サーカス

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サーカス(circus)は動物を使った人間曲芸など複数の演目で構成される見世物。一般的に円形劇場や天幕などで催され、舞台を群集が取り巻いて見下ろす形態が取られる。古代エジプト時代に始まり、ローマ時代にその原型がなされた。また、近代サーカスの原点としては1770年イギリス「アストリー・ローヤル演芸劇場」での開催とされる。

歴史

語源はラテン語円周回転を意味する語であるとする説と、古代ローマにおいて人間と猛獣の格闘などに使用された円形競技場(キルクス)であるとする説がある。現在の動物の芸や人間の曲芸が見世物として成立したのは古代エジプト時代であり、それらを円形の劇場において実施するという形態が取られ始めたのが古代ローマ時代とされている。

近代サーカスの歴史

近代サーカスはイギリス人退役軍人のフィリップ・アストリーによって確立され、ヨーロッパからロシアアメリカへと広がったとされる。しかしアストリー自身は「サーカス」という用語を使っていない[1]。従来より見世物として確立していた動物芸、人間の曲芸に加え、アストリーは道化芸という概念を新たに取り入れている。道化芸は19世紀初頭に活躍したパントマイム役者ジョセフ・グリマルディジーン・オリオールらによって現在の喜劇中のふられ役・失敗ばかりして観客の笑いを取るというスタイルが確立され、真っ白に塗った顔にだぶついた服装というお決まりの姿で、近代サーカスでは欠かせない要素のひとつとなった。

日本での歴史

日本にはじめてサーカスが訪れたのは1864年で、「アメリカ・リズリー・サーカス」により横浜で興行がなされた。それまで日本でも見世物は存在したが、それぞれ芸種別に一座を組んで個々に興行を行うというスタイルが一般的で様々な演目を一度に見せるというサーカスは大きな反響を呼んだ。1886年には、イタリアのチャリネ一座が来日する(東京での初演は秋葉原の火除け地であった)。この公演に強い衝撃を受けた五代目尾上菊五郎は『鳴響茶利音曲馬』という猛獣使いなどが登場する歌舞伎を上演している。

日本人のサーカスとしては、チャリネ一座から名前をとり、1899年に山本政七らによって設立された「日本チャリネ一座」が最初であるとされる。日本チャリネ一座では馬や象、熊なども用いて曲芸や猛獣芸などを披露した。その後、大正末から昭和にかけて有田サーカス木下大サーカスシバタサーカスなどが続々と創立し、人気を博した。ただし、各団体が「サーカス」の呼称で名乗るようになるのは、1933年ハーゲンベック・サーカスの来日以後のことである。

1948年児童福祉法が制定され、「公衆の娯楽を目的として曲馬または軽業を行う業務」に満15才未満の児童を使用する事が禁止された。これによって、年少期に芸を仕こまなければならないサーカスの手で芸の後継者を育てる事が困難となった。現在日本のサーカスで子供達が出演しないのはこの法によるものである。しかし、義務教育を受け、サーカスを家業継承する場合で出演料も発生しない場合は労働基準監督署も児童のサーカス出演を認めている。

1930年代から1960年代までは20~30団体があったがその後激減し、1995年には国際サーカス、1996年には矢野サーカスが活動を休止。木下大サーカス、キグレサーカス、カキヌマ大サーカスの3団体を残すのみとなったが、同年12月にポップサーカスが旗揚げし、キグレNewサーカス・木下大サーカス・ポップサーカスが日本三大サーカスとされることとなる。カキヌマ大サーカスは拠点を海外に移した後、破産し解散したと言われているが、2002年頃までは国内での活動が確認されている。

昭和の戦後に「ボリショイ・サーカス」というCMが日本テレビ系で頻繁に打たれ(初期には東京都体育館、そのあと後楽園から東京ドームで開催)、その印象が強烈に残っている人を中心に「ボリショイ・サーカス」というサーカス団があると誤解するものがいた。しかし、これは日本の興行会社(呼び屋)がソ連のさまざまなサーカス団を呼び「ボリショイ・サーカス」という共通呼称で毎年興行を打ったためにそういった誤解が生まれたのである(後にその興行会社が「ボリショイ・サーカス」という法人名を取得する ボリショイ・サーカス )。ただし、その後平成になって、ロシアで既存のサーカスが「ボリショイ・モスクワ国立サーカス」と「ボリショイ・サンクトペテルブルク国立サーカス」と改名された。

1992年、テレビ局のタイアップでシルク・ドゥ・ソレイユが来日。再びサーカスブームが訪れる。その効果からテレビアニメのカレイドスターやテレビCMの鉄骨飲料などサーカスを取り上げたものが多く放送された。

2001年、NPO法人国際サーカス村協会が運営する4年制の沢入国際サーカス学校(学校法人ではない)が日本唯一のサーカス学校として創立される。

2010年、日本三大サーカスのひとつとされていたキグレNewサーカスが、10月19日付で事業を停止したと発表した[2]

演目

近代サーカスで上演される演目は無数にあり、多様化の一途を辿るが、一般的な演目としては以下のものが挙げられる。

動物曲芸
馬を使用した曲馬芸が最も一般的で、その他ライオンクマトラなどが使用される。調教された動物による火の輪くぐりや三輪車、自転車、縄跳び、シーソーなどを使用した芸が披露される。
しかし、取り扱いが不適切で、例えば野生のアフリカゾウは60歳まで生きるが、サーカスでは30歳に達しないと指摘される[3]
空中曲芸
綱渡りやトランポリン、空中ブランコなどを使用した空中での技の難易度や美しさを見せる曲芸。
地上曲芸
ワイングラスを重ね、足や額に乗せて平衡感覚を見せるものや、人間同士が重なり合ってその重厚な美しさを見せる(人間ピラミッドなど)曲芸。
道化芸
道化師(ピエロ)が手品や軽業などを見せながら時折失敗を混ぜつつ、観客の笑いを誘うなど、主に観客の緊張を解くことを目的として上演する曲芸。

サーカス団・個人 一覧

サーカスに関する都市伝説

サーカス団は旅をしながら芸をする、いわば余所者であるため「芸人はもともとさらわれたり買われたりした子供だ」といういわれのない偏見に晒されることがあった。

題材とした作品

※発表順

文学
映画

サーカス映画リストも参照のこと。

テレビドラマ

その他

F1グランプリのシリーズ戦で世界中を転戦する様子をサーカスの巡業になぞらえて、「F1サーカス」と呼ぶことがある。

参考文献

  • 『日本見世物世紀末』- 目森一喜(1996年,ISBN 9784884815066)
  • 田中未知子著、クリストフ・レノー・ド・ラージュ写真『サーカスに逢いたい――アートになったフランスサーカス』現代企画室. 2009.4.[2]

脚注

  1. 田中未知子著、クリストフ・レノー・ド・ラージュ写真『サーカスに逢いたい――アートになったフランスサーカス』現代企画室. 2009.4.[1] pp.22
  2. 2.0 2.1 「キグレサーカスが事業停止…新型インフル打撃」YOMIURI ONLINE(読売新聞)2010年10月20日18時35分、「倒産速報(株)キグレサーカス」東京商工リサーチ. 2010年10月20日公開. http://www.tsr-net.co.jp/news/flash/1205977_1588.html 2012年9月14日閲覧
  3. ゲイリー・L・フランシオン. 動物の権利入門. 緑風出版. 

関連項目