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{{otheruses|ヨーロッパの国}}
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[[ファイル:モナコの町並み.モナコ.jpg|サムネイル|モナコの町並み.モナコ]]
{{基礎情報 国
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'''モナコ公国'''<ref>日本[[外務省]]の表記。「モナコ大公国」や「モナコ王国」と訳す場合もある。</ref>(モナコこうこく、プランシポテ・ドゥ・モナコ、[[フランス語|仏]]:{{Lang|fr|''Principauté de Monaco''}})、通称'''モナコ'''({{Lang|fr|''Monaco''}}
|略名 = モナコ
 
|日本語国名 = モナコ公国
 
|公式国名 = {{Lang|fr|'''Principauté de Monaco'''}}
 
|国旗画像 = Flag of Monaco.svg
 
|国章画像 = [[File:Coat of Arms of Monaco.svg|100px|モナコの国章]]
 
|国章リンク = ([[モナコの国章|国章]])
 
|標語 = {{Lang|la|''Deo Juvante''}}<br />([[ラテン語]]:我、神のご加護と共にあらん)
 
|国歌 = [[モナコの国歌|モナコ国歌]]
 
|位置画像 = Monaco in Europe (zoomed).svg
 
|公用語 = [[フランス語]]
 
|首都 = 無し(モナコ市街区が事実上首都に該当)
 
|最大都市 = [[モンテカルロ]]
 
|元首等肩書 = [[モナコ統治者の一覧|大公]]
 
|元首等氏名 = [[アルベール2世 (モナコ大公)|アルベール2世]]
 
|首相等肩書 = {{仮リンク|国務大臣 (モナコ)|en|Minister of State (Monaco)|fr|Ministre d'État de Monaco|label=国務大臣}}
 
|首相等氏名 = {{仮リンク|セルジュ・テル|en|Serge Telle|fr|Serge Telle}}
 
|面積順位 = 194
 
|面積大きさ = 1 E6
 
|面積値 = 2.02
 
|水面積率 = 極僅か
 
|人口統計年 = 2011
 
|人口順位 = 189
 
|人口大きさ = 1 E4
 
|人口値 = 36,371
 
|人口密度値 = 15,142
 
|GDP統計年MER = 2009
 
|GDP順位MER =
 
|GDP値MER = 69億1900万
 
|GDP統計年 = 2006
 
|GDP順位 =
 
|GDP値 = 9億7630万
 
|GDP/人 = 30,000
 
|GDP追記 = (2009年価格、CIAによる粗い推計)
 
|建国形態 = [[独立]]
 
|建国年月日 = [[1297年]][[1月8日]]
 
|通貨 = [[ユーロ]](&#8364;)
 
|通貨追記 = [[1999年]]までの通貨は[[フランス・フラン]]、[[モネガスク・フラン]]。<br />[[モナコのユーロ硬貨]]も参照。
 
|通貨コード = EUR
 
|時間帯 = +1
 
|夏時間 = +2
 
|ISO 3166-1 = MC / MCO
 
|ccTLD = [[.mc]]
 
|国際電話番号 = 377
 
|注記 =
 
}}
 
'''モナコ公国'''<ref>日本[[外務省]]の表記。「モナコ大公国」や「モナコ王国」と訳す場合もある。</ref>(モナコこうこく、プランシポテ・ドゥ・モナコ、[[フランス語|仏]]:{{Lang|fr|''Principauté de Monaco''}})、通称'''モナコ'''({{Lang|fr|''Monaco''}})は、[[西ヨーロッパ]]の[[立憲君主制]][[国家]]。<!--'''モナコ大公国'''と表記されていることもあるが不正確な訳である。-->
 
  
==概要==
+
[[ヨーロッパ]]西部,[[フランス]]南東部,[[地中海]]に面する保養地[[コートダジュール]]にあり,[[ニース]]の東 14kmに位置する国。[[バチカン市国]]に次ぐ世界第2の小国。[[温帯冬雨気候]](地中海式気候)で,平均気温は 1月 10℃,8月 24℃,雨は年間 60日程度しか降らない。住民の約 3割はフランス人で,モナコ人とイタリア人がそれぞれ約 2割を占める。ほかに,その他ヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国,アジアなどから来た人々が居住。住民の大部分はキリスト教徒。公用語は[[フランス語]]であるが,英語,イタリア語も広く用いられる。古代ギリシア・ローマ時代には重要な港として繁栄。13世紀からジェノバのグリマルディ家領となり,1793~1814年にフランスに主権を奪われたが,1861年今日の国土に縮小されて主権を回復。1911年に憲法を制定。1918年フランス・モナコ保護友好条約を結び,フランスの保護国となった。2005年フランス・モナコ保護友好条約に代わるフランス・モナコ友好協力条約が発効し,外交の自由が認められ,2006年日本との間にも外交関係が結ばれた。行政上はモナコビル,ラコンダミーヌ,[[モンテカルロ]],フォンビエイユの 4地区に区分。モナコビルには政庁のほか,宮殿,聖ニコラ大聖堂,海洋博物館などがある。先史時代から古代ギリシア・ローマ時代にいたる遺物や美術品などを所蔵する博物館もある。オレンジ,オリーブなどの果樹や熱帯性の植物,地中海に臨む海岸美,南国的な風景などの観光資源に富み,世界的観光地として発展。財政は商取引税のほか,モンテカルロにある[[カジノ]]の収益,たばこや切手の販売などによる。[[ヨーロッパ連合]] EUには加盟していないが,通貨は[[ユーロ]]を使用。[[タックス・ヘイブン]]の国としても知られ,世界各国の富豪が移住していることでも有名。
[[フランス]]の[[地中海]]沿岸地方[[コート・ダジュール]]の[[イタリア]]との国境近くに位置する[[都市国家]]であり、世界で2番目に小さい[[ミニ国家]]で、[[国連加盟国]]の中では世界最小である。 
 
 
 
陸側周囲をフランス([[プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏|プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏]]の[[アルプ=マリティーム県|アルプ=マリティーム県]])に囲まれ、極端に山がちである。[[:fr:Jardin exotique de Monaco|熱帯公園]]などは観光資源である。最大の都市[[モンテカルロ]]には[[国際水路機関]]の本部がある。モナコは[[カジノ]]や[[フォーミュラ1|F1]][[モナコグランプリ]]、[[世界ラリー選手権|WRC]]・[[ラリー・モンテカルロ]]が開催されることで知られる。
 
 
 
[[#タックス・ヘイヴン|タックス・ヘイヴン]]であることなどから住民の84%が外国籍([[フランス]]国籍47%、[[イタリア]]国籍16%、その他21%)である。モナコ国籍者は16%しかいない<ref>モナコの国籍法は[[1992年]]に改正された。モナコ国籍をもつ母親が実子にモナコ国籍を与えることができる。移民が市民権を取得するためには、申請後10年単位の期間を要する。モナコ国籍の人は、[[カジノ]]を禁止されている。</ref>。
 
 
 
[[国旗]]のデザインが国連基準の2:3の縦横比になると[[インドネシア]]と同様になるため、両国の間で調整が図られたものの進展しなかった。モナコ独自の基準による比率は4:5としている。また上下を逆にすると[[ポーランド]]の国旗と同様になる。
 
 
 
== 歴史 ==
 
===17世紀まで===
 
[[ファイル:Meyers b9 s0067b.jpg|サムネイル|モナコ [[イタリア本土 (古代ローマ)]] [[紀元前1世紀]].]]
 
[[ファイル:Italia 1494-it.svg|サムネイル|モナコ [[ジェノヴァ共和国]], [[イタリア]] 1494.]]
 
[[ファイル:Italia 1796-es.svg|サムネイル|モナコ [[ジェノヴァ共和国]], [[イタリア]] 1796.]]
 
[[ファイル:County of nice.svg|サムネイル|フランスの侵攻 1860.]]
 
[[File:Frontiere Monaco.gif|thumb|青が[[マントン]]と[[ロクブリュヌ=カップ=マルタン|ロクブリュヌ]]、1860年のトリノ条約で分離独立した。オレンジが現在のモナコ。]]
 
モナコという地名は、現在のモナコの近隣に[[6世紀]]にあった[[ポカイア]]人の入植地の名に由来する。その地は[[ギリシャ語]]で「一軒家」を意味する ''Monoikos'' の名で呼ばれていた。[[ギリシア神話]]では、[[ヘラクレス]]が現在のモナコの地を通りかかり土地の神々を退散させたとあり、それにちなんで1つの神殿が作られた。その1つの神殿が「一軒家」に転じ、地名が生じた。
 
 
 
[[神聖ローマ皇帝]][[ハインリヒ6世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ6世]]から[[1191年]]にこの土地を与えられた[[ジェノヴァ共和国]]は、[[1228年]]に今日のモナコを建設した。[[1297年]]、[[教皇派と皇帝派|ギベリン(皇帝派)]]に占領されていたモナコの要塞に、[[フランシスコ会]]の修道士姿に変装し法衣の下に武装して侵入した[[フランソワ・グリマルディ]]らは、要塞の占拠に成功した。グリマルディは、現在のモナコ公家である[[グリマルディ家]]の始祖である<ref>実際には[[フランソワ・グリマルディ|フランソワ]](フランチェスコ)は4年後にはモナコを追われている。グリマルディ家のモナコ支配が固まるのは[[15世紀]]初めであり、現在のグリマルディ家はフランチェスコの直系子孫ではない(Anne Edwards ''The Grimaldis of Monaco'')。</ref>。そのため、グリマルディは、「狡猾な男」とあだ名される。[[1419年]]、グリマルディ家は[[アラゴン連合王国|アラゴン王国]]からモナコを購入し、正式な支配者となる。[[1528年]]、[[アンドレア・ドーリア]]がジェノヴァの貴族層と庶民層の合体を企て、そのために政権を[[:en:Albergo (family)|特定の28氏族]]へ集中させた。グリマルディ家はその一つに数えられた。また、[[1612年]]から[[プリンス|prince]]の称号を自称し始めた。[[:en:Honoré II, Prince of Monaco|オノレ2世]]の時代にはフランス王[[ルイ13世 (フランス王)|ルイ13世]]の保護下に入ることで[[スペイン]](アラゴン王国の後身)の支配を抜け出し、歴代のモナコ公は独立君主であると同時にフランス王の臣下(ヴァランティノワ公爵)として宮廷で高い地位を占めた<ref>フランスの保護国となることで公家のフランス化も進んだ。また格式を保つため領民には重税が課せられた。</ref>。
 
 
 
===18-19世紀===
 
[[1793年]]、[[フランス革命]]軍がモナコを占領・併合した。[[1814年]]までモナコは[[フランス第一帝政]]の直接支配下におかれた。[[1815年]]に催された[[ウィーン会議]]の結果、モナコは[[サルデーニャ王国]]の保護下に入った。サルディーニャはジェノヴァの後継である。
 
 
 
[[1860年]]の[[トリノ条約]]で、サルディニアは、[[イタリア統一運動]]をフランスに支援してもらう代償として、[[サヴォワ]]([[サヴォワ県]]と[[オート=サヴォワ県]])と[[ニース]]伯領([[アルプ=マリティーム県]])をフランスに割譲する。モナコ公の課す重税に倦み、サルデーニャへの併合を希望する[[マントン]][[ロクブリュヌ=カップ=マルタン|ロクブリュヌ]]は、モナコからの独立を宣言する。
 
 
 
[[シャルル3世 (モナコ大公)|シャルル3世]]は、[[1861年]]に、領土の95%にあたるマントンとロクブリュヌをフランスに売却し、見返りにモナコ公国の主権を回復した。[[1863年]]、'''ソシエテ・デ・バン・ド・メール'''(海水浴公社''[[:en:Société des bains de mer de Monaco|Société des bains de mer de Monaco]]'')が設立された。後にこの会社は、死の商人として知られる[[バジル・ザハロフ]]や海運王[[アリストテレス・オナシス]]と関係する。現在も営業しており、カジノで[[エルベ・ファルチアニ]]を雇用した。[[1864年]]、モナコで[[ミンダウガス2世]]が生まれた。
 
{{節スタブ}}
 
 
 
===20世紀===
 
[[1911年]]、憲法を制定したことで[[立憲君主制]]となるも、モナコ大公は依然として[[絶対君主制|絶対君主]]として振る舞い、[[アルベール1世 (モナコ大公)|アルベール1世]]はすぐに憲法を停止した。[[第一次世界大戦]]が勃発すると大公子ルイ(後の[[ルイ2世 (モナコ大公)|ルイ2世]])は[[フランス陸軍]]に志願、軍功をあげ将軍に上り詰めた。[[1918年]]、「{{仮リンク|フランス・モナコ保護友好条約|en|Franco-Monegasque Treaty}}」を締結、フランスの保護下に入り[[保護国]]となった。[[ヴェルサイユ条約]]などの第一次世界大戦の講和条約においては、この条約を各国が承認する規定が設けられている。[[1922年]]、ルイ2世が即位する。モナコを文化・観光都市にする試みを続け、[[モナコ・グランプリ]]の開催、[[ASモナコ]]の創設などを行った。
 
 
 
[[第二次世界大戦]]中の[[1943年]]にイタリア軍がモナコを占領し、[[ファシスト]]政権を樹立した。[[ベニート・ムッソリーニ]]の政権が崩壊すると、今度は[[ドイツ]]の[[ドイツ国防軍]]がモナコを占領した。ドイツはモナコでも[[ユダヤ人]]迫害を行った。
 
 
 
ルイが[[1949年]]に死去すると、孫の[[レーニエ3世]]が即位した。[[1956年]]には[[ハリウッド]]女優の[[グレース・ケリー]]と結婚した。[[1962年]]、新憲法を制定した。この憲法で死刑が廃止され、[[女性参政権]]が実現し、また最高裁判所が設置された。憲法制定は[[モロッコ]]と期を一にするが、フランスとの関係が政治的危機にあった。このとき不動産業界もピンチに陥ったが、{{仮リンク|ミシェル・パストール|fr|Michel Pastor|en|Michel Pastor}}はモロッコで事業を展開し、やがてモロッコ領事を務めるまでになった。彼はグリマルディ会議を代表することなどからグリマルディ家に次ぐ地元有力者と言われている。モンテ=カルロ地区内ラルヴォット区湾岸をミシェルは1984年まで開発した。そこには心臓胸部センターと[[バークレイズ]]モナコ支店が建てられた。[[1993年]]にモナコは[[国際連合]]に加盟した。
 
 
 
===現在===
 
[[2005年]]、レーニエ3世が死去し、息子の[[アルベール2世 (モナコ大公)|アルベール2世]]が即位した。同年12月、[[フランス・モナコ友好協力条約]]を締結した。この条約は、グリマルディ家に跡継ぎがなくなっても公国は将来も存続することをフランスが保証する代わりに、モナコの防衛は今後もフランス軍が行うことを骨子としている。また、モナコの自主的外交における制限が緩和され、外国と国交を結ぶ際のフランスによる事前同意が不要になった。
 
{{Clearleft}}
 
 
 
== 政治 ==
 
{{Main|モナコの政治}}
 
 
 
政体は[[グリマルディ家]]が[[世襲]]する[[大公]](公、[[プリンス|プランス]])を元首とする[[立憲君主制]]である。「公国」ながら日本ではしばしば元首を「大公」と呼ぶ背景は「[[公国]]」の概要の項目を参照。なお、1918年にフランスと結ばれた条約からモナコはフランスにより保護的な一定の主権の制限を受け、[[外交]]・[[軍事]]はフランスが責任を持っていた。この条約により、モナコ大公の即位継承にはフランスの同意が必要となり、また大公家が断絶した場合はフランスに編入されることになっていた。
 
 
 
その後、2005年の新条約ではフランスとの特別な協調関係は維持するが、外交面での制限が緩和され、大公家が断絶してもモナコ公国の存続を保証した。
 
 
 
元首である大公のもとに、[[首相]]に相当する「'''国務大臣'''」が任命されて政府を組織する。「国務大臣」の下に、対外関係省、財務経済省、内務省、社会厚生省、設備・環境・都市開発省をそれぞれ所掌する5名の「'''政府顧問'''」が置かれており、これが他国での大臣に相当する。
 
 
 
=== 外交関係 ===
 
外交面では従来、モナコが他国と外交関係を結ぶ際にはフランスの事前同意が必要と定められていた。[[日本]]政府はこれをフランスとの条約とも併せて「国家[[主権]]の制限」と看做し、長らく正式な[[国交]]は樹立されなかったが、代わりにモナコ「名誉総領事館」([[総領事館]]ではない)が、[[1973年]]に東京([[東京都]][[千代田区]])に設置された。
 
 
 
外交に関するフランスとの規定は2005年の条約で改められ、フランスの事前同意が無くても国交を結べるようになり、日本とモナコの間でも[[2006年]][[12月14日]]に外交関係が樹立され、[[2007年]]に駐[[フランス]]日本[[大使]]がモナコを兼轄することとなった。モナコ国内に大使館はない。それまではモナコは、日本政府が[[国家の承認|承認]]している国の中で唯一、外交関係を有していない国だった<ref>[http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/18/rls_1214c.html 外務省ブレスリリース・モナコ公国との外交関係開設について]</ref>。一方、モナコも日本を担当する大使を任命しているが、本国駐在であり、日本国内に大使館は置かれていない。
 
 
 
=== 軍事 ===
 
{{Main|モナコの軍事}}
 
軍事面では、フランスが領土防衛の責任を持つ。モナコは[[大公銃騎兵中隊]]を有しているが、事実上警備・儀仗部隊であり、他に消防隊も[[民間防衛|市民防衛]]の一環として銃の訓練は受ける。2005年締結の条約により、「緊急事態」を除きフランス軍の派兵にはモナコの同意ないし要請が必要となった。
 
 
 
== 地方行政区分 ==
 
[[File:Monaco satellite map.png|thumb|モナコの衛星写真]]
 
{{Seealso|モナコの行政区画}}
 
旧市街地と新市街地があり、世界的に見ても人口密度が高い。
 
 
 
市町村のような[[地方公共団体]]は存在しないが、4つの'''地区'''(カルティエ)に分けられている。このため、[[首都]]も厳密には存在しないが、モナコ市街区が事実上の首都に該当する。
 
* [[モナコ=ヴィル|モナコ市街区]](宮殿・政府のある中心地区で、事実上の首都)
 
* [[モンテカルロ|モンテカルロ区]](カジノ・リゾート地区)
 
* ラ・コンダミーヌ区(港湾地区)
 
* フォンヴェイユ区(新興地区)
 
 
 
== 経済 ==
 
{{Main|[[:en:Economy of Monaco|Economy of Monaco]]}}
 
[[画像:MonacoLibreDeDroits.jpg|thumb|モナコ市街]]
 
モナコの人口は3万人余りであるが、[[2009年]]の[[国内総生産|GDP]]は69億1900万ドルで、[[チャド]]や[[ベナン]]などアフリカの人口1000万人程度の中規模国に匹敵する<ref>[http://siteresources.worldbank.org/DATASTATISTICS/Resources/GDP.pdf]</ref>。また人口56万人を擁する[[鳥取県]]の[[県民経済計算|県内総生産]]の30%程の経済規模である<ref>[http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/kenmin/h18/main.html 県民経済計算]</ref>。また、2008年または2009年の1人当たり[[国民総所得]]は18万3150ドルで、[[世界銀行]]によれば、統計のある国連加盟国・[[国際連合非自治地域リスト|非自治地域]]中トップである<ref>[http://data.worldbank.org/sites/default/files/gnipc.pdf]</ref>。
 
 
 
主要な産業は観光。特にカジノは、[[19世紀]]の一時期は国家収入の9割を占めていたこともある。なお、現在では5%以下であり、経営も半官半民のソシエテ・デ・バン・ド・メールへ移管されている。この会社には[[#歴史|歴史]]の節でふれた。
 
 
 
モナコは[[タックス・ヘイヴン]]のひとつとして知られており、(租税条約が結ばれている)他国からの移住者の多くは億万長者である。 [[2011年]]3月には、英国の[[シンクタンク]]により、世界第51位の[[金融センター]]と評価されている<ref>[http://www.zyen.com/GFCI/GFCI%209.pdf The Global Financial Centres Index 9]</ref>。
 
 
 
モナコは[[欧州連合]]の加盟国ではないが、フランスとの通商関係が緊密で、通貨もフランスと同じ[[ユーロ]]を使用している。[[2002年]]以前はモナコも独自のフラン硬貨「[[モネガスク・フラン]]」を鋳造していた。現在も、各国が自由にデザインできる硬貨の裏面をモナコ独自のデザインにした独自の[[ユーロ硬貨]]を製造する権利を有している。<!--今の硬貨は「鋳造」ではない-->
 
 
 
化粧品製造が産業として確立しているため、周辺産業としてガラス加工、香水、化学薬品の製造が行われている。
 
 
 
=== 交通 ===
 
[[File:Train station, Monaco.jpg|thumb|モンテカルロ駅]]
 
モナコ国内の鉄道は、モナコ政府ではなく、[[フランス国鉄]](SNCF)が運営する。[[マルセイユ]]~[[ニース]]~モンテカルロ~[[マントン]]~[[ヴェンティミーリア]]([[イタリア]])間の路線の一部を成している。モナコ国内の鉄道路線は約1.7kmである。
 
 
 
[[1867年]]に{{仮リンク|モンテカルロ駅|en|Gare de Monaco-Monte-Carlo|fr|Gare de Monaco - Monte-Carlo}}が開業した。当初は地上に鉄道の線路が敷かれていたが、狭隘な土地の有効活用の目的もあり、[[1958年]]~[[1964年]]にかけて、モンテカルロ駅から東の区間を地下化した。その後[[1993年]]~[[1999年]]にかけて、モンテカルロ駅の移転・地下化と、モンテカルロ駅から西の区間を地下化した。これにより、モナコ国内の鉄道は、ほぼ全区間が地下線となっている。
 
 
 
[[パリ]]から直通する[[TGV]]が1日1往復存在する。所要時間は約6時間。
 
 
 
=== タックス・ヘイヴン ===
 
モナコは個人居住者に対して[[所得税]]を課していない([[1957年]]以降に移住したフランス国籍者は例外として税金をフランス政府に納める。これがフランスが併合を強要しない主な理由である)。所得税がないため、モナコ国外からほとんどの収入を得ている富裕者の多くがこの国にやってくる。[[フォーミュラ1|F1]]ドライバーなどの有名人も多いが、その多くは実業家である。[[2000年]]のフランス国会議員の報告で、モナコはカジノを含め、[[資金洗浄]]に対し監視が甘い政策で、モナコ政府による圧力があり司法当局が疑惑に対して適切に調査していないという疑いが報告された。
 
 
 
[[経済協力開発機構]](OECD)の[[タックス・ヘイヴン]]報告では、モナコは[[2004年]]までリストアップされていなかったが、その後[[アンドラ]]、[[リヒテンシュタイン]]、[[リベリア]]、[[マーシャル諸島]]などと共に、財政情報の公開や提供に協力的でないとして<ref>Declaration of April 18th, 2004, by the representative of the OECD Centre for Tax Policy and Administration Gabriel Makhlouf regarding the list of alleged tax havens non-cooperatives countries comparable</ref>、タックスヘイヴンとしてリストアップされた<ref>Stage Report 2004: Project of OECD on the detrimental tax practices, OECD, Paris, 2004</ref>。[[国際通貨基金]](IMF)も[[2003年]]までに他の36地域と共にタックスヘイヴンと認定した<ref>« Financial Centres with Significant Offshore Activities » in Offshore Financial Centres. The Assessment Program. A Progress Report Supplementary Information, IMF, Washington, 2005</ref>。
 
 
 
== 気候 ==
 
 
 
{{Weather box
 
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|Jan high C =12.3
 
|Feb high C =12.5
 
|Mar high C =14.0
 
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|Jan low C =8.1
 
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|Mar low C =9.6
 
|Apr low C =11.6
 
|May low C =14.8
 
|Jun low C =18.5
 
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|year sun =2668.7
 
|source 1 =Monaco website<ref>[http://www.visitmonaco.com/fr/Monaco-Pratique/Climat "Climatological information for Monaco"] – Monaco website</ref>
 
|date=September 2010
 
}}
 
 
 
== 文化 ==
 
[[File:Monaco BW 2011-06-07 16-07-20.jpg|thumb|モナコのカトリック教会]]
 
言語は[[公用語]]が[[フランス語]]で、その他[[モナコ語]]、[[英語]]、[[イタリア語]]などが使われる。
 
 
 
宗教は[[カトリック教会|ローマ・カトリック]]が90%である。
 
 
 
=== 祝祭日 ===
 
{| class="wikitable"
 
!日付!!日本語表記!!現地語表記!!備考
 
|-
 
|[[1月1日]]||[[元日]]||rowspan="13"|&nbsp;||rowspan="2"|&nbsp;
 
|-
 
|[[1月27日]]||聖ディボートの日
 
|-
 
|rowspan="2"|[[3月]]~[[4月]]||[[イースター]]||rowspan="2"|移動祝日
 
|-
 
|イースターマンデー
 
|-
 
|[[5月1日]]||レイバーデー||
 
|-
 
|rowspan="2"|[[5月]]||キリスト昇天祭||rowspan="3"|移動祝日
 
|-
 
|ウィットサンデー
 
|-
 
|[[6月]]||聖体節
 
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|[[8月15日]]||聖母被昇天祭||rowspan="5"|&nbsp;
 
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|[[11月1日]]||[[諸聖人の日|万聖節]]
 
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|[[11月19日]]||ナショナルデー
 
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|[[12月8日]]||[[聖母受胎祭]]
 
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|[[12月25日]]||[[クリスマス]]
 
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=== スポーツ ===
 
{{Main|モナコのスポーツ}}
 
* [[フォーミュラ1]]の[[モナコグランプリ]]や、[[世界ラリー選手権|WRC]]の[[ラリー・モンテカルロ]]など、[[モータースポーツ]]の[[世界選手権大会]]が開催される。
 
* [[ASモナコ]] - フランスのサッカーリーグ所属で、同国リーグでは有数の強豪チームの一つである。2003-2004シーズンには[[UEFAチャンピオンズリーグ]]で準優勝の成績を修めた。ホームスタジアムの[[スタッド・ルイ・ドゥ]]は、フォン・ヴュエイユ地区にある。
 
* [[ヘラクレス (陸上競技)|ヘラクレス]] - 1987年設立の[[陸上競技]]大会、会場はスタッド・ルイ・ドゥ<ref>[http://www.herculis.com/_association/_resultats/HISTORIQUE_1890-2009_14.09.2009.pdf LES GRANDES DATES DE L'ATHLETISME A MONACO de 1900 à 2008] Fédération Monégasque d’athlétisme. [[2011年]][[7月30日]]閲覧</ref>。2010年以降[[IAAFダイヤモンドリーグ]]の1大会として開催されている。
 
*[[欧州小国競技大会]]を開催、参加している。
 
*[[モンテカルロ・マスターズ]] - 毎年4月末に行われる、男子プロテニスのトーナメント。
 
 
 
== 関係者 ==
 
{{main|Category:モナコの人物}}
 
===出身者===
 
*[[ドミニク・ストロス=カーン]]:元[[国際通貨基金|IMF専務理事]]、元[[経済・財務省|フランス経済・財政大臣]]。生まれは[[パリ]]西部近郊[[ヌイイ=シュル=セーヌ]]だが、幼少期を[[モロッコ]]及びモナコで過ごした。
 
 
 
*;スポーツ選手
 
*[[ルイ・シロン]]:元F1ドライバー
 
*[[オリビエ・ベレッタ]]:[[レーシングドライバー]]で元F1ドライバー
 
*[[シャルル・ルクレール (レーシングドライバー)|シャルル・ルクレール]]:F1ドライバー
 
*[[ポリーヌ・デュクリュエ]]:飛び込み選手、モナコ公族
 
 
 
=== 居住その他ゆかりある人物 ===
 
* [[セシル・シャミナード]]:晩年モナコ居住。女性ピアニスト、作曲家。
 
* [[デューク更家]]:現在モナコ在住。「自分のウォーキング理論をモナコから日本へ発信したかった」という戦略もあって市民権を獲得した。
 
* [[井上隆智穂]]:現在モナコ在住。
 
* [[石川資章]]:現在モナコ在住。
 
* [[クルム伊達公子]]:現在モナコ在住。
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[モナコ関係記事の一覧]]
 
* [[ミュンヘン]] - [[ドイツ]]・[[バイエルン州|バイエルン自由州]]の都市。[[イタリア語]]で「モナコ・ディ・バヴィエラ({{Lang|it|Monaco di Baviera}};バイエルン地方のモナコ)」と言い、イタリアで「モナコ」と言えばこちらを指す。一方、モナコ公国は「[[モンテカルロ]]」と呼ぶのが一般的。「モナコ」も「ミュンヘン」も「修道士」を意味する両語に由来する。
 
*[[日本とモナコの関係]]
 
*[[モンテカルロ歌劇場]]
 
*[[モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団]]
 
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
{{Commons&cat|Monaco|Monaco}}
 
; 政府
 
 
* [http://www.gouv.mc/ モナコ公国政府]{{Fr icon}}{{En icon}}
 
* [http://www.gouv.mc/ モナコ公国政府]{{Fr icon}}{{En icon}}
; 日本政府
 
 
* [http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/monaco/index.html 日本外務省 - モナコ]{{Ja icon}}
 
* [http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/monaco/index.html 日本外務省 - モナコ]{{Ja icon}}
 
* [http://www.fr.emb-japan.go.jp/jp/index.html 在フランス日本国大使館] - 在モナコ大使館を兼轄{{Ja icon}}
 
* [http://www.fr.emb-japan.go.jp/jp/index.html 在フランス日本国大使館] - 在モナコ大使館を兼轄{{Ja icon}}
; 観光
 
 
* [http://www.visitmonaco.com/ モナコ政府観光会議局]{{Ja icon}}
 
* [http://www.visitmonaco.com/ モナコ政府観光会議局]{{Ja icon}}
* [http://micemonaco.jp/index.html モナコ政府観光会議局 日本事務所、モナコMICEガイド]{{Ja icon}}
 
 
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モナコの町並み.モナコ

モナコ公国[1](モナコこうこく、プランシポテ・ドゥ・モナコ、:Principauté de Monaco)、通称モナコMonaco

ヨーロッパ西部,フランス南東部,地中海に面する保養地コートダジュールにあり,ニースの東 14kmに位置する国。バチカン市国に次ぐ世界第2の小国。温帯冬雨気候(地中海式気候)で,平均気温は 1月 10℃,8月 24℃,雨は年間 60日程度しか降らない。住民の約 3割はフランス人で,モナコ人とイタリア人がそれぞれ約 2割を占める。ほかに,その他ヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国,アジアなどから来た人々が居住。住民の大部分はキリスト教徒。公用語はフランス語であるが,英語,イタリア語も広く用いられる。古代ギリシア・ローマ時代には重要な港として繁栄。13世紀からジェノバのグリマルディ家領となり,1793~1814年にフランスに主権を奪われたが,1861年今日の国土に縮小されて主権を回復。1911年に憲法を制定。1918年フランス・モナコ保護友好条約を結び,フランスの保護国となった。2005年フランス・モナコ保護友好条約に代わるフランス・モナコ友好協力条約が発効し,外交の自由が認められ,2006年日本との間にも外交関係が結ばれた。行政上はモナコビル,ラコンダミーヌ,モンテカルロ,フォンビエイユの 4地区に区分。モナコビルには政庁のほか,宮殿,聖ニコラ大聖堂,海洋博物館などがある。先史時代から古代ギリシア・ローマ時代にいたる遺物や美術品などを所蔵する博物館もある。オレンジ,オリーブなどの果樹や熱帯性の植物,地中海に臨む海岸美,南国的な風景などの観光資源に富み,世界的観光地として発展。財政は商取引税のほか,モンテカルロにあるカジノの収益,たばこや切手の販売などによる。ヨーロッパ連合 EUには加盟していないが,通貨はユーロを使用。タックス・ヘイブンの国としても知られ,世界各国の富豪が移住していることでも有名。

外部リンク



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  1. 日本外務省の表記。「モナコ大公国」や「モナコ王国」と訳す場合もある。