フラ・アンジェリコ

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(伊: Fra' Angelico / Beato Angelico、1390年 / 1395年頃 - 1455年2月18日)

イタリアの画家でドミニコ会修道士。本名 Guido di Pietro。1417年にはすでに画家で,フィエゾーレの修道僧になったのは 1420~22年頃とされる。その後 10年間ほど,中部イタリアの各修道院で過ごし,1436年,フィレンツェのサン・マルコ修道院に移った。画業は,初めロレンツォ・モナコのゴシック風(ゴシック美術)から出発し,テンペラ画法で輝くような色彩と丹念な細部描写をみせた。そのことは『聖告と三王礼拝』(1425~26,サン・マルコ美術館)からもよくうかがわれる。やがて,ドナテロマサッチオらの影響で量体表現と遠近法を会得。その成果は『聖母戴冠』(1428頃,ウフィツィ美術館)における各人像表現と空間構成などに早くも現れている。1433年の『リナイウォーリの聖母』(サン・マルコ美術館)や 1435年頃の『キリスト降架』(同)では,すでに自然主義(自然主義美術)への傾倒が認められる。そして,サン・マルコ修道院での一連の壁画では,完全にルネサンスの画家になりきっている。さらに 1445年,バチカン宮殿内ニコラウス5世礼拝堂の壁画装飾,オルビエト大聖堂の壁画装飾も手がけた。またフィエゾーレの修道院長も務めたが,晩年はローマのサンタ・マリア・ソープラ・ミネルバの修道院で過ごし,そこで没した。