「多摩川」の版間の差分

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{{Otheruseslist|'''河川'''|地名|多摩川 (大田区)}}
 
{{Otheruseslist|'''河川'''|地名|多摩川 (大田区)}}
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[[ファイル:多摩川.jpg|サムネイル|左]]
 
{{Infobox 河川
 
{{Infobox 河川
 
|名称= 多摩川
 
|名称= 多摩川
|画像= [[ファイル:Odakyu_Tama_River_Bridge.jpg|300px|多摩川 [[2002年]][[3月]]撮影]]
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|画像=  
|画像説明= 多摩川(小田急鉄橋付近)
 
 
|水系等級= [[一級水系]]
 
|水系等級= [[一級水系]]
 
|水系= 多摩川
 
|水系= 多摩川
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|出典=  
 
|出典=  
 
}}
 
}}
[[ファイル:多摩川の衛星写真001.jpg|thumb|right|293px|多摩川の{{ランドサット}}。赤が流路。左の空白部分は[[奥多摩湖]]。橙色は主な支流。左から[[秋川 (東京都)|秋川]](上が北秋川、下が南秋川)、[[浅川 (東京都)|浅川]](同じく北浅川、南浅川)、[[野川 (東京都)|野川]]。]]
 
  
'''多摩川'''(たまがわ)は、[[山梨県]]・[[東京都]]・[[神奈川県]]を流れる多摩川水系の[[主流|本流]]で[[東京湾]]に注ぐ[[一級水系|一級河川]]。下流は[[東京都]]と[[神奈川県]]の都[[県境]]となっている。全長138[[キロメートル|km]]、流域面積1,240[[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]]。[[堤防]]はあるものの、[[首都圏 (日本)|首都圏]]の一級河川でありながら護岸化されていない部分が多く、川辺の野草や野鳥が数多く見られる自然豊かな河川である。
+
'''多摩川'''(たまがわ)
 
 
== 名称の由来 ==
 
[[ファイル:Tama river in the Musashi province.jpg|thumb|right|葛飾北斎『[[富嶽三十六景]]』より「武州玉川」]]
 
名称の由来は諸説あり、よくわかっていない。『[[万葉集]]』所載の東歌に「多麻河」が登場する。[[835年]]に朝廷が発した[[太政官符|官符]]では、[[丸子橋|丸子の渡し]]近傍をもって「[[武蔵国]]石瀬河」と呼称され、[[平安時代]]の『[[更級日記]]』にも同名で現われている。上流の「丹波川(たばがわ)」との近似はよく言われることである。[[江戸時代]]には同音の字を使って'''玉川'''(たまがわ)の名が使われることが多かった。そのため、現代([[2018年]]時点)でも玉川の名は、[[玉川上水]]や[[二子玉川駅]]といった施設名や地名などに多く残る。
 
 
 
== 地理 ==
 
<!-- 製作中
 
{| {{Railway line header}}
 
{{UKrail-header2|多摩川|#007cc3}}
 
{{BS-table|canal}}
 
|}
 
|}
 
-->
 
[[ファイル:Tama River, Tabayama, Yamanashi, Japan.jpg|thumb|right|220px|「丹波川」とも呼ばれる上流域。丹波山村]]
 
[[ファイル:Ogouchi_damu.JPG|thumb|right|220px|小河内ダム]]
 
[[ファイル:Tamagawa-sakaihasi.JPG|thumb|right|220px|境橋から望む多摩川]]
 
[[ファイル:Hatonosu Ravine.jpg|thumb|220px|[[鳩ノ巣渓谷]]]]
 
[[ファイル:Ome Tama River 1.JPG|thumb|220px|神代橋から望む多摩川]]
 
[[ファイル:TamagawaJosui3810.jpg|thumb|220px|羽村取水堰直下の[[玉川上水]]最上流部([[桜]][[並木]]の向こう側に多摩川が並行して流れている)]]
 
[[ファイル:Tokyo International Airport Airfield.jpg|thumb|220px|河口には[[東京国際空港]]がある。特にD滑走路は多摩川の流路の延長上にあるため流れを妨げない特殊な構造となっている。]]
 
 
 
=== 源流と小河内ダム ===
 
[[山梨県]]・[[埼玉県]]の県境にある[[笠取山 (奥秩父)|笠取山]](かさとりやま)([[標高]]1953[[メートル|m]])山頂の南斜面下「水干」(みずひ)を源とする。上流部では[[柳沢峠]]から流れ込んでくる[[柳沢川]]と合流するまで'''一之瀬川'''(いちのせがわ)と、そこから下流は'''丹波川'''(たばがわ)と呼ばれ、[[奥多摩湖]]に注ぐ。
 
 
 
=== 上流 ===
 
'''多摩川'''と呼ばれているのは[[奥多摩湖]]の湖水の出口である[[奥多摩湖|小河内ダム]]より下流からである。その後、東京都[[青梅市|青梅]]までは山中を東へ流れる。この上流部は[[秩父多摩甲斐国立公園]]に含まれる。この区間に沿って[[東日本旅客鉄道|東日本旅客鉄道(JR東日本)]][[青梅線]]が走っている
 
 
 
[[青梅線]][[御嶽駅]]周辺は[[1985年]]([[昭和]]60年)'''御岳渓流'''として[[名水百選]]の一つに選定されていて<ref>[http://www2.env.go.jp/water/mizu-site/meisui/data/index.asp?info=24 御岳渓流] {{ja icon}} - [http://www2.env.go.jp/water/mizu-site/meisui/index.html 名水百選] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20110926201248/http://www2.env.go.jp/water/mizu-site/meisui/index.html |date=2011年9月26日 }} {{ja icon}}</ref>両岸には、約4kmの遊歩道が整備されている。
 
 
 
東京都[[奥多摩町]]白丸には[[白丸ダム]]がある。
 
 
 
=== 中流 ===
 
青梅からは概ね南東に[[多摩丘陵]]と[[武蔵野台地]]の間を、瀬と淵を繰り返しながら流れ下っていく。左岸の[[武蔵野台地]]の[[河岸段丘]]は、かつての多摩川が造ったものである。段丘崖は下から[[武蔵野台地#立川崖線|立川崖線(府中崖線)]]、[[武蔵野台地#国分寺崖線|国分寺崖線]]と呼ばれ、立川崖線の下を多摩川低地、両崖線の間を立川面、最上段を武蔵野面と呼ぶ。東京都[[羽村市]]から[[玉川上水]]へと取水される[[羽村取水堰]]付近や[[国立市]]青柳付近での多摩川は武蔵野台地の低位面に直接ぶつかって流れている。また、[[多摩市]]の大栗川合流点から[[武蔵野貨物線]]鉄橋・[[南武線]]多摩川鉄橋の上流付近までは[[多摩丘陵]]に直接ぶつかっている。
 
 
 
東京都[[調布市]]、神奈川県[[川崎市]][[多摩区]]からは東京都と神奈川県の都県境を流れ、両岸とも低地になる。川崎市多摩区から東京都[[日野市]]にかけては、多摩川が運んだ礫層が地表に近いため水はけが良く、栽培に適した[[ナシ|梨]]が[[特産品]]になっている。特に川崎市[[多摩区]]と東京都[[稲城市]]が生産の中心となっていて'''[[多摩川梨]]'''として知られているが、市場にはあまり出回らず、多くは直売されている。
 
 
 
=== 下流 ===
 
東京都[[大田区]]と川崎市[[川崎区]]との境で[[東京湾]]に注ぐ。河口の左岸に[[東京国際空港]](羽田空港)がある。
 
下流部は'''六郷川'''(ろくごうがわ)とも呼ばれる。
 
右岸の河口(水準拠標)は川崎区殿町の水位観測所<ref>[http://www1.river.go.jp/cgi-bin/SiteInfo.exe?ID=303051283310010 多摩川河口観測所] {{ja icon}} - [[国土交通省]] 水文水質データベース</ref>にあり、「海から20K」といった標識の原点となっている。地形としてはさらに 3kmほど下った[[浮島町公園]]付近で[[京浜港]]に注いでいる。
 
 
 
=== 分水界 ===
 
多摩川水系の北側の[[分水界]]は[[秩父山地|秩父]]から[[奥多摩]]の山中では[[埼玉県]]との県境を、武蔵野台地では武蔵野面の南縁に近いところを走っていて、[[玉川上水]]はほぼそれに沿う形で開削されている。源流から、下流の内上流寄り([[三鷹市]]付近)までは[[荒川 (関東)|荒川]]と分水界を接し、下流の内河口寄り([[世田谷区]]付近より下流)では[[目黒川]]や[[呑川]]と分水界を接する。すなわち武蔵野台地の高位面である武蔵野面に降った雨は地表を流れる分については多摩川にはほとんど注ぐことがない。多摩川の名残川であろうと推定されている流路を伝って[[荒川 (関東)|荒川水系]]に注いでいる。
 
 
 
一方、南側の分水界は[[関東山地]]から[[多摩丘陵]]の中を通っている。中流以降の多摩川の支流は、圧倒的に右岸に集中している。多摩川水系最大の流域面積を持つ秋川も、最も幹線流路延長の大きい浅川も右岸にある。これは関東平野が周辺部が隆起し中央部が沈み込んでいることの影響である。南側の分水界は上流部では[[富士川]]や[[相模川]]と中流以降では[[境川 (東京都・神奈川県)|境川]]や[[鶴見川]]の分水界と接している。
 
 
 
=== 崖線と湧水 ===
 
{{see also|武蔵野台地}}
 
崖線(多摩川中流域では「'''ハケ'''」あるいは「'''ママ'''」と呼んでいる)下では至るところから湧水が湧き出している。それらの湧水を集めているのが中流以降の左岸では最も大きい支流である[[野川 (東京都)|野川]]である。JR[[中央本線|中央線]][[国分寺駅]]付近にあるいくつかの泉を源流としてほぼ[[国分寺崖線]]に沿って湧水を集めながら流れて行き、[[玉川 (世田谷区)|世田谷区玉川]]1丁目先で本流に合流している。[[立川崖線]]下でも同様に湧水を集めた流れがあるが、ここでの主役は[[府中用水]]をはじめとするいくつかの用水路である。
 
 
 
=== 流域自治体 ===
 
; [[山梨県]]
 
: [[甲州市]]、[[丹波山村]]、[[小菅村]]
 
; [[東京都]]
 
: [[奥多摩町]]○、[[青梅市]]○、[[瑞穂町]]、[[檜原村]]、[[日の出町]]、[[あきる野市]]○、[[羽村市]]○、[[福生市]]○、[[昭島市]]○、[[武蔵村山市]]、[[小平市]]、[[立川市]]○、[[国立市]]○、[[国分寺市]]、[[小金井市]]、[[八王子市]]○、[[日野市]]○、[[多摩市]]○、[[稲城市]]○、[[府中市 (東京都)|府中市]]○、[[武蔵野市]]、[[三鷹市]]、[[調布市]]○、[[狛江市]]○、[[世田谷区]]○、[[大田区]]○
 
; [[神奈川県]]
 
: [[川崎市]]○
 
※ ここでの流域の定義は広く、多摩川に湧水、或いは雨水が流れ込む地域という意味であり、ここに挙げた自治体の存する区域に多摩川本流が流れているとは限らない。(多摩川本流が流れている自治体には○印を添付)
 
<gallery>
 
ファイル:Shiromaru Dam left view.jpg|白丸ダム
 
ファイル:羽村取水堰RIMG0136.JPG|[[羽村取水堰]]
 
ファイル:多摩川多摩橋付近.jpg|多摩橋から見た多摩川
 
ファイル:関戸橋から見た多摩川.jpg|関戸橋から見た多摩川
 
ファイル:kawasakin-end.jpg|多摩川原橋から見た多摩川
 
ファイル:二ヶ領上河原堰堤001.jpg|二ヶ領上河原堰堤
 
ファイル:宿河原堰堤001.jpg|宿河原堰堤
 
ファイル:Mouthoftamariver.JPG|河口付近
 
ファイル:tokyo23s-end.jpg|浮島町公園から見た多摩川河口
 
</gallery>
 
 
 
=== 支流・分流・用水路・湖沼 ===
 
※ 無印は合流する支流を、○印は湖沼を、→印は分流または[[用水路]]を表す。
 
{{col|
 
(水干)
 
* ウタノ沢
 
* シラベ沢
 
* 黒エンジュ沢
 
* ムササビ沢
 
* 与平沢
 
* ヤブ沢
 
* 中島川
 
* 中川
 
* [[柳沢川]]
 
(ここまで一之瀬川)
 
* 小室川
 
* マリコ川
 
* 後山川
 
* 小袖川
 
(ここまで丹波川)
 
* ○[[奥多摩湖]]
 
* [[小菅川]]
 
* 峰谷川
 
* サイグチ沢
 
* 落沢
 
(ここまで奥多摩湖)
 
|
 
* 水根沢
 
* 栃寄沢
 
* 小中沢
 
* 大沢
 
* [[日原川]]
 
* 海沢川
 
* ○[[白丸ダム|白丸湖]]
 
* 西川
 
* 寸庭川
 
* 入川谷
 
* [[大丹波川]]
 
* 大沢川
 
* 平溝川
 
* 石神川
 
* 吉野川
 
* 町屋川
 
* 馬引川
 
* 清見川
 
* 鳶巣川
 
* 大荷田川
 
|
 
<!-- (羽村堰) -->
 
* → [[玉川上水]]
 
** → [[野火止用水]]
 
** → [[千川上水]]
 
* [[平井川]]
 
** 北大久野川
 
** 玉の内川
 
* [[秋川 (東京都)|秋川]]
 
** 三内川
 
** 刈寄川
 
** 盆堀川
 
** 養沢川
 
** 北秋川
 
** 神戸川
 
** 南秋川
 
** 小坂志川
 
* [[谷地川]]
 
** 谷萩川
 
** 大谷川
 
* [[残堀川]]
 
** 狭山谷川
 
** 夕日台川
 
** 峰田川
 
** 滝田川
 
** 横丁川
 
** 昭和用水
 
** 昭和用水支流
 
** 立川堀分水支流
 
|
 
* [[根川 (日野市)|根川]]
 
* [[浅川 (東京都)|浅川]](北浅川)
 
** 城山川
 
** [[南浅川]]
 
** 川口川
 
** [[湯殿川]]
 
* [[程久保川]]
 
* [[府中用水]]
 
* [[大栗川]]
 
** [[乞田川]]
 
** [[大田川 (東京都)|大田川]]
 
<!-- (一の山下) -->
 
* → [[大丸用水]]
 
* [[谷戸川]]
 
<!-- (上河原堰) -->
 
* → [[二ヶ領用水]]
 
* [[三沢川 (多摩川水系)|三沢川]]
 
* → (旧)[[六郷用水]]
 
** → (旧)猪方用水
 
<!-- (宿河原堰) -->
 
* → 二ヶ領用水(宿河原用水)
 
* [[平瀬川]]
 
** 山下川
 
** [[五反田川 (神奈川県)|五反田川]]
 
** [[二ヶ領本川]](新川)
 
* [[野川 (東京都)|野川]]
 
** 逆川
 
** [[入間川 (多摩川水系)|入間川]]
 
** 清水川
 
** [[仙川]]
 
** 谷川
 
* [[谷沢川]]
 
* [[六郷用水|丸子川]]
 
* → [[海老取川]]
 
([[東京湾]])
 
}}
 
{{clear|left}}
 
<gallery>
 
ファイル:野川多摩川合流地点001.jpg|野川の合流点(1)。中央奥。野川と多摩川は合分流を繰り返す。
 
ファイル:野川多摩川合流地点002.jpg|野川の合流点(2)。新玉川大橋が見える。
 
ファイル:調布市根川001.jpg|調布市を流れる根川の合流
 
</gallery>{{-}}
 
 
 
=== 橋梁 ===
 
{{座標一覧|article=Category:多摩川の橋}}
 
小河内ダムより下流
 
* [[道所橋]]
 
* したくら橋
 
* 境橋([[国道411号]] [[青梅街道]])
 
* 檜村橋(国道411号 青梅街道)
 
* 琴浦橋(国道411号 青梅街道)
 
* 笹平橋(国道411号 青梅街道)
 
* 愛宕大橋([[東京都道184号奥多摩あきる野線]])
 
* 弁天橋(国道411号 青梅街道)
 
* 南氷川橋(国道411号 青梅街道)
 
* 昭和橋(東京都道184号奥多摩あきる野線)
 
* もえぎ橋
 
* 海沢橋
 
* 海沢大橋(東京都道184号奥多摩あきる野線)
 
* 数馬峡橋
 
* 鳩ノ巣小橋
 
* 雲仙橋
 
* 鳩ノ巣大橋
 
* 寸庭橋
 
* 万世橋([[東京都道45号奥多摩青梅線]])
 
* 奥多摩大橋(東京都道45号奥多摩青梅線)
 
* 梅沢橋
 
* 神路橋
 
* 杣の小橋
 
* 御岳橋([[東京都道201号十里木御嶽停車場線]])
 
* 御岳小橋
 
* 鵜の瀬橋
 
* 楓橋
 
* 軍畑大橋([[埼玉県道・東京都道193号下畑軍畑線]])
 
* 奥多摩橋([[東京都道200号柚木二俣尾線]])
 
* 好文橋
 
* 神代橋([[東京都道199号梅郷日向和田線]])
 
* 和田橋([[東京都道238号大久野青梅線]])
 
* 万年橋(国道411号)('''これより上流は[[東京都]]、下流は[[国土交通省]]が管理''')
 
* 柳淵橋
 
* 鮎美橋
 
* 調布橋([[東京都道31号青梅あきる野線]] 秋川街道)
 
* 下奥多摩橋([[東京都道45号奥多摩青梅線]] 下奥多摩橋通)
 
* 圏央道多摩川橋([[首都圏中央連絡自動車道]])
 
* 友田水管橋
 
* 多摩川橋([[東京都道249号福生青梅線]] [[吉野街道]])
 
* 管理橋
 
* 羽村堰下橋
 
* 羽村大橋([[東京都道250号あきる野羽村線]])
 
* 永田橋([[東京都道165号伊奈福生線]]・[[東京都道29号立川青梅線]])
 
* 多摩橋([[東京都道7号杉並あきる野線]] [[五日市街道]])
 
* JR[[多摩川橋梁 (五日市線)|五日市線多摩川橋梁]](JR[[五日市線]])
 
* 睦橋([[東京都道7号杉並あきる野線]] 睦橋通り)
 
* 拝島水道橋(多摩川横断水道橋)
 
* [[拝島橋]]([[国道16号]] 東京環状)
 
* JR[[多摩川橋梁 (八高線)|八高線多摩川橋梁]](JR[[八高線]])
 
* [[多摩大橋]]([[東京都道59号八王子武蔵村山線]])
 
* JR[[多摩川橋梁 (中央本線)|中央本線多摩川橋梁]](JR[[中央本線]])
 
* [[立日橋]]([[東京都道149号立川日野線]]/[[多摩都市モノレール]])
 
* [[日野橋]]([[東京都道256号八王子国立線]] ([[甲州街道]])・[[神奈川県道・東京都道503号相模原立川線]])
 
* [[多摩川橋 (中央自動車道)|中央道多摩川橋]]([[中央自動車道]])
 
* [[石田大橋]]([[国道20号]][[日野バイパス]])
 
* [[府中四谷橋]]([[東京都道20号・神奈川県道525号府中相模原線]]バイパス)
 
* [[多摩川橋梁 (京王線)|京王多摩川橋梁]]([[京王線]])
 
* [[関戸橋|新関戸橋・関戸橋]]([[東京都道18号府中町田線]] [[鎌倉街道]]/[[東京都道20号・神奈川県道525号府中相模原線]])
 
* JR[[多摩川橋梁 (武蔵野線)|武蔵野線多摩川橋梁]](JR[[武蔵野貨物線]])
 
* JR[[多摩川橋梁 (南武線)|南武線多摩川橋梁]](JR[[南武線]])
 
* [[是政橋]]([[神奈川県道・東京都道9号川崎府中線]] [[府中街道]])
 
* [[稲城大橋]](神奈川県道・東京都道9号川崎府中線)
 
* [[多摩川原橋]]([[東京都道・神奈川県道19号町田調布線]] 鶴川街道)
 
* [[多摩川橋梁 (京王相模原線)|京王相模原線多摩川橋梁]]([[京王相模原線]])
 
* [[多摩水道橋]]([[東京都道・神奈川県道3号世田谷町田線]] 世田谷通/津久井道)
 
* [[多摩川橋梁 (小田急小田原線)|小田急小田原線多摩川橋梁]]([[小田急小田原線]])
 
* [[東名高速道路多摩川橋]]([[東名高速道路]])
 
* [[二子橋#新二子橋|新二子橋]]([[国道246号]] 厚木街道/[[大山街道]])
 
* [[二子橋]](玉川通り/旧大山街道)
 
* [[二子橋梁|東急田園都市線二子橋梁]]([[東急田園都市線]])
 
* [[新多摩川大橋]]([[第三京浜道路]])
 
* [[多摩川橋梁 (東急東横線)|東急東横線多摩川橋梁]]([[東急東横線]]・[[東急目黒線]])
 
* [[丸子橋]]([[東京都道・神奈川県道2号東京丸子横浜線]] [[中原街道]])
 
* JR[[多摩川橋梁 (品鶴線)#東海道新幹線多摩川橋梁|東海道新幹線多摩川橋梁]]([[東海旅客鉄道|JR]][[東海道新幹線]])
 
* JR[[多摩川橋梁 (品鶴線)|品鶴線多摩川橋梁]](JR[[東海道貨物線]]・[[横須賀線]]・[[湘南新宿ライン]])
 
* [[ガス橋]]([[東京都道・神奈川県道111号大田神奈川線]] ガス橋通り)
 
* [[多摩川大橋]]([[国道1号]] [[第二京浜]])
 
* [[多摩川大橋|多摩川専用橋]]:[[東京電力]]・[[東日本電信電話|NTT東日本]]共用の専用橋
 
* JR[[六郷川橋梁 (京浜東北線)|京浜東北線六郷川橋梁]](JR[[京浜東北線]])
 
* JR[[六郷川橋梁 (東海道本線)|東海道本線六郷川橋梁]](JR[[東海道本線]])
 
* [[六郷川橋梁 (京急本線)|京急本線六郷川橋梁]]([[京浜急行電鉄]][[京急本線]])
 
* [[六郷橋]]([[国道15号]] 第一京浜)
 
* [[大師橋]]([[東京都道・神奈川県道6号東京大師横浜線]] 産業道路)
 
* 高速大師橋([[首都高速神奈川1号横羽線|首都高速K1号横羽線]])
 
※高速大師橋から河口までは橋がなく川底[[トンネル]]となる。
 
:* JR東海道貨物線([[東京貨物ターミナル]]-[[川崎貨物駅]]ルート)
 
:* [[多摩川トンネル]]([[首都高速湾岸線]])
 
 
 
* なお、新多摩川大橋と東急東横線多摩川橋梁の間において、新橋の建設計画が持ち上がっている。[[目黒通り]]と都市計画道路[[宮内新横浜線]]を橋によって延伸・連結する計画である<ref>[http://homepage1.nifty.com/s-hara/kawasaki/2005.3.30.html わが街 かわさき 多摩川の新しい橋について質問します][http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/seibihosin/seibi_kou.html 「区部における都市計画道路の整備方針」の公表について/東京都都市整備局][http://www.metro.tokyo.jp/INET/KEIKAKU/2004/03/70e3h106_h4.htm 東京都公式ホームページ 都施行路線一覧]</ref>。
 
 
 
<gallery>
 
ファイル:Sakai-hashi.jpg|境橋(両端はトンネル)
 
ファイル:Unasawa-Ohashi&Unasawa-hashi2.jpg|海沢(うなざわ)大橋(左)と海沢橋(右)
 
ファイル:Hatonosukohashi.jpg|鳩ノ巣小橋(人道橋-定員5名)
 
ファイル:Unzen-hashi.jpg|雲仙橋
 
ファイル:Okutama-Ohashi.jpg|奥多摩大橋
 
ファイル:Ikusabata-ohashi.jpg|軍畑(いくさばた)大橋
 
ファイル:Jindai-Bridge.jpg|神代橋
 
ファイル:Mannen-bashi.jpg|万年橋(管理境界板)
 
ファイル:Ayumi-bashi.jpg|鮎美橋(人道橋)
 
ファイル:Chofu Bridge, Tokyo prefectural road route 31.jpg|調布橋
 
ファイル:Ken-odo.Tamagawa-bashi.jpg|[[首都圏中央連絡自動車道|圏央道]]、多摩川橋(上下2層橋)
 
ファイル:Tamagawa Bridge, Yoshino Kaido, Tokyo prefectural road route 249.jpg|多摩川橋
 
ファイル:Hamura-ohashi.jpg|羽村大橋
 
ファイル:Nagata bridge.jpg|永田橋
 
ファイル:Tama Bridge, Itsukaichi Kaido, Tokyo prefectural road route 7.jpg|多摩橋
 
ファイル:Itsukaichi-Line.Tamagawa-Kyoryo.2.jpg|JR五日市線多摩川橋梁
 
ファイル:Fussa-Akiruno Mutsumi Bridge.JPG|睦橋
 
ファイル:Haijma-bashi.jpg|拝島橋
 
ファイル:Tama River bridge(Hachiko-line).jpg|JR八高線多摩川橋梁
 
ファイル:Tama-Ohashi.jpg|多摩大橋
 
ファイル:中央本線多摩川橋梁001.jpg|JR中央本線多摩川橋梁
 
ファイル:Tappi-bashi.jpg|立日橋(モノレール併設橋)
 
ファイル:中央道多摩川橋梁001.jpg|中央自動車道多摩川橋
 
ファイル:Fuchu Yotsuya Bridge 0002.jpg|府中四谷橋
 
ファイル:Tamagawa Railway bridges of Keio Line.jpg|京王線多摩川橋梁
 
ファイル:Sekido Bridge 0002.jpg|新関戸橋
 
ファイル:Sekido Bridge 0001.jpg|関戸橋
 
ファイル:Tamagawa Railway bridge of Nambu Line.jpg|JR南武線多摩川橋梁
 
ファイル:Koremasa-Bridge 20120721.jpg|是政橋
 
ファイル:Inagiohashi.jpg|稲城大橋
 
ファイル:Tamagawara.JPG|多摩川原橋
 
ファイル:京王相模原線多摩川鉄橋001.jpg|京王相模原線多摩川橋梁
 
ファイル:世田谷通り多摩水道橋001.jpg|多摩水道橋
 
ファイル:小田急小田原線多摩川鉄橋001.jpg|小田急小田原線多摩川橋梁
 
ファイル:東名高速道路多摩川橋001.jpg|東名高速道路多摩川橋
 
ファイル:新二子橋001.jpg|新二子橋
 
ファイル:二子橋001.jpg|二子橋と東急田園都市線二子橋梁
 
ファイル:第三京浜新玉川大橋001.jpg|新多摩川大橋
 
ファイル:TokyuToyokoLine-TamagawaBridge.jpg|東急東横線多摩川橋梁
 
ファイル:MarukoBridge.jpg|丸子橋
 
ファイル:多摩川横須賀線橋梁001.jpg|JR品鶴線・東海道新幹線多摩川橋梁
 
ファイル:PAP 0066.JPG|多摩川大橋(第二京浜)
 
ファイル:113sayonara.jpg|JR東海道本線六郷川橋梁
 
ファイル:CIMG0398.JPG|六郷橋(第一京浜)
 
ファイル:CIMG0385.JPG|大師橋(産業道路)
 
ファイル:CIMG0386.JPG|大師高速橋(首都高速K1横羽線)
 
ファイル:Syutokosoku lineB Tamagawa Tunnel Ukisima-guchi.JPG|多摩川トンネル(首都高速B湾岸線)
 
</gallery>
 
 
 
{{多摩川の橋}}
 
 
 
=== 河川敷の風景 ===
 
<gallery>
 
ファイル:Tamagawa river bed.jpg|河川敷より望む[[富士山]] ([[下丸子]])
 
ファイル:Tamagawa1.JPG|多摩川河川上空に浮かぶ[[満月]]
 
ファイル:Hut of bohemian.jpg|河原のホームレスのテント
 
</gallery>
 
 
 
=== 渡船 ===
 
江戸時代には39箇所の[[渡し船|渡し]]があった<ref name="keihin">{{Cite web |url=http://www.ktr.mlit.go.jp/keihin/keihin00592.html |title=多摩川の渡し |publisher=[[国土交通省]][[関東地方整備局]][[京浜河川事務所]] |accessdate=2017-11-08}}</ref>。現在では全て廃止されている。<ref>水辺を歩こう多摩川 p.172「多摩川の渡し跡」。</ref>
 
: (上流)
 
* 沢井の渡し - 廃止年不詳<ref name="keihin" />
 
* 軍畑の渡し - 廃止年不詳<ref name="keihin" />
 
* 竹の下の渡し - [[昭和14年]]([[1939年]])廃止<ref name="keihin" />
 
* 大柳の渡し - [[明治30年]]([[1897年]])木製の万年橋架橋に伴い廃止 <ref name="keihin" />
 
* 千ヶ瀬の渡し - [[大正10年]]([[1921年]])調布橋架橋に伴い廃止<ref name="keihin" />
 
* 河辺の渡し - [[昭和8年]]([[1933年]])下奥多摩橋架橋に伴い廃止<ref name="keihin" />
 
* 友田の渡し - [[大正9年]]([[1920年]])多摩川橋架橋に伴い廃止<ref name="keihin" />
 
* 福生の渡し - [[昭和36年]]([[1961年]])永田橋架橋(仮橋は昭和25年頃に架橋された)に伴い廃止<ref name="keihin" />
 
* 牛浜の渡し(石浜の渡し) - [[1925年]] 500メートル上流に多摩橋が架橋、さらに[[五日市鉄道]]が敷かれて廃止<ref name="keihin" />
 
* 熊川の渡し(小川の渡し) - [[明治]]年間に伊那道である[[五日市街道]]の移転に伴い廃止<ref name="keihin" />(後に[[睦橋]]架橋)
 
* 滝の渡し - 廃止年不詳、都市化によるとされる<ref name="keihin" />
 
* 拝島の渡し - [[八王子]]との日光往還道だったが[[昭和24年]]([[1949年]])拝島橋架橋に伴い廃止<ref name="keihin" />
 
* 大神の渡し(平の渡し) - [[703年]]廃止、 都市化によるとされる<ref name="keihin" />
 
* 福島の渡し(築地の渡し) - [[昭和15年]]([[1940年]])廃止。都市化によるとされる<ref name="keihin" />
 
* 柴崎の渡し - 古鎌倉道であったが、鎌倉幕府滅亡により廃止<ref name="keihin" />、後世に[[立日橋]]が架橋
 
* 日野の渡し - 甲州街道(万願寺の渡し参照)
 
* 万願寺の渡し - [[大正15年]]([[1925年]])甲州街道の古道であったが[[日野橋]]架橋により日野の渡しとともに廃止<ref name="keihin" />
 
*  石田の渡し - 甲州街道の古道であったが江戸初期の[[慶安]]年間、街道移転により廃止<ref name="keihin" />
 
* 一の宮の渡し - [[昭和10年]]([[1935年]])以降に廃止、都市化によるとされる<ref name="keihin" />
 
* 関戸の渡し - [[昭和12年]]([[1937年]])[[鎌倉街道]]の[[関戸橋]]架橋に伴い廃止<ref name="keihin" />
 
* 是政の渡し - [[昭和16年]]([[1941年]])[[川崎街道]]の[[是政橋]]架橋に伴い廃止<ref name="keihin" />
 
* 常久河原の渡し - 廃止年不詳、作業渡しとして利用されていたが周辺架橋により廃止<ref name="keihin" />
 
* 押立の渡し - [[昭和17年]]([[1942年]])稲毛道(旧綱島街道)だったが周辺架橋により廃止<ref name="keihin" />
 
* 上菅の渡し(矢野口の渡し) - [[昭和10年]]([[1935年]])[[多摩川原橋]]架橋に伴い下菅の渡しと同時に廃止<ref name="keihin" />
 
* 菅の渡し - [[昭和48年]]([[1973年]])[[京王相模原線]]開通に伴い廃止<ref name="keihin" />
 
* 下菅の渡し - 上菅の渡しと同時に廃止<ref name="keihin" />
 
* 中ノ島の渡し - 昭和10年ごろ廃止
 
* 登戸の渡し - 昭和28年ごろ廃止([[多摩水道橋]]架橋)
 
* [[宇奈根]]の渡し - [[明治]] - [[22世紀]]期に廃止
 
* 二子の渡し - [[大正14年]]([[1925年]])[[大山街道]]の[[二子橋]]架橋に伴い廃止<ref name="keihin" />
 
* 諏訪の渡し - 廃止年不詳
 
* 北見方の渡し - 廃止年不詳
 
* 下野毛の渡し - 昭和30年ごろ廃止
 
* (東急ゴルフ場渡船 - 下記参照)
 
* 宮内の渡し - 丸子の渡し参照
 
* 丸子の渡し - [[昭和10年]]([[1935年]])[[丸子橋]]架橋に伴い丸子の宮内の渡しと同時に廃止<ref name="keihin" />
 
* 中丸子の渡し - 大正15年ごろ廃止
 
* 平間の渡し - [[昭和6年]]([[1931年]])[[ガス橋]]架橋に伴い廃止<ref name="keihin" />
 
* 矢口の渡し - [[昭和24年]]([[1949年]])鎌倉街道の[[多摩川大橋]]架橋に伴い廃止<ref name="keihin" />
 
* 小向の渡し - 大正10年ごろ廃止
 
* 六郷の渡し - [[明治6年]]([[1873年]])[[東海道]]の左内橋(後の[[六郷橋]])架橋に伴い廃止<ref name="keihin" />
 
* 大師の渡し - [[昭和14年]]([[1881年]])[[大師橋]]架橋に伴い廃止<ref name="keihin" />
 
* 羽田の渡し(六左衛門の渡し、六稲荷の渡し) - 大師の渡しと同時に廃止<ref name="keihin" />
 
: (下流)
 
公共交通ではない渡船としては現在、東急ゴルフ場([[高津区]]下野毛)内でゴルフ場利用者向けの渡船が運航されている(クラブハウスが東京都側にあるため)。また地域おこしのために渡船を復活させようという取り組みが一部地域で検討されている。
 
 
 
== 利用 ==
 
* かつては[[砂利]]を売って収入とする砂利採取が行われていた。
 
* 飲用水として多摩川から取水が行われている。
 
* [[レジャー]]施設として、河原に多摩川の水を利用した公園が設置されている。
 
* 河原を無断占有して[[畑]]を作ったり、住居を設置したりする人もいる。
 
* レジャーの釣りなどの遊漁料は、多摩川[[漁業協同組合]]の収入源となっている。
 
 
 
== 歴史 ==
 
[[ファイル:Willow on a river bank.jpg|thumb|340px|[[歌川広重]]『江戸近郊八景』より「玉川秋月」。現在の[[調布市]]近辺から[[川崎市]][[多摩区]]方面を望んだものであるという。]]
 
 
 
多摩川は中流以降、青梅を扇頂とする広大な[[扇状地]]を形成し、現在の[[武蔵野台地]]の基盤となった。また、その他にあった全ての丘陵([[狭山丘陵]]を除く)を削り去り平坦な地を作った。その後、武蔵野台地の隆起により、多摩川中流は台地の南縁へ押しやられ現在のように多摩丘陵の北縁を流れるようになった。
 
 
 
流域では[[旧石器時代 (日本)|旧石器時代]]以降の[[遺跡]]や[[古墳]]が見つかっており、沿川には早くから人が定住していた様子がうかがえる。
 
 
 
=== 歌枕としての多摩川 ===
 
[[古代]]には多摩川は「六玉川(むたまがわ)」の一つ、「調布の玉川」として知られ、多摩川にまつわる[[和歌]]が『[[万葉集]]』をはじめとする[[勅撰歌集]]に数多く収録された。
 
 
 
=== 伝承・宗教 ===
 
多摩川にまつわる民間伝承や宗教的な言説は少なくない。代表的なものとしては、[[日蓮宗]]系の宗教集団内において数多く描かれた[[日蓮]]の入滅図がある。日蓮は[[1282年]][[9月]]に瀬谷で多摩川を渡り、現在の[[池上本門寺]]の場所にあった信徒の邸宅に入って翌月にそこで[[遷化|没している]]。その後、[[釈迦]]入滅図に見立てた日蓮入滅図が数多く描かれ、それらに多摩川が描かれることとなった。
 
 
 
また多摩川流域には、多摩川から引き上げられたとされる本尊や神体を祀った神社や仏閣が10以上も存在する。最も上流にあるのは東京都[[福生市]]の[[関上明神社]]で、次いで東京都[[調布市]]の[[深大寺]]、川崎市多摩区登戸の[[善立寺]]や[[長念寺]]、東京都世田谷区[[上野毛]]の[[六所神社]]、同瀬田の[[行善寺 (世田谷区)|行善寺]]、大田区西六郷の安養寺、同東六郷の観乗寺などとなっている。こうした[[漂着神]]以外にも、東京都府中市にある[[大國魂神社]]の三の宮の御輿は、かつては是政で多摩川の水中に沈められる、いわゆる水中渡御が行われていた。
 
 
 
この他、矢口の渡しに伝わる[[新田義興]]の御霊伝説も広く知られている<ref>三輪修三『多摩川:境界の風景』[[有隣新書]]、[[1988年]]、8-20ページ</ref>。
 
 
 
[[1831年]]には宿河原村にあった松の枯れ木「綱下げ松」に霊験があるとの噂が立ち、[[江戸]]からの観光客が大挙して押し寄せ、騒ぎは翌年まで続いた。風紀紊乱を問題視した[[江戸幕府]]が徹底的にこれを取り締まり、[[1833年]]には「綱下げ松」も伐採されてこの騒ぎは収束した<ref>三輪、前掲書、102 - 106ページ</ref>。
 
 
 
=== 利水 ===
 
[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]に[[豊臣秀吉]]の下で[[関東地方|関東]]転封となった[[徳川家康]]は、多摩川下流の[[扇状地]]での水稲生産を拡大するため、[[1597年]]に用水[[奉行]]・[[小泉次大夫]]に命じて両岸の[[灌漑]][[用水路]]の建設に着手。[[1611年]]に[[二ヶ領用水]](右岸)と[[六郷用水]](左岸)が完成した。その他にも、[[1604年]]頃より取水を始めたと推定されている[[大丸用水]](右岸)や、[[1654年]]より取水を始めた[[玉川上水]](左岸)などの用水路が相次いで整備され、それまで水利が芳しくなかった多摩川下流の低地・台地に豊富な[[用水路|農業用水]]をもたらし、[[米]]の生産量が増大、[[江戸]]の生活を支えた。
 
 
 
=== 鮎漁 ===
 
多摩川は元々水質が良く、清流を好む[[アユ|鮎(あゆ、アユ)]]が多く棲んでおり、江戸時代、多摩川では鮎漁が盛んであった<ref name="nhk_mouichido">NHK もういちど日本「江戸前のあゆ」2014年6月11日 放送</ref>。[[浮世絵]]にも鮎漁の様子が描かれている<ref name="nhk_mouichido" />。多摩川のあゆは将軍家にも献上された<ref name="nhk_mouichido" />。鵜を用いた[[鵜飼]]での鮎漁も行われ、鵜飼の鮎漁の写真も残っている<ref name="nhk_mouichido" />。[[昭和]]初期まで鮎漁は盛んに行われており<ref name="nhk_mouichido" />、年配の地元住民が記憶しているように、水揚げされた鮎は食用にされていた<ref name="nhk_mouichido" />。
 
 
 
だが昭和期に多摩川周辺の人口が増え水質が悪化すると、鮎漁は一旦途絶えた<ref name="nhk_mouichido" />。その後、水質改善のための努力が重ねられ水質が良くなり、鮎漁が復活した。最近、地元の漁師が多摩川のことや鮎漁のことを人々に知ってもらおうとの想いで鮎漁を復活させ、多摩川の鮎を出荷している<ref name="nhk_mouichido" />。日本橋の老舗百貨店、[[三越]]の食品売り場にも「江戸前のあゆ」として並んでいる<ref name="nhk_mouichido" />。
 
 
 
[[江戸前]]すなわち東京湾から遡上する鮎を増やすため、多摩川上流に位置する東京都昭島市・日野市・昭島市は2018年3月12日、「江戸前鮎を復活させる地域協議会」を発足させた<ref>「江戸前アユ復活へ地域協議会が発足 昭島など」『[[読売新聞]]』朝刊2018年3月14日(地域面)</ref>。
 
 
 
=== 砂利採掘 ===
 
多摩川の川[[砂利]]採掘について触れた最も古い文献史料は江戸時代中期、[[宝暦]]3年([[1753年]])の日付がある、[[下丸子]]村の平川家文書である。これによると、下丸子村と上平間村に幕府から300坪分の砂利を納めるよう指示が下されたことがわかる<ref group="注">1坪は6尺立方で、およそ10トンである。</ref>。続いて宝暦5年には[[神武天皇|源右衛門]]なる人物が多摩川の砂利を採掘する許可を[[江戸幕府|幕府]]に申請し、代官所が上平間村から諏訪河原村までの13ヶ村の役人を呼び出して、この採掘に問題が無いかどうか検討させたとの記事もある。宝暦8年には幕府は多摩川砂利を御運上場としている。これは民間の業者を請負人として幕府向けの砂利採掘をさせるもので、江戸松嶋町与兵衛、川崎町源右衛門といった名前が請負人として記録されている。こうした体制は文化2年まで続き、文化3年([[1806年]])より、八幡塚、下平間、小杉、上丸子、上平間、小向、下沼部、下丸子、矢口、古市場、高畑の9ヶ村が共同で幕府御用の砂利採掘を請け負うこととなった。こうした体制は幕末まで続いた。多摩川砂利の需要は武家が8割、町方が2割と見られており、[[幕末]]になって武家に倹約令が敷かれると、多摩川の砂利採掘業は経営が立ちゆかなくなった。
 
 
 
[[明治]]以降、建築物に[[コンクリート]]が使われるようになると、多摩川はその原材料の一つである砂利の産地として注目された。また[[鉄道]]の[[バラスト軌道|道床]]用や外航船のバラストとしても多摩川の砂利は多用された。砂利採掘が可能な場所は全国にあったが、需要が集中する[[首都圏 (日本)|首都圏]]に供給する上で、砂利の輸送コストが低く抑えられる多摩川に砂利採掘は集中していった。[[関東大震災]]後の建設ラッシュで砂利需要はピークに達し、[[大正時代]]が終わる頃には東海道線鉄橋より下流の砂利は採掘し尽くされていた。採掘場所は必然的に上流へのぼり、宮内、下野毛、北見方、諏訪河原、瀬田、二子はもとより、宇奈根、宿河原、登戸まで拡大した<ref name="s172">[[#鈴木2004|鈴木2004]], p172</ref>。
 
 
 
1922年([[大正]]11年)の多摩川砂利の採掘量は115万トンで、翌年の全国の採掘量320万トンの3分の1を超えている<ref name="s172" />。この数字は日本最大の砂利生産量で、1935年(大正14年)度には145万トンに増加した<ref name="s172" />。過剰な砂利採掘により河床が低くなり、[[用水路|農業用水]]の取水が出来なくなったり、[[潮位]]によっては塩分を多く含む河口の水([[塩水くさび]])が遡行し、農業用水や[[上水道|水道]]原水に流入したりするといった被害が続出する[[環境問題]]に発展する。
 
 
 
また、河床低下により取水が困難となった用水路への対策として上河原や宿河原などに取水[[堰]]が築かれ、[[東京都水道局|東京都の水道]]取水地があった調布(現在の[[田園調布]])には塩分の逆流を防ぐための堰が築かれた。堰により水道・農業用水の取水は容易になったが、今度は多摩川名産の鮎の遡上を阻害することとなり、都市化が進む流域からの生活排水の垂れ流しによる[[水質汚染]]と相まって、多摩川での[[漁業]]と[[生態系]]は壊滅的な被害を受けることとなった。さらに、宿河原堰の構造上の問題により[[洪水]]時に[[堤防]]を破る被害(狛江水害)も発生するなど、新たな問題が顕在化する。そこで[[内務省 (日本)|内務省]]は[[1934年]]2月に「多摩川砂利採取取締法」による取り締まりを実施し、[[1936年]][[2月1日]]には[[二子橋]]より下流での砂利採掘が全面禁止されるに至った。
 
 
 
こうした環境保護のための規制が敷かれつつも、大きな利益を生む多摩川の砂利採掘業は止まるところを知らず、大小の採掘業者が乱立し、砂利採掘禁止区域内での盗掘が横行していた<ref>三輪、前掲書159ページ</ref>。採掘された砂利は当初は主に[[船舶]]で搬送していたものの、大型建設が相次ぐ大需要地・東京に運ぶための鉄軌道敷設が各地で計画され、[[東急玉川線|玉川電気鉄道]]、[[南武線|南武鉄道]]、[[京王電鉄|京王電気軌道]]、[[西武多摩川線|多摩鉄道]]、[[下河原線|東京砂利鉄道]]などが競って砂利輸送を行った。このうち南武鉄道などは公然と違法採取を行っていたことが記録に残っている<ref>三輪、前掲書 162 - 163ページ</ref>。
 
 
 
[[第二次世界大戦]]後も東京都の[[立川市]]や[[調布市]]の[[アメリカ軍]]基地建設、そして[[高度経済成長]]による首都圏各地の工事需要で多摩川の砂利採掘は続き、堤防の内外には違法に採取された砂利の採掘跡が[[塹壕]]のように点在していた。これらの採掘穴には雨が降ると水が溜まり、子供が溺れるなどの被害も出た。最終的に[[青梅市]]内の万年橋より下流での砂利が全面採掘禁止となり、翌年には多摩川全域で砂利採掘が禁止された。
 
 
 
=== 砂利採掘以外の環境汚染 ===
 
沿川の急激な都市化に伴う生活排水の流入、および支流の水源となっている[[多摩丘陵]]や[[武蔵野台地]]での宅地開発に伴う[[森林]]破壊による水源枯渇が相まって、多摩川の水は著しく汚染された。水道原水として利用不能になる、農業用水路が埋められる、衛生状態が悪化するという事態に陥ったが、1980年代より整備が始まった沿川での[[下水道]]が普及するに伴い、水質汚染は徐々に緩和された。また宿河原堰などへの[[魚道]]設置といった工夫と相まって、多摩川には再び鮎が遡上するようになっており、[[白鷺]]や[[コアジサシ]]といった鳥類の採餌を支えるまでに回復してきている([[#生態系]]を参照)。
 
 
 
現在では河川敷に親水施設などが設けられ、近隣住民の憩いの場として利用されるている。急激な水質汚染とその急回復を経験した多摩川は、環境保全に向けた更なる努力の必要性を象徴する場として、多くの市民活動の舞台ともなっている。
 
 
 
=== 治水 ===
 
多摩川は勾配が急な川で、先史時代から上記のような顕著な崖線を形成するほどの「あばれ川」である。先史時代の古墳や住居跡は氾濫原を避けた高台にあったが(例外として[[上丸子_(川崎市)|丸子]]には低地に古墳が築かれている)、集落は徐々に豊富な水を求めて川沿いに広がるとともに、常に[[洪水]]に悩まされるようになった。多摩川は土砂の流下と堆積が大きいため、氾濫のたびに流路が変わった。多摩川には古来から[[京都]]と[[東国]]を結ぶ街道がいくつも渡っていたが、当時中国より伝わった技術でも暴れ川である多摩川への架橋は難しく、舟を連ねた[[舟橋]]か、[[渡船]]に頼った。また氾濫が流域の村落を分断してしまうこともは度々であった。現在のような流路に近くなったのは[[1590年]]の大洪水によると言われている。現在も多摩川の両岸に残る押立、布田、宇奈根、瀬田、野毛、等々力、丸子といった地名は、かつて一つの集落で、主に川の南側は洪水による荒れ野になっていたところである。明治22年の[[市町村制]]施行時には、これらの集落は多摩川が分断したまま[[東京府]][[荏原郡]]、または[[神奈川県]][[北多摩郡]]に属して飛び地になり、その後に境界の変更が行われている。これらの町名の南側で弧を描く[[地割]]や道路は、かつての多摩川の南岸である。
 
 
 
江戸期以降も大洪水は頻発した。[[戦国時代 (日本)|戦国]]が終わり軍事的な懸念も少なくなり、最下流には[[1600年]]に[[東海道]]の架橋として[[六郷橋]]が架けられたが、頻繁に流されて財を圧迫するために再建を断念。[[1688年]]から[[1874年]]までは他の街道同様に[[渡し船|渡し舟]]となった。深刻だったのは上水の取水堰口の埋没や破壊である。江戸期は流域も人口が急激に増え、特に武蔵野台地上は利水が難しく[[室町時代]]から多くの用水([[玉川上水]]、[[昭和用水]]、[[府中用水]]、[[二ヶ領用水]]など)が引かれていたが、洪水によって絶たれると耕作や飲水にも難儀した。
 
 
 
築堤は古くから行われていたようである。多くは[[霞堤]]であり、大洪水ではあえなく決壊して土地は[[流作場|流作地]]となっていた。[[江戸時代]]からの慣例で流作地では諸役や税が賦課されなかったが、[[1873年]]の[[地租改正]]によりこれまで無税であった流作地にも課税されるようになり、村が自力で水害を乗り切ることができなくなってしまった<ref>[[#小林1995|小林1995]], p.62</ref>。しかし大規模な治水が行われないまま[[明治]]後半から[[大正]]初頭にかけて大水害が頻発し、特に[[1910年]]に関東一円を水浸しにした[[明治43年の大水害]]では、多摩川でも水害史上最悪と言われるほどの被害が出た<ref>[[#小林1995|小林1995]], p.112</ref>。しかし被害を大きくした要因は、富国強兵の政策の下での治水事業費の圧迫、さらに橋脚の建設、砂利の採掘、河川敷を利用した果樹栽培、川岸への工場の進出などの無秩序な工業化・都市化だったとされている<ref>[[#小林1995|小林1995]], p.113</ref>。
 
 
 
以降は築堤の早期実現を求める河岸住民の声が高まることになる。[[1914年]][[9月16日]]未明、[[御幸村 (神奈川県)|御幸村]]選出の[[橘樹郡]]会議員、[[秋元喜四郎]]は、御幸、[[日吉村 (神奈川県)|日吉]]、[[住吉村 (神奈川県)|住吉]]、[[潮田町|町田]]の各村民の計数百名とともに、[[神奈川県庁]]に大挙して陳情に向かった<ref>[[#小林1995|小林1995]], pp.113-115</ref>。[[石原健三]][[神奈川県知事]]との面会が許されたが、知事は大挙陳情の不穏当を説諭するのみで、築堤については「考究中」を繰り返した<ref name="k116">[[#小林1995|小林1995]], p.116</ref>。当時は大挙しての陳情は取り締まりの対象となっており、全員がチョンボリガサ(編笠)をつけていたため、この行動は「[[アミガサ事件]]」として翌日の各新聞に大きく報道された<ref name="k116" />。
 
 
 
着任早々の[[有吉忠一]]神奈川県知事は要望を受け入れ、工事は[[1916年]]2月から、上平間天神台から上丸子までの一帯で開始されたが、対岸の[[東京府]]側で反対運動が起こり、[[内務省]]の中止命令を受けた<ref name="k119">[[#小林1995|小林1995]], p.119</ref>。有吉知事はこの命令を無視し工事を続行、[[東京府]]との対立は妥協され、翌月10月に堤塘が完成した<ref name="k119" />。この強行工事で有吉知事は河川法違反と内務省の命令違反でけん責処分を受けたが、住民は知事の尽力を称えて新堤塘を「有吉堤」と名付けた<ref name="k119" />。現在の[[ガス橋]]からバス通り沿いに、その名残が残されている<ref name="k119" />。
 
 
 
[[1918年]]から内務省直轄の本格的な多摩川下流改修工事が始まる。途中、[[関東大震災]]により堤防に亀裂や陥没が入るなどの被害が出たが、遅延を含めて15年の歳月をかけて[[1934年]]に竣工、河口から[[二子橋]]までが改修された<ref name="k119" />。
 
 
 
その後、[[日野橋]]までの間の改修が進められて大規模な氾濫は少なくなるが、[[1974年]]には'''[[多摩川水害|狛江水害]]'''が発生して大きく報道され[[岸辺のアルバム|テレビドラマ]]にもなった。以降は[[2016年]]現在まで堤防が決壊するほどの被害は発生していないが、[[集中豪雨]]や[[台風]]などにより[[河川敷]]に溢水して残された人が救助される光景をたびたび見ることがある。
 
 
 
[[1990年]]からは、さらなる対策として、河口から日野橋までの区間を[[スーパー堤防]](高規格堤防)とする整備事業が進められている。
 
 
 
== 生態系 ==
 
<ref>水辺を歩こう多摩川、[[国土交通省]]京浜工事事務所(現・京浜河川事務所)、2002年。</ref>
 
<ref>多摩川の野鳥、[[津戸英守]]、[[講談社]]、ISBN 4-06-201027-5。</ref>
 
[[ファイル:Ayu_TamagawaChofu_0403241c.jpg|thumb|調布堰を遡る[[アユ]]<small>(2004年4月)</small>]]
 
[[ファイル:Koajisashi_0405062.jpg|thumb|そのアユなどを狙って再びやって来るようになった[[コアジサシ]]<small>(2004年6月)</small>]]
 
多摩川では古くから内水面[[漁業]]が営まれており、多摩川の鮎は名産として[[江戸幕府]]にも上納されていた。1843年には御留川に指定され、鮎は[[将軍家]]専用で、献上する鮎は沿岸の農民が負担した<ref name="s173">[[#鈴木2004|鈴木2004]], p173</ref>。明治以降禁制が解かれると、二子や登戸が鮎の名所となった<ref name="s173" />。二子の船宿「亀屋」は1875年から12回にわたって[[皇族]]方の御休憩所になり、[[大正天皇]]や[[昭和天皇]]も[[皇太子]]時代に鮎漁に来た<ref name="s173" />。
 
 
 
この鮎や[[マルタウグイ]]などは、中流域では掴み取りできるほど多かったとも伝えられている。多摩川の水底には砂利が多く[[コケ]]が生育し、また伏流水が湧き上がる場所や浅瀬が点在していて産卵適地も多い。そのため左記の魚の生育に適した地形であると考えられている。
 
 
 
[[魚類]]のほか、その魚類を捕食する[[鳥類]]も多く生活していたとの記録がある。[[明治]]以前の文献には、多摩川流域にも[[トキ]]、[[コウノトリ]]、[[ツル科|ツル類]]、[[雁|ガン]][[鴨|カモ]]、[[オオハクチョウ]]などが訪れていたとも記録されている。これらは河川のほか[[水田]]などを生活基盤としているものだが、他の地域がそうであったのと同様、[[狩猟]]や水田の減少などにより生活を維持できなくなっていったものと考えられる。
 
 
 
また[[2020年|昭和35年]]頃までは[[コアジサシ]]の営巣地が中流域に 44ヶ所あったとの記録がある<small>([[#参考文献|多摩川の野鳥]] p.123)</small>が、後に壊滅する。ところが [[2003年]]頃から再び繁殖に挑戦する番いが現れ始めた。コアジサシは水中に飛び込んで小魚類を捕らえる狩りの方法が特徴だが、その彼等を支えられるだけの魚類の生息ができるようになったことを示唆している。
 
 
 
中下流部では、かつては[[オシドリ]]や[[キジ]]、[[コハクチョウ]]なども多く訪れていたが、今ではめっきり見られなくなった(キジについては旧多摩村の[[鷹#鷹狩|御鷹場]]があった昭和20年代に多数生息していたとの記録があり、一時期は人工繁殖により増加したとの記録もあるが、近年の特に中下流部ではあまり観察されなくなった)。
 
反面、都市部の環境にも適応した[[カルガモ]]や[[メジロ]]、[[シジュウカラ]]、[[ハクセキレイ]]などが近年増加傾向にあり、[[カワセミ]]も安定して観察される。また冬鳥では[[ユリカモメ]]や[[オナガガモ]]なども増加傾向にある。
 
流域の宅地化に伴い、庭木や公園樹木などの都市環境にも適応した種は逞しく生活し、逆に警戒心の強く森で採食するキジや、水田などの沼地を好むオシドリなどが姿を消したものと考えられる。また多摩川に限らずハクチョウ類の越冬地は北上傾向にあり、これには[[地球温暖化]]などの影響が指摘されている。
 
 
 
一方、かつて[[鴨|カモ類]]が見られることは希であったと言われるが<small>([[#参考文献|多摩川の野鳥]] p.125)</small>、[[1013年|昭和44年]]には[[鳥獣保護区]]に指定され(秋川合流点など一部は特別保護地区)、その保護施策が奏功し、以降カモ類は増加傾向にある。
 
 
 
過去の文献はいずれも、かつて多摩川は多様な生物が生息する豊かな環境であり、さらに[[江戸時代]]初期からは周囲に[[水田]]が展開することにより形成された[[里山]]的環境に適合する生物が多く生息するようになり、その状況が昭和初期まで続いていたことを示唆している。
 
 
 
しかし、[[高度成長期]]に入ると流域の都市化が急速に進み、流域人口が急激に増加するも、それに見合った汚水処理等の対策が為されないまま排水が垂れ流されたこと、また周辺地域の水田や森林が都市へと変貌したことなどを受け、生息できる生物が激減、一時はほぼ壊滅するという危機的状況にまで陥った。汚染が著しく進んだ1980年代以降になると流域の都市部で[[下水道]]整備が進められるようになり、左岸東京都下流部では[[1990年代]]、中流部では[[1980年代]]、右岸川崎市北部では[[1990年代]]、源流部の[[丹波山村|丹波山]]・[[小菅村]]では[[1990年代]]に、ほぼ整備が完了した。これを受けて排水の流入が抑制され、水質が回復することによっ鮎などの魚類が戻りつつあり、また鳥獣保護区指定や水源林保全などの施策により鳥類の生息も回復しつつある。
 
 
 
=== 魚類・水棲小動物 ===
 
<ref>水辺を歩こう多摩川 p.224-。</ref>
 
<ref>水辺を歩こう多摩川 p.164、関東農政局「平成10年 内水面漁業統計調査」より。</ref>
 
<!-- これら資料に自己観察を勘案して。 -->
 
 
 
一部地域では[[漁業]]が営まれており、[[アユ|鮎]]、[[ヤマメ]]、[[コイ|鯉]]、[[ニジマス]]、[[フナ]]、[[ウグイ]]、[[イワナ]]などが水揚げされているため、これらの魚種が相応に生息しているものと考えられている。また近年になると[[堰]]に[[魚道]]が設けられるといった施策がされ、それに伴って激減していた鮎の遡上数が急増し、下流域には天然遡上の鮎が増えている。
 
 
 
この他、[[ドジョウ]]などの魚類、[[モクズガニ]]や[[サワガニ]]、[[テナガエビ]]などの[[甲殻類]]、他にも様々な小動物の生息が観察される。
 
 
 
最近は観賞魚の放流などで外来種の種類・数共に増加傾向にある。こうした状況を、南米[[アマゾン川]]になぞらえて「タマゾン川」と呼ぶこともある<ref>山崎充哲『タマゾン川 多摩川でいのちを考える』(旬報社、2012年)など。</ref>。
 
 
 
川崎河川[[漁業協同組合]]と環境教育団体であるガサガサ水辺の移動水族館により、多摩区菅にある稲田公園さかなの家に「おさかなポスト」が設置されており、川崎河川漁業協同組合総代の[[山崎充哲]]が管理している<ref>[https://mainichi.jp/articles/20160301/ddm/013/040/027000c どうぶつと生きる 捨てガメの命つなぐポスト]『毎日新聞』2016年3月1日(2018年3月14日閲覧)</ref>。こうした取り組みは、外来魚などの放流防止に役立っている。
 
 
 
; [[奥多摩湖]]
 
: [[オオクチバス]]、[[コクチバス]]、[[ブルーギル]]、[[ニジマス]]、[[イワナ]]、[[ハス (魚)|ハス]]、[[ワカサギ]]、[[オイカワ]]、[[ウグイ]]、[[コイ]]、[[ギンブナ]]、[[ゲンゴロウブナ]]、 [[ヤマメ]]、[[ヌマチチブ]]、[[サクラマス]]  等
 
 
 
; 上流域
 
: [[イワナ]]、[[ヤマメ]]、[[ニジマス]]、[[ウグイ]]、[[タカハヤ]]、[[アブラハヤ]]、[[カジカ (魚)|カジカ]]、[[ホトケドジョウ]]、[[ギバチ]]、[[アカザ (魚)|アカザ]] 等
 
 
 
; 中流域
 
: [[アユ]]、[[ニジマス]]、[[マルタ]]、[[ウグイ]]、[[オイカワ]]、[[カワムツ]]、[[ヌマムツ]]、[[ムギツク]]、[[カマツカ (魚)|カマツカ]]、[[ツチフキ]]、[[モツゴ]]、[[コウライモロコ]]、[[スゴモロコ]]、[[タモロコ]]、[[ニゴイ]]、[[コイ]]、[[ソウギョ]]、[[ギンブナ]]、[[キンブナ]]、[[ゲンゴロウブナ]]([[ヘラブナ]])、[[ドンコ]]、[[ヌマチチブ]]、[[トウヨシノボリ]]、[[ウキゴリ]]、[[スミウキゴリ]]、[[シマウキゴリ]]、[[オオヨシノボリ]]、[[ジュズカケハゼ]]、[[メダカ]]、[[カダヤシ]]、[[ドジョウ]]、[[シマドジョウ]]、[[ヤマトシマドジョウ]]、[[オヤニラミ]]、[[ナマズ]]、[[ウナギ]]、[[ヤツメウナギ]]、[[タウナギ]]、[[カムルチー]]、[[カワアナゴ]]、[[タイリクバラタナゴ]]、[[オオクチバス]]、[[コクチバス]]、[[ブルーギル]]、[[ナイルティラピア]] 等 
 
 
 
; 下流域
 
: [[マルタウグイ|マルタ]]、[[ウナギ]]、[[コイ]]、[[カワアナゴ]]、[[シマハゼ]]、[[マハゼ]]、[[アベハゼ]]、[[アシシロハゼ]]、[[スズキ (魚)|スズキ]]、[[コトヒキ]]、[[ボラ]]、[[クルメサヨリ]]、[[ヌマチチブ]]、[[トウヨシノボリ]]、[[ウキゴリ]]、[[スミウキゴリ]]、[[オオヨシノボリ]]、[[ジュズカケハゼ]]、[[クサフグ]] 等
 
 
 
; 目撃例が報告された外来種(上記以外)
 
: [[スポッテッドガー]]、[[グッピー]] 等 前者は繁殖した個体ではなく、ある程度まで成長してから飼育放棄により[[放流|密放流]]されたものであると考えられる<ref>[[ガー目#琵琶湖などにおける繁殖の可能性とその影響について]]を参照</ref>。後者は前者に比べて繁殖の可能性が高いものの、温泉や多量の工業廃水が流れ込み[[温度|水温]]が保たれる限られた場所以外では、越冬できないとされる。
 
 
 
; 国内間移入種
 
: 外来魚だけでなく、元来は多摩川水系に生息しない日本産淡水魚を観賞魚として楽しんだ後に多摩川に放流する者もいると推測され、全国の日本産在来魚が多摩川で見られる。オヤニラミやムギツク、アカザなどはその代表と思われる。
 
 
 
=== 鳥類 ===
 
<ref>多摩川の野鳥 p.200-「多摩川産鳥類目録 昭和14年から昭和58年まで」。</ref>
 
; [[留鳥]]
 
<!-- 主に上中流 -->[[トビ]]、[[チョウゲンボウ]]、[[ハヤブサ]]、[[ハシボソガラス]]、[[ヤマセミ]]、[[キセキレイ]]、[[ホオジロ]]、
 
<!-- 主に中下流 -->[[カワウ]]、[[コサギ]]、[[ゴイサギ]]、[[アオサギ]]、[[カルガモ]]、[[ハシブトガラス]]、[[カイツブリ]]、[[オナガ]]、[[バン (鳥類)|バン]]、[[キジバト]]<!-- 、[[ドバト]] -->、[[ヒヨドリ]]、[[コチドリ]]、[[イカルチドリ]]、[[シロチドリ]]、[[イソシギ]]、[[カワセミ]]、[[ムクドリ]]、[[コゲラ]]、[[ヒバリ]]、[[ハクセキレイ]]、[[セグロセキレイ]]、[[カワラヒワ]]、[[ウグイス]]、[[シジュウカラ]]、[[メジロ]]、[[スズメ]]などが観察される。
 
; [[冬鳥]]
 
<!-- 主に上流 -->[[ノスリ]]、[[サシバ]]、[[コジュケイ]]、[[クイナ]]、[[アオジ]]、[[アトリ]]、[[シメ]]、[[ルリビタキ]]、
 
<!-- 主に中流 -->[[ダイサギ]]、[[マガモ]]、[[コガモ]]、[[オカヨシガモ]]、[[ヒドリガモ]]、[[オナガガモ]]、[[ハシビロガモ]]、[[キンクロハジロ]]、[[スズガモ]]、[[タシギ]]、[[ジョウビタキ]]、[[ツグミ]]、
 
<!-- 主に下流 -->[[ユリカモメ]]、[[ウミネコ]]などが観察される。
 
; [[夏鳥]]
 
[[ヨシゴイ]]、[[ササゴイ]]、[[アマサギ]]、[[ダイサギ|チュウダイサギ]]、[[チュウサギ]]、[[ツバメ]]、[[イワツバメ]]、[[オオヨシキリ]]、[[コアジサシ]]などが観察される。
 
 
 
この他、[[旅鳥]]の[[トウネン]]などが観察されることもある。
 
 
 
=== 河川敷 ===
 
[[河川敷]]のうち運動場などに利用されていない草むらには[[雑草]]類が生い茂り、[[バッタ]]などの[[昆虫]]やそれを捕食する鳥類が生息する。
 
 
 
[[堤防]]部分では、強度維持のために定期的に[[草刈り]]が行われている。そのため日当たりのよい荒野に生育する各種雑草類や[[ワスレグサ|ヤブカンゾウ・ノカンゾウ]]、[[ヒガンバナ]]などが観察される。
 
 
 
=== 河口 ===
 
{{右|
 
[[ファイル:TamagawaHigata_07i4955.jpg|thumb|none|河口付近。干満の影響を受け、砂泥が堆積し干潟状になっている。]]
 
[[ファイル:Yamatoosagani_07h9903c.jpg|thumb|none|[[ヤマトオサガニ]](大師河原)]]
 
[[ファイル:Kurobenkeigani_07i0156q.jpg|thumb|none|[[クロベンケイガニ]](大師河原)]]
 
[[ファイル:Kometsukigani_06g0139v.jpg|thumb|none|[[コメツキガニ]](殿町)]]
 
[[ファイル:Tounen_06f8022qsp.jpg|thumb|none|[[トウネン]]([[冬羽]]、殿町)]]
 
}}
 
<ref name="higata_2004">多摩川河口干潟の生きもの、川崎市環境局公害部環境対策課、[[2004年]]12月。</ref>
 
<ref name="higata_2006">多摩川河口干潟の生物と底質、川崎市環境局公害部環境対策課、[[2006年|平成18年]] 3月。</ref>
 
 
 
河口付近は、左岸([[大田区]])には[[東京国際空港|羽田空港]]が建造され護岸化されているが、右岸([[川崎市]][[川崎区]])や[[中州]]には泥や砂が堆積し、河口から数 [[キロメートル|km]] にわたり、[[東京湾]]内では比較的広い[[干潟]]や[[ヨシ]]原が形成されている。
 
 
 
かつての多摩川河口付近は遠浅になっていた<!-- 現在の[[東海道貨物支線]]が通るあたりが海岸線で、東扇島付近までは州になっていた -->ため、[[江戸時代]]より[[新田開発]]のための[[干拓]]が始まっていたが、[[大正]]期以降にはさらに工業団地造成のための[[埋立]]が進められ、海岸線の姿は大きく変貌した。
 
 
 
この河口付近では、かつては[[海苔]]の[[養殖]]や[[貝]]捲き[[漁]]が盛んに行われていた。
 
高級海苔の代名詞として呼ばれた「[[アサクサノリ#浅草海苔|浅草海苔]]」は、かつて養殖されていた[[浅草]]付近の市街地拡張に伴い養殖漁業が周辺地域に移っており、[[18世紀]]初頭には品川・大森での養殖が盛んであったが、河口付近では[[1872年|明治 4年]]に大師河原(現在の川崎市川崎区)で養殖が始まり、産した海苔は「大師のり」と呼ばれ高級浅草海苔として取引されたという。
 
また、河口付近の遠浅の海では[[アサリ]]、[[ハマグリ]]、[[バカガイ]](アオヤギ)が大量に獲れ、羽田・大森では[[ウナギ]]、[[カレイ]]、[[コチ]]、[[ギンポ]]、[[アイナメ]]、[[エビ]]などが水揚げされる、豊かな漁場であった。
 
 
 
ところが[[昭和|昭和時代]]になると、[[京浜工業地帯]]で[[鶴見区 (横浜市)|鶴見]]寄りから進められた[[埋立地|埋め立て]]が多摩川河口付近まで及ぶとともに、工場廃液による海の汚染が進んだ。昭和30年代になると獲れた魚が油臭くて買い手がつかなかったという。また[[1969年|昭和44年]]になると多摩川河口付近でも埋立計画が立ち上がったことを受け、河口付近の沿岸漁業は[[1973年|昭和48年]]に[[漁業協同組合|漁協]]が[[漁業権]]を手放すことで終焉となった
 
<ref>海と人生—川崎で海苔が採れた頃、[[川崎市市民ミュージアム]]、[[1995年]]。</ref>
 
<ref>[http://www.pa.ktr.mlit.go.jp/yokohamagicho/06_koho/nagisa2/kowan-hyakkei.html NAGISAネット 港湾百景(2) 海苔と川崎の海]([[国土交通省]]関東地方整備局港湾空港部横浜港湾空港技術調査事務所)</ref>。
 
 
 
しかし、今なお多摩川河口には僅かながらも貴重な干潟環境が残っている。
 
こうした環境は、今や東京湾内では当地のほかに[[三番瀬]]、[[谷津干潟]]、[[盤洲干潟]]([[小櫃川]]河口付近)、[[富津干潟]]など限られた地域に残るのみで、東京湾西岸では唯一の天然干潟でもある。このため[[2000年代]]に入ってから詳細な調査が進められており、「[[日本の重要湿地500]]」に選定される<ref>[http://www.sizenken.biodic.go.jp/wetland/159/159.html 日本の重要湿地500 No.159 東京湾の干潟・浅瀬]([[環境省]]インターネット自然研究所)</ref>など希少かつ貴重な環境として認識されている。
 
 
 
河口付近の岸辺は[[汽水]]域になっており、泥質および砂質の干潟が共存している。また[[潮汐|潮の干満]]の影響を受けるため好気的な環境が維持され、こうした環境は[[好気性生物]]による水質浄化([[生物化学的酸素要求量|BOD]]・[[化学的酸素要求量|COD]]低下)作用が高いことに加え、現在でもたとえば下記のような[[底生生物]]が確認されている(詳しくは文献<ref name="higata_2006" />を参照)など、僅かな空間にもかかわらず多様な[[生態系]]が維持されている。
 
; 泥質
 
: [[アサリ]]、[[アナジャコ]]、[[カワザンショウガイ]]類、[[ゴカイ]]、[[コブシガニ]]、[[サビシラトリガイ]]、[[シオフキガイ]]、[[ソトオリガイ]]、[[ハサミシャコエビ]]、[[ホトトギスガイ]]、[[ヤマトシジミ (貝)|ヤマトシジミ]]、[[トビハゼ]]、[[ヒモハゼ]]、[[オサガニ]]
 
 
 
; 砂質
 
: [[コメツキガニ]]、[[チゴガニ]]、[[ヤマトオサガニ]]
 
 
 
; ヨシ原
 
: [[アシハラガニ]]、[[ウモレベンケイガニ]]、[[クロベンケイガニ]]
 
 
 
; 石表面や岸壁など
 
: [[アカテガニ]]、[[ケフサイソガニ]]、[[コウロエンカワヒバリガイ]]、[[フジツボ]]類([[アメリカフジツボ]]、[[シロスジフジツボ]]、[[タテジマフジツボ]]、[[ドロフジツボ]]、[[ヨーロッパフジツボ]])、[[フナムシ]]、[[マガキ]]
 
 
 
; 水中
 
: [[チチブ]]、[[テッポウエビ]]、[[ユビナガホンヤドカリ]]、[[ユビナガスジエビ]]、[[マハゼ]]、[[イソギンチャク]]類
 
 
 
この他、近年になり[[アサクサノリ]]の自生が確認された。また河底では[[ハマグリ]]が生息しているものと推察される<ref>[http://www.cory.to/cory/kn07/kn0705.html#kn070201 スズガモが水中からハマグリを捕まえてきた様子]</ref>など、東京湾では希少になった干潟的環境における生態系の豊かさが再確認されている。
 
 
 
[[鳥類]]は、冬に[[ウミネコ]]、[[ユリカモメ]]、[[スズガモ]]、[[ヒドリガモ]]、[[ハシビロガモ]]、[[オナガガモ]]などが群れで訪れて越冬しているとともに、夏には[[コアジサシ]]の繁殖地にもなっている。また周辺地域でも見られる[[カルガモ]]や[[ハクセキレイ]]、[[白鷺]]類などの姿は周年観察される。
 
一方、かつては[[旅鳥]]が多く訪れていたとの記録があるが([[#大正期までの河口付近|後述]])、現在{{いつ|date= 2016年12月}}は[[春]]・[[秋]]の短期間に[[シギ]]・[[チドリ]]類が旅鳥として稀に立ち寄る程度になってしまっている。
 
 
 
=== 大正期までの河口付近 ===
 
かつては[[東京湾]]の他の地域と同様、多摩川河口付近には遠浅の干潟様環境が広がっており、旅鳥または[[冬鳥]]としてシギ・チドリ類が多数訪れていた。
 
 
 
[[鳥類学]]者の[[黒田長礼|黒田長禮]]は、1909 - 18年にかけて、付近の黒田家鴨場(現在の[[東京国際空港|羽田空港]]ターミナルビル付近)、末廣島(現在の[[川崎区]]浮島町付近)、羽田町麹谷(現在の[[大田区]]東糀谷付近)にて観察を行い記録している
 
<ref group="注">六郷川口に於ける鷸・千鳥類の「渡り」、[[黒田長礼]]、[[日本鳥学会]]、[[1919年|大正 8年]]。本書は[[渡り]]を考察するものであるが、多摩川河口付近に訪れるシギ・チドリ類を観察・記録するとともに、東京湾内の潮田(現在の鶴見区)から[[浦賀]]にかけて、および行徳・[[養老川]]河口付近などシギ・チドリ類が多く訪れていた([[干潟]]があった)地域とも比較しながら考察を加えている。<!-- 川崎市立中原図書館、神奈川県立図書館および横浜市立図書館が所蔵。また県立川崎図書館が複製を所蔵。いずれも禁帯出。 --></ref>
 
<!-- 筆者注:和名は旧かなづかいで記されていましたが、現代の呼称に変更しました。また全種に学名が添えられていたのでそれを原典のままコメントで併記します(現在の学名とは異なるものがあるので確認用に)。 -->。
 
 
 
文献によれば、下記で普通種として示した種は数百羽の群れで訪れることも少なくなかったことや、[[シロチドリ]]や[[ハマシギ]]などは冬鳥として多数飛来していたこと、当時は[[タゲリ]]が 7月など夏場を除く長期間にわたり見られたなど、冬鳥の越冬地としても賑わっていた様子がうかがえる。
 
 
 
; 普通種・渡来数多
 
: [[ダイゼン]]<!-- Squatarola squatarola -->、[[シロチドリ]]<!-- Ægialitis alexandrina dealbatus -->、[[キョウジョシギ]]<!-- Arenaria interpres oahuensis -->、[[ホウロクシギ]]<!-- Numenius cyanopus -->、[[チュウシャクシギ]]<!-- Numenius phæopus variegatus -->、[[オオソリハシシギ]]<!-- Limosa lapponica baueri -->、[[キアシシギ]]<!-- 学名を ''Heteractitis incanus'' としているが、これは現在の[[メリケンキアシシギ]]を指す -->、[[トウネン]]<!-- Limonites minuta ruficollis -->、[[ハマシギ]]<!-- Pelidna alpina sakhalina -->
 
; 普通種・渡来数少
 
: [[イソシギ]]<!-- Tringoides hypoleucus -->、[[アオアシシギ]]<!-- Glottis nebularius -->
 
; 少なめ
 
: [[メダイチドリ]]<!-- Ochthodromus mongolus mongolus -->、[[ダイシャクシギ]]<!-- ''Numenius arquatus lineatus'' : [[ホウロクシギ]]? -->、[[オグロシギ]]<!-- Limosa limosa melanuroides -->、[[ツルシギ]]<!-- Totanus fuscus -->、[[オバシギ]]<!-- Tringa tenuirostris -->
 
; 稀
 
: [[タゲリ]]<!-- Vanellus vanellus -->、[[ムナグロ]]<!-- Charadrius dominicus fulvus -->、[[アカアシシギ]]<!-- Totanus totanus -->、[[クサシギ]]<!-- Helodromas ocrophus -->(冬鳥)、[[ソリハシシギ]]<!-- Terekia cinerea -->、[[ヘラシギ]]<!-- Eurynorhynchus pygmæus -->
 
; 迷鳥
 
: [[オオメダイチドリ]]<!-- Ochthodromus geoffroyi -->、[[シロチドリ|ハシボソシロチドリ]]([[学名]]を ''Ægialitis alexandrina alexandrina'' としている)、[[カラフトアオアシシギ]]<!-- Pseudoglottis guttifer -->、[[ミユビシギ]]<!-- Calidris leucophæa leucophæa -->、[[キリアイ]]<!-- Limicola platyrhyncha sibirica -->
 
; 漂鳥
 
: [[コチドリ]]<!-- Ægialitis dubia curonicus -->
 
 
 
この他、[[タシギ]]<!-- Gallinago gallinago -->や[[ヤマシギ]]<!-- Scolopax rusticola -->については河口付近ではなく、近隣の[[水田]](大正期までの河口付近は稲作地帯であった)に多数が飛来したと記載されているが、本書が記された当時には既に減少しており、稀に見るのみになっていたとある。
 
 
 
== 脚注 ==
 
=== 注釈 ===
 
{{Reflist|group="注"}}
 
=== 出典 ===
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist|2}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
* {{Cite book|和書|author=鈴木穆|year=2004|month=1|title=高津物語 上巻|publisher=タウンニュース社|ref=鈴木2004}}
 
* {{Cite book|和書|author=川崎地域史研究会|other=小林孝雄・編|year=1995|title=かわさき民衆の歩み 明治・大正・昭和|publisher=多摩川新聞社|isbn=4-924882-12-7|ref=小林1995}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
{{Commonscat|Tama River}}
 
* [[多摩川サイクリングロード]]
 
* [[タマちゃん]] - [[2002年]]に多摩川に現れて話題になった[[アザラシ|アゴヒゲアザラシ]]。
 
* [[多摩川クラシコ]] - Jリーグのクラブ、[[FC東京]]と[[川崎フロンターレ]]が対戦する[[ダービーマッチ]]。
 
* [[多摩 (軽巡洋艦)]] - 多摩川にちなんで命名された旧・日本海軍の巡洋艦。[[太平洋戦争]]で戦没した。
 
* [[多摩川グラウンド]]([[野球場]])
 
** [[多摩川緑地広場硬式野球場]](旧・読売巨人軍多摩川グラウンド [[大田区]])
 
** [[川崎市多摩川丸子橋硬式野球場]](旧・日本ハム球団多摩川グラウンド [[川崎市]])
 
** [[横浜DeNAベイスターズ|大洋ホエールズ]]多摩川グラウンド([[川崎市]]、現存せず)
 
  
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東京都を北西から南東に貫流し,下流部では神奈川県との境界をなす川。全長 138km。秩父山地に源を発し,東京湾に注ぐ。河口付近は六郷川と呼ばれる。上流部は支流の日原川や秋川とともに峡谷をなし,奥多摩の山岳美,渓谷美,森林美に富む景勝地で,[[秩父多摩甲斐国立公園]],4ヵ所の都立自然公園 (羽村草花丘陵,秋川丘陵,滝山,多摩丘陵) に指定されている。東京都の重要な上水道水源でもあり,奥多摩湖,狭山湖,多摩湖,玉川上水などに導水される。中下流部流域には果樹園や住宅地があり,河川敷は公園,運動場などに利用されている。河口の三角州は羽田州といわれ,[[京浜工業地帯]]の一部を形成,埋立て地には東京国際空港 (羽田空港) がある。
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== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
* [http://www.mlit.go.jp/river/basic_info/jigyo_keikaku/gaiyou/seibi/tama_index.html 河川整備基本方針: 多摩川水系] - 国土交通省
 
* [http://www.ktr.mlit.go.jp/keihin/keihin_index002.html 多摩川] - 京浜河川事務所
 
* [http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/nishiken/nishiken.htm 東京都西多摩建設事務所]
 
* [http://www.mlit.go.jp/river/basic_info/jigyo_keikaku/gaiyou/seibi/pdf/tama-4.pdf 多摩川流域リバーミュージアム]
 
* [http://www.seseragikan.com/ 二ヶ領せせらぎ館(NPO法人 多摩川エコミュージアム)]
 
 
 
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2018/9/9/ (日) 19:29時点における最新版

多摩川.jpg


多摩川(たまがわ)

東京都を北西から南東に貫流し,下流部では神奈川県との境界をなす川。全長 138km。秩父山地に源を発し,東京湾に注ぐ。河口付近は六郷川と呼ばれる。上流部は支流の日原川や秋川とともに峡谷をなし,奥多摩の山岳美,渓谷美,森林美に富む景勝地で,秩父多摩甲斐国立公園,4ヵ所の都立自然公園 (羽村草花丘陵,秋川丘陵,滝山,多摩丘陵) に指定されている。東京都の重要な上水道水源でもあり,奥多摩湖,狭山湖,多摩湖,玉川上水などに導水される。中下流部流域には果樹園や住宅地があり,河川敷は公園,運動場などに利用されている。河口の三角州は羽田州といわれ,京浜工業地帯の一部を形成,埋立て地には東京国際空港 (羽田空港) がある。

外部リンク



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