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{{Infobox 島
 
|島名=
 
|画像= [[File:Kita-Ioto East 20120309.jpg|300px]]|
 
|画像説明= 東から。左の高峰が榊ヶ峰、中心を清水峰と呼ぶ。
 
|座標=
 
| 緯度度 = 25 | 緯度分 = 26 | 緯度秒 = 0 | N(北緯)及びS(南緯) = N
 
| 経度度 = 141 |経度分 = 16 | 経度秒 = 55 | E(東経)及びW(西経) = E
 
|面積= 5.57
 
|周囲= 8.8
 
|標高= 792
 
|最高峰= 榊ヶ峰
 
|最大都市=
 
|諸島= [[小笠原諸島]]・[[火山列島]](硫黄列島)
 
|海域= [[太平洋]]
 
|国= 日本
 
|地図 ={{Location map
 
| Japan&neighbours
 
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| mark = Location dot red.svg
 
| marksize = 9
 
| width = 220
 
}}
 
}}
 
  
'''北硫黄島'''(きたいおうとう)とは、[[小笠原諸島]]の[[火山列島]]の一部をなし、[[東京都]][[小笠原村]]に属する[[無人島|無人]]の[[火山島]]である。欧名はサン・アレキサンドロ島。
 
  
== 概要 ==
+
'''北硫黄島'''(きたいおうとう)
[[File:Kita Iwo Jima Island Aerial photograph.jpg|thumb|230px|北硫黄島周辺の空中写真。(1978年撮影の6枚より合成作成)。{{国土航空写真}}。]]
 
[[東京]]の南約1,200[[キロメートル|km]]、[[父島]]の南南西207kmに位置し、[[火山列島]]の最北端の島。東西約 2.1km、南北約 3.3km、[[高さ#地理|標高]]792mの榊ヶ峰(さかきがみね<ref >[http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MOUNTAIN/mountain.html 日本の主な山岳標高] - 国土地理院、2017年6月閲覧</ref>)を有する。
 
  
[[明治|明治期]]から[[太平洋戦争]]まで、主に[[母島]]からの移住者が[[集落]]をつくり生活していた。絶滅の恐れがあるとされ特殊鳥類に指定されている[[ハヤブサ|シマハヤブサ]]の生息地である。
+
東京都、硫黄列島にある火山島。昭和19年(1944)、第二次大戦の激化にともない全島民が強制疎開。現在は無人島。平成23年(2011)「小笠原諸島」の名で世界遺産(自然遺産)に登録された。きたいおうじま。
  
== 地形・地質 ==
+
{{テンプレート:20180815sk}}
北硫黄島は、水深1,500-2,000m付近からそびえる[[玄武岩]]質の[[成層火山]]の頂部である<ref name="kaiho">[http://www1.kaiho.mlit.go.jp/GIJUTSUKOKUSAI/kaiikiDB/kaiyo21-2.htm 海域火山データベース:噴火浅根] - 海上保安庁、2017年6月閲覧</ref><ref name="中野古川">{{PDF|[https://www.jstage.jst.go.jp/article/bullgsj/60/7-8/60_395/_pdf 火山列島,北硫黄島火山の地質概要(2009年)] - 中野俊・古川竜太}}、2017年6月閲覧</ref>。中期[[更新世]]に活動し<ref name="gsj"/>、約14万年前まで活動した<ref name="gsj">[https://gbank.gsj.jp/volcano/Quat_Vol/volcano_data/G26.html 日本の火山 北硫黄島] - 産業技術総合研究所 地質調査総合センター、2017年6月閲覧</ref>。
 
 
 
山体は[[浸食]]が著しく<ref name="中野古川"/>。山頂付近に[[火口]]は残っていない<ref name="kaiho"/>。島での噴火の記録はない<ref name="kaiho"/>。北硫黄島の西側には直径8×12km程度の埋没した[[カルデラ]]らしき地形がある<ref name="gsj2">[https://gbank.gsj.jp/volcano/Quat_Vol/photo_page_1a/175_5.htm 日本の火山 北硫黄島(画像ページ5)] - 産業技術総合研究所 地質調査総合センター、2017年6月閲覧</ref>。また、北硫黄島の北ノ岬の西方約5kmには[[活火山]]の[[海底火山]]である[[噴火浅根]]があり<ref name="kaiho"/>、こちらでは噴火も観測されている<ref name="kaiho"/><ref>[https://gbank.gsj.jp/volcano/Quat_Vol/volcano_data/G25.html 日本の火山 噴火浅根] - 産業技術総合研究所 地質調査総合センター、2017年6月閲覧</ref>。
 
 
 
== 歴史 ==
 
孤島であるため、詳しい歴史は分かっていない。島内に残る遺跡から、[[石器時代]]頃に[[マリアナ諸島]]から渡った住民が定住していたと考えられている<ref name ="hitouzukan">{{Cite book|和書 | author = 清水浩史 | year = 2015 | title = 秘島図鑑 | publisher  = 河出書房新社 | isbn = 978-4-309-27615-1 | pages = pp.022-025}}</ref>。また[[石野遺跡]]の調査により、[[紀元前1世紀]]頃にも人が定住していたことが分かっている。
 
 
 
[[1543年]](天文12年)、[[スペイン帝国|スペイン]]のサン・ファン号が北硫黄島を発見したと記録されている<ref name ="hitouzukan" />。
 
 
 
[[1891年]](明治24年)[[9月9日]]、島名を「北硫黄島」とし[[東京府]][[小笠原支庁|小笠原島庁]]所属とする<ref>明治24年勅令第190号(島嶼所属名称、明治24年9月10日付官報所収、{{ws|[[:s:島嶼所屬名稱ノ件|原文]]}})</ref>。[[1898年]](明治31年)より、漁労目的に[[母島]]からの移住が開始された<ref name ="hitouzukan" />。この際、開拓を指揮したのが石野平之丞で、後に島内の石野村の村長となった<ref name ="hitouzukan" />。開拓民によって、石野村と西村という2つの集落が形成された<ref name ="hitouzukan" />。戦前の最盛期には、2集落合わせて人口は約220人を数えた<ref name ="hitouzukan" />。当時は、[[サトウキビ]]や野菜の栽培、鰹漁が行なわれていた。その後島の経営を硫黄島製糖会社が行なうようになった。なお、この頃に島内で[[磨製石器]]の[[石斧]]3点が発見され[[東京大学]]に寄贈された。
 
 
 
[[1939年]](昭和14年)、[[第二次世界大戦]]勃発。この時の島民は103人であった。[[1941年]](昭和16年)12月には[[太平洋戦争]]が勃発した。[[1943年]](昭和18年)には[[東京都制]]が施行(東京府が廃止)され、東京都の所属となる。翌[[1944年]](昭和19年)になると太平洋戦争激化のため本土へ強制疎開が開始された<ref name ="hitouzukan" />。疎開時の人口は90人だった。また、島の守備と周辺の不時着機および遭難舩船の乗員の救助を任務として[[大日本帝國海軍]]より北硫黄島派遣隊が派遣された。[[1945年]](昭和20年)8月に太平洋戦争が終結すると、同年[[9月5日]]に派遣隊は[[魚雷艇 (大日本帝国海軍)|魚雷艇]]にて撤収し、それ以降も島民が戻ることなく無人島となっている。
 
 
 
[[1952年]](昭和27年)、[[日本国との平和条約|サンフランシスコ条約]]によって、[[アメリカ軍]]の[[占領行政|軍政]]下に入る。[[1968年]](昭和43年)、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]より返還され、東京都小笠原村に属する。[[1991年]](平成3年)[[7月]]に[[マリアナ]]文化の影響を受けていると見られる石器時代の[[石野遺跡]]が発見され、石斧や[[土器]]片などが採集された。シャコ貝の[[放射性炭素年代測定法|炭素14年代法]]で2000年前との結果が出ている<ref>田中琢「周辺からの視点」(田中琢・佐原真著『考古学の散歩道』[[岩波新書]](新赤版)312 1996年第9版)179ページ</ref>。
 
 
 
[[2007年]](平成19年)[[6月18日]]に[[国土地理院]]による呼称が「きたいおうじま」から、「'''きたいおうとう'''」に変更された。
 
{{Main2|呼称の変更|硫黄島 (東京都)#島の名称}}
 
 
 
== 集落 ==
 
第二次世界大戦による集団疎開前、北硫黄島には2つの集落が存在した。2017年時点でも国土地理院所管の地図上には集落名が記載されている。
 
 
 
*'''石野村''' - 東麓に存在した<ref name ="hitouzukan" />。村の近くには常時水が流れる渋川が存在しており、流域には湧水が数か所湧き出ていたとされる<ref name ="hitouzukan" />。最盛期には[[旧制小学校|小学校]]が設置されており、石野村のみならず西村からも児童が通学していた<ref name ="hitouzukan" />。
 
*'''西村''' - 北西麓に存在した<ref name ="hitouzukan" />。
 
 
 
== その他 ==
 
島周辺は常に波が高く、船の接岸は困難である。周辺には、「丸根」「丸根南小島」が存在する<ref group="注釈">2島は、2009年に「海洋管理のための離島の保全・管理のあり方に関する基本方針」に基づき名称が決定したもの</ref>。かつて榊ヶ峰の頂部の平坦面には放牧場があった<ref>[https://gbank.gsj.jp/volcano/Quat_Vol/photo_page_1a/175_16.htm 日本の火山 北硫黄島(画像ページ16)] - 産業技術総合研究所 地質調査総合センター、2017年6月閲覧</ref>。
 
 
 
[[2009年]]7月22日[[2009年7月22日の日食|皆既日食]]の観測が島近海の船上から行われ、[[日本放送協会]](NHK)が中継放送した。
 
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File:Kita-Ioto SW 20120309.jpg|南西から。右の高峰が榊ヶ峰。
 
File:Kita-Ioto NW 20120309.jpg|北西から。
 
File:Kita-ioto.jpg|北西から。
 
</gallery>
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
=== 注釈 ===
 
{{Reflist|group=注釈}}
 
=== 出典 ===
 
{{Reflist|2}}
 
 
 
==関連項目==
 
{{Commonscat|Kita Iwo Jima}}
 
* [[石野遺跡]]
 
* [[南硫黄島]]
 
* [[ニシノシマホウキガニ]]
 
 
 
== 外部リンク ==
 
* [https://gbank.gsj.jp/volcano/Quat_Vol/volcano_data/G26.html 日本の火山 北硫黄島] - 産業技術総合研究所 地質調査総合センター
 
* [http://www1.kaiho.mlit.go.jp/GIJUTSUKOKUSAI/kaiikiDB/kaiyo21-2.htm 海域火山データベース:噴火浅根] - 海上保安庁
 
* [https://www.vill.ogasawara.tokyo.jp/ioutou_north/ 北硫黄島] - 小笠原村
 
 
 
{{伊豆・小笠原諸島の島々}}
 
 
{{DEFAULTSORT:きたいおうとう}}
 
{{DEFAULTSORT:きたいおうとう}}
 
[[Category:火山列島]]
 
[[Category:火山列島]]

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北硫黄島(きたいおうとう)

東京都、硫黄列島にある火山島。昭和19年(1944)、第二次大戦の激化にともない全島民が強制疎開。現在は無人島。平成23年(2011)「小笠原諸島」の名で世界遺産(自然遺産)に登録された。きたいおうじま。



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