アーヘン

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アーヘン
Aachen
アーヘンの位置
アーヘン
座標: 東経6度6分0秒北緯50.76667度 東経6.1度50.76667; 6.1
ドイツの旗 ドイツ
ノルトライン=ヴェストファーレン州
行政管区 ケルン行政管区
郡独立市
行政区域 7 Stadtbezirke
行政
 - 市長 マルセル・フィリップ (CDU)
面積
 - 計 160.83km2 (62.1mi2)
標高 173m (568ft)
人口 (2017年12月31日)[1]
 - 計 246,272人
郵便番号 52062 – 52080(旧: 5100)
市外局番 0241、02403、02405、02407、02408
ナンバープレート AC
自治体コード 05 3 34 002
ウェブサイト www.aachen.de
市庁舎

アーヘン(標準ドイツ語: Aachen ドイツ語発音: [ˈʔaːxən][2])は、ドイツ連邦共和国の都市。ノルトライン=ヴェストファーレン州に属する。フランス語名はエクス・ラ・シャペル (Aix-la-Chapelle)。オランダ語名はアーケン (Aken)。ラテン語名はアクアエ・グラニ (Aquae-Grani, Aquisgranum)。

地勢

ベルギーオランダ国境に近接している。近隣の都市としては、東の方角にケルン、西の方角にマーストリヒトオランダ)が挙げられる。温泉地としても知られ、町の名称はいずれもを意味する語に由来する。

名称

「アーヘン」の名称は古高ドイツ語 aha鉱泉)に由来し、ラテン語アクア(水)に対応する。町のラテン語名は「アクアエ・グラニ」であり、アクアは水、グラニとは鉱泉を意味し、イタリア語のアクイスグラナやスペイン語のアキスグランはここに由来している。フランス語名「エクス・ラ・シャペル」のエクスはアクアから来ている。シャペルとは礼拝堂(チャペル)の意味であり、後述のアーヘン大聖堂にちなんだものである。従って、フランス語名の意味は、「礼拝堂の泉」である。

歴史

この地は古代ローマ帝国の時代から知られており、ローマ人たちは、この地を温泉保養地として発展させて来た(アクアエ・グラニ)。

中世に入ると、8世紀末にフランク王国カール大帝が王宮をおき事実上の首都となり、大帝がこの地にイングランドの学僧アルクィンを招いたため、カロリング朝ルネサンスの舞台ともなった。9世紀後半にノルマン人の襲撃を受けて荒廃するが再建し、歴代のローマ王、ローマ皇帝がアーヘン大聖堂戴冠式を行った。皇帝フリードリヒ1世に都市特権を認められた。

14世紀半ば、都市内で手工業者が市政参加を求めてツンフト闘争を展開し、15世紀半ばに市政参加を果たした。1520年、皇帝カール5世の戴冠式が行われ、アーヘンで戴冠された最後の皇帝となった(ただし、その後1531年にローマ王としてフェルディナント1世が戴冠式を行っている。これが最後の戴冠式となる)。

17世紀の三十年戦争で深刻な打撃を受け荒廃したため、街の再建には長い期間を要した。1668年にはこの地でフランドル戦争(南ネーデルラント継承戦争)の講和条約アーヘンの和約 (1668年)が結ばれ、1748年にはオーストリア継承戦争の講和条約アーヘンの和約 (1748年)が結ばれた。1815年のウィーン議定書によってプロイセン領となった。

第二次世界大戦後期の1944年10月アメリカ陸軍によって包囲・攻撃され、街は大きな被害を受けた。アーヘンは大戦中ドイツ本土で初めて連合軍によって占領された都市となった。

文化

宮殿の礼拝堂として建てられたアーヘン大聖堂ユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録されている。聖堂の隣の宝物館にはカール大帝の金の胸像などがある。

また、ルクセンブルクに近く、ベルギーのフランス語圏に隣接していることもあって、フランス文化の影響を濃厚に受けている。

観光

スポーツ

サッカーのアレマニア・アーヘンの本拠地である。

出身有名人

脚注

  1. Amtliche Bevölkerungszahlen auf Basis des Zensus vom 9. Mai 2011
  2. まれに"Aachen"は「アーヒェン」と表記されることもあるが、これは発音規則の誤解であり、正しくは[ˈʔaːçən]ではなく、[ˈʔaːxən]である。したがって「アーヘン」のほうが現地音に近い表記であるといえる。

関連項目


外部リンク