サンジェルマン条約

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サン=ジェルマン条約またはサン=ジェルマン=アン=レー条約(サン=ジェルマンじょうやく、サン=ジェルマン=アン=レーじょうやくフランス語: Traité deSaint-Germain-en-Laye、Traité de Saint-Germain、英語: Treaty of Saint-Germain-en-Laye 、Treaty of Saint-Germain、イタリア語: Trattato di Saint-Germain-en-Laye、Trattato di Saint-Germaine、ドイツ語: Vertrag von Saint-Germain)

1919年9月 10日,第1次世界大戦の戦後処理の一環として,連合国とオーストリアがパリ西方のサンジェルマンアンレで結んだ講和条約。この条約により,オーストリア帝国内の異民族国家チェコスロバキア,セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国,ポーランド,ハンガリーの独立が承認され,またオーストリアはイタリア,ルーマニアに領土を割譲した結果,面積で戦前の4分の1,人口で3分の1になった。このほか徴兵制度の禁止,陸軍を3万人にする軍備制限,ドイツとの合併 (Anschluss) の禁止,賠償支払いなども規定された。

第1次世界大戦