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{{Coord|22|10|00|N|113|33|00|E|region:MO_type:city|display=title|name=マカオ}}
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[[ファイル:サン・パウロ聖堂跡.マカオ,中国.jpg|サムネイル]]
{{基礎情報 国
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'''中華人民共和国マカオ特別行政区'''(ちゅうかじんみんきょうわこくマカオとくべつぎょうせいく)、通称'''マカオ'''({{lang-pt-short|Macau}}、'''澳門'''=[[広東語|広東語イェール式]]:Oumùhn、[[普通話]]:Àomén、おうもん)
|自治領等 = y
 
|略名 = マカオ
 
|日本語国名 = {{small|中華人民共和国マカオ特別行政区}}
 
|公式国名 = {{lang|zh-hant|中華人民共和國澳門特別行政區}}<br/>{{lang|zh-cn|中华人民共和国澳门特别行政区}}<br/>{{lang|pt|Região Administrativa Especial de Macau da República Popular da China}}
 
|国旗画像 = Flag of Macau.svg
 
|国章画像 = [[ファイル:Macau SAR Regional Emblem.svg|100px|マカオの紋章]]
 
|標語 = 無し
 
|国歌 = [[義勇軍進行曲]]・[[:pt:Marcha dos Voluntários|Marcha dos Voluntários]][[ファイル:March of the Volunteers instrumental.ogg]]
 
|国歌追記 = ※中華人民共和国としての国歌。
 
|位置画像 = Macau in China (special marker) (+all claims hatched).svg
 
|公用語 = [[広東語]]、[[ポルトガル語]]
 
|首都 = [[花地瑪堂区]](ファティマ堂区)
 
|最大都市 = 花地瑪堂区
 
|元首等肩書 = [[マカオ特別行政区行政長官|行政長官]]
 
|元首等氏名 = [[崔世安]]
 
|首相等肩書 = [[マカオ特別行政区行政法務司|行政法務司]]
 
|首相等氏名 = [[陳海帆]]
 
|面積順位 =
 
|面積大きさ = 1 E3
 
|面積値 = 28.6
 
|面積追記 =
 
|水面積率 = 0
 
|人口統計年 = 2015
 
|人口順位 = 167
 
|人口大きさ = 1 E7
 
|人口値 = 643,100
 
|人口密度値 = 18,568
 
|人口追記 =
 
|GDP統計年元 = 2008
 
|GDP値元 = 1,718億<ref>澳門特別行政區政府統計暨普查局&gt;統計資料&gt;澳門主要統計指標 2009年7月19日閲覧 [http://www.dsec.gov.mo/Statistic.aspx]</ref>
 
|GDP元追記 =
 
|GDP統計年MER = 2008
 
|GDP順位MER = 95
 
|GDP値MER = 186億<ref>World Bank&gt;World Development Indicators database&gt;Gross domestic product 2008 2009年7月19日閲覧[http://siteresources.worldbank.org/DATASTATISTICS/Resources/GDP.pdf]</ref>
 
|GDPMER追記 =
 
|GDP統計年 = 2008
 
|GDP順位 = 96
 
|GDP値 = 312億<ref>World Bank&gt;World Development Indicators database&gt;Gross domestic product 2008, PPP 2009年7月19日閲覧[http://siteresources.worldbank.org/DATASTATISTICS/Resources/GDP_PPP.pdf]</ref>
 
|GDP/人 = 57,992
 
|GDP追記 =
 
|建国形態 = [[ポルトガル]]から[[中華人民共和国]]へ返還
 
|確立形態1 = 特別行政区
 
|確立年月日1 = [[1999年]][[12月20日]]
 
|確立形態2 =
 
|確立年月日2 =
 
|通貨 = [[マカオ・パタカ]]
 
|通貨コード = MOP
 
|通貨追記 =
 
|時間帯 = [[UTC+8|+8]]
 
|夏時間 = なし
 
|時間帯追記 =
 
|ISO 3166-1 = MO / MAC
 
|ccTLD = [[.mo]]
 
|ccTLD追記 =
 
|国際電話番号 = 853
 
|国際電話番号追記 =
 
|注記 =[[File:Macau montage.png|thumb|287px|左上から時計回り:[[マカオ・タワー]]、[[聖ポール天主堂跡]]、[[カジノ・リスボア]]、[[聖ヨセフ修道院]]、[[嘉楽庇総督大橋]]、[[媽閣廟]]、[[ギア砲台]]]]
 
}}
 
{{Chinese
 
  |showflag = jyp
 
  |title = 澳門特別行政区
 
  |t = 澳門特別行政區
 
  |s = 澳门特别行政区
 
  |p = Àomén Tèbié Xíngzhèngqū
 
  |mi = {{IPA-cmn|ɑ̂ʊ̯mə̌n|}}
 
  |j = Ou<sup>3</sup>mun<sup>4*2</sup> Dak<sup>6</sup>bit<sup>6</sup> Hang<sup>4</sup>zing<sup>3</sup> Keoi<sup>1</sup>
 
  |ci = {{IPA-yue|ʔōu mǔːn|}}
 
  |wuu = au<sup>去</sup>men<sup>平</sup> deh<sup>入</sup>bih<sup>入</sup> ghan<sup>平</sup>tsen<sup>去</sup>chiu<sup>平</sup>
 
  |poj = Ò-mn̂g Te̍k-pia̍t Hêng-chèng-khu
 
  |h = Àu-mûn Thi̍t-phe̍t Hàng-tsṳn-khî
 
  |bpmf = ㄠˋㄇㄣˊ ㄊㄜˋㄅㄧㄝˊㄒㄧㄥˊㄓㄥˋㄑㄩ
 
  |por = Região Administrativa Especial de Macau
 
}}
 
'''中華人民共和国マカオ特別行政区'''(ちゅうかじんみんきょうわこくマカオとくべつぎょうせいく)、通称'''マカオ'''({{lang-pt-short|Macau}}、'''澳門'''=[[広東語|広東語イェール式]]:Oumùhn、[[普通話]]:Àomén、おうもん)は、[[中華人民共和国]]の[[特別行政区]]の一つ。[[中国大陸]]南岸の珠江河口([[珠江デルタ]])に位置する旧[[ポルトガル]][[植民地]]で、現在は[[カジノ]]や[[世界遺産]]を中心とした世界的[[観光地]]としても知られる。
 
 
 
== 概要 ==
 
マカオは中華人民共和国[[広東省]]の[[珠江]]の最下流域に位置し、[[広州市|広州]]からは南西に145km、[[香港]]からは南西に70km離れている。[[珠海|珠海市]]に接し、[[中国大陸]]本土南海岸に突き出たマカオ半島と、沖合いの[[島]]から構成される。この島は、もともと[[タイパ島]]と[[コロアネ島]]という二つの島であったが、島の間は埋め立てられて[[コタイ]]と呼ぶ地域となり、全体がひとつの島のようになっている。現在、半島部と旧タイパ島の間は3つの橋でつながれ、コタイから西に珠海と結ぶ橋もできている。
 
 
 
[[ファイル:Senado Square in Macau01.jpg|left|220px|thumb|セナド広場]]
 
[[1999年]]まで[[ポルトガル]]の[[植民地]]であったマカオは、中国大陸の[[ヨーロッパ]]諸国の[[植民地]]の中ではもっとも古く、域内に植民地時代の遺構が数多く点在する。このため、[[2005年]][[7月15日]]に、マカオの8つの広場と22の歴史的建造物が[[マカオ歴史地区]]という名前で[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]([[文化遺産_(世界遺産)|文化遺産]])に登録された。
 
 
 
域内には多くの[[カジノ]]が運営されていることから、「[[東洋]]の[[ラスベガス]]」ともいわれている。歴史的建造物とカジノが、[[香港]]や[[中華人民共和国]]本土のほか、東南アジア、[[東アジア]]域内から多くの観光客をひきつけ、それに隣接している[[ホテル]]を含む[[観光]]産業が盛んである。また、[[ドッグレース]]などのユニークな[[ギャンブル]]も存在する。毎年[[11月]]に市街地を使って行われる[[マカオグランプリ]]は世界的に著名で、この時期に多くの観光客をひきつけている。
 
 
 
マカオと[[香港]]間は24時間高速船が約1時間で結んでおり、ほかにも[[ヘリコプター]]による定期便が頻繁に運航される。日帰りで訪れる香港人や旅行客も多い。現在香港とマカオを結ぶ橋[[港珠澳大橋]]が建設されている。
 
 
 
== 名称 ==
 
'''マカオ'''という名称の由来には多数の説があり定かではないが、<!--[[ポルトガル語]]特有の名称で、-->マカオ半島にある[[道教]]の[[廟]]、'''媽閣廟'''に由来する説が有名である。ポルトガルの船員がマカオの媽閣の前から上陸するときに地名を聞いたら、廟の名前を聞かれたと思って「媽閣」(広東語:Ma1gok3)と答えたからと伝えられている<ref>黄翊、『澳門語言研究』p3、北京・商務印書館、2007年</ref>。媽閣廟は、[[1448年]]に[[媽祖]]を奉るために建設されたもので、現存し、海運、漁業の神として崇拝されている。
 
 
 
漢字表記'''澳門'''は、「澳」が「水が奥深く入り込んだ湾や入り江」を表し、「門」は門のようにそびえ立つ南台山と北台山を指している。歴史的には、'''蠔鏡'''という名が[[明]]代に記録されているのが最初で、澳門のほか'''濠鏡澳'''、'''海鏡'''、'''香山澳'''などの名称もあった。文語的な表現でマカオは「濠江」([[北京語]]:ハオジアン、広東語:Hou4gong1 ホウゴーン)とも表記される。また、[[ハス|蓮]]が多いことから'''蓮島'''、'''蓮海'''などの呼称もあり、[[区旗]]の[[モチーフ]]にも使われている。
 
 
 
なお、「Macau」の広東語音訳として'''馬交'''(広東語:Ma5gaau1 マーガーウ)と言う表記が用いられることもある。また、ポルトガル領時代の正式名称は {{lang|pt|''Cidade do Nome de Deus de Macau, Não Há Outra Mais Leal''}}(「最も忠貞なる主の名の街・マカオ」の意味)であった。
 
 
 
== 歴史 ==
 
{{main|マカオの歴史}}
 
 
 
=== 明朝以前 ===
 
[[ファイル:Franciscus de Xabier.jpg|right|220px|thumb|フランシスコ・ザビエル]]
 
[[ファイル:Macao1844.jpg|right|220px|thumb|[[1840年代]]のマカオ]]
 
[[ファイル:MacauPortoInterior1900.jpg|right|220px|thumb|[[1900年代]]のマカオ]]
 
 
 
珠江と[[南シナ海]]の境目に位置するマカオは、もともと、漁民や[[蛋民]]と呼ばれた水上居民を中心とする漁業の村であった。その後、[[東南アジア]]などとの通商が始まると、貿易の町として栄えてきた。
 
 
 
=== ポルトガル人の居留開始 ===
 
[[1513年]]に、当時世界有数の海洋大国として世界各地にその覇権を誇っていたポルトガル人が中国に初渡来し、[[明]][[王朝]]との交易を開始した。
 
 
 
その後、[[1557年]]にポルトガルが明から居留権を得、[[中国大陸]]における唯一の[[ヨーロッパ]]人居留地となった。但し、この時期のマカオの領有権はポルトガルではなく明にあり、明がマカオに[[税関]]を設置するなど主権を有していた。
 
 
 
なお、この前後に[[カトリック教会]]の[[宣教師]]で[[イエズス会]]の創設メンバーの1人である[[フランシスコ・ザビエル]]が、ポルトガル政府の支援の下、マカオを拠点に[[東南アジア]]各地で[[キリスト教]]の布教活動を行っていた。
 
 
 
この頃のマカオは、[[日本]]が[[鎖国]]するまでは[[長崎市|長崎]]との貿易で繁栄を極めた。しかし、その後は明清交替期の動乱や広東([[広州市|広州]])の対外開放により、アジアにおける一大貿易港としてのマカオは次第に衰えていった。
 
 
 
=== ポルトガルの植民地に ===
 
[[大英帝国]]が[[アヘン戦争]]に勝利して、[[1842年]]に[[香港島]]を獲得すると、ポルトガルも[[1845年]]に「マカオ自由港」の成立を宣言して[[清]]の税関官吏を追い出し、ポルトガル軍が[[タイパ島]]と[[コロアネ島]]を占領し、最終的に[[1887年]]にはポルトガルが統治権を獲得し正式に同国の植民地とした。清国人及び領事以外の外国人については、[[1906年]]7月に旅券または書類提示による入出国となるなど、各方面で近代的な法整備が進んだ。
 
 
 
しかし、天然の良港に恵まれアジアにおける要衝として発展した[[香港]]とは対照的に、マカオの貿易港としての機能は低下し、その地位は全く凋落してしまった。マカオは珠江の土砂が堆積しやすい位置にあり、大型の船舶が入港しにくくなっていたこと、当時ポルトガルの国力は凋落していたことも衰退の原因に挙げられよう。
 
 
 
<!--その後、清に代わって中国大陸を支配した -->[[中華民国]]と日本との間に[[1937年]]より起きた[[日中戦争]]においては、両国と国交を持ち中立的立場にあるポルトガル領であることから戦火とは遠い存在であった。
 
 
 
=== 第二次世界大戦 ===
 
[[1939年]]9月に起きた[[第二次世界大戦]]においてポルトガルは[[中立国]]となり、その後[[1941年]]12月に勃発した[[太平洋戦争]]([[大東亜戦争]])を通じて日本とも中華民国ともイギリスとも交戦状態に入らず、<!--[[東南アジア]]にある[[欧米諸国]]の植民地のほとんどを占領した日本とは交戦状態に入らなかったため、-->ポルトガルの植民地政庁のもとで中立港として機能した。このため、戦禍を逃れようとした大量の難民が中国大陸から流れ込んだ。
 
 
 
イギリスなど各国領事館が在したマカオは、大戦中は諜報活動の場となった。日本も1941年1月に在マカオ日本領事館を設置、蒋介石の直属機関([[藍衣社]])等による抗日活動と標的テロも勃発し、ドイツの敗戦が濃厚となる[[1944年]]末には対日テロが激化した。<!--なお、大戦中に[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]]がポルトガル政府に無断で特務機関を設け、様々な対中工作、謀略活動を行っていたことが明らかになっており、 -->[[1945年]]には[[福井保光]]駐マカオ領事が中国人の襲撃に会い、拳銃で射殺されるという事件が起きている<ref>森島守人著、『真珠湾・リスボン・東京 続一外交官の回想』、岩波新書、1956年</ref>。また、ポルトガル人警察官による澳門特務機関員への発砲事件などが発生するなど、緊迫した事件が相次いだ。
 
 
 
=== 戦後 ===
 
[[1945年]]8月に第二次世界大戦が終結し、日本軍が中国大陸から撤退した後に、[[中華民国総統]]である[[蒋介石]]率いる[[中国国民党]]と、[[毛沢東]]率いる[[中国共産党]]の間に[[国共内戦]]が勃発した。
 
 
 
その後[[1949年]]には、[[毛沢東]]率いる中国共産党が、[[北京]]を[[首都]]とした中華人民共和国を設立し、[[中華民国]]に代わって中国大陸の大部分を統治するようになったものの、その後もイギリスが統治を続けた香港同様、マカオも依然としてポルトガルの統治が続いた。
 
 
 
なおポルトガルは、[[中国共産党]]政府を早くも[[1950年]]に[[国家の承認|承認]]した<!--中華民国とは断交してませんでした?(同時に中華民国との国交も堅持し続けた)-->イギリスとは異なり、強烈な[[反共主義|反共産主義]]者であった[[アントニオ・サラザール]][[首相]]による独裁政権下にあったこともあり、中華人民共和国との国交は持たないままであった。
 
 
 
=== マカオ暴動 ===
 
{{main|一二・三事件}}
 
中華人民共和国内で[[文化大革命]]が行われていた[[1966年]]11月に、中国共産党系[[小学校]]における無許可での増築工事に対する代理総督による制裁が行われ、この制裁に怒った住民によるデモがセナド広場などで数度にわたり行われた。当初は平和的なデモであったが、その後中国共産党系の住人によって暴動化し、[[12月3日]]には、これを鎮圧しようとしたポルトガル軍警察がデモ隊に発砲したために、数人のデモ隊が死亡する惨事となった。
 
 
 
これに怒った中華人民共和国政府は、[[人民解放軍]]によるマカオへの軍事侵攻をほのめかしながら、ポルトガル政府に対して事件の謝罪と責任者の処罰、共産党系の遺族に対する[[慰謝料]]の支払い、以後の中国共産党系住民による統治参加、そして中華民国の国務機関([[諜報]]機関)によるマカオ内での活動の停止などを要求した。
 
 
 
当時のポルトガルは国力が低下し、マカオにわずかな軍事力しか駐留させていなかった上に、[[アントニオ・サラザール|サラザール]]首相による独裁政権下にあったために、同年の香港暴動の際のイギリス政府のように[[アメリカ合衆国]]などの西側政府による軍事的支援を受けられないことから、軍事対立が起きた場合全てを失うと判断したポルトガル政府はそれらの要求をほぼ全面的に呑み、総督が中国共産党系の住人組織に対して謝罪と慰謝料の支払いを行い、代理総督と警察幹部ら数名は国外へ追放された。
 
 
 
以後マカオにおいて中華人民共和国(中国共産党)の影響力が増すことになり、その後もポルトガル政府は中華民国との国交を保ち続けたにも関わらず、国連で[[アルバニア決議]]に賛成したり、その植民地であるマカオがあらゆる中華民国の活動を禁止<ref>内藤陽介『マカオ紀行 ― 世界遺産と歴史を歩く』173p</ref><ref>[https://news.google.com/newspapers?id=NsQaAAAAIBAJ&sjid=nEYEAAAAIBAJ&pg=7150%2C3154999 Macao Is A Relic Of Bygone Era Of European Gunboat Diplomacy], David J Paine, Associated Press, ''Daily News'', May 14, 1971, page 17</ref><ref>[https://news.google.com/newspapers?id=_Ug0AAAAIBAJ&sjid=6GYEAAAAIBAJ&pg=4785%2C822777 Macao Locals Favor Portuguese Rule], Sam Cohen, ''The Observer'' in ''Sarasota Herald-Tribune'', June 2, 1974, page 4H</ref>して単独で中華民国と事実上「断交」するなど中華人民共和国政府に配慮した政策をとる。
 
 
 
=== 返還 ===
 
 
 
オテロ・デ・カルバーリョ[[大尉]]率いる国軍左派による[[1974年]][[4月25日]]の[[カーネーション革命]]の後に、ポルトガル政府は民主化され当時所有していた全ての海外領土を放棄する方針を採ることになった。[[1976年]]にポルトガル政府は、マカオを「特別領」として再編成し行政上及び経済上の自治を多くの点で認めた。
 
 
 
その後[[1979年]]に、ポルトガル政府は中華人民共和国政府との国交樹立(と中華民国との断交)を行った。第二次世界大戦後に国力が低下しており、しかも地元民による自治が進んだマカオを植民地として統治することに興味を持たなくなったポルトガル政府は、即時移譲(返還)を望んだ。しかし、同じく植民地下にある香港市民の動揺を恐れた中華人民共和国政府はマカオの主権を主張しつつ、当分の間のポルトガルによる統治を希望したと言われており、主権と統治権(行政管理権)を分離した形を取ることを希望した形となった。
 
 
 
その後、[[1984年]]に行われた[[イギリス]]と中華人民共和国の香港返還交渉に続いて、[[1987年]][[4月13日]]にポルトガルと中華人民共和国がマカオ返還の共同声明に調印し、マカオの行政管理権は[[1999年]][[12月20日]]に中華人民共和国へ返還され、マカオを'''特別行政区'''にすることになった。
 
 
 
=== 現在 ===
 
[[ファイル:Macau Colina da Guia.jpg|right|220px|thumb|現在のマカオ中心部]]
 
[[File:Macau viewed from Macau Museum - 20100923.jpg|thumb|220px|マカオ博物館からの遠景]]
 
返還後のマカオの行政長官は、[[選挙]]委員会が選んだ者を中華人民共和国の中央政府が任命する形となっている。中華人民共和国の[[領土]]の一部であり、政治的にもその下に入ることとなったが、返還後50年間は現状の保全が取り決められている。このため、現在もポルトガル語が公用語として使用されるほか、ポルトガル統治時の法律の多くがそのまま適用される。住民は、中華人民共和国本土より大幅な自由が保障されている。
 
 
 
返還以来、マカオには[[中国人民解放軍]]が駐屯している。出動したのは[[2017年]]8月、[[台風]]被害の対応が初めてである<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM25H6G_V20C17A8FF8000/ 人民解放軍、マカオで災害出動 返還後初めて][[日本経済新聞]]アジアニュース(2017年8月25日)</ref>。
 
 
 
[[ポルトガル語]]は[[中国語]]([[広東語]])と並ぶ[[公用語]]とされ、政府の公文書におけるポルトガル語表記や、道路表示や看板などの全ての表示にはポルトガル語と中国語の表記が義務付けられている他、一部の[[カトリック教会|カトリック]]系学校においてポルトガル語の授業が設けられているものの、少数のポルトガル系住人を除くほとんどのマカオ住民が日常的に使用する言語は広東語である。尚、上述の通り、以前より中華人民共和国との結び付きが強かったため、香港に比べ若い世代を中心に普通話の理解度が高い(広州とほぼ同程度)。
 
 
 
[[2002年]]には、カジノ経営権の国際入札を実施し、その結果これまで[[スタンレー・ホー]]経営の「Sociedade de Turismo e Diversões de Macau,S.A.(STDM/澳門旅遊娯楽股份有限公司)」が独占してきたギャンブルを含むカジノ産業を、香港系の「ギャラクシー・カジノ(銀河娯楽場)」社と[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の「ウィン・リゾーツ(永利渡暇村)」社にも開放し、その結果[[ラスベガス・サンズ]]など多くの外国からの投資を呼び込むことに成功し、[[コタイ]]を中心に多くの新しいカジノやホテルができるなど、経済的発展が進んでいる。
 
 
 
== 地理 ==
 
[[ファイル:Mapa de Macao.png|100px|thumb|[[1990年代]]のマカオの地図]]
 
[[ファイル:Macau-CIA WFB Map.png|thumb|left|220px|現在のマカオの地図]]
 
[[南シナ海]]に面するマカオは、中心地となる半島部と、タイパ島とコロアネ島の間を埋め立ててつなげた島からなる。半島部は、東には[[珠江]](パールリバー)、西には[[西江]]があり、中華人民共和国の本土の[[珠海市|珠海]]経済特区と隣接している。
 
 
 
[[1970年代]]以降に大規模な埋立が行われたため、マカオの地形は概ね平坦であるが、多数ある険しい丘が、元の地形の名残をとどめている。マカオ半島は元々島だったが、徐々に[[砂州]]が伸びてゆき、狭い[[地峡]]になり、その後の埋め立てにより狭い水路を残して大陸と一体化した([[陸繋島]])。
 
 
 
マカオは高度に構造物が密集した都市であり、耕地、放牧地はなく、実質的に[[農業]]はほとんど行われていない。このために、マカオの人々は伝統的に海に目を向けて生計を立ててきた。
 
 
 
=== 行政地域 ===
 
[[File:Administrative Division of Macau SAR.png|thumb|190px|マカオの行政区分地図]]
 
マカオには2つの行政上の下部地域がある。
 
 
 
* 北区:澳門半島(マカオ半島)
 
* 離島区:[[タイパ島]]({{Lang|zh-hk|氹仔島}})、[[コロアネ島]](路環島)、両島をつなぐ埋立地[[コタイ]]({{Lang|zh-hk|路氹}})
 
 
 
=== 気候 ===
 
マカオは、[[温帯夏雨気候]] ([[ケッペンの気候区分]]: ''Cwa'')に属し、年間の平均湿度が75% 〜 90%<ref name=aaa>{{cite web |url=http://www.worldtravelguide.net/country/153/climate/Far-East-Asia/Macau.html |title=Macau Climate, Temp, Rainfall and Humidity |accessdate=2008-01-06 |publisher=Nexus Business Media Limited |archiveurl=https://web.archive.org/web/20071216232707/http://www.worldtravelguide.net/country/153/climate/Far-East-Asia/Macau.html |archivedate=2007年12月16日 |deadurldate=2017年9月 }}</ref>とかなり高い。他の華南地域同様、[[モンスーン]]の影響を強く受け、夏と冬の気温差・湿度差が、大陸内部ほどではないにせよ、顕著である。年間平均気温は22.7℃<ref>{{cite web |url=http://www.smg.gov.mo/www/smg/centenary2/index_four.htm |title=100 years of Macau Climate |accessdate=2011-02-15 |publisher=Macao Meteorological and Geophysical Bureau |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110110060346/http://www.smg.gov.mo/www/smg/centenary2/index_four.htm |archivedate=2011年1月10日 |deadurldate=2017年9月 }}</ref>であり、7月が平均気温28.9℃と最も暑く、1月が平均気温14.5℃で、もっとも寒冷な月となる<ref name=aaa/>。
 
 
 
マカオは、中国の南岸地域に位置しているので、年間降雨量2120mmと多雨地帯に属する。しかし、冬季は[[シベリア高気圧]]の影響を受け、比較的乾燥する。10月から11月にかけての秋季は、晴天に恵まれ、温暖で湿度も低いなど過ごしやすい季節となる。12月から3月初旬の冬季は、平均的最低気温は13℃と穏やかであるが、時折、8℃を割るほど低下することもある。3月から、湿度が上昇し始め、夏季は気温がかなり高くなり(しばしば、日中30℃を超える)、亜熱帯性の豪雨や時には[[台風]]に見舞われる<ref name=aaa/>。
 
{{Weather box
 
|location = マカオ
 
|metric first = Y
 
|single line = Y
 
|Jan high C = 17.7
 
|Feb high C = 17.7
 
|Mar high C = 20.7
 
|Apr high C = 24.5
 
|May high C = 28.1
 
|Jun high C = 30.3
 
|Jul high C = 31.5
 
|Aug high C = 31.2
 
|Sep high C = 30.0
 
|Oct high C = 27.4
 
|Nov high C = 23.4
 
|Dec high C = 19.6
 
|year high C =25.2
 
|Jan low C = 12.2
 
|Feb low C = 13.1
 
|Mar low C = 16.2
 
|Apr low C = 20.2
 
|May low C = 23.6
 
|Jun low C = 25.7
 
|Jul low C = 26.3
 
|Aug low C = 26.0
 
|Sep low C = 24.9
 
|Oct low C = 22.3
 
|Nov low C = 17.8
 
|Dec low C = 13.8
 
|year low C =20.2
 
|rain colour = green
 
|Jan rain mm =  32.4
 
|Feb rain mm =  58.8
 
|Mar rain mm =  82.5
 
|Apr rain mm = 217.4
 
|May rain mm = 361.9
 
|Jun rain mm = 339.7
 
|Jul rain mm = 289.8
 
|Aug rain mm = 351.6
 
|Sep rain mm = 194.1
 
|Oct rain mm = 116.9
 
|Nov rain mm =  42.6
 
|Dec rain mm =  35.2
 
 
 
|Jan humidity = 74.3
 
|Feb humidity = 80.6
 
|Mar humidity = 84.9
 
|Apr humidity = 86.2
 
|May humidity = 85.6
 
|Jun humidity = 84.4
 
|Jul humidity = 82.2
 
|Aug humidity = 82.5
 
|Sep humidity = 79.0
 
|Oct humidity = 73.4
 
|Nov humidity = 69.3
 
|Dec humidity = 68.8
 
|unit rain days = 0.1 mm
 
|Jan rain days =  6
 
|Feb rain days = 10
 
|Mar rain days = 12
 
|Apr rain days = 12
 
|May rain days = 15
 
|Jun rain days = 17
 
|Jul rain days = 16
 
|Aug rain days = 16
 
|Sep rain days = 13
 
|Oct rain days =  7
 
|Nov rain days =  5
 
|Dec rain days =  4
 
 
 
|Jan sun = 132.4
 
|Feb sun =  81.8
 
|Mar sun =  75.9
 
|Apr sun =  87.8
 
|May sun = 138.4
 
|Jun sun = 168.2
 
|Jul sun = 226.2
 
|Aug sun = 194.7
 
|Sep sun = 182.2
 
|Oct sun = 195.0
 
|Nov sun = 177.6
 
|Dec sun = 167.6
 
|source 1 = SMG <ref name="Macao climate 1901-2000">{{cite web
 
|url        = http://www.smg.gov.mo/www/smg/centenary2/index_four.htm
 
|title      = 100 Years of Macao Climate
 
|accessdate  = 2011-02-16
 
|archiveurl  = https://web.archive.org/web/20110110060346/http://www.smg.gov.mo/www/smg/centenary2/index_four.htm
 
|archivedate = 2011年1月10日
 
|deadurldate = 2017年9月
 
}}</ref>
 
|date=August 2010
 
}}
 
 
 
== 政治 ==
 
[[ファイル:Leal Senado Building.JPG|right|220px|thumb|セナド広場にある民政総署]]
 
{{main|マカオの政治}}
 
 
 
マカオの行政長官は、各業界団体から選出された委員からなる[[選挙]]委員会が選んだ者を、中華人民共和国の中央政府が任命する。行政長官は7〜11人からなる行政会と呼ばれる[[内閣]]を組織する。マカオの中国系住民の名望家であり、[[銀行]]家でもあった[[エドモンド・ホー]]({{Lang|zh-hk|何厚鏵}})が[[1999年]][[12月20日]]にポルトガル統治下で任命された[[ロシャ・ヴィエラ]](Rocha Viera)総督に代わるマカオ特別行政区初代行政長官に中華人民共和国から任命された。
 
 
 
[[立法]]機関は[[マカオ特別行政区立法会]]であり、マカオ住民の[[直接選挙]]で選ばれた12人の議員と各種[[職能団体]](職能代表制)を通じて[[間接選挙|間接的に選出]]される10人の議員、及び行政長官が指名する7人の任命議員で成り立っている。立法会はあらゆる分野での法規定立の責任を負っている。現在のマカオには[[政党]]を名乗る政治集団が存在せず、住民は政治目的ごとに[[社団]]を組織して議員選挙に参加している。(社団の一覧については[[マカオの政党]]を参照のこと。)
 
 
 
== 司法 ==
 
マカオでは長年、大陸法系ポルトガル法に基いた司法制度が運用されてきたが、中国返還後も継続している。返還に際して制定されたマカオ基本法は、中国中央人民政府が澳門特別行政府に対して自治権および一部の対外事務につき、これらを授権する旨規定された。これによりマカオは将来も「中國澳門」名義により外交的行為を行い、広汎な裁量権に基づいた地方自治は継続する。
 
 
 
三審制であり、第一審は初級法院と行政法院がマカオ域内のほぼ全域を管轄している。中級法院(控訴裁判所)は五名の裁判官、終審法院(CFA)は三名の裁判官により構成される。陪審制が規定されているが、実例はない。[[裁判官]]は選出委員会が選出し、行政長官が指名する。なお、マカオには[[死刑]]制度は存在しない。
 
 
 
[[1991年]]以前、マカオはポルトガルの司法管轄区分によるものとして、リスボン地方裁判所管区の支部として運用されていた。
 
{{Wide image|Macau_skyline_2013_(panorama).JPG|1200px|マカオのスカイライン}}
 
{{Wide image|Macau banner.jpg|1200px|マカオのスカイライン}}
 
 
 
== 経済 ==
 
[[世界銀行]]の統計によると、[[2015年]]のマカオの[[GDP]]は461億ドル(約5兆円)である。一人あたりのGDPは世界屈指<ref>[https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/rankorder/2004rank.html The World Factbook]</ref>であり(2013年は[[カタール]]を超えて世界一でもあった<ref>{{cite web |url = http://data.worldbank.org/indicator/NY.GDP.PCAP.PP.CD?order=wbapi_data_value_2013+wbapi_data_value+wbapi_data_value-last&sort=desc |title="GDP per capita, PPP (current international $)", World Development Indicators database |publisher= |accessdate=2015-11-05}}</ref>)、また税収も非常に潤沢であるため、マカオ市民には一人あたり毎年約10万円相当の現金給付が行われ、また教育、医療費は無料であり、平均寿命は世界でも最も高い部類に入る<ref>{{cite web|url=https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/rankorder/2102rank.html |title=Life expectancy at birth |publisher=CIA |date= |accessdate=2015-11-05}}</ref>。
 
 
 
=== 通貨 ===
 
域内の法定通貨は[[大西洋銀行]]及び[[中国銀行 (中華人民共和国)|中国銀行]][[中国銀行マカオ分行|マカオ分行]](1995年より)が発券する[[マカオ・パタカ]]であるが、流通通貨の相当部分は[[香港ドル]]である。パタカの発券に際しては1香港ドル=1.03パタカ(1983年より)と香港ドルに[[ペッグ]]されており<ref>発行全額に相当する香港ドルが[[マカオ金融管理局]]に預託されている。</ref>、香港ドルは[[米ドル]]に[[ドルペッグ制|ペッグ]]されているので、米ドルにペッグされているのと実質同等となっている。1香港ドル=1.03パタカと、パタカがわずかに価値が低いが、ほとんどの店では等価に扱われたり、流通レート以上に値上げされることがある。
 
 
 
なお、香港ドルで支払っても釣り銭はパタカで返ってくることがある。香港ドル硬貨はマカオ内の自動販売機などでも使用が可能ではあるが、タクシーなどでは1香港ドル未満の硬貨は受け取りを拒否されることがある。逆にパタカを香港での支払いに使うことはできない。
 
 
 
=== 産業 ===
 
マカオの[[経済]]はギャンブルを含む観光産業と[[織物]]や衣類、[[花火]]の生産に大きく依存しているが、多角化に努めた結果、小規模ながら[[玩具]]や[[造花]]、電子機器の製造も始まった。
 
 
 
織物や衣類は輸出金額のおよそ4分の3を占めているが、実際は[[国内総生産|GDP]]の40%程度、政府歳入の70%程度はギャンブルに依拠すると推測されている。なお、2005年度のGDPは116億[[アメリカドル]]に上る。
 
 
 
=== 観光とギャンブル ===
 
[[ファイル:Macau-Casino-Lisboa-at-night-0824.jpg|right|220px|thumb|カジノ「グランド・リスボア」、「リズボア」、「ウィン・マカオ」]]
 
[[ファイル:Macao Cotai Strip View1 200907.jpg|right|220px|thumb|コタイ・ストリップに建築中のカジノホテル群]]
 
[[2000年]]には800万人を越える観光客がマカオを訪れた。近年では、中華人民共和国本土からの訪問客が成長を押し上げる主な要因になっているが、香港からの観光客が現在でも最も多い他、台湾・日本をはじめとしたアジア各国・地域からの観光客がそれに続く。世界最大の[[カジノ]]設備が集客に貢献しているのは確かであるが、その他にも、[[世界遺産]]に登録された[[マカオ歴史地区]]や、東西を融合した独特の食文化、また、カジノに隣接するブランド品の直営店など、ギャンブル以外の[[観光資源]]にも恵まれている。
 
 
 
なお、返還直前の[[1998年]]頃には経済の暗黒面である[[暴力団]](黑社會)([[マフィア]]、[[ギャング]])の抗争により治安の悪化が伝えられたが、観光産業はそれほど影響を受けなかった。
 
 
 
[[2002年]]には、[[カジノ]]経営権の国際入札を実施し、その結果これまで[[スタンレー・ホー]]経営の「{{仮リンク|マカオ旅遊娯楽有限公司|zh|澳門旅遊娛樂|en|Sociedade de Turismo e Diversões de Macau}}([[:pt:Sociedade de Turismo e Diversões de Macau|Sociedade de Turismo e Diversões de Macau,S.A.]] '''STDM'''/澳門旅遊娯楽股份有限公司)」が独占してきたギャンブルを含むカジノ産業を、香港系の「{{仮リンク|ギャラクシー・マカオ|zh|澳門銀河|en|Galaxy Macau}}(銀河娯楽場)」社と[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の「[[ウィン]]・リゾーツ(永利渡暇村)」社にも開放した。
 
 
 
このことが功を奏し外国からの投資が急増し、[[2009年]]5月現在、「{{仮リンク|ホテル・リスボア|zh|澳門葡京酒店|en|Casino Lisboa (Macau)}}(Lisboa、葡京娯楽場)」、「{{仮リンク|グランド・リスボア|zh|澳門新葡京酒店|en|Grand Lisboa}}(Grand Lisboa、新葡京)」、「[[サンズ・マカオ]](Sands、金沙娯楽場)」、「[[ウィン・マカオ]](Wynn、永利澳門)」や、新たに埋め立て開発されたコタイ・ストリップの「[[ザ・ベネチアン・マカオ]](Venetian Macao-Resort-Hotel、澳門威尼斯人度假村酒店)」など20を超える大規模なカジノが運営されている。
 
 
 
これに伴い、観光客も[[2000年]]の800万人から[[2005年]]の1900万人と倍増したように、観光産業の隆盛で経済は活況を呈しており、中華人民共和国本土の一部直轄市や省がマカオ入境を解禁した。2006年のカジノ売り上げが69億5000万[[アメリカドル]](約8400億円)に達し、これまで世界最大であったアメリカの[[ラスベガス]]の推計65億ドルを超え、世界最大のカジノ都市となった。カジノ市場の対外開放からわずか4年でカジノ都市として世界首位に躍り出た背景には、膨張する中華人民共和国の経済からあふれ出る「チャイナ・マネー」と、新たな市場であるマカオの国際カジノ産業に流れ込む外資があると分析されている。
 
 
 
なお、マカオで合法とされている[[賭博|ギャンブル]]は数多いが、人気があるのは駆け引きの要素の無い[[大小 (賭博)|大小]]や[[バカラ (トランプゲーム)|バカラ]]である。また、ほぼ全てのカジノに[[スロットマシーン]]が備えられている。
 
 
 
この他、古くから[[マカオドッグレースクラブ|ドッグレース]]が盛んであったが、人気を失い2018年7月に廃止された。[[マカオジョッキークラブ|競馬]]も行われているが、他のギャンブルの陰に隠れてあまり人気が無い。
 
 
 
== 交通 ==
 
{{main|マカオの交通}}
 
[[ファイル:20081113-TurboJET Universal MK 2011.jpg|right|220px|thumb|[[TurboJET]]社の高速双胴船]]
 
[[ファイル:Macao airport terminal.jpg|right|220px|thumb|マカオ国際空港]]
 
 
 
=== 海運 ===
 
マカオ半島にある[[アウター・ハーバー・フェリーターミナル]]と、タイパ島にある{{仮リンク|タイパ・フェリーターミナル|zh|氹仔客運碼頭}}から、香港・上環の[[マカオ・フェリー・ターミナル|香港・マカオ・フェリー・ターミナル]]まで[[TurboJET]]社やCotaiJet社運航によるジェットフォイル([[ボーイング929]]など)と高速[[双胴船]]が24時間、15分-30分間隔で運航されている。所要時間はおよそ55分。香港とは九龍[[尖沙咀]]の[[チャイナ・フェリーターミナル]]との間にも30分-1時間間隔でFirst Ferry Macauブランドによる高速双胴船が就航しており、こちらも約60分で結んでいる。また、同じく香港の新界にある屯門にある Tun Mun Ferry Terminalとの間にも、Hong Kong North West Express社による高速双胴船が一日に4往復就航しており、香港郊外北部とのダイレクトアクセスとなっている。
 
 
 
マカオ・中国本土間(深セン[[福永フェリーミナル]]・深セン{{仮リンク|蛇口クルーズセンター|zh|蛇口邮轮中心}}など)にも高速双胴船の定期船が頻繁に運航されており、特に2006年の区域自由化以降は中国本土籍利用客が急増した。
 
 
 
香港国際空港スカイピアとマカオ間を発着する高速双胴船は、香港国際空港に発着する航空機との乗り継ぎ専用で、空港内で直接到着便から・出発便へ乗り換えて利用することができる。また、アウター・ハーバー・フェリーターミナルでは、香港空港を発着する一部航空会社の搭乗手続を行うことも出来る。出来ない航空会社の場合は、香港国際空港スカイピアに搭乗手続カウンターが設けられている。香港国際空港までの所要時間は1時間弱。
 
 
 
かつて、内港([[:zh:內港客運碼頭]]、Ponte 16)から、[[珠海]]の湾仔を結ぶ渡し舟があった。
 
 
 
=== 航空 ===
 
24時間運用の[[マカオ国際空港]]があり、[[マカオ航空]]などが中華人民共和国内の主要都市のほか、[[台北]]や[[東京]]、[[大阪]]、[[シンガポール]]、[[バンコク]]、[[クアラルンプール]]などの[[アジア]]諸国の主要都市との間に定期便を運航している。
 
 
 
他にも[[エバー航空]]や[[チャイナエアライン]]、[[エアアジア]]、[[中国東方航空]]など多数の航空会社が乗り入れている。近年は[[日本]]からの観光客の増加に対応し、[[2007年]][[7月26日]]から[[関西国際空港]]とマカオ国際空港間にマカオ航空による定期便が就航を開始し[[2008年]][[7月16日]]より毎日就航している。2010年3月、[[成田国際空港]]にも定期便を就航させた。
 
 
 
なお、同空港の開港当時に宗主国のポルトガルの[[首都]]の[[リスボン]]との間に[[TAPポルトガル航空]]が直行便を運航していたが、中華人民共和国への主権譲渡を待たず廃止された。しかしマカオとポルトガル間の旅行客が増加したことや、TAPポルトガル航空の経営状況が回復したことを受けて復活が検討されている。
 
 
 
また、アウター・ハーバー・フェリーターミナル屋上の[[ヘリポート]]から発着する、「Sky Shuttle」という名称の[[ヘリコプター]]による定期便が運航されており、香港・マカオ・フェリー・ターミナル屋上にあるヘリポートや[[深セン宝安国際空港]]との間を結んでいる。香港との間はおよそ30分間隔で運航されており、おおよその飛行時間は約15分。
 
 
 
=== 域内 ===
 
[[ファイル:Transmac R219.jpg|right|220px|thumb|TRANSMACのミニ[[バス (車両)|バス]]]]
 
Sociedade de Transportes Públicos Reolian, SA([[レオリアン]])、Transportes Urbanos de Macau SARL([[Transmac]]、澳門新福利公共汽車有限公司)と[[Transportas Companhia de Macau]](TCM、澳門公共汽車有限公司)の3社の[[路線バス]]やミニバスの路線が域内を網羅している。なお、これらの路線バスのルートマップなどは全てポルトガル語と広東語の両方で表記されて、バスの車内放送では広東語→ポルトガル語→普通話→英語 の順で案内される
 
 
 
他にも、[[サンズ・マカオ]]や[[ウィン・マカオ]]、[[ザ・ベネチアン・マカオ]]などの主なカジノやホテルが、5分から10分に1本程度の頻度でフェリーターミナルと各カジノの間の無料バスを運行している。
 
 
 
また、[[タクシー]]が安価な交通手段として市民だけでなく観光客の足として利用されている。また、市民の足として[[スクーター]]が重宝されている。現在のところ[[地下鉄]]や[[モノレール]]などの[[鉄道]]は無い。交通渋滞を緩和するため[[澳門軽軌鉄路]]という[[新交通システム]]が計画されている。
 
 
 
マカオの[[自動車]]道路は香港と同様に[[対面交通|左側通行]]となっている。これはかつてポルトガルが左側通行だったことの名残とされている(ポルトガル本国は1928年に右側通行へ変更)。
 
<!--== 放送 ==
 
* 局名:Teledifusao De Macau,SARL
 
* 住所:Avenida Dr. Rodrigo Rodrigues, No. 223-225, Edif. "Nam Kwong"7 Andar, Macau.
 
{|border="1"
 
|周波数(MHz)
 
|出力(KW)
 
|放送言語
 
|放送時間
 
|-
 
|98.0
 
|2.5
 
|ポルトガル
 
|24h
 
|-
 
|100.7
 
|2.5
 
|広東
 
|24h
 
|}
 
* 局名:Radio Vilaverde LDA
 
* 住所:Hipodromo da Taipa, Macau.
 
{|border="1"
 
|周波数(KHz)
 
|出力(KW)
 
|放送言語
 
|放送時間
 
|-
 
|738
 
|10
 
|ポルトガル&広東
 
|24h
 
|}-->
 
 
 
== 人口 ==
 
[[File:Rua do Bispo Medeiros. Aug. 2015.JPG|thumb|230px|right|人口密度の高いマカオ半島中央部の美的路主教街。2015年8月撮影。]]
 
{{main|マカオの人口統計}}
 
人口はおよそ52万人(2007年3月)。マカオを1つの「地域」とみれば、マカオは世界でもっとも[[人口密度]]が高い国・地域である。1平方キロメートル当たり実に約1万8000人が住んでいる。
 
 
 
=== 民族 ===
 
マカオの人口は92.4%が[[華人]]であり、最も多いのが[[広東]]人で、[[客家]]人もおり、いずれも近隣の[[広東省]]から来ている。ポルトガル人は0.6%で<ref name=CIA>[https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/mc.html The World Factbook — Central Intelligence Agency] 2016年9月6日閲覧</ref>、[[マカイエンサ]]と呼ばれる[[華人]]とポルトガル人の[[混血]]のグループもいる。
 
 
 
=== 言語 ===
 
[[ファイル:Avenida Sidónio Pais.JPG|thumb|230px|right|ポルトガル語と中国語併記の道路表示]]
 
書き言葉としての公用語は、ポルトガル植民地時代から[[ポルトガル語]]と[[中国語]]の2言語と定められ、[[官報]]を始めとする各種[[公布]]や注意表示、[[道路標識|道路標示]]などの公的表示にはほぼ全て2言語併記が義務付けられている。テレビ局もポルトガル語専門局が設けられている。また市中の[[看板]]における表記なども、その多くで2言語併記がなされているのが目立つが、観光客対策に英語も含めた3言語表記になっている広告も目立ち、とりわけバスの言語表記では広東語、ポルトガル語、[[普通話]]、[[英語]]の4言語表記になっている。
 
 
 
しかし口語では、[[中国語]][[方言]]のひとつである[[広東語]]が広く使われ、ポルトガル語はポルトガル人とマカイエンサなどを除けばほとんど使用されていない。マカイエンサの内、ごく少数は[[マカオ語]]とも呼ばれる[[クレオール言語]]を話す。2011年の言語調査では、広東語83.3%、普通話5%、[[客家語]]3.7%、その他の中国語2%、英語2.3%、[[タガログ語]]1.7%、ポルトガル語0.7%、その他1.3%となっている<ref name=CIA/>。
 
 
 
また、年配者でも流暢に英語や普通話も話せる人が多く語学力が高い地域でもある。そして主な観光地ではまれに[[日本語]]を話す職員もいて、港や空港の表示、世界遺産の墓標の支柱の説明書にも漢文(繁体字中国語)、ポルトガル語、英語、日本語が常に表記されていて、域外からの観光客が訪れても苦痛を感じることが少ない。
 
 
 
=== 宗教 ===
 
2010年の[[ピュー研究所]]による調査では、[[中国の民俗宗教]]58.9%、[[仏教]]17.3%、[[キリスト教]]7.2%、[[イスラム教]]0.2%、その他の宗教1.0%、所属宗教無し15.4%の割合である<ref>[http://www.pewforum.org/files/2012/12/globalReligion-tables.pdf GLOBAL RELIGIOUS LANDSCAPE 45 Table:Religious Composition by Country]  [[ピュー研究所]]</ref>が、各種調査ではキリスト教が5-7%程度で比較的安定している他は調査ごとに民俗宗教、[[道教]]、仏教、所属宗教無しの回答比率がまちまちである。80%近くが仏教を実践しているとする報告もある<ref>[http://www.state.gov/j/drl/rls/irf/2012/eap/208228.htm 2012 Report on International Religious Freedom: China (Includes Tibet, Hong Kong, and Macau) - Macau] [[アメリカ合衆国国務省]](2013年5月20日)</ref>。キリスト教の中ではポルトガル時代以来の[[ローマ・カトリック]]が多数である他、少数の[[プロテスタント]]教会もある。
 
 
 
== 文化 ==
 
=== 食文化 ===
 
{{see|マカオ料理}}
 
[[ファイル:Red market.jpg|right|220px|thumb|レッドマーケット]]
 
中国系住民は[[広東料理]]系([[順徳料理]]に近い)の[[中華料理]]を、ポルトガル系住民は[[ポルトガル料理]]を基本とした食生活をしているが、これらの料理だけでなく、かつてポルトガルの植民地があった[[インド]]や[[マレーシア]]、[[アフリカ]]、[[ブラジル]]の料理の要素や、交易のあった[[日本料理]]の影響をも取り入れて融合した、マカオ料理が生まれている。
 
 
 
マカオ料理は一見ポルトガル料理風であるが、中華料理の様に皆で取り分けて食べることも当たり前で、中国大陸近辺でとれる食材もうまく生かしている。食事の際には[[ポルトワイン]]もよく飲まれる。ただし、マカオ現地では「ポルトガル料理」(「葡国菜」)と区別されずに、呼称されることも多い。
 
 
 
また、香港同様に[[茶餐廳]]や[[麺類]]、[[粥]]、[[パン]]、[[菓子]]などの専門店も発達している。マカオ料理は香港をはじめとする[[中華圏]]で高い人気を誇っており、マカオ式の[[パステル・デ・ナタ|エッグタルト]]は、日本にも[[ケンズパス|アンドリューのエッグタルト]]というチェーン店を出している例がある。
 
 
 
===芸能===
 
基本的に香港の芸能の影響が強く、香港や[[台湾]]などの中華圏の芸能人、そしてヨーロッパの芸能人に人気が集まっている。ポルトガル音楽の[[ファド]]を歌うグループや[[粤劇]]の劇団がいくつかある。
 
 
 
== 教育 ==
 
{{see|マカオの教育}}
 
[[File:UM Admin Building.jpg|thumb|right|[[マカオ大学]]]]
 
住民には、3年間の[[幼児教育]]、6年間の[[初等教育]]、6年間の[[中等教育]]、合計15年間の無償教育の機会が提供されている。
 
 
 
[[識字率]]は、93.5%で、非識字者の大多数は65歳以上の高齢者であり、若年層(15-29歳)では、99%以上となっている<ref name="2006 by-census">{{cite book |title=Global Results of By-Census 2006 |year=2007 |publisher=Statistics and Census Service (DSEC) of the Macau Government}}</ref>。現在、授業にポルトガル語を用いている学校は1校のみである。
 
 
 
マカオは、統一的学制を有しておらず、中等教育までは英国式、中国式、ポルトガル式のものが並立している。10の高等教育機関があり、内、4機関は公立である<ref name="Macau 2007 Yearbook">{{cite book |year=2007 |title=Macau 2007 Yearbook |publisher=Government Information Bureau of Macau SAR |isbn=978-99937-56-09-5}}</ref>。[[OECD生徒の学習到達度調査|国際学習到達度調査]]によると、[[2003年]]実施のもので実施41カ国(地域含む)中、数学的リテラシー9位、科学的リテラシー7位、問題解決能力6位、[[2006年]]実施のもので実施56カ国(地域含む)中、数学的リテラシー8位と上位を記録している。しかしながら、マカオの進学率は、他の高収入諸地域に比べ高いとはいえず、2006年の統計によると、14歳以上の住民のうち、中等教育を受けたものは51.8%であり、高等教育は 12.6%となっている<ref name="2006 by-census"/>。
 
 
 
[[マカオ基本法]]第6章第121条において、以下の条項が定められている。
 
*[[マカオ政府]]は、教育組織、管理・運用、教育に用いる言語、資金配分、入試制度、到達度の認識及び学位制度を含んだ政策について、教育的発展を促進するよう、教育政策の方針を定めなければならない。
 
*政府は法律に従って、順次、義務教育制度を整備するしなければならない。
 
*地域社会と個人は、法律に基づき、各種の教育的事業を営むことができる。
 
 
 
== スポーツ ==
 
{{Main|マカオのスポーツ}}
 
 
 
=== モータースポーツ ===
 
[[ファイル:2008 Macau F3 GP.JPG|right|220px|thumb|マカオグランプリ(2008年)]]
 
[[1954年]]より行われている[[モータースポーツ]]の祭典である[[マカオグランプリ]]が世界的に有名で、[[1983年]]より国際格式の[[フォーミュラ3]]のマシンによって行われるようになって以来、[[アイルトン・セナ]]や[[ミハエル・シューマッハ]]、[[佐藤琢磨]]など多くの[[レーシングドライバー]]がここで勝利を挙げた後に[[フォーミュラ1]]へとステップアップしている。
 
 
 
また、[[2000年]]のマカオグランプリでマカオ出身のレーシングドライバーとして初優勝した[[アンドレ・クート]]が、[[SUPER GT]]や国際[[フォーミュラ3000|F3000]]選手権など世界各国のレースで活躍している。
 
 
 
=== マラソン ===
 
毎年[[12月]]初旬に、旧3地域を一巡するマカオ[[マラソン]]が行われる。
 
 
 
=== トライアスロン ===
 
* 毎年[[9月]]初旬に、国際規格ITU公認のコンチネンタルカップ兼アジアカップのトライアスロン大会が開催される。
 
 
 
=== 国際バレーボール連盟・ワールドグランプリ ===
 
* 毎年[[バレーボール・ワールドグランプリ]]の予選ラウンドが行われる。2001年と2011年の決勝ラウンドが行われる。
 
 
 
=== 国際大会 ===
 
マカオには、中華人民共和国の[[中国オリンピック委員会]]とは独立した[[マカオオリンピック委員会]]が存在する。
 
ただし、マカオオリンピック委員会は[[アジアオリンピック評議会]]からは承認済みであるが、[[国際オリンピック委員会]]からの承認は得ていない。このためアジア大会や東アジア大会には選手団を送り込めるが、オリンピックには出場できない。ちなみに、国とは独立したオリンピック委員会を持つ地域としては、他に、香港がある。
 
 
 
[[2005年]]10月に第4回東アジア競技大会が行われた他、[[2007年]]には[[アジア室内競技大会]]が開催された。
 
 
 
== 観光名所 ==
 
''[[マカオ歴史地区]]も参照のこと。''
 
[[ファイル:Ruinas de Sao Paulo.jpg|right|220px|thumb|聖ポール天主堂跡]]
 
[[ファイル:Macau tower by night.jpg|right|220px|thumb|[[マカオタワー]]]]
 
[[ファイル:The Venetian Macao Interior1.jpg|right|220px|thumb|[[ザ・ベネチアン・マカオ]]]]
 
* [[聖ポール天主堂跡]]
 
* [[マカオ博物館]]([[:en:Museum of Macau]])
 
* [[ペンニャ教会]]
 
* [[媽閣廟]]
 
* [[仁慈堂]]
 
* [[セナド広場]]
 
* [[モンテの砦]]([[:en:Fortaleza do Monte]])
 
* [[マカオ・フィッシャーマンズ・ワーフ]]
 
* [[タイパ大橋]]
 
* [[マカオタワー]]
 
* [[カジノ]]
 
* [[ドッグレース]]場
 
* [[マカオグランプリ]]
 
* [[石排湾郊野公園]]パンダ館
 
 
 
=== 宿泊施設及びカジノ ===
 
* [[リスボアホテル]]
 
* [[グランド・リスボア]]
 
* [[マカオ・パレス]]
 
* [[サンズ・マカオ]]
 
* [[ウィン・マカオ]]
 
* [[ザ・ベネチアン・マカオ]]
 
* [[フォーシーズンズホテル]]
 
* [[MGMグランド]]
 
* [[スター・ワールド]]
 
* [[ハードロック・ホテル]]
 
* [[マンダリン・オリエンタルホテル]]
 
* [[ポウサダ・デ・サンチャゴ]](カジノなし)
 
* [[フォーチュナホテル]]
 
 
 
== 姉妹都市・友好都市 ==
 
* マカオ全体
 
** {{Flagicon|POR}} [[リスボン]]、[[ポルトガル]]
 
** {{Flagicon|POR}} [[ポルト]]、[[ポルトガル]]
 
** {{Flagicon|BEL}} [[ブリュッセル]]、[[ベルギー]]
 
** {{Flagicon|BRA}} [[サンパウロ]]、[[ブラジル]]
 
* Concelho das Ilhas地区
 
** {{Flagicon|POR}} [[コインブラ]]、[[ポルトガル]]
 
** {{Flagicon|SWE}} [[リンシェーピング]]、[[スウェーデン]]
 
 
 
== 舞台にした作品 ==
 
<!-- 公開年順 -->
 
;漫画
 
* [[マカオの男]]([[藤子不二雄Aブラックユーモア短編]]、[[1970年]])
 
;テレビドラマ
 
* [[ザ・ボディガード]] 第20話「愛の散る街 -マカオ-」([[1974年]][[8月15日]])
 
;映画
 
* [[007 黄金銃を持つ男]]([[1974年]])
 
* [[ゴルゴ13 九竜の首]] ([[1977年の日本公開映画|1977年]])
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[歴代マカオ総督一覧]]
 
* [[マカオの歴史]]
 
* [[スタンレー・ホー]]
 
* [[テディ・イップ]]
 
* [[人民解放軍駐マカオ部隊]]
 
* [[中華人民共和国の行政区分]]
 
* [[香港関係記事の一覧]] - マカオ関係記事の一覧も記載
 
* [[中国本土・マカオ経済連携緊密化取決め]]
 
* [[健康都市連合]]
 
* [[ロイヤル・スーパーマーケット]]
 
* [[世界三大夜景#世界新三大夜景]]
 
* [[ISO 3166-2:MO]]
 
 
 
== 脚注 ==
 
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== 外部リンク ==
 
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; 政府
 
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; 観光
 
* [http://www.macaotourism.gov.mo/ マカオ政府観光局] {{ja icon}}
 
* [http://www.sensemacao.jp/ マカオ政府観光局発行観光情報誌 センス・マカオ] {{ja icon}}
 
* [[ウィキトラベル]]旅行ガイド - [http://wikitravel.org/ja/マカオ マカオ] {{ja icon}}
 
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2時間の距離にあり,また[[孫文]]の生地である中国のチョンシャン(中山)県ツォイシヤン(翠亨)村などを加えた観光コースも開かれている。住民はほとんどが広東人。中国とポルトガルの建築様式が残る町並みは,2005年マカオ歴史地区として[[世界遺産]]の文化遺産に登録された。面積 30.6km<sup>2</sup>。人口 56万1000(2011推計)。
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2019/5/10/ (金) 10:03時点における版

サン・パウロ聖堂跡.マカオ,中国.jpg

中華人民共和国マカオ特別行政区(ちゅうかじんみんきょうわこくマカオとくべつぎょうせいく)、通称マカオ: Macau澳門=広東語イェール式:Oumùhn、普通話:Àomén、おうもん)

中国南東部,コワントン(広東)省チューハイ(珠海)市に接する特別行政区。中国語ではアオメン(澳門)。オウメンともいう。別綴 Macao。チュー(珠)江の河口右岸にある小半島の先端と,付近の 2島からなる。16世紀にポルトガル人が中国から居住を認められ,1887年葡清友好通商条約で割譲された。17世紀までポルトガルのアジア貿易の根拠地として栄えた。1979年中国とポルトガルとの間に国交が開かれ,1987年マカオを中国に返還する共同宣言に調印。1999年12月20日に返還され,ホンコン特別行政区と同様の特別行政区となった。返還後 50年間は資本主義体制と高度な自治が維持されることになっている。1960年代からはホンコンの資本によって,紡績,造船,船舶修理,爆竹,マッチなどの工業が盛んであるが,観光と賭博からの収入に大きく頼っている。カジノやドッグ・レース(賽狗)場のほか,4車線の大橋で半島と結ばれるコロワン島には競馬場もある。観光名所としては,かつての繁栄を偲ばせる大聖堂や砦の跡,日本人クリスチャンの建てたサン・パウロ聖堂の跡,媽閣廟などがある。ホンコンから水中翼船で

2時間の距離にあり,また孫文の生地である中国のチョンシャン(中山)県ツォイシヤン(翠亨)村などを加えた観光コースも開かれている。住民はほとんどが広東人。中国とポルトガルの建築様式が残る町並みは,2005年マカオ歴史地区として世界遺産の文化遺産に登録された。面積 30.6km2。人口 56万1000(2011推計)。