キミ・ライコネン

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キミ=マティアス・ライコネンフィンランド語: Kimi-Matias Räikkönen, 1979年10月17日 - )

F1ドライバー。

2007年10月21日、F1世界選手権最終戦ブラジルグランプリ(GP)で、フェラーリのキミ・ライコネンが優勝。初の総合王座に輝いた。

1979年、フィンランドのラッペーンランタ生まれ。10歳のころからカートレースを始め、99年に4輪デビュー。翌2000年には10戦中7勝を挙げ、イギリスのフォーミュラ・ルノー選手権チャンピオンを獲得。同年、若手ドライバー発掘には定評のあるF1チーム、ザウバー(当時)のテストを受け、ドライバーの地位を獲得。フォーミュラ・レース23戦の経験しかなく、当初はライセンスの発給さえ懸念されたが、01年デビュー戦となるオーストラリアGPでいきなり6位入賞を果たし、F3未経験のF1ドライバーとして、大きな注目を集めた。02年にマクラーレンへ移籍し、初戦のオーストラリアGPで初表彰台を獲得するなど総合6位。03年第2戦マレーシアGPで初優勝。05年は、チャンピオンとなったアロンソと並ぶ、シーズン最多勝の7勝を挙げ、総合2位。06年はマシンに足を引っ張られたこともあり総合5位。07年フェラーリに移籍。ルイス・ハミルトン(マクラーレン)、フェルナンド・アロンソ(同)との三つどもえでタイトルを争うことになった、最終戦のブラジルGPで6勝目を挙げ、わずか1ポイント差で、初めて王者の座を獲得した。



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