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{{Portal|文学}}{{Portal|舞台芸術}}
 
'''アイスキュロス'''({{lang-gr|'''Αισχύλος'''}}, {{ラテン翻字|el|Aischylos}}, [[紀元前525年]] - [[紀元前456年]])は、古代[[アテナイ]]の[[三大悲劇詩人]]のひとりであり、[[ギリシア悲劇]](アッティカ悲劇)の確立者。代表作は[[オレステイア]]三部作。
 
  
== 概要 ==
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'''アイスキュロス'''({{lang-gr|'''Αισχύλος'''}}, {{ラテン翻字|el|Aischylos}}, [[紀元前525年]] - [[紀元前456年]]
アテナイ郊外の[[エレウシス]]で、貴族階級に属する地主エウリポリオーンの子として生まれた。エレウシスは[[エレウシスの秘儀|デメテルの秘儀]]で有名で、後にアイスキュロスがこの秘密を漏らしたとして誅殺されかけたという伝承がある。その生涯について伝えられていることはあまり多くないが、[[マラトンの戦い]]、[[サラミスの海戦]]に従軍したことはよく知られている。マラトンの戦いについては、彼がこの戦いに参加したことを生涯の誇りにしていたことが、以下の墓碑銘からもわかる。兄のキュネゲイロスはこの戦いで没した。
 
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|[[ギリシャ語]]||[[日本語]]
 
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:{{polytonic|Αἰσχύλον Εὐφορίωνος Ἀθηναῖον τόδε κεύθει}}
 
:{{polytonic|μνῆμα καταφθίμενον πυροφόροιο Γέλας·}}
 
:{{polytonic|ἀλκὴν δ' εὐδόκιμον Μαραθώνιον ἄλσος ἂν εἴποι}}
 
:{{polytonic|καὶ βαθυχαιτήεις Μῆδος ἐπιστάμενος}}<ref>Anthologiae Graecae Appendix, vol. 3, Epigramma sepulcrale|page=17p</ref>
 
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:これはアテーナイ人、エウポリオーンが子アイスキュロスの
 
:墓、豊かなる実り多きゲラの地に朽ちぬ。
 
:この人のいさおしの証は誉れ高きマラトーンの聖なる地、
 
:またこれをためした長い髪のメーディア人。<ref>高津 106P</ref>
 
  
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ギリシアの三大悲劇詩人の一人。[[アッチカ悲劇]]の形式の完成者。ペルシア戦争の際,重装兵としてマラトンの決戦に参加 (前 490) 。ギリシア悲劇中唯一現存の歴史劇『ペルシア人』 Persai (前 472上演) はサラミス海戦 (前 480) の体験に基づく。若い頃から劇作家として演劇競技に出場,作品は 90編あったと伝えられ,多くが3部作をなし,前 484年の初優勝以来優勝は 13回。現存作品はほかに,『テバイを攻める七将』 Hepta epi Thēbās (前 467) ,『救いを求める女たち』 Hiketides (前 463) ,『縛られたプロメテウス』 Promētheus Desmōtēs (前 460頃) ,3部作『オレステイア』 Oresteia (前 458) すなわち『アガメムノン』 Agamemnōn,『供養する女たち』 Choēphoroi,『慈愛の女神たち』 Eumenidesなど。
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サラミスの海戦については、自作『ペルシア人』にて見事に描かれている。この作品は[[紀元前472年]]の[[ディオニュシア祭]]において初演されたが、[[紀元前470年]]頃にアイスキュロスが訪れた[[シラクサ]]のヒエロン1世の宮殿でも再演されている。それからアテナイに戻り、『テーバイ攻めの七将』『オレステイア』などを上演したのち、再び[[シチリア島]]へ渡って同島のゲラで没した。カメを岩へ落として食べる[[ヒゲワシ]]に、頭を岩と間違えられカメを落とされたという伝説的な死因が伝わっている。
 
 
 
二十代から作劇を始め、[[紀元前484年]]に初の優勝を得てからは、ディオニュシア祭で開催された劇大会で合計13回優勝した。これを伝えられている彼の作品の数と悲劇上演の例で律すれば、5割を超える非常に高い優勝率を誇ったことになる。<ref>[[呉茂一]]編『世界文学大系』筑摩書房 1959年</ref>様式面では、それまでの悲劇が1人の俳優と[[コロス]]の掛け合いで進めていたのに対して俳優を2人とする改革を行ったこと、現存する唯一の同時代の事件を扱った作品(『ペルシア人』)を書いていることが知られる。作風については三部作構成を好んで用いたこと、[[アリストファネス]]にも揶揄された([[蛙 (喜劇)]]を参照)大言壮語とも言える大胆な比喩と荘重な詩句、[[ゼウス]]の正義の称揚が特徴的である。
 
 
 
アイスキュロスの一族もまた作家として有名になった。息子のエウリポリオーンは[[ソフォクレス]]と[[エウリピデス]]を破ってディオニュシア祭での優勝を果たし、甥のピロクレスもソフォクレスを破っている。
 
 
 
== 現存する作品 ==
 
[[File:Tragediae_septem.tif|thumb|Aeschyli ''Tragoediae septem'', 1552]]
 
アイスキュロスは90篇の作品を遺したと伝えられ、そのほとんどの題名が知られているが、完全な形で現存しているのは、以下の7篇のみである。
 
* [[ペルシア人 (アイスキュロス)|ペルシア人]](ペルサイ)
 
* [[テーバイ攻めの七将]]
 
* [[救いを求める女たち (アイスキュロス)|救いを求める女たち]](ヒケティデス)
 
* [[オレステイア]]三部作
 
** [[アガメムノーン (アイスキュロス)|アガメムノーン]]
 
** [[コエーポロイ]](供養する女たち)
 
** [[エウメニデス (アイスキュロス)|エウメニデス]](慈みの女神たち)
 
* [[縛られたプロメテウス]]
 
 
 
== 日本語訳 ==
 
*『ギリシア悲劇全集』 [[岩波書店]]、復刊2008年
 
**『(1) アイスキュロスI』 1990年、ISBN 4000916017
 
**『(2) アイスキュロスII』 1991年、ISBN 4000916025
 
**『(10) アイスキュロス断片』 1991年、ISBN 4000916106
 
*『ギリシア悲劇(1) アイスキュロス』 [[筑摩書房]]〈[[ちくま文庫]]〉、初版1985年、ISBN 448002011X-下記は旧版
 
**『[[世界古典文学全集]](8) アイスキュロス・ソポクレス』 筑摩書房、初版1964年、復刊2005年ほか、ISBN 4480203087
 
**『筑摩世界文学大系(4) ギリシア・ローマ劇集』 筑摩書房、初版1971年、復刊2000年ほか、ISBN 4480206043
 
*『悲壯劇 アイスキュロス』 生活社、1943年
 
*『ギリシア悲劇全集 I 』 [[人文書院]]、1960年
 
*『ギリシャ悲劇全集 I アイスキュロス編』 鼎出版会、1979年
 
*『古典劇大系 第一巻・希臘編』 近代社、1925年<ref>『[[ペルシア人 (アイスキュロス)|波斯人]]』、『[[アガメムノーン]]』、[[コエーポロイ|コイーフォロイ]]、『[[エウメニデス]]』以上の4作品を収録</ref>
 
*『世界戯曲全集 第1巻・希臘編』 同刊行会、1927年<ref>『[[テーバイ攻めの七将]]』と『[[救いを求める女たち]]』は未収載</ref>
 
 
 
== 参考文献 ==
 
*[[高津春繁]]『古代ギリシア文学史』岩波書店 2008年
 
*フランク・B・ギブニー編『[[ブリタニカ国際大百科事典]]』[[ティビーエス・ブリタニカ]] 1998年第3版
 
 
 
== 注釈 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist}}
 
  
 
== 関連項目 ==
 
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Aeschylus}}
 
{{Wikisourcelang|el|Αισχύλος|アイスキュロス}}
 
 
*[[ソポクレス]]
 
*[[ソポクレス]]
 
*[[エウリピデス]]
 
*[[エウリピデス]]
*[[古代ギリシアの演劇]]
 
  
 
{{Theatre of ancient Greece}}
 
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[[Category:古代ギリシアの詩人]]
 
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アイスキュロスギリシア語: Αισχύλος, Aischylos, 紀元前525年 - 紀元前456年

ギリシアの三大悲劇詩人の一人。アッチカ悲劇の形式の完成者。ペルシア戦争の際,重装兵としてマラトンの決戦に参加 (前 490) 。ギリシア悲劇中唯一現存の歴史劇『ペルシア人』 Persai (前 472上演) はサラミス海戦 (前 480) の体験に基づく。若い頃から劇作家として演劇競技に出場,作品は 90編あったと伝えられ,多くが3部作をなし,前 484年の初優勝以来優勝は 13回。現存作品はほかに,『テバイを攻める七将』 Hepta epi Thēbās (前 467) ,『救いを求める女たち』 Hiketides (前 463) ,『縛られたプロメテウス』 Promētheus Desmōtēs (前 460頃) ,3部作『オレステイア』 Oresteia (前 458) すなわち『アガメムノン』 Agamemnōn,『供養する女たち』 Choēphoroi,『慈愛の女神たち』 Eumenidesなど。

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