「ベネディクト会」の版間の差分

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[[ファイル:BenedictineVespers.jpg|thumb|right|240px|[[聖土曜日]]に[[晩課]]を歌うベネディクト会の[[修道士]]達([[アメリカ]]・[[ニュージャージー州]]、2009年4月撮影)]]
 
'''ベネディクト会'''({{lang-la|Ordo Sancti Benedicti}}, {{lang-en|Benedictine Order}})は、現代も活動する[[カトリック教会]]最古の[[修道会]]。
 
  
== 概略 ==
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'''ベネディクト会'''({{lang-la|Ordo Sancti Benedicti}}, {{lang-en|Benedictine Order}}
[[ファイル:Medalla San Benito.PNG|thumb|left|180px|聖ベネディクトゥスのメダル([[:en:Saint Benedict Medal]]]]
 
[[529年]]に[[ヌルシアのベネディクトゥス]]が[[ローマ]]・[[ナポリ]]間の[[モンテ・カッシーノ]]に創建した<ref group="注釈">モンテ・カッシーノはローマの南東130キロメートルに立地する標高519メートルの岩山である。</ref>。その[[戒律]]は「服従」「清貧」「童貞(純潔)」であった<ref name=hori>[[#堀米|堀米(1974)pp.226-227]]</ref>。ベネディクト会士は黒い修道服を着たことから「黒い[[修道士]]」とも呼ばれた。
 
  
ベネディクトゥスが[[修道院]]の生活の規範とした戒律(「聖ベネディクトの戒律」)は、[[12世紀]]に至るまで[[西方教会]]唯一の修道会規であり、[[フランシスコ会]]・[[ドミニコ会]]以後の多くの修道会の会憲・会則のモデルとなった<ref name="da">[[#1963|『キリスト教大事典』(1963)pp.963-964]]</ref>。ベネディクトゥスの妹[[スコラスティカ]]も、同じ精神を持って生活する女子修道院を開いている。同会の会員は「清貧」「従順」「貞潔」および「定住」の誓願をたて、修道院において、[[労働]]と祈りの共同生活を送った。これが[[観想修道会]]の基準となった<ref group="注釈">ベネディクト会が観想修道会であるのに対し、フランシスコ会・ドミニコ会は[[托鉢修道会]]である。</ref>。
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ヌルシアの[[ベネディクト]]の会則に従う最古のカトリック修道会。同会則をとる修道院は7世紀に全ヨーロッパに広がり,10世紀に改革を推進したクリュニー修道院を中心に組織化が進んだ。 11世紀に絶頂に達し,教会の中枢を占め,富をたくわえ,ヨーロッパの文化をになった。シトー会の独立,新しい修道会の誕生,大学の創設などの影響で,12世紀後半から衰退。宗教改革でドイツ以北のほとんどを失ったが,17世紀フランスでサン・バンヌ,サン・モールの2修族が生れて学問研究を中心に興隆。フランス革命後の修道院破壊運動でほとんど壊滅したが,19世紀中頃からドイツ,フランス,イタリア,イギリス各国を中心に再興。
  
[[ファイル:Monte Cassino Opactwo 1.JPG|330px|right|thumb|モンテ・カッシーノの岩山とベネディクト修道院]]
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1964年統一された。なお,ほぼ並行的な歴史をたどった女子ベネディクト会がある。日本には男子修道会が 31年に渡来,36年茅ヶ崎に修道院を建てたが,これは第2次世界大戦期に消滅し,戦後東京目黒で活動を再開した。
同会の伝道範囲・活動範囲は、[[イタリア半島]]のみならず現在の[[イギリス]]、[[ドイツ]]、[[デンマーク]]、[[スカンジナヴィア半島]]、[[アイスランド]]、[[スイス]]、[[スペイン]]に及んだ。中世ヨーロッパにおいて、[[伝道]]・[[神学]]・[[歴史]]記録・[[自然]]研究・[[芸術]]・[[建築]]・[[土木]]のそれぞれにおいて果たした役割は大きい<ref name="da"/>。
 
  
修道院が広大な[[領地]]や[[財産]]を有するようになった時代、教会刷新をめざして[[クリュニー会]]がベネディクト会の中から派生し、[[910年]]、クリュニー改革運動が起きた<ref name="da"/>。[[12世紀]]中ごろ以降のベネディクト会は、世俗化により衰退した時期もあったが、[[1400年]]頃から再び改革運動が起きた<ref name="da"/>。ベネディクト会からはクリュニー会の他にも、[[カマルドリ会]]、[[シトー会]]、[[厳律シトー会]](トラピスト会)など、多くの修道会が派生したが、ベネディクト会そのものも存続し続けている<ref name="da"/>。
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画像のような荘厳な建物のひとつは、[[エステ家]]の枢機卿イッポーリト2世・デステにより1565年ごろから改修工事などが行われ、現代(2001年)において世界遺産に登録されたものまである。
 
 
 
[[宗教改革]]時代に修道会は打撃を受け、イギリス、デンマーク、[[ノルウェー]]、[[スウェーデン]]の修道院は解散させられ、ドイツでは全体の3分の1を喪失した<ref name="da"/>。[[19世紀]]初頭には世俗化する西欧各国の動向によりほとんどの修道院が解散もしくは廃止させられたが、その後、[[1830年]]頃から次第に復興のきざしがみえ、近代に入って学問研究、[[典礼]]運動などを契機に復興を果たし、今日にいたっている<ref name="da"/><ref name=akaike>[[#赤池|赤池(2004)]]</ref>。日本においては、厳律シトー会に属する[[北海道]][[北斗市]]の[[トラピスト修道院]]でベネディクト会の活動の様態を知ることができる<ref name=akaike/>。
 
 
 
== ベネディクト会出身の人物 ==
 
* [[ピウス7世 (ローマ教皇)|ピウス7世]] - ローマ教皇
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
=== 注釈 ===
 
{{Reflist|group=注釈}}
 
=== 参照 ===
 
<div class="references-small">{{Reflist|2}}</div>
 
 
 
== 出典 ==
 
* {{Cite book|和書|author=|translator=|chapter=|editor=日本基督教協議会文書事業部|year=1963|month=|title=キリスト教大事典|publisher=[[教文館]]|series=|asin=B000JAIAZ8|ref=1963}}
 
** (改訂新版){{Cite book|和書|author=|translator=|chapter=|editor=キリスト教大事典編集委員会|year=1985|month=10|title=キリスト教大事典|publisher=教文館|series=|isbn=4764240025|ref=1985}}
 
* {{Cite book|和書|author=[[堀米庸三]]|translator=|chapter=|editor=|year=1974|month=12|title=世界の歴史3 中世ヨーロッパ|publisher=[[中央公論社]]|series=[[中公文庫]]|isbn=|ref=堀米}}
 
* {{Cite book|和書|author=[[赤池憲昭]]|chapter=ベネディクト会|editor=[[小学館]](編)|year=2004|month=2|title=日本大百科全書|publisher=小学館|series=スーパーニッポニカProfessional Win版|isbn=4099067459|ref=赤池}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
*[[ザンクト・ヨハン修道院]]
 
*[[ザンクト・ガレン修道院]]
 
*[[パンノンハルマの大修道院]]
 
*[[イェドリク・アーニョシュ]]
 
*[[ヘルフタのゲルトルード]](大聖ゲルトルード)
 
*[[ハッケボルンのメヒティルト]](聖メヒティルト)
 
*[[修道士カドフェル]]
 
*[[ドロシー・ディ]]聖プロコピウス大修道院のオブレート(世俗会員)
 
*[[パンと魚の奇跡の教会]](在ガリラヤ湖畔)
 
 
 
== 外部リンク ==
 
* [http://www.newadvent.org/cathen/02443a.htm The Benedictine Order]([[カトリック百科事典]]){{en icon}}
 
{{Normdaten}}
 
 
{{デフォルトソート:へねていくとかい}}
 
{{デフォルトソート:へねていくとかい}}
 
[[Category:カトリック教会の修道会]]
 
[[Category:カトリック教会の修道会]]
 
[[Category:ベネディクト会|*]]
 
[[Category:ベネディクト会|*]]

2018/9/30/ (日) 22:23時点における最新版

ベネディクト会ラテン語: Ordo Sancti Benedicti, 英語: Benedictine Order

ヌルシアのベネディクトの会則に従う最古のカトリック修道会。同会則をとる修道院は7世紀に全ヨーロッパに広がり,10世紀に改革を推進したクリュニー修道院を中心に組織化が進んだ。 11世紀に絶頂に達し,教会の中枢を占め,富をたくわえ,ヨーロッパの文化をになった。シトー会の独立,新しい修道会の誕生,大学の創設などの影響で,12世紀後半から衰退。宗教改革でドイツ以北のほとんどを失ったが,17世紀フランスでサン・バンヌ,サン・モールの2修族が生れて学問研究を中心に興隆。フランス革命後の修道院破壊運動でほとんど壊滅したが,19世紀中頃からドイツ,フランス,イタリア,イギリス各国を中心に再興。

1964年統一された。なお,ほぼ並行的な歴史をたどった女子ベネディクト会がある。日本には男子修道会が 31年に渡来,36年茅ヶ崎に修道院を建てたが,これは第2次世界大戦期に消滅し,戦後東京目黒で活動を再開した。



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