「ハル・ノート」の版間の差分

提供: miniwiki
移動先:案内検索
5行目: 5行目:
 
[[1941年]] 11月 26日アメリカ国務長官 [[C.ハル]]が日本の野村,来栖両大使に手交した提案。[[太平洋戦争]]開戦直前に行われた[[日米交渉]]の最終段階でアメリカ側から提示されたもの。
 
[[1941年]] 11月 26日アメリカ国務長官 [[C.ハル]]が日本の野村,来栖両大使に手交した提案。[[太平洋戦争]]開戦直前に行われた[[日米交渉]]の最終段階でアメリカ側から提示されたもの。
  
すべての国家の領土保全と主権の不可侵を原則として,日本の一切の陸海空軍兵力を中国,インドシナから撤収すること,チョンチン (重慶) の国民政府以外の中国におけるいかなる政府,政権も支持しないこと,日本,アメリカ,イギリス,オランダ,中国,ソ連,タイの7ヵ国の多辺的不可侵条約の締結,実質的に[[日独伊三国同盟]]を廃棄することなどを要求している。
+
すべての国家の領土保全と主権の不可侵を原則として,日本の一切の陸海空軍兵力を[[中国]],[[インドシナ]]から撤収すること,チョンチン ([[重慶]]) の国民政府以外の中国におけるいかなる政府,政権も支持しないこと,日本,アメリカ,イギリス,オランダ,中国,ソ連,タイの7ヵ国の多辺的不可侵条約の締結,実質的に[[日独伊三国同盟]]を廃棄することなどを要求している。
  
 
日本政府はこれを対日最後通牒とみなし,同 12月1日の御前会議はこれを受諾しがたいという結論を下し,アメリカ,イギリス,オランダに対する開戦を決定した。
 
日本政府はこれを対日最後通牒とみなし,同 12月1日の御前会議はこれを受諾しがたいという結論を下し,アメリカ,イギリス,オランダに対する開戦を決定した。

2018/8/10/ (金) 19:59時点における版

ハル・ノート(Hull note)

1941年 11月 26日アメリカ国務長官 C.ハルが日本の野村,来栖両大使に手交した提案。太平洋戦争開戦直前に行われた日米交渉の最終段階でアメリカ側から提示されたもの。

すべての国家の領土保全と主権の不可侵を原則として,日本の一切の陸海空軍兵力を中国インドシナから撤収すること,チョンチン (重慶) の国民政府以外の中国におけるいかなる政府,政権も支持しないこと,日本,アメリカ,イギリス,オランダ,中国,ソ連,タイの7ヵ国の多辺的不可侵条約の締結,実質的に日独伊三国同盟を廃棄することなどを要求している。

日本政府はこれを対日最後通牒とみなし,同 12月1日の御前会議はこれを受諾しがたいという結論を下し,アメリカ,イギリス,オランダに対する開戦を決定した。

関連項目

脚注