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|post            = 首相
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|body            = {{Flagicon|GBR}} [[イギリス|グレートブリテン及び<br />北アイルランド連合王国]]の
 
|nativename      = Prime Minister of the United Kingdom<br />of Great Britain and Northern Ireland
 
|insignia        = Royal Coat of Arms of the United Kingdom (HM Government).svg
 
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|insigniacaption = [[イギリス政府|女王陛下の政府]]紋章
 
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|image          = ファイル:Theresa May.png
 
|incumbent      = [[テリーザ・メイ]]<br />Theresa Mary May
 
|incumbentsince  = [[2016年]][[7月13日]]
 
|residence      = [[ダウニング街10番地]]
 
|appointer      = [[エリザベス2世]]
 
|appointerpost  = ([[イギリスの君主|イギリス女王]])
 
|termlength      = [[陛下の仰せのままに|女王陛下の仰せのままに]]
 
|formation      = [[1721年]](実質。宮中序列で正式に定められたのは[[1905年]])
 
|inaugural      = [[ロバート・ウォルポール]]
 
|website        = [http://www.number10.gov.uk/ Number10.gov.uk]
 
}}
 
'''グレートブリテン及び北アイルランド連合王国の首相'''(グレートブリテンおよびきたアイルランドれんごうおうこくのしゅしょう、{{Lang-en|'''Prime Minister of the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland'''}})は、[[イギリス政府]]([[イギリスの君主|女王陛下]]の政府)の長、連合王国内閣総理大臣である。称号は「閣下(The Right Honourable)」。[[イギリス]]における実質的な[[行政権]]を掌握している。
 
 
 
== 首相の誕生 ==
 
[[Image:Robertwalpole.jpg|thumb|200px|left|イギリスの初代首相とされ、最も在任期間が長い[[ロバート・ウォルポール]](在任期間:[[1721年]] - [[1742年]])]]
 
「[[首相]]」(Prime Minister)という地位はイギリスにおいて[[20世紀]]まで公的な地位ではなかったのでその起源に不明確なところは多い{{sfn|神戸史雄|2005|p=171-172}}{{sfn|加藤紘捷|2002|p=194}}。
 
 
 
一般に[[イギリス]]における最初の[[首相]]と考えられているのは、[[ハノーヴァー朝]]初期の[[1721年]]から[[1742年]]にかけて[[第一大蔵卿]](First Lord of the Treasury)を務めた[[ロバート・ウォルポール]]である。当時ウォルポールは閣僚の中でも抜きんでた存在になっており、国王([[ジョージ1世 (イギリス王)|ジョージ1世]]と[[ジョージ2世 (イギリス王)|ジョージ2世]])が閣議を主宰しなくなっていたため、第一大蔵卿が閣議を主宰する慣例が彼の時代に確立したこと、また[[議会]]の支持を背景に政治を行う[[議院内閣制]]の基礎もこの政権下で築かれたと評価されているためである{{sfn|加藤紘捷|2002|p=193-194}}。事実ウォルポールの退任は国王の信任を失ったためではなく、[[1741年]]の{{仮リンク|1741年イギリス総選挙|label=総選挙|en|British general election, 1741}}で僅差の多数派しか得られず、その後招集された議会で採決に敗れたためだった{{sfn|今井宏(編)|1990|p=290/301-302}}{{sfn|加藤紘捷|2002|p=58-59}}。当時よりウォルポールは俗称で「首相」(Prime Minister)と呼ばれたが、これは法的根拠なく他の閣僚を支配していることを批判する呼称であったのでウォルポール自身はそう呼ばれるのを嫌ったという{{sfn|神戸史雄|2005|p=171-172}}。
 
 
 
ウォルポール退任後も第一大蔵卿の職位に就いた者が閣議を主宰することが多かったのでその者を指して「首相」と呼んだが、閣議主催者ではない場合には第一大蔵卿であっても「首相」とは呼ばれない。例えば[[1766年]]から[[1768年]]にかけて首相になったと考えられている初代[[チャタム伯爵]][[ウィリアム・ピット (初代チャタム伯爵)|ウィリアム・ピット]](大ピット)は[[王璽尚書]]として内閣を率いている。この時第一大蔵卿だったのは第3代[[グラフトン公爵]][[オーガスタス・フィッツロイ (第3代グラフトン公)|オーガスタス・フィッツロイ]]だが、組閣の大命を受けたのは大ピットであり、閣議を主宰したのも大ピットなのでこの内閣の首相は大ピットとされている{{sfn|小松春雄|1983|p=178}}。
 
 
 
大ピットの息子[[ウィリアム・ピット (小ピット)|ウィリアム・ピット]](小ピット)が[[1783年]]に第一大蔵卿になった時には「首相」という言葉は閣僚の中の「同輩中の首席」を指す言葉として定着していたといわれる{{sfn|加藤紘捷|2002|p=59}}。[[1803年]]の議会議事録(ハンザード)は冒頭の閣僚名簿で小ピットの後任[[ヘンリー・アディントン (初代シドマス子爵)|ヘンリー・アディントン]](後の初代[[シドマス子爵]])について第一大蔵卿兼大蔵大臣と記載しているが、その後ろに括弧付きで「Prime Minister」と書いている{{sfn|神戸史雄|2005|p=172}}。
 
 
 
第3代[[ソールズベリー侯爵]][[ロバート・ガスコイン=セシル (第3代ソールズベリー侯)|ロバート・ガスコイン=セシル]]の3度の内閣においては第一大蔵卿の地位はそれぞれ初代[[イデスリー伯爵]][[スタッフォード・ノースコート (初代イデスリー伯爵)|スタッフォード・ノースコート]]、[[ウィリアム・ヘンリー・スミス (1825-1891)|ウィリアム・ヘンリー・スミス]]、[[アーサー・バルフォア]]が付いた。この例外的処置の影響で[[1905年]]には宮中序列に第一大蔵卿と別に首相の席次が設定された。この時に首相の地位が王室から公的に認められたことになる{{sfn|神戸史雄|2005|p=172}}。とはいえ首相と第一大蔵卿が分離したのは第3次ソールズベリー侯爵内閣を最後に[[2016年]]現在まで無い。
 
 
 
首相が法律で定められたのは[[1937年]]のことで、この年までは「首相」という語は大臣法に無かった。ただし、外交文書ではこれよりも前に首相の語が使われている。また[[1968年]][[11月1日]]の行政改革で、[[:en:Wikipedia:Her Majesty's Civil Service|国家公務員(Her Majesty's Civil Service)]]{{#tag:ref|直訳は「女王陛下の官吏」 国王が男性か女性かで呼称もその時々により変動する。|group=注釈}}の長として官僚達を指揮する[[国家公務員担当大臣|国家公務員担当大臣(Minister for the Civil Service)]]が設けられると、首相がこれをも兼務する事となった。
 
 
 
現在のイギリス首相の正式な肩書きは'''グレートブリテン及び北アイルランド連合王国首相 兼 第一大蔵卿 兼 国家公務員担当大臣'''('''Prime Minister, First Lord of the Treasury and Minister for the Civil Service of the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland''')である。なお、第二大蔵卿は財務大臣である。これを補佐する財務省首席政務官は閣議に参加する。この職掌は予算折衝で各省の主張と国策との総合的な調整を担っている。税制改正は財務大臣の専権事項であり、各省に相談すらしない。
 
 
 
== 首相の選出方法 ==
 
[[政党政治]]が発展した現在では[[慣習法]]([[イギリスの憲法|憲法]]的習律)により、[[庶民院 (イギリス)|庶民院]]([[下院]])議員(Member of Parliament, MP)の中から、[[イギリス総選挙|総選挙]]で庶民院の過半数の議席を獲得した政党の党首が任命されている。庶民院議員に限定されるという慣例は20世紀に成立したものであり、18世紀には圧倒的に貴族院議員の方が多く、19世紀に至っても貴族院議員が首相である時期は50年を超える{{sfn|神戸史雄|2005|p=171}}。最後の貴族院議員の首相は1902年まで首相を務めた第3代ソールズベリー侯爵ロバート・ガスコイン=セシルである。しかし20世紀半ばに入っても首相が庶民院議員に限定されるとの慣習が女王を拘束できているかどうかは怪しい。[[1963年]]には第14代[[ヒューム伯爵]][[アレック・ダグラス=ヒューム|アレグザンダー・ダグラス=ヒューム]]に組閣の大命があったからである。このときはヒューム伯自身が爵位を返上して庶民院議員補欠選挙に出て庶民院議員になる事で対応している{{sfn|神戸史雄|2005|p=180}}。
 
 
 
任命者は[[イギリスの君主|国王(女王)]]である{{sfn|神戸史雄|2005|p=178}}。首相の任命は[[国王大権 (イギリス)|国王大権]]事項であり、最も重大な大権の一つといえる{{sfn|加藤紘捷|2002|p=195}}。日本の首相は国会の指名に基づき天皇が任命するが、イギリスでは議会による首相指名の手続きのないままに王が議会の状況から判断して任命する。これは王が専制的に首相任命を行う危険をはらんでいる。とりわけどの党も過半数を取れなかった時と首相が死亡・退任したが、政権与党内に衆目の一致する後継者がいない時にその危険が生じる{{sfn|加藤紘捷|2002|p=195}}{{sfn|神戸史雄|2005|p=178-179}}。事実、現女王エリザベス2世の時代に入ってからも何度か女王個人の裁量権が発揮されたケースが起きている{{#tag:ref|首相任命に際してのエリザベス2世の個人裁量権が発揮された最初の例は[[1957年]]の[[アンソニー・イーデン]]の病気退任の際である。この時政権与党の保守党内で衆目の一致する後継者はなく、[[ラブ・バトラー]]か[[ハロルド・マクミラン]]かという状況になった。この際にエリザベス2世は枢密院議長の第5代[[ソールズベリー侯爵]][[ロバート・ガスコイン=セシル (第5代ソールズベリー侯爵)|ロバート・ガスコイン=セシル]]と枢密顧問官だった元首相[[ウィンストン・チャーチル|サー・ウィンストン・チャーチル]]を招集して諮問し、その助言に基づいてマクミランに組閣の大命を与えている{{sfn|神戸史雄|2005|p=179}}。1963年にマクミランが病気退任した際も衆目の一致する後継者がなかったが、エリザベス2世は病室のマクミランを見舞って後継首相について諮問し、その助言に基づいて第14代[[ヒューム伯爵]][[アレック・ダグラス=ヒューム|アレグザンダー・ダグラス=ヒューム]]に組閣の大命を与えた{{sfn|神戸史雄|2005|p=179}}。|group=注釈}}。歴代イギリス国王は遡れば遡るほど王意を政治に実現させることにこだわり、重臣をどのポストに就けるかに大きな影響力をもった。特にハノーヴァー朝前期の三王(ジョージ1世から[[ジョージ3世 (イギリス王)|ジョージ3世]])はそうだった{{sfn|神戸史雄|2005|p=170}}
 
 
 
[[単純小選挙区制]]が採用されているイギリスでは通常、[[二大政党制|二大政党]]のいずれか一方が単独で過半数の議席を獲得するが、稀にどの政党も単独過半数の議席を獲得できない「[[ハング・パーラメント]]」と呼ばれる状態になることがあり、こうした場合には二大政党のいずれかが少数政党と[[連立政権]]を組むか、もしくは少数与党政権となる。また、ハング・パーラメントとは異なるものの、[[世界恐慌]]時や[[戦時体制]]下などにおいては[[挙国一致内閣]]が組まれた例がある。
 
 
 
[[第二次世界大戦]]後のイギリスでは、[[1974年]]と[[2010年]]の総選挙においてハング・パーラメントが発生している。1974年の際は[[労働党 (イギリス)|労働党]]の少数与党政権となって不安定な政権運営が続き、8ヶ月後に再び解散・総選挙が行われたが、2010年の際には[[保守党 (イギリス)|保守党]]と[[自由民主党 (イギリス)|自由民主党]]による連立政権が組まれた。
 
 
 
== 首相および内閣の権限 ==
 
イギリスにおける行政の最高権は名目上、国王およびその諮問機関である[[枢密院 (イギリス)|枢密院]]が持っていることになっているが、「'''国王は君臨すれども統治せず'''」の原則により、国王の政治的権力は実際には行使されることが無い。形式上は現在もなお[[内閣 (イギリス)|内閣]]よりも上位に位置する枢密院も、議会権力の強化とともに形骸化し、内閣が議会の信任によって成立し議会に対して責任を負う議院内閣制の仕組みが確立していった。
 
 
 
そのため現在では、[[イギリスの憲法]]を構成するとされている[[マグナ・カルタ]]を始めとする成文法典および[[慣習法]]([[不文憲法]])に基づき、首相を中心とする内閣が行政の実権を握っている。首相は、閣僚の任免権・庶民院の解散権(2016年現在この大権は無い。詳しくは後述)・[[宣戦布告]]などの[[大権|国王大権]]の行使を、国王に代わって実質的に決定する。原則として国王大権は首相の助言なくして行使できない{{sfn|加藤紘捷|2002|p=198}}。議会における[[国王演説]]も、内閣があらかじめ用意した原稿をそのまま読み上げるだけである。
 
 
 
下院は首相及び内閣に対して[[内閣不信任決議|不信任決議権]]を持つ。下院において政府に対する[[内閣不信任決議|不信任決議]]が成立した場合には、首相は内閣総辞職か庶民院の[[解散 (議会)|解散]][[イギリス総選挙|総選挙]]のいずれかを行わなければならない。かつて英国首相は日本の首相と同様に内閣不信任が成立していなくても君主の持つ議会解散権への助言によって任意に下院を解散できた(1918年以降には首相は解散助言にあたって内閣に諮る必要もないとの憲法慣習ができた){{sfn|神戸史雄|2005|p=170}}。しかし[[2011年]]に可決された[[2011年議会任期固定法|議会任期固定法]]により、女王の議会解散に関する大権が削除されたため、英国首相は任意に下院解散の助言を行うことができなくなった(5年の任期切れ前に下院解散ができるのは、下院が所属議員三分の二以上の賛成で解散を自主的に決議するか、内閣不信任案が決議された時に限られる){{sfn|河島太朗|2012|p=4/16}}。
 
 
 
== 首相官邸 ==
 
[[Image:10 Downing Street 2010.jpg|right|thumb|300px|イギリスの首相官邸「[[ダウニング街10番地]]」]]
 
一般にイギリス首相官邸とされる[[ダウニング街10番地]]は、正式には第一大蔵卿官邸であるが、これも[[ロバート・ウォルポール|ウォルポール]]以来の慣習である。
 
 
 
この建物はもともと[[ジョージ2世 (イギリス王)|ジョージ2世]]がウォルポール個人に下賜したものだったのが、ウォルポールはこれを公的な贈与として受け入れ、後任の第一大蔵卿に引き渡した。その結果第一大蔵卿官邸として使われることになったのである{{sfn|トレヴェリアン|1975 3巻|p=30}}。首相はさらに、[[バッキンガムシャー]]の{{仮リンク|エルズバラ|en|Ellesborough}}という村に、通称「{{仮リンク|チェッカーズ (カントリー・ハウス)|label=チェッカーズ|en|Chequers}}」と呼ばれる別邸を持つ。第2次世界大戦中、[[ウィンストン・チャーチル]]は、[[ロンドン空襲]]を避けるためこの別邸でも会議を開いた。
 
[[File:Chequers2.jpg|right|thumb|300px|Ellesboroughの別邸{{仮リンク|チェッカーズ (カントリー・ハウス)|label=チェッカーズ|en|Chequers}}]]
 
 
 
== 歴代のイギリス首相 ==
 
=== 歴代首相の一覧 ===
 
{{Main|イギリスの首相の一覧}}
 
 
 
=== 存命中の歴代首相 ===
 
<gallery widths="145px" heights="160px">
 
File:John Major 1996.jpg|<div style="text-align:center;">[[ジョン・メージャー]]<br/>([[1990年]] - [[1997年]])</div>
 
File:TonyBlairBasra.JPG|<div style="text-align:center;">[[トニー・ブレア]]<br/>([[1997年]] - [[2007年]])</div>
 
File:Gordon Brown official.jpg|<div style="text-align:center;">[[ゴードン・ブラウン]]<br/>([[2007年]] - [[2010年]])</div>
 
File:David Cameron official.jpg|<div style="text-align:center;">[[デーヴィッド・キャメロン]]<br/>([[2010年]] - [[2016年]])</div>
 
</gallery>
 
 
 
== イギリスの首相に関する各種記録 ==
 
[[ファイル:Canning.jpg|150px|サムネイル|在任僅か4か月足らずだった[[ジョージ・カニング|カニング]](在任1827年)]]
 
=== 最長記録 ===
 
イギリスの首相を最も長期間にわたって務めたのは初代首相のロバート・ウォルポールであり、[[1721年]][[4月4日]]から[[1742年]][[2月11日]]までの20年と314日に及ぶ長期政権となった。この間、ウォルポールは庶民院における与党・[[ホイッグ党 (イギリス)|ホイッグ党]]の勢力安定を政治的基盤に指導力を高め、対外的には平和政策を推進しつつ、国内においては近代的な議院内閣制の基礎を固めていき、その統治は「パックス・ウォルポリアーナ」(ウォルポールの平和)と呼ばれた。
 
=== 最短記録 ===
 
歴代首相の中で最も在任期間が短かったのは[[1827年]]に就任した[[ジョージ・カニング]]であり、就任直後に健康状態が悪化して死去したため、119日間の短命政権となった(連続在任日数では、[[1782年]]に首相に返り咲いた第2代[[ロッキンガム侯]][[チャールズ・ワトソン=ウェントワース (第2代ロッキンガム侯)|チャールズ・ワトソン=ウェントワース]]の第2次政権が在任日数96日で最も短いが、[[1765年]]から約1年ほど続いた第1次政権との通算では、カニング及び他の何人かの首相よりも長くなる)。
 
{{-}}
 
 
 
=== 年長・年少記録 ===
 
{| border="0" cellpadding="1" cellspacing="2" style="margin:0px 0px 5px 5px; text-align:center; border:solid 1px #bbb; float:right;"
 
| [[File:Pitt the Younger.jpg|x250px]]||[[ファイル:1271754717 william-e.-gladstone.jpg|x250px]]
 
|-
 
|[[ウィリアム・ピット (小ピット)|小ピット]]||[[ウィリアム・グラッドストン|グラッドストン]]
 
|}
 
イギリス史上、最年少で首相に選ばれたのは、[[1783年]]に24歳で首相に就任した[[ウィリアム・ピット (小ピット)|ウィリアム・ピット]](小ピット)であり、[[1801年]]まで約17年に及ぶ長期政権を築いた。また、[[1804年]]には再び首相に選ばれ、通算で18年と343日にわたって首相を務め、ウォルポールに次ぐ歴代2番目の長さとなった。
 
 
 
最も高齢で首相に任命されたのは[[ウィリアム・グラッドストン]]であり、[[1892年]]に彼が4度目に首相に就任した際には82歳であった(初回の首相就任時に最も高齢だったのは[[1855年]]に就任した第3代[[パーマストン子爵]][[ヘンリー・ジョン・テンプル (第3代パーマストン子爵)|ヘンリー・ジョン・テンプル]]の71歳であった)。なお、4回にわたって首相を務めたグラッドストンは、就任回数が最も多い首相でもある。
 
 
 
=== 在任中に死亡した首相 ===
 
在任中に死亡した首相はこれまでのところ、初代[[ウィルミントン伯]][[スペンサー・コンプトン (初代ウィルミントン伯)|スペンサー・コンプトン]]、[[ヘンリー・ペラム]]、第2代ロッキンガム侯チャールズ・ワトソン=ウェントワース、ウィリアム・ピット(小ピット)、[[スペンサー・パーシヴァル]]、ジョージ・カニング、第3代パーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプルの計7人である。スペンサー・パーシヴァルは、政権の経済政策に不満を持つ者による銃撃によって死亡しており、2018年現在のところイギリス史上唯一の[[暗殺]]された首相となっている。
 
{{-}}
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
=== 注釈 ===
 
{{reflist|group=注釈|1}}
 
=== 出典 ===
 
{{reflist|1}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
*{{Cite book|和書|editor=[[今井宏]]編|date=1990年(平成2年)|title=イギリス史〈2〉近世|series=世界歴史大系|publisher=[[山川出版社]]|isbn=978-4634460201|ref=harv}}
 
*{{Cite book|和書|author=[[神戸史雄]]|date=2005年(平成17年)|title=イギリス憲法読本|publisher=[[丸善出版サービスセンター]]|isbn=978-4896301793|ref=harv}}
 
*{{Cite book|和書|author=[[小松春雄]]|date=1983年(昭和58年)|title=イギリス政党史研究 エドマンド・バークの政党論を中心に|publisher=[[中央大学出版部]]|asin=B000J7DG3M|ref=harv}}
 
*{{Cite book|和書|author=[[加藤紘捷]]|date=2002年(平成14年)|title=概説 イギリス憲法―由来・展開そして改革|publisher=[[勁草書房]]|isbn=978-4326402076|ref=harv}}
 
*{{Cite book|和書|author=[[河島太朗]]|year=2012|title=イギリスの 2011 年議会任期固定法|url=http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_4023707_po_025402.pdf?contentNo=1&alternativeNo=&itemId=info:ndljp/pid/4023707&itemId=info:ndljp/pid/4023707&__lang=ja|format=PDF|publisher=[[国立国会図書館デジタルコレクション]]|ref=harv}}
 
*{{Cite book|和書|last=トレヴェリアン| first=ジョージ|translator=[[大野真弓]]|year=1975 3巻|title=イギリス史 3|publisher=[[みすず書房]]|isbn=978-4622020370|ref=harv}}
 
== 関連項目 ==
 
{{Commons|Prime ministers of the United Kingdom}}
 
* [[イギリスの政治]]
 
* [[内閣 (イギリス)]]
 
** [[イギリスの副首相]]
 
* [[イギリスの議会]]
 
** [[庶民院 (イギリス)|庶民院]]
 
** [[イギリス総選挙]]
 
* [[イギリスの君主]]
 
* [[イギリス君主一覧]]
 
* [[イギリスの首相の一覧]]
 
* [[イギリスの歴代内閣]]
 
 
 
{{イギリスの首相}}
 
{{イギリス関連の項目}}
 
 
 
{{DEFAULTSORT:いきりすのしゆしよう}}
 
[[Category:イギリスの首相|*]]
 

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