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{{ActorActress
 
| 芸名 = 夏目 雅子
 
| ふりがな = なつめ まさこ
 
| 画像ファイル =
 
| 画像サイズ =
 
| 画像コメント =
 
| 本名 = '''西山 雅子'''(にしやま まさこ)<br />旧姓:'''小達 雅子'''(おだて まさこ)
 
| 別名義 =
 
| 出生地 = [[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[六本木]]
 
| 出身地 = [[神奈川県]][[横浜市]][[中区 (横浜市)|中区]][[山手 (横浜市)|山手]]<ref name="prf"/>
 
| 死没地 = 東京都[[新宿区]][[信濃町 (新宿区)|信濃町]][[慶應義塾大学病院]]
 
| 国籍 = {{JPN}}
 
| 身長 = 164cm
 
| 血液型 = [[ABO式血液型|B型]]
 
| 生年 = 1957
 
| 生月 = 12
 
| 生日 = 17
 
| 没年 = 1985
 
| 没月 = 9
 
| 没日 = 11
 
| 職業 = [[俳優|女優]]
 
| ジャンル = 
 
| 活動期間 = [[1976年]] - [[1985年]]
 
| 活動内容 =
 
| 配偶者 = [[伊集院静]]<ref name="prf">別冊宝島2551『日本の女優 100人』p.26.</ref>(1984 - 1985年)
 
| 著名な家族 = [[小達一雄]](兄)<br>[[楯真由子]](姪)<br>[[小達敏昭]](弟)<br>[[風間柚乃]](姪)<br>[[田中好子]](兄嫁)
 
| 事務所 =
 
| 公式サイト = [http://www.himawari-kikin.com/ 夏目雅子ひまわり基金]
 
| 主な作品 = '''テレビドラマ'''<br>『[[西遊記 (1978年のテレビドラマ)|西遊記]]』<ref name="prf"/><br>『[[野々村病院物語]]』<br>『[[おんな太閤記]]』<br>『[[徳川家康 (NHK大河ドラマ)|徳川家康]]』<hr>'''映画'''<br>『[[鬼龍院花子の生涯]]』<ref name="prf"/><br>『[[時代屋の女房]]』<ref name="prf"/><br>『[[魚影の群れ]]』<br>『[[瀬戸内少年野球団]]』
 
| アカデミー賞 =
 
| エミー賞 =
 
| ゴールデングローブ賞 =
 
| ゴールデンラズベリー賞 =
 
| グラミー賞 =
 
| トニー賞 =
 
| 日本アカデミー賞 = '''優秀主演女優賞'''<br />[[第6回日本アカデミー賞|1982年]]『[[鬼龍院花子の生涯]]』<br />[[第7回日本アカデミー賞|1983年]]『[[魚影の群れ]]』『[[時代屋の女房]]』<br />[[第8回日本アカデミー賞|1984年]]『[[瀬戸内少年野球団]]』<br />'''優秀助演女優賞'''<br />[[第4回日本アカデミー賞|1980年]]『[[二百三高地]]』
 
| ブルーリボン賞 = '''主演女優賞'''<br />[[1982年]]『[[鬼龍院花子の生涯]]』
 
| キネマ旬報ベスト・テン =
 
| エランドール賞 =
 
| 毎日映画コンクール =
 
| その他の賞 =報知映画賞女優賞1983年度、
 
映画「時代屋の女房」「魚影の群れ」
 
  
ブルーリボン賞特別賞
+
[[ファイル:夏目雅子.jpg|サムネイル]]
 +
'''夏目雅子'''(なつめ まさこ、[[1957年]][[12月17日]] - [[1985年]][[9月11日]]<ref name="prf"/>)
  
(1986年、生前の活動に対し)
+
昭和時代後期の女優。
| その他 =
 
}}
 
'''夏目雅子'''(なつめ まさこ、[[1957年]][[12月17日]] - [[1985年]][[9月11日]]<ref name="prf"/>)は、日本の[[俳優|女優]]である。本名、'''西山雅子'''(にしやま まさこ)。旧姓、'''小達雅子'''(おだて まさこ)。[[其田事務所]]などに所属していた。
 
  
== 来歴・人物 ==
+
昭和32年12月17日生まれ。51年テレビドラマ「愛が見えますか」の主役でデビュー,52年カネボウ化粧品のキャンペーンガールとなる。映画でも活躍し,「鬼竜院花子の生涯」でブルーリボン主演女優賞。59年伊集院静と結婚。白血病でたおれ,昭和60年9月11日死去。27歳。東京出身。東京女学館短大中退。旧姓は小達。
[[1957年]][[12月17日]]、[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[青山 (東京都港区)|旧高樹町]]の日赤病院にて、[[六本木]]2丁目の輸入雑貨店・亀甲屋の子として生まれる<ref name="w-asahi1983812" >{{Cite journal|和書|author=山下勝利|authorlink=山下勝利|date=1983-8-12|title=早過ぎる自叙伝 20代のまぶしい女たち(6) 夏目雅子|journal=[[週刊朝日]]|volume=|issue=|pages=pp. 112-116|publisher=[[朝日新聞社]]|issn=}}(夏目本人の取材に基づく記事)。</ref>。父親は貿易商<ref name="flash">[[FLASH (写真週刊誌)|FLASH]] 2013年10月15日号・8ページ より。</ref>。亀甲屋は実際は[[清掃用具#荒物|荒物]]、[[金物]]、[[石鹸]]、[[たわし|亀の子たわし]]などを扱う[[日用品]][[雑貨]]の店だが<ref name="w-asahi1983812" />、芸能界デビュー後は貿易会社社長の娘などと変更された<ref name="w-asahi1983812" />。父は東京オリンピックのための道路拡張後に店をビルにし<ref>[http://www.himawari-kikin.com/iwao.html ニュース] ひまわり基金 平成20年5月14日</ref>、貸しビル業などで成功した<ref name="w-asahi1983812" />。3歳上には兄、10歳下に弟がいた。趣味は毛糸の編物、絵(デッサン)、琴、古い食器収集、俳句(東京俳句倶楽部所属、[[俳号]]は海童)、生け花([[草月流]])。
 
  
六本木の亀甲屋、[[高輪]]、[[神奈川県]][[横浜市]][[中区 (横浜市)|中区]][[山手 (横浜市)|山手]]と居を移したが、ここは[[モービル石油]]の日本支社長の旧宅で敷地は250坪もある豪邸だった。千葉県館山にも別荘を持つなど、後にお嬢さんと呼ばれるに相応しい家庭環境である。
+
{{テンプレート:20180815sk}}  
 
 
小学3年生のときにテレビドラマ「[[チャコちゃんハーイ!]]」を見て女優を志したのが初め。この時に子役になりたいと思ったが母親に猛反対されかなわず<ref name="flash"/>、後に17歳のときに[[ヴィットリオ・デ・シーカ]]監督の映画「[[ひまわり (映画)|ひまわり]]」を映画館で見て衝撃をうけ、[[ソフィア・ローレン]]に憧れ、本格的に女優を目指すようになった。
 
 
 
[[東京女学館小学校]]、[[東京女学館中学校・高等学校]]卒業<ref>高校時代のボーイフレンドはクリスというハーフの学生で、3年後に彼はアメリカの大学に留学して別れた</ref>。学生時代のあだ名は「ダテピン」。あけっぴろげでテストで悪い点数をとったときに限って「見て、見て」と答案を見せたがるからとのこと<ref name="asahi">{{Cite book|和書 |author = |title = 夏目雅子27年分の笑顔 |publisher = 朝日新聞出版 |isbn = 978-4-02-250718-1}}</ref>。
 
 
 
[[1976年]]、[[東京女学館短期大学]]にそのまま進学して[[フランス語]]を専攻するが、入学直後に、父の友人のツテでタオルメーカー[[内野 (企業)|内野株式会社]](現UCHINO)のコマーシャルに出演。これはデビュー前で最初のテレビ挑戦だったが、厳しい学校であったので、結局、短大は中退することになる<ref name="prf"/>。
 
 
 
同年、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]・[[愛のサスペンス劇場]]『[[愛が見えますか…]]』の[[オーディション]]で486人の応募者の中から盲目の[[ヒロイン]]役に選ばれ、本名(小達雅子)で女優[[デビュー]]した<ref name="prf"/>。この時の演技は57回連続[[NG (放送用語)|NG]]を出され、「お嬢さん芸」と言われたほど拙いものであった<ref>ただし、このドラマで夏目が演じた役は、「強盗殺人事件を目撃し、犯人に[[轢き逃げ]]されて失明したヒロインが、自殺を図るが、タクシー運転手がそれを救ってくれて、彼に思いを寄せるようになるが、実はその運転手は犯人の一味だった」という複雑な設定で、ベテランでも難しい盲目の演技を強いられる上に、レイプシーン(内容的には未遂)などもあった。素人女優には厳しすぎる内容である。撮影は難航して前述のようにNG連発、降板も議論されたが、最終的にはプロデューサーの強い意向で強行され、続ける条件として野村孝監督は夏目(当時は小達)にスタッフ宅での合宿を命じ、厳しく演技指導して度々叱ったため、撮影終了後、夏目は兄に「女優はもういいや」と、音を上げたほどであった。({{Cite book|和書 |author = |title = 夏目雅子-27年のいのちを訪ねて |publisher = まどか出版 |isbn = 4-944235-06-2}})</ref>。周囲から“お嬢さん”と見られることは後々まで彼女の[[コンプレックス]]であった。
 
 
 
[[1977年]]から8年間、[[山口銀行]]の広告に登場。同年、[[カネボウ化粧品]]の[[キャンペーンガール]]となり、「クッキーフェイス」の[[コマーシャルメッセージ|CM]]で注目を集め、この時、夏の注目の目玉商品になることで、芸名を本名の小達雅子から夏目雅子へと改名する<ref>「ふたりの雅子」によると、カネボウの担当は本名のままでいくことを望んだが、このキャンペーン撮影がセミヌードを含むものであったために、もともと芸能界入り(とくに水着モデルになること)に反対していた母が小達の名を使うことに強く反対して改名することになったという。当時[[グラビアアイドル]]がいない時代であり、このポスターはセンセーショナルで、家族は少なからず迷惑したという</ref>。さらに、イギリスの女性ヴォーカリスト、[[ティナ・チャールズ]]が歌う同CMの使用楽曲「Oh!クッキーフェイス」を自ら日本語でカバーしCBSソニー(現・[[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)|ソニー・ミュージックエンタテインメント]])よりシングルレコードをリリース、[[歌手]]としてもデビューした。ブレイクのきっかけを作ったこのときの[[CMディレクター]]が後の[[直木賞]]作家で夫の[[伊集院静]]であった。なお、このときの撮影ロケ地は[[チュニジア]]であった<ref>後述のガセネタと合わせて、これも中国はタクラマカン砂漠で撮影されたというような言説がネット上で見られるが、当時、チュニジアロケはワイドショーでも取り上げられたほど有名であり事実誤認である。</ref>。
 
 
 
同年、TBSの『[[すぐやる一家青春記]]』で2回目の連続ドラマ出演。東映映画『[[トラック野郎・男一匹桃次郎]]』にはマドンナ(ヒロイン)の小早川雅子役に抜擢され、映画初出演を果たした。これは監督の[[鈴木則文]]の判断によるもので、同シリーズは初々しい女優や歌手をマドンナに起用するのが基本だった(カネボウのポスターを見たのがきっかけだった<ref>[[鈴木則文]] 『トラック野郎風雲録』 [[国書刊行会]]、[[2010年]]。ISBN 978-4-336-05234-6。88頁。</ref>)。鈴木は「彼女は[[カチンコ]]の事も知らなかった」と述懐している<ref>『トラック野郎風雲録』 90頁。</ref>。
 
 
 
[[1978年]]、『[[西遊記 (1978年のテレビドラマ)#西遊記(1978年)|西遊記]]』で[[三蔵法師]]役を演じて人気を得る(「'''頭の形が良く、美しくて神々しい'''」と美貌が話題となった)。ドラマ自体も好評で、この番組によって人気が高まり、[[バラエティ番組|バラエティー番組]]などの[[タレント]]としての出演が増えていたが、「本格的に女優を目指したい」と本人が直訴して、[[P&M]]事務所<ref>P&Mは[[宍戸錠]]が設立したタレント事務所だが、夏目のデビュー作「愛がみえますか」の主演俳優が宍戸錠だった</ref> から、文学座とつながりの深い其田事務所に移籍した<ref name="madoka">{{Cite book|和書 |author = |title = 夏目雅子-27年のいのちを訪ねて |publisher = まどか出版 |isbn = 4-944235-06-2}}</ref>。以後、仕事は女優業中心となる。
 
 
 
[[1979年]]、父がスキルス性胃癌に倒れ、摘出手術。夏目は「気絶してしまうからやめなさい」という医師の指示を聞き入れず、父の手術の一部始終をその目で見た<ref name="madoka" />。なお父は末期癌で手術のかいなく翌年に47歳で他界した。
 
 
 
[[1980年]]、ドラマ『[[サンキュー先生]]』([[All-nippon News Network|テレビ朝日系列]])の1話で、いじめられっ子の姉役に特別出演。プロデューサー[[久世光彦]]からこれからの女優として推薦され、ドラマ『[[虹子の冒険]]』(テレビ朝日系列)で初主演。同様に夏目の女優としての将来性を見抜いた演出家[[和田勉]]によって『[[ザ・商社]]』のヒロインとして大抜擢された。このドラマはNHKの制作だが、上半身裸のヌードシーンがあった<ref name="madoka" />。これらドラマでの迫真の演技により女優としての評価を高め、「お嬢さん女優」のイメージを覆すことに成功した<ref name="prf"/>。さらにこの年は映画『[[二百三高地]]』にも出演。
 
 
 
[[1981年]]、『[[野々村病院物語]]』に出演。NHK大河ドラマ『[[おんな太閤記]]』にも[[お市の方]]役で出演。この年に[[バセドウ病]]の手術を行った。<ref>[[バセドウ病]]のほか[[腎盂炎]]は彼女の持病だった。『ふたりの雅子』によると母スエも扁桃腺肥大であったことが書かれている</ref>
 
 
 
[[1982年]]、『[[鬼龍院花子の生涯]]』の台詞「'''なめたらいかんぜよ!'''」が[[流行語]]となる。この映画では、当初彼女のヌードシーンはスタントを立てる予定であったが、「'''他の出演者の女優さんが何人か脱いでいるのに、自分だけ脱がないのはおかしい。私も脱いで演技します'''」と本人が希望した。そのため事務所の大反対を受けたが、説得に説得を重ね、本人がヌードになった。迫真の演技が話題になりこの作品で[[ブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞]]獲得。演技派女優としての地位を確立したが、授賞式では「これからもお嬢さん芸でがんばりたいと思います」とスピーチした。
 
 
 
[[1983年]]、NHK大河ドラマ『[[徳川家康 (NHK大河ドラマ)|徳川家康]]』に[[淀殿|淀君]]役で出演。『[[小説吉田学校]]』で[[吉田茂]]の三女麻生和子(元[[内閣総理大臣]][[麻生太郎]]の母)役で出演。
 
 
 
[[1984年]]、不倫していた作家[[伊集院静]]と[[結婚]]<ref>妻子のある伊集院とは長い不倫関係だった。伊集院の正式離婚後、一時期疎遠になるが、[[桃井かおり]]の登場から始まる三角関係が、夏目に結婚に踏み切らせたのだろうと母スエは回想している。これは当時の週刊誌ではかなり話題になった。結婚前、伊集院との間の子を、<!--役者としてのキャリアを考えてか、→どこの記述?-->夏目は複数回堕胎していた。このことは長く秘密にされてきたが、伊集院が二人の関係をモデルに描いた小説「乳房」で暴露して以後、小達スエの「ふたりの雅子」などにも書かれるようになった</ref>。[[神奈川県]][[鎌倉市]][[由比ガ浜]]に在住。媒酌は行きつけの鎌倉長谷寺近くにある寿司店主夫妻。結婚式もこの寿司店で内輪だけで行われた。後日、自宅で週刊誌用に行われた記者会見では、新婚旅行はどこに行きますかと問われて、「韓国<ref>伊集院は元在日二世</ref> です。」と答えている。
 
 
 
[[1985年]][[2月14日]]、舞台『[[愚かな女]]』の公演の最中10円玉大の[[口内炎]]が出来、さらに激しい頭痛等極度の体調不良を訴える。それでも泣きながら「這ってでも舞台に戻る!」と頑なに出演続行を望む夏目本人を何とか説得して、共演の[[西岡徳馬]]の勧めにより翌[[2月15日]][[慶應義塾大学病院]]に緊急入院した。[[急性骨髄性白血病]]<ref name="prf"/><ref>『ふたりの雅子』によると幼なじみの「明ちゃん」も闘病生活の末に白血病で亡くなったということである。この記憶があったために白血病である事実は本人には隠されることになった</ref> と診断されたが、夏目本人には「極度の[[貧血]]」とだけ告げ、本当の病名を伏せていた。夏目の入院と共に夫の伊集院は、仕事をすべて辞めて彼女が亡くなるまで母親らと共に看病にあたった。当初から、娘の芸能活動にずっと反対だった母スエは、彼女が入院して初めて娘の出演する作品をみてベッドの彼女に話しかけた。その時彼女はとても喜んだという。
 
 
 
その後、約7ヶ月に渡る闘病生活を送りながらも順調に回復し、退院間近の報道もあった矢先であったが、8月下旬から抗がん剤の副作用等が原因とみられる[[肺炎]]を併発。高熱が続き、9月8日に熱が一時的に引いたが、翌9日から再び高熱を発して意識不明の重体になり、[[1985年]][[9月11日]]午前10時16分、[[逝去]]。27歳没。
 
 
 
[[戒名]]は「芳蓮院妙優日雅大姉」と「雅月院梨園妙薫大姉」。前者は小達家菩提寺から、後者は夫の西山家の菩提寺からのものである。[[菩提寺]]は、山口県防府市[[防府駅]]近くの大楽寺、[[多磨霊園]]の小達家の墓にも分骨されている。なお彼女自身の[[遺作]]は『[[北の螢 (映画)|北の螢]]』であった。<ref>彼女の母方の伯母も33歳で亡くなっている。父も前述のように47歳で亡くなった。曾祖母は88歳の長寿で、夏目雅子の20歳の誕生日に亡くなった</ref>
 
 
 
没後10年にあたる[[1995年]]、[[キヤノン]]のコピー機の宣伝に夏目雅子が起用され、限定百組で写真集をプレゼントするという企画があり、全国から23万人もの応募があった<ref name="madoka"/>。後に彼女を題材にしたテレビドラマも数多く作られた。
 
 
 
[[2000年]]に発表された『[[キネマ旬報]]』の「[[キネマ旬報20世紀の映画スター#女優|20世紀の映画スター]]・女優編」で日本女優の7位、同号の「読者が選んだ20世紀の映画スター女優」では第10位になった。[[2014年]]発表の『オールタイム・ベスト 日本映画男優・女優』では日本女優8位となっている<ref>{{cite web|url=http://www.kinenote.com/main/feature/vol45/|accessdate=2016-09-23|title=オールタイム・ベスト10 日本映画男優・女優 |work=[[KINENOTE]]|publisher=[[キネマ旬報社]]|date=2014-12}}</ref>。
 
 
 
[[日本郵便]]が2006年10月10日に発行した特殊切手「日本映画II」(現代の名作)(1980年 - 2000年代公開)は、代表的な日本映画10作品を選定しているが、その1本に夏目主演の映画『瀬戸内少年野球団』が選ばれた<ref>{{Cite web |url= http://www.post.japanpost.jp/kitte_hagaki/stamp/tokusyu/2006/h181010_t.html |title=〜胸躍るあの映画、感動のシーンが切手に!〜 特殊切手「日本映画」発行|publisher=日本郵便|accessdate= 2014-07-21}}</ref>。
 
 
 
== 家族==
 
小達家は、もともと徳川将軍家の[[御典医]]で、四ッ谷に薬草園を拝領していたという[[家柄]]。明治になって「赤門堂」という薬草問屋を始めて、昭和8年に株式会社・亀甲屋と改めた。戦後、焼け出されて一から出直しとなったが、屋号は同じに雑貨屋として再スタートし、順調に成長。自宅兼店舗だった建物も、平屋から木造二階建て、さらに[[1967年]]には店舗は亀甲ビルとなり、高度経済成長とともに発展した。高輪に引っ越すまで、幼い雅子もこのビルで暮らしていた。母・スエは[[群馬県]][[沼田市]]出身<ref>[[テレビ朝日]]/[[テレビマンユニオン]]/[[テレビ朝日映像]]『グレートマザー物語』、[[講談社]]、2002年、pp58-56</ref>。
 
 
 
3歳上の兄・小達一雄は、映像ソフト制作と芸能プロダクションの企業である(株)スイート・ベイジル・エンタテインメントの元社長。医療用カツラの開発にも携わり、ヘキサ・プロセス株式会社の社長も務めた。夏目雅子ひまわり基金事務局長。現在は、骨髄移植の啓発とドナー登録の呼びかけ、臓器移植に関する知識の啓発などを行っている。
 
 
 
女優で夏目雅子の友人だった[[田中好子]]は夏目の死後、兄と結婚して義姉となる。同じく[[楯真由子]]は姪。なお、元夫の伊集院は[[篠ひろ子]]と結婚している。
 
 
 
10歳下の弟・[[小達敏昭]]はプロゴルファー。
 
 
 
姪の[[風間柚乃]](敏昭の娘)は、[[宝塚歌劇団100期生]]である<ref>[http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20140302-OHT1T00011.htm 宝塚音楽学校で第100期生が卒業式] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20140304062333/http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20140302-OHT1T00011.htm |date=2014年3月4日 }} スポーツ報知 2014年3月2日 6時1分掲載。</ref>。
 
 
 
== 出演・発表作品 ==
 
=== 映画 ===
 
* [[俺の空]](1977年、東宝)
 
* [[トラック野郎・男一匹桃次郎]] (1977年、東映) - 小早川雅子 役
 
* [[二百三高地]](1980年、東映) - 松尾佐知 役
 
* [[魔性の夏・四谷怪談より]](1981年、松竹) - そで 役
 
* [[鬼龍院花子の生涯]](1982年、東映) - 松恵 役
 
* [[大日本帝国 (映画)|大日本帝国]](1982年、東映) - 柏木京子・マリア 役
 
* [[FUTURE WAR 198X年]](1982年、東映) - ローラ・ゲイン 役(声の出演)<ref>{{Cite web | url = https://mediaarts-db.bunka.go.jp/an/anime_series/1486| title = FUTURE WAR 198X年| publisher = メディア芸術データベース| accessdate = 2016-08-04}}</ref>
 
* [[時代屋の女房]](1983年、松竹) - 真弓・美郷 役
 
* [[小説吉田学校]](1983年、東宝) - 麻生和子([[麻生太郎]]の母) 役
 
* [[南極物語]](1983年、日本ヘラルド=東宝) - 北沢慶子役
 
* [[魚影の群れ]](1983年、松竹富士) - 小浜トキ子 役
 
* [[瀬戸内少年野球団]](1984年、日本ヘラルド) - 中井駒子 役
 
* [[北の螢 (映画)|北の螢]](1984年、東映) - ナレーター
 
 
 
=== テレビドラマ ===
 
* [[愛のサスペンス劇場]]「[[愛が見えますか]]」(1976年、[[日本テレビ放送網|NTV]])- 夏村道代(ヒロイン)役
 
* [[すぐやる一家青春記]](1977年、[[TBSテレビ|TBS]]) - 美人ヘルパー・宮田紀子 役
 
* [[花ぼうろ]](1977年、YTV)
 
* [[古谷一行の金田一耕助シリーズ|横溝正史シリーズ]]『[[悪魔の手毬唄]]』(1977年、[[毎日放送|MBS]]) - 別所千恵子(大空ゆかり) 役
 
* [[あの手この手お隣りさん!]](1977年、ANB) - 婦人警官 役
 
* [[土曜ワイド劇場]] 年上の女/禁じられた恋の炎(1977年、ANB)
 
* どうなってるの!? (1977年、KTV)
 
* [[新・二人の事件簿 暁に駆ける!]] 第28話「足長おじさんは殺人者」(1977年、ABC)
 
* 希望の大地-75万人の日系ブラジル移民-(1978年、NTV)
 
* [[明日の刑事]] 第27話「ルート88!看板娘が見た殺人」(1978年、TBS)
 
* グランド劇場「[[オレの愛妻物語]]」(1978年、NTV)
 
* [[月曜スター劇場]] 「[[あすなろの詩]]」(1978年、NTV) - 泰子 役
 
* [[大河ドラマ]] ([[日本放送協会|NHK]])
 
** [[黄金の日日]](1978年) - 笛(モニカ) 役
 
** [[おんな太閤記]](1981年) - [[お市の方|お市]] 役
 
** [[徳川家康 (NHK大河ドラマ)|徳川家康]](1983年) - [[淀殿|茶々姫→淀君]] 役
 
* [[Yの悲劇]](1978年、[[フジテレビジョン|CX]]) - 警部の娘 役
 
* [[桃太郎侍#高橋英樹主演(日本テレビ)版|桃太郎侍]] 第82話「泣くな妹兄貴はつらい」(1978年、NTV) - お染 役
 
* [[銭形平次 (大川橋蔵)|銭形平次]](CX・[[東映]])
 
** 第615話「雨の音」(1978年) - おのぶ 役
 
** 第716話「娘岡っ引きが通る」(1980年) - お葉 役
 
* 西遊記、[[西遊記II]](1978年 - 1980年、NTV) - [[玄奘三蔵|三蔵法師]] 役
 
* [[東芝日曜劇場]] (第1175回)「露玉の首飾り」(1979年、CBC) ※第27回[[日本民間放送連盟賞]]娯楽番組部門優秀賞<ref>{{放送ライブラリー|162100|001489}}</ref>
 
* [[風の隼人]](1979年、NHK) - [[綱手]] 役
 
* [[鉄道公安官 (テレビドラマ)|鉄道公安官]](1979年、[[テレビ朝日|ANB]]・東映) - 島村泉 役
 
* [[騎馬奉行]](1979年 - 1980年、CX) - みぎわ 役
 
* [[木曜ゴールデンドラマ]](YTV)
 
** 国境の固き約束 13歳の出発(1980年)
 
** チャップリン暗殺計画 世界の喜劇王を救ったのは誰か?(1980年)
 
** [[さすらいの甲子園]](1980、NTV) - 葉子 役
 
** 非行主婦・アル中の女(1982年)
 
* [[サンキュー先生]] 第1話「いじめっ子・いじめられっ子I」([[1980年]]、ANB)
 
* [[ナショナルゴールデン劇場|ゴールデン劇場]] [[虹子の冒険]](1980年、ANB) - 河野虹子 役
 
* [[ザ・商社|松本清張シリーズ「ザ・商社」]](1980年、NHK) - 松山真紀 役
 
* 火曜劇場 「[[ダウンタウン物語 (1981年のテレビドラマ)|ダウンタウン物語]]」(1981年、NTV)
 
* [[野々村病院物語]](1981年、[[TBSテレビ|TBS]]) - 看護婦主任・北見紀子 役
 
* [[野々村病院物語II]]([[1982年]]-[[1983年]]、TBS) - 倉方千恵 役
 
* [[ザ・サスペンス]] (TBS)
 
** 「陽のあたる場所」(1982年) - 令嬢・園生 役
 
** 「[[妻は告白する|妻は告白する 女の体の中には自分でも気づかない魔性がいた!]]」(1983年) - 滝川彩子 役
 
* 花の影(1982年、CX)
 
* [[金曜ミステリー劇場]] 「六月の危険な花嫁」(1982年、TBS)
 
* [[時代劇スペシャル (フジテレビ)|時代劇スペシャル]] [[丹下左膳 剣風!百万両の壺]](1982年、CX) - 萩乃 役
 
* サントリー・ドラマSP 幕末青春グラフィティ坂本竜馬(1982年、NTV) - おりょう 役
 
* ちょっと噂の女たち 「黒田軟骨の女難」(1982年、MBS)
 
* [[火曜サスペンス劇場]] 「女の中の炎」(1983年、NTV)
 
* [[月曜ドラマランド]] (CX)
 
** どっきり天馬先生2 僕らの街にスゴーイ美人がやってきて…?(1983年)
 
** 乙女学園男子部(1984年)
 
 
 
=== バラエティ番組 ===
 
<!-- 単発のゲスト出演は不要。レギュラー番組のみ記述をお願いします。「Wikipedia:ウィキプロジェクト 芸能人」参照 -->
 
* [[全日本歌謡音楽祭|あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭]](1977年、テレビ朝日) - [[田宮二郎]]と共に司会
 
 
 
=== ラジオ ===
 
* [[翔べ光の中へ 〜Come on in music〜]](1981年、[[エフエム東京|FM東京]])
 
 
 
=== レコード ===
 
* Oh!クッキーフェイス<ref>先述の通り、ティナ・チャールズの楽曲のカバーヴァージョン。カネボウ化粧品のコマーシャルソングを集めたコンピレーション・アルバム『[[Belle ~ Kanebo Hit Songs]]』([[ソニー・ミュージックダイレクト]]より発売)にはチャールズ歌唱の英語版・夏目歌唱の日本語版双方のヴァージョンが収録されている。 </ref> / 夜明けのヨット(1977年6月21日、[[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)|CBSソニー]])
 
 
 
=== CM ===
 
生前
 
* [[内野 (企業)|内野株式会社]] (現:UCHINO Lifestyle Designing)「うちのタオルはうちの」(1976年)
 
* [[カネボウ化粧品]] 「クッキーフェイス」(1977年)
 
* 『カネボウ絹石鹸』(1983年)
 
没後
 
* [[キヤノン]]『PIXEL』(1996年)※第36回[[ACC CM FESTIVAL]]テレビCM部門ACC賞<ref>{{放送ライブラリー|147934|A23638}}</ref>
 
* [[麒麟麦酒]]
 
* 公共広告機構(現:[[ACジャパン]]) 「骨髄バンクドナー登録」(2003年)
 
 
 
=== 舞台 ===
 
* 機関士ナポレオンの退職(1980年)
 
* 築山殿始末(1982年)
 
* 露地に咲く花(1982年)
 
* 愚かな女(1985年2月、[[PARCO劇場|西武劇場]])<ref>この公演中に倒れて緊急入院、途中降板になり、生涯最後の公の舞台となった</ref>
 
 
 
=== その他 ===
 
* [[山口銀行]]イメージキャラクター
 
 
 
== 夏目雅子を演じた女優 ==
 
* [[及川麻衣]] - 映画『乳房』(1993年、東映)伊集院静の同名小説の映画化作。
 
* [[夏川結衣]] - 『人間ドキュメント 夏目雅子物語』(1993年、フジテレビ)
 
* [[片瀬那奈]] - 日本テレビの再現ドラマ
 
* [[仲間由紀恵]] - 『[[ひまわり〜夏目雅子27年の生涯と母の愛〜]]』(2007年9月16日、TBS)
 
* [[松本莉緒]] - テレビ東京の再現ドラマ
 
* [[波瑠]] - 『[[いねむり先生]]』(2013年9月15日、テレビ朝日)<ref>[http://news.mynavi.jp/news/2013/07/12/005/ 波瑠]夏目雅子さん役に挑戦 「そっくり」と評判]{{リンク切れ|date=March 2015}}</ref>
 
 
 
[[高橋留美子]]原作の漫画『[[めぞん一刻]]』のヒロインである[[音無響子]]の、キャラクターモデルは夏目である。
 
 
 
== 俳句 ==
 
伊集院静に連れられて、写真家の[[浅井慎平]]が主催する「東京俳句倶楽部」の句会に所属。俳号は海童。
 
 
 
== 夏目雅子ひまわり基金 ==
 
夏目雅子の闘病生活では、白血病の治療薬の[[副作用]]による[[脱毛症|脱毛]]に、本人も家族も悩み、精神的苦痛を味わった(しかし母の前では「髪の毛くらい、いいわ。私、三蔵法師の時とっても素敵だったのよ」と気丈に言ったという)。1回目、2回目の化学療法で、脱毛を恐れて副作用の弱い薬を選び、積極的な治療を行わなかったことが、死につながったとの母[[小達スエ]]の強い後悔の念から、[[癌]]患者の闘病生活(特に脱毛の恐怖や、頭髪が抜けた後の患者の頭皮の負傷など)、寛解後の社会復帰を支援したいと、母スエを代表として小達一雄を中心に、彼女の遺産をもとにして癌患者へ無償で[[かつら (装身具)|かつら]]を貸し出す組織、『'''夏目雅子ひまわり基金'''』が、[[1993年]]12月に設立された<ref name="madoka" /><ref>当時、厚生省(現[[厚生労働省]])は[[かつら (装身具)|かつら]]は健常者を対象にしており、保険対象とはならないという立場で、日本には医療用のかつらすらなく、欧米に比べておくれていた。そこで彼女の死後、小達一雄は大学等の協力で保険適用可能な医療用補助具としてのかつらの開発を目指した。現在、医療用かつらは日本にもあるが、今のところ厚生労働省はかつらを保険適用に認めていない。このためかつらの無償貸し出し事業が続けられている</ref>。
 
 
 
ひまわり基金では、かつらの無償貸し出しと、不要になったかつらをクリーニングや修繕して再利用する活動の他、「ひまわりカップ」というチャリティーゴルフ大会も企画し、ドナーカードの登録や骨髄移植、エイズの正しい知識などの各種の啓発活動も合わせて行っている。パンフレットや記念品には夏目雅子の他、[[田中好子]]なども起用された。(財)[[骨髄移植]]推進財団のCMなど現在も夏目雅子が起用されている(2003年の公共広告機構(現:[[ACジャパン]])のCMもほぼ同様)のはこのため。なお、ひまわり基金では現在も活動を支援してくれる賛助会員を募集している。
 
 
 
== 白血病発症に関する風説 ==
 
2009年に物理学者の[[高田純 (物理学者)|高田純]]が、夏目が中国の核実験による被曝が原因で白血病を発症したとする見方を複数の雑誌に寄稿した。高田は、夏目がテレビドラマ『西遊記』の中国ロケの際に被曝したと主張している<ref>高田純「中国共産党が放置するシルクロード核ハザードの恐怖」『[[正論 (雑誌)|正論]]』2009年6月号、[[産経新聞社]]</ref><ref>高田純「被災害学の専門家が寄稿 被害者100万人以上のシルクロード『核の砂漠』」『宝島』2009年7月号、pp.55-56</ref><ref>高田純「シルクロード『核汚染』を隠蔽し続けるNHKの大罪」『[[週刊新潮]]』2009年7月16日号、pp.44-47</ref>。
 
 
 
しかしながら、夏目雅子が『西遊記』で中国ロケに参加した事実はない<ref>「「西遊記の舞台ウラ」」『週刊TVガイド』の1978年11月25日-12月2日号</ref><ref>『西遊記DVD-BOX II』の金澤誠執筆による解説記事</ref><ref>『西遊記II DVD-BOX II』の特典ディスク「堺正章を中心に当時のスタッフが集う同窓会」の中での証言</ref> ため、高田純の主張には根拠がない。
 
 
 
== 脚注・出典 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 外部リンク ==
 
* [http://www.himawari-kikin.com/ 夏目雅子ひまわり基金]
 
* {{Kinejun name|86834}}
 
* {{Tvdrama-db name}}
 
 
 
{{ゴールデンアロー賞グラフ賞}}
 
{{エランドール賞新人賞}}
 
{{ブルーリボン賞主演女優賞}}
 
{{報知映画賞主演女優賞}}
 
{{ヨコハマ映画祭助演女優賞}}
 
{{Normdaten}}
 
 
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[[Category:夏目雅子|*なつめ まさこ]]
 
[[Category:夏目雅子|*なつめ まさこ]]

2019/4/26/ (金) 10:26時点における版

夏目雅子.jpg

夏目雅子(なつめ まさこ、1957年12月17日 - 1985年9月11日[1]

昭和時代後期の女優。

昭和32年12月17日生まれ。51年テレビドラマ「愛が見えますか」の主役でデビュー,52年カネボウ化粧品のキャンペーンガールとなる。映画でも活躍し,「鬼竜院花子の生涯」でブルーリボン主演女優賞。59年伊集院静と結婚。白血病でたおれ,昭和60年9月11日死去。27歳。東京出身。東京女学館短大中退。旧姓は小達。



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