「受領名」の版間の差分

提供: miniwiki
移動先:案内検索
(1版 をインポートしました)
 
1行目: 1行目:
'''受領名'''(ずりょうめい)は前近代の[[日本]]において、主に[[武家]]や[[神職]]などの[[通称]]([[仮名]])として用いられた、非公式な官職名のこと。
+
'''受領名'''(ずりょうめい)
  
*[[朝廷]]や[[寺院]]が出入りの商工業者に名乗ることを許した非公式な官名。
+
(1)江戸時代、武士が叙爵を願い出て、国守名を名のることを許されたもの。また、その名。この場合、受領名とその知行国名とが一致しないものがほとんどであった。
*主に[[室町時代]]から[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]にかけて[[守護大名]]、[[戦国大名]]が武功や功績ある家臣に対して授けた非公式な官名。
 
  
==朝廷・寺院の授ける受領名==
+
(2)職人が一種の称号として国守の官名を名のることを許されたもの。また、その名。名誉にもなり宣伝にもなるために、多額の金銭を費やしても得ようと欲した。
[[京都]]においては、[[朝廷]]や[[御所]]や[[寺院]]の用をはたす商工業者や芸能者に限り、[[家格]]や家業に箔をつけさせるため、金品次第により守、介、掾などの受領名を授け、特権的立場を与えた。受領名を有する商工業者が扱う商品は、ブランドとしての附加価値が認められ、同じ業種の職人がつくった商品の中でも、破格の値段で取引される。こうしたことから、多くの業者が自身の名誉と商売繁盛を期して受領名を求めた。
 
 
 
特に戦乱に疲弊し、武家に[[荘園 (日本)|荘園]]を横領されてきた朝廷や寺院にとり、官位や受領名の授与は、貴重な収入源でもあった。
 
{{wikisource|醫師畫工諸職人ノ位階及國名受領等ヲ廢ス|医師画工諸職人ノ位階及国名受領等ヲ廃ス}}
 
時は下り、明治政府は、[[1869年]](明治2年)[[5月8日 (旧暦)|5月8日]]に、[[仁和寺]]、[[大覚寺]]及び[[勧修寺]]に許可していた受領名の授受を廃止し、授受された者に対してその利用を停止する旨の布告を行った。これにより、寺院による受領名授受の歴史は終了した。
 
 
 
==武家の受領名==
 
[[室町時代]]以降、[[守護大名]]の間において武功ある家臣や[[被官]]に対して、朝廷の正式な[[位階]]や[[除目]]の伴わない、非公式な官名を授ける風習が生まれる。これが受領名である。多くの場合、大名の傘下にあって城や領地、兵力を有する国人や武将がその対象であった。この風習が転化し、自官や[[百官名]]、[[東百官]]という人名呼称が武士の間において定着するようになる。こうした主君から受領名を授かる際に交付されるのが官途書出、あるいは受領書出、[[官途状]]などといい、武家の格式と功名をあらわす栄誉として重んじられた<ref>国史大辞典編集委員会編『国史大辞典第3巻』(吉川弘文館、1983年)900-901頁参照。</ref>。
 
 
 
江戸時代以降も官途状の付与という慣習は続いたものの、江戸幕藩体制下では[[武家官位]]という形で官職が身分秩序の統制に用いられたため、戦国時代のような幕府や有力大名とその重臣の間で官職が授受または私称されることはなくなっていった。但し、[[古河公方]]の流れを汲む[[喜連川氏]]は代々、非正規の官名ながら歴代の[[鎌倉公方]]・古河公方の官職である左兵衛督を私称することが容認されており、大名旗本級の身分では受領名を名乗る稀少な例ということができる。
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{reflist}}
 
 
 
==参考文献==
 
* 小和田哲男 「今川義元はなぜ三河守か?-武士と官途受領名」『日本史に出てくる官職と位階のことがわかる本』 新人物往来社、2009年、93-98頁
 
* 国史大辞典編集委員会編『国史大辞典第3巻』(吉川弘文館、1983年)
 
* 所功 「日本史のなかの官職と位階」『日本史に出てくる官職と位階のことがわかる本』 新人物往来社、2009年、16-17頁
 
 
 
==関連項目==
 
*[[官位]]
 
*[[仮名 (通称)]]
 
*[[官途状]]
 
*[[武家官位]]
 
*[[日本の官制]]
 
*[[人名]]
 
*[[仮名]]
 
*[[百官名]]
 
*[[東百官]]
 
  
 +
{{テンプレート:20180815sk}}
 
{{DEFAULTSORT:すりようめい}}
 
{{DEFAULTSORT:すりようめい}}
 
[[Category:日本語の人名]]
 
[[Category:日本語の人名]]

2019/4/28/ (日) 23:53時点における最新版

受領名(ずりょうめい)

(1)江戸時代、武士が叙爵を願い出て、国守名を名のることを許されたもの。また、その名。この場合、受領名とその知行国名とが一致しないものがほとんどであった。

(2)職人が一種の称号として国守の官名を名のることを許されたもの。また、その名。名誉にもなり宣伝にもなるために、多額の金銭を費やしても得ようと欲した。



楽天市場検索: