AR詩
AR詩(エーアールし)[注釈 1][注釈 2]とは、AR(Augmented Reality)すなわち拡張現実を用いた詩のことである。
Contents
概要
AR詩は、ni_kaが創始した詩のジャンルである。ni_kaは北園克衛、新国誠一らの具体詩宣言、すなわち日本におけるコンクリート・ポエトリー運動にインスパイアされて、2012年3月16日、自身のblogにて日本具体詩更新宣言[注釈 4]を発表した。
どうして、わた詩がこの式壇を頑なに具体詩だと名づけるのか
そして、新国誠一や北園克衛らのVOUとASA以来、日本の具体詩運動は途切れたと言われてきたけれど、それは事実ではなく、「象徴化されたお葬式」の中に具体詩は誰も気がつかないうちにインストールされて消費され続け擦り切れたので、わた詩がそれを継ぐものなのだとわた詩はあなたとわた詩たちへ説明する
ni_kaの日本具体詩更新宣言に影響を受けて、佐々木雅也や反現代史がAR詩を制作した。
『DOMMUNE オフィシャルガイドブック2』にて「2012年の日本を発電させるカルチャーエネルギーベスト100!!!!!!」のひとつに「AR詩」が選ばれた[3]。NHKラジオ「英語で読む村上春樹」のテキストでは、柴田元幸による『「それがTVピープル」――視覚表現あれこれ』にて、最果タヒとAR詩が紹介された[4]。また、文芸評論家の中沢忠之は、東日本大震災以降の表現の形態として、和合亮一と並んでni_kaのAR詩を評価し、「被災地にいたからこそできた、修羅(死者)のごとく繋がりを求める言葉の強さ(和合)と、被災を共有しきれないからこそ模索するほかなかった、子供のように儚く繋がりを求める言葉の強さ(ni_ka)が、3・11をきっかけに詩の多様性として私たちの前に表現されたのである」としている[5]。
門林岳史はセカイカメラによる詩作品を2回体験し、ベンヤミンに触れながら、「現実の都市空間と作品世界の境界が曖昧になっていくような経験を与えてこそ、拡張現実のテクノロジーを利用する意義があるはずだ」とし、「鑑賞者はテクストを探し求めることに必死でセカイカメラの画面に没入し、結果として都市空間はないがしろになってしまった(端的に道を歩いていて危ない)ように思われる」と批評した[6]。一方で、東京の「floating view "郊外"からうまれるアート」展(トーキョーワンダーサイト本郷)で体験したni_kaのAR詩についても触れ、「作品外のタグを作品経験にとってのノイズとして排除するのではなく、むしろ、作品に不可欠の構成要素として(パレルゴンとして?)取り込むことこそが望ましいのではないか」とした[6]。
セカイカメラによって製作された作品であり、ハローキティを中心とするキャラクターや文字がスマートフォンの画面を通してふわふわと浮かんでいるように見えることが特徴である[注釈 5]。作品の文字をタップするとそこに文字を書き加えることができるように、リレーショナル性 (Relational art) がある。ni_kaの作品は東日本大震災以降、薔薇をモチーフとするARが見えるようになった。これはパウル・ツェランの『誰でもない者の薔薇』を意識した、喪の表現となっている[7]。2016年には、Layarを用いたAR詩を、静岡大学にて展示した[注釈 6]。これを含めると、ni_kaはこれまでにAR詩を5回発表している。
ni_kaの作品
作品 | |||
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脚注
注釈
出典
- ↑ 杉田俊介 (2011年9月22日). “【座談会】現代アートの病理と救済――コミュニティアート、ネットカルチャー、ポストヒューマン - 無事の記”. . 2016閲覧.
- ↑ “聖と俗 2012年度「前衛と伝統 I」”. 慶應義塾大学文学部設置総合教育科目. . 2016閲覧.
- ↑ 『DOMMUNE オフィシャルガイドブック2』 河出書房新社、2011年、49-50。ISBN 978-4-3099-6281-8。
- ↑ 柴田元幸「「それがTVピープル」――視覚表現あれこれ」、『英語で読む村上春樹』2015年4月号、NHK出版、2015年3月18日、 42頁。
- ↑ 『世界文学比較研究』第48集2014年9月、世界文学比較学会、 。感情レビューにて読むことができる。
- ↑ 6.0 6.1 門林岳史. “10+1 web site|2013-2014年の都市・建築・言葉 アンケート|テンプラスワン・ウェブサイト#16742”. LIXIL出版. . 2016閲覧.
- ↑ 「インタビュー「喪の限界を超えるAR詩の時間と空間」」、『Panic Americana』vol.17、 50-52頁。