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{{Otheruseslist|塩を海水の蒸発によって取り出すための土地|町|塩田町|村|塩田村|深圳市の区|塩田区}}
 
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'''塩田'''(えんでん)
  
'''塩田'''(えんでん)は、大量の[[海水]]から[[水分]]を[[蒸発]]させ、[[塩]]だけを取り出すために用いられる場所および施設。狭義には後述の天日塩田を指すが、この項では海水を用いた製塩技術全般について記述する。
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太陽熱や風で海水の水分を蒸発させ,(1) 塩,あるいは (2) 製塩の原料 (濃縮鹹水) をとる設備。
  
== 概要 ==
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(1) は天日塩田で,世界各地の高温乾燥地帯に発達しているが,降雨量の多い日本の塩田は (2) に属する。日本には塩田地盤を満潮面より高いところに造る[[揚浜式塩田]],中等水位に設ける[[入浜式塩田]],枝条架を利用した[[流下式塩田]]の3種があり,瀬戸内の坂出,赤穂,鳴門,三田尻などに集中的に発達,1950年代からほとんど流下式に代ったが,70年代から[[イオン交換膜法製塩]]が採用されるに及んで工場団地や住宅地などに変貌している。
[[塩湖]]あるいは[[塩沼]]や[[岩塩|塩鉱]]といった天然の塩結晶に恵まれない地域では、[[海水]]を何らかのエネルギーで加熱して製塩する必要がある。
 
 
 
海水を利用した製塩には、大きく分けて2つがある。[[太陽光]]の熱のみによって塩の[[結晶]]を生産する方法(天日<てんぴ>採塩法)と、海水を何らかの装置で濃縮して[[鹹水]](かんすい)を生成し、それを火で加熱して結晶を得る方法(煎熬採塩法 せんごうさいえんほう)である。前者は後者に比べて効率的な生産方法であるが、地域の[[降水量]]が極めて少ない必要がある。
 
 
 
世界の塩の生産量は2008年で2億650万トンと言われており、そのうち天日塩が約36%である<ref name="kagaku">{{Cite book|和書|author=|authorlink=|year=2009|month=2|title=15509の化学商品|publisher=化学工業日報社|isbn=978-4-87326-544-5}}</ref>。
 
 
 
== 天日採塩法(天日塩田) ==
 
[[ファイル:MaraisSalant.JPG|thumb|[[レ島]] (Ile de Ré)([[フランス]])の塩田]]
 
海水を濃縮して結晶化した塩を作るものを天日塩田という。
 
 
 
[[メキシコ]]や[[オーストラリア]]西部など、[[砂漠]]と[[海岸]]が接する地帯に設けられることが典型的であり、メキシコの[[ゲレロネグロ]]に世界最大のものがある。
 
 
 
ほかに、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[ユタ州]]の[[グレートソルト湖]]のように、塩湖を利用したものもある。同湖では、海水の7倍という濃さの湖水を導き入れ、太陽光の吸収量を増すための青緑色の色素を加えた上で天日で蒸発させている。
 
 
 
工業塩の生産はこのような塩田・塩湖による方法が多い。なお日本の工業塩の年間需要は約740万トンであり全量を輸入している。<ref name="kagaku"/>
 
 
 
なお塩田・塩湖で[[デュナリエラ・サリナ]]という緑藻の一種が大発生すると、この藻が[[カロテノイド]]を大量に産出し、水面が褐色系のオレンジ色に染まることがある。また、[[高度好塩菌|高度好塩古細菌]]が産出するバクテリオベルリンや[[バクテリオロドプシン]]によりピンク色になる場合もある。
 
 
 
== 煎熬採塩法(採鹹塩田) ==
 
鹹水を生成するための塩田を採鹹(さいかん)塩田という。歴史的には中国、ヨーロッパなどで行われたことが知られている。
 
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=== 日本の製塩法の歴史 ===
 
{{See also|[[塩#日本|塩の製法#日本]]}}
 
 
 
日本の塩田は、歴史上すべてが前述の採鹹をおこなうためのもので、煎熬(せんごう。煮詰めること)して塩を得るための釜があわせて設置された。海岸に設けられたこれらの施設は、古くは「塩浜」と呼ばれた。日本語における「塩田」という言葉は、[[明治]]以降、登記上の[[地目]]として塩浜を「塩田」といったことに始まる。
 
 
 
成立期には、日照時間が比較的長い地域([[瀬戸内地方]]や[[能登半島]]など)で大きく発達した。古くは農家の余暇の副業として自家労働によって行われ、煮詰め用の製塩釜は多くは共同使用であった。次第に需要が拡大し、事業規模が大きくなってくると、製塩は専業化し、やがて[[一軒前_(塩田)|一軒前]]とよばれる一貫生産体制を導入する大手業者が出現した。そのような業者のもとでは、「釜屋」という鹹水を煮詰めるための専門施設が塩戸(作業単位)ごとに1戸付属した。
 
 
 
技術の進歩にもかかわらず、気温が低く日照時間の短い冬場などにおける大量生産は長らく困難であったが、枝条架装置(後述)の開発によって天候や季節、自然現象などにある程度は左右されなくなった。1970年代からは、[[イオン交換膜]]を用いた電気機械による製塩が主流になり、現在に至る。
 
 
 
==== 塩田以前の製法 ====
 
諸説あるが、出土品や文献から、[[5世紀|西暦400年]]ころから[[平安時代]]([[12世紀|西暦1100年頃]])までは、乾燥した[[海藻]]の表面の塩分を[[土器]]にくりかえし洗い出して(または、焼いた海藻の灰を海水に溶かして布で濾過し)鹹水をつくり、火で焚いて濃縮する方法が用いられていたと推定されている。<!--なおこの場合の土器として、[[須恵器]]は温度差に弱く鹹水追加の際に破損するので使えなかった。-->
 
 
 
==== 揚浜式塩田 ====
 
[[ファイル:Agehamasikienden.jpg|thumb|揚浜式塩田の例([[石川県]][[珠洲市]])]]
 
「藻塩焼」の時代を経て、塩の需要が増大するに従い、海水中の塩分が付着した海浜の砂を採鹹作業に利用する製塩法が発達した。
 
 
 
盛土の上に、海水が地中に染み込まないように厚さ10cmほどの[[粘土]]など<ref>現代ではビニールシートで代用されている。</ref>で防水層を形成し、その上に粒子の細かい砂(塩砂)を敷き詰める。塩砂の上に海水を丁寧にまき、頻繁にかき混ぜながら、天日と風により充分に水分を蒸発させたあと、塩砂をかき集めて海水で洗うことで鹹水を作り、それを製塩釜で煮詰めて結晶を得る。
 
 
 
1塩戸分の塩田面積は平均して1[[反|反歩]](約990平方メートル)前後が通例であった。
 
 
 
石川県の文化財として保存されている。
 
==== 入浜式塩田 ====
 
[[ファイル:Enden-Utadu2.jpg|thumb|入浜式塩田の例([[道の駅恋人の聖地 うたづ臨海公園|うたづ臨海公園]]内の復元塩田)]]
 
[[江戸時代]]前期頃、海水を塩田に取り込む方法として、[[潮汐|潮の干満]]を利用する方法が開発された(装置やプロセスは揚浜式と共通している)。これにより海水を塩砂に散布する作業が省略され、大幅な労力の軽減が実現した。
 
 
 
塩砂の地盤は従来の海岸砂地を平坦にしただけのものもあったが、砂の層を底から目の粗い順に3層前後敷いた人工地盤も用いられるようになった。<!--砂は地元の海底に沈降した粘土分の少ない最も細粒の砂を採取して使用し、黒色のものが蒸発をさかんにするといわれた。この方法を採る者は専業者が多く、おのずから改良が多く行われ、たとえば鹹水の煮詰めは一部で開放式平釜から大規模な機械製塩法に改められるなどのことがあった。-->
 
 
 
[[瀬戸内海]]沿岸ではいち早くこの方式を導入し、[[律令国]]のうち[[瀬戸内地方]]に当たる[[播磨国|播磨]][[備前国|備前]]・[[備中国|備中]]・[[備後国|備後]]・[[安芸国|安芸]]・[[周防国|周防]]・[[長門国|長門]]・[[阿波国|阿波]]・[[讃岐国|讃岐]]・[[伊予国|伊予]]、計10国の塩田は「十州塩田」と総称された。これらの地域で生産された「'''十州塩'''」は品質が高いと評価され、[[上方]]や[[江戸]]を含めた全国各地の市場を席巻した。
 
 
 
この方式の導入は干満の潮位差が大きな地域に限られ、土地が海面よりもやや高く、潮汐を利用して海水を塩田に引き入れるのが困難な土地では、従来の揚浜式塩田が残った。
 
 
 
入浜式塩田が導入された時期には、1塩戸の大きさは平均2[[町_(単位)|町歩]](約2ヘクタール)前後に拡大した。
 
 
 
塩田は15~16メートル×約200メートルの矩形の周囲を浜みぞでかこったものである。それぞれ15メートル四方に沼井(ぬい・一種のろ過装置)が設けられる。
 
 
 
遠浅の干潟を干拓し、その砂地を平坦にする。満潮の時に海水を塩田の潮まわしと溝渠に入れ、砂の間隙に浸潤させる。日光と風力で水分を蒸発させ、その一方で、作業員が[[鍬]]で砂を反転させ、十分に着塩させ、2、3日間天日にさらす。着塩した散砂を沼井(ぬい)に入れ、海水を注いで濾過させることで海水の5~6倍の濃度のかん水を得る。
 
 
 
==== 流下式塩田 ====
 
[[ファイル:141115 Ako Marine Science Museum Hyogo pref Japan12n.jpg|thumb|流下式塩田の例([[赤穂市立海洋科学館]]の復元塩田の枝条架)]]
 
塩砂の代わりに立体的な枝状の装置('''枝条架''' しじょうか)を利用して鹹水を作る方式。イオン交換膜製塩法が導入されるまでは、近代における製塩方法の主流だった。
 
<!--かつて明治初年、山形県鼠ヶ関、島根県杵築でおこなわれたが、成績がかんばしくなかった。-->
 
 
 
日本の塩は[[1905年]](明治38年)から[[専売制]]となり、塩の生産量や生産方法は政府によって定められるようになった。流下式塩田は大量の塩需要に対応するために1950年代までに開発され、採用された方式である。
 
 
 
[[ポンプ]]を利用して海水を1日1ヘクタール当たり60~150キロリットル汲み上げ、コンクリートやビニールで防水された緩やかな斜面(蒸発層。長さ20~40メートル、こう配は100分の1~150分の1)に海水を秒速1~2センチメートルで流し(海水の偏流を防ぐために幅約2メートルごとに仕切りがある)に流しながら日光に当てることで水分を蒸発させ、塩分濃度を高める。1回では濃度上昇が高くないので、2~3回繰り返す。海水を、枝条架の上へと散布する。枝条架は竹や細いビニール管をまとめてホウキのような枝状にし、幾層にも集めて棚にまとめたもの。これに付着した海水に天日および風を当て、水分を蒸発させ、脚部の鹹水槽に貯める。これを再度汲み上げて枝条架に散布し、同様に鹹水槽に貯める、という作業を繰り返し、一定の濃度に達したら、鹹水を煮詰めて製塩する。
 
 
 
枝条架の考案によって、塩砂をかき混ぜる作業の必要がなくなり、労力が軽減されるとともに、生産性が著しく向上した。また太陽光に加えて風による水分蒸発が可能になったため、比較的日照時間の短い季節や地域においても、一定量の塩の生産が可能になった。
 
 
 
==== 塩田の終焉 ====
 
{{See also|[[塩#日本における塩の専売|塩の販売の歴史#日本における塩の専売]]}}
 
 
 
[[1972年]](昭和47年)以降、日本の製塩法はイオン交換膜と[[電力]]を利用して鹹水を作り、真空式蒸発缶で煮つめる方法が公式に採用されることになった。天候に左右され、多くの労力や大きな面積を占めるこれまでの塩田は不要となり、日本の塩田は事実上全廃されるに至った<ref>イオン交換膜は、[[マグネシウム]]、[[カルシウム]]、[[カリウム]]などの塩の味をつかさどる有用なイオンは通すが、[[ポリ塩化ビフェニル|PCB]]のような化合物や[[重金属]]などの大きな分子は通さないため、ある程度汚れた海水からでも、有害物質を濃縮しない、優れた品質の塩が生産できる、という製塩に都合のよい性質も持っていた。</ref>。
 
 
 
=== 日本各地の観光化された塩田施設 ===
 
産業施設としての塩田は日本各地で姿を消したが、現在では、社会教育施設として塩田が復元され、体験教育などで活用されている例がある。
 
*[[石川県]][[珠洲市]]仁江町の揚浜式塩田による製塩<ref>{{YouTube|2wy3npFm3xM|北陸見聞録 道の駅「すず塩田村」で塩づくり体験}}(朝日新聞社提供、2017年5月30日公開)</ref>は、国指定の[[重要無形民俗文化財#中部地方|重要無形民俗文化財]]に指定されている。同地では、観光客が製塩を体験できるイベントが毎年夏に開催されている。
 
*[[愛知県]][[知多郡]][[美浜町 (愛知県)|美浜町]]の「食と健康の館」には、観光施設としての流下式塩田があり、製塩を体験できる。
 
*[[兵庫県]][[赤穂市]]の塩田跡を整備した[[兵庫県立赤穂海浜公園]]内の「[[赤穂市立海洋科学館|塩の国]]」には、流下式、揚浜式、入浜式の塩田と製塩作業所一式が復元されている。
 
*[[山口県]][[防府市]]の[[三田尻塩田記念産業公園]]には、入浜式塩田が復元されており、製塩工程の一部を体験できるほか、毎年10月には同地で「塩田まつり」が開催される。
 
*[[香川県]][[綾歌郡]][[宇多津町]]の「[[道の駅恋人の聖地 うたづ臨海公園|うたづ臨海公園]]」には、入浜式の復元塩田(ただし復元後はポンプによる入排水)があるほか、塩田に関しての資料を展示する宇多津町産業資料館が隣接している。
 
*[[伯方塩業]]は、[[2010年]]に[[愛媛県]][[今治市]]の大三島工場の隣接地に流下式塩田を復活させた<ref>[http://www.hakatanoshio.co.jp/news/news/news_221.html 11/1 大三島工場に流下式塩田-大三島塩田がオープン!]伯方塩業ウェブサイト</ref>。事前予約による見学が可能。
 
*[[沖縄県]][[名護市]]の[[屋我地島]]では、1960年代を最後に製塩が途絶えていたが、[[2007年]]に地元有志により再興された。<ref>[http://www.nagonomachi.com/enden/ 屋我地マース]</ref>。
 
 
 
== その他 ==
 
*製塩にちなんだ地名が現在でも日本各地に残る([[千葉県]][[市川市]][[塩浜 (市川市)|塩浜]]・塩焼、[[神戸市]][[垂水区]][[塩屋駅_(兵庫県)|塩屋町]]など)<ref>「塩」の付く地名でも、<!--が海岸にあり、製塩に関わるものとは限らない。-->内陸に位置する[[塩尻市]]の「塩尻」は塩の輸送・運搬に関係する地点が由来であり、また「塩原」には山あいの地形に由来したものもある([[塩原温泉郷]]など)。 「[http://japanknowledge.com/articles/blogjournal/interest_chimei/entry.html?entryid=14 第14回 山間に多い塩地名 ― 塩原(しおばら)]」 (日本歴史地名大系ジャーナル)</ref>。
 
*[[伊勢神宮]]の所管する[[御塩殿神社]]には、神事に用いる塩を生産するための塩田がある。
 
<!--[[調]](特産品の物納)として塩を[[平城京]]に納めた記録が、平城京出土の[[木簡]]に見られ、これが塩の流通に関する日本最古の記録である。主な産地は[[若狭国|若狭]](49%)、[[周防国|周防]](16%)、[[尾張国|尾張]]、[[紀伊国|紀伊]](11%ずつ)など西日本だった。-->
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
<references />
 
 
 
== 関連項目 ==
 
{{Commons&cat|Salt evaporation pond|Salt evaporation ponds}}
 
* [[にがり]]
 
* [[自然塩]]
 
* [[行徳塩田]]
 
* [[大師河原塩田]]
 
* [[鹹水溜]]
 
* [[鹹水輸送装置]]
 
* [[新安塩田奴隷労働事件]]
 
 
 
== 外部リンク ==
 
* [http://www.jsia.gr.jp/ 日本ソーダ工業会]
 
* [http://www.shiojigyo.com/ 財団法人塩事業センター]
 
* [http://www.jti.co.jp/Culture/museum/index.html たばこと塩の博物館]
 
* [http://www.mitsubishicorp.com/jp/ja/mclibrary/projectstory/vol01/ 三菱商事のESSA塩田プロジェクト]
 
* [http://www.geocities.jp/t_hashimotoodawara/salt7/salt7-sale-01-50.html 西オーストラリア塩田訪問記]
 
  
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2018/8/25/ (土) 20:24時点における最新版

Marakkanam Salt Pans.jpg

塩田(えんでん)

太陽熱や風で海水の水分を蒸発させ,(1) 塩,あるいは (2) 製塩の原料 (濃縮鹹水) をとる設備。

(1) は天日塩田で,世界各地の高温乾燥地帯に発達しているが,降雨量の多い日本の塩田は (2) に属する。日本には塩田地盤を満潮面より高いところに造る揚浜式塩田,中等水位に設ける入浜式塩田,枝条架を利用した流下式塩田の3種があり,瀬戸内の坂出,赤穂,鳴門,三田尻などに集中的に発達,1950年代からほとんど流下式に代ったが,70年代からイオン交換膜法製塩が採用されるに及んで工場団地や住宅地などに変貌している。



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