「北陸トンネル」の版間の差分

提供: miniwiki
移動先:案内検索
(開通後の状況)
 
 
(同じ利用者による、間の3版が非表示)
4行目: 4行目:
 
|caption      = 北陸トンネル敦賀側坑口<br />坑口上部に「北陸隧道」とある。<br />すぐ左方には北陸トンネル列車火災事故の慰霊碑がある。
 
|caption      = 北陸トンネル敦賀側坑口<br />坑口上部に「北陸隧道」とある。<br />すぐ左方には北陸トンネル列車火災事故の慰霊碑がある。
 
|line        = [[北陸本線]]
 
|line        = [[北陸本線]]
|location    = {{JPN}}[[福井県]][[敦賀市]] - [[南条郡]][[南越前町]]
+
|location    = [[福井県]][[敦賀市]] - [[南条郡]][[南越前町]]
 
|coordinates  = {{ウィキ座標2段度分秒|35|41|12|N|136|7|57|E|region:JP_type:landmark_scale:25000|display=inline,title}}
 
|coordinates  = {{ウィキ座標2段度分秒|35|41|12|N|136|7|57|E|region:JP_type:landmark_scale:25000|display=inline,title}}
 
|os_grid_ref  =  
 
|os_grid_ref  =  
24行目: 24行目:
 
|linelength  =  
 
|linelength  =  
 
|tracklength  =  
 
|tracklength  =  
|notrack      = 2([[複線]])
+
|notrack      =  
|gauge        = 1,067 [[ミリメートル|mm]]
 
|el          = 有([[交流電化|交流]]20,000 [[ボルト (単位)|V]]・60 [[ヘルツ|Hz]])
 
 
|speed        =  
 
|speed        =  
 
|hielevation  =  
 
|hielevation  =  
33行目: 31行目:
 
|grade        =
 
|grade        =
 
}}
 
}}
[[ファイル:Suizupa enkei.JPG|thumb|right|240px|旧杉津駅付近(北陸道[[杉津パーキングエリア|杉津PA]])より<br />麓の杉津集落(写真中央部より左側の沿岸、その右側は横浜地区)と[[敦賀湾]]を望む]]
 
'''北陸トンネル'''(ほくりくトンネル)は、[[福井県]]の[[敦賀市]]と[[南条郡]][[南越前町]]にまたがる[[複線]][[鉄道]][[トンネル]]である。[[北陸本線]]の[[敦賀駅|敦賀]] - [[南今庄駅]]間、[[木ノ芽峠]]の直下に位置する。総延長は13,870 [[メートル|m]]あり、[[1962年]][[6月10日]]に開通した。
 
  
本稿ではこのほか、並行して建設されている[[北陸新幹線]]'''新北陸トンネル'''(しんほくりくトンネル)についても記述する。
+
'''北陸トンネル'''(ほくりくトンネル)
  
== 概要 ==
+
福井県中部,北陸本線にある鉄道トンネル。 1957年着工,62年完成。敦賀-今庄間,延長 13.87kmで完成当時の日本第1位,世界第5位。敦賀側,今庄側とほかに中間地点付近2ヵ所から竪坑,斜坑を設け掘削された。工事中温泉が湧出し,南東の中村山中腹に引き湯され,敦賀トンネル温泉となった。
[[1972年]]に[[山陽新幹線]]の[[六甲トンネル]]が完成するまで、日本最長のトンネルであった。なお、[[狭軌]]の陸上鉄道トンネルとしては[[2016年]]時点でも日本最長である<ref group="注釈">[[1982年]]に[[スイス]]のフルカ・オーバーアルプ鉄道(現[[マッターホルン・ゴッタルド鉄道]])に[[新フルカトンネル]] (15,442 m) が開通するまでの20年間は、狭軌の鉄道トンネルとして世界最長であった。</ref>。
 
 
 
== トンネル開通前 ==
 
敦賀と今庄の間にはの[[鉢伏山 (福井県)|鉢伏山]]([[高さ#標高|海抜]] 762 m)がそびえ、その鞍部である木ノ芽峠(海抜 628 m)は、古くから[[北陸道]]の[[隘路]]であった。
 
 
 
北陸トンネル開通前の北陸本線敦賀 - 今庄間([[1896年]]開通)は、木ノ芽峠を避け、敦賀市の海岸部に近い[[杉津駅]]を経由する山中峠ルートを採っていた。だがこの区間は、海岸の山麓を縫いながら4箇所の[[スイッチバック]]を擁して25[[パーミル|‰]]の急勾配を上り下りする厳しい条件の単線区間であった。途中には3箇所の駅、3箇所の信号場、12箇所のトンネルも存在し、列車の行き違いにも時間を要した。眺望こそ優れた区間であったが、速度や輸送力、列車本数(急勾配の単線区間であるゆえ、列車本数に限りがあった)の面で、[[木ノ本駅|木ノ本]] - 敦賀間の[[柳ヶ瀬線|旧線]]区間と同じく、重要幹線である北陸本線にとっての[[ボトルネック]]となっていた。
 
勾配の厳しさのみならず、地盤の脆弱さによる[[がけ崩れ]]、冬期には雪国特有の雪害にも悩まされていた。
 
 
 
補助機関車として[[国鉄D51形蒸気機関車|D51形]][[蒸気機関車]]をつけての重連では 700 [[トン|t]] 輸送が限界であったため、1955年より(試作機的な)電気式[[ディーゼル機関車]][[国鉄DD50形ディーゼル機関車|DD50形]]、当時最新鋭だった電気式[[ディーゼル機関車]][[国鉄DF50形ディーゼル機関車|DF50形]]等が配属され、機関車三重連により 1000 t 輸送を始めた。しかしそれでも貨物増には対処しきれず、1956年7月には金沢鉄道管理局管内で抑制列車は36本を数え、駅頭滞貨は 3万8000 t(対前年比 178 %)にも及んだ。
 
 
 
== トンネル工事 ==
 
敦賀以南の改良([[深坂トンネル]]開削、鳩原上りループ線構築、交流電化)に引き続く北陸線の抜本的な輸送改善を期し、[[戦前]]より様々な改良案が出されていた。
 
 
 
本格的に改良案の検討に着手したのは1952年以降で、[[日本国有鉄道|国鉄]]金沢改良委員会を中心に検討が行われた。その際に出された改良案は、
 
# 在来線腹付け盤下げ複線化案(敦賀 - 新保 - 杉津 - 大桐 - 今庄)
 
# 南今庄(大桐付近に設置予定とされたもので、現在の南今庄駅とは異なる)より杉津海岸へトンネルで抜け、海岸沿いに敦賀までの単線を新たに敷設する新線案(敦賀 - 阿曽 - 杉津 - 南今庄(新大桐) - 今庄)
 
# 上述海岸線の改良版で、敦賀、杉津から武生までの複線化案(敦賀 - 杉津 - 武生)
 
# 今庄より中之郷までの直線トンネル複線化案([[中ノ郷駅|中ノ郷]] - 今庄)
 
であったが、
 
* 1.は既存のルートを最大限に生かしスイッチバック解消のため路盤を下げ、勾配緩和工事を瑣末に行うものであったが、雪害・地崩れ対策に明るい解決策がない。
 
* 2.は戦前から有力であった海岸線の構想で、海岸沿いのルートを取ることによって雪害・地崩れ対策などには若干効果があるが、単線案のため、スピードアップなどの面においては在来線に変わるメリットがさほど見出せない。また、単線のため、新線を在来線と併設すると二重投資になる.
 
* 3.海岸線の改良複線化案であるが、この案でも武生 - 今庄 - 杉津間を存続させるかどうかが問題になる。
 
* 4.は明治初期より計画されていたもので、技術的にも最も好感を持たれていたが、敦賀を通らない案は容認されなかった。また、将来的に関西方面 - 米原 - 敦賀の湖東経由東海道線の輸送量が[[パンク]]した際に、湖西周りからのバイパス路線を接続しにくいこともネックであった([[湖西線]]開通によりその意図は達成された)。
 
などを理由にいずれも却下された。
 
 
 
結局、スピードアップを最優先事項とし、今庄から敦賀まで一本のトンネルを掘る事になった。
 
 
 
[[1957年]]に着工した。敦賀・今庄の両坑口のほか、中間2箇所からも立坑・斜坑を掘るという突貫工事で掘削が進められた。世界的にも注目され日本国外からの視察団もよく訪れた。期間中、新保駅のスイッチバック今庄方引き込み線が延長されて葉原斜坑への資材運搬拠点とされた。北陸トンネルのルートに当たる敦賀市葉原には作業員(とその家族)が多く住み、[[1959年]]の葉原小学校には229人もの児童が在籍した。断層や出水に悩まされたが[[1961年]]7月に貫通し、翌1962年3月に完成した。以後、整備を重ね6月9日には旧線から線路を付け替え暫定運行を開始し、6月のダイヤ改正に合わせ10日より正式供用を開始した。6月10日の開通祝賀式典に併せ、殉職者慰霊祭が敦賀ポータル側で行われた。当初から交流 20,000 [[ボルト (単位)|V]]で[[鉄道の電化|電化]]されていた。今庄止まりの通勤列車はすべて敦賀まで延長され、今庄敦賀間の所要時間は1時間以上の短縮となった。
 
 
 
この区間の開業に伴い、杉津経由の旧線は廃止されている。沿線住民との交渉の結果、大桐駅の代替駅として約 2 [[キロメートル|km]] 今庄よりに南今庄駅が新設され、また敦賀 - 新保、敦賀 - 杉津(海岸周り)、今庄 - 大桐と旧駅間にそれぞれ代替バス路線が設定された。旧線敷地跡は1963年11月4日に道路化された。
 
 
 
掘削時に[[温泉]]が湧き出し、「[[敦賀トンネル温泉]]」(北陸トンネル温泉)として開業された。その反面、トンネル掘削の影響で地下水流が変わり、新保集落ではかつていたるところで湧き出ていた温泉が枯れたといわれる。
 
<gallery>
 
ファイル:Hokuriku tunnnel iriguchi.jpg|北陸トンネル入口の看板(敦賀市深山寺)<br />左手の道路([[国道476号]])は深山信号場跡
 
ファイル:Hokuriku tunnnel kashimagari.JPG|北陸トンネル 樫曲斜坑入口の看板(敦賀市獺河内)
 
</gallery>
 
 
 
== 開通後の状況 ==
 
[[ファイル:CA320228.JPG|thumb|250px|right|トンネルの先は[[嶺北]]]]
 
[[ファイル:EF70Mitsubishi.jpg|thumb|250px|right|開通祝賀列車牽引のため飾られた[[国鉄EF70形電気機関車|EF70 18]]([[三菱電機]]の雑誌広告)]]
 
開通当時は折からの高度成長期と相まって、科学文明の発展のシンボルでもあり、相当な話題となった。時間のかかるスイッチバックの単線、12か所ものトンネルをくぐる度に煤煙に悩まされていた旧線と較べ、複線電化、スピードアップ、コンクリートの枕木、蛍光灯照明の明るいトンネルはインパクトが大きく、新線開通祝賀式典の際には報道用のヘリコプターまで出動した。
 
 
 
都市間連絡のスピードアップ、輸送量増加の陰で今庄駅は急行通過駅となり、[[新保駅]]、[[杉津駅]]、[[大桐駅]]の沿線はモータリゼーションの進展及び過疎化に伴いバスも通勤時間に数本走るのみとなった。
 
 
 
長大トンネルながら[[頸城トンネル]]の[[筒石駅]]のようにトンネル内に駅が設置される構想は当初よりなかった。
 
 
 
トンネル完成後、北陸本線では交流電化や複線化が急激に進展した。北陸トンネルは[[2016年]]現在においても北陸以北の日本海沿岸・北海道地域と関西・中部地域を結ぶ大動脈となっている。
 
 
 
[[1972年]][[11月6日]]、北陸トンネルを通過中であった急行「きたぐに」の[[食堂車]]で火災が発生し、30名の犠牲者を出した。この事故をきっかけに長大トンネル区間及び列車の空調、電源設備の安全性改善が進んだと言われている(蒸気機関車時代は、蒸気そのものを機関車から客車に直接送ることができた)。この事故の前の[[1969年]]12月にも北陸トンネルを通過中の寝台特急「日本海」の[[電源車]]から出火する事故があったが、このときは運転士の判断で列車をトンネルから脱出させて消火したため死者は出なかった(詳細は[[北陸トンネル火災事故]]も参照)。
 
 
 
[[2006年]][[10月21日]]に長年交流電化であった北陸本線[[長浜駅|長浜]] - 敦賀間と[[湖西線]][[永原駅|永原]] - [[近江塩津駅|近江塩津]]間が直流電化され、敦賀口付近に[[デッドセクション]]が設けられた。福井方面からやってきた列車は特急・普通を問わず、デッドセクションにおける交流→直流の電源切り替えに備えるため、トンネルを抜ける手前で若干減速し、ほぼ抜け切ったところで車掌が案内放送を行う。
 
{{-}}
 
 
 
=== 旧線の現況 ===
 
[[ファイル:Usogochi tunnnel.JPG|thumb|250px|right|樫曲隧道(敦賀市獺河内)]]
 
{{see also|旧北陸線トンネル群}}
 
旧線跡地は1963年11月4日に道路に転用された。
 
旧線跡は、敦賀駅から葉原集落までが概ね[[国道476号]]、葉原から杉津PAまでが敦賀市道、今庄駅より杉津PA、そしてふもとの海岸線を走る国道8号までは[[福井県道207号今庄杉津線]]となった。杉津駅南方の河野谷トンネルは解体された。また、杉津駅より[[山中トンネル (福井県)|山中トンネル]]までは、山の中腹をトンネルと鉄橋でつないでいたが、公道化された。旧線鉄橋跡は深山、大桐付近も含め、いずれも鉄橋の上にアスファルト道路を載せている。
 
 
 
北陸本線下り線敦賀方新旧分岐点附近は記念碑が置かれた。
 
 
 
[[深山信号場]]附近は二車線道路に拡幅されて痕跡をとどめない。
 
 
 
樫曲トンネル及び獺河内トンネルは北向き一方通行の一般道として供用されていたが2002年、[[木ノ芽峠トンネル]]開通に併せた道路整備に際して樫曲トンネルは解体を免れ車両通行禁止の歩道として整備され、レトロ調の街灯も設置されたものの獺河内トンネルは拡幅され二車線一般道のトンネルとなった。
 
 
 
獺河内地区の旧新保駅の下にあった木の芽川にかかる鉄橋梁は同じく2002年、[[木ノ芽峠トンネル]]開通に併せた道路整備により消滅。
 
 
 
国道476号から葉原大カーブへ分岐する地点は、神社内敷地を横断しており、廃線後も公道として供用されていたが2007年の道路改修に際し、元の神社に返され通行不可能となったため新たに北側に国道に迂回連絡する車道築堤が造られた。旧道分岐地点近くの鉄橋はひきつづき道路橋として供用中。
 
 
 
葉原大カーブ - 葉原トンネル南ポータルまでの直線区間は、3線をなす[[葉原信号場]]スイッチバック跡である。本線跡の道路の両側、すなわち山側の北陸道下り線築堤及び海側空き地が引き込み線であった。引き込み線築堤が一部北陸道の土台に流用されている。
 
 
 
杉津駅の跡地には[[北陸自動車道|北陸道]]上り線の[[杉津パーキングエリア|杉津PA]]が設置された。本線の山側に旧線から転用された道路を見ることができる。
 
なお、杉津駅あたりの旧線跡は必ずしも北陸自動車道とは一致しない。旧線は山の斜面に沿ってなだらかなS字カーブを描くが、北陸道は盛り土をして一直線に敷かれた。杉津海岸から杉津駅までは一直線の石段があったらしいが、現在は草むらの中に埋もれているようである(駅から海岸までの自動車道はその当時は存在しなかった。北陸道建設に伴い盛り土をした杉津上りPA高架の下に、PA付近より杉津集落へつづら折れに下りる道路と、葉原 - 山中への連絡回廊とができた)。
 
 
 
山中トンネルは長大ながら直線のため、交互通行用の信号機が設置されていない。
 
 
 
町村合併により南越前町が出来てから[[山中信号場]]跡に記念碑が建てられた。「上り方引き込み線が上方の林道にあった」と説明文には書かれているが、実際には上下引き込み線は並んでいた。
 
 
 
大桐駅跡には上り線ホーム跡が残存し看板が建てられた。
 
 
 
福井県道207号今庄杉津線T字交差点(北陸本線踏み切り附近)から今庄方新旧分岐点までは私有地となり通行出来ない。
 
 
 
[[1996年]][[2月]]に発生した[[国道229号]][[豊浜トンネル]]岩盤崩落事故に伴い、葉原トンネル(事業主体:敦賀市)が[[1997年]][[12月]]までの1年10ヶ月間、山中トンネル(事業主体:福井県)が[[1998年]][[4月]]までの2年2ヶ月間通行止めになり、補強工事が施工された。歴史的に価値がある建造物であることから、当時の外観を極力損なわないように配慮した工事を行ったという。
 
 
 
== 記念切手 ==
 
開通の当日、[[郵政省]]から10円の[[記念切手]]が1962年6月10日<ref name="stamp1">日本郵趣協会監修『ビジュアル日本切手カタログVol.1記念切手編』、郵趣サービス社、2012年、96頁。</ref>に発行された。新路線開業ではなく従来線を付け替えたトンネルであり発行は異例だが、当時国内の鉄道トンネルとしては[[清水トンネル]]の開通以来31年ぶりの最長記録更新となる点が考慮されたと考えられる。図柄はトンネルを出る[[国鉄キハ80系気動車|キハ80系]]特急「[[白鳥 (列車)|白鳥]]」である。また、当初は4月10日発行予定であったが開通が伸びて延期されていた<ref name="stamp1">日本郵趣協会監修『ビジュアル日本切手カタログVol.1記念切手編』、郵趣サービス社、2012年、96頁。</ref>。
 
 
 
しかし、この図柄は以下に示すような多数の[http://www.yushu.co.jp/shop/pages/tori_09.aspx 間違い]が指摘され、[[エラー切手|エラーの多い切手]]として名を残すことになった<ref name="stamp1">日本郵趣協会監修『ビジュアル日本切手カタログVol.1記念切手編』、郵趣サービス社、2012年、96頁。</ref><ref name="arai1964">荒井誠一 切手に見る世界の鉄道 補遺〔7〕 北陸トンネル開通記念切手、[[鉄道ピクトリアル]]1964年3月号(通巻155号)pp36-37、[[電気車研究会]]。</ref>。
 
* トンネルの天井に実際より多くの架線・送電線があり、支持具の形状も実際とは異なる。
 
* トンネル内の照明が天井にある(実際はトンネルの側壁に設置)。
 
* [[道床]]が[[枕木]]を並べた[[バラスト軌道|砂利道床]]である(実際は[[スラブ軌道|コンクリート道床]])。
 
* 車両の乗務員室ドアが描かれていない。
 
* 車両の車体下部の裾絞りが明確に描かれていない。
 
* 車両ヘッドマーク下部の換気口が実際より大きい。
 
* トンネル開通とともに電化開業を伴っているにもかかわらず、気動車であるキハ80系を描いている。キハ80系も北陸トンネルを通過しており間違いではないが、北陸トンネル開通にあわせて新形式の[[国鉄EF70形電気機関車|EF70形電気機関車]]が新製投入されており、同形が牽引する列車を描くべきであったとの指摘がある<ref name="arai1964" />。
 
 
 
原因であるが、図案作成者の長谷部日出男が前年に撮影した写真と完成予想図だけで描いたものとされている<ref name="stamp1">日本郵趣協会監修『ビジュアル日本切手カタログVol.1記念切手編』、郵趣サービス社、2012年、96頁。</ref>。
 
 
 
== マイクロ水力発電 ==
 
北陸トンネルの南側(敦賀側)では毎秒180リットルの湧き水が流れでて排水路に流している。これに水車形[[マイクロ水力発電|水力発電機]]を設置して発電に最適な条件を探っている。年間約1万kW時(一般家庭3世帯分)の消費電力が生み出される見込みで、発電された電気は近くにあるJR西日本の事務所の照明などに利用する。この実証試験の結果を踏まえて、ほかのトンネルでも導入を検討、余剰電力は電力会社への売電も考える<ref>出典・読売新聞2013年12月29日・鉄道ファン2014年3月号148頁</ref>。
 
 
 
== 新北陸トンネル ==
 
[[2012年]][[6月29日]]に工事実施計画が認可および建設工事着手され<ref name="建設促進同盟会 経緯">{{Cite web|url=http://www.h-shinkansen.gr.jp/top6.html|title=北陸新幹線のあゆみと課題|accessdate=2015-02-06|date=|publisher=北陸新幹線建設促進同盟会|archiveurl=|archivedate=}}</ref><ref name="石川県 歩み">{{Cite web|url=http://www.pref.ishikawa.jp/shink/hokuriku-shinkansen/ayumi.html|title=北陸新幹線これまでの歩み|accessdate=2015-02-06|date=|publisher=石川県|archiveurl=|archivedate=}}</ref><ref name="上越市 経緯">{{Cite web|url=http://www.city.joetsu.niigata.jp/soshiki/kotsu/shinkansen-keii.html|title=北陸新幹線の整備に関するこれまでの経緯|accessdate=2015-02-06|date=|publisher=上越市|archiveurl=|archivedate=}}</ref><ref name="JRTT 手続き状況">{{Cite web|url=http://www.jrtt.go.jp/02Business/Construction/const-seibi900.html|title=整備新幹線の手続き状況|accessdate=2015-02-26|date=|publisher=鉄道建設・運輸施設整備支援機構|archiveurl=|archivedate=}}</ref><ref name="新潟県 概要">{{Cite web|url=http://www.pref.niigata.lg.jp/koutsuseisaku/1192379427499.html|title=北陸新幹線の概要|accessdate=2015-02-26|date=|publisher=新潟県|archiveurl=|archivedate=}}</ref><ref group="報道">{{Cite press release|title=整備新幹線の工事実施計画の認可について|publisher=国土交通省|date=2012-04-04|url=http://www.mlit.go.jp/report/press/tetsudo09_hh_000032.html|accessdate=2014-12-16|archiveurl=|archivedate=}}</ref>、2023年度の開通を予定する[[北陸新幹線]][[金沢駅]] - 敦賀駅間のうち、[[南越駅]](仮称、[[越前市]]の[[武生インターチェンジ]]付近) - [[敦賀駅]]間に設けられるトンネルである。
 
 
 
延長は福井県南越前町奥野々から敦賀市樫曲にかけての19475m<ref name="jrtt-report_no48">{{Cite web|url=http://www.jrtt.go.jp/01Organization/publicity/pdf/prm/no48-06.pdf|format=PDF|title=WORKING REPORT ~北陸新幹線~ 現場との連携で困難な地質を発破掘削で切り開く|writer=鉄道建設本部 大阪支社 敦賀鉄道建設所|work=鉄道・運輸機構だより 平成28年新春号(No.48)|publisher=独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構|date=2017-01|accessdate=2017-06-11}}</ref><ref group="注釈">当初計画では20009m。また、一部報道等で約19.7kmとの記載も見られる。</ref>で計画され、北陸新幹線(高崎 - 敦賀間)では[[飯山トンネル]](22225m)に次ぐ2番目に長いトンネルとなり、南越駅 - 敦賀駅間30.150kmの大半を占める<ref name="route1_tsubata-tsuruga">{{Cite web|url=http://www.h-shinkansen.gr.jp/route1.html|title=北陸新幹線〔津幡・敦賀間〕路線概要図|accessdate=2015-02-26|date=|publisher=北陸新幹線建設促進同盟会|archiveurl=|archivedate=}}</ref>。
 
 
 
工区は奥野々、大桐、清水(南越前町)と葉原、田尻、樫曲(敦賀市)の6工区に分割され<ref name="fukuishimbun20161216" >{{Cite news|title=新北陸トンネル工事進ちょく26% 葉原工区は1日8メートル掘削|newspaper=福井新聞ONLINE|date=2016-12-16|url=http://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/62652|accessdate=2017-06-10|publisher=福井新聞社}}</ref>、<ref  name="kumagaigumi_csr2017">{{Cite web|url=http://www.kumagaigumi.co.jp/csr/kankyo/csr2016/P1518.pdf|title=「独自の現場力」と「しあわせ品質」の最前線 志高き“精鋭”たちの「ものづくり」 新北陸トンネル工事(福井県南越前町)|accessdate=2017-06-11|date=2016|work=熊谷組グループ CSR報告書2016|publisher=[[熊谷組]]}}</ref>[[2014年]][[12月22日]]の葉原工区を皮切りに順次着工し、掘削が進められている<ref>{{Cite press release|title=北陸新幹線 新北陸トンネル(葉原)工事安全祈願の開催のお知らせについて|publisher=鉄道建設・運輸施設整備支援機構|date=2014-12-16|url=http://www.jrtt.go.jp/08-2Press/pdf/H26/pressh261216.pdf|format=PDF|accessdate=2014-12-16|archiveurl=|archivedate=}}</ref>。2016年4月22日時点で約2900m(進捗率14.7%)<ref name="fukuishimbun20160501">{{Cite news|title=新北陸トンネル長さは全国6番目 6工区に分け工事、進捗14・7%|newspaper=福井新聞ONLINE|date=2016-05-01|url=http://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/59785|accessdate=2017-06-10|publisher=福井新聞社}}</ref>、2016年12月1日時点で約5.2キロ(進捗率約26.6%)を掘削したと発表されている<ref name="fukuishimbun20161216" />。トンネル全体の貫通は2020年3月を予定している<ref name="fukuishimbun20161216" />。
 
 
 
なお、トンネル全体の掘削で出る土砂(約160万立方メートル)は敦賀港の鞠山南地区の用地埋め立てに利活用されている。
 
  
 
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
 
=== 注釈 ===
 
{{Reflist|group="注釈"}}
 
 
<references group="報道"/>
 
 
=== 出典 ===
 
 
{{Reflist}}
 
{{Reflist}}
 
+
{{テンプレート:20180815sk}}
== 関連項目 ==
 
* [[日本の鉄道路線一覧]]
 
* [[柳ヶ瀬線]]
 
* [[敦賀トンネル]](道路トンネル)
 
* [[木ノ芽峠]]
 
** [[木ノ芽峠トンネル]]
 
* [[プロジェクトX全放送作品リスト#2004年]]
 
* [[延長別トンネルの一覧]]
 
 
 
== 外部リンク ==
 
* {{PDFlink|[http://www.jrtt.go.jp/news/pressrelease/data/pressH17.12.12.pdf 北陸新幹線南越(仮称)・敦賀間工事実施計画(その1)の許可申請について―鉄道・運輸機構]}}
 
  
 
{{DEFAULTSORT:ほくりくとんねる}}
 
{{DEFAULTSORT:ほくりくとんねる}}

2018/9/29/ (土) 21:36時点における最新版

北陸トンネル
概要
路線 北陸本線
位置 福井県敦賀市 - 南条郡南越前町
座標 北緯35度41分12秒
東経136度7分57秒
現況 供用中
起点 福井県敦賀市深山寺
終点 福井県南条郡南越前町新道
運用
建設開始 1957年(昭和32年)
開通 1962年(昭和37年)6月10日
管理 西日本旅客鉄道(JR西日本)
技術情報
全長 13,870 m
テンプレートを表示

北陸トンネル(ほくりくトンネル)

福井県中部,北陸本線にある鉄道トンネル。 1957年着工,62年完成。敦賀-今庄間,延長 13.87kmで完成当時の日本第1位,世界第5位。敦賀側,今庄側とほかに中間地点付近2ヵ所から竪坑,斜坑を設け掘削された。工事中温泉が湧出し,南東の中村山中腹に引き湯され,敦賀トンネル温泉となった。

脚注



楽天市場検索: