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{{ Infobox 航空機
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[[ファイル:Boeing 707-138B Qantas Jett Clipper Ella N707JT.jpg|サムネイル]]
| 名称=ボーイング707
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'''ボーイング707'''('''Boeing 707'''
| 画像=ファイル:Boeing 707-321B, Pan American World Airways - Pan Am AN0938389.jpg
 
| キャプション=パンアメリカン航空のボーイング707-320
 
| 用途=[[旅客機]]
 
| 分類=
 
| 設計者=
 
| 製造者=[[ボーイング]]
 
| 運用者 more=:
 
** [[パンアメリカン航空]]<!--128-->
 
** [[トランス・ワールド航空]]<!--127-->
 
** [[アメリカン航空]]<!--104-->
 
** [[エールフランス]]<!--41-->
 
** [[ノースウエスト航空]]<!--36-->
 
**ほか
 
| 初飛行年月日=[[1957年]][[12月20日]]
 
| 生産数=1,010
 
| 生産開始年月日=
 
| 運用開始年月日=
 
| 退役年月日=
 
| 運用状況=運用中
 
| ユニットコスト= }}
 
'''ボーイング707'''('''Boeing 707''')は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[ボーイング]]社が開発した4発式の大型[[ジェット機|ジェット]][[旅客機]]。
 
  
[[1950年代]]初頭に原型機の開発が開始され、[[1958年]]に路線就航した。'''[[ダグラス DC-8]]'''や'''[[コンベア880]]'''(CV880)と並ぶ、第1世代ジェット旅客機を代表する機種であり、ボーイングの7X7シリーズの始まりでもある。
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[[アメリカ合衆国|アメリカ]][[ボーイング]]社が開発した4発式の大型[[ジェット機|ジェット]][[旅客機]]。
 
 
1950年代後期、世界の民間航空業界における大型ジェット旅客機の商業的優位性を決定づけた、航空史に残る歴史的機体である。[[ジェットエンジン]]の高出力を活かして機体大型化と速度向上を図り、それ以前の大型[[レシプロエンジン|レシプロ]][[プロペラ]]旅客機を遥かに凌駕する定員100名超の輸送力と、(商業運航される大多数の旅客機の実用上限速度として21世紀初頭に至っても踏襲される)マッハ0.8級の快速を両立させた。
 
 
 
その高い完成度から世界各国の民間航空会社や政府・軍の公用に広く採用され、1991年までの長期にわたって1,000機以上が生産される商業的成功を収めた。また派生形の'''ボーイング720'''も開発されたほか、胴体設計の流用で、中型3発ジェット機[[ボーイング727|727]]、小型双発ジェット機[[ボーイング737|737]]をも産み出す母体となったことは特筆される。707に始まる一連のジェット旅客機シリーズの成功で、ボーイング社はその後半世紀以上に渡り世界的な旅客機メーカーとしての地歩を固めた。
 
 
 
== 概要 ==
 
=== 367-80 ===
 
{{Main|ボーイング367-80}}
 
[[ファイル:Dash80TaxiTestK62712-5.jpg|right|240px|thumb|ボーイング367-80]]
 
[[ファイル:Boeing 707 Cockpit flight test on 4-15-1958.jpeg|240px|thumb|ボーイング707のコックピット]]
 
[[ファイル:Pan Am Boeing 707-100 at JFK 1961 Proctor.jpg|thumb|240px|right|パンアメリカン航空のボーイング707-120]]
 
[[ファイル:TWA Boeing 707 Volpati-1.jpg|thumb|240px|right|トランスワールド航空のボーイング707-331]]
 
[[File:Air-India Boeing 707-400 Manteufel.jpg|thumb|240px|right|[[エア・インディア]]のボーイング707-458]]
 
[[ファイル:Avianca Boeing 720-059B Groves.jpg|thumb|240px|right|[[アビアンカ航空]]のボーイング720]]
 
[[ファイル:Pratt-707re-N707HE-071126-03-16.jpg|thumb|240px|right|エンジンを低騒音型の[[プラット・アンド・ホイットニー JT8D|プラット&ホイットニーJT8D-219]]に換装したボーイング707]]
 
707の[[プロトタイプ|原型機]]は367-80である。[[第二次世界大戦]]後に完成した[[爆撃機]]、[[B-47_(航空機)|B-47]]で大型ジェット機の基本型を確立した[[ボーイング]]は、[[アメリカ空軍]]初の大型ジェット[[輸送機]]として採用される事を見込んで、[[1940年代]]後半から自社資金でジェット輸送機の開発に着手し、[[1954年]]に原型機367-80(ダッシュ80)を初飛行させた。
 
 
 
パイオニアにつきものの初期トラブルを克服した後、東西[[冷戦]]下における急激なジェット戦闘機の普及に伴い当時需要が切迫していた[[空中給油機]]仕様の'''[[KC-135 (航空機)|KC-135]]'''として先ず大量発注を受けた。
 
 
 
=== 開発 ===
 
ボーイングは、367-80を開発中の[[1952年]]4月に、367-80の胴体直径を6インチ(15cm)拡大した旅客型の'''707'''の開発を開始した。なおこれはボーイングとしては[[プロペラ機]]である[[ボーイング377|377]]以来の大型旅客機、かつ初めてのジェット旅客機の開発となったが、これは航空会社からの発注も受けていないいわば見切り発車であった。
 
 
 
しかし、[[ファン・トリップ]]率いる[[パンアメリカン航空]]は、即座に20機を正式発注した。
 
パンアメリカン航空は[[イギリス]]の[[デ・ハビランド・エアクラフト|デ・ハビランド]][[デ・ハビランド DH.106 コメット|DH.106 コメット]] Mk.1を発注していたものの、[[コメット連続墜落事故]]を受けて生産が中止していたために代替機となるジェット旅客機の早期導入を希望していたのであった。
 
 
 
また、初期のコメット(Mk.1/2/3)は[[航続距離]]が短く、乗客数もダグラス[[ダグラス DC-6|DC-6]]や[[ダグラス DC-7|DC-7C]]、[[ロッキード コンステレーション]]等の従来のプロペラ機と同等かそれ以下であったが、その一方で高速性のみならず快適性もジェット機はプロペラ機の比ではない事が明らかになり、航空会社からは、過渡的な[[ターボプロップ]]機よりむしろ、本格的なジェット旅客機の登場が待たれるようになっていた。
 
 
 
乗客数も巡航速度も標準的なプロペラ機の約2倍、初期型コメットと比較しても輸送力・速力とも大幅に凌駕した707は、コメットMk.1 の事故調査で得られた教訓を採り入れ入念な安全対策が図られた。さらにアドバイザーとして(多分に宣伝効果を狙って)[[チャールズ・リンドバーグ]]を招聘し、初めから[[大西洋]]無着陸横断が可能な仕様で設計され、デビュー前から圧倒的な人気を誇り、パンアメリカン航空の正式発注を皮切りに[[アメリカン航空]]や[[エールフランス]]、[[ヴァリグ・ブラジル航空]]など世界各国の航空会社から多数の受注を受けた。またアメリカ政府に対する影響力を擁するボーイングが、[[連邦航空局|FAA]]に対する政治力を発揮して、対策改良型コメット Mk.4 に対する[[耐空証明]]再発行を先延ばしし続けさせたとも言われており、その間に十分な開発期間が確保された。
 
 
 
しかしながら最初に発注したパンアメリカン航空は、ボーイングが大型旅客機の開発経験が少ないこと、さらに直近に開発した大型レシプロ旅客機の377が、事故・故障の多発する問題が多い機材であったこともあり、万が一開発に失敗した時の「保険」として、ライバルの[[ダグラス DC-8]]も25機発注していた。
 
 
 
=== 就航 ===
 
その後は順調に開発が進み、デ・ハビランド DH.106 コメットMk.1 の初就航に遅れること6年、[[ソビエト連邦|ソ連]]の[[ツポレフ]][[Tu-104 (航空機)|Tu-104]]の就航([[1956年]]9月1日)に遅れること2年の[[1958年]][[10月26日]]、パンアメリカン航空の[[ニューヨーク]]([[ジョン・F・ケネディ国際空港|アイドルワイルド国際空港]])-[[パリ]]([[オルリー空港]])線に就航した。より小型で航続距離も少ないデ・ハビランド DH.106 コメットやTu-104には後れを取ったものの、ライバルのダグラスDC-8に先立つこと1年弱、[[コンベア880]]に先立つこと1年であった。
 
 
 
デ・ハビランド コメットやTu-104、[[シュド・カラベル]]等のヨーロッパ勢に先行された707だったが、その長距離幹線用旅客機としての進歩的コンセプトと、6列座席配置を可能とした絶大な輸送力は、世界の主要航空会社から期待された次世代機材の具現化であり、その後の運用と競争では大きくリードした。[[1958年]][[10月4日]]にコメット Mk.4 が大西洋路線にようやく再就航した時には、707の進空は間近の情勢であって、実際に世界の殆どの航空会社は、ジェット輸送機でも最初期の機体の改良型であるコメットMk.4ではなく、より大型の707やDC-8などの新世代ジェット機を選択した。
 
 
 
パンアメリカン航空に次いで[[トランスワールド航空]]や[[英国海外航空]]、[[ノースウェスト航空]]などでも導入され、その多くが太平洋や大西洋横断路線、アメリカ大陸横断路線などの長距離かつ需要の大きい路線に投入された。その結果、1950年代に至るまで[[クイーン・メリー (客船)|クイーン・メリー]]や[[ユナイテッド・ステーツ (客船)|ユナイテッド・ステーツ]]などの[[オーシャン・ライナー]]が大きなシェアを占めていた大西洋横断航路、([[アメリカンプレジデントラインズ]]、[[氷川丸]]、[[あるぜんちな丸]]等)が大きなシェアを占めていた太平洋横断定期航路は収益が悪化した。特に大西洋横断航路への影響は大きく、1969年に大西洋横断航路に就航した[[クイーン・エリザベス2]]はクイーン・メリーよりも小型化し他の航路にも投入できる設計とされた。船を運航する企業も収益構造を変えるためアメリカンプレジデントラインズのように旅客事業から撤退し貨物事業へ集中する会社が続出した。また造船業界は[[貨物船]]が中心の業態へと変化するなど、19世紀から続いた定期旅客船の時代に終止符が打たれることになった。
 
 
 
=== 経過 ===
 
707就航当時に懸念された[[燃費]]も旺盛な旅客需要で相殺されることが分かり、さらに改良型が相次いで投入されたことで燃費も向上し、[[1960年代]]に入るとアメリカ国内の航空会社のみならず、[[アジア]]や[[ヨーロッパ]]、[[南アメリカ]]や[[アフリカ]]など世界各国の多くのフラッグ・キャリアの主力長距離路線に就航した。
 
 
 
1960年代から[[1970年代]]にかけて、ライバルのコンベア880やヴィッカースVC-10、さらにダグラスDC-8が生産中止となり、またより大型のマクドネル・ダグラスDC-10やロッキードL-1011などが新たに就航する中、707は[[1970年]]に就航した大型長距離用機の[[ボーイング747]]から中型短距離用機材のボーイング727とボーイング737に至る、ボーイングのジェット旅客機のラインナップの中核としてその後も順調に受注数を伸ばした。
 
 
 
さらに派生機種で中・短距離向けのボーイング720が開発されたほか、機首・胴体構造は部分的に[[ボーイング727]]や[[ボーイング737]]型機にも流用された。なお長胴型が相次いで開発されたダグラスDC-8とは異なり、主脚が短いことやより大型のボーイング747が存在したこと、そして1970年代に入ると後継機となるセミワイドボディ・250席級のボーイング767の開発が始まったことなどから長胴型は開発されなかった。
 
 
 
=== 生産終了 ===
 
民間型は中長距離向けの後継新型機である[[ボーイング767]]型機の生産本格化に伴い、[[1982年]]に生産終了した。その後も生産が続けられた[[軍用機|軍用型]]が[[1991年]]に生産終了されるまでの33年間に、民間型と軍用型を含めると1,010機が製造される、歴史的ベストセラー機としての記録を残した。
 
 
 
大型ジェット旅客機の処女作にしてベストセラーになった707は、レシプロ機時代に旅客機分野での存在感が希薄であったボーイングを、21世紀初頭には世界のジェット旅客機販売における半分以上のシェアを占めるまでに成長させる原動力となった。
 
 
 
=== 現在 ===
 
[[1980年代]]後半頃より、老朽化や欧米・[[日本]]などの先進諸国を中心とした騒音規制の強化の影響を受けて多くが引退した。しかし使い勝手の良いサイズや信頼性の高さから、エンジンや航法装置を中心とした幾度かの近代化改修を経て、初号機の就航から50年以上を経過した現在も数十機が貨物型やプライベートジェット仕様に改装され利用されている。
 
 
 
他には[[アメリカ空軍]]や[[イスラエル航空宇宙軍|イスラエル空軍]]、[[イラン空軍]]を始めとする世界中の空軍、政府で軍用型や軍用型への改修機が使用されている。これら軍用型にはエンジンを低騒音対策型に換装したアップデート版も含まれる。
 
 
 
== バリエーション ==
 
=== -120 ===
 
[[ファイル:Three Pan Am Boeing 707 awaiting delivery.jpg|thumb|240px|right|パンアメリカン航空のボーイング707-120型]]
 
[[ファイル:Boeing 707-227, Braniff International Airways JP6839061.jpg|thumb|240px|right|ブラニフ航空のボーイング707-220型]]
 
最初に作られ、パンアメリカン航空に納入された707が、[[プラット・アンド・ホイットニー]](P&W)の[[ターボジェットエンジン]]「[[プラット・アンド・ホイットニー JT3C|JT3C]]」型を搭載した-120である。
 
 
 
当初、707では操舵に油圧式ではなく人力による操縦装置を採用していた<ref name="ozora132">鳥養鶴雄 『大空への挑戦 ジェット機編』p132</ref>。既にボーイングでは[[B-47 (航空機)|B-47型爆撃機]]において油圧式の操縦装置を採用しており<ref name="ozora132"/>、技術的には後退ともみられるが、油圧式の採用は安全性を確保するために装置の二重化や三重化などが必要となる<ref name="ozora132"/>ことから、旅客機という商品においては人力式のほうが保守性・信頼性とも優れており<ref name="ozora132"/>、コスト的にも有利と考えられた<ref name="ozora132"/>からである。しかし、実際に航空会社への引渡しが開始されると、操縦訓練での事故が多発した<ref name="ozora133">鳥養鶴雄 『大空への挑戦 ジェット機編』p133</ref>。片側のエンジンが2つ停止した状態では、必要な操舵力を人力では賄えなかったのである<ref name="ozora133"/>。
 
 
 
また、[[垂直尾翼]]の大きさが不足気味で<ref name="ozora133"/>、[[ダッチロール]](尻を振るような横揺れ現象)が発生する事象も指摘された<ref name="ozora133"/>。垂直尾翼と方向舵の面積を拡大することで改善可能であった<ref name="ozora133"/>が、そのようにすると人力操舵では舵効き不足がさらに顕著になる<ref name="ozora133"/>
 
 
 
その後、これらの欠点は油圧式操縦装置の採用と垂直尾翼・方向舵の面積拡大により改良され<ref name="ozora133"/>、その知識は後の-320の設計時でも活かされた。
 
 
 
燃費が悪く航続距離が短かったため、大西洋横断飛行を行う場合は[[アイルランド]]の[[シャノン空港|シャノン]]や[[カナダ]]の[[ガンダー国際空港|ガンダー]]、[[グースベイ]]などに[[給油]]のため1、2回着陸せねばならず、せっかくのスピードを存分に生かすことができなかった。
 
 
 
変種として、当時から長距離路線を多く運航していた[[オーストラリア]]の[[カンタス航空]]の要望により、航続距離延長を目的に胴体を短縮したタイプ「-138」がある。後にエンジンを[[プラット・アンド・ホイットニー JT3D|JT3D]][[ターボファンエンジン]]に換装された120Bも登場し、他社に転籍した後も[[1980年代]]初頭まで活躍した。
 
 
 
=== -220 ===
 
-120の機体に「JT3C」型エンジンのパワーアップ版の「JT4A」型を搭載したのが-220である。燃費効率が悪く航空会社からの評判が悪かったため、わずか5機が[[ブラニフ航空]]に納入されたにとどまった。
 
 
 
=== -320 "Intercontinental" ===
 
[[ファイル:F-BHSB B707-328 Air France LHR 24JUN66 (6052693632).jpg|right|240px|thumb|[[エールフランス]]のボーイング707-320「インターコンチネンタル」]]
 
[[File:Boeing 707-465, British Overseas Airways Corporation (BOAC) JP6839062.jpg|thumb|240px|right|[[英国海外航空]]のボーイング707-436]]
 
 
 
-220の胴体と翼を延長し搭載量を増した発展型で、燃料搭載量が増加し航続距離が延びたことを誇示するために「Intercontinental(インターコンチネンタル=大陸間飛行)」の愛称が付けられた。この愛称は[[ボーイング747-8]]で再度使用されている。
 
 
 
=== -320B/C ===
 
-320にP&W製のターボファンエンジン「JT3D-3B」型を搭載したのが-320Bである。ターボファン化により燃費が大幅に向上し航続距離が伸びたため、[[東京]]-[[モスクワ]]間ノンストップ飛行や、[[偏西風]]などの天候条件が揃い搭載量の制限を行えば[[太平洋]]無着陸飛行も可能になった。320Bの貨客混載型(あるいは純貨物型)が-320Cである。後に、より強力なJT3D-7を搭載するタイプも登場した。
 
 
 
=== -420 ===
 
-320型をベースに、イギリス製のターボファンエンジン、[[ロールス・ロイス]]・[[ロールス・ロイス コンウェイ|コンウェイ]]「Mk.508」型を搭載したのが-420である。コメット4に代わる長距離用機材として開発されていたものの、開発が遅延していたイギリス製の[[ビッカース VC-10]]やコメットの代替機を欲していた[[英国海外航空]](現在の[[ブリティッシュ・エアウェイズ]])の依頼によって開発された。
 
 
 
英国海外航空の他にも[[ルフトハンザ]]や[[ヴァリグ・ブラジル航空]]、[[エル・アル航空]]に導入されたほか、[[エア・インディア]]などの[[イギリス連邦]]諸国の航空会社で使用された。
 
 
 
なお、英国海外航空では、イギリス製のロールス・ロイスエンジンであることを誇示するために、[[広告]]などにおいて、「ボーイング707」ではなく、「ロールス・ロイス707」と表記されていた。
 
 
 
=== -700 ===
 
エンジンを高バイパス比、低騒音型の[[CFMインターナショナル CFM56|CFM56]]に換装した機体。[[ボーイング757]]との競合を避けるため試作のみに終わり実現しなかったが、このエンジン換装は同系列の軍用機である[[E-3 (航空機)|E-3]]やKC-135などに採り入れられた。
 
 
 
一方、ライバル機であるダグラスDC-8は、1972年に生産を終了していたものの、[[1980年代]]にCFM56へのエンジン換装を正式採用しており、結果として707よりも多く民間機として現役に留まることになった。
 
 
 
=== ボーイング720 ===
 
[[ファイル:Boeing 720-047B, Western Airlines JP5891242.jpg|right|240px|thumb|[[ウェスタン航空]]のボーイング720-023]]
 
'''707-020'''とも呼ばれる。当時まだターボプロップ機やレシプロ機が主流を占めていた、アメリカ国内線やヨーロッパ域内線などの高需要路線を中心とした短・中距離路線への就航を狙って開発されたバージョンで、[[カンタス航空]]の要求で開発した707-138をもとに、-120の胴体を2.54m縮め、少なくなったペイロードと燃料搭載量に対応して軽量化したものである。主翼前縁内側の形状を変更して、空力も改善されている。1960年6月に型式証明を得て、翌7月にユナイテッド航空により初就航し、後に「JT3D」型エンジンに換装された720Bも登場した。
 
 
 
同様のコンセプトで開発されたコンベアの[[コンベア880|CV-880]]や同[[コンベア990|CV-990]]などと競合し、[[イースタン航空]]、[[ウエスタン航空]]などに導入されたが、まもなく同規模のキャパシティを持つ727や[[マクドネル・ダグラス DC-9|ダグラス DC-9]]等の、より本格的で効率の良い本格的な短・中距離向けジェット機が1960年代中盤に就航したため、154機と少数の生産で終わった。
 
 
 
アジアではパキスタン国際航空やサウジアラビア航空、[[大韓航空]]などが導入し、大韓航空は日本乗り入れにも使用した。またベトナム戦争に従軍するアメリカ軍将兵の輸送用にチャーターされた機材がモノクラスに換装され、アメリカ本土のトラヴィス空軍基地から[[横田基地]]へのノンストップ・シャトル便に使用された。
 
 
 
=== 軍用機 ===
 
[[ファイル:Reagans land in Moscow 1988.jpg|right|240px|thumb|VC-137 "エアフォースワン"]]
 
[[ファイル:E-3aawa.jpg|right|240px|thumb|E-3"セントリー"空中警戒機]]
 
[[File:Dargot 28062011 707 Refueling.jpg|right|240px|thumb|F-15に空中給油を行うイスラエル空軍[[第120飛行隊 (イスラエル空軍)|第120飛行隊]]のKC-707。]]
 
アメリカ空軍の軍用機として下記のような機体が製作された。
 
 
 
; [[C-137 (航空機)|C-137]]
 
: 輸送機。海外でもこの名称で使用されていることがある。
 
; VC-137 ストラトライナー
 
: 大統領専用機。[[ジョン・F・ケネディ|ケネディ]]から[[ロナルド・レーガン|レーガン]]にかけて、28年間いわゆる「[[エアフォースワン]]」として使用された。
 
: 後継機は[[VC-25]](747-200)だが、その後も747が着陸できない地方空港への飛行時に使用されたり、副大統領や国務長官の機として使用されたこともある。[[C-32 (航空機)|C-32]](757-200)の就航に伴い全機引退。
 
; [[E-3 (航空機)|E-3 セントリー]]
 
:[[早期警戒管制機]]。
 
: 米軍の他に[[イギリス空軍]]などでも導入された。
 
; [[E-6 (航空機)|E-6 マーキュリー]]
 
: 通信中継機。
 
; [[E-8 (航空機)|E-8 J-STARS]]
 
: 地上の監視を目的とした機体。中古の707-320を[[ノースロップ・グラマン]]が改造した。
 
 
 
他にもイスラエル空軍やイラン空軍([[イラン革命]]前に購入)、[[チリ空軍]]や[[ブラジル空軍]]など、世界中の空軍や政府で採用されており、新造機を購入した国もあれば航空会社から放出された中古機を購入した国もある。長距離輸送機としてだけでなく空中給油機や[[シギント]]機など特殊任務用に改造されたものも多い。しかし老朽化が進んでいることもあり、2000年代以降は数を減らしつつある。
 
 
 
イスラエル空軍は1960年代より[[ボーイング377]]型機をベースとした輸送機、電子戦機、空中給油機([[KC-97 (航空機)|KC-97]])などの運用を行っており、1970年代にボーイング707型機への更新をおこなってから現在も[[第120飛行隊 (イスラエル空軍)|第120飛行隊]]において運用を続けている。イスラエル空軍の空中給油機はKC-707と呼称され、[[KC-135 (航空機)|KC-135]]とは異なるモデルである。
 
 
 
一般のマスコミなどでよく混同されるが、KC-135と[[C-135 (航空機)|C-135]]は707の原型機である367-80をベースにしており、胴体の直径もやや小さいなど、厳密には707とは別の機種である。
 
 
 
=== コピー機 ===
 
[[中華人民共和国]]の[[上海航空機製造]]会社が、[[中国民用航空局|中国民航]](CAAC)にあった707を無断で[[リバースエンジニアリング|分解調査]]し、[[デッドコピー]]した模造機[[Y-10]]「上海」を[[1970年代]]に製作(エンジンは707のスペアを使用)した。
 
 
 
2機(うち1機は構造試験機)が製造され飛行にも成功したが、これまでに先進国のコピー機しか製造したことがない技術力不足が顕わになっただけで、量産には至らなかった。
 
 
 
== 仕様 ==
 
{| class="wikitable"
 
|-
 
!
 
! 707-120B
 
! 707-320B
 
! 720
 
|-
 
! 乗員
 
| align="center" colspan="3" | 4(正操縦士、副操縦士、機関士、航法士)
 
|-
 
! 全長
 
| 44.22m
 
| 46.42m
 
| 41.25m
 
|-
 
! 全幅
 
| 39.90m
 
| 44.42m
 
| 39.90m
 
|-
 
! 全高
 
| 11.79m
 
| 12.93m
 
| 12.65m
 
|-
 
! 乗客数
 
| 110(2クラス)<br />189(1クラス)
 
| 147(2クラス)<br />189(1クラス)
 
| 149
 
|-
 
! 最大離陸重量
 
| 257,000 lb (116,570 kg)
 
| 333,600 lb (151,320 kg)
 
| 222,000 lb (100,800 kg)
 
|-
 
! 航続距離(最大燃料時)
 
| 8,704 km
 
| 10,650 km
 
| 7,040 km
 
|-
 
! 巡行速度
 
| 1,000 km/h (マッハ0.81)
 
| 972 km/h (マッハ0.79)
 
| 1,000 km/h (マッハ0.81)
 
|-
 
! エンジン
 
|4基の 75.6&nbsp;kN (17,000&nbsp;lbf) [[プラット・アンド・ホイットニー JT3D|P&W JT3D-1]] ターボファンエンジン
 
|4基の 80&nbsp;kN (18,000&nbsp;lbf) [[プラット・アンド・ホイットニー JT3D|JT3D-3]]又は、4基の 84.4&nbsp;kN (19,000&nbsp;lbf) [[プラット・アンド・ホイットニー JT3D|JT3D-7]]
 
|4基の 53.3&nbsp;kN (12,000&nbsp;lbf) [[プラット・アンド・ホイットニー JT3C|P&W JT3C-7]] ターボジェットエンジン
 
|}
 
 
 
== 主な運航会社 ==
 
[[ファイル:Boeing 707 of American Airlines at Basle - April 1976.jpg|thumb|240px|right|[[アメリカン航空]]のボーイング707-320F]]
 
 
 
* [[パンアメリカン航空]]<!--128機-->
 
* [[トランス・ワールド航空]]<!--127-->
 
* [[アメリカン航空]]<!--104-->
 
* [[エールフランス]]<!--41-->
 
* [[ノースウエスト航空]]<!--36-->
 
<!--5位までならここまで-->
 
* [[カンタス航空]]<!--36-->
 
* [[英国海外航空]](現在の[[ブリティッシュ・エアウェイズ]])<!--32-->
 
* [[ルフトハンザドイツ航空]]<!--24-->
 
* [[パキスタン国際航空]]<!--23-->
 
* [[ブリティッシュ・カレドニアン航空]]<!--22-->
 
<!--10位までならここまで-->
 
<!--
 
* [[エジプト航空]]!--19--
 
* [[コンチネンタル航空]]!--18--
 
* [[サベナ・ベルギー航空]]!--17--
 
* [[エア・インディア]]!--14--
 
* リビア・アラブ航空!--14--
 
* トランス・メディタレニアン航空!--14--
 
* [[イラン航空]]!--13--
 
* [[トランス・ブラジル航空]]!--13--
 
* [[ビーマン・バングラデシュ航空]]!--13--
 
* [[TAP ポルトガル航空]]!--12--
 
* [[シンガポール航空]]!--12--
 
* [[キャセイパシフィック航空]]!--12--
 
[[ファイル:Korean Air Lines Boeing 707 Fitzgerald.jpg |right|240px|thumb|[[大韓航空]]のボーイング707-320C]]
 
* [[大韓航空]]!--11--
 
* [[アビアンカ航空|アビアンカ・コロンビア航空]]!--9--
 
* [[マレーシア航空]]!--8--
 
* [[ロイヤルヨルダン航空]]!--7--
 
* ウェスタン航空!--7--
 
* [[ヴァリグ・ブラジル航空]]!--6--
 
* [[チャイナエアライン|中華航空]]!--6--
 
* [[エチオピア航空]]!--6--
 
* [[中国民用航空局|中国民航]](現在は分割。現在の[[中国国際航空]])!--6--
 
[[ファイル:EL AL Israel Airlines Boeing 707-358B Hoppe.jpg|right|240px|thumb|[[エルアル・イスラエル航空]]のボーイング707-320B]]
 
* [[エルアル・イスラエル航空]]!--5--
 
* [[エア・ホンコン]]!--3--
 
* [[サウジアラビア航空]]!--2--
 
* [[VASP航空]]!--2--
 
* [[ミネベア航空]]!--1--
 
* [[ベトナム航空]]!--1--
 
-->
 
* [[ロサンゼルス・ドジャース]](ボーイング720)<!-- 運航会社?-->
 
<!-- 3箇所も書くほどのことではない。エピソードにあれば十分。
 
* [[ジョン・トラボルタ]](個人オーナー)
 
-->
 
 
 
==主な事故や事件==
 
[[ファイル:Boeing 707-436, British Overseas Airways Corporation (BOAC) JP5996892.jpg|right|240px|thumb|[[英国海外航空]]のボーイング707-436( G-APFE)]]
 
[[ファイル:Varig Boeing 707-379C Hoppe.jpg|right|240px|thumb|[[ヴァリグ・ブラジル航空]]のボーイング707-320C]]
 
*[[1961年]][[2月15日]]:[[サベナ・ベルギー航空]]548便(707-320)、[[ブリュッセル国際空港]]着陸直前に機体制御を失い墜落。[[世界フィギュアスケート選手権]]の開催地に向かっていたアメリカ合衆国代表の選手らを含む73人死亡。この事故の影響でこの年の世界フィギュアスケート選手権は中止となった([[サベナ航空548便墜落事故]])。
 
*[[1962年]][[6月3日]]:[[エールフランス]]航空(707-320)、[[パリ]]の[[オルリー空港|オルリー国際空港]]の離陸に失敗し滑走路をオーバーラン。130人死亡。
 
*[[1966年]][[3月5日]]:[[英国海外航空]](BOAC)911便(707-420)、[[富士山]]上空で山岳乱気流に揉まれ空中分解・墜落。124人死亡([[英国海外航空機空中分解事故]])。
 
*[[1968年]][[12月26日]]:パンアメリカン航空114便(707-320F)、[[アラスカ州]]エルメンドルフ空軍基地を離陸直後にフラップの出し忘れと、警報システムの故障のために墜落した。乗員3人死亡。
 
*[[1973年]][[7月11日]]:[[ヴァリグ・ブラジル航空]]820便(707-320)、パリのオルリー空港への着陸進入中に機内で火災が発生、不時着を試みたが空港近辺に墜落した。124名が死亡。([[ヴァリグ・ブラジル航空820便墜落事故]])
 
*[[1974年]][[1月30日]]:パンアメリカン航空806便(707-320)、アメリカ領[[サモア]]諸島[[トゥトゥイラ島]][[パゴパゴ]]に着陸進入中にウィンドシアーが原因でパゴパゴ空港手前に墜落した。97人死亡。
 
*[[1978年]][[4月21日]]:[[大韓航空]]KAL902便(707-320)、[[ソビエト連邦|ソ連]]領空を領空侵犯し、ソ連空軍機に空対空ミサイルで攻撃され[[ムルマンスク]]半島の凍結湖に不時着。死者2人([[大韓航空機銃撃事件]])。
 
*[[1979年]][[1月30日]]:ヴァリグ・ブラジル航空(707F)、[[成田国際空港|成田空港]]を離陸後[[太平洋]]上で行方不明になる。原因不明。5人死亡。なおこの時の機長は上記の820便の事故で生還した人物であった([[ヴァリグ・ブラジル航空機遭難事故]])。
 
*[[1987年]][[11月29日]]:大韓航空858便(707-320)、[[アブダビ]]から[[ドンムアン空港|バンコク]]へ向かう途中、[[ベンガル湾]]上で[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]の[[スパイ|工作員]]によって爆破された([[大韓航空機爆破事件]])。なお、当時の時刻表によると、この便はバグダッド発アブダビ・バンコク経由ソウル行で、使用機材が[[マクドネル・ダグラス DC-10]]だったが、この日は同機材に機材変更がなされていた。<!--また、この便においてバンコク - ソウル間のみの利用は不可だった。-->
 
*[[1990年]][[1月25日]]:[[アビアンカ航空]]52便(707-320)、[[ニューヨーク]]の[[ジョン・F・ケネディ国際空港]]に着陸進入中、ニューヨーク州コープ・ネックに燃料切れのため墜落。73名が死亡([[アビアンカ航空52便墜落事故]])。
 
 
 
==エピソード==
 
[[ファイル:Boeing 707-138B Qantas Jett Clipper Ella N707JT.jpg|thumb|240px|right|カンタス航空のボーイング707-138型([[ジョン・トラボルタ]]所有機)]]
 
*本機の原型機367-80には、デモフライトで[[バレルロール (マニューバ)|バレルロール]]を披露した、というエピソードがある。詳細は[[ボーイング367-80#エピソード]]を参照。
 
 
 
*航空機マニアで知られる俳優[[ジョン・トラボルタ]]の所有機のうちの1つで、元カンタス航空の-138を購入した。その後このことがきっかけでトラボルタはカンタス航空の親善大使に任命され、この機材も導入当時のカンタス航空の塗装に変更された。2004年には所有するボーイング707を自ら操縦し来日、2010年1月の[[ハイチ地震]]の際には、自らの操縦で[[ハイチ]]に救援物資を輸送した。その後2017年には同機がオーストラリア・[[ニューサウスウェールズ州]]アルビオンパークの歴史的航空機復元協会(HARS)に寄贈されることが発表され、今後オーストラリアへ移送するための修復作業が行われることとなる<ref>[http://www.afpbb.com/articles/-/3130000?cx_part=txt_topics J・トラボルタさん、自身のボーイング機を豪航空博物館に寄贈] - AFPBB news(2017年5月29日)</ref><ref>[http://hars.org.au/2017/05/john-travolta-donates-707-hars/ John Travolta Donates his 707 to HARS] - Historical Aircraft Restoration Society(2017年5月27日)</ref>。
 
 
 
*[[1964年]]2月の[[ビートルズ]]初訪米の際に使用されたパンアメリカン航空のボーイング707「Jet Clipper Yankee(N763PA)」は、[[ヒースロー国際空港]]から[[ジョン・F・ケネディ国際空港|アイドルワイルド国際空港]]へ向かうPA102便の運航時に「Jet Clipper Beatles」と特に命名された。
 
 
 
*ジェット機時代のアイコン的な扱いを受けることが多く、[[007]]シリーズ第2作の『[[007 ロシアより愛をこめて]]』や『[[若大将シリーズ ]]』、『[[燃えよドラゴン]]』や『[[キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン]]』など、多数の映画に登場している。
 
 
 
== 日本におけるボーイング707 ==
 
[[日本航空]]は国際線用のジェット旅客機としてダグラス DC-8を選択したため、ボーイング707を導入しなかったが、日本にはパンアメリカン航空<!-- [[ノースウエスト航空]]やヴァリグブラジル航空、キャセイパシフィック航空、エア・インディア、TMAレバノン航空、[[ルフトハンザドイツ航空]]、カンタス航空-->など、多くの日本国外の[[航空会社]]が日本路線にボーイング707を就航させ、[[1990年代]]まで定期就航していた。また、東京オリンピック開催時には、多くのボーイング707が特別機として乗り入れたほか、現在に至るまで多くの機材が政府専用機として乗り入れている。
 
 
 
なお、エールフランスが日本航空とともに[[東京国際空港]] - [[オルリー空港]]([[パリ]])間に共同運航便を運航していたことから、[[1960年代]]前半に、エールフランスのボーイング707に日本航空の[[ロゴタイプ|ロゴ]]を入れ、[[客室乗務員]]を乗務させ同路線を運航していた<ref>[http://www.airliners.net/photo/Air-France-(Japan/Boeing-707-328/0137752/L/&sid=a68284cf6309bfd375d86bd426de257d www.airliners.net]</ref>。エールフランスのF-BJCMはリース会社経由で[[ミネベア航空]]が購入し貨物機としたが、DC-10への入れ替えで売却され[[E-8]]のベース機となった。
 
  
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本格的な民間ジェット時代の嚆矢となった大型4発旅客機。[[ボーイング]]がひそかに開発し,367-80,略してダッシュ 80 (エイティ) と呼ぶ原型機が初飛行したのは 1954年7月 15日。その高性能に目をつけたアメリカ空軍が民間航空会社より先に発注し,KC-135と呼ぶ空中給油機として大量に採用した。民間向け旅客機は,それをひとまわり大きくして 1958年秋[[パンアメリカン航空]]のニューヨーク-パリ線に就航する。これで大西洋横断に要する時間は,それまでのピストンエンジン機による 12時間半から6時間半へ短縮され,快適な乗り心地と相まって旅客をひきつけ,航空旅行に一時代を画した。 1962年にはエンジンをターボファンに換装した 707-320Bが就航し,航続性能がさらに改善された。その改良型 707-320Cは,エンジンがP&W JT3D (推力 8160kg) 4。全長 46.6m,全幅 44.4m,総重量 151t,乗客 147~202人,最大巡航速度時速 973km,航続距離 6920km。生産数は 1000機以上に達し,1991年5月生産終了した。
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== 出典 ==
 
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== 関連項目 ==
 
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* [[航空会社]]
 
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* [[航空事故]]
 
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[[Category:ボーイング製旅客機]]

2018/8/30/ (木) 22:55時点における最新版

Boeing 707-138B Qantas Jett Clipper Ella N707JT.jpg

ボーイング707Boeing 707

アメリカボーイング社が開発した4発式の大型ジェット旅客機

本格的な民間ジェット時代の嚆矢となった大型4発旅客機。ボーイングがひそかに開発し,367-80,略してダッシュ 80 (エイティ) と呼ぶ原型機が初飛行したのは 1954年7月 15日。その高性能に目をつけたアメリカ空軍が民間航空会社より先に発注し,KC-135と呼ぶ空中給油機として大量に採用した。民間向け旅客機は,それをひとまわり大きくして 1958年秋パンアメリカン航空のニューヨーク-パリ線に就航する。これで大西洋横断に要する時間は,それまでのピストンエンジン機による 12時間半から6時間半へ短縮され,快適な乗り心地と相まって旅客をひきつけ,航空旅行に一時代を画した。 1962年にはエンジンをターボファンに換装した 707-320Bが就航し,航続性能がさらに改善された。その改良型 707-320Cは,エンジンがP&W JT3D (推力 8160kg) 4。全長 46.6m,全幅 44.4m,総重量 151t,乗客 147~202人,最大巡航速度時速 973km,航続距離 6920km。生産数は 1000機以上に達し,1991年5月生産終了した。

出典

関連項目





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