「いろは坂」の版間の差分

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{{Otheruses|栃木県日光市の坂|東京都多摩市にあるいろは坂|いろは坂 (多摩市)}}
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{{出典の明記|date=2015年2月12日 (木) 19:34 (UTC)|ソートキー=道国120いろは坂}}
 
 
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[[ファイル:Irohazaka 01.jpg|thumb|250px|第二いろは坂]]
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'''いろは坂'''(いろはざか)
'''いろは坂'''(いろはざか)は[[栃木県]][[日光市]]馬返から、同市[[中禅寺湖]]畔間の[[国道120号]]の坂道を指す。
 
{{第二いろは坂路線図}}
 
== 概要 ==
 
'''いろは坂'''の名称は、初期のいろは坂が48箇所の[[ヘアピンカーブ]]があったことからその名が付けられたとされる{{sfn|「日本の道100選」研究会|2002|pp=54-55}}。初期のいろは坂から改良された現在の「いろは坂」は、[[華厳滝]]がある華厳渓谷を挟むように、北側に下り専用の第一いろは坂と、南側に登り専用の第二いろは坂に分けられ{{Sfn|小川、栗栖、田宮|2016|p=67}}{{Sfn|中村純一 編|2017|p=67}}、この二つの坂に存在する48のカーブを[[いろは]]48音に例えており、個々のカーブには音に対応する文字板が建てられている{{sfn|「日本の道100選」研究会|2002|pp=54-55}}。
 
 
 
二つの坂道はふもとの馬返(うまがえし)と山頂の[[中禅寺湖]]畔でそれぞれ合流する。馬返から[[中禅寺湖]]への登り一方通行の'''第二いろは坂'''は「い」から「ね」までの20のカーブがあって、中禅寺湖から馬返への下り一方通行の'''第一いろは坂'''は「な」から「ん」までの28のカーブがある{{Sfn|小川、栗栖、田宮|2016|p=67}}{{Sfn|中村純一 編|2017|p=67}}。第二いろは坂の途中には、「黒髪平(くろかみだいら)」「明智平(あけちだいら)」とそれぞれ呼ばれる休憩所を兼ねた駐車場が2か所あり、山頂部付近の明智平と中禅寺湖までの区間だけは対面通行となっているので、中禅寺湖側から明智平までは明智第一・第二トンネルを通って降りてくることもできる。明智平の駐車場規模のほうは大きく、明智平パノラマ[[レストハウス]]が設置されている。そこを駅舎とする[[明智平ロープウェイ]]も走っており、ロープウェイ終点の明智平展望台からは華厳滝や中禅寺湖が一望できる。
 
 
 
1954年(昭和29年)から1984年(昭和59年)までの間は有料道路として供用されていたが、現在は無料開放されており、48箇所のカーブ道として旧[[建設省]]と「道の日」実行委員会により制定された[[日本の道100選]]に選ばれている{{sfn|「日本の道100選」研究会|2002|pp=54-55}}。急な勾配とカーブが続き、沿線は春の[[新緑]]と秋の[[紅葉]]が美しいところで有名である{{Sfn|小川、栗栖、田宮|2016|p=67}}{{Sfn|中村純一 編|2017|p=67}}。そのため、春秋の観光シーズン中はかなり混雑する{{sfn|「日本の道100選」研究会|2002|pp=54-55}}。沿線には野生の[[ニホンザル]]が姿をあらわすが、近年[[サル]]に餌付けをする観光客が後をたたず、付近一帯はサルによって土産物等が奪われたりするなどの被害が続出している。
 
 
 
=== 路線データ ===
 
* 路線名:一般国道120号
 
* 区間:日光市細尾 - 日光市宮司
 
* 延長
 
** 第一いろは坂:6.5 [[キロメートル|km]]{{sfn|「日本の道100選」研究会|2002|pp=54-55}}
 
** 第二いろは坂:9.5 km{{sfn|「日本の道100選」研究会|2002|pp=54-55}}
 
 
 
== 歴史 ==
 
[[奈良時代]]の782年(天応2年)に[[勝道|勝道上人]]らにより[[男体山]]が開山され、古くから[[山岳信仰]]の[[聖地]]であった。いろは坂はその頃に開拓されたのが起源とされる{{sfn|「日本の道100選」研究会|2002|pp=54-55}}。[[明治時代]]初期まで男体山は[[女人禁制]]、牛馬禁制となっていた。その名残は、ふもとに「馬返(うまがえし)」の地名として、そして第一いろは坂の途中に、女性が男体山を拝んだ「女人堂(にょにんどう)」として残っている。明治から[[昭和時代]]初期にかけて、各国の[[大使館]]が[[中禅寺湖]]畔に[[避暑地]]として[[別荘]]を相次いで建設することになる。[[大正時代]]になると、人の往来が激しくなったためそれまでの道路は整備され、今の'''第一いろは坂'''の元となった道ができた。自動車がいろは坂を通ることができるようになったのは昭和初期からであるが、まだこの当時は砂利道で道路の幅員はわずか3 - 4[[メートル]] (m) のすれ違いが困難な狭隘道路であった{{sfn|「日本の道100選」研究会|2002|pp=54-55}}。太平洋戦争が終わり、復興の兆しがみえはじめた頃の1952年(昭和27年)になって、栃木県によって日光と奥日光を結ぶ幹線道路として本格的な道路改良整備が始められた{{sfn|「日本の道100選」研究会|2002|pp=54-55}}。いろは坂区間である延長6.5[[キロメートル]] (km) の道路改良事業には莫大な資金が注ぎ込まれることとなり、1954年(昭和29年)10月に日本で2番目の有料道路が誕生し、馬返から中禅寺湖畔まで20分ほどで結ばれるようになった{{sfn|「日本の道100選」研究会|2002|pp=54-55}}。いろは坂の供用開始によって、多くの観光客が奥日光を訪れるようになったが、自動車交通量や観光客数は増加し続け、紅葉シーズンを中心に慢性的な交通渋滞が発生するようになった。この状況を受けて'''第二いろは坂'''の建設が[[日本道路公団]]によってすすめられ、1965年(昭和40年)に、それまでのいろは坂を第一いろは坂と称して登りと下りが完全分離された一方通行の道路として完成した{{sfn|「日本の道100選」研究会|2002|pp=54-55}}。1984年(昭和59年)に無料開放された{{sfn|「日本の道100選」研究会|2002|pp=54-55}}。
 
 
 
=== 年表 ===
 
* [[1953年]]([[昭和]]28年)[[5月18日]] - [[二級国道]][[国道120号|120号日光沼田線]]に指定される。
 
* [[1954年]](昭和29年)[[10月1日]] - 日本で2番目の[[有料道路]]として全面改修され、料金徴収を開始<ref>JH日本道路公団『日本道路公団(JH)年報(平成15年版)』2003年</ref>。
 
* [[1959年]](昭和34年) - 管理が、栃木県から新規設立の[[日本道路公団]]に移る。
 
*: 当時は第一いろは坂のみであり片側一車線の対面通行であった。また、48あったカーブは整備され30となった。これにより、麓から中禅寺湖畔までの所要時間が大幅に短縮され、交通量が増大。さらに急カーブでは[[大型自動車]]同士がすれ違うには十分な道幅でなかったため、渋滞が多発するようになった。
 
* [[1963年]](昭和38年)[[7月30日]] - 第二いろは坂の工事を開始<ref>同年7月29日、日本道路公団公告第27号「日光道路(第2期)一部工事開始公告」</ref>。
 
* [[1965年]](昭和40年)[[9月22日]] - 第二いろは坂の工事が終了<ref>同年9月18日、日本道路公団公告第32号「日光道路工事完了公告」</ref>。
 
* [[1965年]](昭和40年)[[10月7日]] - 馬返から明智平へと通じる'''第二いろは坂'''を供用開始し、第一いろは坂と合わせて有料道路「'''日光道路'''」として料金徴収を開始<ref>同年10月4日、日本道路公団公告第35号「有料道路「日光道路」料金徴収公告」</ref>。
 
*: 第二いろは坂はカーブが20あるため、第一いろは坂のカーブを2つ減らし、合わせて48のカーブの道となった。
 
* [[1984年]](昭和59年)[[10月1日]] - 無料開放される<ref>1976年(昭和51年)4月16日、日本道路公団公告第27号「有料道路「日光道路」の料金の額及び徴収期間の変更公告」</ref>。
 
* [[1986年]](昭和61年) - [[日本の道100選]]に選出される。
 
* [[1987年]](昭和62年)4月 - [[日本ロマンチック街道]]の一部となる。
 
* [[1989年]]([[平成]]元年度) - 明智平バイパス着工<ref name="koho-明智平BP">{{Cite web |url= http://opac.city.nikko.lg.jp/nikko/manage/contents/upload/00003_20110309_0736.pdf|title= 広報にっこう平成6年5月1日|accessdate= 2015-02-13|date= 1996-05-01|format= PDF|work= 広報にっこう|publisher= [[日光市]]}}。</ref>
 
* [[1994年]](平成6年)[[3月30日]] - 明智平バイパス開通<ref name="koho-明智平BP" />。
 
 
 
== 路線状況 ==
 
=== バイパス ===
 
; 明智平バイパス
 
: 明智平 - 中宮祠間延長1,800 m、幅員9 mのバイパス。旧来のルート上の明智トンネル・白雲トンネルの天井の低さによる大型観光バスの交通障害の解消を目的として建設された。同バイパスにある明智第一トンネルは延長42.1 m、明智第二トンネルは延長926 mで、いずれも幅7.5 m、高さ4.5 mである<ref name="koho-明智平BP" />。
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
* {{Cite book |和書 |author1=小川秀夫|author2=栗栖国安|author3=田宮徹|editor=中村純一 編|date=2016-04-10 |title=ニッポン絶景ロード100 |publisher=[[枻出版社]] |series=エイムック|page=67|chapter=いろは坂|isbn=978-4-7779-3980-8 |ref={{SfnRef|小川、栗栖、田宮|2016}} }}
 
* {{Cite book |和書 |author=|editor=中村純一 編|date=2017-04-10 |title=日本の絶景道100選 |publisher=[[枻出版社]] |series=エイムック|page=67|chapter=いろは坂|isbn=978-4-7779-4572-6 |ref={{SfnRef|中村純一 編|2017}} }}
 
*{{cite book|和書|author=「日本の道100選」研究会|title=日本の道100選〈新版〉|publisher=[[ぎょうせい]]|editor=国土交通省道路局(監修)|date=2002-06-20|isbn=4-324-06810-0|ref=harv}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[無料開放された道路一覧]]
 
* [[東武バス日光]] - いろは坂を経由する路線バスを運行。
 
* [[東武日光軌道線]] - [[日本国有鉄道|国鉄]][[日光線]]・[[日光駅]]及び[[東武日光線]]・[[東武日光駅]]からいろは坂の始まる馬返までを結んでいた[[鉄道]]。[[1968年]]廃止。
 
* [[東武日光鋼索鉄道線]] - 馬返から明智平までいろは坂の区間を直線的に結んでいた[[ケーブルカー]]。[[1970年]]廃止。
 
* [[参宮有料道路]] - 日本で最初に開通した自動車専用の有料道路。
 
* [[つづら折り]]
 
* [[頭文字D|頭文字D Third Stage]] - 第一いろは坂が劇中に登場する。
 
  
== 外部リンク ==
+
[[栃木県]][[日光市]]馬返(うまがえし)と、中禅寺(ちゅうぜんじ)湖畔の中宮祠(ちゅうぐうし)をつなぐカーブの多い道路。下り専用(道路延長6486メートル)の第一いろは坂と、登り専用(9468メートル)の第二いろは坂とがある。第一いろは坂の急カーブ28と第二いろは坂の比較的緩カーブ20の合計48に、「いろは……」48文字をなぞらえて、それぞれの文字の表示が立てられている。昭和初期に改修されて自動車の通行が可能となり、1954年(昭和29)に第一いろは坂が完成して有料道路となった。交通量の増加のための渋滞解消を目的に、1965年第二いろは坂が完成した。とくに第一いろは坂は大谷(だいや)川の峡谷から男体山(なんたいさん)東斜面を通り華厳滝(けごんのたき)の左岸を通り、中宮祠に続く雄大なパノラマコースである。両者は国道120号の一部で、正式には日光道路といわれる。1984年(昭和59)に無料化。
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* [http://www.pref.tochigi.lg.jp/h53/system/desaki/desaki/1182157078006.html 神々に通じる道「いろは坂」] - 栃木県
 
  
 
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いろは坂(いろはざか)

栃木県日光市馬返(うまがえし)と、中禅寺(ちゅうぜんじ)湖畔の中宮祠(ちゅうぐうし)をつなぐカーブの多い道路。下り専用(道路延長6486メートル)の第一いろは坂と、登り専用(9468メートル)の第二いろは坂とがある。第一いろは坂の急カーブ28と第二いろは坂の比較的緩カーブ20の合計48に、「いろは……」48文字をなぞらえて、それぞれの文字の表示が立てられている。昭和初期に改修されて自動車の通行が可能となり、1954年(昭和29)に第一いろは坂が完成して有料道路となった。交通量の増加のための渋滞解消を目的に、1965年第二いろは坂が完成した。とくに第一いろは坂は大谷(だいや)川の峡谷から男体山(なんたいさん)東斜面を通り華厳滝(けごんのたき)の左岸を通り、中宮祠に続く雄大なパノラマコースである。両者は国道120号の一部で、正式には日光道路といわれる。1984年(昭和59)に無料化。




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