ノブレス・オブリージュ

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ノブレス・オブリージュ: noblesse oblige ノブレ(ッ)ソブリージュ)とは、直訳すると「高貴さは(義務を)強制する」を意味し、一般的に財産権力社会的地位の保持には責任が伴うことを指す。

フランス語oblige は、動詞 obliger三人称単数現在形で、目的語を伴わない絶対用法である。名詞ではない。英語では、フランス語の綴りをそのまま英語風に読んだり、英訳・名詞化して noble obligation とも言う。

起源

ファニー・ケンブルが、1837年手紙に「……確かに『貴族が義務を負う(noblesse oblige)』のならば、王族は(それに比して)より多くの義務を負わねばならない。」と書いたのが、この言葉が使われた最初である。

倫理的な議論では、特権は、それを持たない人々への義務によって釣り合いが保たれるべきだという「モラル・エコノミーEnglish版」を要約する際に、しばしば用いられる。最近では、主に富裕層有名人権力者高学歴者が「社会の模範となるように振る舞うべきだ」という社会的責任に関して用いられる。

「ノブレス・オブリージュ」の核心は、貴族に自発的な無私の行動を促す明文化されない不文律の社会心理である。それは基本的には、心理的な自負・自尊であるが、それを外形的な義務として受け止めると、社会的(そしておそらく法的な)圧力であるとも見なされる。

法的な義務ではないため、これを為さなかった事による法律上の処罰はないが、社会的批判・指弾を受けたり、倫理や人格を問われることもある。

実例

古代ローマにおいては、貴族が道路や建物などのインフラストラクチャー整備などの建築費を支払うことがあった。その代わり、建設した道路や建物に自分の名前をつけることもあり、例えばアッピア街道は、アッピウス・クラウディウス・カエクスによって建設された。

貴族が21世紀の現在も存在するイギリスでは、上流階級にはノブレス・オブリージュの考えが求められている。第一次世界大戦では貴族や王族の子弟にも戦死者が多く、第二次世界大戦ではエリザベス2世イギリス軍に従軍し、フォークランド紛争にもアンドルー王子などがイギリス軍に従軍している。現在でも、例えば高校卒業後のギャップ・イヤーに、ウィリアム王子チリで、ヘンリー王子レソト孤児院ボランティア活動に従事している。またウィリアムはホームレス支援事業のパトロンでもあり、自ら路上生活体験をした。

アメリカ合衆国では、セレブリティ名士が、ボランティア活動や寄付をする事は一般的なことである。これは企業の社会的責任遂行(所謂CSR)にも通じる考え方でもある。第二次世界大戦においてはアイビー・リーグを始めとする、アメリカの大学生は徴兵制度が免除されていたが、志願して出征したものも多くいた。しかし2003年イラク戦争において、政治家が対テロ戦争を煽り立てながら、イラク戦争イラクでの戦闘に参加するため志願し、アメリカ軍に従軍した親族がいるアメリカ合衆国議会政治家の数は、極少数であったことが物議を醸した。

日本においても、第二次世界大戦前の皇族男子は、日本軍の軍務(近衛師団など)に就くことになっていた。但し、最前線に送られるケースは稀であるが、三笠宮崇仁親王大日本帝国陸軍の「若杉参謀」として、中国戦線の支那派遣軍に送られた場合もあった。また皇族女子も、日本赤十字社等の機関において貢献することが求められた。日露戦争では、閑院宮載仁親王騎兵第2旅団長として出征し、最前線でロシア帝国陸軍と戦っている。

用例

ウィリアム・フォークナーはこの言葉を、『響きと怒り』(The Sound and the Fury) や『エミリーにバラを』(Rose for Emily) を含む小説や短編の中で度々用いた。

ジェニファー・トルバート・ロバーツの著書 Athens on Trial によると、古代アテナイ公共奉仕におけるノブレス・オブリージュの例があるという。古代アテナイでは、戦闘用船舶の供給や饗宴の開催、合唱団の訓練などが、公的な義務として裕福な市民に割り当てられていた。ロバーツによれば、富裕者たちは非常に高価なこの種の特権に関し、明確に相反する感情を抱いていた(この例は、現代のノブレス・オブリージュとは若干意味合いが異なるようである。古代ギリシア社会は奴隷制を取っており、奴隷に上記の義務を割り振ることは出来なかったという側面もある)。

関連項目

sv:Lista över franska uttryck i svenska språket#N