オーソン・ウェルズ

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オーソン・ウェルズ(George Orson Welles, 1915年5月6日 - 1985年10月10日)は、アメリカ合衆国映画監督脚本家俳優である。身長190cm。

経歴

幼少時代

オーソン・ウェルズは1915年5月6日ウィスコンシン州ケノーシャで生まれた。子供時代の彼は、詩、漫画、演劇に才能を発揮する天才児であったが、傍若無人な性格で、周りとの人間関係に問題があった。母は彼が9歳の時に亡くなり、父は発明に没頭するアルコール依存症の奇人で、祖母は神経質でオカルト魔術に耽溺しており、ウェルズとは嫌いあう仲であった。

父は、彼をイリノイ州ウッドストックにある比較的自由な校風のトッド校に通わせた。ここでウェルズは最初の演劇を制作し、俳優として出演した。彼は、登校早々に怪談話で同級生を怖がらせ、手品やほら話を披露した。また、肥満児であったためいじめを受けると、トイレに駆け込んで赤いペンキを顔に塗り、大怪我になった演技をして相手を狼狽させた。これ以降、誰も彼をいじめようとはしなくなった。ハロウィンでは学校を恐怖に陥れ、クリスマスにはキリスト受難劇シェイクスピアの劇を自ら演じた。彼は、この学校で、校長で義理の父親になったロジャー・ヒルの指導を受けた。また、神学者・哲学者チャールズ・ハートショーンの妻だった歌手ドロシー・ハートショーンの講義を受けた。

演劇人の時代

1931年、ウェルズは16歳で、アイルランドダブリンにある有名なゲート劇場で脇役として舞台デビューを果たした。1934年にはアメリカに戻ってラジオドラマのディレクター兼俳優となっており、後にマーキュリー劇場で共演する俳優たちと仕事をした。この年、女優で社交界の名士のヴァージニア・ニコルソンと結婚し、また『The Hearts of Age』という短編映画の共同監督となり、ニコルソンと共演している。

世界恐慌後の大不況が続く1936年、アメリカ政府による演劇人救済と大衆への演劇供給を目的としたプロジェクトである連邦劇場計画(FTP)が始まった。ウェルズは、FTP責任者たちから注目され、21歳でニューヨーク市ハーレム地区でのアフリカ系アメリカ人の俳優・スタッフたちとの演劇制作事業に、演出家として赴任した。妻の提案で、彼は敬愛するシェークスピアの『マクベス』を、ただし舞台をハイチの19世紀初頭の圧政者アンリ・クリストフの王宮に移してプロデュースすることにした。劇は批評家や口さがない人々の関心を惹きつけ、多くの中傷を受けたが、公演が始まると大ヒットとなった。

『マクベス』成功後、彼は『フォースタス博士』などの舞台を制作した。1937年、ウェルズは労働者の戦いを描くミュージカル『ゆりかごは揺れる』(原題:The Cradle Will Rock)の制作と演出を手がけた。しかし、連邦劇場計画は内容を恐れて予算の制約を理由に制作を中止させ、俳優たちは組合から舞台に立つことを禁じられ、本稽古(ドレス・リハーサル)の初日に劇場を閉鎖した。この後のウェルズと共同制作者のジョン・ハウスマンのとっさの処置はのちに伝説となっている。彼らは公演開始時間の直前まで劇場の前で待ち、チケットを持ってやってきた観客たちに、あらかじめ押さえておいた別の劇場に移動するようアナウンスした。20ブロック先の別の劇場までウェルズとスタッフ、俳優、観客たちは大挙して行進した。舞台にはセットもオーケストラも用意できなかったため、脚本・作曲を手がけたマーク・ブリッツステインが一人でピアノの前に座っていた。ウェルズたちは「舞台で演じてはならない」という組合の指令を逆手に取り、俳優や演奏者を観客席に座らせてブリッツステインのピアノに合わせて次々立ち上がらせて、劇を観客席のただなかで上演した。このミュージカルは、こうした印象的な演出の評判でヒットした。

マーキュリー劇団とラジオドラマ

この成功を受け、ウェルズとハウスマンは劇団「マーキュリー劇場」を主宰し、シェークスピアを斬新に解釈するなどさまざまな実験的な公演を行って高く評価された。

1936年、ウェルズは、ラジオ番組にも進出し、CBSラジオにて『ハムレット』のタイトルロールを演じた。1937年にはマーキュリー劇団として、共同放送システム(MBS)にて『レ・ミゼラブル』を演じた。

1938年7月からはCBSラジオにて、小説や演劇を斬新な形式で短編ドラマ化する番組『Mercury Theatre on the Air』を毎週演ずることになったが、大衆の反応は今ひとつだった。しかし、同年10月30日にH.G.ウェルズのSF小説『宇宙戦争』の翻案『宇宙戦争』を放送する際、舞台を現代アメリカに変え、ヒンデンブルク号炎上を彷彿とさせるような臨時ニュースで始め、以後もウェルズ演じる目撃者による回想を元にしたドキュメンタリー形式のドラマにするなど、前例のない構成や演出と迫真の演技で放送を行った。その結果、聴取者から本物のニュースと間違われ、パニックを引き起こした。

この事件でウェルズは全米に名を知られるようになり、それまでスポンサーの付かなかったこの番組は、12月にキャンベル・スープ社の提供による『The Campbell Playhouse』に改題、1940年3月まで継続した。その後も1950年代半ばまで、ウェルズはラジオ番組に関わり続け、多くの印象的な番組を残している。

ハリウッドでのウェルズ

『火星人襲来』事件の話題性を買ったハリウッドRKOはウェルズを招き、全権を委託して映画の製作を任せた。「ハリウッドは子供が欲しがる最高のオモチャさ!」とその時のインタビューで答えたのも有名である。第一候補だったジョゼフ・コンラッドの『闇の奥』は、ラジオ時代に取り組んだ作品の一つだったが、予算がかかり過ぎるとして断念した。代わりに製作された『市民ケーン』は、新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストを模した人物の人生を暴く内容が物議を醸し、ハースト系の新聞による全面攻撃を受けた。上映できない地域も多く、興行的には惨敗した。しかし内容的には、多重多層的な凝った構成、ハリウッド映画で初めて試みられたディープフォーカス(画面の中のすべてにピントが合う手法)、広角レンズの多用や床にカメラを収める穴を掘ってまで拘ったローアングルの多用など、映画として画期的なもので、その評価は現在に至るまで非常に高く、オールタイムベストテンを編まれれば、常にトップないし上位に位置する作品となった。一方、興行的に失敗したことでハリウッドでの発言力は低下した。そのため、第2作『偉大なるアンバーソン家の人々』はずたずたにカットされ、不本意な形で公開されることとなった。

晩年のウェルズ

以後一般映画を撮るが、自分の企画がなかなか実現できないなど、扱いは悪かった。テレビなどに拠点を移すかたわら、活路を「存在感で見せる怪優」に見出した。これは、同じく天才と称されて映画史に残る映画を監督しながら、ハリウッドでは不遇だったエリッヒ・フォン・シュトロハイムと同じ道を辿ったことになる。映画『トランスフォーマー ザ・ムービー』(惑星を食い尽くす悪役ロボであるユニクロンを演じ、これが遺作になった)への出演や、日本での英会話教材「イングリッシュ・アドベンチャー」のナレーションなど、チープな役どころとも生涯縁が切れなかった。ただ、『火星人襲来』やインタビューに見られるように茶目っ気あふれる性格であるため、自分の喜劇的な人生をそれなりに楽しんでもいたようである。

演技力だけでなく、脚本における含みを持たせた表現は、ウィットに富んだものとされ、俳優として出演した場合も、自分の台詞は自分で書いた。特に『第三の男』で演じたハリー・ライム役と彼の「ボルジア家の圧制はルネサンスを生んだが、スイスの同胞愛、そして500年の平和と民主主義は何を生んだ?……鳩時計だとさ」という台詞は有名。また、チャーリー・チャップリンの監督・主演で映画化された『殺人狂時代』の「一人の殺人は犯罪者を生み、戦争での百万の殺人は英雄を生む。数が(殺人を)神聖化するのだ」という台詞はウェルズが考え出したものだという説もある。しかし、チャップリンは自伝の中で「ウェルズは青ひげ事件の映画化をもちかけただけで、殺人狂時代の脚本は自分が単独で書いたものだ」と正反対の主張をしており、真相は明らかでない。ただしチャップリンは、ウェルズの名前を映画冒頭のクレジットに表記している。

また、マジックが趣味で、腕前は相当だった。贋作者たちを描いた『フェイク』は彼が監督し劇場公開された最後の映画となったが、自ら老いぼれマジシャンを演じているなど、マジックや虚構に対する愛着は人一倍であった。『第三の男』撮影時、わがままからホテルの部屋に閉じこもったウェルズを、リード監督は高名なマジシャンのマジックを餌に連れ出したという逸話がある。

映画製作への情熱は生涯失わなかったが、多額の製作費を集めるのにはいつも苦労しており、B級映画への出演を続けてやりくりしていた。

1985年10月10日、ハリウッドの自宅で糖尿病心臓発作のため70歳で死去した。

結婚

生涯で3度結婚しており、それぞれの妻との間に娘が一人ずついる。ヴァージア・ニコルソン(1934年結婚、1940年に離婚)、リタ・ヘイワース(1943年結婚、1948年に離婚)、パオラ・モリス(1955年に結婚、後に離婚?)。また、未婚だがジェラルディン・フィッツジェラルドとの間に生まれた息子に、映画『レット・イット・ビー』の監督であるマイケル・リンゼイ=ホッグがいる。

代表作

主な監督作品

主な出演作品

  • ジェーン・エア - Jane Eyre (1943年)
  • 離愁 - Tomorrow is Forever (1946年)
  • 第三の男 - The Third Man (1949年)
  • 狐の王子 - Prince of Foxes (1949年)
  • 黒ばら - The Black Rose (1950年)
  • ナポレオン - Napoleon (1954年)
  • 白鯨 - Moby Dick (1956年)
  • 長く熱い夜 - The Long Hot Summer (1958年)
  • 自由の大地 - The Roots of Heaven (1958年)
  • 黒い罠 - Touch of Evil (1958年)
  • 強迫/ロープ殺人事件 - Compulsion (1959年)
  • 鏡の中の犯罪 - Crack in the Mirror (1960年)
  • ロゴパグ - RoGoPaG: La Viamoci il Cervello (1963年)
  • 予期せぬ出来事 - The V.I.P.S (1963年)
  • マルコ・ポーロ大冒険 - Malco Polo (1964年)
  • わが命つきるとも - A Man for All Seasons (1966年)
  • パリは燃えているか - Paris Brûle-t-il? (1966年)
  • 007 カジノ・ロワイヤル - Casino Royale (1967年)
  • ジブラルタルの追想 - A Sailor from Gibraltar (1967年)
  • 明日に賭ける - I'll Never Forget What's is Name (1967年)
  • 非情の切り札 - House of Card (1968年)
  • サファリ大追跡 - The Southern Star (1969年)
  • クレムリン・レター/密書 - The Klemlin Letter (1969年)
  • ワーテルロー - Waterloo (1970年)
  • 004/アタック大作戦 - Two Times Two (1970年)
  • キャッチ22 - Catch-22 (1970年)
  • 宝島 - Treasure Island (1971年)
  • ウィッチング - The Witching (1972年)
  • さすらいの航海 - Voyager of the Damned (1976年)
  • クリスマスの出来事 - It Happened One Christmas (1977年)
  • マペットの夢みるハリウッド - The Muppet Movie (1979年)
  • ノストラダムス/大王降臨 - The Man Who Saw Tomorrow (1981年)
  • トニー・カーチスの発明狂時代 - Where is Parsifal? (1984年)
  • トランスフォーマー ザ・ムービー - Transformers The Movie (1986年)

ナレーション担当作品

  • 1937年 『スペインの大地』 - The Spanish Earth
  • 1961年 『キング・オブ・キングス』 - King of Kings
  • 1967年 『ロシア革命の真実/世界を震撼させた10日間』 - The Days That Shocked the World
  • 1980年 『将軍 SHOGUN
  • 1980年 『将軍/テレビ朝日放送版』
  • 1981年 『ジェノサイド/ナチスの虐殺・ホロコーストの真実』 - Genocide

脚本提供作品

  • 1973年 『風雪の太陽』 - Sutjeska
  • 1999年 『第一の嘘』 - The Big Brass Ring

受賞歴

部門 作品名 結果
アカデミー賞 1941年 主演男優賞 市民ケーン ノミネート
監督賞 ノミネート
脚本賞 受賞
1970年 名誉賞 受賞
ゴールデングローブ賞 1982年 助演男優賞 Butterfly ノミネート
カンヌ国際映画祭 1952年 パルム・ドール オーソン・ウェルズの オセロ 受賞
1959年 男優賞 強迫/ロープ殺人事件 受賞
ニューヨーク映画批評家協会賞 1941年 主演男優賞 市民ケーン ノミネート
監督賞 ノミネート
ゴールデンラズベリー賞 1982年 最低助演男優賞 Butterfly ノミネート

その他

参考文献

  • モーリス・ベッシイ著、竹内健訳『ウェルズ』、現代のシネマ9.三一書房、1976年
  • リチャード・フランス著、山崎正和訳 『オーソン・ウェルズ 青春の劇場』、講談社学術文庫、1983年
  • 『シネアスト.映画の手帖2 オーソン・ウェルズ特集』、青土社、1985年
  • バーバラ・リーミング著、宮本高晴訳『オーソン・ウェルズ偽自伝』、文藝春秋、1991年
  • オーソン・ウェルズ/ピーター・ボグダノヴィッチ著、ジョナサン・ローゼンバウム編、河原畑寧訳『オーソン・ウェルズ その半生を語る』、キネマ旬報社、1995年
  • ロバート・L・キャリンジャー著、藤原敏史訳『「市民ケーン」、すべて真実』、リュミエール叢書21、筑摩書房、1995年

関連項目

外部リンク

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