バーゼル

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バーゼル
Basel
Bâle
スイスの旗
位置
バーゼルの位置の位置図
バーゼルの位置
座標 : 東経7度36分0秒北緯47.56667度 東経7.6度47.56667; 7.6
行政
スイスの旗 スイス
  (Kanton) バーゼル=シュタット準州
 区 (Amtsbezirk) -
 基礎自治体(Einwohnergemeinde) バーゼル
地理
面積  
  基礎自治体(Einwohnergemeinde) 23.91 km2 (9.23 mi2)
標高 260 m (853 ft)
人口
人口 (2016年7月現在)
  基礎自治体(Einwohnergemeinde) 175,617[1]
    人口密度   7,300人/km2(19,000人/mi2
公式ウェブサイト : www.bs.ch

バーゼル: Basel: Bâle(バール))は、スイスの都市。バーゼル=シュタット準州の州都。

スイス北西部、ドイツフランスとスイスの3国の国境が接する地点(三国国境)に位置し、市街地はライン川をまたぐ形で広がっている。チューリッヒジュネーヴに次ぎスイス第3の都市。大型船舶が通航できるライン川最上流の港を持つ最終遡行地点である。ドイツ語圏に属するがフランス語使用者も多い。

地理

位置は北緯47度34分0秒東経7度36分0秒、標高260m。近隣の都市としては、約75キロ東にチューリヒ、50キロ北にドイツのフライブルク・イム・ブライスガウ、30キロ北西にフランスのミュルーズ、65キロ南にベルンが位置している。市の北端のライン川の中央にスイス・ドイツ・フランスの三国国境があり、それに近いバーゼル川の陸地にドライレンダーエックというモニュメントが立っている。

市街地はライン川をはさんで展開しており、産業地帯である北岸(右岸)を「小バーゼル」(Kleinbasel)、行政や商業の中心である南岸(左岸)を「大バーゼル」(Grossbasel)と呼ぶ。

歴史

バーゼルという名称は、374年にバジリア(BasiliaまたはBasilea)としてはじめて史料上に現れたが、現在のバーゼル大聖堂付近には、古代ローマによるライン川流域支配が確立した1世紀以前からケルト人の集落が存在した。740年頃に近隣のアウグスタ・ラウリカDeutsch版English版ラテン語: Augusta Rauricorum)から移転して司教座となった後、1032年には帝国直属(ReichsfreiheitまたはReichsunmittelbarkeit)の司教領となった。1100年に石の市壁で全周を囲んだ[2]。 13世紀にはライン都市同盟に参加。1501年にスイスの原初同盟(Alte EidgenossenschaftまたはOld Swiss Confederacy)に加盟し、1528年には宗教改革の流れの中で司教を追放し、プロテスタント勢力の一員となった。1833年、3年間の内戦を経て周辺の農村地域がバーゼル=ラント準州として独立し、現在に至る。

バーゼルはいくつかの歴史上の出来事の舞台となった。バーゼル公会議(1431年~1449年)は、コンスタンツ公会議(1414年~1418年)で積み残されたカトリック教会の改革を討議したものの、公会議教皇の関係に対する考え方の違いなどを背景に分裂し(1438年)、バーゼルに残留した一派は目立った成果を残せなかった。1499年のバーゼル条約は、スイスの事実上の独立を認めた。時代を下って1897年には世界シオニスト会議が第1回の大会をバーゼルで開催している。

スイスの一州として神聖ローマ帝国の影響を離れ、宗教的にも急進的なプロテスタントではなかったことを背景に、15世紀後半に誕生した印刷・出版業が栄え、近世の多くの重要な著作の初版が出版されたことでも知られている。たとえば、ジャン・カルヴァンの『キリスト教綱要』(Christianae Religionis Institutio、1536年)、アンドレアス・ヴェサリウスの『人体の構造』(De humani corporis fabrica、1543年)などである。

交通

バーゼルは、ライン川という欧州水運の大動脈における最終遡行点、ライン川最初の架橋点(1225年)、スイス、ドイツおよびフランスが国境を接する地点として交通の要衝となっている。

鉄道

鉄道では、スイス連邦鉄道(スイス国鉄、SBB)、フランス国鉄(SNCF)およびドイツ鉄道(DB)の3鉄道事業者が、それぞれバーゼルSBB駅バーゼルSNCF駅およびバーゼル・バディッシャー駅というターミナル駅を置いている。バーゼルSBB駅とバーゼルSNCF駅は施設的に一体で、スイス国鉄のホームの西側にフランス国鉄のホームがある。スイスのシェンゲン協定加盟以降、両駅の間にあるパスポート・チェックのためのゲートは利用されていないものの、税関検査はスイス側を中心に引き続き行われている。また、ライン川の北側にあるドイツ鉄道のバディッシャー駅を起終点とする列車は基本的にローカル線の列車のみであり、フライブルク以北から運行されている国際列車は同駅に停車した後、一般的にはバーゼルSBB駅に乗り入れている。ただし、ドイツ国内でSBB駅行きの列車が大きく遅延した場合にはバディッシャー駅で運転が打ち切られ、その列車の編成で運行する逆方向の列車がSBB駅ではなくバディッシャー駅始発となることもある。

バーゼル各駅の幹線列車の時刻表をみると、スイス国鉄については、毎時4本のチューリヒ行きのほか、ベルン、ルツェルンおよびジュネーヴ方面への直通列車が少なくとも毎時1本は運行されており、これらの一部はザンクト・ガレンインターラーケンルガノブリークなどが終着駅となっている。また、ドイツ鉄道については、フランクフルト中央駅またはフランクフルト空港駅方面へのICEが毎時1本運行されている。これに対し、フランス国鉄のパリ・リヨン駅行きTGVは、1日6本の運行に止まっている。所要時間はチューリヒ、ベルンおよびルツェルンが約1時間、ジュネーヴ、フランクフルト(中央駅または空港駅)およびパリ・リヨン駅が約3時間となっている。

市内交通

市内交通は、主としてバーゼル市交通局(Basler Verkehrs-Betriebe(BVB))とバーゼル・ラント交通局(Baselland Transport(BLT))が運営する市電およびバストロリーバスを含む、BVBは緑色でBLTは黄色)が担っている。運賃はゾーン制で、BVBとBLTだけでなくスイス国鉄のローカル線もカバーしている。駅または停留所での改札はないものの、抜き打ちで検札が行われることは珍しくなく、有効な切符を所持していない場合には高額の罰金を科される。なお、ドイツやフランスに入るバスや鉄道の路線もある。

空港

バーゼルの空の玄関は、バーゼル・ミュールーズ・フライブルク国際空港(ユーロエアポート・バーゼル=ミュールーズ空港、BSL/MLH/EAP)である。この空港の所在地は完全にフランス領内であるが、空港の建設および運営はスイスおよびフランスが共同で行う珍しい形態となっている。スイスがシェンゲン協定に加盟した後も、依然として関税地域は別であるためフランス用とは別にスイス用の出入口が設けられており、道路や駐車場もフランスのものと接続のない独立系統でスイス領へ直接結ばれる構造となっている。なお、フランス国内を発着する航空路線については、「ミュールーズ(MLH)発着」として時刻表などに掲載されることも多いので注意を要する。

道路交通

道路交通では、ライン川の左岸を走るフランスのオートルートA35と、右岸を走るドイツのアウトバーンA5が市内で合流し、スイスの南北幹線高速自動車道A2に接続している。ちなみに、スイスでは、国内で自動車を利用する者が、毎年一定額の道路利用税(2011年現在40スイス・フラン)を支払うことになっているため、その証明ステッカーがフロント・ガラスに貼付されていない外国の自動車は国境でステッカーを購入しなければならない。

河川港湾

バーゼルのライン川沿いに展開している港湾施設はスイス唯一の貿易港であり、スイス港(Port of Switzerland)とも呼ばれている。年間のバルク貨物取扱量(2010年)は650万トンでその約半分が石油関連、コンテナ取扱量(同)は10万TEUとなっている。

経済

動力源としてライン川の水力を活用できたことや、宗教的に比較的寛容だったことを背景に欧州各地から宗教的な迫害を受けた商工業者が移住しやすかったことから、近世には織物工業や製紙業が発達した。こうした工業生産に必要な染料や薬剤を供給するため、化学工業が早くから発達し、現在もバーゼルに本社を置く世界的な製薬会社ノヴァルティスロシュの淵源となった[3]

ドイツとアルプス山脈以南とを結ぶ陸路がライン川を渡る地点として、また、ライン川の最終遡行点という地理的な条件を背景に、古くから商業も栄えてきた。1471年から毎年続いている秋季市(Herbstmesse、10月末~11月初)のほか、春の宝飾品・時計の見本市(バーゼル・フェア(Baselworld))、夏の美術品商談会(Art Basel)など多くの見本市が開催されることでも知られている。

中立国スイスにあり、フランスとドイツへの鉄道の便が比較的よいことから、1930年国際決済銀行の本部が置かれた。同銀行は、世界各国の中央銀行間の協力を目的としており、その一環としてバーゼル銀行監督委員会に事務局機能を提供している。

行事

バーゼルの年間行事のうち、もっとも有名なものはバーゼルのカーニバルBasler Fasnacht)である。一般的に、プロテスタント世界ではカーニバルを祝う伝統がない中、バーゼルのカーニバルはその例外である。ただし、灰の水曜日の直後の月曜日の午前4時に始まる日程は、カトリック世界で一般的な日程と比べ1週間遅くなっている。さまざまな衣装に身を包んだ地元の参加者が、72時間にわたって音楽を演奏しながら市内を練り歩き、大量の紙ふぶきを撒き散らす様子は、欧州の奇祭の1つに数えられている。

春のカーニバルに対し、秋には秋季市(Herbstmesse)が開催される。1471年、時の皇帝フリードリヒ3世の勅許によって始まり、現在に至るまで500年以上にわたり中断されることなく続いている。10月末から11月初の2週間にわたり市内数か所の広場に、観覧車メリーゴーラウンドなど移動式の遊具が設置されるほか、各種の屋台が立ち並ぶ。

文化

バーゼルは、スイス最古の大学であるバーゼル大学(1459年創立)などの高等教育機関を擁し、多くの美術館博物館もある。このほか、市立劇場の芸術性も高い評価を受けており、スイスにおける文化の中心の1つとなっている。

バーゼルとその近郊には30を超える数の美術館および博物館がある。世界最古の公共美術館といわれるバーゼル市立美術館(1661年)は、15世紀から16世紀にかけての南ドイツ地方で活躍した画家、および、19世紀から20世紀にかけて活躍した画家の作品を中心としたコレクションが充実している。また、バイエラー財団美術館は、現代美術のコレクションのほか、独創的な企画展の開催で知られ、欧州全域からの入場者が絶えない。このほか、特色のある美術館として、「動く彫刻」の作者として知られるジャン・ティンゲリーの作品を収蔵するティンゲリー美術館、現代美術館(市立博物館の分館)、漫画美術館などがある。

博物館としては、考古学博物館、自然史博物館、歴史博物館、民俗博物館といった一般的なもののほか、バーゼルの産業史を背景に、製紙博物館、製薬史料館といった特色のあるものも少なくない。また、動物園はスイス最古(1874年創立)かつ最大であるほか、大学付属植物園(1589年創立)も世界有数の歴史を誇っている。

出身者

その他

スイスはドイツに比べ公証人の認証費用が1/3から1/5と格段に安いため、ドイツ国内の契約で公証が必要なものを、わざわざ国境沿いにあるバーゼルまで行き手続きを行うということがさかんに行われている。スイスでの公証がドイツで認められるのは、慣習法上このバーゼルとチューリヒの2都市のみとなっている。

脚注

  1. Statistik - Bestand und Struktur バーゼル=シュタット準州統計局、2017年1月29日閲覧。
  2. 成瀬治・山田欣吾・木村靖二編『ドイツ史』第1巻(世界歴史大系)、山川出版社、1997年、171頁。
  3. 川口マーン惠美 『世界一豊かなスイスとそっくりな国ニッポン』 講談社、2016年。ISBN 978-4-06-272965-9。

関連記事

外部リンク

公式

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