スクウェア・エニックス

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スクウェア・エニックス・ホールディングス > スクウェア・エニックス

株式会社スクウェア・エニックス(SQUARE ENIX CO., LTD.、略称:スクエニSQEX)は、スクウェア・エニックス・ホールディングス傘下の日本でのゲームソフト販売・開発会社、出版社である。

概要

2003年(平成15年)4月1日に、株式会社エニックス株式会社スクウェア合併により誕生した(合併直前、スクウェアに対して行われたSCEIからの支援、デジキューブの倒産については後述)。

合併については様々な理由が挙げられているが、主には次の通りである。

タイトーの買収については、スクウェア・エニックスに欠けているアーケードゲーム事業への進出を見越したものである。タイトーを買収したことによってアーケードゲームも幾つか製作している。

沿革

旧エニックス

  • 1975年9月22日 - 株式会社営団社募集サービスセンター設立。
  • 1980年2月 - 営団社募集サービスセンターの完全子会社として、株式会社営団社不動産設立。
  • 1981年8月 - 営団社不動産が、商号株式会社営団社システムに変更。
  • 1982年8月 - 営団社システムが、商号を株式会社エニックスに変更。
    • 第一回ゲーム・ホビープログラムコンテストを主催。
  • 1983年10月 - 小西六(現コニカミノルタ)との合弁により株式会社小西六エニックス設立。
  • 1987年10月 - 小西六の社名がコニカに変更した事に伴い、小西六エニックスが商号をコニカエニックス株式会社に変更。
  • 1988年3月 - エニックスの完全子会社としてエニックスプロダクツ株式会社を設立。
  • 1989年1月 - エニックスがコニカエニックスを完全子会社化。
  • 1989年4月 - 営団社募集サービスセンターが、子会社3社のエニックス(旧エニックス)、コニカエニックスおよびエニックスプロダクツを吸収合併し、商号を株式会社エニックスに変更(ただし、当時の営団社募集サービスセンターは休業状態であり、実質上の存続会社は旧エニックス)。
  • 1991年8月 - 社団法人日本証券業協会に株式を店頭登録店頭公開)。
  • 1999年8月 - 東京証券取引所1部上場。

旧スクウェア

  • 1986年9月 - 株式会社スクウェア(以下「旧スクウェア」)設立。
  • 1991年4月 - 株式額面金額の変更を目的として、休眠会社を買収して商号変更した株式会社スクウェア1966年7月11日設立)を存続会社として、旧スクウェアを吸収合併。
  • 1994年8月 - 日本証券業協会に株式を店頭登録(店頭公開)。
  • 1999年6月 - スクウェアの完全子会社として下記の4社を設立。7月にスクウェアの事業の一部をそれぞれに営業譲渡
    • スクウェアの完全子会社として株式会社スクウェアヴィジュアルワークスを設立。
    • スクウェアの完全子会社として株式会社スクウェアサウンズを設立。
    • スクウェアの完全子会社として株式会社スクアーツを設立。
    • スクウェアの完全子会社として株式会社スクウェアネクスト(後に、株式会社ゲームデザイナーズ・スタジオ、株式会社SQEXを経て、株式会社タイトーと合併)を設立。
  • 2000年8月 - 東京証券取引所1部上場。
  • 2001年1月 - スクウェアがスクウェアヴィジュアルワークスおよびスクアーツを合併。
  • 2002年4月 - スクウェアがスクウェアサウンズを合併。

合併後

社名の由来

エニックスの由来は、世界初のスーパーコンピュータと言われている「ENIAC」(エニアック)と不死鳥PHOENIX」(フェニックス)を足したものであるらしい。

スクウェアは、ゴルフのアドレスやグリップ(構え)で使われる「スクウェア」が由来。スクウェアには「正方形」「広場」「頑固な」「きちんとした」などの意味があり、ゴルフでは飛球線に対して90度に正対している状態を指す。問題に対して逃げ腰ではなく、直視していく企業体を目指す意味で名付けられた。ゲームソフトのクリエーター達が集まる広場「スクウェア」を意味しているのと、旧スクウェアの会社生誕の地である四国(四角形から)への謝意も込められている。

先端機器が整備された製作環境の中で、クリエーター達が豊かな感性と創造力を発揮し、世界に通用するエンタテインメントを提供する国際的企業となる思いが込められている。

合併後の名称が「エニックス・スクウェア」で無く「スクウェア・エニックス」となったのは、「SQUARE ENIXだとEが重なり、社がひとつにまとまった感じがある」「株式交換比率(1:0.85)[2]により、エニックスがスクウェアを吸収合併したという印象を薄らげるためにスクウェアを前に持ってくるという配慮」「エニックス・スクウェアだと、スが連続し発音しづらい」があると思われている。「エニックス・スクウェア」だと略称がエニウェア("anywhere"(どこか)と同じになる)となる点も挙げられる。

ビデオゲーム部門

開発・発売タイトル

参照: スクウェア・エニックスのゲームタイトル一覧

合併以前の旧エニックス・旧スクウェアそれぞれが開発・発売したソフト、および廉価版「アルティメットヒッツ」「レジェンダリーヒッツ」についてはそれぞれの項目を参照。

開発部門

内製のゲームソフト開発の人員は旧スクウェアタイトルに大半が集中され、旧エニックスタイトルは従来通り企画、委託開発の管理が中心であるが、旧エニックス社員も旧スクウェアソフトのチームに開発スタッフとして名を連ねている事もあり、ドラゴンクエストXのように内製の旧エニックスタイトルが生まれているほか、ファイナルファンタジーシリーズをはじめ旧スクウェアのシリーズタイトルにおいても一部開発を外部デベロッパーに委託する作品が見受けられるようになっている。

下記のような事業部制は無くなり、プロジェクトごとにチームが結成されるようになり、2013年12月からはビジネス・ディビジョンという区分けになっている[3]

旧事業部

事業部 事業部長 代表作 備考
第1開発事業部 北瀬佳範 ファイナルファンタジーシリーズ(VII、VIII、X、X-2、XIII、XV、零式、ディシディア、シアトリズム)、キングダム ハーツ シリーズ 野村哲也鳥山求所属
第2開発事業部 河津秋敏 サガシリーズ、ファイナルファンタジークリスタルクロニクル、聖剣伝説 LEGEND OF MANA ゲームデザイナーズ・スタジオ
第3開発事業部 田中弘道

(発足当時)

ファイナルファンタジーシリーズ(XI、XIV)、クロノシリーズ、ゼノギアス、デュープリズム
第4開発事業部 松野泰己

(発足当時)

ファイナルファンタジーXII、ファイナルファンタジータクティクスシリーズ、ベイグラントストーリー 旧クエスト
第5開発事業部 平田裕介

(発足当時)

オールスター・プロレスリングシリーズ、日米間プロ野球、武蔵伝シリーズ 大阪事業所所属
第6開発事業部 土田俊郎

(発足当時)

フロントミッションシリーズ 旧ジークラフト
第7開発事業部 時田貴司

(元部長)

半熟英雄シリーズ、パラサイト・イヴシリーズ、バウンサー、ナナシノゲエム
第8開発事業部 石井浩一

(発足当時)

聖剣伝説シリーズ 関連: ブラウニーブラウン
第9開発事業部 三宅有 ドラゴンクエストシリーズ 旧エニックスドラクエ課、関連: 堀井雄二
第10開発事業部 齊藤陽介 スターオーシャンシリーズ、ヴァルキリープロファイルシリーズ、鋼の錬金術師 トライエース山岸功典安藤武博
モバイル事業部 洞正浩 携帯電話向けコンテンツの開発

主要クリエイター・広報(一部)

2017年現在社員として所属するもののみ。(一部自己申告者のみ)50音順。

かつて在籍したクリエイター・広報(一部)

原則として退社後も関わりのある人物。順不同。

主な開発委託会社

開発会社 開発タイトル
アクセスゲームズ ロードオブアルカナ、ドラッグオンドラグーン3
アクワイア プロジェクト オクトパストラベラー
アルテピアッツァ ドラゴンクエストシリーズ(PS版IV・VII、PS2版V、DS版IV・V・VI、3DS版VII)
インディーズゼロ シアトリズムシリーズ、グランマルシェの迷宮
ヴァンガード 戦国やらいでか
エイリム FFBE
エクサム ミリオンアーサーアルカナブラッド
epics ナナシ ノ ゲエムシリーズ
キャビア ドラッグオンドラグーンシリーズ、ドラゴンクエスト 少年ヤンガスと不思議のダンジョン、ニーアゲシュタルト/レプリカント等
ゲームスタジオ ロードオブヴァーミリオン(III)、星のドラゴンクエスト
元気 グリムノーツ
コーエーテクモゲームス DQヒーローズ、アーケード版DFF、DFFOO
Cygames ドラゴンクエストモンスターズ スーパーライト
サイバーコネクトツー FFVIIGバイク
ジュピター キングダムハーツCoM、すばらしきこのせかい、ピクトロジカFF
シリコンスタジオ ブレイブリーシリーズ
シンクガレージ ロードオブヴァーミリオン(~Re:2)、シグマハーモニクス等
シンク・アンド・フィール FFXIIレヴァナント・ウイング、ブラッドオブバハムート、インペリアル サ・ガ
DeNA FFRK
ディンプス スクール オブ ラグナロク
トーセ ドラゴンクエストモンスターズシリーズ(3DS版を除く)、スライムもりもりシリーズ、DQライバルズ、FINAL FANTASYシリーズ(GBA版IV・V・VI、PSP版I・II、WOFF)等
トライエース スターオーシャンシリーズ、ヴァルキリープロファイルシリーズ等
ドリコム WOFFメリメロ
バイキング ガンスリンガー ストラトス
ハ・ン・ド キングダムハーツシリーズ(コーデッド、358/2days)、チョコボシリーズ等
プラチナゲームズ ニーア オートマタ
ヘキサドライブ FF零式HD、ランページ ランド ランカーズ等
ポケラボ シノアリス
マトリックス FINAL FANTASYシリーズ(XI各追加ディスク、DS版III・IV、FFIVアフターイヤーズ、光の4戦士、FFレジェンズ等)
メディア・ビジョン ヘビーメタルサンダー、ケイオスリングス、エストポリス等
ラクジン DS版サガシリーズ、FFEX
レベルファイブ ドラゴンクエストシリーズ(VIII、IX)
ロケットスタジオ ドラゴンクエストモンスターズバトルロード、超速変形ジャイロゼッター

オンラインゲーム部門

かつて旧エニックスでは主にPC向け、旧スクウェアでは家庭用ゲームハードとPC向けのオンラインサービスPlayOnline(以下POL)を展開。合併後も継続して様々なオンラインゲームの開発、運営を行っている。

ファイナルファンタジーXI』(以下FFXI)が日本、欧米で順調に会員数を獲得していきオンラインゲーム事業は収益の中核となっていった。アジア地域では『クロスゲート』を展開中(日本国内の運営は2007年9月30日 23:59をもって終了)。しかし収益のほとんどが『FFXI』によるものであったため、同作品以外のコンテンツのサービス縮小や撤退が相次いだ。この流れはPC向けオンラインゲームで顕著だったが、2006年に入ってからはPOL関連コンテンツからも撤退や他社へ運営が移管される作品が現れた。 日本生命相互会社がそれをリメイクしてる。年末年始のイベントも日本生命の冬まつりコラボイベント開催中、

2007年に発表された『コンチェルトゲート』のようにスクウェア・エニックスがゲームを制作し、運営を他社が担当するといった動きも見せている。中国では現地企業との協業で利益を伸ばしている[4]

サービス中タイトル
タイトル 運営開始
ファイナルファンタジーXI 2002年5月16日 -
ドラゴンクエストX オンライン 2012年8月2日 -
ファイナルファンタジーXIV:新生エオルゼア 2013年8月27日 -
ファンタジーアース ゼロ 2015年11月18日 -
サービス終了タイトル
タイトル 運営期間 備考
クロスゲート 2001年7月26日 - 2007年9月30日
ディプスファンタジア 2001年12月6日 - 2005年11月13日
テトラマスター 2002年5月16日 - 2010年12月31日
雀鳳楼 2002年10月7日 - 2010年12月31日
コスモぐらし 〜オンライン的野菜生活〜 2003年3月28日 - 2005年4月25日
疾走、ヤンキー魂。 2003年5月23日 - 2004年12月29日 2007年冬より運営はゲームポットへ移管
ジャンクメタル 2004年4月12日 - 2005年9月30日
フロントミッションオンライン 2005年5月12日 - 2008年5月31日
エバークエスト2 2005年6月16日 - 2006年6月30日 2013年現在はSOEが運営中
ダージュ オブ ケルベロス ファイナルファンタジーVII 2006年1月26日 - 9月29日
ファンタジーアース ザ リング オブ ドミニオン 2006年2月23日 - 10月30日 2006年11月より運営はゲームポットへ移管、「ファンタジーアース ゼロ」に改題
ファイナルファンタジーXIV(旧版) 2010年9月30日 - 2012年12月31日 上記の新生エオルゼアのサービス開始に伴い終了

出版部門

主に旧エニックスで展開されていた、1988年より開始したドラゴンクエストシリーズの公式ガイドブックやノベライズ作品・ファンブック・ゲームブックの出版が始まりで「ドラゴンクエストIII 新たなる伝説」に掲載された栗本和博4コマ漫画が好評だった事からドラクエシリーズの「4コママンガ劇場」を1990年に発刊。翌年には漫画雑誌月刊少年ガンガン』を創刊した。2007年現在は「アルティマニア」等、デジキューブ(2003年11月倒産)が行っていた旧スクウェア系の公式ガイドブックなどの出版物の発行も受け継いでいる。デジキューブ倒産に伴い絶版となっていた一部の書籍音楽CDも、スクウェア・エニックス名義で再版されている。なお、デジキューブ倒産後から自社レーベル発足までの期間のCDは、他社から発売されているものがある。また、デジキューブを設立した1996年以前(スーパーファミコン版まで)の書籍・CD類は、NTT出版から発売されている(CDについては、多くが2004年にリニューアルされて再発売されている。また、一部スクウェア・エニックスから再発売した作品も存在する)。

ガンガン系各誌は児童誌、少年誌少女誌の雰囲気が混在する独特の誌面により、「(スクウェア・)エニックス系漫画」というジャンルを確立している。

かつては、「魔法陣グルグル」「南国少年パプワくん」「まもって守護月天!」などの人気作で一世を風靡した連載作家陣のうちの主力作家の一部が、いわゆる「エニックスお家騒動」(担当社員によるマッグガーデン設立およびスタジオDNAによる一賽舎設立への参加)により『月刊ガンガンWING』を中心に多数の所属作家を失うというトラブルもあったが、直後に連載開始された「鋼の錬金術師」が大ヒットし、誌面の弱体化は解消していた。しかし、連載終了後に作家が小学館に移籍(「銀の匙」)したため再び誌面の弱体化が進んでいる。2013年には「ハイスコアガール」のアニメ化企画での権利調整をきっかけにSNKプレイモアのキャラクターを無断使用していたことが発覚し、刑事訴訟に発展した(2015年に両社は和解し、2016年7月25日発売のビッグガンガンVol.08から連載を再開する予定)。

2004年にはスクウェア・エニックス小説大賞(現スクウェア・エニックスライトノベル大賞)を設立し、ライトノベルの発行も行っていたが、2012年を最後に休止する。

連載漫画がメディアミックスの過程でゲーム化する際、基本的にはスクウェア・エニックス自身が制作・販売を行うが、一部例外も存在する。

2006年12月より、毎年夏と冬に「コミッパ(SQUARE ENIX COMICS PARTY)」を開催している。全国の書店にある同社のコーナーの完成度などを競い合うコンクールや、書籍購入者への特典が付くというもの。

2008年には『ガンガンONLINE』を創刊。出版社自身によるウェブコミック配信サイトの先駆けとなり成功をおさめ、以後他の出版社が自身でウェブコミック配信サイトを次々と立ち上げるきっかけとなった。

ギルティクラウン」や「第三次性徴期、大塚くん!」など、単行本最終巻とその前の巻が同時に発売されることがある。この場合、は一切付かなくなる。

コミック分野以外では、グラビアアイドル業界にヤングガンガンを通じて参入している。

漫画雑誌

誌名 創刊 発売日 単行本
月刊少年ガンガン 1991年3月 毎月12日 ガンガンコミックス
月刊Gファンタジー 1993年3月 毎月18日 Gファンタジーコミックス
ヤングガンガン 2004年12月 毎月第1、3金曜日 ヤングガンガンコミックス
ガンガンONLINEウェブコミック誌 2008年10月 毎月第1、3月曜日、毎週木曜日更新 ガンガンコミックスONLINE
月刊ガンガンJOKER 2009年4月 毎月22日 ガンガンコミックスJOKER
月刊ビッグガンガン 2011年10月 毎月25日 ビッグガンガンコミックス
過去に発行していた漫画雑誌
誌名 発行期間 発売日 単行本 備考
フレッシュガンガン 1992年から2010年 ガンガンコミックスONLINE 少年ガンガン増刊
月刊少年ギャグ王 1994年3月から1999年3月 毎月30日発売 → 毎月3日発売 ギャグ王コミックス エニックス時代に刊行
月刊ガンガンWING 1999年3月から2009年2月 毎月26日発売 ガンガンWINGコミックス
コミックバウンド 2000年9月から2000年11月 毎月第2、4火曜日発売 ガンガンコミックス エニックス時代に刊行
月刊ステンシル 2001年2月から2003年8月 ステンシルコミックス
ガンガンパワード 2001年3月から2009年2月 ガンガンコミックス
ガンガンカスタム 2006年10月 少年ガンガン増刊

漫画アプリ

小説

ゲーム関連書籍

マーチャンダイジング部門

主に旧スクウェアが外注で展開していたフィギュアやアクセサリー商品を、自社販売に改めた事業部。

販売ルート

商品

任天堂との関係

ファミリーコンピュータスーパーファミコン全盛時代、ドラゴンクエストシリーズというビッグタイトルを持つエニックスは、任天堂サードパーティーとして重要な位置にあった。ファイナルファンタジーシリーズで追いかける形にあったスクウェアは、任天堂との関係が深かった小学館ゲーム・オン!編集部)との合同企画として1994年に『ライブ・ア・ライブ』を製作したり、1996年に『スーパーマリオRPG』を共同開発するなど、任天堂との関係を強めようと模索していた。

しかし『ライブ・ア・ライブ』はさほどヒットせず、『スーパーマリオRPG』はヒットしたものの、スクウェア側のスタッフが独立してしまうなど必ずしもスクウェアの思うようにはならなかった。この時期と前後して、『ファイナルファンタジーVII』の製作スタッフである坂口博信が「プレイステーション」(PS)の映像力に魅了されており、FFシリーズのPSへの移籍への道を探っていた。

スクウェア自体もまたこの流れに同調し、『トレジャーハンターG』を最後に任天堂ハードへのソフト開発(NINTENDO64(N64)用に企画していた約10タイトル含む)を中止する。鈴木尚スクウェア社長(当時)によれば、PSに独占供給を決めた際に任天堂の山内溥社長(当時)は「機種の選択という意味では仕方がない」と語っていたというが、その際にスクウェアの社員がエニックスをPS陣営に誘うために、エニックスに加え他のソフトメーカー達にN64は駄目だと吹聴していたことが山内社長に伝わってしまったことから、任天堂との深い確執が生まれてしまうことになった[7]。この時期、エニックスもソニーからドラクエシリーズの移籍の勧誘を別個で受けており、その際の返事は「プレイステーションの本体売り上げが300万を越えたら考える」というものであった。

その後、1997年になりエニックスは当初N64かPSかで迷っていた『ドラゴンクエストVII』をPSで開発、発売することを発表する。ただ、エニックスはスクウェアとは違い、PS参入後も任天堂携帯ハード用のソフトを販売し、任天堂との関係を続けた。

2001年、スクウェアは映画事業の失敗により多額の特別損失を計上する。そうした中で行われた子会社のデジキューブの株主総会では任天堂商品が扱えない事が問題となり、株主からの「土下座してでも任天堂と和解しろ」との声にデジキューブ染野取締役(当時)が「土下座してなんとかなるものなら、いくらでもしますよ」と答えるなど、任天堂との関係修復は急務であった。

その後、スクウェアはエニックスに接近し、2003年4月に合併が完了。この直後、スクウェア・エニックス代表の和田洋一が、既に社長から相談役に退いていた山内溥に謝罪に行ったことでようやく関係修復がなされることになった。

2003年8月には、山内溥が設立した基金「ファンドQ」を用いて制作された『ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル』を発売[8]。また、2005年10月には、開発をスクウェア・エニックス、発売を任天堂が担当した『マリオバスケ 3on3』が発表され、スクウェア・エニックスから「これからも任天堂とがっちりコラボレートしていこうと思っている」との旨が語られた。その後もニンテンドーDS用ソフト『ファイナルファンタジーIII』(リメイク作品)などのヒット作が生まれ、一時は断絶関係にあった任天堂とスクウェア(現スクウェア・エニックス)の関係は修復している。

一方で、ドラゴンクエストシリーズがPSで発売された『ドラゴンクエストVII』、PS2で発売された『ドラゴンクエストVIII』のリメイクや、『ドラゴンクエストIX』以降のナンバリング作品を任天堂ハードでも発売する中、ファイナルファンタジーシリーズは『ファイナルファンタジーVII』以降のナンバリング作品を、任天堂ハードでは発売していない。

その他

  • スクウェアはデジキューブ倒産直前、またはそれ以前からも不正な自社株売却が度々問題視されており、東京証券取引所から査察を受けた事がある。
  • マイクロソフト日本法人社長であった成毛眞が社外取締役として名を連ねている。(2010年現在)[9]
  • 2001年に、旧エニックス、旧スクウェア、ナムコとの間で業務提携が結ばれ、エニックスオーナーの福嶋康博、スクウェアオーナーの宮本雅史、ナムコオーナーの中村雅哉との間で各社の株式の4-5%程度を相互に持ち合う事となった。その結果、スクウェア・エニックスのキャラクター商品をナムコがプライズゲーム用に商品化するなどの協力関係が築かれている。スクウェアの格闘ゲームエアガイツ』のアーケード版をナムコが制作した事がある。ナムコのアーケードゲーム『太鼓の達人7』において、ドラゴンクエストの楽曲を使用するなどのコラボレーションが実現している。
  • 日本国内市場での新たな戦略として海外ゲームのローカライズ、販売が開始される。以下の理由により評価は非常に悪い。
  • コール オブ デューティ モダン・ウォーフェア2』ではソフト自体のローカライズの内容や流通過程に疑問符が打たれた。steamでは9900円で販売するなどの暴挙に出ている。
  • Just Cause 2』では発売日の夕方にメンバーズログインを必要とするページにて国内版と海外版の差異を公開、海外版では雪に覆われた山が日本語版では正常に表示されなくなるバグを新たに発生させてしまうなど不手際が目立ち、規制項目の遅れについては和田洋一がTwitter上で規制アナウンスの遅れに対する謝罪をするまでに発展した[10]
  • Steamにて配信されているゲームの一部は日本からの購入制限を設けたり、『トゥームレイダー(2013年)』『Thief(2014年)』では日本語化DLCを2~3000円の高額に設定して配信する暴挙に出ている。また、2014年8月20日からsteamは現地通貨での表記になり、『Just Cause』『Just Cause 2』のように前日までの米ドル価格に対し倍の値段を設定するなど非難が続いている
  • 2011年9月12日から2014年1月30日まで、WEBラジオ番組『スクエニChan!』を、公式サイト内・音泉HiBiKi Radio Stationニコニコ動画YouTubeにて毎週木曜日に配信していた。メインパーソナリティは、安元洋貴[11]
  • エニックス出版部門は過去にエニックスお家騒動によってマッグガーデン一迅社(旧一賽社)に分裂している。
  • 合併前の旧エニックスには、ドラゴンクエストシリーズを制作するためだけの専門部署として「ドラクエ課」が存在した。「ドラゴンクエスト課」ではなく「ドラクエ課」が正式名称。かつて『ドラゴンクエストVI 幻の大地』が発売された頃に同作品の特集としてテレビ番組で放送され、その珍名部署が広く世に知られることとなった。課の表札も「ドラゴンクエスト課」ではなく「ドラクエ課」となっていた。後年「第9開発事業部」に再編され、珍名として知られた「ドラクエ課」の名称は消滅した。

関連会社

脚注

関連項目

外部リンク

テンプレート:スクウェア・エニックス・グループ