「デイトン (オハイオ州)」の版間の差分

提供: miniwiki
移動先:案内検索
ja>Syanarion62
(top: map →svg)
 
(内容を「サムネイル|左 {{世界の市 | 正式名称 = デイトン市 | 公用語名称 = City of Dayton | 愛称 = | 標語 = Birthp…」で置換)
(タグ: Replaced)
 
(同じ利用者による、間の1版が非表示)
1行目: 1行目:
 +
[[ファイル:Montage dayton 1.jpg|サムネイル|左]]
 +
 
{{世界の市
 
{{世界の市
 
| 正式名称 = デイトン市
 
| 正式名称 = デイトン市
26行目: 28行目:
 
| 下位区分名2 = [[モンゴメリー郡 (オハイオ州)|モンゴメリー郡]]
 
| 下位区分名2 = [[モンゴメリー郡 (オハイオ州)|モンゴメリー郡]]
 
| 規模 = 市
 
| 規模 = 市
| 最高行政執行者称号 = 市長
+
| 最高行政執行者称号 =  
| 最高行政執行者名 = [[ライン・L・マクリン]]
 
| 最高行政執行者所属党派 = [[民主党 (アメリカ)|民主党]]
 
 
| 総面積(平方キロ) = 147.0
 
| 総面積(平方キロ) = 147.0
 
| 総面積(平方マイル) = 56.6
 
| 総面積(平方マイル) = 56.6
65行目: 65行目:
 
}}
 
}}
  
'''デイトン''' ('''Dayton''') は、[[アメリカ合衆国]][[オハイオ州]]西部に位置する都市。[[マイアミバレー]]と呼ばれる地域の中心都市で、同州[[モンゴメリー郡 (オハイオ州)|モンゴメリー郡]]の[[郡庁所在地]]である。人口は141,527人([[2010年]][[国勢調査]])<ref name="FactFinder">[http://factfinder2.census.gov/main.html American FactFinder]. U.S. Census Bureau. 2011年2月4日.</ref>。モンゴメリー郡を中心に4郡にまたがるデイトン都市圏は人口841,502人(2010年国勢調査)<ref name="FactFinder" />を数え、より市域人口の多い州内の[[アクロン (オハイオ州)|アクロン]]や[[トレド (オハイオ州)|トレド]]をしのいで州内第4位の規模である。さらに、北東郊約40kmに位置する[[スプリングフィールド (オハイオ州)|スプリングフィールド]]を含めた広域都市圏は人口100万人を超える。市は[[シンシナティ]]の北約80kmに位置し、デイトン都市圏はシンシナティ都市圏の北に隣接している。
+
'''デイトン''' ('''Dayton''')  
 
 
デイトンは[[ライト兄弟]]を生んだ土地であり<ref>厳密には、デイトンで生まれたのは弟のオービルだけで、兄のウィルバーは[[インディアナ州]]東部のミルビル村の生まれである。しかし、ウィルバーが4歳の頃にライト一家がデイトンに移住し、ウィルバーもデイトンで育ってデイトンでその生涯の大部分を過ごしたことから、地元では兄弟共にデイトン出身とみなし、デイトンを「ライト兄弟の故郷」と呼んでいる。</ref>、航空宇宙や先端技術の分野での研究が盛んである。デイトン周辺にはライト兄弟から名を取った施設がある。1つはデイトン東郊のフェアボーン市にキャンパスを構える[[ライト州立大学]]である。南西の[[オックスフォード (オハイオ州)|オックスフォード]]市に立地する[[マイアミ大学 (オハイオ州)|マイアミ大学]]と並んで西オハイオを代表する州立大学である同大学は、[[医学]]と[[航空学]]の分野で高い評価を得ている。もう1つは市の北東に位置する[[ライト・パターソン空軍基地]]である。同基地はデイトン最大の雇用者であり[[アメリカ空軍|アメリカ合衆国空軍]]の空軍資材軍団(AFMC)が司令部を置いている。[[1995年]]11月、同基地で[[ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争]]を停戦させる[[デイトン合意]]が成立した。[[ボスニア・ヘルツェゴビナ]]の首都[[サラエヴォ]]は、デイトンの[[姉妹都市]]の1つである。[[ゼネラル・アビエーション]]用の[[デイトン・ライト兄弟空港]]には、ライトBフライヤーのレプリカが置いてある<ref>{{cite web |url=http://www.wright-b-flyer.org/hangar.html |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2007年10月26日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20071111011850/http://www.wright-b-flyer.org/hangar.html |archivedate=2007年11月11日 |deadurldate=2017年9月 }}</ref>。
 
 
 
また、デイトンは工業州オハイオの中でも有数の工業都市である。デイトンには[[NCR (企業)|NCR]]をはじめ、[[レイノルズ]]&レイノルズ、ケムステーション・インターナショナル、リバティ・バンク、ニューページ、ワークフローワン、ハフィ、[[レクシスネクシス]]といった企業が本社を置いている。工場は自動車関連が多く、デイトンを交通の最寄とした日系自動車工場も近隣にある。周辺の市町村にはジェットエンジン、プロペラなど航空関連の工場も数多い。[[Image:ShimadaK2008-Wright Cycle shop Dayton-PICT2714.jpg|240px|right|thumb|ライト兄弟のいくつかの自転車ショップのうちデイトン市内で史跡として整備されている建物]]
 
 
 
== 歴史 ==
 
[[画像:Dayton 1870.JPG|right|thumb|250px|デイトン、[[1870年]]]]
 
 
 
デイトンはオハイオの州昇格の7年前、[[1796年]]4月1日に入植者の小集団によって創設された。翌[[1797年]]には[[シンシナティ]]とデイトンを結ぶ道が開かれ、デイトンは[[マイアミバレー]]入植の拠点となった。デイトンは[[1805年]]には正式な町になった。町の名は[[アメリカ独立戦争|独立戦争]]の[[大尉]]、[[アメリカ合衆国憲法]]の起草者のひとりで、のちに[[ニュージャージー州]]選出の[[上院]]議員となった[[ジョナサン・デイトン]]にちなんでつけられた。
 
 
 
[[1830年代]]に[[エリー湖]]と[[グレートマイアミ川]]を結ぶ[[マイアミ・アンド・エリー運河]]が完成すると、デイトンからグレートマイアミ川を上り、運河を通じてエリー湖岸の[[トレド (オハイオ州)|トレド]]へ、さらにその先のエリー湖へと抜ける商取引ルートが確立された。また、グレートマイアミ川を下れば[[オハイオ川]]との合流点付近でシンシナティに通じていた。そのため、この運河を通じた水上交通路は[[1850年代]]まで西オハイオにおける主要な交通ルートであった。
 
 
 
[[画像:1904WrightFlyer.jpg|right|thumb|250px|[[ハフマンプレーリー]]で飛行中のライトフライヤーII号]]
 
 
 
[[1903年]]12月17日、デイトンで育ち、デイトンで[[自転車]]屋を営んでいたウィルバーとオーヴィルの[[ライト兄弟]]は、[[ノースカロライナ州]][[キティホーク (ノースカロライナ州)|キティホーク]]に近い[[キルデビルヒルズ]]の砂丘地で[[ライトフライヤー号]]を飛ばし、人類初の有人動力飛行に成功した。その後ライト兄弟はデイトンに戻り、翌年には北西郊の[[ハフマンプレーリー]]でライトフライヤーII号の飛行実験を行った。しかし[[1913年]]のグレートマイアミ川の大洪水によって、兄弟のキティホークでの[[グライダー]]飛行や、[[ハフマンプレーリー]]での動力飛行実験を写したネガは損傷してしまった。
 
 
 
[[第二次世界大戦]]中、デイトンは軍需産業で栄えた。デイトンや近郊のオークウッドの住宅地ではデイトン・プランが進められた。これは[[モンサント (企業)|モンサント]]社による、工業的に[[ポロニウム]]を生産する方法の開発であった。同社で生産されたポロニウムは、[[広島市]]や[[長崎市]]に投下された型のような初期の[[原子爆弾]]を起爆させるために用いられた。デイトンに本社を置く[[NCR (企業)|NCR]]社は、その頃は航空機の[[エンジン]]や爆弾の照準機、暗号解読器を生産していた。同社が生産した暗号解読器は、[[ナチス・ドイツ]]の[[暗号機]]、[[エニグマ (暗号機)|エニグマ]]の暗号を解読する上で大きく役立った。
 
 
 
第二次世界大戦後もしばらくの間、デイトンは工業都市として繁栄を続けた。[[1960年]]には人口262,332人でピークに達した。しかしその後は[[アメリカ合衆国中西部|中西部]]の多くの主要都市同様、デイトンも凋落を始めた。市の中心部の空洞化が進んだ上、人口や産業が東部や中西部から南部の[[サンベルト]]地帯に移っていったためである。人口は減り続け、[[2010年]]の国勢調査では141,527人と、ピーク時の半分近くにまで減少した。
 
 
 
[[1995年]]11月、デイトン近郊の[[ライト・パターソン空軍基地]]で、[[ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争]]を停戦に導くデイトン合意が成立した。交渉は11月1日から21日にかけて同基地で行われた。この停戦合意は12月14日に[[パリ]]で調印され、3年半続いた紛争を終わらせた。
 
 
 
== 地理 ==
 
[[画像:Ohio Dayton.png|right|thumb|150px|デイトンの位置]]
 
 
 
デイトンは{{ウィキ座標度分秒|39|45|46|N|83|11|48|W|}}に位置している。市は[[オハイオ州]]西部の[[マイアミバレー]]と呼ばれる地域に位置し、同地域の中心都市となっている。西には[[インディアナポリス]]、東には[[コロンバス (オハイオ州)|コロンバス]]、南には[[シンシナティ]]、北には[[トレド (オハイオ州)|トレド]]が位置し、デイトンはそれらの規模の大きい都市のほぼ中間点に近い位置にある(厳密にはややシンシナティ寄りである)。公式には、デイトンは「オハイオ州中西部」に属するとされる。デイトンのダウンタウンの中央を[[グレートマイアミ川]]が蛇行しながら流れ、3本の支流が市内でグレートマイアミ川に合流する。グレートマイアミ川流域のこの一帯は[[マイアミバレー]]と呼ばれるが、地元ではその中心都市であるデイトンの都市圏を指してマイアミバレーと呼ぶこともある。
 
 
 
[[アメリカ合衆国統計局]]によると、デイトン市は総面積146.7km²(56.6mi²)である。そのうち144.5km²(55.8mi²)が陸地で2.2km²(0.9mi²)が水域である。総面積の1.55%が水域になっている。
 
 
 
かつてのデイトン・スプリングフィールド都市圏は[[モントゴメリー郡 (オハイオ州)|モントゴメリー郡]]を中心に、[[マイアミ郡 (オハイオ州)|マイアミ]]、[[クラーク郡 (オハイオ州)|クラーク]]、[[グリーン郡 (オハイオ州)|グリーン]]の各郡を含む4郡にまたがっていた。[[2000年]]の[[国勢調査]]では、デイトン・スプリングフィールド都市圏は950,558人の人口を抱えていた。[[2003年]]にクラーク郡がスプリングフィールド都市圏として分離独立し、デイトン都市圏は残った3郡に[[プレブル郡 (オハイオ州)|プレブル郡]]を加えた4郡と定められた。また、それに伴って新デイトン都市圏とスプリングフィールド都市圏をあわせたデイトン・スプリングフィールド広域都市圏が設定された。デイトン・スプリングフィールド広域都市圏は[[2010年]]の国勢調査で、人口1,072,891人を数える<ref name="FactFinder" />。
 
 
 
=== 都市概観 ===
 
[[画像:Dayton-ohio-courthouse-old.jpg|right|thumb|250px|モントゴメリー郡旧地方裁判所]]
 
 
 
デイトンは古い町であるが、ダウンタウンには幅の広い4車線の直線道路が碁盤の目のように整然と走っている。そのため時代が下り、[[自動車]]がメインの交通手段となってもデイトンの道路は交通量に十分耐え得てきた。通りの幅が広い理由としては、デイトンは町ができた当時からマーケティングや物流の拠点であったことが挙げられる。3-4組の[[ウシ|牛]]に引かれた[[牛車]]がとんぼ返りをすることができるくらいに、道は広く作られていた。加えて、現在の市内の通りのいくつかはかつては[[艀|はしけ]]を通すための側道のついた[[運河]]を埋めたものであることも理由として挙げられる。
 
 
 
古い町であるデイトンには歴史的な建物も数多く残っている。デイトンの地方裁判所は[[1888年]]に建てられた[[新古典主義建築]]のもので、[[21世紀]]に入った現在も使用されている。現在の地方裁判所が建てられる前に使われていた旧地方裁判所は[[ギリシャ]]の神殿を模した建物で、[[1850年]]に完成し、現在も残っている。デイトンの9つの歴史地区には新古典主義建築のほか[[19世紀]]から[[20世紀]]前半にかけての様々な様式の建築物が建ち並んでいる<ref>{{cite web |url=http://www.preservationdayton.com/dayton-historic-neighborhoods.cfm |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2015年8月26日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120421183713/http://www.preservationdayton.com/dayton-historic-neighborhoods.cfm |archivedate=2012年4月21日 |deadurldate=2017年9月 }}</ref>。
 
 
 
デイトンの代表的な超高層ビルとしては、高さ124mのケッターリング・タワー (Kettering Tower) と117mのミードウェストバコ・タワー (MeadWestvaco Tower) が挙げられる<ref>http://skyscraperpage.com/diagrams/?c151, Tallest buildings in Dayton, 2007-07-17, skyscraperpage.com</ref>。ケッターリング・タワーは、かつてはウィンターズ・バンクが本店を置き、名称もウィンターズ・タワーといった。[[バンク・ワン]]がウィンターズ・バンクを合併した後、ビルはバージニア・ケッターリングにちなんで現在の名称に改められた。
 
 
 
=== 気候 ===
 
[[画像:OHdayton-flood1913-4thst.jpg|right|thumb|250px|[[1913年]]の大洪水で冠水したデイトンのダウンタウン]]
 
 
 
デイトンとその一帯は[[温暖湿潤気候]] (''Cfa'') と[[冷帯湿潤気候]] (''Dfa'') のちょうど境界線上にあり、1年を通して降水量がほぼ一定で、四季がはっきりとしている。デイトンにおける観測史上最高気温は[[セルシウス度|摂氏]]38.9度、最低気温は氷点下31.7度である。平年では夏の最高気温は摂氏30度、冬の最低気温は氷点下7度ほどである。年間降水量は950mmほどである。
 
 
 
[[アメリカ合衆国中西部|中西部]]の他地域同様、デイトンの周辺は厳しい気象条件におかれている。春から秋にかけては[[竜巻]]が発生しやすい<ref>竜巻通り[[Tornado Alley]]はテキサス州から始まってオハイオ州近辺に終わる。デイトンの東に隣接するXeniaジニア(Xenia)市の中心部は1974年に竜巻で壊滅した[http://www.xeniatornado.com/]。</ref>。時折激しい[[雷雨]]にも見舞われる。冬には[[地吹雪|ブリザード]]が吹く<ref>近年では1993-1994に100年ぶりの低温、1994-1995に大積雪があった。ただし年によっては殆ど氷が張らないこともある。</ref>。また、デイトンでは洪水も起こりやすい。[[1913年]]にはグレートマイアミ川が大洪水を起こし、町の通りのほとんどは冠水した。
 
  
{| class="wikitable" style="width: 80%; text-align:center; margin: 0 auto 0 auto;"
+
アメリカ合衆国、オハイオ州南東部、グレート・マイアミ川に臨む都市。
|+ '''デイトンの気候'''<ref>http://www.weatherbase.com/weather/weather.php3?s=092427&refer=</ref>
 
|-
 
!
 
! [[1月]]
 
! [[2月]]
 
! [[3月]]
 
! [[4月]]
 
! [[5月]]
 
! [[6月]]
 
! [[7月]]
 
! [[8月]]
 
! [[9月]]
 
! [[10月]]
 
! [[11月]]
 
! [[12月]]
 
! 年
 
|-
 
! 平均気温([[セルシウス度|℃]])
 
| -2.7
 
| -0.6
 
| 4.4
 
| 11.1
 
| 16.7
 
| 21.7
 
| 23.9
 
| 22.8
 
| 18.9
 
| 12.8
 
| 6.1
 
| 0.0
 
| 11.1
 
|-
 
! 降水量([[ミリメートル|mm]])
 
| 71.1
 
| 58.4
 
| 81.3
 
| 94.0
 
| 99.1
 
| 99.1
 
| 94.0
 
| 78.7
 
| 63.5
 
| 61.0
 
| 78.7
 
| 71.1
 
| 950.0
 
|}
 
  
== 政治 ==
+
豊かな農業地帯に立地し、農産物の市場でもあるが、軽工業を軸とした工業都市としても重要である。とくに金銭登録機、電気冷蔵庫や家庭用品、自動車部品の生産が高く、印刷業も盛ん。また、1903年にここで生まれた[[ライト兄弟]]の初飛行成功によって、以後合衆国の飛行・航空技術研究のリーダー都市の一つとして高く評価されており、ライト・パターソン空軍基地の所在地でもある。
[[画像:Dayton-ohio-city-hall.jpg|right|thumb|250px|デイトン市庁舎]]
 
  
デイトンは[[シティー・マネージャー制]]を採っている。[[1913年]]にシティー・マネージャー制への移行を採択し、翌[[1914年]]から移行したデイトンは、全米で初めてシティー・マネージャー制を採用した都市のひとつである。デイトンの市議会は5名の議員からなり、うち1人が市長を務めるが、市長はあくまで5人の議員のうちの1人でしかなく、市議会において議長を務めるのみである。実際の行政は市議会が政策に応じて採用したシティー・マネージャーが主体となって行う。シティー・マネージャー制への移行以前は、デイトンは[[市長制]]を採り、市長の下に7名の議員からなる市議会を有していた。
+
古くはニュー・オーリンズ向けの農産物の積出し地であったが、[[南北戦争]]前後の運河、鉄道、さらに工業の発達で急成長した。
  
議員の任期は4年で、1回の選挙で2名が改選される。選挙は2段階に分かれており、まず第1選挙での上位4名が普通選挙に進み、そこでの上位2名が当選となる。[[1969年]]までは市長も他の議員と同時に委員として選出されていたが、[[1970年]]以降は、市長は残り4人の議員とは別の選挙で選出されている。大統領選などとは異なり、デイトン市議会議員の選挙は原則として政党による縛りを受けないが、実際には[[共和党 (アメリカ)|共和党]]・[[民主党 (アメリカ)|民主党]]の両方が候補を出している。[[1976年]]以降、デイトン市議会では民主党が圧倒的に優位に立っている。
+
工業都市の活気とともに文化の香りも高く、イタリア・ルネサンス様式の美しい[[デイトン美術館]]は同市のシンボルとなっている。
  
市議会のほか、デイトンには委員7名からなる優先委員会が設置されている。優先委員会は[[1975年]]にデイトン市議会の採決で設置が決まったもので、市議会やシティー・マネージャーが取り扱う事項よりももっと地域に根ざした政策を提案・実施する。具体的には、優先委員会は地域の開発/再開発や市の財源の地域への分配を計画し、市に対して提案していく。優先委員会の委員はダウンタウン、FROC、インナーウェスト、ノースウェスト、ノースイースト、サウスイースト、サウスウェストの7つの地域から各1名ずつ選出される。
+
1995年、市域の空軍基地でボスニア・ヘルツェゴビナ和平協定が合意された([[デイトン合意]])。
 
 
== 犯罪 ==
 
中西部の多くの他都市同様、製造業を中心としたデイトンは[[1960年代]]を境に凋落し、[[治安]]が悪化、犯罪が増加した。近年では犯罪率は低下傾向にはあるものの、依然として高い水準である。[[連邦捜査局]](FBI)の[[2005年]]のデータによると、デイトンにおける[[殺人]]・[[強姦]]・[[強盗]]・夜盗・[[自動車]][[窃盗]]の発生率は全米平均の2倍以上である<ref>http://dayton.areaconnect.com/crime1.htm</ref>。[[2005年]]の[[モーガン・クイットノー]]社の調査<ref>{{cite web |url=http://www.morganquitno.com/cit06pop.htm |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2007年3月13日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20121208203219/http://www.morganquitno.com/cit06pop.htm |archivedate=2012年12月8日 |deadurldate=2017年9月 }}</ref>では、デイトンは全米で17番目に危険な都市であると報じられた。過去のモーガン・クイットノー社の調査においてもデイトンはワースト25の常連で、[[2003年]]には過去最悪のワースト7位であった。オハイオ州の都市の中でもデイトンの犯罪率は[[クリーブランド (オハイオ州)|クリーブランド]]よりは低いものの、[[シンシナティ]]とほぼ並ぶ水準で、[[トレド (オハイオ州)|トレド]]よりやや高く、[[コロンバス (オハイオ州)|コロンバス]]よりかなり高い。
 
 
 
近年[[廃墟]]と化した建物の取り壊しのための財源が積まれ、再開発が進みつつあるものの、空洞化の進んだデイトンの中心部では依然としてそうした建物が数多く残っている。地元では、こうした建物は犯罪や[[麻薬]]の温床となっていると言われている。これらの廃墟と化した建物が並ぶ様は、[[デトロイト]]、[[フリント (ミシガン州)|フリント]]、[[ゲーリー (インディアナ州)|ゲーリー]]といったより犯罪率の高い都市を引き合いに出して例えられることもある。
 
 
 
ただし一戸建て住宅はデイトン市街ではなく行政区分では市外になる周辺に多いため、一般住民にとって他の都市に比べて特に犯罪が多いということには直結しない。
 
 
 
== 交通 ==
 
[[画像:Dayton International CIMG0392.JPG|right|thumb|250px|デイトン国際空港につながるI-70の出口]]
 
 
 
デイトンの玄関口となる空港は市の北約14kmに位置する[[デイトン国際空港]] ([[IATA空港コード|IATA]]: '''DAY''') である。[[1936年]]に設置されたこの空港はかつて[[ピードモント航空]]が[[ハブ空港]]のひとつにしていたが、同社が[[USエアウェイズ]]に合併されると、まもなくハブ空港としての機能を失い、[[コロンバス (オハイオ州)|コロンバス]]、[[インディアナポリス]]、[[グランドラピッズ (ミシガン州)|グランドラピッズ]]といった都市への短距離便を発着させるための、[[アメリカ合衆国中西部|中西部]]における拠点空港のひとつにとどめられた。しかし現在においても主要航空会社のハブ空港からの便が多数発着する。[[州間高速道路]][[州間高速道路70号線|I-70]]に接続しているためアクセスに至便で、[[空港使用料]]が安いため、コロンバスや[[シンシナティ]]、インディアナポリスなど近隣の都市の住民もこの空港を利用している。[[2004年]]には、1,446,673人がこのデイトン国際空港を利用した。ターミナルビルが大きすぎず、レンタカーの駐車場も徒歩でアクセスでき、周辺道路の混雑もあまりないため旅行者には便利な空港である。
 
 
 
デイトンのダウンタウンを[[州間高速道路]][[州間高速道路75号線|I-75]]が南北に走っている。I-75は[[ミシガン州]][[スーセントマリー (ミシガン州)|スーセントマリー]]の[[カナダ]]国境から[[フロリダ州]]の[[マイアミ]]近郊まで、中西部から南部を南北に横断する幹線である。このI-75は市の北で大陸を東西に横断する幹線の州間高速道路[[州間高速道路70号線|I-70]]と交差している。市の東から南にかけてはI-75の支線で、デイトンの環状道路となっているI-675が通っている。これらの高速道路上には[[グレイハウンド (バス)|グレイハウンド]]の長距離バスが走っており、シンシナティと[[デトロイト]]を結ぶバスや、コロンバス・[[ニューヨーク]]方面とインディアナポリス・[[セントルイス]]方面を結ぶバスがデイトンのダウンタウンにあるバスターミナルに停車する。
 
 
 
デイトンはかつて[[オハイオ電鉄]]や[[シンシナティ・アンド・レイクエリー鉄道]]の主要な駅を有する、鉄道交通においても中心となる都市であった。しかし、現在では[[アムトラック]]の路線はデイトンを通っていない。
 
 
 
デイトン市内および周辺の公共交通はデイトン都市圏地域交通局 ([[:en:Greater Dayton Regional Transit Authority|Greater Dayton Regional Transit Authority]], RTA) の運営する[[路線バス]]によってカバーされている。RTAは通常のディーゼルバスに加え、電動の[[トロリーバス]]の路線も有している。トロリーバスは[[1888年]]から営業運転をしており、全米5都市に現存する電動の(多くの都市で使用されている観光用のディーゼルエンジンやガソリンエンジンのものは含めない)トロリーバスシステムの中では最古のものである。
 
 
 
航空の歴史を反映し周辺には[[一般航空]]用の空港が高密度に存在し、小型飛行機の運用が盛んである。航空の基盤が整備されているため[[自作飛行機]][http://www.greaterdaytoneaa.org/]、[[グライダー]][http://www.soarccsc.com/index.shtml]、[[スカイダイビング]][http://storefront.dexonline.com/skydive-waynesville]など[[スカイスポーツ]]の人口も多い。
 
 
 
市の中心部をはじめ自転車道が整備されてきている。
 
 
 
== 教育 ==
 
[[画像:UniversityofDayton.jpg|right|thumb|250px|デイトン大学]]
 
 
 
デイトン都市圏内には著名な大学が2校ある。1つはダウンタウンの南約2km、[[NCR (企業)|NCR]]本社の近くにキャンパスを構える[[デイトン大学]]である。校名から州公立大学であると思われがちであるが、デイトン大学は[[1850年]]創立の[[カトリック教会|カトリック]]系中規模[[私立大学]]である。同学は[[法学]]、特に[[特許]]・[[商標]]・[[著作権]]といった[[知的財産権]]の分野で定評がある<ref>http://www.law.udayton.edu</ref>。もう1つは東郊のフェアボーン市に立地する[[ライト州立大学]]である(ただし、ライト州立大学の正式な郵便用住所はフェアボーンではなく、デイトンになっている)。この州立大学の校名は[[ライト兄弟]]からつけられており、公式ロゴにも[[ライトフライヤー号]]が描かれている。[[マイアミ大学 (オハイオ州)|マイアミ大学]]と並んで西オハイオを代表する州立大学のひとつである同学は、[[1964年]]に[[オハイオ州立大学]]とマイアミ大学のデイトン分校を分離・統合してできた比較的新しい大学であるが、[[医学]]と航空学の分野では高い評価を得ている。
 
 
 
このほか、デイトンには看護学や保健学などの分野で学士および準学士の学位を授与しているケターリング医科学校<ref>http://www.kcma.edu/AboutUs/index.html</ref>や、[[1887年]]にYMCAカレッジとして設立され、約24,000人の学生を抱える、全米最大規模の[[コミュニティ・カレッジ]]のひとつに数えられるシンクレア・コミュニティ・カレッジ<ref>http://www.sinclair.edu/about/index.cfm</ref>がキャンパスを置いている。
 
 
 
デイトンの[[K-12]]課程はデイトン公立学区の管轄下にある公立学校によって支えられている。デイトン公立学区は小学校24校(うち14校は中学校までの一貫教育)、中学校3校、高校7校を抱えている。これらデイトンの公立学校は合計17,000人の児童・生徒を抱え、オハイオ州内では第6の規模である。[[1990年代]]、デイトンの公立学校における生徒の学力はオハイオ州内で最低レベルであった。[[2000年代]]中盤に大規模な立て直しがなされ、学区は「緊急事態」 (''Academic Emergency'') から脱却し、「継続的改善」 (''Continuous Improvement'') に持ち直した。学校が新設され、デイトン初の女子校も設立された。デイトン公立学区は ''A New Day is Dawning'' (新しい日が明けていく)をモットーにしている。しかし[[2007年]]5月8日、教育課税案が否決され、その結果1クラスの人数が増加し、スクールバスなどの交通サービスや体育プログラムがカットされるなど、デイトンにおける教育行政事情は依然として厳しい。
 
 
 
[[日本人学校]]は近隣にないので、日系自動車工場のある[[トロイ (オハイオ州)|トロイ]]の[[オハイオ西部日本語学校(補習校)]]<ref>http://wohjpschool.com/</ref>、もしくは[[コロンバス日本語補習校]]<ref>http://www.columbushoshuko.com/</ref>が最寄の学校となる。
 
 
 
== 文化 ==
 
[[デイトン美術館]]<ref>http://www.daytonartinstitute.org/</ref>は[[1919年]]にダウンタウンの豪邸を利用して開館し、[[1930年]]にグレートマイアミ川をはさんだ対岸の現在の位置に移された。5,500m²を超える[[ルネサンス]]調の建物を有するこの美術館は[[1974年]]に国の歴史的ランドマークに指定された。同美術館は5,000年以上の時代にわたる、20,000点以上のコレクションを有している。[[ライト・パターソン空軍基地]]内にある[[国立アメリカ空軍博物館]]<ref>http://www.nationalmuseum.af.mil/</ref>は、[[1909年]]に[[ライト兄弟]]が開発したミリタリー・フライヤー号のレプリカをはじめ、400機以上の戦闘機や[[ミサイル]]を展示している。デイトン航空遺産国立歴史公園<ref>http://www.nps.gov/daav/</ref>はライト兄弟とポール・ローレンス・ダンバーを記念してつくられた、広さ350,000m²におよぶ歴史公園である。デイトン市域の南端にあるサンウォッチ・インディアン・ビレッジ<ref>http://sunwatch.boonshoftmuseum.org/</ref>は、[[12世紀]]の[[ネイティブ・アメリカン]]の村を再現した、マイアミバレーのネイティブ・アメリカンの歴史や[[フォート・エンシェント文化]]について学ぶことのできる野外博物館である。[[1971年]]から[[1988年]]にかけて発掘がなされ、その後一般に公開された。サンウォッチ・インディアン・ビレッジは国の史跡および歴史的ランドマークの両方に指定されている。
 
 
 
演技芸術の施設もいくつかある。ダウンタウンにあるベンジャミン・アンド・マリアン・シュスター演技芸術センターではデイトン・フィルハーモニック・オーケストラやデイトン・オペラが公演を行っているほか、各種コンサートや講演、[[ブロードウェイ]]の[[ミュージカル]]の公演も行われている。同じくダウンタウンに立地するビクトリア・シアター<ref>http://www.victoriatheatre.com/</ref>は[[1866年]]にターナー・オペラハウスとして建てられた歴史的な建物である。[[1967年]]にデイトンの経済状態の悪化のために取り壊されそうになったが、国の史跡に指定されたことで取り壊しを免れた。[[2003年]]にベンジャミン・アンド・マリアン・シュスター演技芸術センターが開館するまではデイトン・フィルハーモニック・オーケストラやデイトン・オペラはここで公演を行っていた。現在では各種演劇やミュージカル、[[バレエ]]の公演が行われている。
 
 
 
<gallery>
 
Image:Dayton art institute exterior evening 2005.jpg|デイトン美術館
 
Image:National Museum of the United States Air Force.jpg|[[国立アメリカ空軍博物館]]
 
Image:SunWatchVillage.jpg|サンウォッチ・インディアン・ビレッジ
 
Image:Victoria Theatre (Dayton).jpg|ビクトリア・シアター
 
</gallery>
 
 
 
デイトンの南に隣接する[[ケッターリング (オハイオ州)|ケッターリング]]市にあるフレイズ・パビリオンでは国内外で名を知られるミュージシャンのコンサートが行われる。ダウンタウンの南、グレートマイアミ河畔にあるデイトン大学アリーナは[[デイトン大学]]のスポーツイベントのほか、コンサートや各種イベントの会場としても使用されている。デイトンの西に隣接する[[トロットウッド (オハイオ州)|トロットウッド]]市にあるハラ・アリーナや、[[ライト州立大学]]のキャンパスの近くにあるナッター・センターもスポーツイベントやコンサートの会場として使われる。ハラ・アリーナではデイトンアマチュア無線協会が北米最大であるばかりでなく世界で最も有名な[[アマチュア無線]]祭([[デイトンハムベンション]])を毎年開催している<ref>http://www.hamvention.org/</ref>。ナッター・センターはライト州立大学のスポーツチームや、地元のプロ[[アイスホッケー]]チーム、[[デイトン・ボンバーズ]]のホームとなっている。
 
 
 
[[全米アマチュアトラップ射撃協会]]<ref>http://www.shootata.com/</ref>とトラップ射撃博物館<ref>http://www.traphof.org/index2.htm</ref>が[[デイトン国際空港]]の近隣にあり、日本から競技銃を調達しにくる人もいる。
 
 
 
== 人口動態 ==
 
{{Wikisource|オハイオ州デイトン市の人口統計データ}}
 
 
 
===都市圏人口===
 
デイトンの都市圏、および広域都市圏を形成する各郡の人口は以下の通りである(2010年国勢調査)<ref name="FactFinder" />。
 
 
 
;デイトン都市圏
 
{| class="wikitable" style="width: 80%; text-align:center; margin: 0 auto 0 auto;"
 
! 郡 !! 州 !! 人口
 
|-
 
| '''[[モンゴメリー郡 (オハイオ州)|モンゴメリー郡]]''' || [[オハイオ州]] || align="right" | 535,153人
 
|-
 
| [[グリーン郡 (オハイオ州)|グリーン郡]] || オハイオ州 || align="right" | 161,573人
 
|-
 
| [[マイアミ郡 (オハイオ州)|マイアミ郡]] || オハイオ州 || align="right" | 102,506人
 
|-
 
| [[プレブル郡 (オハイオ州)|プレブル郡]] || オハイオ州 || align="right" | 42,270人
 
|- style="background-color:#e0e0e0"
 
| colspan="2" | '''合計''' || align="right" | 841,502人
 
|}
 
 
 
;デイトン・スプリングフィールド・グリーンビル広域都市圏
 
{| class="wikitable" style="width: 80%; text-align:center; margin: 0 auto 0 auto;"
 
! 都市圏/小都市圏 !! 郡 !! 州 !! 人口
 
|-
 
| colspan="3" | '''デイトン都市圏''' || align="right" | 841,502人
 
|-
 
| スプリングフィールド都市圏 || [[クラーク郡 (オハイオ州)|クラーク郡]] || オハイオ州 || align="right" | 138,333人
 
|-
 
| グリーンビル小都市圏 || [[ダーク郡 (オハイオ州)|ダーク郡]] || オハイオ州 || align="right" | 52,959人
 
|-
 
| アーバナ小都市圏 || [[シャンペーン郡 (オハイオ州)|シャンペーン郡]] || オハイオ州 || align="right" | 40,097人
 
|- style="background-color:#e0e0e0"
 
| colspan="3" | '''合計''' || align="right" | 1,072,891人
 
|}
 
 
 
===市域人口推移===
 
以下にデイトン市における[[1850年]]から[[2010年]]までの人口推移をグラフおよび表で示す<ref>Gibson, Campbell. [http://www.census.gov/population/www/documentation/twps0027.html Population of the 100 Largest Cities and Other Urban Places in the United States: 1790 to 1990]. US Census Bureau. 2005年.</ref>。
 
 
 
{| class="wikitable" style="float:right; margin-left:3px; text-size:80%; text-align:right"
 
! 統計年 !! 人口
 
|-
 
| [[1850年]] || 10,977人
 
|-
 
| [[1860年]] || 20,081人
 
|-
 
| [[1870年]] || 30,473人
 
|-
 
| [[1880年]] || 38,678人
 
|-
 
| [[1890年]] || 61,220人
 
|-
 
| [[1900年]] || 85,333人
 
|-
 
| [[1910年]] || 116,577人
 
|-
 
| [[1920年]] || 152,559人
 
|-
 
| [[1930年]] || 200,982人
 
|-
 
| [[1940年]] || 210,718人
 
|-
 
| [[1950年]] || 243,872人
 
|-
 
| [[1960年]] || 262,332人
 
|-
 
| [[1970年]] || 243,601人
 
|-
 
| [[1980年]] || 193,536人
 
|-
 
| [[1990年]] || 182,044人
 
|-
 
| [[2000年]] || 166,179人
 
|-
 
| [[2010年]] || 141,527人
 
|}
 
 
 
<timeline>
 
Colors=
 
id:lightgrey value:gray(0.9)
 
id:darkgrey value:gray(0.8)
 
id:sfondo value:rgb(1,1,1)
 
id:barra value:rgb(0.6,0.7,0.8)
 
 
 
ImageSize = width:600 height:500
 
PlotArea = left:50 bottom:50 top:30 right:30
 
DateFormat = x.y
 
Period = from:0 till:280000
 
TimeAxis = orientation:horizontal
 
AlignBars = justify
 
ScaleMajor = gridcolor:darkgrey increment:100000 start:0
 
ScaleMinor = gridcolor:lightgrey increment:10000 start:0
 
BackgroundColors = canvas:sfondo
 
 
 
BarData=
 
bar:1850 text:1850
 
bar:1860 text:1860
 
bar:1870 text:1870
 
bar:1880 text:1880
 
bar:1890 text:1890
 
bar:1900 text:1900
 
bar:1910 text:1910
 
bar:1920 text:1920
 
bar:1930 text:1930
 
bar:1940 text:1940
 
bar:1950 text:1950
 
bar:1960 text:1960
 
bar:1970 text:1970
 
bar:1980 text:1980
 
bar:1990 text:1990
 
bar:2000 text:2000
 
bar:2010 text:2010
 
 
 
PlotData=
 
color:barra width:15 align:center
 
 
 
bar:1850 from: 0 till:10977
 
bar:1860 from: 0 till:20081
 
bar:1870 from: 0 till:30473
 
bar:1880 from: 0 till:38678
 
bar:1890 from: 0 till:61220
 
bar:1900 from: 0 till:85333
 
bar:1910 from: 0 till:116577
 
bar:1920 from: 0 till:152559
 
bar:1930 from: 0 till:200982
 
bar:1940 from: 0 till:210718
 
bar:1950 from: 0 till:243872
 
bar:1960 from: 0 till:262332
 
bar:1970 from: 0 till:243601
 
bar:1980 from: 0 till:193536
 
bar:1990 from: 0 till:182044
 
bar:2000 from: 0 till:166179
 
bar:2010 from: 0 till:141527
 
 
 
PlotData=
 
 
 
bar:1850 at:10977 fontsize:XS text: 10977 shift:(15,0)
 
bar:1860 at:20081 fontsize:XS text: 20081 shift:(15,0)
 
bar:1870 at:30473 fontsize:XS text: 30473 shift:(15,0)
 
bar:1880 at:38678 fontsize:XS text: 38678 shift:(15,0)
 
bar:1890 at:61220 fontsize:XS text: 61220 shift:(15,0)
 
bar:1900 at:85333 fontsize:XS text: 85333 shift:(15,0)
 
bar:1910 at:116577 fontsize:XS text: 116577 shift:(17,0)
 
bar:1920 at:152559 fontsize:XS text: 152559 shift:(17,0)
 
bar:1930 at:200982 fontsize:XS text: 200982 shift:(17,0)
 
bar:1940 at:210718 fontsize:XS text: 210718 shift:(17,0)
 
bar:1950 at:243872 fontsize:XS text: 243872 shift:(17,0)
 
bar:1960 at:262332 fontsize:XS text: 262332 shift:(17,0)
 
bar:1970 at:243601 fontsize:XS text: 243601 shift:(17,0)
 
bar:1980 at:193536 fontsize:XS text: 193536 shift:(17,0)
 
bar:1990 at:182044 fontsize:XS text: 182044 shift:(17,0)
 
bar:2000 at:166179 fontsize:XS text: 166179 shift:(17,0)
 
bar:2010 at:141527 fontsize:XS text: 141527 shift:(17,0)
 
 
 
</timeline>
 
 
 
== 姉妹都市 ==
 
デイトンは以下の5都市と[[姉妹都市]]提携を結んでいる<ref>http://www.sister-cities.org/</ref>。
 
 
 
* {{flagicon|Germany}} [[アウクスブルク]]([[ドイツ]])
 
* {{flagicon|Israel}} [[ホロン (イスラエル)|ホロン]]([[イスラエル]])
 
* {{flagicon|Liberia}} [[モンロビア]]([[リベリア]])
 
* {{flagicon|Japan}} [[大磯町]]([[日本]]・[[神奈川県]])
 
* {{flagicon|Bosnia and Herzegovina}} [[サラエヴォ]]([[ボスニア・ヘルツェゴビナ]])
 
  
 
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==
389行目: 81行目:
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
{{commonscat|Dayton, Ohio}}
 
 
* [http://www.ci.dayton.oh.us/ Official city website(英語版)]
 
* [http://www.ci.dayton.oh.us/ Official city website(英語版)]
* [http://www.daytondailynews.com Dayton Daily News(英語版)]
+
 
* [http://www.daytonmetrolibrary.org/ Dayton Metro Library(英語版)]
 
* [http://www.daytonhistorybooks.com Dayton History Books Online(英語版)]
 
* [http://www.dps.k12.oh.us Dayton Public Schools(英語版)]
 
* [http://www.greaterdaytonrta.org Greater Dayton RTA Bus Lines(英語版)]
 
* [http://www.ncr.com/history/history.htm History of NCR(英語版)]
 
* [http://www.med.wright.edu/visitors/nearby.html Visitors' information(英語版)] - [[ライト州立大学]]のサイトより
 
* [http://www.cr.nps.gov/history/online_books/daav/index.htm What Dreams We Have, The Wright Brothers and Their Hometown of Dayton, OH(英語版)]
 
* [http://www.city-data.com/city/Dayton-Ohio.html City-Data.com - Dayton, Ohio(英語版)]
 
* [http://www.wetwing.com/wright/dayton/dayton.html オハイオ州デイトンを訪ねて(デイトンのライト兄弟史跡1998年)]
 
* [http://maps.yahoo.com/maps_result.php?q1=Dayton%2C+OH Dayton, OH(Yahoo!Map地図)]
 
* [http://www.nps.gov/archive/daav/pla_map.htm デイトン航空史跡地図(英語)]
 
  
 
{{オハイオ州}}
 
{{オハイオ州}}

2018/8/13/ (月) 19:09時点における最新版

Montage dayton 1.jpg
デイトン市
City of Dayton
標語 : "Birthplace of Aviation(航空の発祥地)"
位置
デイトン市 の位置図
座標 : 西経84度11分30秒北緯39.75889度 西経84.19167度39.75889; -84.19167
歴史
設立 1796年4月1日
編入 1805年
行政
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
  オハイオ州
  モンゴメリー郡
 市 デイトン市
地理
面積  
  市域 147.0 km2 (56.6 mi2)
    陸上   144.0 km2 (55.7 mi2)
    水面   2.0 km2 (0.9 mi2)
      水面面積比率     2.0%
標高 225 m (738 ft)
人口
人口 (2010年現在)
  市域 141,527人
    人口密度   982.8人/km2(2,540.9人/mi2
  都市圏 841,502人
公式ウェブサイト : http://www.cityofdayton.org

デイトン (Dayton)

アメリカ合衆国、オハイオ州南東部、グレート・マイアミ川に臨む都市。

豊かな農業地帯に立地し、農産物の市場でもあるが、軽工業を軸とした工業都市としても重要である。とくに金銭登録機、電気冷蔵庫や家庭用品、自動車部品の生産が高く、印刷業も盛ん。また、1903年にここで生まれたライト兄弟の初飛行成功によって、以後合衆国の飛行・航空技術研究のリーダー都市の一つとして高く評価されており、ライト・パターソン空軍基地の所在地でもある。

古くはニュー・オーリンズ向けの農産物の積出し地であったが、南北戦争前後の運河、鉄道、さらに工業の発達で急成長した。

工業都市の活気とともに文化の香りも高く、イタリア・ルネサンス様式の美しいデイトン美術館は同市のシンボルとなっている。

1995年、市域の空軍基地でボスニア・ヘルツェゴビナ和平協定が合意された(デイトン合意)。

脚注

外部リンク