「側室」の版間の差分

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{{人間関係}}
 
'''側室'''(そくしつ)とは、[[一夫多妻制]]の下の身分の高い階層における[[夫婦]]関係において、夫たる[[男性]]の本妻である[[正室]]に対する概念で、本妻以外の公的に認められた側妻や[[妾]]にあたる[[女性]]を指す<ref>『[[大辞泉]]』</ref>。
 
  
== 側室の実態の多様性 ==
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'''側室'''(そくしつ)
本来は正室の位置づけが「家族の一員」であるのに対し、側室の位置づけは「使用人」である<ref name="nipponica">[[稲垣史生]]「側室」『[[日本大百科全書]]』 小学館。</ref>。この点で「本妻=正室」が家族の一員であるのとは厳密には異なる<ref name="nipponica"/>。{{要検証|date=2017年1月}}
 
  
男女の情や同居人同士の親近感が絡んでくるため、上述の区分けは厳密には守られない事が多く、時代や身分によって正室と側室との関係は多様であり、君主と下僕のような厳格な差があったケースから、まるで実の姉妹のように扱いに大差がないケースまでいろいろであった。[[儒教]]倫理に基づく建前としては「正室が一人で側室が複数」が正格であったが、日本では稀に側室を複数あるいは一人もちながら正室を置かなかった例や、逆に複数の正室を置いて側室をもたなかった例などがあり、かなり変則的であった。また側室が子を生んだ場合の側室本人の扱いも時代や身分によって大きく異なる。
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将軍、大名のように地位・身分の高い人の妾(めかけ)をいう。
  
例えば、[[江戸時代]]の[[皇室]]では、側室は出産後わが子を抱く間もなくただちに子と切り離され、本人の身分は低いままに置かれ(御役御免になって追放されることすらあった)、自由に我が子に会うことも出来なかった。その一方、[[江戸時代]]の[[徳川将軍家|将軍家]]の[[大奥]]においてはまったく逆に、男子を出産した側室は「御部屋様」、女子出産の場合は「御腹様」として主人扱いとなった<ref name="nipponica"/>。また、参勤交代を義務付けられていた大名も国元に「御国御前」と称される側室を置いたが、[[お家騒動]]の原因になることもあって、基本的に側室には権力を持たせないようにしていた<ref name="nipponica"/>。
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儒教の道徳思想から祖先の祭祀(さいし)を絶やさぬため、多く公認された。将軍、大名ともその側室は臣下の待遇を受け、正室との間も主従関係にあった。将軍の側室の場合、男児を生めば御部屋様、女児なら御腹様とよばれ、名前は「何の方(かた)」と「方」づきになり、家来からは主人なみに扱われた。江戸時代、大名は参勤交代で江戸と国元を往復したが、正室を証人として江戸屋敷に残し、国元には側室、つまり「御国御前(おくにごぜん)」を置いた。そのため家督相続をめぐって御家(おいえ)騒動が絶えず、大名家では原則的に側室に権力をもたせない仕組みであった。側室は30歳になると「御褥御断(おしとねおことわ)り」といって、寝所をともにするのを辞退した。
  
== 男系男子の維持 ==
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{{テンプレート:20180815sk}}
[[儒教]]において、直系の[[男子]]が先祖の[[祭祀]]を守ることが重視された。また、婚姻制度にも、子孫繁栄、男系相続者の存在が重要視される。[[古代]][[中国]]では正室が生んだ長男子を「伯」といったが、側室の生んだ男子のほうが年長である場合その長男子を「孟」といった。
 
 
 
一夫一妻制の下では、女性一人が生涯に出産できる子供の数は限られる。また、妻の健康状態、[[不妊]]、夫婦の不仲問題から、子ができないこともある。そのため、男系男子の子孫が安定的に確保できるとは限らない。その問題を防ぐため、かつては側室を持つことにより、男系男子の子孫を絶やさないことが重視された。
 
 
 
しかし、男性側の健康問題や不妊等により子ができないこともある<ref group="注釈">[[世界保健機構]]による1998年の統計発表では、不妊症の原因の24%が男性側、女性男性双方にまたがる原因が24%で、41%が女性側。</ref>。この場合、側室を持ってしても子を確保することはできない。だが、伝統的に一夫多妻制が採られていれば、当該男性に異腹の兄弟などがいる可能性が高くなる。その者を養子とすることで、男系男子による祭祀の承継を維持できる可能性は高くなる<!--父や祖父の兄弟親戚まで入れると、伝統的な一夫一妻制下にも該当するので除去しました。-->。
 
<!--夫婦外男女関係については多項あり、一夫一妻制では発生しない身分立場なので「現代」に関する曖昧な節を除去しました。-->
 
== 注釈 ==
 
<references group="注釈"/>
 
{{Reflist|group="注釈"}}
 
== 脚注 ==
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[正室]]
 
* [[継室]]
 
* [[一夫多妻制]]
 
* [[大奥]]
 
* [[愛人]]
 
* [[庶子]]
 
* [[皇位継承問題 (平成)]]
 
  
 
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[[Category:女性]]
 
[[Category:女性]]
 
[[Category:大奥]]
 
[[Category:大奥]]
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2018/10/18/ (木) 22:54時点における最新版

側室(そくしつ)

将軍、大名のように地位・身分の高い人の妾(めかけ)をいう。

儒教の道徳思想から祖先の祭祀(さいし)を絶やさぬため、多く公認された。将軍、大名ともその側室は臣下の待遇を受け、正室との間も主従関係にあった。将軍の側室の場合、男児を生めば御部屋様、女児なら御腹様とよばれ、名前は「何の方(かた)」と「方」づきになり、家来からは主人なみに扱われた。江戸時代、大名は参勤交代で江戸と国元を往復したが、正室を証人として江戸屋敷に残し、国元には側室、つまり「御国御前(おくにごぜん)」を置いた。そのため家督相続をめぐって御家(おいえ)騒動が絶えず、大名家では原則的に側室に権力をもたせない仕組みであった。側室は30歳になると「御褥御断(おしとねおことわ)り」といって、寝所をともにするのを辞退した。



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