本田技術研究所
株式会社本田技術研究所(ほんだぎじゅつけんきゅうしょ、英語表記Honda R&D Co.,Ltd.)は、本田技研工業の研究開発部門を分社化した企業である。本社は埼玉県和光市にあり、朝霞市、栃木県芳賀郡芳賀町などに研究所を持っている。
伝統的に本田宗一郎以降の本田技研工業の社長は、研究所出身者から選ばれている。特に8代目社長の八郷隆弘を除いては、いずれも研究所の社長を経験している[1]。
概要
本田技術研究所は1960年設立。元々は藤沢武夫(当時本田技研工業専務)が「研究所を本社から分離することで、目先の業績に左右されない自由な研究環境が実現できるだけでなく、一般的な企業のピラミッド型組織と異なるフラットな組織の実現も容易に行え、研究員に対する待遇も改善できる」と考えたことがきっかけである[2][1]。ただ設立準備段階では、当時の本田技研工業の業績が安定せず、しばしば工場において労働争議が発生していたことなどから、「労働組合の分断工作である」として社員から大きな反発を受けたものの、藤沢は社内のコンセンサスを得られないまま強引に押し切ったという[2][3]。
また、本田技研工業から研究所に対して、売上高に応じた委託研究費が支払われるという点もユニークである。ちなみにその割合は、設立当初は売上高の2.5%となっていたが、2012年現在は5%をベースに積み増した額(約5,000億円程度)が支払われていると見られている[3]。
ここ近年、階層が増えピラミッド型組織に近づきつつあることを危惧し、フラットな文鎮型組織を目指し、2006年4月に、事業軸別に5つの開発センター体制に移行するとともに内部でも大きな組織変更が実行された。現場への大幅な権限委譲が図られた。
沿革
本田技術研究所 沿革を参照。
研究開発施設(日本国内)
施設 | 設立日 | 所在地 | 開発分野 |
---|---|---|---|
二輪R&Dセンター | 1973年11月 | 埼玉県朝霞市 | 二輪製品全般(競技車両含む)の開発を行う。 |
四輪R&Dセンター(和光) | 1960年7月 | 埼玉県和光市 | 四輪製品のデザインを行う。 |
四輪R&Dセンター(栃木) | 1979年4月 | 栃木県芳賀郡 | 四輪製品全般の開発を行う。競技車両の開発については2014年に下記のHRD sakuraに分離された。 |
HRD sakura | 2014年1月 | 栃木県さくら市 | F1を始めとする四輪モータースポーツ向け開発を行う。 |
汎用R&Dセンター | 1975年9月 | 埼玉県朝霞市 | 汎用エンジン、発電機、耕運機、芝刈り機などの開発を行う。 |
航空機エンジンR&Dセンター | 2004年7月 | 埼玉県和光市 | 航空機用レシプロエンジン、航空機用ガスタービンエンジンの開発を行う。 |
基礎技術研究センター | 1991年1月 | 埼玉県和光市 | エレクトロニクス、バイオテクノロジー、新素材、コンピューター科学、燃料電池システム 小型ジェット機の機体や人間型ロボットの研究を行う。 |
PG管理室(栃木プルービンググラウンド) | 1979年4月 | 栃木県芳賀郡 | 二輪車・四輪車、汎用製品をテストできる、総合テストコース。 |
PG管理室(鷹栖プルービンググラウンド) | 1996年5月 | 北海道上川郡 | 寒冷地テストのために作られた総合テストコース。 |
脚注
- ↑ 1.0 1.1 ホンダ、異例の社長交代の真相 - 日経ビジネスONLINE・2015年2月24日
- ↑ 2.0 2.1 『ホンダ神話 教祖のなき後で』(佐藤正明著、文春文庫、2000年)pp.143 - 147
- ↑ 3.0 3.1 【企業特集】ホンダ 二輪の成功モデルを四輪でも展開 国内生産を懸けた“聖域”の開発改革 - 週刊ダイヤモンド・2012年4月27日
関連項目
外部リンク
座標: 東経139度36分54.6秒北緯35.781222度 東経139.615167度 テンプレート:Honda