南淵請安

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南淵 請安(みなぶち の しょうあん、生没年不詳)は飛鳥時代の学問僧。大和国高市郡南淵村(現在の奈良県飛鳥川上流の明日香村稲渕)に住んだ南淵漢人(みなみぶちのあやひと)と称される渡来氏族出身の知識人。

経歴

608年推古天皇16年)、遣隋使小野妹子に従い高向玄理ら8人の留学生、留学僧の一人として留学する。32年間、隋の滅亡(618年)からの建国の過程を見聞して、640年舒明天皇12年)に高向玄理とともに帰国。隋・唐の進んだ学問知識を日本に伝え、開塾した。

中大兄皇子中臣鎌子は請安の塾に通う道すがら蘇我氏打倒の計画を練ったと伝えられる。請安が伝えた知識が大化の改新に与えた影響は大きいが、彼自身は新政府に加わっておらず、これ以前に死去したものと思われる。

権藤成卿によると、『南淵書』という本を著したとされるが、現在では偽書と解釈されている。