「ル・アーヴル」の版間の差分

提供: miniwiki
移動先:案内検索
(1版 をインポートしました)
 
1行目: 1行目:
{{Otheruses|フランスの都市|世界遺産|オーギュスト・ペレによって再建された都市ル・アーヴル|競走馬|ルアーヴル (競走馬)}}
+
 
 
{{Communefra
 
{{Communefra
 
|nomcommune=Le Havre
 
|nomcommune=Le Havre
26行目: 26行目:
 
|y=
 
|y=
 
|}}
 
|}}
[[ファイル:Photojanvier2005CLG 002.jpg|220px|thumb|ル・アーヴルの街並]]
 
[[File:Claude Monet, Impression, soleil levant.jpg|thumb|right|[[クロード・モネ]]が1872年にル・アーブル港を描いた『[[印象・日の出]]』]]
 
'''ル・アーヴル'''(フランス語:{{Lang|fr|Le Havre}})は、[[フランス]]北西部の大西洋に臨む[[港湾]]都市。[[セーヌ川]]右岸の河口にあたり、[[ルーアン]]を首都とする[[ノルマンディー地域圏]][[セーヌ=マリティーム県|セーヌ=マリティーム県]]に属する。港湾の規模は[[マルセイユ]]に次ぎ、大西洋岸ではフランス第1位の規模である。
 
 
対岸の[[オンフルール]]との間には、[[1995年]]に[[ノルマンディー橋]]が架けられた。
 
 
[[2005年]]、戦後再建された中心部の街並みが「[[オーギュスト・ペレによって再建された都市ル・アーヴル]]」として[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]([[文化遺産 (世界遺産)|文化遺産]])に登録された。
 
 
==歴史==
 
古い港が泥の堆積のため使用できなくなったため、[[1517年]]に建市され、当初は[[フランソワ1世 (フランス王)|フランソワ1世]]にちなんでフランシスコポリスと命名された。その後まもなく、ル・ポール・ド・グラース(Le Port de Grace)やル・アーヴル・ド・グラース(Le Havre de Grace)などと呼ばれるようになった。アーヴル(Havre、男性名詞)は現代では一般的には使われないが、[[中期フランス語]]で港を意味する<ref>Algirdas Julien Greimas & Teresa Mary Keane, ''Dictionnaire du moyen français'', Larousse, 1992 / 2001</ref>。つまり、どちらの名称も「グラースの港」を意味したが、これは港の近くにあったノートル=ダム=ド=グラース礼拝堂(la chapelle de Notre-Dame-de-Grâce)にちなんでいる<ref>A. Dauzat & Ch. Rostaing, ''Dictionnaire étymologique des noms de lieux en France'' , Paris : Larousse, 1963</ref>。
 
 
[[第二次世界大戦]]中、[[ノルマンディー上陸作戦]]から続く[[アストニア作戦]]の[[艦砲射撃]]と[[空襲|空爆]]で破壊され、戦後「[[鉄筋コンクリート]]の巨匠」とも呼ばれた建築家[[オーギュスト・ペレ]]によって再建された。
 
 
==名称について==
 
ル・アーヴルのル(le)は、フランス語の男性形[[定冠詞]]であり、前置詞と結合することがある。たとえば前置詞àと結合するとau(オ)となるため、ル・アーヴルはオ・アーヴル(au Havre)に変化する。前置詞"de"なら"du"(デュ)で、デュ・アーヴル(du Havre)である。なお、H(アッシュ)が無音であれば[[エリジヨン]]を起こし「ラーヴル」となるが、この場合"Havre"はゲルマン系の語彙([[英語]]の"haven"と同根)であり有音なので「ルアーヴル」と読む。
 
 
==姉妹都市==
 
*{{Flagicon|CHN}} [[大連市|大連]] [[中華人民共和国]]
 
*{{Flagicon|UK}}  [[サウスハンプトン]] [[イギリス]]
 
*{{Flagicon|CGO}} [[ポアントノアール]] [[コンゴ共和国]]
 
*{{Flagicon|RUS}} [[サンクトペテルブルク]] [[ロシア]]
 
*{{Flagicon|USA}} [[タンパ]]、[[フロリダ州]] [[アメリカ合衆国]]
 
*{{Flagicon|GER}} [[マクデブルク]] [[ドイツ]]
 
  
==出身者==
+
'''ル・アーヴル'''(フランス語:{{Lang|fr|Le Havre}})
*[[アルテュール・オネゲル]]:作曲家([[スイス]]国籍)
 
*[[アンドレ・カプレ]]:作曲家・指揮者
 
*[[クロード・モネ]]:画家
 
*[[ラウル・デュフィ]]:画家
 
*[[ジャン・デュビュッフェ]]:画家
 
*[[ポール・フレール]]:[[自動車評論|自動車ジャーナリスト]](現・[[ベルギー]]国籍)
 
*[[ジェロム・レ・バンナ]]:格闘家
 
*[[レーモン・クノー]]:詩人・作家
 
*[[ローラン・リュキエ]]:司会者
 
  
==脚注==
+
フランス北西部,イギリス海峡に面するセーヌマリティム県の海港都市。セーヌ川河口北岸に位置する。アメリカ,イギリス,アフリカなどへの航路の起点。綿花,コーヒー,ココア,非鉄金属,ゴム,天然ガス,石油などの輸入港,工業製品の輸出港として繁栄し,その貿易額はマルセイユに次いでフランス第2位を占める。
{{Reflist}}
 
  
== 関連項目 ==
+
1517年フランソア1世が漁村であったこの地に港を建設してル・アーブル・ド・グラース (恵みの港) と命名したのが町の起源で,捕鯨,タラ漁などの基地として発展。 17世紀にリシュリュー公の命で要塞化され,さらに 18世紀にルイ 16世によって港が整備され,第一級の海軍基地となった。第2次世界大戦で港湾,市街とも大半を破壊されたが,[[オーギュスト・ペレ]]の都市計画によって再建され,戦前をしのぐ大都市となった。戦後の都市再建計画の傑出した例として,2005年世界遺産の文化遺産に登録された。工業も盛んで,造船,金属,自動車,食品,化学などの諸工業が行なわれ,特に石油工業の発達が著しい。聖ジョゼフ教会,印象派絵画の収集で知られる美術館などがある。
* [[ル・アーヴルAC]] - サッカークラブチーム。
 
* [[ル・アーヴル駅]]
 
* [[ふしぎの海のナディア]] - 主人公の一人であるジャンはこのル・アーヴルの出身。
 
* [[The Saboteur]] - オープンワールドゲーム。マップ内にこの町が登場する。
 
* [[印象・日の出]]
 
* [[フニクレール・デュ・アーヴル]] - 市内にあるケーブルカー。
 
  
 
==外部リンク==
 
==外部リンク==
76行目: 37行目:
 
*[http://jp.rendezvousenfrance.com/cities/rubric/47656/%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%83%AB%E3%81%A7rendez フランス観光開発機構 ル・アーブル]
 
*[http://jp.rendezvousenfrance.com/cities/rubric/47656/%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%83%AB%E3%81%A7rendez フランス観光開発機構 ル・アーブル]
 
*[https://web.archive.org/web/20060104003254/http://www.ville-lehavre.fr/ City council website]
 
*[https://web.archive.org/web/20060104003254/http://www.ville-lehavre.fr/ City council website]
 
+
{{テンプレート:20180815sk}}
 
{{DEFAULTSORT:るああうる}}
 
{{DEFAULTSORT:るああうる}}
 
[[Category:ル・アーヴル|*]]
 
[[Category:ル・アーヴル|*]]

2018/9/30/ (日) 17:14時点における最新版

Le Havre
人口動態
人口 172 807人
2014年
人口密度 3,681人/km2
住民の呼称 Havrais
地理
座標 東経0度06分北緯49.49度 東経0.1度49.49; 0.1
標高 平均:?
最低:0m
最高:105m
面積 市:46.95km2 (4,695ha)
Le Havreの位置
Le Havre
テンプレートを表示

ル・アーヴル(フランス語:Le Havre

フランス北西部,イギリス海峡に面するセーヌマリティム県の海港都市。セーヌ川河口北岸に位置する。アメリカ,イギリス,アフリカなどへの航路の起点。綿花,コーヒー,ココア,非鉄金属,ゴム,天然ガス,石油などの輸入港,工業製品の輸出港として繁栄し,その貿易額はマルセイユに次いでフランス第2位を占める。

1517年フランソア1世が漁村であったこの地に港を建設してル・アーブル・ド・グラース (恵みの港) と命名したのが町の起源で,捕鯨,タラ漁などの基地として発展。 17世紀にリシュリュー公の命で要塞化され,さらに 18世紀にルイ 16世によって港が整備され,第一級の海軍基地となった。第2次世界大戦で港湾,市街とも大半を破壊されたが,オーギュスト・ペレの都市計画によって再建され,戦前をしのぐ大都市となった。戦後の都市再建計画の傑出した例として,2005年世界遺産の文化遺産に登録された。工業も盛んで,造船,金属,自動車,食品,化学などの諸工業が行なわれ,特に石油工業の発達が著しい。聖ジョゼフ教会,印象派絵画の収集で知られる美術館などがある。

外部リンク



楽天市場検索: