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{{redirect|明礬温泉|明礬泉|含アルミニウム泉}}
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{{日本の温泉地
 
|名称 = 別府温泉
 
|名称 = 別府温泉
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[[ファイル:Beppu Takegawara-onsen02s5s4272.jpg|thumb|right|[[竹瓦温泉]]]]
 
[[ファイル:Ekimaekoto.jpg|thumb|right|駅前高等温泉]]
 
[[ファイル:Beppu suginoi hotel.jpg|thumb|right|観海寺温泉の大型リゾートホテル]]
 
[[ファイル:Myoban Onsen 02.jpg|thumb|right|明礬温泉の[[湯の花]]小屋]]
 
[[ファイル:View of KannawaOnsen.jpg|thumb|right|湯けむりが上がる鉄輪温泉街]]
 
[[ファイル:KannawaMushiyu.jpg|thumb|right|鉄輪むし湯]]
 
[[ファイル:Beppu hotspring-well01.jpg|thumb|right|鉄輪付近の源泉]]
 
[[ファイル:Beppu Umi-jigoku04n4272.jpg|thumb|right|名勝 [[海地獄]]]]
 
[[ファイル:Beppu Chinoike-jigoku03n3200.jpg|thumb|upright|名勝 [[血の池地獄]]]]
 
'''別府温泉'''(べっぷおんせん)は、[[大分県]][[別府市]](旧国[[豊後国]][[速見郡]])の市内各地に数百ある[[温泉]]の総称。'''別府八湯'''(べっぷはっとう)、'''別府温泉郷'''(べっぷおんせんごう)とも呼ばれる。[[温泉都市]]として知られる別府は、[[源泉]]数、[[湧出量]]ともに[[日本一の一覧|日本一]]{{refnest|group="注釈"|源泉数(孔)2,217、湧出量83,058[[リットル]]/分<ref name="data" />。}}。
 
 
別府温泉はまた、広義の別府温泉(別府八湯)を構成する温泉のうちの別府市中心部にある[[温泉街]]の名称でもある([[#別府温泉]]参照)。
 
 
== 概要 ==
 
[[泉都]]とも呼ばれる別府市には、[[鶴見岳]](標高1,375m)とその約4km北にある[[伽藍岳]](別名硫黄山、標高1,045m)の2つの火山の東側に多数の温泉が湧き出ている。また、奇観を呈する自然湧出の[[源泉]]を観光名所化した[[別府地獄めぐり]]など観光スポットも充実しており、別府市には毎年800万人を超える観光客が訪れる<ref>[https://www.city.beppu.oita.jp/sangyou/kankou/detail8.html 観光統計] 別府市</ref>。豊かな温泉資源は観光や、市民生活だけでなく、古くは[[ミョウバン|明礬]]の生産から、[[地熱発電]]、医療、[[花き]]栽培、養魚業、最近では[[温泉泥]]美容まで、様々な産業に幅広く利用されている。
 
 
== 別府八湯 ==
 
別府市内には、おのおの泉質や雰囲気を異にした温泉が数百あるが、それらは歴史の異なる8箇所の[[温泉郷]]を中心に分布しており、これらを総称して別府八湯と呼んでいる<ref group="注釈">[[1889年]](明治22年)の町村制施行時には、別府温泉は別府村、浜脇温泉は浜脇村、観海寺温泉と堀田温泉は石垣村、明礬温泉と鉄輪温泉は朝日村、柴石温泉と亀川温泉は御越村にあり、[[大正]]の中頃までは、北由布村の[[由布院温泉]]と[[塚原温泉]]も含めて、[[別府十湯]]とも呼ばれていた。</ref>。
 
 
別府八湯では、毎年4月のはじめに別府八湯の豊かな温泉の恵みに感謝して[[別府八湯温泉まつり]]が開催されている。また、[[2001年]]([[平成]]13年)から開催されている[[別府八湯温泉泊覧会]]([[オンパク]])や、別府八湯の選び抜かれた温泉施設から88湯に入浴し、温泉道名人の認定を目指す[[別府八湯温泉道]]という体験型イベントがある。
 
 
=== 別府温泉 ===
 
別府(べっぷ)温泉は、JR[[別府駅 (大分県)|別府駅]]周辺に位置する温泉街である。駅に近く交通の便がよい。単純泉、食塩泉、重曹泉、重炭酸土類泉など多数の温泉が湧き、各泉質に応じて効能がある。地元住民を対象とした町内会経営の[[共同温泉]]も多く、観光客も利用できる。温泉街は別府八湯の中では最も歓楽的な要素が強く、夜になれば飲食店や[[別府タワー]]など[[繁華街]]のネオンが煌く。
 
 
[[元寇]]の役の戦傷者が保養に来たという[[楠温泉]]など、古くから流川の川沿いにいくつもの温泉が湧き出し、江戸時代後期の[[温泉番付]]にも登場する。昔の別府の玄関口旧[[別府港]](楠港)の開港とともに発展した温泉街で、旧港の近くには入母屋破風の外観を持つ市営温泉「[[竹瓦温泉]]」があり、温泉のほかに砂湯(温泉で温められた砂を体にかけてもらう)が楽しめる。竹瓦温泉と[[竹瓦小路アーケード|竹瓦小路木造アーケード]]は、「別府温泉関連遺産」として、[[2009年]](平成21年)2月6日に[[近代化産業遺産]]に認定されている。鎮守神である[[温泉神社 (別府市青山町)|温泉神社]]は現在は[[八幡朝見神社]]に合祀されており、楠港の開港時にまつられた[[波止場神社]]は竹瓦温泉の北にある。
 
 
=== 浜脇温泉 ===
 
浜脇(はまわき)温泉は、[[朝見川]]の河口一帯にある温泉街で、JR[[東別府駅]](浜脇駅として開設された)の前の海沿いに位置する。市営温泉「[[浜脇温泉]]・湯都ピア浜脇」がある他は、小さな[[共同温泉]]が多い。
 
 
現在は名前の由来となった砂浜に温泉が湧く様子は見られないが、[[鎌倉時代]]には[[八幡朝見神社]]の[[門前町]]として栄え、[[大友氏]]が温泉奉行を置いて温泉を整備した。江戸時代後期の[[1817年]]([[文化 (元号)|文化]]14年)に書かれた[[温泉番付]]「諸国温泉功能鑑」では、西の前頭三枚目で別府温泉よりも上位にランキングされ、河口の船溜も[[湯治舟]]で賑わっていた。炭酸水素泉、塩化物泉など。
 
 
=== 観海寺温泉 ===
 
観海寺(かんかいじ)温泉は、朝見川上流の山の斜面の古い街道沿いにある温泉街で、別府湾の見晴らしがよい。単純泉、含重曹食塩泉で神経痛・[[リューマチ]]に効能がある。大型リゾートホテル[[杉乃井ホテル]]と、室内温水プール[[アクアビート]]、ボウリング場、劇場や大展望露天風呂などのレジャー施設が並ぶ。
 
 
=== 堀田温泉 ===
 
堀田(ほりた)温泉は、観海寺温泉のさらに奥、由布院温泉へ向かう[[九州横断道路]]([[やまなみハイウェイ]])沿いにある[[源泉]]地帯で、江戸時代に開かれた静かな山の[[湯治場]]である。湯量が豊富で、別府市内の[[共同温泉]]などへの給湯もされている。[[大分県道52号別府庄内線]]沿いに市営温泉「堀田温泉」がある。泉質は、弱酸性低張性高温泉、硫黄泉である。
 
 
=== 明礬温泉 ===
 
明礬(みょうばん)温泉は、別府市街から少し離れた伽藍岳中腹の標高400mの所にある地熱地帯で、その名の通り[[江戸時代]]から[[ミョウバン|明礬]]([[湯の花]])が採取されてきた山の温泉街。急傾斜の地熱地帯に別府石の石垣が築かれ湯の花小屋が建ち並び湯けむりの立ち込める明礬温泉の[[景観]]は、鉄輪温泉とともに別府の湯けむり・温泉地景観として国の[[重要文化的景観]]に選定されている<ref name="keikan">[https://www.city.beppu.oita.jp/gakusyuu/bunkazai/yukemuri_keikan_index.html 別府の湯けむり景観] 別府市</ref>。湯の花の採取施設である湯の花小屋は、一部見学が可能である。泉質は、酸性硫化水素泉、緑ばん泉で神経痛・リューマチ・[[皮膚病]]に効能があり、市営温泉「鶴寿泉」がある。コロイド硫黄を含んで白濁した温泉が多いが、[[別府地獄めぐり#紺屋地獄|別府温泉保養ランド]]では美肌効果の高い『ドロ湯』が味わえる。
 
 
別府明礬温泉の湯の花製造技術は、国の[[重要無形民俗文化財]]に指定されている。
 
 
=== 鉄輪温泉 ===
 
[[鉄輪温泉|鉄輪(かんなわ)温泉]]は、別府市街と明礬温泉との中間にあり、いまだに[[湯治]]の雰囲気を残す温泉街。貸間旅館が建ち並び随所から湯けむりの立ち上る鉄輪温泉の[[景観]]は、明礬温泉とともに別府の湯けむり・温泉地景観として国の[[重要文化的景観]]に選定されている<ref name="keikan" />。
 
 
湯治客は貸間旅館にある温泉の蒸気を利用した装置「[[地獄釜]]」で自炊しながら長逗留する。温泉の蒸気は部屋の暖房にも使われている。周辺に多様な地獄が存在することから分かるように、泉質も単純泉、食塩泉、炭酸鉄泉など多彩である。岩風呂・砂湯・瀧湯・[[露天風呂]]など、さまざまな温泉が楽しめる[[外湯]]の[[ひょうたん温泉]]を代表に、大小多数の温泉施設や、食材の持ち込みも可能で手軽に地獄釜を利用できる[[地獄蒸し工房 鉄輪|地獄蒸し工房]]もある。[[別府地獄めぐり]]の中心に位置し、周辺には[[海地獄]]、[[鬼石坊主地獄]]、[[山地獄]]、[[かまど地獄]]、[[鬼山地獄]]、[[白池地獄]]などの観光施設や、[[大衆演劇]]の[[芝居小屋]][[ヤングセンター]]などの娯楽施設も存在する。鉄輪地獄地帯公園の付近には日本で最初の[[地熱発電]]に用いられた泉源跡があり<ref>{{cite web |url=http://today.blogcoara.jp/beppu/2005/05/post_eae5.html |title=坊主地獄そばで日本初の地熱発電 |accessdate=2009年9月30日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20060208142603/http://today.blogcoara.jp/beppu/2005/05/post_eae5.html |archivedate=2006年2月8日 }} [[今日新聞]]、2005年5月6日</ref>、また、野菜・花きの温泉熱利用による栽培、育種の研究が行われている花き研究所がある。
 
 
[[開湯伝説]]によれば、[[鎌倉時代]]広大な地獄地帯であったこの地を[[一遍]]が[[火男火売神社]]の祭神の導きで最初に整備したとされ、市営温泉「[[鉄輪むし湯]]」の向かいには、一遍が開いたとされる蒸し湯跡が今も残る。毎年9月には[[鉄輪湯あみ祭り]]が開催され、むし湯のそばの温泉山[[永福寺 (別府市)|永福寺]]では、上人像を[[渋の湯]]などで洗い清める「湯あみ法要」が行われる<ref>{{cite web |url=http://www.oita-press.co.jp/localNews/2009_125375463765.html |title=一遍上人も「ほっ」 鉄輪温泉湯あみ祭り |accessdate=2009年9月30日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090930073810/http://www.oita-press.co.jp/localNews/2009_125375463765.html |archivedate=2009年9月30日 }} [[大分合同新聞]]、2009年9月24日</ref>。温泉街の山手の坂を登った先には[[温泉神社]]がある。
 
[[File:Beppu Kannawa Panorama 01.jpg|600px|thumb|center|鉄輪の温泉街]]
 
 
=== 柴石温泉 ===
 
柴石(しばせき)温泉は、[[血の池地獄]]や[[龍巻地獄]]の一帯にある由緒ある温泉で、[[895年]]に[[醍醐天皇]]、[[1044年]]に[[後冷泉天皇]]が入湯したといわれている<ref>[http://www.city.beppu.oita.jp/01onsen/02shiei/14shibaseki/shibaseki.html 13.柴石温泉](別府市)</ref><ref>[http://www.pref.oita.jp/10400/o_net/japanese/vol_19/map.html Meet Oita Net Magazine O-net Vol.19](大分県企画振興部広報広聴課)</ref>。柴石川に沿った谷間に市営温泉「柴石温泉」がある。泉質は、含鉄泉、硫酸塩泉などである。
 
 
=== 亀川温泉 ===
 
亀川(かめがわ)温泉は、JR[[亀川駅]]すぐの海沿いにある温泉街で、泉質はナトリウム・塩化物泉である。大正時代に開院した海軍病院(現・[[国立病院機構別府医療センター]])を中心に発展し、[[1950年]]には[[別府競輪場]]が開設された。亀川駅の近くには市営温泉「浜田温泉」と[[浜田温泉資料館]]がある。[[一遍]]上人が九州に上陸した地点と言い伝えられている上人ヶ浜([[別府大学駅]]近く)に、市営温泉「[[別府海浜砂湯]]」がある。
 
 
== 泉質 ==
 
11種類の掲示用泉質のうち、以下の10種類が入浴用途に用いられている<ref>[http://www.beppumuseum.jp/jiten/senshitsu.html 泉質・泉質名:別府温泉事典] 別府温泉地球博物館</ref>。なお、別府市は7種類が確認されているとしている<ref>[http://www.city.beppu.oita.jp/sangyou/onsen/detail4.html 温泉データ] 別府市</ref>。
 
* [[単純温泉]] - 別府温泉、浜脇温泉、観海寺温泉、鉄輪温泉、亀川温泉
 
* [[二酸化炭素泉]] - 別府温泉
 
* [[炭酸水素塩泉]] - 別府温泉、浜脇温泉、観海寺温泉
 
* [[塩化物泉]] - 別府温泉、浜脇温泉、鉄輪温泉、亀川温泉
 
* [[硫酸塩泉]] - 鉄輪温泉、柴石温泉
 
* [[含鉄泉]] - 明礬温泉、鉄輪温泉、柴石温泉
 
* [[含アルミニウム泉]] - 明礬温泉
 
* [[含銅-鉄泉]] - 明礬温泉
 
* [[硫黄泉]] - 堀田温泉、明礬温泉
 
* [[酸性泉]] - 堀田温泉、明礬温泉
 
: ※[[放射能泉]](ラジウム温泉)も一部に湧出しているが、現在のところ入浴用途には用いられていない。
 
: ※掲示用泉質ではないが、別府温泉北浜地区の旅館群にある一部の源泉には[[モール泉]]も湧出する。
 
 
== 歴史 ==
 
[[ファイル:Opening ceremony of Beppu station.jpg|thumb|right|別府駅開業記念式典(1911年)]]
 
[[ファイル:Naruto Maru Postcard.JPG|thumb|right|[[紅丸]](1912年就航)]]
 
[[ファイル:Beppu Kyoto Univ Chikyunetsugaku Lab.jpg|thumb|right|地球物理学研究所本館<br />(現・[[京都大学大学院理学研究科附属地球熱学研究施設]]本部、1923年竣工)]]
 
[[ファイル:Royal Wing01.JPG|thumb|right|「瀬戸内海の女王」くれない丸(現・[[ロイヤルウイング]])]]
 
[[ファイル:Beppu city suburbs 01.jpg|thumb|right|郊外には温泉付きマンションが林立するようになった(2008年)]]
 
[[ファイル:Beppu city central area01.jpg|thumb|right|別府駅周辺(2010年)]]
 
[[ファイル:Beppu ginza 01.jpg|thumb|right|ソルパセオ銀座商店街。近年は飲食店の集積が進み再活性化、「platform」も立地する。]]
 
[[ファイル:Beppu B-con Plaza 1.jpg|thumb|right|国際的な会議も開催される「[[ビーコンプラザ]]」と「グローバルタワー」]]
 
 
=== 神話や開湯伝説と温泉街の形成 ===
 
古代より[[豊後国]][[速見郡]]の[[鶴見岳]]山麓に[[温泉]]があることは広く知られていたが、鶴見岳の活発な噴火活動で荒地や沼地になっており、整備されていなかった。『[[豊後国風土記]]』や『[[万葉集]]』には、現在の柴石温泉の[[血の池地獄]]にあたる「赤湯の泉」や、鉄輪温泉の地獄地帯にあたる「玖倍理(くべり)湯の井」等についての記載がある。『伊予国風土記』逸文には、[[大国主|大国主命]]が鶴見山麓から湧く「速見の湯」を海底に管を通して[[道後温泉]]へと導き、[[スクナビコナ|少彦名命]]の病を癒したという[[神話]]が記載されている。[[771年]](宝亀2年)に創祀されたとされる[[火男火売神社]]は、鶴見岳の2つの山頂を[[カグツチ|火之加具土命]](ひのかぐつちのみこと)、火焼速女命(ひやきはやめのみこと)の男女二柱の神として祀っており、別府八湯の守り神として信仰を集めている。
 
 
柴石温泉は[[平安時代]]、別府温泉と鉄輪温泉は[[鎌倉時代]]には[[湯治場]]として利用されていた。浜脇温泉は[[八幡朝見神社]]の[[門前町]]として栄え、鎌倉中期には[[大友頼泰]]が日名子太郎左衛門尉清元を温泉奉行とし、朝見川、永石川、流川沿いなどに湧出する温泉が整備されていた。流川の近くにあった[[楠温泉]]には[[元寇]]の役の戦傷者が保養に来た記録が残っている。鉄輪温泉の開湯は[[一遍]]上人によるものとされている。
 
 
[[江戸時代]]には明礬温泉で明礬の生産が始まり、街道沿いの観海寺温泉や堀田温泉や亀川温泉が整備され、[[瀬戸内海|瀬戸内]]各方面からは[[湯治舟]]が集まった。特に浜脇温泉と別府温泉は[[温泉番付]]では必ず上位に登場するなど、次第にそれぞれの温泉に[[温泉街]]が形成され、庶民の温泉湯治が一般的となった。これらの温泉街では湯治生活の必需品として炊事に用いる笊などの[[竹細工]]や、櫛などのつげ細工が盛んとなって現在も生産が続いており、工芸品としても発達した[[別府竹細工]]は国の[[伝統的工芸品]]にも指定されている。
 
 
=== 山は富士 海は瀬戸内 湯は別府 ===
 
[[明治]]時代に入り、[[1871年]](明治4年)5月に[[別府港]]が完成し、[[1873年]](明治6年)5月に[[大阪市|大阪]]との航路が結ばれた事により別府は次第に人々が集まり、[[温泉都市]]へと発展した。[[1900年]](明治33年)5月には、日本で5番目の開業となる[[大分交通別大線|路面電車]]が走り、またその運行の為に日本で2番目となる[[火力発電所]]が設置され、その電力で街灯も整備されると別府の中心部[[大分県道52号別府庄内線|流川界隈]]は夜も[[不夜城]]の賑わい<ref group="注釈">[[別府地獄めぐり]]遊覧バスの七五調ガイドでは流川通りの賑わいをそのように表現していた。</ref>を見せるようになる。[[1911年]](明治44年)[[7月16日]]には[[別府駅 (大分県)|別府駅]]が開業、[[1912年]](明治45年)5月には観光開発を目的とした[[大阪商船]]の1,000トン級客船「[[紅丸]]」(くれないまる)が阪神・別府航路に就航し、[[柳原白蓮]]ゆかりの赤銅御殿や麻生別荘など財界の大物の別荘も多く建てられるようになった。
 
 
次第に発展を見せた別府には、駅と港の周辺に商店、劇場、芝居小屋が立ち並ぶ歓楽街が形成されたり、高温の温泉が噴出する[[別府地獄めぐり|地獄]]が観光施設として整備されたり、[[少女歌劇]]を売りにした[[鶴見園]]や当時珍しい[[ケーブルカー]]([[別府ラクテンチケーブル線]])が話題を呼んだ[[別府遊園]](現・[[ラクテンチ]])といった[[遊園地]]なども作られた一方で、海・陸軍の病院(現・[[国立病院機構別府医療センター]]、[[国立病院機構西別府病院]])や、[[九州大学]]の[[温泉治療学研究所]]と付属病院(現・[[九州大学病院別府病院]])、京都大学地球物理学教室附属地球物理学研究所(現・[[京都大学大学院理学研究科附属地球熱学研究施設]])など、豊富な温泉資源を医療や科学に活かす施設も次々に建てられた。
 
  
そして、別府観光の父[[油屋熊八]]の登場により別府温泉の名は全国へと広まった。当時流行の鳥瞰絵師[[吉田初三郎]]{{refnest|group="注釈"|大正の広重と云われた、熊八最大の盟友<ref>[http://www.asocie.jp/oldmap/oita/42001.html 別府温泉御遊覧の志おり「日本第一の温泉別府亀の井ホテル御案内」] 地図の資料館</ref>。}}を重用し、[[温泉マーク]]や「山は富士 海は瀬戸内 湯は別府」というキャッチコピーを用いた別府温泉の宣伝手法は熊八のアイデアである。さらに、[[1928年]]([[昭和]]3年)1月には[[別府地獄めぐり]]遊覧バスを運行し全国初の女性[[バスガイド]]の案内でまわる地獄めぐりは大人気となった。一方、この頃別府を舞台に大きな博覧会が催され、1928年(昭和3年)4月に開催された[[中外産業博覧会]]や、[[1937年]](昭和12年)3月に開催された[[別府国際温泉観光大博覧会]]も多くの入場者を集めた。
+
'''別府温泉'''(べっぷおんせん)
  
また、[[1929年]](昭和4年)から[[1940年]](昭和15年)までの間、[[旧日本海軍]]の[[連合艦隊]]がたびたび入港した。[[1933年]](昭和8年)の記録では、2月9日に「[[鳥海 (重巡洋艦)|鳥海]]」「[[摩耶 (重巡洋艦)|摩耶]]」「[[高雄 (重巡洋艦)|高雄]]」「[[愛宕 (重巡洋艦)|愛宕]]」など1万トン級の最新鋭重巡洋艦を中心とする[[第二艦隊 (日本海軍)|第二艦隊]]29隻が、さらに2月21日には[[第一艦隊 (日本海軍)|第一艦隊]]旗艦「[[陸奥 (戦艦)|陸奥]]」以下35隻が[[別府湾]]に停泊し、沖合にずらりと並んだ艦船から上陸してくる延べ何万人もの将兵で別府の街は海軍一色となった。
+
大分県中部,別府市北西部,大平山の北東腹,標高約 400mにある温泉。泉質は明礬泉,硫黄泉。泉温は 38~98℃。皮膚病に特効がある。地熱地域に「湯の花 (硫黄) 」を採集する草ぶきの小屋が立並んでいる。静かな療養温泉であるが,近くにはゴルフ場,養鱒場,保養センターなどがある。
 
 
=== 高度経済成長と観光ブームの到来 ===
 
戦災に遭うこと無く終戦を迎えた別府には、戦後[[連合国軍最高司令官総司令部|進駐軍]]が駐留し、[[高度経済成長期]]には新婚旅行や修学旅行客などで最盛期を迎えた。[[1950年]](昭和25年)には、[[国際観光文化都市]]の第1号として国際観光温泉文化都市に指定され、[[1957年]](昭和32年)には[[別府温泉観光産業大博覧会]]が開催されると、[[別府競輪場]]や[[別府タワー]]、[[鶴見岳]]の[[別府ロープウェイ]]、[[九州横断道路]]([[大分県道・熊本県道11号別府一の宮線|やまなみハイウェイ]])が開業するなど観光施設の開発も相次ぎ、宿泊施設も急激に増大していった。当時、大阪との間を結ぶ瀬戸内航路は最盛期を迎え、[[1960年]](昭和35年)には「瀬戸内海の女王」とも呼ばれた[[ロイヤルウイング|くれない丸]]が就航したのをはじめ、3000トン級クルーズ客船が、最大時6隻体制で新婚旅行客などを別府へと運んだ。
 
 
 
鉄輪、明礬、柴石の各温泉は、[[1985年]](昭和60年)3月19日に[[国民保養温泉地]]に指定されるが、別府の観光客は1976年(昭和51年)をピークにすでに減少に転じており、1980年代までは1200万人前後で推移したものの、1990年代の[[バブル崩壊]]後には1000万人台にまで落ち込んだ。観光客減少の原因としては、国内各地でのテーマパークの開園や海外旅行の一般化等の国民の余興と娯楽の多様化、団体旅行から個人旅行への変化等が挙げられている<ref>「文化的景観 別府の湯けむり景観保存計画」 第2部 文化的景観の調査報告 {{PDFlink|[https://www.city.beppu.oita.jp/pdf/gakusyuu/bunkazai/yukemuri_keikan/02_08.pdf 第8章 温泉観光の過去と現在]}}、別府市</ref>。
 
 
 
しかしながら、これだけの多様な温泉群が密集する地区は全国的にも珍しく、[[平成]]になって[[大韓民国|韓国]]などの日本国外からの利用客が増加した{{refnest|group="注釈"|[http://www.beppu-navi.jp/ 別府市観光協会公式サイト]は、日本語のほかに[[韓国語]]・[[中国語]]・[[英語]]に対応しており、特に距離的にも近い韓国からの観光客受け入れに力を入れていたが、2008年(平成20年)10月を境に、経済危機と[[大韓民国ウォン|ウォン]]暴落の影響で韓国人観光者が激減、緊急対策会議を開いた<ref>[http://www.j-cast.com/2008/10/24029234.html ウォン安で韓国人観光客急減 頭抱える別府温泉は対策会議] J-CASTニュース、2008年10月24日</ref>。}}{{refnest|group="注釈"|さらなる韓国人観光客誘致策の一つとして、別府市内の約10軒のホテル・旅館が、宿泊費や土産物代などのウォン建て精算を開始している<ref>{{cite web |url=http://www.oita-press.co.jp/localNews/2009_123319146011.html |title=宿泊代ウォンでOK 全国初別府でスタート |accessdate=2009年5月30日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110615022743/http://www.oita-press.co.jp/localNews/2009_123319146011.html |archivedate=2011年6月15日 }} 大分合同新聞、2009年1月29日</ref>。}}。さらに、人口10万人あたりの留学生数が日本一の大分県の中でも、[[立命館アジア太平洋大学]]などを抱える別府市は特に留学生が多く<ref>{{cite web |url=http://www.oita-press.co.jp/localNews/2010_126939077506.html |title=【別府新聞】留学生数、最大の3588人に |accessdate=2010年9月4日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100408195350/http://www.oita-press.co.jp/localNews/2010_126939077506.html |archivedate=2010年4月8日 }} 大分合同新聞、2010年3月24日</ref>、アジアのみならずヨーロッパやアフリカ各地からの留学生も、別府特有の共同温泉を中心とした地域コミュニティにも積極的に溶け込んで生活している。そしてこのような国際都市としてのメリットを活かして、欧米からの外国人個人旅行者の受け入れを本格化する取り組みを進めている<ref>{{cite web |url=http://www.oita-press.co.jp/localNews/2009_126049405278.html |title=別府への外国人旅行者 受け入れ態勢充実へ |accessdate=2010年9月4日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100120041359/http://www.oita-press.co.jp/localNews/2009_126049405278.html |archivedate=2010年1月20日 }} 大分合同新聞、2009年12月11日</ref>。
 
 
 
=== 温泉資源活用の歴史 ===
 
江戸時代、幕府の専売品である[[ミョウバン|明礬]]([[湯の花]])の生産をほぼ独占的に行っていた別府では、[[1923年]](大正12年)[[大分県]]と[[別府市|別府町]]の援助で[[京都大学]]が[[地球物理学研究所]]を設置、[[1925年]]([[大正]]14年)には日本で最初の[[地熱発電]]が行われ、戦後になっても温泉資源の活用に多角的に取り組んできた。[[1952年]](昭和27年)4月に設立された[[大分県温泉熱利用農業研究所]](現・花き研究所)では、野菜・花きの温泉熱利用による栽培、育種の研究が行われ、その他にも温泉による魚の養殖や、[[杉乃井ホテル]]では消費電力の約半分を敷地内の地熱発電でまかなっている。
 
 
 
最近では別府の多彩な泉質の源泉から取れる色とりどりの[[温泉泥]]の利用を、[[大分大学]]医学部、[[広島大学]]、[[日本文理大学]]、[[パドヴァ大学]]([[イタリア]])、[[大分県産業科学技術センター]]などが共同で研究し、温泉泥美容[[温泉泥の利用#温泉|ファンゴティカ]]<ref>[https://www.machigenki.go.jp/44/k-1719 まちづくりと中心市街地活性化の情報サイトまちづくりQ&A「地域資源を生かした持続的な観光まちづくり」~オンパクで地域資源を商品に、そして産業に~鶴田浩一郎(PART2)] 街元気(経済産業省)</ref>が開発されるなどしている。
 
 
 
医療分野においては、[[1912年]](明治45年)には[[陸軍病院]]が、[[1925年]](大正14年)には[[海軍病院]]が開院し[[温泉療法]]の実践が始まると、[[1931年]](昭和6年)には[[九州大学]]の[[温泉治療学研究所]](現在の[[九州大学病院]]別府病院)が設置され、温泉治療の研究が行われてきた。また[[太平洋戦争]]後は[[原子爆弾被爆者別府温泉療養研究所]]が開設され、被爆者援護においても温泉療法の研究が行われた。
 
 
 
このように別府において温泉資源の利活用が広範囲に及ぶようになったのは、明治期の[[上総掘り]]による温泉掘削技術の発達によるところが大きい。明治12年([[1879年]])頃にこの技術が導入された結果<ref>{{cite web|url=http://www.beppumuseum.jp/jiten/kazusabori.html|title=上総掘り|work=別府温泉事典|author=由佐悠紀|authorlink=由佐悠紀|publisher=別府温泉地球博物館|accessdate=2018-05-23}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.beppumuseum.jp/jiten/saishonokussaku.html|title=最初の掘削|work=別府温泉事典|author=由佐悠紀|authorlink=由佐悠紀|publisher=別府温泉地球博物館|accessdate=2018-05-23}}</ref><ref>{{cite news|url=http://www.oita-press.co.jp/1010000000/2018/05/22/JD0056928016|title=温泉掘削「別府式」技術や歴史知って 市教委が冊子発行|newspaper=大分合同新聞|date=2018-05-22|accessdate=2018-05-23}}</ref>、明治9年(1876年)にはすべて自然湧出であった泉源が、明治44年(1911年)には、自然湧出泉が17ヶ所であったのに対し、掘削泉は76ヶ所となった<ref>{{Cite book |和書|url=https://www.city.beppu.oita.jp/pdf/gakusyuu/bunkazai/yukemuri_keikan/02_05.pdf |title=文化的景観 別府の湯けむり景観保存計画|chapter=第5章 温泉・湯けむりの民俗学的概要 第1節 別府温泉と上総掘り|author=段上達雄|publisher=別府市|accessdate=2018-05-23}}</ref>。[[温泉都市]]となった現在、市内には各町内ごとに住民がお金を出し合って設けた[[共同温泉]]が数百あるといわれており、自家源泉を持っている個人宅も少なくない。今では上総掘りから掘削機械に置き換わっているが、現在も複数の温泉供給会社が源泉数、湧出量ともに日本一の別府温泉を支えている。
 
 
 
=== 別府八湯の再活性化 ===
 
別府温泉では[[1996年]](平成8年)[[8月8日]]8時8分8秒に有志が「別府八湯独立宣言」を発表し、それぞれの温泉の魅力の発信に取り組んだ結果、「別府八湯」の名が広く知られるようになった<ref>[http://www.oita-press.co.jp/1010000000/2016/08/07/010418081 宝守り育てるため 受け継がれる志 上] 大分合同新聞、2016年8月7日{{リンク切れ|date=2017年10月}}</ref>。近年では、行政による老朽化していた市営温泉のリニューアルや街並み整備などの一方、[[別府アルゲリッチ音楽祭]]、[[別府八湯温泉道]]、[[別府八湯温泉泊覧会]]([[オンパク]])など地域の活性化を図るため、資源や人材を活用した新しい模索や試みも行われている。特に、オンパク的地域活性化の手法は、全国の同じような悩みを持つ観光地へと[[輸出]]され、各地で成果を上げつつある。
 
 
 
そんな中、[[2008年]](平成20年)7月9日付で『別府市中心市街地活性化基本計画』が[[内閣総理大臣]]の認定を受けたことで、別府温泉(北浜)界隈では、空き店舗を改装した交流施設「platform」がいくつか整備され、一部には[[別府竹細工]]の職人工房(platform 07)、[[セレクトショップ]](platform 04)などの観光交流拠点が誕生している。さらに、これらの「platform」をメイン会場に、2009年(平成21年)4月11日から6月14日までの間に[[トリエンナーレ]]形式で第1回の別府現代芸術フェスティバル [[混浴温泉世界]]が開催されている。
 
 
 
温泉都市として発達し、戦災も免れた別府には、[[永瀬狂三]]設計の[[京都大学]]地球物理学研究所(現・[[京都大学大学院理学研究科附属地球熱学研究施設]])本館や、[[吉田鉄郎]]設計の[[別府市公会堂]]、[[別府郵便電話局電話分室|別府郵便局電話事務室]](現・別府市児童館)など、良質な[[近代建築]]が今も残っており、[[観光ボランティアガイド]]が別府八湯の各エリアの街の魅力を紹介しながら案内する[[別府八湯ウォーク]]が12コースあり、コースによっては毎日まち歩きツアーが開催されているものもある。
 
 
 
また、[[1995年]](平成7年)にコンベンション施設[[ビーコンプラザ]]を整備している別府は[[国際会議観光都市]]の認定も受けており、[[2007年]](平成19年)12月には第1回[[アジア太平洋水サミット]]が、[[2010年]](平成22年)8月には [[2010年日本APEC]]の成長戦略ハイレベル会合が開催された。
 
 
 
== アクセス ==
 
* 空路
 
** 最寄空港の[[大分空港]]から空港連絡バス([[大分交通]][[エアライナー (大分交通)|エアライナー]])で40分。
 
** [[福岡空港]]国際線ターミナルから高速バス([[とよのくに号]])で2時間。
 
* 自動車
 
** 福岡方面からは[[大分自動車道]]経由[[東九州自動車道]][[別府インターチェンジ|別府IC]]・[[大分県道52号別府庄内線|県道52号]]利用。
 
** [[北九州市|北九州]]方面からは[[東九州自動車道]]別府IC・県道52号または[[国道10号]]利用。
 
** 熊本方面からは[[大分県道・熊本県道11号別府一の宮線|やまなみハイウェイ]](県道11号)利用。
 
* 海路
 
** [[別府港|別府国際観光港]]には、[[大阪港|大阪南港]]から[[フェリーさんふらわあ]]、[[愛媛県]][[八幡浜港]]から[[宇和島運輸]]のフェリーが就航。港から別府市中心部(北浜)まではバスで10分。
 
* 鉄道
 
** [[九州旅客鉄道]](JR九州)[[日豊本線]][[別府駅 (大分県)|別府駅]]、[[亀川駅]]、[[別府大学駅]]、[[東別府駅]]下車。
 
* バス
 
** [[とよのくに号]](福岡方面)、[[九州横断バス]](由布院、[[黒川温泉]]、[[阿蘇]]、[[熊本]]方面)、[[サンライト号]](長崎方面)、[[別府ゆけむり号]](広島方面)、[[SORIN号]](大阪・京都方面)。
 
 
 
== 指定・推薦項目 ==
 
=== 文化財 ===
 
[[別府市指定文化財一覧]]、[[大分県指定文化財一覧]]、[[温泉関連の文化財一覧]]も参照のこと。
 
* [[登録有形文化財]]
 
** [[京都大学大学院理学研究科附属地球熱学研究施設]]本館([[1997年]]6月12日登録)
 
** [[竹瓦温泉]]([[2004年]][[6月9日]]登録)
 
** [[浜田温泉資料館]]([[2006年]][[8月3日]]登録)
 
** [[冨士屋旅館]]主屋・石垣・石段・前門([[2001年]][[11月20日]]登録)
 
* [[重要無形民俗文化財]]
 
** [[別府明礬温泉の湯の花製造技術]](2006年[[3月15日]]指定)
 
* [[名勝]]
 
** [[別府地獄めぐり|別府の地獄]]([[2009年]]指定)
 
* [[重要文化的景観]]
 
** 別府の湯けむり・温泉地景観 - [[#鉄輪温泉|鉄輪温泉]]、[[明礬温泉#|明礬温泉]]([[2012年]]9月19日選定)
 
* [[近代化産業遺産]]
 
** 近代化産業遺産群 続33(大衆観光旅行) - [[竹瓦温泉]]、[[竹瓦小路アーケード]]([[2009年]]2月6日認定)
 
* 大分県指定[[天然記念物]]
 
** [[鶴見の坊主地獄]]([[1959年]][[3月20日]]指定)
 
 
 
=== その他 ===
 
* 国際観光温泉文化都市
 
** [[国際観光文化都市]]の第1号。
 
* [[国民保養温泉地]]
 
** 鉄輪温泉、明礬温泉、柴石温泉
 
* [[日本百名湯]]
 
** 鉄輪温泉、明礬温泉
 
* [[名湯百選]]
 
** 鉄輪温泉、明礬温泉、柴石温泉
 
* [[日本新八景]]
 
* [[かおり風景100選]]
 
** 別府八湯の湯けむり
 
* [[大分百景]]
 
** 別府温泉、鉄輪地獄地帯、亀川温泉、観海寺温泉・乙原高台
 
* [[おおいた遺産]]
 
** 明礬温泉の湯の花小屋、鉄輪温泉の湯煙、竹瓦温泉
 
* [[ミシュランガイド]]
 
** 鉄輪温泉にあるひょうたん温泉は、フランスの「ミシュランガイド」の[[ミシュランガイド#実用旅行ガイド|実用旅行ガイド]]で3つ星の評価を受けた。また、海浜砂湯も2つ星の評価を受けている。
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
=== 注釈 ===
 
{{Reflist|group="注釈"}}
 
=== 出典 ===
 
{{reflist}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[オンパク]] - [[別府八湯温泉泊覧会]]
 
* [[別府八湯温泉道]]
 
* [[別府地獄めぐり]]
 
* [[別府十湯]]、[[別府三勝]]、[[別府八景]]
 
* [[別府タワー]]、[[別府ロープウェイ]]、[[やまなみハイウェイ]]
 
* [[日本の観光地一覧]]
 
* [[日本一の一覧#.E3.81.9D.E3.81.AE.E4.BB.96|日本一の一覧]]
 
* [[国際観光文化都市]]
 
* [[ヤングビーナス薬品工業]] - 明礬温泉の[[湯の花]]を配合した入浴剤を製造。
 
* [[温泉卵]]
 
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
{{ウィキポータルリンク|温泉|[[File:Hot springs 001.svg|34px|Portal:温泉]]}}
 
{{Commonscat|Beppu Onsen}}
 
{{Wikivoyage|Beppu|別府{{en icon}}}}
 
 
* [http://www.gokuraku-jigoku-beppu.com/ 温泉ハイスタンダード 極楽地獄別府]
 
* [http://www.gokuraku-jigoku-beppu.com/ 温泉ハイスタンダード 極楽地獄別府]
 
* [http://www.coara.or.jp/~ryokan/ 別府のお宿 別府市旅館ホテル組合連合会]
 
* [http://www.coara.or.jp/~ryokan/ 別府のお宿 別府市旅館ホテル組合連合会]
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別府温泉(べっぷおんせん)

大分県中部,別府市北西部,大平山の北東腹,標高約 400mにある温泉。泉質は明礬泉,硫黄泉。泉温は 38~98℃。皮膚病に特効がある。地熱地域に「湯の花 (硫黄) 」を採集する草ぶきの小屋が立並んでいる。静かな療養温泉であるが,近くにはゴルフ場,養鱒場,保養センターなどがある。

外部リンク


座標: 東経131度30分0秒北緯33.28028度 東経131.5度33.28028; 131.5



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