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[[File:Midway Atoll map ja.png|thumb|250px|right|ミッドウェー島の地図]]
 
[[Image:Midway Atoll.png|thumb|250px|ミッドウェー島(衛星画像)]]
 
[[Image:Aerial view of Midway Atoll on 24 November 1941 (80-G-451086).jpg|thumb|250px|サンド島(奥)とイースタン島<Br>1941年撮影]]
 
[[Image:Flag of the Midway Islands (local).svg|thumb|250px|ミッドウェー島の旗]]
 
'''ミッドウェー島'''(ミッドウェーとう、''Midway Atoll'')、ミッドウェイ島は、北[[太平洋]]の[[ハワイ諸島]]北西にある[[環礁]]で、ミッドウェー諸島やミッドウェー環礁<ref name="afp2016">{{Cite web|url=http://www.afpbb.com/articles/-/3099722 |title=オバマ米大統領、ミッドウェー環礁を訪問 保護面積4倍に拡大 |author=Andrew BEATTY |date=2016-09-04 |work= |publisher=AFP通信 |accessdate=2016-11-19 }}</ref>とも呼ばれる。位置は{{ウィキ座標度分|28|13||N|177|22||W||改行なし=yes}}。
 
[[アメリカ領太平洋諸島]]に属し、[[標準時]]は[[UTC-11]]。
 
  
== 地理 ==
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'''ミッドウェー島'''(ミッドウェーとう、''Midway Atoll'')、ミッドウェイ島
{{Wide image|Verbesina_encelioides_panoramic.jpg|1000px|ミッドウェー島のパノラマ写真。島はほぼ平坦でサンゴ礁質の石灰岩からできている。}}
 
[[ハワイ-天皇海山列の火山の一覧|ハワイ-天皇海山列]]の[[北西ハワイ諸島]]に属する火山島。[[ハワイ]]から[[東京]]への距離の1/3ほど、[[ジョンストン島]]から北に約1,000キロの位置にある。
 
  
約2,800万年前に[[ハワイ・ホットスポット]]で[[ハワイ諸島]]の[[ラナイ島]]とほぼ同程度の火山島を形成したと考えられ、[[プレートテクトニクス|プレート運動]]により移動しながら活動を休止、徐々に沈降しながら[[環礁]]を形成した。礁湖は2つの大きな島(''Sand Island'' 0.49km<sup>2</sup>、''Eastern Island'' 0.14<sup>2</sup>)といくつかの無人島で囲まれ、陸地面積は6.23km<sup>2</sup>、礁湖の面積は60.1km<sup>2</sup>、これに砂州が加わる。西に隣接する[[クレ環礁]]とともに、環礁形成の北限とされる。
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北太平洋中部、ホノルルの北西1900キロメートルに位置するアメリカ領の島。アメリカ海軍の管轄下にある。直径9.7キロメートルの環礁の中にイースタンEastern島とサンドSand島の2島があり、両島の間に南に開いた入口があって絶好の泊地をなす。陸地面積5平方キロメートル、原住人口はなく、アメリカの航空関係・軍関係などの駐留人口で占められるが、常時約2000といわれる。1859年ハワイの帆船の船長ブルックスが初めて上陸したのでブルックスBrooks島といわれることもあるが、北太平洋の真ん中にあるので「ミッドウェー」と命名された。1903年アメリカ海軍が支配、1930年代にはサンド島に太平洋横断の航空機の旅客のためのホテルが建設され、海底ケーブルの中継地となり、39年にはイースタン島に潜水艦と空軍の基地が設けられた。第二次世界大戦中の1942年6月にはミッドウェー海戦の戦場となった。現在も引き続き軍事上の要地であるが、世界高層気象観測基地や国立野鳥保護地も設定されている。
 
 
[[北米大陸]]と[[ユーラシア大陸]]の中間点に位置し、「ミッドウェー」の名称はこれに由来している。北西ハワイ諸島のなかでは、ほぼ唯一の有人島で人口60人ほど(2014年)を有するが、ミッドウェー島だけが[[ハワイ州]]に属していない。
 
 
 
== 歴史 ==
 
[[1859年]][[7月5日]]に Captain N.C. Middlebrooks([[:en:Richard Brooks (captain)|Captain Brooks]]として知られる)によって発見され、「Middlebrook Islands」と命名された。
 
[[1867年]][[8月28日]]に [[:en:William Reynolds (naval officer)|Captain William Reynolds]] が米軍艦 [[:en:USS Lackawanna|USS Lackawanna]] で訪れ、[[アメリカ合衆国]]による領有を宣言し<ref>アメリカ初の海外領土とされている</ref>、ミッドウェー(Midway)島と改名した。
 
 
 
[[1871年]][[3月24日]]、議会から資金を得た [[:en:Pacific Mail Steamship Company|Pacific Mail Steamship Company]] の[[:en:USS Saginaw (1859)|USS Saginaw]]が、[[ラグーン]]への[[水路]]建設事業に着手した。[[ハワイ王国]]の港湾使用料を避ける給炭所を建設する計画だったが、10月29日に船が立ち寄ったクレ環礁で座礁し、事業は失敗した。
 
 
 
[[1903年]]1月20日、[[アメリカ海軍]]管理下に置かれた。この年開通した[[サンフランシスコ]]-[[マニラ]]間の太平洋[[海底ケーブル]]<ref>6月27日に[[グアム]]と、7月3日に[[ホノルル]]と接続され、[[アメリカ独立記念日|翌日]]にルーズベルト大統領による演説が地球を初めて一周した</ref>を敷設中だった [[:en:Commercial Pacific Cable Company|Commercial Pacific Cable Company]] の要請に応じたもので、21人の海兵隊員が駐留した。工事に伴い、多数の[[外来種]]が持ち込まれた。
 
 
 
[[1935年]]に、[[パンアメリカン航空]]の[[飛行艇]]がアメリカ-中国航路を開設すると、その中継地となり、太平洋を横断する航空機の給油地となった。
 
軍事面の要衝であり、1940年頃よりハワイ防衛の拠点として基地化が進んだ。
 
 
 
[[第二次世界大戦]]中の1942年6月4日には、この環礁を巡り、近海で日本海軍とアメリカ軍との海戦が行われアメリカ軍が勝利した([[ミッドウェー海戦]])。日本は海戦に勝利した場合、ミッドウェー島を'''『水無月島』'''と改名し領土化することを予定し、直ちに占領体制を敷けるよう郵便局長など多数の文官を艦隊に帯同させたが、敗退によってその試みは潰えた。
 
 
 
[[冷戦]]期もアメリカ海軍の基地が置かれ、[[ベトナム戦争]]中の[[1969年]][[6月8日]]には[[ベトナム共和国]]の[[グエン・バン・チュー]]大統領とニクソン大統領の会談の場となった。
 
 
 
 
 
冷戦終結後、島は[[自然保護区]](ミッドウェー環礁国立自然保護区)となることが決定され、軍事基地は[[1996年]]に閉鎖された。その後は[[エコツーリズム]]の場として観光客の受け入れが行われていたが[[2002年]]に中止された。
 
 
 
[[合衆国魚類野生生物局]]の管理下、担当官が数十名駐在して野生生物の保護、汚染の調査などにあたり、2012年まではボランティアの受け入れも行われ、[[Google ストリートビュー]]も撮影されたが、2013年以降は予算削減により無人化した。
 
 
 
一般人の立ち入りは制限されているが、その地理的環境から、稀に太平洋を横断する[[航空機]]が[[緊急着陸]]することがある<ref>2011年6月16日のデルタ航空ボーイング747(ホノルル発大阪行)や、2014年7月11日のユナイテッド航空ボーイング777-200(ホノルル発グアム行)など</ref>ほか、島内にミッドウェー海戦の慰霊碑<ref>[[1999年]]6月設置。『滄海よ眠れ』と彫られた小さな慰霊碑で、本島北端のクリッパーギャラリー西側にあり、Googleストリートビューで遠望できる</ref>がある関係から、日本の[[海上自衛隊]]の艦船が立ち寄ることがある。
 
 
 
==自然==
 
ミッドウェー諸島には数々の海鳥が生息する。なお、[[クロアシアホウドリ]]の世界最大の繁殖地であり、旗になっているコアホウドリも非常に多い。特に、カモメ科の海鳥では[[セグロアジサシ]]、[[クロアジサシ]]、[[ナンヨウマミジロアジサシ]]等のアジサシ類が多数生息している。その他、[[レイサンガモ]]や[[レイサンヨシキリ]]等の固有種も数々存在するが、外来種の侵入や狩猟によって、その多くが絶滅したり、または絶滅危惧種になっている。2011年、2012年、2014年にはイースタン島で[[アホウドリ]]の繁殖が確認されている<ref>{{Cite web|url=http://www.mnc.toho-u.ac.jp/v-lab/ahoudori/information/topics/topic120706.html|title=ミッドウェー環礁から、アホウドリのひなが今年も巣立つ|publisher=東邦大学メディアネットセンター|date=2012-07-06|accessdate=2013-03-02}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.mnc.toho-u.ac.jp/v-lab/ahoudori/information/topics/topic140120.html|title=ミッドウェー環礁でオキノタユウの3羽目のひなが誕生|publisher=東邦大学メディアネットセンター|date=2014-01-21|accessdate=2014-03-21}}</ref>。
 
 
 
自然保護政策の一環として、2006年に[[アメリカ合衆国ナショナル・モニュメント]]となる、[[パパハナウモクアケア海洋ナショナル・モニュメント|北西ハワイ諸島海洋ナショナル・モニュメント(後にパパハナウモクアケア海洋ナショナル・モニュメント)]]([[:en:Papahānaumokuākea Marine National Monument|en]])が設置され、ミッドウェー島もそれに含まれている<ref name="afp2016"/>。
 
 
 
== 脚注 ==
 
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== 関連事項 ==
 
{{Commonscat|Midway_Atoll}}
 
{{wikivoyage|en:Midway_Islands|ミッドウェー島{{en icon}}}}
 
* [[ミッドウェー海戦]]
 
* [[ミッドウェイ (空母)]]
 
* [[アホウドリ]]
 
  
 
== 外部リンク ==
 
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[[Category:合衆国領有小離島]]
 
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2018/10/5/ (金) 21:03時点における最新版

ミッドウェー島(ミッドウェーとう、Midway Atoll)、ミッドウェイ島

北太平洋中部、ホノルルの北西1900キロメートルに位置するアメリカ領の島。アメリカ海軍の管轄下にある。直径9.7キロメートルの環礁の中にイースタンEastern島とサンドSand島の2島があり、両島の間に南に開いた入口があって絶好の泊地をなす。陸地面積5平方キロメートル、原住人口はなく、アメリカの航空関係・軍関係などの駐留人口で占められるが、常時約2000といわれる。1859年ハワイの帆船の船長ブルックスが初めて上陸したのでブルックスBrooks島といわれることもあるが、北太平洋の真ん中にあるので「ミッドウェー」と命名された。1903年アメリカ海軍が支配、1930年代にはサンド島に太平洋横断の航空機の旅客のためのホテルが建設され、海底ケーブルの中継地となり、39年にはイースタン島に潜水艦と空軍の基地が設けられた。第二次世界大戦中の1942年6月にはミッドウェー海戦の戦場となった。現在も引き続き軍事上の要地であるが、世界高層気象観測基地や国立野鳥保護地も設定されている。

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