分室<br />(郵便のみ取り扱い)
 
* 豊中警察署空港警備[[派出所]]
 
* 伊丹警察署空港警備[[派出所]]
 
* 診療所・歯科
 
* コンビニエンスストア
 
* レストラン、カフェテリア<ref group="注">空港職員向け。一般利用も可</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.aas.co.jp/service/osaka-restaurant/ |title=大阪国際空港 カフェ・ショップ |work=営業案内 |publisher=朝日エアポートサービス |accessdate=2013-10-09}}</ref>
 
| style="vertical-align:top;" |
 
* [[日本航空]]・[[天草エアライン]]<br />チェックインカウンター
 
* 団体カウンター
 
|-
 
! colspan="2"|
 
| style="background-color:#fff;vertical-align:top;"|
 
* リムジンバスおりば
 
* タクシーおりば
 
| style="background-color:#fff;vertical-align:top;"|
 
* リムジンバスのりば
 
* タクシーのりば
 
| style="background-color:#fff;vertical-align:top;"|
 
* リムジンバスおりば
 
* タクシーおりば
 
|}
 
 
 
==== ラウンジ ====
 
;航空会社が運営するラウンジ
 
*[[日本航空|JAL]]
 
**[[ダイヤモンド・プレミアラウンジ]] - 北ターミナル3階・112席。
 
**[[サクララウンジ]] - 北ターミナル2階・175席。
 
 
 
*[[全日本空輸|ANA]]
 
**[[ANAスイートラウンジ]] - 南ターミナル2階・106席。
 
**[[ANAラウンジ]] - 南ターミナル3階・304席。
 
 
 
;カード会社が共同運営するラウンジ
 
*ラウンジオーサカ - 中央ブロック3階・121席(禁煙104席/喫煙17席)。
 
<gallery widths="150px" heights="100px">
 
ファイル:120714 SAKURA Lounge of Osaka International Airport01s5.jpg|[[サクララウンジ]]
 
ファイル:170312 ANA Suite Lounge of Osaka International Airport06s3.jpg|thumb|[[ANAスイートラウンジ]]
 
ファイル:130630 ANA Lounge of Osaka International Airport02s3.jpg|[[ANAラウンジ]]
 
</gallery>
 
 
 
=== 滑走路・誘導路 ===
 
[[File:大阪国際空港RYW32Lファイナルアプローチ.JPG|thumb|250px|滑走路32Lファイナルアプローチより撮影]]
 
[[滑走路#クロースパラレル|クロース・パラレル]]の長短2本の滑走路と、誘導路(A誘導路、B誘導路など)を有する。
 
* A滑走路(14L/32R):1,828 m×45 m
 
* B滑走路(14R/32L):3,000 m×60 m (南東側32Lに[[計器着陸装置|ILS]]設置)
 
2本の滑走路は、航空機の性能によって使い分けている。[[ボーイング777]]や[[ボーイング767]]、[[ボーイング787]]など中・大型機は、長いB滑走路(14R/32L)で離着陸する。A滑走路は[[ボーイング737]]や[[エアバスA320]]、[[ボンバルディア CRJ]]、[[デ・ハビランド・カナダ DHC-8|DHC-8]]、[[サーブ 340]]など小型機の離着陸に使われる。気象条件や混雑状況によっては、小型機でもB滑走路を使うこともある。
 
 
 
運用時間は7時から21時([[日本標準時]])で、遅延した到着便は関西国際空港に変更([[ダイバート]])されたり、欠航となることがある<ref name="kksk">{{Cite web |url=http://www.kksk.jp/release/detail.html?id=40 |title=「大阪国際空港と周辺地域の活性化について(要望)」提出 太田国交大臣宛 |publisher=大阪国際空港及びその周辺地域活性化促進協議会 |date=2013-09-06 |accessdate=2014-01-14}}</ref>が、緊急時には他の空港と同様に臨時延長が認められている<ref>{{Cite web |url=http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha04/12/121210_3_.html |title=大阪国際空港の今後のあり方(11市協への回答) |publisher=国土交通省 |accessdate=2013-10-22}}</ref>。管制から離着陸の許可が出たあと、航空機の混雑などで、結果的に21時から数分程度遅れて離着陸することがある。また、21時間際に離陸する場合、通常離陸する32L/Rは離陸まで時間がかかるため、風などの影響が無くても14L/Rから離陸する場合がある{{要出典|title= イレギュラー運用や21時直前直後の実情についての記述部分。(現状は執筆者による観察記録の体。)|date= 2016年7月}}。「大阪国際空港及びその周辺地域活性化促進協議会」は、遅延によるダイバートは利用客の帰宅が深夜に及ぶなどの損害が発生するとして、運用時間の弾力的な取り扱いを求めている<ref name="kksk" />。
 
 
 
ILSは、空港の北西側に山があるため、滑走路32Lのみ設置されている。滑走路32Rと32Lの間隔は狭く、滑走路32RにILSは設置されていない。原則として航空機の離着陸は、ILS誘導が使用可能で手順が少なくスムーズに運用できる南東側からの着陸と、北西側への離陸で行われる(優先使用滑走路は滑走路32R・32L)<ref name="ikarosu-itami-kobe" />。航空機は向かい風を受ける状態で離着陸しやすく、逆に極度の横風・追い風では離着陸が禁止されるが、空港周辺は年間を通して風が弱く、風向きによって滑走路の使用が制限されることは少ない。空港北側に山地があるという地形上の制約のため<ref name="ikarosu-kansai3"/>、夏季を中心に東〜南東の風が強くなる場合を除き、北西側からの離着陸(滑走路14R・14Lの使用)が行われることは少ない。例えば、2011年における滑走路14R・14Lの使用率は年間平均で1.4%([[宝塚市]]の2011年の統計<ref name="takarazuka-noise"/>による値)であった。滑走路14L・14Rの使用時は、後述の[[サークリングアプローチ]]が行われ、着陸機と離陸機のコースが錯綜して管制処理が難しくなることなどから、多少の追い風(南東の風)であっても可能な限り、通常は32R・32Lを使用する。空港への着陸進入では、主に滑走路32LへのILSアプローチが行われる。{{いつ範囲|date=2014年2月|かつては}}民間空港としては珍しく滑走路32Rへの[[着陸誘導管制|PARアプローチ]](GCA)も実施されていたが<ref group="注">PARアプローチは、[[自衛隊]]などとの共用空港での実施が多い。</ref><ref>{{Cite book|和書|author=中野秀夫 |title=航空管制のはなし |year=2009 |publisher=交通研究協会 |series=交通ブックス |isbn=978-4425777266 |page=75}}</ref>、現在は行われていない。現在の滑走路32Rへのアプローチは、滑走路32LへのILSアプローチからの周回進入のほか、[[広域航法|RNAV]]アプローチやVORアプローチが設定されている<ref name="AIP" />。
 
 
 
なお、空港北側が悪天候で極度に視界が悪い場合は、山がある北側を航行出来ないため、着陸は32R・32L、離陸は14L・14Rという運用になる場合がある。
 
{{Double image stack|right|JAL 14LR2.jpg|JAL 14LR.jpg|250|大阪国際空港14R滑走路に着陸前、14Lコースに進入し、修正を試みるJALのボーイング777-200型機}}
 
 
 
;滑走路32L・32R使用時
 
:南側からの着陸の場合、ほとんどの航空機は関西ターミナルレーダー管制所のレーダー誘導によって、[[信貴山]]付近でILSの経路に乗り、空港まで直線的に接近する<ref>{{Cite book|和書|editor=エアライン編集部 |title=出発進入経路マップ |edition=6 |year=2009 |publisher=イカロス出版 |isbn=978-4863201637 |page= }}</ref>。滑走路32Lに着陸する場合は、ILS32Lコースでそのまま進入し、5マイル手前(およそ[[淀川]]上空)で通常着陸許可を得て着陸する。滑走路32Rに着陸する場合は、空港を目視確認した後にILS32Lコースから右側にそれて(ライトブレイクという)、ライトブレイクの前後で着陸許可を得て滑走路32Rに着陸する。着陸後は誘導路から脱出してターミナルに向かうが、このとき安全性が確保されるなら、各航空会社の使用ターミナルに近い誘導路へと誘導される。
 
:出発機はターミナルビルから[[プッシュバック]]の後、南東の滑走路端へ向かう。滑走路32Lを使う場合は、滑走路32Rの南端付近を横断しなくてはならない(このとき横断には飛行場管制の許可が必要である)。滑走路32Lでは空港南東側の騒音回避のため<ref name="aerc">{{Cite web |author= |date=2007-02-05 |url=http://www.aerc.jp/index.php?ID=3 |title=大阪国際空港 |work=空港環境情報 |publisher=航空環境研究センター |page= |accessdate=2013-09-16}}</ref>原則として[[インターセクションテイクオフ]]が実施されており<ref name="AIP" />、大抵の航空機は滑走路32Lの南東端のW1誘導路までは行かず、手前のW2誘導路<ref group="注">W2誘導路は、滑走路32Lの南東端の端から2番目の手前にある誘導路である。</ref>から滑走路に入り、離陸する(大型機はB誘導路からW2誘導路を経て、滑走路に入る。さらに軽量のMD-80やMD-90クラス以下の航空機は、時間と燃料の節約のため、飛行場管制の許可を得て、さらに手前のW3誘導路から滑走路に入ることもある)。離陸後は、旧伊丹NDB付近までまっすぐ飛んだ後に、左上昇旋回して、目的地へ向かう。騒音対策のため、左旋回は[[中国自動車道]]以南・[[武庫川]]以東の領域で行う優先飛行経路が定められており<ref name="AIP" />、さらに、速やかに高高度に上昇することが求められている<ref name="aerc"/>。
 
 
 
;滑走路14L・14R使用時
 
:南東の風の卓越時に滑走路14R・14Lを使用する運航は、航空関係者・ファンらによって俗に「14(ワンフォー)」「逆ラン」「逆着陸飛行」などと呼ばれている<ref name="takarazuka-noise">{{Cite web |url=https://www.city.takarazuka.hyogo.jp/sub_file/01040101000000-h23houkoku08.pdf |title=航空機騒音 |publisher=宝塚市 |accessdate=2013-09-29}}</ref>。また14Rへの着陸は、航空機が着陸の際に描く航跡が[[啓徳空港]](1998年閉港)名物の「香港カーブ」に似ていることから、「'''伊丹カーブ'''」とも言われている<ref name="hikoki-shasin">{{Cite book|和書 |author= |title=ヒコーキ写真テクニック |year=2014 |publisher=イカロス出版 |isbn=978-4863208063 |series=イカロス・ムック}}</ref>。
 
:着陸機は、一旦滑走路32L・32R側から空港に接近した後に、空港の北西側へ周回して、滑走路14L・14Rに着陸する方式(サークリングアプローチ)が行われる。滑走路32L・32Rの場合と同じく、ILSに従って空港の南東側から進入するが、そこから滑走路を目視しながら14L・14Rの側へ回り込むため、飛行場管制のタイミングの指示に従って、大阪市付近でILSのコースから外れて[[トラフィックパターン]](滑走路14L・14Rへ回り込む周回コース)を飛行する。このとき、滑走路に対して左側(空港の南西側)か右側(空港の北東側)の[[ダウンウィンド]](滑走路に並行する飛行コース)のいずれかに抜ける。滑走路14Rへ向かう場合は左側(右回りのトラフィックパターン)、14Lでは右側(左回りのトラフィックパターン)の使用が一般的である{{要出典|date= 2016年7月}}。ただし、14Lの場合でも左側へ回ることもある。また、原則としてジェット機は、空港北東側にあたる右側のダウンウィンドへ回ることはできない<ref name="AIP" />。ダウンウィンドに進入したあとは、旋回して、空港北西の[[宝塚市]]・[[川西市]]のあたりまで飛行する<ref name="course">{{Cite web |url=http://www.nkiac.co.jp/important/itm_course/index.html |title=大阪国際空港の飛行コースに関するお知らせ(気象条件によって使用滑走路が変わる場合があります) |publisher=新関西国際空港 |accessdate=2013-10-21}}</ref>。およそ[[ベース・レグ]]のあたりで着陸許可を得てから、右旋回あるいは左旋回を行い、滑走路14Rあるいは14Lに正対し、そのまま着陸する<ref>{{Cite web |url=http://www.opennav.jp/pdf/RJOO/JP-AD-2.24.20-RJOO-en-JP.pdf |format=PDF |title=計器進入方式図 - ILS or LOC RWY 32L |work=航空地図 |publisher=オペンナヴ |date=2011-02-20 |accessdate=2012-10-13}}</ref>。まれに伊丹カーブ通過後に大型機が滑走路14L(大型機が使用しない短い滑走路)の進入コースにアラインしてしまう事態が起こっている。1990年代前半では、ANAのボーイング747がコースを誤り(着陸寸前まで滑走路14Lコースを辿り、滑走路14L端付近でコース修正を図ったが間に合わず)、滑走路14L・14R上を低空で蛇行して、そのまま[[着陸復行]]することもあった。2008年には、JALのボーイング777が滑走路14Lのコースに進入し、その後コースを修正して滑走路14Rに着陸している。
 
:出発機はターミナルビルからプッシュバックの後、北西の滑走路端へ向かう。滑走路14L・14Rからの離陸機は、滑走路32Lに向けてILSによって進入してくる着陸機と正対する<ref name="course" />ため、離陸機は回避のための旋回のタイミングなどを管制から指示されることがある。騒音対策のため、離陸後[[阪神高速11号池田線]]付近まで直線飛行する優先飛行経路が定められている<ref name="AIP" />。また、離陸機には、上昇率が規定されている。
 
 
 
=== 航空管制施設など ===
 
[[File:Control tower.jpg|thumb|250px|管制塔]]
 
2001年3月1日に、[[航空局]]の庁舎とともに供用を開始した[[管制塔]]が、滑走路32Lの端を見渡せるようターミナル南側に設置されている。[[航空交通管制]]は、大阪国際空港周辺の[[飛行場管制]]業務を大阪航空局大阪空港事務所が、[[着陸]]前および[[離陸]]後の[[進入・ターミナルレーダー管制]]業務を大阪航空局関西空港事務所がそれぞれ担当している<ref name="AIP" /><ref>{{Cite journal |和書 |author= |title= |year= |publisher=イカロス出版 |journal=[[エアライン (雑誌)|エアライン]] |issue=2006年9月号 |page= }}</ref>。
 
 
 
''' 飛行場管制 '''
 
 
 
大阪国際空港の地上と'''大阪管制圏'''(大阪国際空港から半径5マイル、高度3,000フィート以下の空域)の航空機は、大阪航空局大阪空港事務所の管轄である。
 
 
 
地上における交通は原則として以下の区域に分けられているが、A滑走路 (14L/32R)とA誘導路が近距離で隣接しているため、両者は密接に連携している。
 
 
 
* [[航空交通管制#グランド(地上管制席)|地上管制(GND)]]: エプロンからA誘導路(A滑走路手前)までの交通
 
* [[航空交通管制#ローカル・コントロール|飛行場管制(TWR)]]: A滑走路より先の2本の滑走路の交通。A滑走路の進入・横断もTWRの管轄である。
 
 
 
1日370回の発着枠にせまる1日363回の離着陸を取り扱い(2005年)、[[旅客機]]以外にも[[報道]]関係や[[警察]]当局などによる[[ヘリコプター]]の利用も盛んである。2007年には、2本の滑走路を誤認するトラブルや滑走路を誤横断するトラブルなどが立て続けに起こり、航空交通管制のシステム改善が求められた。同年10月10日には、同月5日に発生した誤着陸を受けて、国土交通省からの対策のための[[タスクフォース]](専任チーム)が大阪国際空港に入った。これを受けて作成された国土交通省の報告では、上記の交通量の多さに加え、同空港の特殊な構造と[[管制官]]1人当たりの仕事量の多さが指摘された<ref>国土交通省『[http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha07/12/121019/01.pdf 大阪国際空港における管制トラブルに関する調査検討タスクフォース中間報告]』 2015年8月23日閲覧</ref>。前者は、A滑走路は短く大型機には使用しないため、2本の滑走路を「離陸専用・着陸専用」と分離して使用できないこと、また、B滑走路を使用する際は航空機は必ずA滑走路を横断しなければならないことである。後者は、東京国際空港や関西国際空港などでは複数の滑走路に対して複数の管制官が割り当てられているが、当空港では2本の滑走路を1人の管制官が担当しなければならないことである。A滑走路とB滑走路の運用は複雑で、'''両滑走路の離陸機・着陸機'''と'''A滑走路の横断機'''を1人の管制官が管理するのは負担が大きいとされた。その後、管制業務にあたる人員の増員、着陸滑走路に関する管制方式の改善、管制指示の復唱の確認の徹底、飛行場管制席と地上管制席の連携の強化などの対策が講じられた。
 
 
 
''' ターミナルレーダー管制 '''
 
 
 
[[航空交通管制#進入・ターミナルレーダー管制|ターミナルレーダー管制]]は、関西国際空港や神戸空港などに離着陸する航空機との安全間隔を設けるため、関西ターミナル管制所による広域一元管制を行なっている。
 
 
 
=== 拠点がある機関 ===
 
[[File:HyogoPrefPolice S76B JA6765 ITM 20100417-001.jpg|thumb|250px|兵庫県警察の[[シコルスキー S-76]]B]]
 
空港敷地内やその周囲には、以下の会社がある。
 
; 航空事業者
 
* J-Air
 
; 運輸業(航空会社を除く)
 
* [[日本空輸]]
 
* [[西濃航空]]
 
* [[日本通運]]大阪空港貨物センター
 
* [[阪急カーゴサービス]]
 
; 行政機関
 
* 兵庫県警察航空隊格納庫
 
; 報道機関
 
* [[毎日新聞社]]格納庫
 
* [[読売新聞社]]大阪本社大阪空港格納庫
 
* [[朝日新聞社]]航空部大阪国際空港格納庫
 
 
 
== 就航路線 ==
 
以下の項目において、航空会社名が2社以上の場合、最初の航空会社の機材・乗務員で運航する[[コードシェア便|共同運航便]]である。なお、[[日本航空]]/[[ジェイエア]]と[[全日本空輸]]/[[ANAウイングス]]、[[アイベックスエアラインズ]]は同空港をハブとしている。
 
 
 
=== 北ターミナル ===
 
{{Airport-dest-list
 
|''' [[日本航空]] (JAL) '''<ref>[[ジェイエア]]の機材・乗務員で運航する便あり</ref>| [[女満別空港|女満別]](夏期限定運航)、[[旭川空港|旭川]](繁忙期臨時増便運航)、[[新千歳空港|札幌/新千歳]]、[[函館空港|函館]]、[[青森空港|青森]]、[[三沢飛行場|三沢]]、[[秋田空港|秋田]]、[[花巻空港|花巻]]、[[仙台空港|仙台]]、[[山形空港|山形]]、[[東京国際空港|東京/羽田]]、[[成田国際空港|東京/成田]]、[[新潟空港|新潟]]、[[松本空港|松本]](夏期限定運航)、[[出雲空港|出雲]]、[[隠岐空港|隠岐]]、[[松山空港|松山]]、[[福岡空港|福岡]]、[[長崎空港|長崎]]、[[大分空港|大分]]、[[熊本空港|熊本]]、[[宮崎空港|宮崎]]、[[鹿児島空港|鹿児島]]、[[種子島空港|種子島]](季節運航)、[[奄美空港|奄美]]、[[那覇空港|沖縄/那覇]]
 
|''' [[日本エアコミューター]] (JAC) ''' | [[但馬飛行場|但馬]]、[[屋久島空港|屋久島]]
 
|{{nowrap|''' [[天草エアライン]] (AMX) '''・日本航空 (JAL) }}| 熊本
 
}}
 
 
 
=== 南ターミナル ===
 
{{Airport-dest-list
 
|''' [[全日本空輸]] (ANA) '''<ref>[[ANAウイングス]]の機材・乗務員で運航する便あり</ref> | [[釧路空港|釧路]](夏期臨時増便運航)、札幌/新千歳、函館、青森、秋田、仙台、[[福島空港|福島]]、東京/羽田、東京/成田、新潟、[[石見空港|萩・石見]](夏期運航便)、松山、[[高知空港|高知]]、福岡、長崎、大分、熊本、宮崎、鹿児島、沖縄/那覇、[[石垣空港|石垣]](夏期運航便)
 
|{{nowrap|''' [[アイベックスエアラインズ]] (IBX) '''・全日本空輸 (ANA) }}| 仙台、福島、新潟、福岡、大分
 
}}
 
 
 
=== 統計 ===
 
{| class="wikitable" style="white-space:nowrap;"
 
|+ (大阪国際空港発)就航路線別旅客数/順位<ref>{{Cite press release |title=平成29年度の航空輸送統計の概況について |publisher=国土交通省 |date=2018-06-13 |url=http://www.mlit.go.jp/k-toukei/search/pdf/11/11201700cc0000.pdf |format=PDF |accessdate=2018-06-28}}上位50位までを記載</ref>
 
! 行き先 !! 旅客数 !! 国内線順位
 
|-
 
! 東京国際空港
 
| 約545万人 || 上位{{0}}4位
 
|-
 
! 那覇空港
 
| 約115万人 || 上位20位
 
|-
 
! 新千歳空港
 
| 約111万人 || 上位24位
 
|-
 
! 仙台空港
 
| 約{{0}}88万人 || 上位34位
 
|-
 
! 鹿児島空港
 
| 約{{0}}67万人 || 上位40位
 
|-
 
! 福岡空港
 
| 約{{0}}55万人 || 上位45位
 
|-
 
! 宮崎空港
 
| 約{{0}}54万人 || 上位46位
 
|-
 
! 松山空港
 
| 約{{0}}54万人 || 上位49位
 
|}
 
 
 
=== 就航都市 ===
 
* [[北海道]] : [[新千歳空港|札幌/新千歳]]☆★、[[旭川空港|旭川]]☆(季節限定)、[[釧路空港|釧路]](季節限定)☆、[[函館空港|函館]]、[[女満別空港|女満別]]☆(季節限定<ref>[http://press.jal.co.jp/ja/release/201401/002781.html JALグループ、2014年度 路線便数計画を決定] 日本航空株式会社 2014年1月22日付</ref>)
 
* [[東北地方|東北]] : [[青森空港|青森]]、[[三沢飛行場|三沢]]、[[秋田空港|秋田]]、[[花巻空港|いわて花巻]]、[[仙台空港|仙台国際]]☆、[[山形空港|おいしい山形]]、[[福島空港|福島]]
 
* [[関東地方|関東]] : [[東京国際空港|東京/羽田]]☆★、[[成田国際空港|東京/成田]]☆
 
* [[甲信越地方|甲信越]]・[[北陸地方|北陸]] : [[新潟空港|新潟]]、[[松本空港|信州まつもと]](季節限定)
 
* [[近畿地方|近畿]] : [[但馬空港|但馬]]
 
* [[山陰地方|山陰]]・[[四国]] : [[出雲空港|出雲]]、[[隠岐空港|隠岐]]、[[石見空港|萩・石見]](季節限定)、[[松山空港|松山]]☆、[[高知空港|高知]]
 
* [[九州]]・[[沖縄県|沖縄]] : [[福岡空港|福岡]]☆、[[大分空港|大分]]、[[長崎空港|長崎]]☆★、[[熊本空港|阿蘇くまもと]]、[[宮崎空港|宮崎ブーゲンビリア]]☆、[[鹿児島空港|鹿児島]]☆★、[[屋久島空港|屋久島]]、[[種子島空港|種子島]](季節限定)、[[奄美空港|奄美]]、[[那覇空港|沖縄/那覇]]☆★、[[石垣空港|石垣]]☆(2018年7月14日 - 8月31日まで運航)
 
☆は[[関西国際空港]]便もあり
 
 
 
★は[[神戸空港]]便もあり
 
 
 
=== 休廃止路線 ===
 
{{出典の明記|date=2015年5月|section=1}}
 
(☆マークの空港は関西国際空港便あり)
 
* 北海道:[[帯広空港|帯広]]
 
* 東北:[[大館能代空港|大館能代]]、[[庄内空港|おいしい庄内]]
 
* 近畿:[[南紀白浜空港|南紀白浜]]
 
* 中国・四国:[[山口宇部空港|山口宇部]]、[[鳥取空港|鳥取]]、[[美保飛行場|米子]]、[[徳島飛行場|徳島]]、[[高松空港|高松]]、広島(旧空港)
 
* 九州・沖縄:[[北九州空港 (初代)|北九州]]、[[佐賀空港|有明佐賀]]、[[対馬空港|対馬]]、[[徳之島空港|徳之島]]
 
 
 
=== 国際線 ===
 
{{出典の明記|date=2015年5月|section=1}}
 
関西国際空港が開港するまで、多数の日本国内外の航空会社が乗り入れていた。関西国際空港開港前は、大阪国際空港は西日本の空港で唯一、[[欧米]]線や[[北アメリカ|北米]]本土線への定期路線を有していた。上述のとおり、現在の南ターミナルが、当時は国際線ターミナルとして利用されていた。空港ターミナルビル南側の現管制塔と全日空整備格納庫の間の広いエプロンには、国際線[[貨物機]]が駐機して、航空貨物の積み下ろしが行なわれていた。また、国際線旅客便の[[ボーディング・ブリッジ|搭乗橋]]は、一口により乗降処理が行なわれていた。1994年9月3日に国際線の運航は終了し、翌4日からは全ての国際線が関西国際空港に全面的に移管され、[[税関]]や[[検疫]]などの施設も移転された。
 
 
 
==== かつての就航路線 ====
 
以下は、1994年9月3日までに就航していた路線と航空会社の一覧である。
 
 
 
; [[アジア]]
 
* {{ROK}}:[[金浦国際空港|ソウル/金浦]]、[[金海国際空港|釜山]]、[[済州国際空港|済州]]
 
* {{PRC}}:[[上海虹橋国際空港|上海/虹橋]]、[[北京首都国際空港|北京/首都]]
 
* {{ROC}}:[[台湾桃園国際空港|中正]]、[[高雄国際空港|高雄]]
 
* {{HKG1959}}:[[啓徳空港|香港/啓徳]]<ref>{{Cite web |url=http://www.kksk.jp/images/saihakken.pdf |title=再発見! 大阪国際空港と周辺地域の見どころ |publisher=[[大阪国際空港周辺地域活性化連絡会]] |accessdate=2013-10-16}}</ref>
 
* {{PHL}}:[[ニノイ・アキノ国際空港|マニラ]]
 
* {{THA}}:[[ドンムアン空港|バンコク/ドンムアン]]
 
* {{SGP}}:[[シンガポール・チャンギ国際空港|シンガポール]]
 
* {{IND}}:[[インディラ・ガンディー国際空港|デリー]]、[[チャットラパティー・シヴァージー国際空港|ムンバイ]]
 
* {{IDN}}:[[ングラ・ライ国際空港|デンパサール]]
 
* {{FSM}}:[[ポンペイ国際空港|ポンペイ]]
 
 
 
; [[オセアニア]]、[[太平洋]]
 
* {{GUM}}:[[グアム国際空港|グアム]]
 
* {{MNP}}:[[サイパン国際空港|サイパン]]
 
* {{USA}}:[[ダニエル・K・イノウエ国際空港|ホノルル]]
 
 
 
; [[北アメリカ]]
 
* {{USA}}:[[サンフランシスコ国際空港|サンフランシスコ]]、[[ロサンゼルス国際空港|ロサンゼルス]]、[[デトロイト・メトロポリタン・ウェイン・カウンティ空港|デトロイト]]、[[ジェネラル・エドワード・ローレンス・ローガン国際空港|ボストン]]、[[シアトル・タコマ国際空港|シアトル]]、[[ミネアポリス・セントポール国際空港|ミネアポリス]]、[[フィラデルフィア国際空港|フィラデルフィア]]、[[テッド・スティーブンス・アンカレッジ国際空港|アンカレッジ]]
 
 
 
; [[ヨーロッパ]]
 
* {{GBR}}:[[ロンドン・ヒースロー空港|ロンドン/ヒースロー]]
 
* {{FRA}}:[[シャルル・ド・ゴール国際空港|パリ/シャルル・ド・ゴール]]
 
* {{DEU}}:[[フランクフルト空港|フランクフルト]]、[[デュッセルドルフ空港|デュッセルドルフ]]
 
* {{NLD}}:[[アムステルダム・スキポール空港|アムステルダム]]
 
* {{ITA}}:[[フィウミチーノ空港|ローマ]]
 
* {{ESP}}:[[アドルフォ・スアレス・マドリード=バラハス空港|マドリード]]
 
* {{CHE}}:[[チューリッヒ空港|チューリッヒ]]
 
* {{DNK}}:[[コペンハーゲン国際空港|コペンハーゲン]]
 
 
 
;国際線乗り継ぎ連絡便
 
* [[成田国際空港|東京/成田]]<ref group="注">日本航空が運航していた成田 - 伊丹便は国内線の1往復とは別に、国際線扱いとなる便が1往復あった。1991年の冬ダイヤで北回り欧州線が廃止されるまでは、その末端となる当該区間でも同じ扱いをしていた。</ref>
 
 
 
以下は、上記を運航していた航空会社の一覧である。
 
 
 
; 旅客便
 
* [[日本航空]]
 
* [[日本アジア航空]]
 
* [[大韓航空]]
 
* [[中国国際航空]]<ref>[[中国東方航空]]と共に[[中国民用航空局|中国民航]]から路線を引き継ぐ。</ref>
 
* [[中国東方航空]]
 
* [[キャセイパシフィック航空]]
 
* [[タイ国際航空]]
 
* [[エア・インディア]]
 
* [[シンガポール航空]]
 
* [[ノースウエスト航空]]
 
* [[ユナイテッド航空]]<ref>[[パンアメリカン航空]]から路線を引き継ぐ。</ref>
 
* [[ブリティッシュ・エアウェイズ]]
 
* [[エールフランス]]
 
* [[ルフトハンザドイツ航空]]
 
 
 
; 貨物便
 
* [[日本航空#貨物・郵便|日本航空]]
 
* [[大韓航空]]
 
* [[フェデックス|フェデラルエクスプレス]]<ref>[[フライング・タイガース#「貨物航空会社 フライング・タイガース」|フライングタイガース]]から路線を引き継ぐ。</ref>
 
 
 
==== 関西国際空港開港後 ====
 
現在も運用されている定期便について、国内線である[[成田国際空港]]・[[東京国際空港]]便では、[[コードシェア便]]として日本国外の航空会社の便名も付与されている。この便名での搭乗は、成田国際空港・東京国際空港での国際線への乗継旅客に限られており、この場合の大阪国際空港-成田国際空港・東京国際空港間の運航は実質的に国際線として扱われている。2010年7月9日には、兵庫県の関連団体がチャーターする大阪(伊丹) - 上海(浦東)間の国際便が運航された<ref>{{cite news |title=ひょうごツーリズム協会 伊丹空港から上海にチャーター便 |newspaper=産経新聞 |date=2010-05-21 |url=http://sankei.jp.msn.com/economy/business/100521/biz1005212145027-n1.htm |archiveurl=https://web.archive.org/web/20101029161848/http://sankei.jp.msn.com/economy/business/100521/biz1005212145027-n1.htm |archivedate=2010-10-29}}</ref><ref name="intcharter">{{cite news |title=大阪空港から16年ぶり国際便 兵庫PRで上海へ |author= |newspaper=神戸新聞 |date=2010-07-09 |url=http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/shakai/3kukou/0003187298.shtml |accessdate=2012-10-29}}</ref>([[#橋下大阪府知事・大阪市長に関する動き]]も参照)。
 
 
 
; 関西国際空港開港後の主な国際線運用例
 
{{Double image stack|right|VC-25airforce1 20051116 in Osaka.jpg|Bush arrives Osaka Japan.jpg|250|2機ペアで大阪国際空港に飛来した大統領搭乗機|[[エアフォースワン]]より降機する米大統領}}
 
[[File:China airline fly at osaka international airport2.jpg|thumb|250px|大阪国際空港に飛来した中国国際航空の要人輸送専用ボーイング747型機]]
 
 
 
* 2005年11月15日、[[京都]]を訪れる[[アメリカ合衆国大統領|アメリカ大統領]][[ジョージ・ウォーカー・ブッシュ|ジョージ・W・ブッシュ]]を乗せた[[VC-25]]([[エアフォースワン]])と同型の予備機が大阪国際空港に着陸。翌日、両機は[[釜山広域市|釜山]][[金海国際空港]]に向けて大阪国際空港を離陸した。また、会談関連の機材輸送の為に、[[アメリカ空軍]]の輸送機([[C-5 (航空機)|C-5 ギャラクシー]]など)も前後して多数飛来<ref name="kendo">{{cite web |title=大阪国際(伊丹)空港における国際チャーター便の運航について |date=2010-07-07 |format=PDF |publisher=兵庫県 県土整備部県土企画局 |url=http://web.pref.hyogo.jp/contents/000157612.pdf |accessdate=2011-04-11}}{{リンク切れ|date=2012年10月}}</ref>。
 
* 2007年4月13日、[[中華人民共和国]]首相の[[温家宝]]を乗せた[[中国国際航空]]の要人輸送用ボーイング747-400が大阪国際空港に着陸<ref name="kendo" />。
 
* 2008年1月21日、[[東京消防庁]]に納入する大型ヘリコプターを積んだ空輸機([[An-22 (航空機)|アントノフ22A]])が、[[フランス]]・[[マルセイユ]]から大阪国際空港に着陸<ref>{{cite news |title=巨大輸送機、伊丹空港にお目見え 国際線廃止以来初めて |date=2008-01-21 |newspaper=朝日新聞 |url=http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200801210067.html |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080122170248/http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200801210067.html |archivedate=2008-01-22}}</ref>。
 
* 2008年5月9日、中華人民共和国国家主席の[[胡錦濤]]を乗せた中国国際航空の要人輸送用ボーイング747-400が大阪国際空港に着陸<ref name="kendo" />。
 
* 2008年6月26日、同6月に京都で開催されたG8外相会議に出席するため来日した[[アメリカ合衆国国務長官|米国務長官]][[コンドリーザ・ライス]]を乗せた政府専用機 (VC-32A) が大阪国際空港に着陸<ref name="kendo" />。
 
* 2008年10月29日、[[奈良市|奈良]]訪問のため訪日中の[[皇太子#イギリスの王太子|イギリス皇太子]][[チャールズ (プリンス・オブ・ウェールズ)|チャールズ]]夫妻を乗せた英ツインジェット社のエアバスA319-115X (CJ) が大阪国際空港に着陸<ref name="kendo" />。
 
* 2009年4月3日、京都・[[神戸市|神戸]]訪問のため訪日中の[[中国共産党]]No.5・李長春常務委員を乗せた中国国際航空のB767-3Q8/ERが大阪国際空港に着陸。
 
* 2010年7月9日・7月12日、兵庫県関連団体「ひょうごツーリズム協会」のチャーターによる大阪(伊丹) - [[上海浦東国際空港|上海(浦東)]]間の国際便が運航。往路は7月9日大阪(伊丹)12:30発-上海(浦東)13:55着のMU2056便。復路は7月12日上海(浦東)12:00発-伊丹15:15着のMU2055便。いずれも中国東方航空のエアバスA320により運航。
 
 
 
1994年の関西国際空港への国際線移管後しばらくの間は、海外からの政府要人専用機はもっぱら関西国際空港を利用していた。
 
 
 
しかし、2005年のアメリカのブッシュ大統領の来訪時は同大統領が多忙のため、「例外措置」として立地条件の良い大阪国際空港が利用された([[安全]]かつ短時間で移動できるよう、大阪国際空港から目的地の京都へは[[アメリカ軍]]のヘリコプターが利用された)。[[アメリカ同時多発テロ事件]]の影響もあって、このアメリカ大統領訪問にあたっては、エアフォースワン離着陸時における他の航空機の運航規制<ref group="注">大阪国際空港離着陸機の一時運航停止措置</ref>や、空港施設内外での大規模な警戒が実施された。
 
 
 
このときの措置を皮切りに、その後、来日する外国政府要人専用機の来阪にあたって、大阪国際空港が積極的に利用されるようになった。大阪市内へは自動車で15分程度で行くことができ、分刻みのスケジュールをこなす要人にとって、大阪国際空港の立地は適しているといえる。要人利用時には、[[高速道路]]を含めて道路は通行止めなどの[[交通規制]]が実施され、渋滞などの影響がないよう対応されている。
 
 
 
== 発着枠 ==
 
本節では、大阪国際空港を発着する航空機の種別と運用方法(発着枠)について記述する。
 
 
 
[[File:J-Air, ERJ-170, JA220J (21701735106).jpg|thumb|250px|低騒音機枠の[[ボーイング737]]-700/800と[[エンブラエル 170]]]]
 
かつて、騒音公害等が周辺地域を悩ませていたが、航空機の[[イノベーション|技術革新]]や住宅等の防音対策により騒音の程度は大幅に改善され<ref name="kksk-3kuko"/>、2009年時点での航空機の騒音に関する環境基準は概ね達成されている<ref>{{Cite book|和書|author=岩見宣治 |title=空港のはなし |year=2009 |publisher=[[成山堂書店]] |series=交通ブックス |isbn=978-4425777617 |page=44}}</ref>。空港近傍の屋外での環境基準には一部に改善の余地(基準未達地点)がまだ残るものの、特に防音対策が施された屋内での騒音の改善が顕著である<ref>{{Cite web |url= http://www.mlit.go.jp/singikai/koutusin/koku/seibi/5/images/shiryou3.pdf |format=PDF |title=空港環境対策について |publisher=国土交通省 |accessdate=2013-09-28}}</ref>。空港周辺の騒音調査は毎年行われており、2015年に行なった騒音調査では、17地点のうち9地点で環境基準を達成した。騒音は長期的には減少傾向にあったが、2007年以降はほぼ横ばいとなっている<ref>{{Cite press release |title=平成27年度大阪国際空港周辺における航空機騒音の調査結果について |publisher=大阪府 |date= |url=http://www.pref.osaka.lg.jp/hodo/attach/hodo-24444_4.pdf |format=PDF |accessdate=2017-5-7 }}</ref>。
 
 
 
歴史的経緯や上記の事情などをふまえて、大阪国際空港の定期便の航空機の離着陸回数(発着枠)は'''1日370回まで'''に設定されており、内訳は'''ジェット枠'''が'''200回'''、'''低騒音機枠'''が'''170回'''である(2015年夏ダイヤ以降)。また、[[夏|夏期]]や[[年末年始]]などの繁忙期には別枠が設定されており、臨時に増便される<ref group="注">航空会社時刻表においては、対象便には「夏期臨時増便」「年末年始臨時増便」と記述</ref>。[[新千歳空港]]便、[[那覇空港]]便などを中心に増便される他、[[旭川空港]]便と[[釧路空港]]便が臨時増便のみで乗り入れている。
 
 
 
以下に各枠の概要と、2016年現在定期便で乗り入れている航空機の一覧を各枠ごとに示す<ref name="ikarosu-kansai3"/><ref group="注">一覧は、左記出典をベースに、以下の本文中で明記した出典を参考に作成した。</ref>。各枠の現状を示すため、機材名の後ろに、運航する航空会社とおおよその[[座席]]数を併せて示した。また、長い離着陸滑走距離が必要で、離着陸にB滑走路(14R/32L)を使用する航空機は'''太字'''で示した。航空機毎の使用滑走路は航空路誌(AIP)で公示されており、騒音の影響を受ける地域が一部に偏らないよう、後述の低騒音機枠導入後に見直しが行われた<ref>{{Cite web |title=大阪国際空港におけるとりくみ |publisher=豊中市 都市活力部 空港課 |date=2016-6 |url=https://www.city.toyonaka.osaka.jp/machi/kukou/kankyotaisaku/gaiyou.files/2016all.pdf |format=PDF |accessdate=2017-5-7 }}P29</ref>。
 
 
 
=== ジェット機枠 ===
 
[[File:ANA B777-300(JA756A) (3653763593).jpg|thumb|250px|大阪国際空港を発着する航空機では最大級の[[ボーイング777]]-300]]
 
[[File:B787 1st landing at Itami .jpg|thumb|250px|低騒音機枠への移行も検討されている[[ボーイング787]]]]
 
全ての飛行機が対象の枠で、'''1日200枠'''である。後述の低騒音機枠に入らない機材として以下がある。中~大型機が多い。
 
 
 
* '''ボーイング777-300''' - 日本航空 (JAL)・全日本空輸 (ANA) - 500 - 514席 - かつてはボーイング747-400(546 - 565席)が最大席数の機材であったが、上述の乗り入れ規制のため、現在はB777-300が、大阪国際空港における最大の機材となっている。
 
* '''ボーイング777-200''' - JAL・ANA - 375 - 405席
 
* '''[[ボーイング787]]-9''' - ANA - 395席
 
* '''ボーイング787-8''' - ANA - 335席 - ジェット機枠に分類されているが、今後の騒音の程度を調査した上で、低騒音機枠とすることも検討されている<ref name="nikkei-teisouon">{{Cite web |url=http://www.nikkei.com/article/DGXNASJB0303R_T01C12A2LDA000/ |title=伊丹空港、低騒音ジェット25便導入 プロペラ機から来春転換 |publisher=日本経済新聞 |accessdate=2013-10-08}}</ref>。2013年時点までの調査では、下記の低騒音機枠の機材と同等の騒音であることが分かっており、既に着陸料に関する取り扱いにおいて、ジェット機枠と低騒音機枠の中間の扱いを受けている<ref>{{Cite web |url= http://www.nkiac.co.jp/news/2012/1699/ryoukinsenryaku.pdf |format=PDF |title=2013年度からの料金戦略について |publisher=[[新関西国際空港]] |accessdate=2013-10-08}}</ref>。
 
* '''ボーイング767-300''' - JAL・ANA - 261 - 270席
 
* ボーイング737-500 - ANA・[[ANAウイングス]] (AKX) - 126 - 133席 - 下記の新世代のB737とは異なり、旧世代のB737は通常のジェット機枠扱いである。着陸のみB滑走路を使用する。
 
 
 
=== 低騒音機枠 ===
 
[[File:IBEX Airlines CRJ CRJ700.JPG|thumb|250px|ジェット機でありながら低騒音飛行を実現した[[ボンバルディア CRJ]]700]]
 
低騒音ジェット機及び、プロペラ機の運航が可能な枠で、'''1日170枠'''である。航空機が低騒音ジェット機に該当するかどうかについての判断は、空港運営事業者である関西エアポートが行う。2013年夏ダイヤから設定された。後述のプロペラ機枠を段階的に転換する事で設定されたため、大阪国際空港での代表的なプロペラ機であるDHC-8と騒音が同程度以下の、比較的小型で新型のジェット機が低騒音ジェット機とされており、以下の一覧の機材が該当する<ref name="nikkei-teisouon" /><ref name="nkiac-2013-itami-kongo">{{Cite web |url= http://web.pref.hyogo.lg.jp/ks06/documents/250716seminargamou.pdf |title=今後の大阪国際空港のあり方 |publisher=新関西国際空港 |accessdate=2013-10-08}}</ref>。プロペラ機枠の低騒音機枠への転換によって、ジェット機の運用拡大が実現し、機材の大型化にともなう大阪国際空港の利用者増へとつながるなどの成果を上げている<ref name="nkiac-2013-8" />。
 
 
 
* [[エアバスA320]] - ANA - 166席 - 離陸のみB滑走路を使用する。
 
* '''[[ボーイング737]]-800''' - JAL・ANA・AKX - 165 - 167席 - B737シリーズは、第3世代(-800と下記-700など)以降の機材が低騒音ジェット機に指定されている。
 
* '''ボーイング737-700''' - ANA・AKX - 120席
 
* [[エンブラエル 170]] - [[ジェイエア]] (JAR) - 76席 - E170は下記[[ボンバルディア CRJ|CRJ]]機とともに[[リージョナルジェット]]に分類される騒音の小さい機材であったが、下記のCRJ枠には指定されていなかった<ref>{{Cite web |url = https://web.pref.hyogo.lg.jp/wd06/documents/000185282_1.pdf |title = リージョナルジェット活用による 航空ネットワークの形成 |publisher = [[日本航空]] |accessdate = 2013-10-08 }}</ref>。低騒音機枠の新設時に、低騒音機と認められた。
 
* [[ボンバルディア CRJ]]700 - [[アイベックスエアラインズ]] (IBX) - 70席 - CRJシリーズはその低騒音性のため、下記のプロペラ機枠においても、例外措置のCRJ枠に設定されていた。離陸のみB滑走路を使用する。
 
* ボンバルディア CRJ200 - JAR - 50席
 
* [[デ・ハビランド・カナダ DHC-8]]-Q400 - [[日本エアコミューター]] (JAC)・ANA・AKX - 74席 - Q400は静音性に優れるだけでなく、プロペラ機としては比較的高速飛行ができるうえに座席数も多い。騒音問題を抱え、ジェット機を飛ばしづらいプロペラ機枠の規制を有した大阪国際空港には、多く就航することになった機体である。また、[[#事件・事故・インシデント|後述の事故・インシデント]]を多く起こすことになった機体でもある。
 
* [[ATR 42]]-600 - [[天草エアライン]](AMX) - 48席
 
* [[ATR 42]]-600 - JAC - 48席
 
 
 
=== 経緯 ===
 
==== 発着枠の制限 ====
 
 
 
1971年8月の時点では、1時間枠36回、3時間枠93回という枠であった<ref>[http://www.mlit.go.jp/singikai/koutusin/koku/seibi/12/021025.html 第12回空港整備部会 大阪国際空港の在り方について(資料1)]p.23 2002年10月25日</ref>。利用時間は午前6時~午後11時。翌1972年の4月、総発着枠450(うちジェット枠260)、利用時間午前7時~午後10時という規制が行われた。その後も段階的な減枠と、定期路線の21時以前への繰り上げ(国内線は1975年12月、国際線は翌7月)があり、1977年の減枠<ref>エアバス機の乗り入れに伴う。</ref>により、現行の総枠370枠(うちジェット枠200)となった。
 
 
 
==== プロペラ機枠 ====
 
[[File:Japan Air Commuter DHC-8-400 (JA841C) (cropped).jpg|thumb|250px|ジェット機に迫る性能を有し、大阪国際空港におけるプロペラ機枠制限での運用を支えた[[デ・ハビランド・カナダ DHC-8]]-Q400]]
 
ジェット機はプロペラ機に比べて、一般に大型であるため、大量の旅客を輸送することが可能であり、また、巡航[[速度]]も速い。その反面、ジェット機は騒音が大きいという欠点を抱える。そのため、大阪国際空港では、空港周辺に与える騒音等の影響を勘案しながら、航空機の種別をジェット機枠と[[ターボプロップエンジン]]を搭載した[[プロペラ機]]枠に分け、このような発着回数制限を規定していた。
 
 
 
ジェット機枠は長年満杯であったが、プロペラ機枠にはまだ若干の余裕があったため、航空旅客からの大阪国際空港の高い支持に後押しされるように<ref name="ikarosu-kansai3" />、各社ともプロペラ機([[松山空港|松山]]・[[福岡空港|福岡]]方面などが中心)での増便に力を入れていた。
 
 
 
なお'''[[YS-11]]代替枠'''<ref group="注">YS-11[[退役]]の動きに合わせ、期間限定でYS-11の代わりに、低騒音のジェット機の[[互換性|互換]]機の運航を、プロペラ機枠扱いとして1日50~100回認めていた。{{Cite web |url = http://www.mlit.go.jp/hakusyo/transport/shouwa63/ind000601/003.html |title = 大阪国際空港におけるYS-11型機代替のためのジェット機発着回数枠の設定 |publisher = [[国土交通省]] |accessdate = 2013-10-05}}参照</ref>や'''[[ボンバルディア CRJ|CRJ]]枠'''<ref group="注">静音性に優れたジェット機のボンバルディア CRJ([[リージョナルジェット]])をプロペラ機枠で1日30回運行させた枠組み。{{Cite web |url = http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha04/12/120607_2_.html |title = 大阪国際空港周辺における騒音影響の変化について |publisher = [[国土交通省]] |accessdate = 2013-10-05}}参照</ref>など、YS-11互換機やCRJをプロペラ機枠扱いで運用させる、'''代替ジェット枠'''の暫定措置も取られていた。
 
2013年夏ダイヤより、段階的に低騒音機枠に転換された。
 
 
 
==== 長距離国内線の規制 ====
 
 
 
1994年の関西国際空港開港に伴い、[[新千歳空港|新千歳]]便、[[函館空港|函館]]便及び[[那覇空港|那覇]]便等の長距離路線(1,000 km超の路線)も展開しないとされた<ref>[http://www.mlit.go.jp/singikai/koutusin/koku/seibi/12/021025.html 第12回空港整備部会 大阪国際空港の在り方について(資料1)]p.23 2002年10月25日</ref>。その後、2000年2月に若干緩和され、ジェット機枠中4便(8回/日)は就航が認められた<ref>[http://www.mlit.go.jp/policy/shingikai/kouku01_sg_000040.html 第8回交通政策審議会航空分科会 配布資料3-1 関西国際空港・伊丹空港の経営統合について]p.6</ref>。
 
 
 
==== 経営統合と規制緩和 ====
 
 
 
2012年7月の関西国際空港との経営統合を機に、大阪国際空港の各種の規制が見直されることになった。この見直しにより、長距離国内線の規制撤廃と、プロペラ機枠の低騒音機枠への段階的な転換が行われた。
 
 
 
まず長距離国内線については、統合時から規制撤廃となった<ref>[http://www.mlit.go.jp/policy/shingikai/kouku01_sg_000040.html 第8回交通政策審議会航空分科会 配布資料3-1 関西国際空港・伊丹空港の経営統合について]p.6</ref>。
 
 
 
低騒音機枠への移行については[[2012年]][[6月22日]]に公示された「関西国際空港及び大阪国際空港の一体的かつ効率的な設置及び管理に関する基本方針」で、段階的な以降を表明し<ref>{{Cite press release |title=関西国際空港及び大阪国際空港の一体的かつ効率的な設置及び管理に関する基本方針 |publisher=国土交通省 |date=2012-06-22 |url=http://www.mlit.go.jp/report/press/kouku18_hh_000020.html |accessdate= }}</ref>国土交通省、新関西国際空港株式会社、[[大阪国際空港周辺都市対策協議会|10市協]]<ref group="注">大阪市が脱退して、11市協から10市協となっている。[[大阪国際空港#.E6.A9.8B.E4.B8.8B.E5.A4.A7.E9.98.AA.E5.BA.9C.E7.9F.A5.E4.BA.8B.E3.83.BB.E5.A4.A7.E9.98.AA.E5.B8.82.E9.95.B7.E3.81.AB.E9.96.A2.E3.81.99.E3.82.8B.E5.8B.95.E3.81.8D|#橋下大阪府知事・大阪市長に関する動き]]参照。</ref>の間で協議会が開かれた。この協議で三者は、大阪国際空港の運用について、2013年3月末にはじまる夏季ダイヤより、順次プロペラ機枠を低騒音ジェット機にも開放することで合意した<ref name="kobe-teisouon" />。ボーイング787や[[MRJ]]などの新型機材については、今後データを取った上で検討するとしている<ref name="nikkei-teisouon" />。具体的な移行期日は以下の通り<ref name="nkiac-2013-itami-kongo"/><ref>[http://www.kansai-airports.co.jp/efforts/csr/ 関西エアポートCSR報告書2015] p.70</ref><ref name="toyonakatorikumi" />。
 
 
 
* [[2013年]]3月31日 - 50枠
 
* [[2014年]]3月30日 - 50枠(計100枠)
 
* [[2015年]]3月29日- 40枠+30枠(CRJ枠)(計170枠)
 
 
 
== 交通 ==
 
[[京阪神|京阪神都市圏]]のほぼ中央にあることから、空港事業者や地元自治体および多くの論評は「大阪国際空港は利用者にとって利便性が高い空港である」と評価している<ref>{{Cite web |author= |date= |url=http://osaka-airport.co.jp/faq/index.html#004 |title=サインのデザインの由来に対する回答 |work=よくある質問 |publisher=大阪国際空港ターミナル |accessdate=2012-10-29}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=杉浦一機 |title=空港大改革 |year=2002 |publisher=中央書院 |isbn=978-4887321083 |page= |chapter=空港のネットワーク化を利用せよ}}</ref><ref name="ikarosu-itami-kobe" /><ref>{{Cite web |author= |date= |url=https://tabidachi.ana.co.jp/card/463955 |title=大阪国際空港の便利な足・大阪モノレール |work=旅達空間 |publisher=全日本空輸 |page= |accessdate=2012-10-29}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=上村敏之 |coauthors=平井白百合 |title=空港の大問題がよくわかる |year=2010 |publisher=光文社 |isbn=978-4334035549 |page= }}</ref><ref>アクセスに関する地元自治体及び関係団体の見解は以下の通り。(i)朝日新聞2010年1月12日付社説 地元自治体関係者が「大阪国際空港は利便性が高い」という旨の意見を表明しているとの記述がある。(ii)毎日新聞2008年9月25日付「伊丹空港:兵庫県知事「利便性高い」-大阪府知事の「廃止論」再度けん制」 井戸敏三兵庫県知事が2008年9月24日の9月定例県議会で「大阪国際空港は利便性が高い」という旨の発言をしている。(iii){{Cite press release |author= |date=2009-07-02 |url=http://www.kksk.jp/release/detail.html?id=11 |title=大阪国際空港及びその周辺地域の活性化について(要望)提出 |publisher=大阪国際空港及びその周辺地域活性化促進協議会 |accessdate=2012-10-29}}要望書冒頭で『大阪国際空港は近畿の広域に亘り利用客の利便性が高く』と記述している。</ref>。なお、[[近畿]]2府4県の人口約2,100万人のうち約1,500万人が、大阪国際空港へ1時間以内に到達することができるとされる<ref>{{Cite journal |和書 |author= |title= |date=2003-5 |publisher=関西空港調査会 |journal=新空港レビュー |issue= |number= |page= }}</ref>。
 
 
 
; ※ 各交通機関の利用の詳細は、下記の各該当項目や公式サイトなどを参照。
 
 
 
=== 鉄道 ===
 
[[File:Osaka Airport Station.jpg|thumb|280px|ターミナルビルから望む[[大阪高速鉄道|大阪モノレール]]の[[大阪空港駅]]]]
 
[[File:OsakaMonorail2612.jpg|thumb|280px|大阪空港駅行の大阪モノレールの車両]]
 
* [[大阪高速鉄道]][[大阪高速鉄道大阪モノレール線|大阪モノレール線]]
 
** '''[[大阪空港駅]]'''
 
大阪国際空港の[[空港連絡鉄道]]は大阪モノレールが整備されている。大阪モノレール線は、大阪空港駅を起点に東進して大阪府北部を貫いており、下記の5社7路線と接続して近畿一円の[[鉄道]]と連携している<ref>{{Cite web |url=http://www.osaka-monorail.co.jp/station/ |title=路線図・駅情報|大阪モノレール |publisher=[[大阪高速鉄道]] |accessdate=2013-10-07}}</ref>。[[大阪市]]中心部へのアクセスは、モノレールから[[阪急宝塚本線]]への乗り換えが最も短時間で済むため一般的だが、左記を含めて市内へ向かう路線への接続は合計6箇所あり、これらは目的地によって使い分けられる<ref>{{Cite web |url=http://osaka-airport.co.jp/access/from_mono.html |title=モノレール・電車で大阪国際空港から行く|交通アクセス|大阪国際空港(伊丹空港) |publisher=[[大阪国際空港ターミナル]] |accessdate=2013-10-07}}</ref>。大阪空港駅開業までのかつての最寄り駅は、[[阪急宝塚本線]][[蛍池駅]]であり、同駅には「大阪国際空港前」という副駅名も付けられていた<ref group="注">[[1994年]]の[[関西国際空港]]開港後は副駅名を「大阪空港前」に改称した。この副駅名は、[[1997年]]にモノレール線大阪空港駅が開設された後もしばらく残り、[[2004年]]まで使用された。詳細は[[蛍池駅]]を参照のこと。</ref>。現在、蛍池駅はモノレールとの[[乗換駅]]である。もっとも、[[梅田駅 (阪急)|梅田駅]]などから阪急宝塚線を利用して蛍池駅まで移動してくるとき、大阪モノレール線の利用区間は蛍池-大阪空港駅間の曲線的な1区間のみである。そのため、蛍池駅から[[徒歩所要時間|徒歩]]15分ほどで直接に大阪国際空港へ向かうという手段も場合によっては実用的である。この経路は「梅田駅から220円の格安アクセス手段」であるとして紹介されている<ref>{{Cite book|和書|author=[[谷川一巳]] |title=空港まで1時間は遠すぎる!?―現代「空港アクセス鉄道」事情 |year=2013 |publisher=[[交通新聞社]] |series=交通新聞社新書 |isbn=978-4330394138}}</ref>。
 
 
 
[[File:Hq9000-9001f.jpg|thumb|280px|大阪モノレールからの乗り継ぎにおいて、[[大阪市]]内へのアクセスの主力となる[[阪急宝塚本線]]。写真は、モノレールとの乗換駅の[[蛍池駅]]にも停車する[[急行列車|急行]][[梅田駅|梅田]]行]]
 
; 大阪モノレール本線との接続路線
 
: 同社内の国際文化公園都市モノレール線(彩都線)を含め、モノレール本線との接続路線とその[[直通運転]]の状況について示す。()内はモノレール本線での接続駅である。
 
:* [[阪急電鉄]]
 
:** [[阪急宝塚本線|宝塚本線]]([[蛍池駅]])
 
:** [[阪急千里線|千里線]]([[山田駅 (大阪府)|山田駅]]) - [[阪急京都本線]]・[[大阪市営地下鉄堺筋線]]に直通運転
 
:** [[阪急京都本線|京都本線]]([[南茨木駅]]) - 阪急千里線・大阪市営地下鉄堺筋線に直通運転
 
:* [[北大阪急行電鉄]]
 
:** [[北大阪急行電鉄南北線|南北線]]([[千里中央駅]]) - [[大阪市営地下鉄御堂筋線]]に直通運転
 
:* [[大阪高速鉄道]]
 
:** [[大阪高速鉄道国際文化公園都市モノレール線|国際文化公園都市モノレール線]]([[万博記念公園駅 (大阪府)|万博記念公園駅]])
 
:* [[大阪市営地下鉄]]
 
:** [[大阪市営地下鉄谷町線|谷町線]]([[大日駅]])
 
:* [[京阪電気鉄道]]
 
:** [[京阪本線]]([[門真市駅]]) - [[京阪鴨東線|鴨東線]]・[[京阪中之島線|中之島線]]に直通運転
 
 
 
=== バス ===
 
[[File:Osaka Airport Transport - Osaka 200 ka 564.jpg|thumb|280px|大阪国際空港のアクセスの要である[[大阪空港交通]]の[[リムジンバス]]。[[大阪駅]]・[[梅田駅]]近くの[[ヨドバシ梅田]]前にて]]
 
 
 
大阪国際空港を発着するバス路線網は、[[路線バス]]と[[リムジンバス]]から構成される。[[西日本]]の広い範囲をカバーしており、主に近距離は路線バス、中長距離はリムジンバスが、それぞれ役割分担をしている。[[新大阪駅]]などでは、路線バスとリムジンバスの両方が利用可能であり、旅客の[[ニーズ]]によって使い分けが可能である。
 
 
 
大阪国際空港からの高速バス、路線バスの行き先とのりば等の詳細情報は運行会社に関係なく'''「[http://www.osaka-airport.co.jp/access/bus/ アクセス-バスをご利用の方へ]」'''に記載されている。
 
 
 
; [[大阪空港交通]]・[[阪神バス]]・共同運行各社
 
* 近畿各地の主要駅・ターミナルなどに発着している(詳細は大阪空港交通の項を参照)。[[関西国際空港]]発着の便もある(大阪国際空港と関西国際空港の経営統合による空港利用促進策の一環として、両空港を乗り継ぐ旅客は、一定の条件を満たした両空港利用の[[航空券]]・半券など2枚を提示すると、リムジンバスの[[運賃]]が[[無料]]となる<ref group="注">これは、当初は短期間の[[キャンペーン]]であったが、2016年9月30日まで延長が行われている。</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.kansai-airport.or.jp/news/120713/index.html |title=大阪空港=関西空港線 リムジンバス 無料乗継キャンペーン |publisher=[[新関西国際空港]] |accessdate=2013-10-07}}</ref>)。
 
 
 
; [[阪急バス]]
 
* [[宝塚駅]]発着便([[宝塚大劇場|宝塚歌劇場]]・[[宝塚警察署]]・野里経由)
 
* [[新大阪駅]]発着便([[阪急バス豊中営業所|日出町]]・[[庄内駅 (大阪府)|庄内駅]]・[[豊中駅]]経由)
 
* [[池田駅 (大阪府)|池田駅]]発着便([[石橋駅 (大阪府)|石橋]]北口経由)
 
* [[有馬温泉]]発着便
 
 
 
; [[伊丹市交通局]]
 
* [[伊丹駅 (JR西日本)|JR伊丹駅]]・[[伊丹駅 (阪急)|阪急伊丹駅]]発着便
 
伊丹市交通局の路線バスでJR伊丹まで行き、大阪梅田へ向かうと、交通機関を乗り継いで行く場合においては最安運賃となる。
 
 
 
; [[京都交通 (舞鶴)|京都交通]]
 
* [[大阪 - 福知山・舞鶴・宮津線|大阪 - 舞鶴線]] [[喜多工業団地|舞鶴営業所]]発着便([[西舞鶴駅]]前・[[東舞鶴駅]]前経由)
 
 
 
; [[日本交通 (大阪府)]]・[[日交シティバス]]・[[日本交通 (鳥取県)]]
 
* [[山陰特急バス]] [[鳥取駅バスターミナル|鳥取駅]]発着便
 
* 山陰特急バス 米子営業所発着便([[米子駅]]経由)
 
 
 
; [[両備ホールディングス|両備バス]]
 
* [[大阪 - 岡山・倉敷線|リョービエクスプレス]] [[岡山駅]]・[[倉敷駅]]・高速宇野築港銀座([[宇野駅]])発着便([[岡山インターチェンジ|岡山IC]]・[[山陽インターチェンジ|山陽IC]]経由)
 
 
 
; [[近鉄バス]]・[[福井鉄道]]
 
* [[わかさライナー]] 若狭フィッシャーマンズワーフ発着便([[小浜駅]]・[[若狭和田駅]]経由)
 
 
 
; [[近鉄バス]]・[[中国バス]]
 
* [[びんごライナー]] 三成(尾道営業所)発着便([[福山駅]]・[[尾道駅]]経由)
 
* [[びんごライナー]] 府中営業所発着便(福山駅・[[福山平成大学]]経由)
 
 
 
; [[海部観光]]
 
* マイ・エクスプレス 阿南津乃峰営業所発着便([[小松島市|小松島]]・[[徳島駅]]・[[松茂町|松茂]]・[[新神戸オリエンタルシティ|新神戸]]・[[三宮駅バスのりば#高速バス(神戸三宮高架商店街前)|三宮]]・[[大阪駅・梅田駅周辺バスのりば|大阪駅]]経由)
 
 
 
; [[西日本ジェイアールバス]]
 
* [[北陸ハイウェイバス|百万石ドリーム大阪号]] [[金沢駅]]発着便
 
 
 
=== 道路 ===
 
空港アクセスには[[高速道路]]も整備されており、大阪国際空港へ通じる複数の[[インターチェンジ]]は、近畿の主要高速道路である'''阪神高速'''と西日本の幹線高速道路である'''NEXCO西日本'''の両道路網に組み込まれている。また、一般道路とも接続しているため、徒歩・自転車・原付等でアクセスすることも可能である。
 
 
 
; [[阪神高速道路]]
 
* [[阪神高速11号池田線]] [[大阪空港出入口]]
 
 
 
; [[西日本高速道路]](NEXCO西日本)
 
* [[中国自動車道]] [[中国池田インターチェンジ]](広島方面からの出口・広島方面への入口のみ)・[[中国豊中インターチェンジ]](吹田方面からの出口・吹田方面への入口のみ)の各[[ハーフインターチェンジ]]より
 
 
 
; [[一般道路]]([[国道]]・[[都道府県道]])
 
* [[大阪府道11号大阪国際空港線]]
 
** [[国道176号]]: 空港入口[[交差点]]で府道11号と接続
 
** [[大阪府道10号・兵庫県道100号大阪池田線]]: 空港前交差点で府道11号と接続
 
 
 
=== アクセスに関する動き ===
 
鉄道による交通手段として、[[大阪高速鉄道]]([[大阪高速鉄道大阪モノレール線|大阪モノレール線]])が空港へ直接乗り入れている。[[阪急電鉄]]は[[蛍池駅]]に[[急行列車|急行]]を停車させて大阪モノレールとの連携を強化し、[[梅田駅|大阪・梅田]]との所要時間を短縮している。
 
 
 
バスによる大阪市内近畿一円への[[交通]]も盛んであり、乗り換え無しで大阪市内中心部に行けることや所要時間での優位を活かして、大阪モノレール線開業後の現在においても、市内への輸送の主力である。空港バスが通る[[阪神高速道路]][[阪神高速11号池田線|11号池田線]]は[[渋滞]]が慢性化しているが、[[ラッシュ時]]においては渋滞に巻き込まれないよう、高速と一般道路の使用路線を柔軟に切り替えるなどして遅延を極力避けるように運行されている。
 
 
 
==== 大阪国際空港との鉄道接続構想 ====
 
[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)は[[伊丹駅 (JR西日本)|JR伊丹駅]]から空港への支線を分岐させる[[JR福知山線分岐線構想]]を有し、実現すれば空港と[[兵庫県]]側とのアクセスの改善が期待される。しかし、線路の敷設費用の問題や[[福知山線|JR宝塚線(福知山線)]]のダイヤ編成などの問題<ref group="注">「[[JR福知山線脱線事故]]」の項目も参照。</ref>等から、支線の延長は計画段階のままである。この区間については、2007年に兵庫県によって新たに[[大阪国際空港広域レールアクセス構想]]が発表されたが、採算がとれる目処がたたず、調査関連予算も計上されないままの状態である。
 
 
 
阪急電鉄もかつては大阪国際空港への接続線を建設する構想を持っていたが、こちらも[[阪急宝塚本線]]の輸送力が飽和状態のため実現しなかった。ただ、2017年9月1日には、再度検討しているとの報道がなされた。
 
{{seealso|阪急宝塚本線#新線計画}}
 
 
 
==== LRTの新設 ====
 
[[兵庫県]]は、大阪国際空港の利便性を向上しようと、空港と[[伊丹駅 (JR西日本)|JR伊丹駅]]を[[ライトレール|次世代型路面電車]](LRT)で結ぶ計画の検討を始めた<ref>2007年3月11日付 朝日新聞大阪版朝刊</ref>。採算性の調査費として750万円を2008年度予算案に盛り込み、[[伊丹駅 (阪急)|阪急伊丹駅]]への延伸も検討しているとされる。しかし採算の目処がたたず、2008年以降調査予算は計上されていない。
 
 
 
{{main2|[[#外部リンク|外部リンク]]や「[[大阪国際空港広域レールアクセス構想]]」を}}
 
 
 
== 眺望ポイント ==
 
大阪国際空港は大都市圏内にある内陸型の大規模空港として、国土交通省、大阪府、兵庫県、伊丹市などが周辺整備事業を行ってきた<ref name="osaka-seibi">{{Cite web |author= |date= |url=http://www.pa.kkr.mlit.go.jp/osakaport/sky/office/01.html |title=大阪港湾・空港整備事務所の紹介 |publisher=国土交通省 近畿地方整備局 |accessdate=2012-10-30}}</ref>。そのため、空港の近辺には、空港や航空機の眺望に適した公園などが多く存在する<ref name="ikarosu-itami-kobe">伊丹&神戸空港(イカロス出版、ISBN 978-4871497978)など</ref>。これらの眺望ポイントは[[写真]]等の[[撮影]]にも適しており、空港を周囲の様々な角度から見通すことができ、そこからの航空機との距離も相当に近く、大空港としては「最高の撮影環境」<ref name="hikoki-shasin"/>、「旅客機ウォッチングの[[聖地]]」<ref>{{Cite book|和書|author=ぴあ |title=航空機エアラインぴあ |year=2014 |publisher=[[イカロス出版]] |series=ぴあMOOK |isbn=978-4835622477}}</ref>、「撮影の楽園」<ref>{{Cite book|和書|author=イカロス出版 |title=日本のエアポート PHOTO BOOK |year=2014 |publisher=[[イカロス出版]] |series= |isbn=978-4863208445}}</ref>と評されている。また、東京国際空港や関西国際空港のような[[海上空港]]でないため、航空機のウオッチングがしやすいこれらのポイントへのアクセスも容易である。本節では、それらを紹介する。
 
 
 
=== ターミナルビル ===
 
[[File:Osaka International Airport5.jpg|thumb|250px|ターミナル近辺]]
 
[[空港ターミナルビル]]の4階の[[テラス]]は、展望デッキ(ラ・ソーラ)であり、多くの空港利用者や航空ファンが訪れる。南北ターミナルと中央ブロックの[[屋上]]の広大な領域が、展望用の施設として整備されている。日よけのルーフが存在するものの、金網などの視界をさえぎるものは皆無であることから、航空機を観るだけでなく、撮影に関する制約も比較的少ない<ref name="hikoki-shasin"/>。2本の滑走路を含む空港のほぼ全体を見渡すことができるほか、駐機場が間近であるため、[[グランドハンドリング|地上スタッフ]]の様子なども[[見学]]することができる。また、テラス内外の[[飲食店]]では[[食事]]をとりながら展望を楽しむことができる。
 
 
 
ラ・ソーラ以外にもターミナルビルの内外には、かつては航空機を比較的至近から見学できる場所がいくつかあったが、空港の改築や[[アメリカ同時多発テロ事件]]発生以降の空港警備強化などにより、のちにはほとんど入ることが出来なくなった。ターミナルビルから突き出したフィンガー部分の屋上は、1970年までおよび1999年から2001年9月11日(アメリカ同時多発テロ事件発生日)までは立ち入りが可能だったが、以降は基本的に不可能となった<ref>{{Cite web |author= |date=2011-06-20 |url=http://osaka-airport.co.jp/news/news.html?dn=298 |title=ボーイング787と逢おう!!最接近・体験イベント」のお知らせ |publisher=大阪国際空港ターミナル |accessdate=2012-10-30}}2011年7月5日、[[ボーイング787]]の「国内検証プログラム」に伴う寄港のさい、第2フィンガーの屋上が臨時で開放された。このときは、入場は事前の抽選に当選した者に限られていた。それ以外にも、折に触れて、フィンガー屋上は一般開放されることがある。{{Cite web |url=http://osaka-airport.co.jp/PDF/H25sora.pdf |title=[[空の日]]エアポートフェスティバル2013 |publisher=大阪国際空港ターミナル |accessdate=2013-10-09}}</ref>。他にも、北ターミナルの屋上(現在はインテリアショップの[[アクタス (家具・インテリア)|ACTUS]] となっている場所)、かつて[[YS-11]]が駐機していたエプロン、南ターミナルの一部(現在は新管制塔が立地する付近)などが、現在は、[[立入禁止区域]]となっている。
 
 
 
=== 伊丹スカイパーク ===
 
[[File:Itami-sky-park.jpg|thumb|250px|伊丹スカイパーク]]
 
かつて国際線が乗り入れていた頃に、滑走路脇の写真撮影ポイントの一つだった場所を、国土交通省などが造成して設置した公園である<ref name="osaka-seibi" />。滑走路にそって造られた防音用の土手の上から、32Lからのエアボーンの瞬間などを至近距離でウォッチング・撮影できる。[[2006年]][[7月9日]]に一部開業、[[2008年]][[7月12日]]に全面開業した。ここでは空港をグランドレベルそして至近距離で見渡すことが出来る。子供連れの[[家族]]や[[カップル]]、スポッター等の[[航空ファン]]らが、[[ピクニック]]からウォッチングなどに幅広く利用している。
 
{{seealso|伊丹スカイパーク}}
 
 
 
=== スカイランドHARADA ===
 
[[File:スカイランドHARADA.JPG|thumb|250px|スカイランドHARADA]]
 
2003年4月にオープンした多目的施設である。[[豊中市]]の原田下水処理場の水処理棟の屋上部を一般開放したものである<ref>{{Cite web |author= |date=2012-04-27 |url=http://www.tcct.zaq.ne.jp/toyonaka_suidou/04b_sewarage/04_inagawa_aswo/index4.htm |title=スカイランドHARADA |work= |publisher=豊中市上下水道局 |accessdate=2012-10-30}}</ref>。多目的運動広場をはじめ、せせらぎ広場、芝生広場、ジョギングコース等が整備され、[[スポーツ]]だけでなく憩いの場としても利用される。B滑走路(14R/32L)に隣接し、空港を高い位置から、フェンスなどを気にすることなく見渡すことが出来る。特に14Rからの離陸・32Lからの着陸は、その瞬間を目の前で見られる。ここには、[[ごみ箱]]は全く設置されておらず、個人で出たゴミは各自で持ち帰らなければならない。
 
{{seealso|スカイランドHARADA}}
 
 
 
スカイランドHARADAが開業するまでは、「墓場ポイント」と呼ばれる集合[[墓地]]が、この付近の主要ウォッチングポイントだった。標高はほぼ滑走路と同じで、高いフェンスがあるため、撮影などには高い脚立が必要だった。墓地自体は、スカイランドHARADAの北西に現在も存在する。
 
 
 
=== 千里川原田進入灯橋付近 ===
 
[[File:B777-246(JA773J) approach @ITM RJOO (558088784).jpg|thumb|250px|千里川原田進入灯付近から見る、着陸直前のボーイング777-200型機]]
 
[[千里川]]にかかる原田[[進入灯]]橋の付近は、[[川]]の護岸(土手)沿いの[[一般道路]]であり、有名なウォッチングポイントである<ref name="ikarosu-itami-kobe" />。滑走路32Lの延長線上の護岸は、着陸寸前の航空機がすぐ頭上を越えていくポイントであり、この眺望ポイントは「世界有数」<ref name="hikoki-shasin"/>と評されている。
 
 
 
この場所は、単に'''千里川'''とも呼ばれる。川の土手部分であり、かつては柵が一つも無かった為、航空機発着時の噴射による風などで転落する恐れもある危険な場所だった。現在も大阪国際空港長による注意書きには「'''この付近では航空機の噴射で危険ですから立ち止まらないで下さい'''」とある。現在は、当該箇所の川の両岸ともに緑色のフェンスが設置され、安全に飛行機を見ることが出来る。この場所自体は、整備された施設ではないが、滑走路32Lの端から数十メートルの距離にあり、滑走路32Lに着陸する航空機が真上の至近距離(高度数十メートル程度)を通過し、離陸のため滑走路32Lに入る航空機や滑走路32Rに着陸進入する航空機も間近で見ることができる。そのため、多くの航空ファンや家族連れなどが足を運ぶ。[[桂米團治 (5代目)|桂小米朝]]らの著書によって、この場所が紹介されており、「大阪の観光名所のひとつであり、周辺道路を駐車禁止にするなら、スカイランドHARADAの駐車場と連携して観光客を呼び込むべきだ」という旨の発言をしている。同書では後日記として、上述の大阪国際空港への[[ボーイング747]]の就航禁止についても言及しており、『なんでやねん』と就航禁止に疑問を呈していた<ref>{{Cite book|和書|author=[[石毛直道]]、[[桂米團治 (5代目)|桂小米朝]]、[[旭堂南海]]、[[宮田珠己]]、[[井上章一]]、[[木下直之]]、[[島崎今日子]] |title=勝手に関西世界遺産 |year=2006 |publisher=[[朝日新聞社]] |isbn=978-4022502285}}</ref>。
 
 
 
=== エアフロントオアシス下河原 ===
 
[[File:Air front oasys SHIMOGAWARA Hyogo,JAPAN.jpg|thumb|250px|エアフロントオアシス下河原]]
 
滑走路14Lの北端近くに国土交通省が作った[[エアフロントオアシス下河原]]と伊丹市が造成した下河原緑地が並んでいる<ref>{{Cite web |author= |date= |url=http://www.city.itami.lg.jp/SHISETSU/_8275/0003865.html |title=下河原緑地 |work= |publisher=伊丹市 |accessdate=2012-10-30}}</ref>。緑の芝生の広がる公園で天気の良い休日には家族連れでにぎわう。
 
{{seealso|エアフロントオアシス下河原}}
 
 
 
=== 周辺の山岳 ===
 
[[File:Osaka International Airport.JPG|thumb|250px|[[中山 (兵庫県)|中山]]より望む[[伊丹市]]街と大阪国際空港]]
 
大阪国際空港から数km離れた北西側は[[山地|山岳地帯]]([[長尾連山]]、[[六甲山]]など)である。これらの[[山]]からは大阪国際空港の全景を望むことができる。空港内のみならず、空港周辺を飛行する航空機の様子もうかがうことができる。具体的には[[大阪府]][[池田市]]・[[箕面市]]の[[五月山]]<ref>{{Cite web |url=http://www.e-isi.co.jp/satsu/ |title=五月山緑地霊園 |publisher=[[池渕石材工業]] |accessdate=2013-09-25}}</ref>や[[兵庫県]][[宝塚市]]の[[中山 (兵庫県)|中山]]<ref>{{Cite web |url=http://eonet.jp/walkin-good/archive/052_02/ |title=ウォーキンGOOD! |publisher=[[ケイ・オプティコム]] |accessdate=2013-09-25}}</ref>などが知られる。
 
 
 
=== その他 ===
 
[[File:Koyaike.jpg|thumb|250px|[[昆陽池公園]]の昆陽池を上空より望む。池に造成された[[日本列島]]型の[[人工島]]群が見られる。奥を流れる川は[[武庫川]]である。]]
 
* [[猪名川]]: 滑走路14R・14L端の周辺を流れる川で、この土手からは空港を一望できるポイントがある。千里川と双璧をなす有名なウオッチングポイントである。ここからは例として滑走路32Rからの離陸を真横から、滑走路32Lからの離陸機を真正面そして真上を通過する光景が見られ、更に稀有だが滑走路14Rへの着陸シーンを至近距離で見ることが出来る。
 
* [[昆陽池公園]]・端ヶ池公園: 大阪国際空港では離着陸は主に滑走路32L・32Rを利用するが、離陸直後、伊丹市近郊の上空で180度旋回を行い、空港を9時の方向に見て飛行する。特に滑走路32Lからの離陸機の旋回シーンを真下で見ることができるポイントである。超望遠レンズ等を持ってウオッチングをする光景も見られる。なお、公園内の昆陽池の中程には[[日本列島]]の形をした[[人工島]]群が造成されており、同空港の滑走路32L・32Rを離陸した飛行機の左側の機窓にて上空から見ることで、その全貌を望むことができる<ref>{{Cite web |url=http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/3d/3dayori/no-17.pdf |title=師団だより第17号 |publisher=[[第3師団 (陸上自衛隊)|第3師団]]司令部広報室 |accessdate=2013-09-25}}</ref>。
 
* ふれあい緑地: [[1997年]]に[[豊中市]]が騒音等緩和のための[[緑地]]を[[公園]]に再整備したもの。空港に近く、滑走路32Lの最終着陸コース直下にあり、同滑走路を利用する航空機を見ることができる<ref>{{Cite web |url=http://osaka-airport.co.jp/areamap/toyonaka/10.html |title=大阪国際空港 周辺ガイド |publisher=[[大阪国際空港ターミナル]] |accessdate=2013-10-07}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.city.toyonaka.osaka.jp/shisetsu/koen/seibu/fureairyokuchi.html |title=ふれあい緑地(ふれあいりょくち) |publisher=[[豊中市]] |accessdate=2013-10-07}}</ref>。
 
* [[兵庫県道・大阪府道99号伊丹豊中線]]空港地下道 東側出入口付近: 整備された施設ではないが、滑走路32Rへの着陸機やB誘導路を経由して滑走路32Lへ向かう航空機を近くで見ることができる。
 
* 大阪港湾空港整備事務所前: 整備された施設ではないが、ターミナル南側と全日空整備の間の駐機場の様子を近くから観ることができる。
 
* [[新梅田シティ]][[梅田スカイビル]]空中庭園[[展望台]]: [[視程]]が良ければ、地上173 mの高さから大阪国際空港方面を望むことができる。特に、空港南東側からILSアプローチをする航空機をよく見ることができる。<ref>{{Cite web |url=http://allabout.co.jp/gm/gc/419141/ |title=地上173mで見る大阪の絶景「空中庭園展望台」 |publisher=[[All About]] |accessdate=2013-09-25}}</ref>
 
 
 
== 対策協議会 ==
 
大阪国際空港の地元自治体の窓口として、周辺自治体による[[大阪国際空港周辺都市対策協議会]](通称、10市協)が組織されている。参加している自治体は[[豊中市]]、[[池田市]]、[[箕面市]]、[[吹田市]]、[[西宮市]]、[[宝塚市]]、[[川西市]]、[[芦屋市]]、[[伊丹市]]、[[尼崎市]]である。
 
 
 
=== 対策協議会の歴史 ===
 
* [[1964年]]: ジェット機の騒音対策として周辺8市で結成された。通称は「8市協」であった。
 
* [[1971年]]: 3市(吹田・大阪・芦屋)が加わり、「11市協」となった。
 
* [[2005年]]: 地元[[商工会議所]]でつくる[[大阪国際空港及びその周辺地域活性化促進協議会]](空港活性協)の申入れなどにより、騒音災害を理由とした空港廃止から、経済振興の観点からの空港存続への政策転換に対応して、名称を「大阪国際空港'''騒音'''対策協議会」から「大阪国際空港'''周辺都市'''対策協議会」に変更した。
 
* [[2009年]]6月: [[中川智子]]宝塚市長は、[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]]時代は批判的だった大阪国際空港について「当時は色々な活動をしたが、今は無くなったら市民が困る」と増便など活性化に力を尽くす考えを示した<ref name="nakagawa">{{Cite news |author= |date=2009-06-16 |url=http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/localpolicy/267094/ |title=中川宝塚市長が講演 関西プレスクラブ例会で |publisher=産経新聞 |archiveurl=http://megalodon.jp/2009-0618-0129-52/sankei.jp.msn.com/politics/local/090616/lcl0906162245009-n1.htm |archivedate=2009-06-18 |accessdate= }}</ref>。
 
 
 
== 事件・事故・インシデント ==
 
[[1960年代]]までは大阪国際空港やその周辺での[[航空事故]]が散発的に発生していたが、それ以降は、同空港内や周辺空域で直接的に死傷者を出すような事故は発生していない。ただし、1978年のJA8119の[[日本航空115便しりもち事故|しりもち事故]]のような、[[日本航空123便墜落事故|大事故]]の間接的要因となった事故は発生している。
 
 
 
[[2003年]]ごろからは、上述のジェット機枠・プロペラ機枠の制限のため、大阪国際空港に多く就航しているプロペラ機の[[デ・ハビランド・カナダ DHC-8|DHC-8]]が、計器や着陸装置の不具合によって、同空港へ引き返すトラブルが起こるようになった。
 
 
 
[[2007年]]には[[航空交通管制]]に起因するトラブルが立て続けに起こり、下記のものを含む[[インシデント]]が発生していた。これを受けて、管制官の人員増、および管制指示の復唱の徹底、使用滑走路の[[パイロット (航空)|パイロット]]側からの確認強化、[[地上管制]]と[[飛行場管制]]の両[[航空管制官]]の連携強化といった、管制の規則の強化などの安全対策がとられた。
 
 
 
; 大阪国際空港への改称以前
 
* [[1957年]][[9月30日]]: [[日本航空]]の[[ダグラス DC-4|DC-4]]「雲仙号」が離陸直後にエンジントラブルにより不時着。けが人7名([[日本航空雲仙号不時着事故]])。
 
 
 
; 大阪国際空港へ改称後(事実上の国際空港時代)
 
[[File:JA8119 at itami airport 1982.jpg|thumb|280px|東京(羽田)発大阪(伊丹)行の運航において、2度の事故([[日本航空115便しりもち事故|1978年115便]]・[[日本航空123便墜落事故|1985年123便]])に遭った[[日本航空]]の[[ボーイング747|ボーイング747SR-100]] (JA8119)]]
 
* [[1959年]][[7月14日]]: [[全日本空輸|全日空]]の[[ダグラス DC-3|DC-3]]が滑走路を[[オーバーラン]]。
 
* [[1963年]][[6月5日]]: 全日空のDC-3(貨物便)が離陸滑走中に滑走路を逸れ、駐機場にいた同社のDC-3と衝突。
 
* [[1964年]][[2月18日]]: [[日東航空]]の[[グラマン マラード]]が離陸直後に不時着。死者2名。けが人8名。
 
* [[1965年]][[2月14日]]:全日空の大阪国際空港発・東京国際空港行きのダグラスDC-3貨物専用機(JA5080)深夜貨物便が[[愛知県]][[知多半島]]付近で失踪。22ヶ月後の1966年12月29日に南アルプス中ノ尾根山の山頂付近で機体の残骸と乗員の遺体が発見された。原因は不明。乗員2名全員死亡([[全日空貨物機失踪事件]])。
 
* [[1966年]][[11月13日]]: 全日空の大阪発[[松山空港|松山]]行[[YS-11]]が[[松山空港]]沖の[[伊予灘]]に墜落。乗員乗客50名全員死亡([[全日空松山沖墜落事故]])。
 
* [[1969年]][[12月14日]]:全日空の大阪発鹿児島行き547便 YS-11(JA8743)が[[淡路島]]上空で[[読売新聞社]]所有の小型機と接触。双方とも破損したが緊急着陸に成功し双方の乗員乗客にけが人なし。
 
* [[1975年]][[5月28日]]: 全日空のYS-11が[[胴体着陸]](機体は修復して復帰した)。<!-- 便名・けが人などの詳細不明 -->
 
* [[1978年]][[6月2日]]: 日本航空の[[東京国際空港|東京]]発大阪行115便[[ボーイング747|ボーイング747SR-100]]([[機体記号]]:JA8119)が大阪国際空港へ着陸しようとした際、滑走路に機体尾部を接触させる「しりもち事故」を起こした。ケガ人3名。この事故で[[圧力隔壁]]を破損したが、この時の[[ボーイング]]社における修理ミスが下の事故の引き金になったとされている([[日本航空115便しりもち事故]])。
 
* [[1985年]][[8月12日]]: 日本航空の東京発大阪行123便ボーイング747SR-100(JA8119)が[[群馬県]]の[[高天原山|御巣鷹の尾根]]に墜落した([[日本航空123便墜落事故]])。死者520名、重傷者4名。
 
* [[1988年]][[1月18日]]:全日空の大阪発千歳行き779便ロッキード L-1011(JA8508)が千歳空港に夜間着陸の際に滑走路を見失い、滑走路接地後に再浮上してオーバーランし滑走路を右側に飛び出して停止した。機体下面やエンジン下部を損傷するなど中破した。
 
 
 
; 関西国際空港開港後(国内線の基幹空港時代)
 
[[File:Dash 8 2007-3-13 Kochi Airport.jpg|thumb|280px|大阪国際空港を出発後、[[高知空港]]にて[[胴体着陸]]した[[エアーセントラル]]([[全日本空輸]]グループ)の[[デ・ハビランド・カナダ DHC-8]]-Q400([[全日空機高知空港胴体着陸事故|2007年1603便]])。[[2000年代]]にはDHC-8のトラブルが相次いだ。]]
 
* [[1994年]][[9月7日]]:夜8時頃から深夜にかけて、空港周辺の豊中市や伊丹市など大阪北摂地域の一部に激しい[[雷]]を伴う局地[[集中豪雨]]があり、空港施設や機器、関連施設が浸水し使用不能になった<ref>{{Cite web |url=http://www.jma-net.go.jp/osaka-airport/other/gaiyou.html |title=沿革の概要 |publisher=[[大阪航空測候所]] |date= |accessdate=2012-10-13}}</ref>。[[関西国際空港]]開港の翌々日のことであった。
 
* [[1995年]][[1月17日]]:[[阪神・淡路大震災]]が発生。[[滑走路]]・[[誘導路]]と[[空港ターミナルビル]]などが損傷。航空機の運航には支障は出なかった<ref>{{Cite web |url = http://www.mlit.go.jp/hakusyo/transport/heisei07/1/71-1-1.HTM |title = 平成7年度 運輸白書 |publisher = [[運輸省]] |accessdate = 2013-09-30}}</ref>。
 
* [[2005年]][[10月28日]]:全日空の鹿児島発東京行き628便(ボーイング777-200)が、鹿児島空港を離陸後に[[高知県]]沖でエンジン部品を落下させ、大阪国際空港に緊急着陸した。
 
* [[2007年]][[3月13日]]: 全日空の大阪発高知行1603便DHC-8-400で、着陸準備に際して前輪が出ないトラブルが発生した。同日午前10時54分、[[高知空港|高知龍馬空港]]に主脚だけでの緊急着陸を行った。死傷者なし。([[全日空機高知空港胴体着陸事故]])
 
* 2007年[[9月6日]]: 滑走路32Lに着陸した日本航空機(2430便、[[マクドネル・ダグラス MD-80|MD-87]]型)が管制官の許可を得ずに滑走路32Rを横断した。32Rには他の航空機はおらず、事故には至らなかった。日航機のパイロットがヘリコプターに対する指示を混同したことから、誤って横断したものとみられる。
 
* 2007年[[10月5日]]: 全日空の松山発大阪行448便[[エアバスA320]]が、滑走路32Lに着陸するよう指示が出ていたにもかかわらず、午後5時47分頃滑走路32Rに着陸した。このとき、32Rの手前では日本航空2441便(MD-87型)機が待機していた。大阪飛行場管制より「滑走路の中に入って待機」と指示が出ていたが、JL2441便は進入するNH448便に気付いて管制塔に報告し、滑走路に入っていなかった。
 
* [[2008年]][[10月28日]]: [[日本エアコミューター]]の大阪発[[出雲空港|出雲]]行2341便[[デ・ハビランド・カナダ DHC-8|ボンバルディアDHC-8-402]]が、離陸直後に車輪格納庫の扉が閉まらなくなり、離陸から約1時間後に引き返した。
 
* 2008年[[11月25日]]: 全日空の大阪発[[大館能代空港|能代]]行[[デ・ハビランド・カナダ DHC-8|ボンバルディアDHC-8-402]]で、客室内に煙が流れ込み、異臭が立ち込めたため、離陸から約30分後に同空港に引き返し、緊急着陸した。その後の原因調査で、[[潤滑油]]漏れが見つかり、これが原因と見られる。
 
* 2008年[[12月9日]]: 午後0時5分頃、日本航空の大阪発[[長崎空港|長崎]]行2375便が、同空港西方約80[[キロメートル|キロ]]地点で強く機体が揺れ、女性[[客室乗務員]]2人が[[骨折]]するなど重傷。[[乱気流]]に巻き込まれたものと見られる<ref>[http://sankei.jp.msn.com/life/trend/081209/trd0812091943009-n1.htm 乱気流?日航機乗員2人が重傷 大阪-長崎] 産経新聞 2008年12月9日</ref>。
 
* [[2009年]][[1月31日]]、日本航空の大阪発[[青森空港|青森]]行2151便([[マクドネル・ダグラス MD-90|MD-90]])が、[[名古屋市]]上空を飛行中、[[自動操縦装置]]にトラブルが発生し使えなくなり、手動操縦に切り替えた上で、同空港に引き返した<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090131-OYT1T00424.htm 自動操縦装置トラブル、伊丹発青森行の日航機が引き返す] 読売新聞 2009年1月31日</ref>。
 
* 2009年[[2月13日]]、日本エアコミューターの大阪発[[新潟空港|新潟]]行2247便([[デ・ハビランド・カナダ DHC-8|ボンバルディアDHC-8-Q400]])が、[[愛知県]][[犬山市]]の上空で、操縦席に[[ターボプロップエンジン|エンジン]]などのトラブルの警告が表示されたため、同空港に引き返した。右側のプロペラを制御する[[コンピュータ]]に不具合<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090213-OYT1T00841.htm ボンバル機、日本でもトラブル…伊丹空港に引き返す] 読売新聞 2009年2月13日</ref>。奇しくも、このトラブルとほぼ同時期に、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[ニューヨーク州]][[バッファロー (ニューヨーク州)|バッファロー]]近郊の[[クラレンスセンター]]で、ボンバルディアの同型機が墜落・炎上する[[航空事故|事故]]が起こっている<ref>「米旅客機墜落・炎上、乗客ら50人死亡 NY近郊」 朝日新聞 2009年2月13日</ref>。
 
* 2009年[[3月20日]]、[[仙台空港|仙台]]発大阪行[[JALエクスプレス]]2200便が大阪国際空港に着陸しようとしたが、この時、離陸に向け待機していた大阪発[[東京国際空港|羽田]]行[[全日本空輸|全日空]]18便が同じ滑走路に進入。このため、JALエクスプレス機は、管制官の指示を受けた上で着陸を断念し再上昇<ref>[http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/090320/dst0903202036010-n1.htm JEX機着陸の滑走路にANA機進入 大阪空港] 産経新聞 2009年3月20日</ref>。管制官から指示された便名を、全日空機が聞き違えたことが原因の可能性がある<ref>[http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/090321/dst0903211758006-n1.htm 便名聞き間違え誤進入か 大阪空港の全日空機] 産経新聞 2009年3月21日</ref>。
 
* 2009年[[3月21日]]、午後1時15分頃同空港を離陸しようとした[[隠岐空港|隠岐]]行[[日本エアコミューター]]2335便[[デ・ハビランド・カナダ DHC-8|ボンバルディアDHC8-Q40]]0の左[[ターボプロップエンジン|エンジン]]が始動せず、このため部品を交換したがやはり始動しなかったため、同便と折り返し便が欠航し、乗客計65人が影響を受けた<ref>[http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/090321/dst0903211827007-n1.htm ボンバルディア機のエンジン始動せず 大阪空港] 産経新聞 2009年3月21日</ref>。
 
* 2009年[[3月22日]]、午後3時40分頃、同空港の滑走路で、車両が停まって点検作業を行っていたが、管制官はこれに気付かず誤って離陸許可を出し、日本エアコミューター機が進入。点検車両も同機の誤進入に気付き、管制官に連絡し、管制官による誤許可が判明<ref>[http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/090322/dst0903222336012-n1.htm 今度は点検作業中の滑走路に進入 管制官が誤って離陸許可] 産経新聞 2009年3月22日</ref>。
 
* 2009年[[4月22日]]、午前10時40分頃、[[ジャルエクスプレス]]([[日本航空]]系)[[新潟空港|新潟]]発JAL2242便([[マクドネル・ダグラス MD-80|MD81]]型、乗客乗員計168人)が、同空港に着陸する際、機体が傾斜し、左[[主翼]]が滑走路に接触。滑走路上に主翼のライトの破片などが散乱し、滑走路が約1時間に亘り閉鎖された<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090422-OYT1T00614.htm JALエクスプレス機、着陸時に主翼が滑走路に接触…伊丹] 読売新聞 2009年4月22日</ref>。
 
* 2009年[[4月25日]]、午後5時20分頃、同空港を離陸した[[日本エアコミューター]][[松山空港|松山]]行2315便([[デ・ハビランド・カナダ DHC-8|ボンバルディアDHC8-Q400型]])で、[[ターボプロップエンジン|エンジン]]や[[プロペラ]]の不具合を示すランプが点灯。同便は同空港に引き返しそのまま欠航した。飛行高度についての情報を処理する[[コンピュータ]]の故障が原因か<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090425-OYT1T00688.htm 松山行きボンバル機、コンピュータートラブルで欠航] 読売新聞 2009年4月25日</ref>。
 
* 2009年[[6月9日]]、午前9時40分頃、同空港発[[宮崎空港|宮崎]]行[[日本エアコミューター]]2433便([[デ・ハビランド・カナダ DHC-8|ボンバルディアDHC8-Q402型]])が、離陸上昇中、右側[[ターボプロップエンジン|エンジン]]の[[エンジンオイル|オイル]]の温度が許容の上限より10度上昇。同便はそのまま同空港に引き返し、同便を含め計4便が欠航し、乗客22人は後続便に乗り換え。オイル冷却装置の不具合か<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090609-OYT1T00551.htm ボンバルディア機、エンジンオイル高温で引き返す…大阪空港] 読売新聞 2009年6月9日</ref>。
 
* 2009年6月9日、午後8時頃、同空港を離陸した[[松山空港|松山]]行[[日本エアコミューター]]2319便([[デ・ハビランド・カナダ DHC-8|ボンバルディアDHC8-402]])が、離陸上昇中に車輪を機体に格納しようとしたところ、格納完了の表示が出ず、同空港に同26分に引き返した<ref>[http://www.asahi.com/national/update/0610/OSK200906090162.html ボンバル機引き返し 車輪格納表示出ず 伊丹発松山行き] 朝日新聞 2009年6月10日</ref>。
 
* 2009年[[6月13日]]、午前9時35頃、[[浜松市]]上空を飛行中の[[東京国際空港|羽田]]発伊丹行[[全日本空輸|全日空]]17便([[ボーイング777#777-200(772A)|ボーイング777-200型]])で、走行用の車輪を動かすための油圧の低下を示す表示が出た。同機はそのまま午前10時に着陸したが、[[駐機場]]への[[誘導路]]でオイルが漏れているのが見付かり、誘導路が約1時間20分に亘り閉鎖され、この機材を用いて折り返し羽田に向かう予定だった午前11時発全日空22便が欠航する影響が出た<ref>[http://www.asahi.com/national/update/0613/OSK200906130109.html 全日空機が油漏れ、誘導路1時間20分閉鎖 大阪空港] 朝日新聞 2009年6月13日</ref>。
 
* 2009年[[6月20日]]、午後6時25分頃、[[松山空港]]を離陸直後の大阪国際空港行[[日本エアコミューター]]2318便([[デ・ハビランド・カナダ DHC-8|ボンバルディアDHC-8-402型]])で、[[主翼]]右側の車輪を収納する格納扉が閉まらなくなった。同機は約1時間後に大阪国際空港に無事着陸したが、空港では、地元[[消防署]]から[[化学消防車]]など計5台が出動し待機する騒ぎになった<ref>[http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090621k0000m040078000c.html 航空トラブル:JAC機、車輪格納扉閉まらず 伊丹に着陸] 毎日新聞 2009年6月21日</ref>。
 
* 2009年[[6月22日]]、午前8時30分頃、大阪国際空港の敷地内に、中型[[イヌ|犬]]1匹が迷い込んでいるのが発見された。犬を発見した[[国土交通省]][[大阪空港事務所]]職員は、滑走路に侵入しないよう監視したが、犬は滑走路や誘導路を約5時間に亘り走り回り、午後1時20分頃にようやく追い出した。運航への支障は無し<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090622-OYT1T00664.htm 滑走路に犬、縦横無尽に走り回る…大阪・伊丹空港] 読売新聞 2009年6月22日</ref>。
 
* 2009年[[7月23日]]、午前9時10分頃、同空港に着陸した[[仙台空港|仙台]]発大阪行[[JALエクスプレス]]2200便([[マクドネル・ダグラス MD-80|MD-81]]型機)が、A滑走路に誤進入し、この影響で、同滑走路に着陸しようとした[[鹿児島空港|鹿児島]]発大阪行の[[日本エアコミューター]]2400便[[ボンバルディア]]機([[デ・ハビランド・カナダ DHC-8|ボンバルディアDHC8-402]])が着陸をやり直した<ref>[http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/090723/dst0907231401014-n1.htm JEX機が滑走路誤進入 大阪空港、JAC機着陸やり直し] 産経新聞 2009年7月23日</ref>。このインシデントを受け、[[金子一義]][[国土交通大臣|国土交通相]](当時)は、同空港に構造上の問題があるとして、誤進入を防止するための安全装置を滑走路付近に設置する方針を示し<ref>[http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/090724/dst0907241334013-n1.htm 大阪空港滑走路に安全装置設置へ 「構造上の問題」と国交相] 産経新聞 2009年7月24日</ref>、同年9月から、滑走路手前の路面に、大きく『STOP』表示を行った上、警戒灯を昼間時にも点灯するなど、誤進入対策を開始した<ref>[http://www.asahi.com/national/update/0911/TKY200909100414.html 滑走路手前に「STOP」塗装 大阪空港で誤進入対策] 朝日新聞 2009年9月11日</ref>。
 
* 2009年[[8月12日]]、午後1時40分頃、同空港の[[滑走路]]で、[[アスファルト]]の一部が剥離しているのが発見され、約30分間滑走路を閉鎖し修復したが、同時間帯に離着陸予定の10便に、最大40分の遅れ<ref>[http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/090810/dst0908101740030-n1.htm 大阪空港で滑走路はがれる 30分閉鎖、10便に遅れ] 産経新聞 2009年8月12日</ref>。
 
* 2009年[[8月20日]]、午後2時15分頃、大阪発[[宮崎空港|宮崎]]行日本エアコミューター2437便の[[ボンバルディア]]機([[デ・ハビランド・カナダ DHC-8|ボンバルディアDHC8-402]])が、[[高知県]]上空を飛行中に、[[油圧]]系統に不具合を示すランプが点灯。同便は大阪国際空港に引き返し、約50分後に緊急着陸。車輪の出し入れやハンドル操作で使う油圧[[ポンプ]]の油が漏出し無くなった状態だった<ref>[http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/090820/dst0908202032011-n1.htm 油圧系統不具合でボンバル機が緊急着陸 大阪空港] 産経新聞 2009年8月20日</ref>。
 
* 2009年[[8月21日]]:前年[[12月6日]]に運航された全日空の高知発大阪行きと大阪発大館能代行きの2便の離着陸の際に、機外の風景を撮影したとして、同機を委託運航していたエアーニッポンネットワークのアメリカ人機長が国土交通省航空局より航空業務停止20日間の処分を受けた。
 
* 2010年[[5月9日]]、午後7時10分頃、同空港に着陸しようとした[[新千歳空港|新千歳]]発大阪行[[日本航空]]2016便(ボーイング777-300型機、ドラえもんジェット)が着地した時に機体のバランスが不安定だったため再上昇しようとした際、機体後部のテールスキッドが滑走路に接触。約50分後に無事着陸した。この影響で約30分間B滑走路を閉鎖して点検を行った為、直後に着陸態勢に入っていた2機(羽田発の日本航空133便と秋田発の日本航空2178便)が関西空港に到着地を変更し、大阪発福岡行の日本航空2061便が欠航した。他にも同時間に離着陸する便に遅れが発生し、羽田行の日本航空138便(定刻20:15発)は使用機材到着遅れの為、運用時間制限を超えて21:02に出発、21:10頃に滑走路14Rより離陸した。
 
* 2010年[[5月26日]]、午前9時40分頃、大阪発[[宮崎空港|宮崎]]行[[日本エアコミューター]]2433便([[デ・ハビランド・カナダ DHC-8|ボンバルディアDHC8-402]])が、機体の姿勢制御装置と自動操縦システムの不具合があるとの警告表示が出たため引き返した。同機は部品を取り換えた上で同11時55分頃に再離陸<ref>[http://www.asahi.com/national/update/0526/OSK201005260033.html ボンバル機、不具合警告表示で引き返す 大阪・伊丹空港] 朝日新聞 2010年5月26日</ref>。
 
* 2010年[[6月18日]]、午後6時20分頃、大阪発[[高知空港|高知]]行[[全日本空輸|全日空]]1615便([[デ・ハビランド・カナダ DHC-8|ボンバルディアDHC-8-402]]型機)が、大阪国際空港を離陸直後に、気象レーダーのモニターの不具合が生じ引き返した<ref>[http://www.asahi.com/national/update/0618/OSK201006180086.html 高知行きボンバル機、伊丹へ引き返す レーダーに不具合] 朝日新聞 2010年6月18日</ref>。
 
* 2010年[[11月30日]]、同空港B滑走路の[[アスファルト]]に、大量の[[鉄線]]が混入していたことが判明し、国土交通省[[近畿地方整備局]]は、[[舗装]]工事を請け負った『[[世紀東急工業]]』を同日から1か月間の指名停止処分に<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20101130-OYT1T01030.htm 滑走路アスファルトに大量の鉄線混入…伊丹空港] 読売新聞 2010年11月30日</ref>。
 
 
 
; 関西国際空港との経営統合後
 
* [[2012年]][[8月15日]]、午後5時5分頃に、同空港の手荷物検査場から北ターミナル2階に向かう通路で[[カッターナイフ]]が見付かったとの通報があり、同空港は5時45分に手荷物検査場を一時閉鎖。[[刃物]]は発見されなかったが、この影響により、[[日本航空]]と[[日本エアコミューター]]の出発13便、到着5便の合わせて18便が欠航となり、1,000人以上の利用者に影響が出た<ref>[http://mainichi.jp/select/news/20120816k0000m040076000c.html 大阪空港:「通路にカッター」通報で手荷物検査場一時閉鎖] 毎日新聞 2012年8月15日</ref>。
 
* 2012年[[11月17日]]、午前6時20分頃、同空港に捜査のため、[[大阪府警察|大阪府警]]の私服捜査員が訪れ、北ターミナルの日本航空管理の保安検査場に入ったが、この時、捜査員は[[警察手帳]]を示していたにもかかわらず、検査員は捜査員を不審者と勘違いし、この結果日航機計23便に遅れが生じ、約1,500人の利用者に影響が出た<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20121117-OYT1T00241.htm 警察官を不審者と勘違い、JAL便発着見合わせ] 読売新聞 2012年11月17日{{リンク切れ|date=2017年9月}}</ref>。
 
* [[2016年]][[2月8日]]、午前9時5分頃に、大阪発[[千歳空港|千歳]]行全日空771便([[ボーイング777]])が、離陸直後に客室内に煙が充満したため大阪空港に引き返した。客室内を調べたところ、[[断熱材]]の欠片が散らばっており、機体配管の断熱材の一部が千切れて噴霧状態で客室内へ漏れ出たと見られている<ref>[http://www.sankei.com/west/news/160208/wst1602080043-n1.html 全日空機内に煙?…断熱材飛び散る 新千歳行き伊丹引き返し] 産経新聞 2016年2月8日</ref>。
 
* [[2017年]][[10月5日]]17時35分頃、同空港発[[東京国際空港|羽田]]行[[日本航空]]128便が、離陸に向けて誘導路を移動中に、上空35m付近で[[無人航空機|ドローン]]と見られる飛翔体を発見し、[[航空無線]]で管制官に通報。これにより、同機の離陸は13分遅れとなり、同空港に着陸予定の他機も、着陸をやり直すなどした。国土交通省は、[[航空法]]違反の疑いがあるとして[[大阪府警察]]・[[兵庫県警察]]に情報提供を行った<ref>[https://mainichi.jp/article0s/20171012/k00/00m/040/073000c 伊丹空港 ドローン?飛行でJAL便が着陸やり直し] 毎日新聞 2017年10月12日</ref>。
 
  
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その代替空港として[[関西国際空港]]が建設され,1994年の開港と同時に国内線の一部と国際線が移された。発着枠は 370枠を上限として,ジェット機 200枠,プロペラ機 170枠。
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== 脚注 ==
 
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=== 注釈 ===
 
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=== 出典 ===
 
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== 関連項目 ==
 
* [[副首都構想]]
 
 
 
=== 周辺地域 ===
 
* [[大阪国際空港周辺都市対策協議会]](10市協)
 
** ([[大阪府]])
 
*** '''[[豊中市]]'''
 
*** '''[[池田市]]'''
 
*** [[箕面市]]
 
*** [[大阪市]](※市協は脱退)
 
*** [[吹田市]]
 
** ([[兵庫県]])
 
*** '''[[伊丹市]]'''
 
*** [[西宮市]]
 
*** [[宝塚市]]
 
*** [[川西市]]
 
*** [[尼崎市]]
 
*** [[芦屋市]]
 
 
 
=== 歴史関連 ===
 
* [[木津川飛行場]]
 
* [[関西三空港の経緯と現状]]
 
* [[大阪空港訴訟]]
 
 
 
=== 空港を題材とした作品 ===
 
* [[山村美紗]]著 「[[大阪国際空港殺人事件]]」 ISBN 978-4061847057
 
* [[サヨナラ (映画)]]
 
* [[国際線待合室|国際線待合室(インターナショナル・ロビー)]]([[歌謡曲]])
 
: *[[作詞]]:[[千坊さかえ]]/[[作曲]]:[[花礼二]]/[[編曲]]:[[近藤進]]/[[唄]]:[[青江三奈]]([[1969年]][[12月25日]]発売)
 
: *[[1970年]][[大晦日]]の[[第21回NHK紅白歌合戦]]で歌唱された。
 
* [[ぼくは航空管制官シリーズ]] ([[ゲーム]]/[[テクノブレイン]])
 
: *[[ぼくは航空管制官]]
 
: *[[ぼくは航空管制官2]] 大阪インターシティエアポート
 
: *[[ぼくは航空管制官3]] 大阪パラレルコンタクト
 
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
{{commons|Category:Osaka International Airport}}
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* [http://www.osaka-airport.co.jp/ 大阪国際空港(伊丹空港)] {{ja icon}}  
* [http://www.osaka-airport.co.jp/ 大阪国際空港(伊丹空港)] {{ja icon}} - 関西エアポートによる空港公式サイト
 
* [http://www.nkiac.co.jp/ 新関西国際空港株式会社(NKIAC)] {{ja icon}} - 空港の管理会社<!--企業情報サイト-->
 
* [http://www.pa.kkr.mlit.go.jp/osakaport/ 大阪港湾・空港整備事務所] {{ja icon}} - 国土交通省近畿地方整備局
 
* [http://www.teikokyo.gr.jp/ 定期航空協会] {{ja icon}}
 
* [http://www.kksk.jp/index.php 大阪国際空港及びその周辺地域活性化促進協議会] {{ja icon}}
 
 
 
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2018/8/9/ (木) 00:13時点における版

大阪国際空港の位置(大阪府より)
大阪国際空港の位置(大阪府より)
ITM/RJOO
大阪国際空港の位置(大阪府より)


大阪国際空港(おおさかこくさいくうこう、:Osaka International Airport)

兵庫県伊丹市と大阪府池田市,豊中市にまたがる空港。2008年の空港法で定められた拠点空港の国管理空港で,旧第1種空港にあたる。総面積 3.11km2

用地の 73%を伊丹市が占めることから伊丹空港としても知られる。それまで木津川尻にあった大阪空港に代わるものとして,1939年大阪第2飛行場として開設。第2次世界大戦中は軍に供用され,戦後はアメリカ軍に接収されたが,1958年に返還された。

翌1959年に第1種空港に指定され,大阪国際空港と改称。1970年には従来の A滑走路(1828m)に加え B滑走路(3000m)も完成した。ところが,空港の面積が狭いうえ,周辺には人家が密集していることから騒音問題が深刻化,1969年と 1971年には周辺住民から国を相手に夜間の飛行禁止と損害賠償を求める訴えがなされ(伊丹空港騒音事件),1976年7月からは国際線,国内線ともに夜間の発着をとりやめることとなった。

その代替空港として関西国際空港が建設され,1994年の開港と同時に国内線の一部と国際線が移された。発着枠は 370枠を上限として,ジェット機 200枠,プロペラ機 170枠。

脚注

注釈

出典

外部リンク