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'''ロココ'''('''Rococo''')とは、[[美術史]]で使われた用語で、[[バロック]]に続く時代の美術様式を指す。[[18世紀]]、[[ルイ15世 (フランス王)|ルイ15世]]の[[フランス]]宮廷から始まり、[[ヨーロッパ]]の他国にも伝えられ、流行した。
+
'''ロココ'''('''Rococo'''
 
 
== ロココという語 ==
 
=== 語源 ===
 
ロココは'''ロカイユ'''(rocaille)に由来する言葉である。ロカイユは[[岩]]の意味で、[[洞窟]](グロッタ)に見られる[[バロック]]時代の庭園に造られた[[貝殻]]と岩を凝集させた装飾を施された岩組のことであった。それが転じて、[[1730年代]]に流行していた、貝殻の曲線を多用する繊細なインテリア装飾をロカイユ装飾(ロカイユ模様)と呼ぶようになった。ロカイユ装飾は、イタリアの貝殻装飾に由来すると考えられているが、植物の葉のような複雑な曲線を用いた特有のものである(画像参照)。
 
 
 
[[画像:JAMeissonnierTable.jpg|thumb|ロココの家具(1730年)]]
 
 
 
=== バロックとロココ ===
 
[[新古典主義]]の時代(18世紀末~)になると、前時代の装飾様式が退廃的であるとして蔑称的に使われたが、その後、時代一般の美術・文化の傾向を指す用語として、広く使われるようになった。ロココ様式(スタイル)、ロココ建築、ロココ趣味などと使う。豪壮・華麗なバロックに対して、優美・繊細なロココともいわれるが、両者の境界は必ずしも明確ではなく、ロココはバロックの一種と考える人もいる。
 
 
 
=== ロココの時代範囲 ===
 
ルイ15世の愛妾で、才色兼備で知られた[[ポンパドゥール夫人]](1721年 - 1764年)を中心とする宮廷のサロン文化の最盛期にロココの華を見ることができる。ルイ15世の晩年の愛妾[[デュ・バリー夫人]]の時代でもロココ様式は維持されたものの、ルイ15世の孫[[ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世]](在位1774年 - 1792年)が即位する頃から、装飾を抑え直線と均衡を重んじるルイ16世様式(広義の[[新古典主義]]様式)に次第に取って代わられるようになる。しかし、ロココ的な美意識や雰囲気は、宮廷が実権を失う1789年の[[フランス革命]]まで継続したと見てよいであろう。
 
 
 
[[スウェーデン]]では、[[1771年]]に即位した[[グスタフ3世 (スウェーデン王)|グスタフ3世]]の治世を「ロココの時代」と呼称されている。特に芸術や文化の面でロココの影響を受けて「グスタフ朝時代」と呼ばれる一時代を築いた(同時代のフランス文化の影響を受けて広義の新古典主義様式も見られた)。スウェーデンのロココ様式の時代は、[[1792年]]にグスタフ3世が[[暗殺]]されるまで継続した。
 
 
 
== 建築 ==
 
=== 全般 ===
 
''詳細は[[ロココ建築]]を参照のこと''
 
*ロカイユ装飾を多用した室内装飾に特徴がある。
 
=== フランス ===
 
*[[ジェルマン・ボフラン]]が建てた[[パリ]]のオテル・ド・スービーズは手のこんだ建築装飾がほどこされ、この時代のロココ様式を代表する作品として知られる。
 
*ポンパドゥール夫人の命でアンジュ=ジャック・ガブリエルが建てたヴェルサイユ宮殿内の[[プティ・トリアノン]]。なおポンパドゥール夫人没後にこの敷地に王妃マリー・アントワネットは[[イギリス式庭園]]を造り、「王妃の村里」と呼ばれる農村を併設した。
 
*ルイ15世の義理の父[[スタニスワフ・レシチニスキ]]により[[ナンシー]](当時は[[ロレーヌ公国]])の[[ナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場|スタニスラス広場]]が整備される。
 
=== イタリア ===
 
*[[ナポリ王国|ナポリ]]国王カルロ7世(後のスペイン王[[カルロス3世 (スペイン王)|カルロス3世]])により建てられた[[ナポリ]]近郊の[[カゼルタ宮殿]]。
 
 
 
=== ドイツ ===
 
*[[プロイセン国王]][[フリードリヒ1世]]により建てられた[[ベルリン]]近郊[[ポツダム]]の[[シャルロッテンブルク宮殿]]。
 
*プロイセン国王[[フリードリヒ2世]]により建てられたベルリン近郊ポツダムの[[サンスーシー宮殿]]。
 
*[[バイエルン選帝侯]]カール・アルブレヒト([[カール7世 (神聖ローマ皇帝)|神聖ローマ皇帝カール7世]])により建てられた[[ニンフェンブルク宮殿]]内のアマリエンブルク。
 
=== オーストリア ===
 
*[[オーストリア]]女帝[[マリア・テレジア]]が宮廷建築家ニコラウス・パカッシに命じて[[シェーンブルン宮殿]]をロココ様式に改築させた。「マリア・テレジア・イエロー」と呼ばれる黄色で壁面が覆われたのもこの時期である。
 
=== スウェーデン ===
 
*[[スウェーデン]]国王[[グスタフ3世 (スウェーデン王)|グスタフ3世]]によりバロック様式だった[[ドロットニングホルム宮殿]]にロココ調の大改装が加えられる(グスタヴィアン様式)。
 
=== ロシア ===
 
*ロシア女帝[[エカチェリーナ2世]]により建てられた[[サンクトペテルブルク]]近郊の[[ツァールスコエ・セロー]]の[[エカテリーナ宮殿]]。ここの[[琥珀の間]]が有名。
 
 
 
== 絵画 ==
 
=== フランス ===
 
[[Image:Pompadour6.jpg|thumb|200px|right|「ポンパドゥール夫人の肖像」(1755年、ラ・トゥール作)]]
 
*この時代には、アカデミーのサロン([[サロン・ド・パリ]]とも呼ばれ1725年に第1回を開催)が定期的に開催されるようになり、美術品が広く鑑賞されるようになった。
 
*[[アントワーヌ・ヴァトー]]、[[フランソワ・ブーシェ]]、[[ジャン・オノレ・フラゴナール]]などの画家が知られている。それぞれヴァトーがロココ前期(1710-20年代)、ブーシェがロココ盛期(1730-50年代)、フラゴナールがロココ後期(1760-80年代)を代表する画家である。
 
*ヴァトーが1717年にアカデミーに「シテール島への巡礼」を出品した際には「雅宴画(フェート・ギャラント)」の画家として承認された。なお1717年の「シテール島への巡礼」は現在ルーブル美術館にあり、それより数年後に描かれた別ヴァージョンはプロイセン国王フリードリヒ2世が1756年に購入して、ベルリンの[[シャルロッテンブルク宮殿]]に飾られている。
 
*ヴァトー没後に「雅宴画」の画家として正式に認められた人物には他に[[ジャン=バティスト・パテル]]や[[ニコラ・ランクレ]]がいる。優雅な男女が集い、恋の戯れや遊びに興じる「雅宴画」には、イタリア喜劇([[コメディア・デラルテ]])の配役(ジル、メズタン、アルルカン)も登場している。こうした演劇をモチーフにする絵画はヴァトーに先立つ[[クロード・ジロ]]によって先鞭がつけられたものである。
 
*[[モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール]]が描いた[[ポンパドゥール夫人]](Madame de Pompadour)の肖像画(右図)が盛期ロココ時代の肖像画として有名。なおこの肖像画が油彩ではなく[[パステル]]で描かれていることに注目されたい。パステルの軽妙な色彩は多くの支持者を得、ラ・トゥールの好敵手とされた[[ジャン・バティスタ・ペロノー]]、静物画で知られる[[ジャン・シメオン・シャルダン]]、スイス生まれで[[トルコ]]に赴いてその地の風俗を記録した[[ジャン・エティエンヌ・リオタール]]もパステルで優作を残している。
 
*サロンでの展示に対し美術批評がなされるようになったのもこの時代のことである。哲学者でもある[[ドゥニ・ディドロ|ディドロ]]はその批評で軽佻浮薄で官能的な刺激の強いブーシェや[[ジャン=マルク・ナティエ]]の作品を批判している。対して感傷的ではあるものの道徳的な教訓が強い[[ジャン=バティスト・グルーズ|グルーズ]]の作品や、静物画や風俗画で活躍したシャルダンの質実な作品には好意的な評価を下している。
 
*「女性の時代」とも呼ばれる18世紀のロココ時代だが、1783年にはフランス王立アカデミーに二人の女性が入会を認められた。[[アデライド・ラビーユ=ギアール]]と[[エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン]]である。特に後者ヴィジェ=ルブランは王妃マリー・アントワネットの肖像画家としても知られ、そのよき理解者でもあった。宮廷の崩壊に立ち会ったという意味ではロココ最後の画家と言ってもよいだろう。
 
 
 
=== イタリア ===
 
*[[ヴェネツィア共和国]]の最後の栄光の時代が訪れる。[[グランド・ツアー]]途中で[[ヴェネツィア]]を訪れた外国人のために「ヴェドゥータ(都市風景画)」が多く描かれる。その代表は[[カナレット]]や[[フランチェスコ・グァルディ]]、そして[[ベルナルド・ベッロット]](カナレットの甥)である。またこの地を拠点とした画家として建築画で著名な[[ジョバンニ・パオロ・パンニーニ|パンニーニ]]、室内風俗画の名手[[ピエトロ・ロンギ]]、女流[[パステル]]画家[[ロザルバ・カリエラ]]がいる。
 
*18世紀を通じてヴェネツィア最大の巨匠とされるのは[[ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ|ティエポロ]]である。歴史画家[[グレゴリオ・ラッザリーニ]]に絵画を学び、[[ジョヴァンニ・バッティスタ・ピアツェッタ]]、[[セバスティアーノ・リッチ]]らとともにこの地を代表する画家となった。彼は[[イタリア]]で名声を得ただけでなく、ドイツからスペインに至る教会や宮殿の壮大なスケールの壁画の作成に従事した。それらは卓越した[[フレスコ画]]技法と華麗なるロココ式屋内装飾の生み出した傑作である。
 
*ヴェネツィア出身でローマで活躍した版画家に[[ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ]]がいる。ピラネージは都市ローマの景観図で知られ、新古典主義の理論家[[ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマン]]にも大きな影響を与えた。しかし一方では人間の暗部を暴きだす「牢獄」シリーズに見られるようピラネージにはロココから[[ロマン主義]]に流れる精神も息づいている。
 
*ヨーロッパの戦禍から免れたイタリアではヴェネツィアだけでなく、その他の都市でも独特な作風の芸術家を生み出した。ナポリではナポリ派のバロックの掉尾を飾る[[フランチェスコ・ソリメーナ]]の存在が大きい。[[ナポリ大聖堂]]の主要祭壇の絢爛さは比類がない。ナポリのロココ様式は彼の後継者であるフランチェスコ・デ・ムーラらによって発展したものである。
 
*[[ジェノヴァ]]を中心に活躍した画家に[[アレッサンドロ・マニャスコ]]がいる。荒涼とした陰鬱な風景、亡霊のような修道士、廃墟への偏愛などを大胆な筆さばきで描いたイタリア的でない作風で知られるが、そうした奇想画「カプリッチョ」もこの時代の美術の一側面を表しているのである。
 
 
 
=== イギリス ===
 
*長らく外国人画家によって指導されてきたイギリスの芸術界もこの時期大きく変貌する。その嚆矢となったのが「最初のイギリス人画家」とも呼ばれる[[ウィリアム・ホガース]]である。ホガースは「当世風結婚」などの連作で諷刺画の分野で活躍した。また「カンヴァセーション・ピース(団欒画)」とも呼ばれるイギリス特有の集団肖像画のジャンルを開拓したのもホガースである。
 
*こうした変化のもとイギリスにも[[ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ|ロイヤル・アカデミー]]が設置され、[[ジョシュア・レノルズ|ジョシュア・レイノルズ]]が初代アカデミーの会長に選ばれた。レイノルズの理念は「グランド・マナー」と呼ばれ、歴史画を頂点とする以後のイギリス美術の模範となった。対してレイノルズのライバルであった[[トマス・ゲインズバラ]]は肖像画や風景画で今までに見られないイギリス的な感受性を開花させた。この風景画の好みは後の[[ジョン・コンスタブル|コンスタブル]]や[[ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー|ターナー]]に引き継がれることになる。
 
*啓蒙と理性の時代を反映して科学的な素材を美術に応用している例も見られる。「馬の解剖学」で知られる[[ジョージ・スタッブス]]や「空気ポンプの実験」などの作品を残したライト・オブ・ダービー(ジョセフ・ ライト)はこうした時代精神に育まれた画家たちである。
 
*[[ホレス・ウォルポール]]の『オトラント城奇譚』(1764年)の刊行により18世紀後半のイギリスでは[[ゴシック小説]]が盛んに読まれた。こうした怪奇なものへの興味はスイス出身でイギリスで活躍した[[ヨハン・ハインリヒ・フュースリー]]の「[[夢魔]]」(1781年)などにも反映している。「天国と地獄の結婚」(1790年頃)の作者であり、幻視者として知られる詩人画家[[ウィリアム・ブレイク]]の活躍も同時期のことである。
 
 
 
=== スペイン ===
 
*ドイツ系でありながら国王[[カルロス3世 (スペイン王)|カルロス3世]]の[[宮廷画家]]となった[[アントン・ラファエル・メングス]]は18世紀中盤の重要な画家の一人だが、その画風はロココというよりも[[新古典主義]]の先駆けといった趣がある。1760年代にそれぞれ画風の異なる、ロココ調の老大家ティエポロと、新古典主義の気鋭のメングスがマドリッドの王宮を舞台に競り合っていたことは興味深い。
 
*メングスより後の世代に属すが、[[フランシスコ・デ・ゴヤ]]の市井のマハ(伊達女)やマホ(伊達男)を描いた初期の作品にはロココ的な優雅さや軽快さを見ることができる。
 
 
 
=== ドイツ ===
 
*[[三十年戦争]]以来の混乱からようやく1700年代に相対的安定期を迎えたドイツではカトリック教会を中心に大規模な教会建築の復興が行われる。この時期のドイツ芸術は特に「後期バロック」と呼ばれることが多く、絵画も教会や宮殿の装飾として発達したものである。[[ミュンヘン]]のアザム教会の建築と装飾・絵画を担当した[[アザム兄弟]]や、[[シュタインガーデン]]近郊の[[ヴィース教会]]の建築と装飾・絵画を担当した[[ツィンマーマン兄弟]]はその代表である。
 
 
 
== 彫刻 ==
 
=== フランス ===
 
*[[ジャン=アントワーヌ・ウードン]]はディドロ、ルソー、ヴォルテールらの啓蒙思想家たちの肖像彫刻で名をなした。
 
=== ロシア ===
 
*「クロトナのミロ」で評判となったフランス人彫刻家[[エティエンヌ・モーリス・ファルコネ]]はロシア女帝[[エカチェリーナ2世]]に招かれた。首都[[サンクトペテルブルク]]の元老院広場に設置された「[[ピョートル大帝]]像(青銅の騎士)」はファルコネによるものである。
 
 
 
== 工芸 ==
 
ロココ様式は[[インテリア]]のデザインや装飾として出発し、[[ロココ建築|建築]]などに波及していっためずらしい例である{{sfn|中村|1999|pp=115-117}}。
 
=== 家具 ===
 
==== フランス ====
 
[[1715年]]に幼い[[ルイ15世]]が即位し[[オルレアン公フィリップ]]が[[摂政]]となった。バロックとロココの過渡期であるこの時期の様式をフランス・オルレアン公様式、またはレジャンス(摂政)様式という{{sfn|中村|1999|pp=115-117}}。やがて、婦人を中心とした社交生活が華やかになるとともに、女性的・感覚的で、直線を排した軽快で華麗なフランス・ロココ(ルイ15世様式)は完成されていった。
 
 
 
フランス・ロココの家具は、装飾彫刻はバロック様式に比べて浅く掘られ、ライトグレーやクリーム色などの淡い色に金箔を押したものが多く、カブリオール([[猫足]])と呼ばれる曲線の脚を持ち、[[陶磁器]]や[[金メッキ]]金物との組み合わせといった特徴がある。[[オーナメント]]の主なモチーフは[[アカンサス]]・貝殻・渦巻き・婦人像などがあり、[[アシンメトリー]]のデザイン手法が用いられた。
 
 
 
==== イギリス ====
 
[[アン女王]]の治世に[[ブルジョア]]家庭に流行した家具はクイーン・アン様式と呼ばれる{{sfn|中村|1999|pp=115-117}}。クイーン・アン様式は、フランス・バロックのスタイルを残しつつ、貝殻の曲線や角の丸み、猫足などのロココの要素が取り入れられている。大ぶりな[[安楽椅子]]であるウイングチェアはこの時代に誕生した。
 
 
 
イギリス家具史上で[[オーガスタン時代|ジョージアン時代]]と呼ばれる時期に、家具デザイナー[[トーマス・チッペンデール]]が贅を尽くした宮廷用家具を、美しさと合理性をもった庶民用へと変化させて工場で量産した{{sfn|中村|1999|pp=115-117}}。チッペンデールの庶民向け家具はチッペンデール様式と呼ばれている。チッペンデール様式はクイーン・アン様式をフランス・ロココ風に変形させたもので、スワンネックや、カブリオールの先端に施されるボールクローと呼ばれる玉を掴んだ爪の飾りに特徴がある。また、[[ゴシック]]や[[シノワズリ]]の要素を取り入れた家具も多い。
 
 
 
==== イタリア ====
 
家具に関しては、後期バロックとイタリア・ロココの区別はあまりない{{sfn|中村|1999|pp=115-117}}。花づな・花束をモチーフとした豊かな曲線が好まれた。明るい色調の木材が好まれ、[[シタン]]や[[オリーブ]]・[[トネリコ]]を素材とした[[寄せ木細工]]が作られた。フランス・ロココと比べて金めっきの使用は控えめである。
 
 
 
==== ドイツ ====
 
ドイツ・ロココはバロックが発展したもので、優美さと流線の美しさが強調されている。ドイツ・ロココの宮廷家具はフランス・オルレアン公様式の貝殻模様などの装飾モチーフを借用するなど、フランス・ロココの影響を受けて発展した{{sfn|中村|1999|pp=115-117}}。また、[[ブルジョア]]階級の家具はイギリスや[[オランダ]]家具の影響を受けている。
 
 
 
=== 陶磁器 ===
 
==== ドイツ ====
 
*[[ザクセン選帝侯]][[アウグスト2世 (ポーランド王)|フリードリヒ・アウグスト1世(強健王)]]の命で、1709年に[[錬金術]]師[[ヨハン・フリードリッヒ・ベトガー|ベトガー]]がヨーロッパで初めての[[磁器]]の焼成に成功する。これが[[マイセン (陶磁器)|マイセン陶磁]]である。
 
==== フランス ====
 
*[[セーヴル焼|セーヴル]]の陶器が有名。これもポンパドゥール夫人の支援により発達したものである。
 
==== イギリス ====
 
*1743年ころ開かれた[[チェルシー (ロンドン)|チェルシー]]窯は、1751年には国王[[ジョージ2世 (イギリス王)|ジョージ2世]]の三男[[カンバーランド公爵ウィリアム・オーガスタス|カンバーランド公]]の支援を受けて発展する。それとは別に1744年ころ[[ロンドン]]近郊にボウ窯が開かれ、1748年に[[トーマス・フライ]]により釉薬に動物の骨粉を含む[[ボーンチャイナ]]が開発される。
 
==== イタリア ====
 
*[[ブルボン家]]の[[ナポリ王国|ナポリ国王]]カルロ7世(後のスペイン王カルロス3世)の王妃[[マリア・アマリア・フォン・ザクセン|マリア・アマリア]]がザクセン選帝侯の息女だった縁から、マイセン陶磁の技術を移入して作成したのが[[カポディモンテ]]陶磁である。
 
==== デンマーク ====
 
*フランツ・ヘンリック・ミュラーが1773年にデンマーク初の硬質磁器の完成させた。この磁器を生んだ窯は、国王[[クリスチャン7世 (デンマーク王)|クリスチャン7世]]と王太后[[ユリアーネ・マリー・フォン・ブラウンシュヴァイク|ユリアナ・マリア]]の援助により1775年に「[[ロイヤルコペンハーゲン]]」王室御用達として認められた。
 
 
 
== 音楽 ==
 
フランスで[[フランソワ・クープラン|F.クープラン]]、[[ジャン=フィリップ・ラモー|ラモー]]ら、イタリア(スペイン)の[[ドメニコ・スカルラッティ|D.スカルラッティ]]、オーストリアの[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]らに見られる装飾音符を多用した軽快・優美・繊細な音楽様式を音楽におけるロココ様式と呼ぶ。バロック時代後期から古典派まで様々な形で現れ、別名ギャラント様式ともいう。
 
*前3者は[[チェンバロ]](クラヴサン)曲集が多数、モーツァルトはピアノソナタのほか、フルートとハープの協奏曲、初期のピアノ協奏曲、オペラ『[[コジ・ファン・トゥッテ]]』などが好例。
 
 
 
==ギャラリー==
 
 
 
===建築===
 
<gallery widths="200px" heights="200px" perrow="4">
 
Image:Del rei igreja.jpg|Igreja de São Francisco de Assis in [[São João del Rei]], 1749–1774, by the Brazilian master [[Aleijadinho]]
 
Image:Fine arts academy - panoramio.jpg|[[Czapski Palace]] in [[Warsaw]], 1712–1721, reflects rococo's fascinations of [[orient]]al architecture
 
Image:St. Andriy's Church in Kyiv.jpg|[[St Andrew's Church, Kiev|St. Andrew's Church]] in [[Kiev]], 1744–1767, designed by [[Francesco Bartolomeo Rastrelli]]
 
 
 
Image:Gruber Manor. staircase.jpg|The Rococo staircase of [[Gruber Palace]] in [[Ljubljana]]
 
File:Dresden-Zwinger-Wallpavillion-gp.jpg| [[Zwinger (Dresden)|Zwinger]] in Dresden
 
File:150913 Branicki Palace in Białystok - 09.jpg|The Rococo [[Branicki Palace, Białystok|Branicki Palace in Białystok]], sometimes referred to as the "''Polish Versailles''"
 
Trier Kurfuerstliches Palais BW 1.JPG|Electoral Palace of [[Trier]]
 
</gallery>
 
 
 
=== 彫版印刷 ===
 
<gallery widths="220px" heights="220px" perrow="3">
 
File:Allegories of astronomy and geography.jpg|Unknown artist. Allegories of astronomy and geography. France (?), ca. 1750s
 
Image:A. Avelin after Mondon le Fils.jpg|A. Avelin after Mondon le Fils. L′Heureux moment. 1736
 
Image:Mondon le Fils.jpg|A. Avelin after Mondon le Fils. Chinese God. An engraving from the ouvrage «Quatrieme livre des formes, orneė des rocailles, carteles, figures oyseaux et dragon»1736
 
</gallery>
 
 
 
===ロココ様式の絵画===
 
<gallery widths="220px" heights="220px" perrow="3">
 
File:WatteauPierrot.jpg|[[アントワーヌ・ヴァトー]], 「ピエロ(''Pierrot'')」 1718–1719
 
ファイル:Antoine Watteau - L'imbarco per Citera.jpg|[[アントワーヌ・ヴァトー]]「シテ島への巡礼(''Pilgrimage to Cythera '')」1718年–1721年
 
File:Vanloo, Triumph of Galatea.jpg|[[ジャン・バティスト・ヴァン・ロー]]「[[ガラテア]]凱旋(''The Triumph of [[:w:Galatea (mythology)|Galatea]]'')」1720年
 
File:Francis Hayman 001.jpg|[[フランシス・ハイマン]]「踊る乳しぼり女(''Dancing Milkmaids'')」1735年
 
File:Charles-André, dit Carle Vanloo - Halte de chasse (1737).JPG|[[:w:Charles-André van Loo|シャルル=アンドレ・ヴァン・ロー]], ''Halt to the Hunt'', 1737年
 
File:Boucher par Gustav Lundberg 1741.jpg|[[グスタフ・ルントベルク]]「フランソワ・ブーシェの肖像(''Portrait of François Boucher'')」1741年
 
File:Boucher Diane sortant du bain Louvre 2712.jpg|[[フランソワ・ブーシェ]]「沐浴をするディアナ(''Diana Leaving the Bath'')」1742年
 
File:The Toilet of Venus, by François Boucher.jpg|[[フランソワ・ブーシェ]]「ヴィーナスの化粧(''The Toilet of Venus'')」1751年
 
File:La muerte de Jacinto by Giambattista Tiepolo.jpg|[[ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ]]「[[ヒュアキントス]]の死(''The Death of Hyacinth'')」1752年
 
File:François Boucher, Ruhendes Mädchen (1751, Wallraf-Richartz Museum).jpg|[[フランソワ・ブーシェ]]「[[マリー=ルイーズ・オミュルフィ]](''[[:w:Marie-Louise O'Murphy]]'')」1752年
 
File:Pompadour6.jpg|[[モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール]]「[[ポンパドゥール夫人|ポンパドゥール侯爵夫人]]の肖像(''Full-length portrait of the Marquise de Pompadour'')」1748年–1755年
 
File:Boucher Marquise de Pompadour 1756.jpg|[[フランソワ・ブーシェ]]「[[ポンパドゥール夫人|ポンバドゥール侯爵夫人]]の肖像(''Portrait of the Marquise de Pompadour'')」1756年
 
File:Fragonard - swing.jpg|[[ジャン・オノレ・フラゴナール]]「[[:w:Swing (painting)|ぶらんこ]])」1767年
 
File:Fragonard, Inspiration.jpg|[[ジャン・オノレ・フラゴナール]]「ひらめき(''Inspiration'')」1769年
 
File:Denisdiderot.jpg|[[ジャン・オノレ・フラゴナール]]「 [[ドニ・ディドロ]](''Denis Diderot'')」1769年
 
ファイル:The Progress of Love - The Meeting - Fragonard 1771-72.jpg|[[ジャン・オノレ・フラゴナール]] 「逢瀬(''The Meeting (Part of the Progress of Love series)'')」1771年
 
File:Marie Antoinette Adult5.jpg|[[エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン]]「バラを持った[[マリー・アントワネット]](''Marie Antoinette à la Rose'')」1783年
 
</gallery>
 
 
 
===ロココ時代の絵画===
 
<gallery widths="220px" heights="220px" perrow="3">
 
Image:Jean-Baptiste Siméon Chardin 029.jpg|[[ジャン・シメオン・シャルダン]]「グラスとフラスコと果物のある静物(''Still Life with Glass Flask and Fruit'')」c. 1750年
 
Image:Mr and Mrs Andrews 1748-49.jpg|[[トマス・ゲインズバラ]]「アンドリューズ夫妻像(''[[:w:Mr and Mrs Andrews]]'')」1750年
 
File:Greuze, Jean-Baptiste - The Spoiled Child - low res.jpg|[[ジャン=バティスト・グルーズ]]「甘やかされた子ども(''The Spoiled Child'')」c. 1765年
 
File:reynolds.clive.750pix.jpg|[[ジョシュア・レイノルズ]]「[[ロバート・クライヴ]]とその家族とインド人メイド(''Robert Clive and his family with an Indian maid,'')」 1765年
 
File:Kauffman-Garrick.jpg|[[アンゲリカ・カウフマン (画家)|アンゲリカ・カウフマン]]「[[デイヴィッド・ガリック]]の肖像(''Portrait of [[:w:David Garrick]]'')」c. 1765年
 
Image:Louis-Michel van Loo 001.jpg|[[:w:Louis-Michel van Loo|ルイ・ミシェル・ヴァン・ロー]]「[[ドニ・ディドロ]]の肖像(''Portrait of Denis Diderot'')」1767年
 
</gallery>
 
  
== 脚注 ==
+
18世紀、ルイ15世時代のフランスを中心に欧州で流行した美術様式。バロックに次ぎ新古典主義に先立つもので、室内装飾から建築・絵画・工芸・彫刻に及ぶ。S字状曲線や、異国趣味による優美さ・軽快さ・繊細さが特徴。ロココ式。ロココ文化。ロカイユ
{{Reflist}}
 
  
== 参考文献 ==
 
* [[ワイリー・サイファー]]『ロココからキュビスムへ』[[河村錠一郎]]訳、[[河出書房新社]]、1988年。
 
*ロココ 十八世紀のフランス マックス・フォン・ベーン [[飯塚信雄]]訳. 理想社, 1970.
 
*ロココと世紀末 [[窪田般弥]] 青土社, 1978.8.
 
*ロココへの道 西洋生活文化史点描 飯塚信雄 文化出版局, 1984.2.
 
*ロココの時代 官能の十八世紀 飯塚信雄 1986.5. 新潮選書 
 
*バロックとロココ ヴォルフ・フォン・ニーベルシュッツ 竹内章訳. 法政大学出版局, 1987.9.
 
* ロココの装飾 野口栄子編著. 岩崎美術社, 1988.2.
 
*手芸が語るロココ レースの誕生と栄光 飯塚信雄 1990.11. 中公新書
 
*バロックとロココ [[高階秀爾]] 岩波書店, 2003.1. 岩波美術館
 
* {{Cite book |和書 |author = 中村幸夫 |title = 図で見る洋家具の歴史と様式 |date = 1999 |publisher = 理工学社 |isbn = 4844582313 |ref = harv }}
 
  
 
== 関連項目 ==
 
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*[[ロココ建築]]
 
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*[[シノワズリ]]
 
*[[シノワズリ]]
(参考)フランスに「'''フルール・ド・ロカイユ'''」という[[香水]]がある。
 
  
 
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2018/10/30/ (火) 08:22時点における最新版

「ぶらんこ」(1768頃、フラゴナール作)

ロココRococo

18世紀、ルイ15世時代のフランスを中心に欧州で流行した美術様式。バロックに次ぎ新古典主義に先立つもので、室内装飾から建築・絵画・工芸・彫刻に及ぶ。S字状曲線や、異国趣味による優美さ・軽快さ・繊細さが特徴。ロココ式。ロココ文化。ロカイユ


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