テレビ新潟放送網

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テレビ新潟放送網
放送対象地域 新潟県
ニュース系列 NNN
番組供給系列 NNS
略称 TeNY
愛称 TeNY
テレビ新潟
呼出符号 JOPI-DTV
呼出名称 テレビにいがた
デジタルテレビジョン
開局日 1981年4月1日
本社 〒950-8555
新潟県新潟市中央区新光町1番11号
演奏所 本社と同じ
リモコンキーID 4
デジタル親局 新潟 26ch
アナログ親局 新潟 29ch
ガイドチャンネル 29ch
主なデジタル中継局 #チャンネル参照
主なアナログ中継局 #アナログテレビ放送参照
公式サイト http://www.teny.co.jp/
特記事項:
1998年1月1日に、TNNからTeNYに略称を変更。
テンプレートを表示
ファイル:TeNY本社タワー.jpg
展望塔型の送信塔(通称TeNYタワー)

株式会社 テレビ新潟放送網(テレビにいがたほうそうもう、Television Niigata Network Co., Ltd.)は、新潟県全域を放送対象地域としたテレビジョン放送事業を行っている特定地上基幹放送事業者である。

通称はテレビ新潟、略称と愛称はそれをもじったTeNY(テニィ)。

コールサインJOPI-DTV(新潟 26ch)。日本テレビ系列NNNNNS)のフルネット局で、リモコンキーIDはキー局の日本テレビ放送網と同じ「4」。

キャッチフレーズは「あなたとわたしとてとてとTeNY」(2017年4月1日から)。

概要

開局は1981年4月で、新潟県内で3番目に開局した民放テレビ局である。日本テレビ系列局では唯一、社名に日本テレビ放送網と同じく「放送網」の字が入る。

1973年、新潟県に3局目の民放テレビ局の開局枠が割り当てられたものの、免許を申請した業者が余りにも多数で一本化できず、各社間の調整にも失敗したため結局申請は却下、第一次オイルショックによる不況も重なって計画は立ち消えとなった(ただし、枠そのもの(29ch)はそのまま残った)。その後、1980年8月ごろの会合により新潟県に民放テレビの第3・4局の割り当てがあり、先に日本テレビ系である第3局(29ch・本局)が割り当てられ、次にテレビ朝日系列局の第4局(21ch、新潟テレビ21(NT21のちのUX)・1983年10月1日開局)が割り当てられた。 開局当初の略称は、英語の登記名「Television Niigata Network」の頭文字からとった「TNN」(ティエヌエヌ)。特徴的なロゴデザインで、2文字目のNは字画の先端が上下に大きく伸び、電波を表していた。

日本軽金属新潟工場(現在は新潟県庁などが立地)に隣接する信濃川右岸、新潟市新光町に本社を建設。社屋には当時県内で最大面積となる100坪のテレビスタジオと、「TNNタワー」と呼ばれる展望塔型の送信塔が設けられた。1980年9月19日に予備免許を取得。当初は翌1981年の秋の開局を目指していたが、キー局の日本テレビのドル箱番組だった巨人戦中継を放送するため[注 1]、同年4月のプロ野球シーズン開幕に何とか間に合わせるため、翌年4月の開局を目指して急ピッチで準備を進めることになった。又、当時日本テレビ系列のNNN-NNSに加入していたNSTは、他にフジテレビ系列(FNN-FNS)、テレビ朝日系列(ANN)とのクロスネットを行っており[注 2]、番組の自社制作に消極的な姿勢も一部見られた背景から、本局は積極的に自社番組を制作し、県内・外の情報を県民により多く発信することも方針付けられた。

こうして1981年3月25日にサービス放送を、4月1日に本放送を開始した。開局にあわせてイメージソング「Yes My Song」(作詞:森雪之丞、作曲:小六禮次郎、歌:サーカス)も制作された。若者達が気球を膨らませてゆく、若々しいイメージのステーションブレイクを放送して新しいテレビ局をアピールした。

旧略称・TNNの時代は「Yes My TNN」というキャッチフレーズで親しまれた。「わたしのテレビ・TNN」を意味しており、県民にとって身近な存在のテレビ局でありたいという理念を示したものだった。自社番組を「Yes Myシリーズ」と銘打って「Yes My お天気」「Yes My お店往来」「土曜ワイドYES MYにいがた」など、タイトルの冠に「Yes My」を付けていた他、社主催のイベントにも「Yes My 映画試写会」「Yes My スキーツアー」と銘打つなど様々なシーンで使用されていた(但し後年についてイベントなどは「TNN」「テレビ新潟」という冠を付けるケースが多かった)。

1998年1月1日CI導入によりマーク・社名ロゴなどを一新、略称を「テレビ」と「新潟」の頭文字をアレンジした「TeNY」(テニィ)に変更、併せて新しいイメージソング「手と手と手とTeNY」[注 3]も制作された[注 4]。なお、旧ロゴは放送上ではほぼ淘汰されたものの、現在もTeNY本社本館前、車寄せのひさし部分には「テレビ新潟」の旧ロゴのエンブレムが掲げられている他、新潟駅万代口、JR東日本新潟支社の屋上に設置された中継アンテナも「TNN テレビ新潟」の旧ロゴのままである。この他、カラーバーなどごく一部にも「テレビ新潟」の旧ロゴが残存している。

2013年4月1日より、新たなロゴデザインが登場。自社製作のバラエティ番組・ホームページ等で使用を開始した。あくまでも正式なロゴマークは従来からのものであり、報道関係・各種広報・画面上のウォーターマーク等では継続して従来からのロゴを使用していたが、2017年4月1日から2013年に使用を開始したロゴデザインに変更された[1][2]

番組の傾向

開局以後、前述の方針を遵守して積極的に自社番組の制作に取り組んだ。土曜正午のトークバラエティ「嫁さんきなせや」にはMCに宮尾すすむを招くなど芸能人を起用した。なお、「嫁さんきなせや」のアシスタントは、当時、同局のアナウンサーだった坂上みきが担当していた。

また平日夕方のローカルニュース「にいがたNOW」は、新潟放送の「BSNニュースワイド」などと並ぶローカル報道番組に成長した。1990年代に入ると土曜昼の生放送による情報番組「てんこもりテレビ」「情報山脈テレビDON!」など生ワイド番組の制作にも乗り出した。これらが昇華して平日帯のローカル情報番組「夕方ワイド新潟一番」へとつながり、県内民放各局の夕方生ワイド番組に先鞭を付けた。本局はこの「夕方ワイド新潟一番」の番組広告を皮切りに、1996年から現在まで新潟交通のバスカードに企業広告を出している(現在はTeNYデジタル放送のPR広告)。また本局は日本テレビや札幌テレビなどと共同でウラジオストクなどロシア極東地方の主要都市に支局を開設、これら地域のニュースや経済情報を伝える「ヴォストーク」は日本海側各県のブロックネット番組にもなった。

日本テレビが制作・プロモーションなどで関係している映画では、主役俳優らに系列各局のキャッチフレーズを叫んでもらい(いわゆる「怒鳴り」)、ステーションブレイクを兼ねた映画宣伝のスポットCMとして各局で放送しているが、当局の場合は前述のキャッチフレーズ「手と手とテニィ」が使われている。2005年には映画「宇宙戦争」の監督スティーヴン・スピルバーグもこの「手と手とテニィ」のステーションブレイク(5秒スポット)に登場した。

積極的な自社番組制作などで実績を挙げている当局だが、開局以来ほぼ全く同じ内容で放送を続けているCMが現在もいくつか残存している。このうち代表的なものが当局の発起人企業の一つでもある丸新新津グループ(現・丸新グループ)のCMで、松山千春空 〜翼をひろげて」をBGMに、飯豊連峰を登山する社員達の姿が描かれている。開局前に撮影・制作されたものだが、映像構成やナレーション、BGMの入れ替えなど細かな修正を加えた以外はほぼ開局当時のままである。現在も木曜20時54分の「TeNYニュース」内などで放送されている。

前述の新潟駅にある中継アンテナは、駅前からの中継を行う際に、以前は月曜から金曜毎日駅前からの中継があり毎度の中継アンテナ、中継システムのセッティングを簡略化するため、JRの協力を得て、固定設置されたものである。「夕方ワイド新潟一番」の駅前中継、報道で使用される。

地上波デジタル放送

地上波デジタル放送は、アナログ-アナログ変換の都合もあり、総務省の計画により2006年10月1日に放送開始が設定され、同日に開始された。東京キー局から新潟へ送られる光ファイバーによるハイビジョン・デジタル中継回線は、NHK及び新潟県内民放のキー局4局からのものは既に2006年1月には整備を完了していたこともあり、同局は同日地上波デジタル放送を開始する放送局中では、全国で最も早く同年6月5日にサイマル試験放送を始めることができた。しかし、日本テレビ系列局の中でローカル面でのハイビジョン化の切り替えのスピードの出足は最も遅れた方で、自社制作番組においてのハイビジョン制作は開始当初、外部のカメラ取材を編集して制作したデジタル放送開始記念番組程度位だった。その後、報道用のハイビジョン中継車を2007年4月に県内民放で初めて導入し[注 5]、それを「ズームイン!!SUPER」や日本テレビでの報道番組の生中継等で稼動させ、同年10月1日からはようやくニュースセンターのスタジオがハイビジョン化され、これに伴い、重要な報道やハイビジョンとして報道する価値があるものについては、ハイビジョンでの取材を行うようになった[注 6]2008年6月8日には、ようやく自社の報道用ハイビジョン中継車を使ったローカル単発番組のハイビジョン生中継番組を制作、放送するようになり(「トキ・・・未来へつなごう」)、翌年1月13日にはメインスタジオを始めとする放送局舎を全面ハイビジョン化させ、この日の「夕方ワイド新潟一番」の年始第1回から、一部の中継の場合を除きローカル番組を全部ハイビジョン化させた。新潟県内の民放で放送センターの局舎を全面ハイビジョン化させたのは、NST、BSNに次いでTeNYが3番目である。

スカパー!との業務協力(作成依頼)により、Jリーグ中継のうちデンカビッグスワンスタジアムで開催されるアルビレックス新潟戦の多くを制作している。

チャンネル

日本テレビ系列のリモコンキーID地図

親局・中継局ともに、リモコンIDは4

  • 親局:26ch JOPI-DTV 弥彦送信所(出力:3kW)
  • 中継局
  • 高田 31ch
  • 津南 25ch
  • 新井 47ch
  • 守門 36ch
  • 妙高高原 47ch
  • 三川 45ch
  • 津川 45ch
  • 村上 31ch
  • 村松 45ch
  • 高柳 39ch
  • 津南上郷 25ch
  • 両津 37ch
  • 外海府 32ch
  • 関川 47ch
  • 青海 25ch
  • 小出 30ch
  • 相川 32ch
  • 湯沢 26ch
  • 栃尾 47ch
  • 川口 26ch
  • 鹿瀬 26ch
  • 大和 36ch
  • 津南田中 26ch
  • 六日町 36ch
  • 高千 26ch
  • 糸魚川大野 25ch
  • 糸魚川早川 36ch
  • 朝日 36ch
  • 府屋 36ch
  • 土樽 37ch
  • 安塚 34ch
  • 勝木 24ch
  • 小千谷真人 38ch
  • 中里 49ch
  • 黒川 36ch
  • 湯之谷 30ch
  • 柿崎 32ch
  • 松代 34ch
  • 新発田赤谷 42ch
  • 越路 41ch
  • 鯖石 22ch
  • 塩沢 47ch
  • 新津 47ch
  • 牧 47ch
  • 下相川 26ch
  • 牛野尾谷 48ch
  • 関川女川 37ch
  • 津南中津 25ch
  • 柏崎山口 30ch
  • 中郷 50ch
  • 宮古木 24ch

アナログテレビ放送

2011年7月24日停波時点

  • 送信所:29ch JOPI-TV 弥彦送信所(出力=映像:30kW 音声:7.5kW)
  • 中継局
  • 高田 27ch
  • 相川 56ch
  • 小出 41ch
  • 津南 55ch
  • 村上市村上 44ch
  • 高柳 46ch
  • 守門 59ch
  • 関川 61ch
  • 青海 41ch
  • 三川 62ch
  • 牧 53ch
  • 村上市府屋 41ch
  • 村上市勝木 59ch
  • 両津 42ch
  • 高千 60ch
  • 安塚 42ch
  • 新井 59ch
  • 村松 59ch
  • 栃尾 60ch
  • 塩沢 60ch
  • 土樽 52ch
  • 越路 59ch
  • 新津 38ch
  • 小千谷真人 56ch
  • 川口 42ch
  • 大和 60ch
  • 黒川 60ch
  • 中里 32ch
  • 鹿瀬 40ch
  • 村上市朝日 41ch
  • 早川 42ch
  • 湯沢 42ch
  • 糸魚川 27ch
  • 津川 53ch
  • 湯之谷 25ch
  • 六日町 59ch
  • 外海府 36/41ch
  • 下相川 41ch
  • 糸魚川大野 59ch
  • 川口大島 53ch
  • 妙高高原 32ch
  • 津南田中 50ch
  • 津南上郷 32ch
  • 津南中津 39ch
  • 柏崎鯖石 59ch
  • 柏崎山口 41ch
  • 関川女川 40ch

資本構成

企業・団体の名称、個人の肩書は当時のもの。出典:[3][4][5][6]

2017年1月1日

資本金 授権資本 1株 発行済株式総数 株主数
10億円 30億円 500円 2,000,000株 75
株主 株式数 比率
読売新聞グループ本社 398,900株 19.94%
日本テレビホールディングス 270,800株 13.54%

過去の資本構成

沿革

  • 1980年
    • 9月5日 - 第1回発起人会が開かれる。
    • 9月19日 - テレビ放送予備免許取得・開局準備室開設。
    • 10月23日 - テレビ新潟放送網創立。等々力英男(新潟トヨタ自動車社長)が社長就任。
  • 1981年
    • 2月27日 - 日本テレビ「ズームイン!!朝!」において、当時テレビ新潟のアナウンサー小林美樹が、試験電波送信前の弥彦山送信所から同番組の新潟県からの初の生中継を行う。サービス放送開始前だったが、これがテレビ新潟初の放送業務及び生中継となった。
    • 3月7日 - 初めての試験電波を発射[注 9]。送出用マスターはNEC製、送信機は東芝製。
    • 3月24日 - アナログ・テレビ放送本免許取得。
    • 3月25日 - サービス放送開始(同時に県内2局目の音声多重放送を行う)。
      • これに伴い、当初からENG(3/4インチU規格VTR使用)を使ったニュース取材を開始。
      • 番組送出用VTRは日立製(1インチ・2インチ共に)、CMバンク設備はNEC製。
      • サービス放送開始時には、親局の日本テレビが大型中継車を貸与する等の協力を行う。
    • 3月30日 - 日本テレビ「ザ・トップテン」番組開始前夜祭の中継の部分に於いて、小林幸子の出演で、テレビ新潟開局前夜祭特別番組を準備中の新潟県民会館から全国に生中継を行う。
    • 3月31日 - テレビ新潟開局前夜祭特別番組「はばたけ!テレビ新潟 YES MY スーパースター夢の饗宴」を18:00 - 20:54に新潟県民会館から生放送した(日本テレビが制作と技術面で協力した)。司会は徳光和夫(当時日本テレビアナウンサー)と久米宏(現在もフリー)の2人で、これが初共演だったという。ゲストには地元新潟市出身の小林幸子らが出演した。
    • 4月1日 - 新潟県3番目の民放テレビ局として開局(本放送を開始)。開局当時の略称はTNN
      • 開局記念の1つとして、日本テレビの「ズームイン!!朝!」のキーステーションが新潟に置かれ、同番組司会の徳光和夫が新潟市から生中継を行い、また同局の初代5人のアナウンサー全員が番組内で全国に紹介された。
    • 4月21日 - 日本テレビ制作の全民間テレビ放送局で放送された「放送広告の日」特別番組で、開局して間もないテレビ新潟が紹介され、同局の初代5人のアナウンサー全員が登場。自己紹介し、当時の日本の全民間テレビ放送局にてその模様が放送される。
    • 5月下旬 - ローカル枠の天気予報の一部がステレオ化される[注 10]
    • 6月 - 大型中継車導入(音声多重放送対応)。
    • ジャイアント馬場の地元三条市三条市総合体育館にて、日本テレビと共同で「全日本プロレス中継」の公開実況録画中継を行う。プロレス中継の日本テレビとの共同制作は同局初。音声はステレオ。
    • 6月19日 - 本社社屋落成(スタジオ面積100坪)。
    • 7月6日 - 日本テレビの番組「ザ・トップテン」の新潟市からの全国中継で、導入したばかりの自社の大型中継車を使って、新潟ローカル局ではテレビ番組初のステレオ生中継を行う[注 11]
    • 8月16日 - 日本テレビの「第4回 日本民謡大賞」の新潟県予選大会の模様を、同局ローカル制作番組初(天気予報等を除く)のステレオで放送する[注 12]
  • 1982年3月 - 開局1周年記念として地元[注 13]出身の林家こん平の独演会と日本テレビ「笑点」の公開録画(2回分)を長岡市立劇場にて行う[注 14]
  • 1983年4月4日 - 新潟県初のローカルステレオレギュラー番組「弥生のサウンド飛行船」、「ビート・オン・ポップ '83」の2番組が放送開始[注 15]
  • 1986年4月1日 - 中国 黒龍江電視台と姉妹局協定調印。
  • 1988年6月30日 - 新津義雄(丸新グループ社長)が社長就任。
  • 1990年
    • 8月29日 - ソ連 沿海地方テレビ・ラジオ委員会と放送協力協定締結。
    • 9月1日 - ソ連 ハバロフスク地方テレビ・ラジオ委員会と放送協力協定締結。
  • 1991年
    • 4月23日 - ソ連 イルクーツクテレビ・ラジオ委員会と放送協力協定締結。
    • 7月18日 - ソ連 サハリンテレビ・ラジオ委員会と放送協力協定締結。
    • 11月 - 社史『写真でつづる テレビ新潟10年のあゆみ』を発行[7]
  • 1992年4月4日 - 「てんこもりテレビ」スタート。
  • 1993年6月30日 - 常盤恭一(元日本テレビ常務)が社長就任。
  • 1994年
    • 3月1日 - 日本テレビ・札幌テレビなどと共同でNNN/TNNウラジオストク支局開設
    • 4月2日 - 「てんこもりテレビ」に替わり、「情報山脈テレビDON!」がスタート。
    • 4月28日 - 北川信(元日本テレビ専務)が社長就任。
  • 1995年10月2日 - 「夕方ワイド新潟一番」スタート。
  • 1997年
  • 1998年
    • 1月1日 - CI実施。略称を「TNN」から「TeNY」に変更。
    • 2月 - 字幕放送開始。
    • 6月17日 - 弥彦親局送信機更新(東芝製)。
  • 1999年4月3日 - 「エレベスト」スタート。
  • 2000年4月 - 終夜放送開始
  • 2002年
  • 2003年
  • 2005年
    • 6月10日 - 地上デジタル放送の予備免許を取得(新潟のNHK、他の民放テレビ3局も同時に取得)[注 16]
    • 10月1日 - 弥彦親局、地上デジタル放送の試験電波を送信。地上波デジタル放。送用の送信機は東芝製。
    • 10月21日 - 弥彦親局より地上デジタル放送の試験放送を開始(県内初。出力3kW)。
  • 2006年
    • 4月1日 - TeNY開局25周年。
    • 5月27日28日 - 「開局25周年記念大感謝祭・新潟一番の日」を新潟市産業振興センターで開催。
    • 6月5日 - 本社主調整室(マスター)を東芝製のアナログ・デジタル統合型のものに更新。同日午前5時20分の「ズームイン!!SUPER」より、地上波デジタル放送のサイマルサービス試験放送、データ放送及びワンセグの各試験放送開始(その模様は同日の新潟一番内のニュースの最後で紹介された)[注 17]
    • 9月1日 - 10月8日 - 新潟テレビ21(UX)と共同で地上波デジタル放送開始のキャンペーンを実施。
    • 9月25日 - 地上デジタル放送の本免許を取得(新潟テレビ21も同日に取得)。[8]
    • 9月30日 - 開局25周年・長岡市制施行100周年記念として日本テレビ「笑点」の公開録画を長岡市立劇場にて行う[注 18]
    • 10月1日 - 地上デジタル本放送開始。UHF26ch、コールサインJOPI-DTV、出力3kW、チャンネルはリモコンキーID4
  • 2007年
    • 4月 - 県内民放では初めて自社としての報道・簡易中継用のハイビジョンSNGFPU中継システムを導入。「ズームイン!!SUPER」の新潟県内からの中継等で使用を開始する。
    • 10月1日 - ニューススタジオの映像サブ(調整卓)がハイビジョン対応化され、ローカルニュース及び天気予報の多くがハイビジョン放送となる。
  • 2008年
    • 5月12日 - お天気カメラがハイビジョン化される。
    • 6月8日 - 同局初の単発ハイビジョン生中継ローカル番組『TeNY Touch eco スペシャル「トキ…未来へつなごう」』を放送[注 19]
    • 9月25日 - 27年ぶりに佐渡市にて野生放鳥されたトキの試験放鳥のニュース内での佐渡市現地からの中継を、県内の民放では唯一ハイビジョンにて生中継。同時に、同模様の取材映像を、県内民放でいち早くハイビジョンにて放映した。
    • 12月末頃 - 「夕方ワイド新潟一番」の駅前中継用のFPUを除き、同局が所有するFPU・SNGが全てハイビジョン化される。
  • 2009年
    • 1月12日 - アナログ及びデジタル、ワンセグの全放送にてウォーターマークの表示が開始される[注 20]
    • 1月13日 - メインスタジオを始めとする新潟本社局舎内が全面ハイビジョン化される。これに伴い、この日の「夕方ワイド新潟一番」からメインスタジオのハイビジョン運用を開始する。
    • 6月1日 - 「夕方ワイド新潟一番」の駅前中継用のFPUがハイビジョン仕様に交換され、同中継がハイビジョン化される。これにより、同局のFPU・SNGの全面ハイビジョン化が完了する(県内民放初)[注 21]
    • 7月13日 - データ放送がリニューアルされる。(日本テレビが系列局向けのデータ放送をリニューアルしたため)
    • 9月28日 - 天気予報画面がハイビジョン対応となる。
  • 2010年
    • 4月5日 - 日本テレビが生放送以外の番組のレターボックス化に伴い、日本テレビ制作の番組がアナログ放送ではレターボックス表示となる。
    • 7月5日 NHK日本民間放送連盟の協定により、一部の再放送を除く全ての番組がハイビジョンと同じ16:9のアスペクト比での放送となると同時に、アナログ放送に於いてSDのCMを除く全てがレターボックス表示となる(SD再放送番組については、上下左右に黒帯が出る額縁放送となる)。
  • 2011年
    • 4月1日 - TeNY開局30周年。
    • 7月24日 - 正午、アナログテレビ放送が終了。同日の23時56分には、同電波が完全に停波する。
  • 2012年6月28日 - 前川磐が社長を退き会長に就任。室川治久(元日本テレビ社会情報局チーフプロデューサー)が社長に就任。
  • 2013年4月1日
    • 局の新たなロゴデザインが登場。テレビ・ホームページにて使用開始(従来からのロゴも継続して使用)。
    • 同局の犬の新キャラクターが登場。約2か月後には、名前が「てっと君」に決まる。
  • 2014年8月30日 - 自局初の「てっと君」のキャラクターグッズの販売を開始する。まず期間限定で、この日と翌日に行われた24時間テレビの一部の募金会場にて行った。

ネットワークの移り変わり

主な番組

主な自社制作番組

以下3つの番組は、土曜 11:40 - 11:55に放送されている(週によって番組が違う)。

※その他にスカパー!Jリーグ中継アルビレックス新潟ホームゲーム中継の制作(Jリーグ・スカパーからの委託製作)も手がけている。

過去の自社制作番組

主なネット番組

日本テレビ系の番組

テレビ東京系の番組

その他

過去に放送された番組

テレビ東京系

ほか

日本テレビ系(ローカルセールス)

開局時に移行した番組

BSNからの移行番組

ほか

NSTからの移行番組

ほか

アナウンサー

元アナウンサー

他部署へ異動

男性
  • 駒形正明(元NHK。1981年-。TeNYサービス代表取締役社長)
  • 小幡章(1981年-。TeNYサービス取締役 てっと君グッズ担当)
  • 椎谷淳(営業部)
  • 鈴木英門 (1995年-。制作部)
女性
  • 紫竹聡子(宣伝マン→編成局編成部副部長・営業局営業企画開発部副部長→編成局編成部長・番組審議会事務局担当→現:編成局メディア開発部長。事業創造大学院大学修了)

退職

男性
女性

情報カメラ設置ポイント

オープニング・クロージング

  • 6代目(現行)てっと君のアニメーション(2018年1月〜現在)【ハイビジョン制作】
  • 5代目(?~2017年12月)【ハイビジョン制作】
    • オープニング「新潟の四季の風景」
    • エンディング「新潟の冬の雪の中での田舎の風景」
  • 4代目「手と手とTeNY」朱鷺バージョン(2006年10月1日~?)【ハイビジョン制作】
    • 冒頭に局ロゴ。CGの朱鷺が大空を飛び、次第に数が増えていく。その後地球を背景に飛び、テロップ「JOPI-DTV テレビ新潟デジタルテレビジョン」。ナレーションは朱鷺CGの冒頭に「JOPI-DTV、ご覧のチャンネルは、TeNY、テレビ新潟、デジタルテレビジョンです」、CGの終わりに「JOPI-DTV、こちらは、TeNY、テレビ新潟、デジタルテレビジョンです」(注:テロップとナレーションはデジタル版の場合)。
    • アナログ放送の場合、「テレビ新潟、デジタルテレビジョンです」が「テレビ新潟です」となる。
    • BGMは、局ロゴ表示の時のみ「手と手と手とTeNY」、それ以外は別の楽曲を使用。
    • それまでは平日深夜と日曜深夜の放送休止前のジャンクションは廃止されたが2008年7月24日からオープニングバージョンと同じスタイルで復活した[注 23]
    • 日曜深夜のクロージング後の放送休止前には「放送機器点検のため、本日の日テレNEWS24はお休みします」という表示が出る。コールサイン表示はなし。
  • 3代目「手と手とTeNY」ショートバージョン(TeNYでのNNN24放送開始~2006年9月30日)
    • VTRの冒頭で弥彦送信所の技術情報を表示し「JOPI-TV、TeNY、テレビ新潟です」のナレーションが入る。続いて、たくさんの人々が地球上で手をつないでゆくアニメーションの後、TeNYの社ロゴが映し出される15秒間の映像。BGMは「手と手と手とTeNY」(作詞:伊藤アキラ、作曲:小林亜星)。ナレーションは堀敏彦が行っていた。
    • 放送休止時間帯にNNN24(現・日テレNEWS24)の放送を行うのに伴い、後述のロングバージョンを短縮したものを制作した。以前は放送開始前のフィラーがあった。新潟県内の四季や風景をモチーフにした映像を主体にしたものだったが、現在は使用されていない。また新潟県中越地震後の翌2005年には休止時間帯に中越地震の被害の模様を綴った映像集をフィラーとして放送したこともあった。
  • 2代目「手と手とTeNY」ロングバージョン(1998年1月1日~TeNYでのNNN24放送開始)
    • 内容は前述の現行バージョンとほぼ同じ、イラストとTeNYのロゴをモチーフにした75秒間の映像。BGMは同じ「手と手と手とTeNY」だが、このバージョンではフルコーラス演奏。ナレーションは小幡章が行っていた。口上は初代のものと概ね同様で、クロージングにおけるコールサインの4回繰り返しでの読み上げおよび3回目・4回目の読み上げにエコーがエフェクトされる部分も踏襲された。
    • 「JOPI-TV」のアクセントは「じぇいおうぴいあい、てぃーびー」と、間延びはないが、IとTの間に一呼吸置いている。
    • 秘密のケンミンSHOWにてテレビ新潟を紹介した際にコレの一部分が流されBGMも流れた。
    • オープニングのナレーション:「JOPI-TV、JOPI-TV。映像周波数:567.25MHz、音声周波数:571.75MHz、映像出力:30kW、音声出力:7.5kW。こちらは29チャンネル、テレビ新潟です。なお、各地の中継局からはご覧のチャンネルでお送りします。今日もTeNY テレビ新潟の番組でお楽しみ下さい」
    • クロージングのナレーション:「今日もTeNY テレビ新潟をご覧頂きまして、ありがとうございました。これで本日の放送をすべて終了いたします。映像周波数:567.25MHz、音声周波数:571.75MHz、映像出力:30kW、音声出力:7.5kW。こちらは29チャンネル、テレビ新潟です。なお、各地の中継局からはご覧のチャンネルでお送りいたしました。JOPI-TV、JOPI-TV、JOPI-TV、JOPI-TV」(2回目のコールサインからエコーがかかり、回を追うごとにエコーのかかりが強くなっており、4回目になるとはっきり聞こえる)。
  • 初代「Yes My TNN」(1981年3月25日〈サービス放送開始〉~1997年12月31日)【フィルム制作】
    • オープニング・クロージング共新潟の風景・風物をモチーフにした油絵調のキャンバス画。BGMは開局当時のイメージソング「Yes My Song」(作詞:森雪之丞、作曲:小六禮次郎、歌:サーカス)。オープニングではデフォルトの歌入りのバージョンが、クロージングではサックスをメインにしたインストゥルメンタルのバージョンが使用された。ナレーションは開局当初は小林美樹が、彼女の退社(1984年4月)後は駒形正明が行っていた。
    • 音声は開局前のサービス放送開始当初からステレオ放送であった他、当時県内民放のOP/EDの中では技術情報が最も詳細で、弥彦送信所の周波数・出力・チャンネルと、中継局全局のチャンネルを表示していた。双方共にここまでやったのは、新潟のテレビ局では初めてであった(但し、送信所のチャンネルと中継局全局のチャンネル表示については、以前から既に、BSNテレビNSTでも行っていた)。
    • オープニングのナレーション:「JOPI-TV、JOPI-TV。映像周波数:567.25MHz、音声周波数:571.75MHz、映像出力:30kW、音声出力:7.5kW。こちらは29チャンネル、テレビ新潟です。なお、各地の中継局からはご覧のチャンネルでお送りします。“Yes My ふれあいネットワーク”今日もTNNテレビ新潟の番組でお楽しみ下さい」
    • クロージングのナレーション:「今日もTNNテレビ新潟をご覧頂きまして、ありがとうございました。これで本日の放送をすべて終了いたします。映像周波数:567.25MHz、音声周波数:571.75MHz、映像出力:30kW、音声出力:7.5kW。こちらは29チャンネル、テレビ新潟です。なお、各地の中継局からはご覧のチャンネルでお送りいたしました。JOPI-TV、JOPI-TV、JOPI-TV、JOPI-TV」(2回目のコールサインからエコーがかかり、回を追うごとにエコーのかかりが強くなっており、4回目になるとはっきり聞こえる)。
    • なお、サービス放送開始当初(1981年3月25日)から同年5月末までは、OP/ED共に「なお、各地の中継局からはご覧のチャンネルでお送りします(いたしました)」という部分は、中継局の整備がまだ本格化されていなかったため、カットされて放送していた。
    • 後に歌手の山本理沙がこの「Yes My song」(バップ)をソノシート化したが、OP/EDには使用されていない。
    • サービス放送開始時から1995年の阪神・淡路大震災を機に24時間送信(1999年から開始)を開始するまで、エンディングである放送終了直前には、「夜の小箱」というミニ番組が放映されていた[注 24]。また深夜帯のローカルの天気予報(5分枠、ステレオ放送)では、咲き誇る桜や関越自動車道を走る車窓からの映像が季節に応じてバックグラウンドに使われていた。
  • 手と手と手とTeNY(WAVEサウンド)

脚注

注釈

  1. 当時日本テレビの巨人戦中継は、新潟総合テレビ(NST)で放送されていたが、放送枠の都合で不定期放送となっていた。
  2. ちなみにNSTは、テレビ新潟開局後はフジテレビ系列とテレビ朝日系列のクロスネットとなり、その後、1983年10月1日のNT21→UX開局に伴い、フジテレビのフルネット局となり、現在に至る。
  3. キャッチフレーズは「手と手とTeNY」であるが、曲のタイトルには「手と」がもう1つ入る。作詞:伊藤アキラ、作曲:小林亜星
  4. このCI導入には、1990年代半ば、Windows 95の登場によるインターネットの大幅普及もあり、同局のWEBサイトを開設することになったが、ウェブサイトURIの取得の際、既に「www.tnn.co.jp」は他の会社が使用しており取得できず、仕方なく「www2(?).tnn.co.jp」を取得したが、それに関するアクセス・トラブルもあったことなども考慮し、新たな略称を設けたうえでウェブサイトを開設したかったという一因もある。なお、前記のアドレスは現在は使われていない。
  5. この時点ではすでに、TeNYから日本テレビへのハイビジョン上り中継回線は完備されていた。
  6. この時点においての報道取材のハイビジョン化の割合は、県内民放ではUXに続いて多く、県内民放で最も早くハイビジョン取材を行ったNSTよりも多くなった。また、これを機に、ハイビジョン上り回線等を使い、TeNYからのNNNの全国向けニュース素材のハイビジョンでの配信も開始した。
  7. テレビ新潟放送網 代表取締役社長。
  8. 丸新グループ 代表取締役。
  9. 初めの試験電波は、映像はカラーバーのみ。音声は2重音声で、主音声は1kHz、副音声は200Hzの正弦波によるもので、3分に1回、局名IDのアナウンスが主・副の各音声別に流れるものであった。
  10. CM送出用1インチVTRによる映像、音声をバックに天気情報が字幕で出る番組形態で実施。6:45の「NNN朝のニュース」内、20:45の「NNNニューススポット」の後、21:54の「NNN海外スポット」後の各ローカル天気予報枠、深夜の放送終了前のローカル天気予報の原則1日4回。それ以前は、「NNNニューススポット」・「NNN海外スポット」(それぞれ二ヶ国語)の後の天気予報が、元がステレオ音声にも関わらず、メイン音声が左チャンネル、サブ音声が右チャンネルの二ヶ国語放送のまま放送されていたが、この状況をある視聴者から指摘を受けたことに対する改善策。
  11. この時の中継は、沢田研二の「渚のラブレター」(歌だけでなく、作曲も沢田本人)の生演奏だった。バックバンドはこの曲のために作られた「渚のラブレターバンド」で、そのメンバーの中には、後のTBS三宅裕司のいかすバンド天国」(新潟では当時この番組は未放送で、後の2007年12月に制作された総集編のみBSNテレビから放送)の審査員で一躍有名になった吉田建もベーシストとして参加していた。
  12. その後同予選大会の放送は、翌年からはしばらくの間はモノラル放送だった。
  13. 刈羽郡小国町(かつての千谷沢村〈ちやざわむら〉、現・長岡市。地元では転訛して「チャーザー村」という)。
  14. 笑点」のみステレオ放送。
  15. 「弥生のサウンド飛行船」は半年で終了したが、「ビート・オン・ポップ」は石丸電気の提供で、約10年位続いた。
  16. この日は、新潟県を含む全国のNHKの地方局13局と、全国の地方民放40局が同時に予備免許を取得した。インプレス社AV Watch 2005年6月9日付記事
  17. 2006年10月1日に地上波デジタル本放送を始めた放送局の中で、最もサイマル試験放送の開始が早かった。
  18. この模様は、同年10月8日・15日の2週にわたり放送された(SD(標準画質)・ステレオ音声での収録、放送)。
  19. 同局の報道用ハイビジョンFPU中継システムを使った佐渡市のトキ保護センターからのハイビジョン生中継とハイビジョン取材VTRによる構成。
  20. アナログ放送は画面の右上に「アナログ」、地上波デジタル及びワンセグ放送は画面の右上に局ロゴが表示される。
  21. 同局では、同番組開始時から、新潟駅からの中継用にFPUをJR社屋屋上に固定して設けている。
  22. ただし、1978年3月まではBSNで異時ネット。
  23. ただしアナログ放送のみ前半の30秒を地上アナログ放送終了告知画面に差し替えて放送している。
  24. ステレオ放送。親局の日本テレビの番組終了前の「夜のしおり」のテレビ新潟版である。VTRに乗せて翌日の番組内容を紹介する番組である。初めは、テレビ新潟のアナウンサーのアナウンスと共に音楽が流れ、映像はYesMyタワー等からの夜の風景のVTRであったが、後にアナウンスなしで四季折々の県内の風景を収録したVTR映像に翌日の番組紹介を字幕で流すという形に変わった。

出典

  1. 夕方ワイド新潟一番(公式)”. 夕方ワイド新潟一番公式Twitter (2017年4月1日). . 2017閲覧.
  2. 夕方ワイド新潟一番(公式)”. 夕方ワイド新潟一番公式Twitter (2017年4月2日). . 2017閲覧.
  3. 総務省 電波利用ホームページ”. 総務省. . 2017閲覧.
  4. 日本民間放送連盟 『日本民間放送年鑑2016』 コーケン出版、2016-11-25、313。
  5. 日本民間放送連盟 『日本民間放送年鑑'92』 コーケン出版、1992-11、267。
  6. 日本民間放送連盟 『日本民間放送年鑑2003』 コーケン出版、2003-11、288。
  7. テレビ新潟放送網・編、104ページ
  8. 総務省信越総合通信局報道資料 平成18年9月20日付


外部リンク