強い人工知能,弱い人工知能

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人工知能の可能性に関する論争から生まれたことば。

人間と同等の知能をもつプログラムを強い人工知能,知能をもっているかのようにふるまうプログラムを弱い人工知能という。人工知能の研究を積み重ねることで,弱い人工知能を実現できるかどうか,もし実現できたとしたら,それは人間の心と同等の働きをするといえるのか,そしてそもそも強い人工知能は実現可能であるのかどうか,という議論から発生した。多くの研究者は,弱い人工知能は範囲を限定すればすでに実用域に入ったと考えている。また,広い範囲でもいずれ実現可能であり,テューリングテストなどで判定できるとするとともに,弱い人工知能を実現することは工学的にも科学的にも意義があるという立場をとっている。他方,強い人工知能は弱い人工知能とは異なると考える研究者は多い。強い人工知能は実現不可能だと主張する論者もいる。たとえばアメリカ合衆国の哲学者ヒューバート・ドレイファスは,1972年に形式的規則に従って記号を操作する方式(記号主義)では実現できないという立場をとり,またジョン・R.サールは,1980年にみずからが考案した中国語の部屋という思考実験に基づく議論を展開した。その後人工知能研究は,ドレイファスが示唆したように,記号主義に依拠しない方向に進んだ。人間の心の働きが解明されないかぎり,強い人工知能の実現不能性を導出することは無理であると考えられている。



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