「ピューリタン」の版間の差分

提供: miniwiki
移動先:案内検索
(1版 をインポートしました)
 
1行目: 1行目:
{{Otheruses||戯曲|ピューリタン (戯曲)}}
 
{{Redirect|清教徒|オペラ作品|清教徒 (オペラ)}}
 
{{出典の明記|date=2017年1月}}
 
[[ファイル:PuritanGallery.jpg|thumb|right|250px|Gallery of famous seventeenth-century Puritan [[神学者]]: [[:en:Thomas Gouge]], [[:en:William Bridge]], [[:en:Thomas Manton]], [[:en:John Flavel]], [[:en:Richard Sibbes]], [[:en:Stephen Charnock]], [[:en:William Bates (Puritan)|William Bates]], [[:en:John Owen (theologian)|John Owen]], [[:en:John Howe (Puritan)|John Howe]], [[:en:Richard Baxter]].]]
 
'''ピューリタン'''({{Lang-en|Puritan}})は、[[イングランド国教会]]の改革を唱えた[[キリスト教]]の[[プロテスタント]]([[カルヴァン主義|カルヴァン派]])の大きなグループ。[[市民革命]]の担い手となった。日本語では'''清教徒'''と訳される。
 
  
== 名称 ==
+
'''ピューリタン'''({{Lang-en|Puritan}}
清潔、潔白などを表す{{En|Purity}}に由来する({{En|Puritan}}で厳格な人、潔癖な人を指すこともある)。もともとはバカ正直などの意味で蔑称的に使われていたが、自らもピューリタンと称するようになった。
 
  
== 歴史 ==
+
清教徒。エリザベス1世の宗教改革を不徹底とし、聖書に従ってさらに徹底した改革を進めようとしたイギリス・プロテスタント。その思想的背景はカルビニズムで、その改革運動は16世紀から17世紀に及ぶ。国教会(イングランド教会)にとどまり内部からの改革を志向するもの、それからの分離こそ改革の第一歩とするもの、ピルグリム・ファーザーズのように国外に脱出して理想を実現しようとするものがいたが、カルバン主義的改革を目ざした長老派を中心に、独立派、バプティスト派、クェーカー派、水平派、ディガーズ、第五王国主義者などの諸派に分かれる。彼らの改革運動は、礼拝改革から教会政治改革に移り、さらに政治的改革へと向かった。国教会の弾圧のなかにも説教運動やクラシス運動などによって共鳴者を増やし、ジェームズ1世時代には、彼らの要求によって『欽定(きんてい)訳聖書』(1611)が現れる。ついにチャールズ1世のとき革命が起こり、ピューリタンはクロムウェルのもとに王政を倒し、共和政を樹立した。『失楽園』の詩人ジョン・ミルトンはその秘書であった。しかし共和政は11年で終結し、王政復古、国教会の復活となり、ピューリタンはやがて非国教会派となる。聖書主義、簡素な霊的礼拝の強調、神への強烈な責任意識、聖なる共同体の建設などがピューリタンの中心的主張であった。また政治的、経済的にも、近代社会の形成に果たした役割は大きいとされている。
{{main|en:History of the Puritans under Elizabeth I|en:History of the Puritans under James I|en:History of the Puritans under Charles I|en:History of the Puritans from 1649|en:History of the Puritans in North America}}
 
  
16世紀から17世紀、[[ユグノー]]が渡ってきて貴族化と混血が進み、並行して[[イングランド国教会]]の中に[[カルヴァン]]の影響を受けた[[改革派教会|改革派]]のピューリタンが勢力を持つようになった。その中には国教会から分離せずに教会内部を改革しようとする者([[長老派教会|長老派]])と、国教会から分離しようとする者([[イングランド国教会の分離派|分離派]]:他の教派との[[相互陪餐|相互聖餐]]を拒否)、その中間に位置する者({{仮リンク|独立派 (宗教)|en|Independent (religion)|label=独立派}})がいた。
+
{{テンプレート:20180815sk}}  
 
 
分離派の中には祖国での弾圧を逃れ、[[1620年]]、[[メイフラワー号]]に乗り[[北アメリカ|アメリカ]]に移住した者もいる([[ピルグリム・ファーザーズ]])。[[清教徒革命]]では、平等派が[[オリバー・クロムウェル]]の{{仮リンク|ニューモデル軍|en|New Model Army}}の母体にもなった。
 
 
 
ビジネスルーツが[[オランダ]]・[[ジュネーヴ]]・[[ジェノヴァ共和国]]などに散在し、またフランスの港湾都市も拠点とした。[[ボストン]]や[[ニュー・ブランズウィック]]で経済力の高さを示し、大西洋を越えて[[ユグノー戦争]]を輸出した。
 
 
 
== 諸宗派 ==
 
[[File:Protestantbranches ja.svg|thumb|right|650px|[[プロテスタント]]諸教派([[聖公会]]、[[アナバプテスト]]を含む)の系統概略]]
 
 
 
* 国教会から分離せずに教会内部を改革しようとする者
 
** [[長老派教会|長老派]]
 
* その中間に位置する者
 
** {{仮リンク|独立派 (宗教)|en|Independent (religion)|label=独立派}}
 
* 国教会から分離しようとする者
 
** [[会衆派教会|会衆派]]
 
** [[バプテスト教会]]
 
** [[クエーカー]]
 
**[[イングランド国教会の分離派|分離派]](他の教派との[[相互陪餐|相互聖餐]]を拒否)
 
*** {{仮リンク|平等派|en|Levellers}}(信仰の自由と民主主義を唱える市民・兵士)
 
*** {{仮リンク|第五王国派|en|Fifth Monarchists}}
 
*** {{仮リンク|真正水平派|en|Diggers}}
 
 
 
==関連書籍==
 
*英米におけるピューリタンの伝統 (A.シンプソン [[大下尚一]]・[[秋山健]]共訳 未来社、1966年)
 
*ピューリタン 近代化の精神構造 ([[大木英夫 (神学者)|大木英夫]] 中公新書、1968年)
 
*イギリス革命とユートゥピア ピューリタン革命期のユートゥピア思想 ([[田村秀夫]] 創文社、1975年)
 
*アメリカ・ピューリタン研究 ([[柳生望]] 日本基督教団出版局、1981年3月)
 
*千年王国を夢みた革命 17世紀英米のピューリタン ([[岩井淳]] 講談社選書メチエ、1995年6月)
 
*アメリカの嘆き 米文学史の中のピューリタニズム (秋山健監修、[[宮脇俊文]]・[[高野一良]]編著 松柏社、1999年5月)
 
*世俗的聖人たち ピューリタンの実像 (Leland Ryken [[森本真一]]訳 近代文芸社、2000年10月)
 
*ピューリタン神権政治 初期のアメリカ植民地の実像 (山本周二 九州大学出版会、2002年3月)
 
*ピューリタン牧師バクスター 教会改革と社会形成 (梅津順一 教文館、2005年1月)
 
*ピューリタン神学総説 (ジェームズ・I.パッカー 松谷好明訳 一麦出版社、2011年8月)
 
 
 
== 関連項目 ==
 
{{Commons category|Puritans}}
 
* [[清教徒革命]]
 
* [[ユグノー]]
 
* [[ゴイセン]]
 
* [[イングランドとニューイングランドにおける政教分離の歴史]]
 
 
 
{{きよめ派}}
 
 
 
{{christ-stub}}
 
 
{{DEFAULTSORT:ひゆりたん}}  
 
{{DEFAULTSORT:ひゆりたん}}  
 
[[Category:ピューリタン|*]]
 
[[Category:ピューリタン|*]]

2018/10/20/ (土) 13:40時点における最新版

ピューリタン英語: Puritan

清教徒。エリザベス1世の宗教改革を不徹底とし、聖書に従ってさらに徹底した改革を進めようとしたイギリス・プロテスタント。その思想的背景はカルビニズムで、その改革運動は16世紀から17世紀に及ぶ。国教会(イングランド教会)にとどまり内部からの改革を志向するもの、それからの分離こそ改革の第一歩とするもの、ピルグリム・ファーザーズのように国外に脱出して理想を実現しようとするものがいたが、カルバン主義的改革を目ざした長老派を中心に、独立派、バプティスト派、クェーカー派、水平派、ディガーズ、第五王国主義者などの諸派に分かれる。彼らの改革運動は、礼拝改革から教会政治改革に移り、さらに政治的改革へと向かった。国教会の弾圧のなかにも説教運動やクラシス運動などによって共鳴者を増やし、ジェームズ1世時代には、彼らの要求によって『欽定(きんてい)訳聖書』(1611)が現れる。ついにチャールズ1世のとき革命が起こり、ピューリタンはクロムウェルのもとに王政を倒し、共和政を樹立した。『失楽園』の詩人ジョン・ミルトンはその秘書であった。しかし共和政は11年で終結し、王政復古、国教会の復活となり、ピューリタンはやがて非国教会派となる。聖書主義、簡素な霊的礼拝の強調、神への強烈な責任意識、聖なる共同体の建設などがピューリタンの中心的主張であった。また政治的、経済的にも、近代社会の形成に果たした役割は大きいとされている。



楽天市場検索: