「コロポックル」の版間の差分

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{{JIS2004}}
 
[[画像:Koro-pok-guru photo 01.jpg|right|thumb|220px|コロポックルの木彫り人形]]
 
[[File:Sakaiminato Mizuki Shigeru Road Koro-pok-guru Statue 1.JPG|thumb|right|220px|[[水木しげるロード]]に設置されている「コロポックル」のブロンズ像。]]
 
'''コロポックル'''([[アイヌ語]]: '''{{JIS2004フォント|コㇿポックㇽ}}''' ''korpokkur'')は、[[アイヌ]]の伝承に登場する[[小人 (伝説の生物)|小人]]である。アイヌ語で、一般的には「[[アキタブキ|蕗]]の葉の下の人」という意味であると解される。
 
  
アイヌ語では [p] と [b] は同一の[[音素]]であり区別しないため、'''コロボックル''' ('''{{JIS2004フォント|コㇿボックㇽ}}''') とも言われる。
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'''コロポックル'''([[アイヌ語]]: '''{{JIS2004フォント|コㇿポックㇽ}}''' ''korpokkur'')
  
アイヌの小人伝説は広く[[北海道]]や[[千島列島|南千島]]や[[樺太]]に流布しており、名称もこのコ{{小書き|ロ}}ポック{{小書き|ル}}・コ{{小書き|ロ}}ボック{{小書き|ル}}のほかに、'''トィチセウンク{{小書き|ル}}'''や'''トィチセコッチャカムィ'''や'''トンチ'''(これらはみな「[[竪穴式住居|竪穴]]に住む人」の意)などと呼ばれることもある。
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 アイヌの小人説話。コロボックルともいう。コロポックルは穴の中に住んでいる小さな人であったと伝える。1枚のフキの葉の下に10人入れるほどであった。ササの葉を縫い合わせてつくった小船で漁に出る。ニシンが釣り針にかかると、5艘(そう)、10艘の船が力をあわせて陸に引き上げ、大ぜいで棍棒(こんぼう)や槍(やり)で殺した。大きなクジラもとる、神様のような人たちであったという。コロポックルとは、フキの葉の下に住む人を意味するといわれるが、本来は「下に住む人」ということで、穴に住む人をさしたものという。樺太(からふと)(サハリン)ではトチ・ウン・グル(土の家に住む人)とよぶ。北海道にも、宗谷(そうや)や釧路(くしろ)などに、「土の家をもつ神」とよばれる穴に住む小人の伝えがある。宗谷では、小人は他の種族に会うことをひどく嫌い、しかもすばしっこいので、どんな顔をしているかわからないという。子供のような声を出し、アイヌの家の窓の下や入口にきて、魚や薪(たきぎ)などを与え、ときにはアイヌの品物と交換した。あるとき、アイヌが小人の手をとって家に引き入れると、裸の女の小人で、口の周りや手にいれずみをしていた。樺太へでも渡ったのか、それ以来、小人は現れなくなったという。宗谷の泊内(とまりない)には小人の築いた小屋の跡という所もあり、アイヌのいれずみは小人から学んだものであるともいう。各地の伝えもほぼ共通する。先住民の印象を伝える説話というよりは、むしろ、小人を森林の先住者とする伝承の一例とみるべきであろう。
  
またアイヌ人の民俗研究者である[[違星北斗]]は、「[[石]]の下の人」という意味で、'''クルプンウンク{{小書き|ル}}(Kurupun, unkur)'''という発音を記録している。
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 なお、日本人の起源をめぐって、明治時代中ごろに坪井正五郎らによってコロポックル論争が展開されたが、明確な結論は得られなかった。
  
== 伝説 ==
 
アイヌ人の小人伝説は[[北海道]]や[[千島列島|南千島]]、[[樺太]]に広く流布しており、地域によって差もあるが、大体次のようなものである。
 
 
{{Quotation|
 
アイヌがこの土地に住み始める前から、この土地にはコロボックルという種族が住んでいた。彼らは背丈が低く、動きがすばやく、漁に巧みであった。又屋根を[[フキ]]の葉で葺いた竪穴にすんでいた。
 
 
彼らはアイヌに友好的で、鹿や魚などの獲物をアイヌの人々に贈ったりアイヌの人々と物品の交換をしたりしていたが、姿を見せることを極端に嫌っており、それらのやりとりは夜に窓などからこっそり差し入れるという形態であった。
 
 
そんなある日、あるアイヌの若者がコロボックルの姿を見ようと贈り物を差し入れる時を待ち伏せ、その手をつかんで屋内に引き入れてみたところ、美しい婦人のなりをしておりその手の甲には[[刺青]]があったという(なおアイヌの夫人のする刺青はこれにならったものであるといわれている)。
 
 
コロボックルは青年の無礼に激怒し、一族を挙げて北の海の彼方へと去ってしまった。以降、アイヌの人々はコロボックルの姿を見ることはなくなったという。現在でも土地のあちこちに残る竪穴や地面を掘ると出てくる[[石器]]や[[土器]]は、彼らがかつてこの土地にいた名残である。}}
 
 
伝説は地域によって差異があり「コロボックルは怠け者でアイヌが彼らに食べ物を与えていた」「コロボックルの手にあった刺青は捕らえたアイヌの人々が奪還を懼れて施したものであって元来からアイヌの風習である」などの変化が見られる。
 
 
[[十勝支庁|十勝地方]]に残る伝説では、コロボックルはアイヌに迫害されたために土地を去ったといわれ、去り際にアイヌに言った呪いの言葉「トカップチ(水は枯れろ、魚は腐れの意)」が十勝の地名の由来とされる<ref>{{Cite book|和書|author=[[村上健司]]編著|title=妖怪事典|year=2000|publisher=[[毎日新聞社]]|isbn=978-4-620-31428-0|page=166}}</ref>。
 
 
== コロボックルの正体 ==
 
[[File:Kuril Ainu dwelling.jpg|right|thumb|220px|[[千島アイヌ]]と竪穴式住居]]
 
[[考古学者]]の[[瀬川拓郎]]は、コロボックルの特徴として語られる「交易の際、相手との接触を避ける([[沈黙交易]])」、「[[竪穴式住居]]に住む」、「土器を製造、使用し、陶土を求めて他所の地にまで進出する」などの事例が北千島に住むアイヌの習俗と共通することに着目し、さらに北海道から樺太、南千島に広く伝わるコロボックル伝説が北千島に限っては伝承されていないことから
 
 
'''「コロボックルの正体は、北千島のアイヌである」'''との説を提唱している<ref>{{Cite book|和書|author=[[瀬川拓郎]]著|title=コロポックルとはだれか―中世の千島列島とアイヌ伝説|year=2012|publisher=[[新典社]]}}</ref>。
 
 
なお北千島のアイヌは、北海道アイヌや[[和人]]と大きな体格差はない。このことで千島アイヌの認識としては、次のようなことが語られている。鳥居龍蔵はパラサマレックという34、5歳の千島アイヌの世話をしていたが<ref>中薗英助 『鳥居龍蔵伝 アジアを走破した人類学者』 [[岩波書店]] 1995年、12頁。</ref>、北海道アイヌと身長差が大してないにもかかわらず、小人扱いされ、千島アイヌを侮蔑した物語として創ったものと認識して激怒していたという<ref>同『鳥居龍蔵伝 アジアを走破した人類学者』、70頁。</ref>。
 
 
なお「[[蕗]]の葉の下にいる」という伝承のイメージから多くのメディア媒体では手のひら大の小人として描かれることが多いが北海道には2m以上になる品種の[[アキタブキ|ラワン蕗]]が自生しており、元々のアイヌの伝承に出てくるコロポックルの身長はアイヌより少し小柄な程度である。
 
 
== コロポックル論争 ==
 
{{Main|コロボックル説}}
 
[[1886年]]、[[渡瀬庄三郎]]が『人類学会報告』創刊号にて札幌周辺に見られる竪穴住居の跡とみられるものがコロボックルの手によって作られたものであり、アイヌ人の前にコロボックルがかの地に居住していた証拠であるという旨の発表を行い、それに[[坪井正五郎]]が『人類学会報告』第9号にて大筋賛成という意見の表明を行った。しかし『人類学会報告』9号にはさらに[[白井光太郎]]による匿名での坪井への反論が掲載され以降、[[小金井良精]]・[[浜田耕作]]・佐藤伝蔵・[[鳥居龍蔵]]・[[喜田貞吉]]など多くの研究家がこの議論に参加した。結局この論争は[[1913年]]、坪井が[[ロシア]]の[[サンクトペテルブルク|ペテルスブルク]]で客死するまで続く。
 
 
== コロポックルをテーマにした作品・派生物 ==
 
*[[1959年]]に[[佐藤さとる]]がコロポックルをテーマにした『[[だれも知らない小さな国]]』を出版。現在のコロポックルのイメージの礎となっている。この作品は『コロボックル物語』としてシリーズ化され、『[[豆つぶほどの小さないぬ]]』『[[星からおちた小さな人]]』『[[ふしぎな目をした男の子]]』『小さな国のつづきの話』などの続篇が書かれた。
 
**[[1973年]]には『[[冒険コロボックル]]』としてアニメ化もされている。
 
**なお、佐藤さとるは、『だれも知らない小さな国』において、[[日本神話]]に登場する[[スクナビコナ|少彦名命]]とコロポックルとが同じ種族ではないかという推測を主人公に語らせている。
 
*[[1995年]]発売のスーパーファミコンソフト『[[聖剣伝説3]]』では、アストリアの西にコロボックルの村が存在する。
 
*[[1998年]]連載開始の漫画『[[シャーマンキング]]』作:[[武井宏之]](のちアニメ化) - アイヌのシャーマン・ホロホロの持ち霊として、コロポックルのコロロが登場する。
 
*[[2006年]]にカプコンが発売した『[[大神 (ゲーム)|大神]]』の主人公はコロポックルの一寸と天照大神である。コロポックルは豆粒程の光る人型の妖精とされている。
 
*[[2014年]]に放送されたTVアニメ『[[天体のメソッド]]』のヒロインのノエルがコロポックルであると思しき描写がある。
 
*[[2015年]]版の『[[雪ミク]]』がコロポックルをイメージしたものとなっている。
 
* [[ヤマハ音楽教室]]の教材「プライマリー」に「[[ソックス・コロボックル]]」という歌がある。教材のセットで添付されたLPレコードで聴くことができる。
 
* [[米子市]]と[[境港市]]を結ぶ[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)[[境線]]各駅には妖怪名を採った愛称が付されており、[[博労町駅]]に「コロポックル駅」の愛称が付けられている。
 
 
== 脚注・出典 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{reflist}}
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[アイヌ文化]]
 
* [[アイヌ用語一覧]]
 
* [[オホーツク文化]]
 
* [[みしはせ|粛慎]]
 
* [[ニヴフ]]
 
* [[:w:Kolobok|Kolobok]] ロシアの伝承にある、森に棲むという妖精。
 
 
== 外部リンク ==
 
* [http://www.sakaiminato.net/site2/page/guide/point/miru/mizuki/youkai/koropo/ 水木しげるロードの妖怪たち] ([http://www.sakaiminato.net/ 境港市観光協会]内)
 
  
 
{{日本の民間信仰}}
 
{{日本の民間信仰}}

2018/10/25/ (木) 12:27時点における最新版

コロポックルアイヌ語: コㇿポックㇽ korpokkur

 アイヌの小人説話。コロボックルともいう。コロポックルは穴の中に住んでいる小さな人であったと伝える。1枚のフキの葉の下に10人入れるほどであった。ササの葉を縫い合わせてつくった小船で漁に出る。ニシンが釣り針にかかると、5艘(そう)、10艘の船が力をあわせて陸に引き上げ、大ぜいで棍棒(こんぼう)や槍(やり)で殺した。大きなクジラもとる、神様のような人たちであったという。コロポックルとは、フキの葉の下に住む人を意味するといわれるが、本来は「下に住む人」ということで、穴に住む人をさしたものという。樺太(からふと)(サハリン)ではトチ・ウン・グル(土の家に住む人)とよぶ。北海道にも、宗谷(そうや)や釧路(くしろ)などに、「土の家をもつ神」とよばれる穴に住む小人の伝えがある。宗谷では、小人は他の種族に会うことをひどく嫌い、しかもすばしっこいので、どんな顔をしているかわからないという。子供のような声を出し、アイヌの家の窓の下や入口にきて、魚や薪(たきぎ)などを与え、ときにはアイヌの品物と交換した。あるとき、アイヌが小人の手をとって家に引き入れると、裸の女の小人で、口の周りや手にいれずみをしていた。樺太へでも渡ったのか、それ以来、小人は現れなくなったという。宗谷の泊内(とまりない)には小人の築いた小屋の跡という所もあり、アイヌのいれずみは小人から学んだものであるともいう。各地の伝えもほぼ共通する。先住民の印象を伝える説話というよりは、むしろ、小人を森林の先住者とする伝承の一例とみるべきであろう。

 なお、日本人の起源をめぐって、明治時代中ごろに坪井正五郎らによってコロポックル論争が展開されたが、明確な結論は得られなかった。