テルモ

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テルモ株式会社TERUMO CORPORATION)は、東京都渋谷区幡ヶ谷に本社を置く、医療機器の製造・販売の国内最大手。医薬品製造企業でもある。現社名に変更するまで森下グループであった。

概要

医療用機器の製造を広く行っており、カテーテル人工心肺装置などの心臓・血管領域商品群では世界で高いシェアを持つ。注射器に予め薬品が充填されている「プレフィルドシリンジ」シリーズは、日本国内での同系統製品の中でトップシェアである。一般向け商品では、体温計・血圧計尿検査試験紙などが有名。体温計を作る目的で作られた同社の、国内体温計シェアは二位であるが、売り上げの占める比率は1%程度であり、現在利益の殆どを占めているのは医療機器、医薬品、心臓・血管領域商品群の製品である。

新聞連載広告を書籍化したブックレットを、読者に頒布していた(現在は「テルモライブラリ」となっている)。

沿革

  • 1921年大正10年)9月 - 北里柴三郎ら医学者が発起人となり、赤線検温器株式会社を設立。
  • 1922年(大正11年)2月 - 「仁丹体温計」を赤線検温器が製造、森下(仁丹)から発売された。
  • 1923年(大正12年) - オリンパスの体温計製造分野(渋谷区幡ヶ谷)を買収。
  • 1936年昭和11年)11月 - 仁丹体温計株式会社に社名変更。この時期から体温計シェアの一角となる。
  • 1963年(昭和38年)12月 - 株式会社仁丹テルモに社名変更し、森下仁丹の医療機器製造部門会社となる。
  • 1964年(昭和39年)1月 - 日本初のディスポーザブル(使い捨て)タイプの注射器を発売開始。
  • 1969年(昭和44年)7月 - 日本初の血液バッグを発売。
  • 1973年(昭和48年)7月 - 日本初の輸液バッグを発売する。
  • 1974年(昭和49年)10月 - 森下グループから離脱し、現社名のテルモ株式会社に変更。
  • 1982年(昭和57年)6月 - 東京証券取引所市場第2部に株式上場。
  • 1983年(昭和58年)12月 - 予測式デジタル体温計を開発・発売。
  • 1984年(昭和59年)11月 - 水銀体温計の生産中止。
  • 1985年(昭和60年)5月 - 東京証券取引所市場第1部に指定換え。
  • 1998年平成10年) - アドレナリンなどの薬剤が予め充填された注射器「プレフィルドシリンジ」の販売開始。
  • 1999年(平成11年)7月 - 3M社から人工心肺事業を買収して、テルモ・カーディオバスキュラー・システムズCORPを設立。
  • 2001年(平成13年)9月 - 住友ベークライト株式会社から在宅酸素事業について事業譲受をし、テルモメディカルケア株式会社を設立。
  • 2002年(平成14年)高カロリー輸液剤「フルカリック」を販売開始。
  • 2005年(平成17年) - 世界一細いインスリン用注射針「ナノパス33」を販売開始。
  • 2007年(平成19年)8月 - 欧州にて、世界初の磁気浮上型左心補助人工心臓「DuraHeart」を販売開始。
  • 2011年(平成23年)3月 - 米医療機器メーカー、カリディアンBCT買収。輸血事業世界一となる。
  • 2014年(平成26年)8月 - 長年使われてきたコーポレートロゴを一新。
  • 2017年(平成29年)2月9日 - オリンパスとの資本提携を解消すると発表[1]

歴史

1921年9月、それまでドイツ製に頼っていた体温計の国産化を目的として、北里柴三郎をはじめとする医学者発起人となって、赤線検温器株式会社として設立。そのため、社名「テルモ」の由来は、ドイツ語体温計の意味であるThermometer (テルモメーター)から。 2005年には世界一細い注射針ナノパス33グッドデザイン大賞に選ばれた。

主な提供番組

TBS

現在放送中
過去放送

子会社等

連結子会社39社、持分法適用関連会社2社、持分法非適用関連会社2社。

国内会社

  • 株式会社医器研(連結子会社)
  • テルモ・クリニカルサプライ株式会社(連結子会社)
  • テルモメディカルケア株式会社(連結子会社)
  • テルモ・ビーエヌエス株式会社(持分法適用関連会社)
  • オリンパス テルモ バイオマテリアル株式会社(持分法適用関連会社)

脚注

出典

  1. “テルモとオリンパス、資本提携解消”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 7. (2017年2月10日) 

外部リンク