少女漫画
少女漫画(しょうじょまんが)は、少女雑誌に掲載されるなど、主たる読者として若年(未成年)の女性を想定した日本の漫画。実際には大人女性にも幅広く読まれている分野でもある。
歴史的には海外にも発生し、海外女性向けコミックの一部として少女向けの作品も存在するであろう。しかし少女向けの出版分野としては、途中消滅(1970年代フランス)したりして、20世紀に大きな分野発展を遂げたのは日本である。
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概説
絵柄としては可愛らしい・綺麗・清潔な印象を与えるものが多い[注釈 1]。作品世界の情趣を大切にして、目の毒になるものをリアルに描き込むことは避け、モノローグの多用、心象を具象化した背景、コマ割りなどを駆使し、感情の流れを重視した演出・画面技法に優れる[1][注釈 2]。立体感、動きを表現したり視点を頻繁に変更したりする絵は比較的少なく、必要最小限の描写に留められている(これらの様式は、他分野も含めた女流作家の資質的特徴ではないかと推測する見方もあるが、女性作家の少年漫画、青年漫画には立体的、写実的なものもあって、明確には言われていない)。また、少年漫画と比較すると、心理描写が多く、現実問題を扱った作品が多く、暴力や死の扱いが重い(少女漫画の主旨が共感であることに由来するともいう)。
少女漫画は青年漫画や映画的手法の影響を大きく受けており、伝統的な少女漫画の系統によらない表現手法も含んでいる。逆にまた、少女漫画からは特有の記号的表現が過去に多く誕生していて、現在は少女漫画にとどまらずに全ての分野に拡散している。
現在(2000年代以降)は恋愛漫画及び恋愛要素のある作品が主流で、女性の自立、フェミニズム等のメッセージを含ませた漫画も存在する。ファンタジー漫画やスポーツ漫画なども古くからジャンルとして確立しており、現在に至るまで人気が根強い。なお、ギャグ漫画やホラー漫画など恋愛要素をほとんど含まないジャンルも存在し、少年漫画や萌え絵にはない独特の手法が使われている。ファンタジー・スポーツ・恋愛・ギャグ、各分野で大ヒットを飛ばした歴史がある。女性向け少年漫画という派生ジャンルも生んだ(日本の漫画雑誌を参照)。
歴史
1935年に『少女倶楽部』に連載された倉金章介の『どりちゃん バンザイ』、1938年から『少女の友』に連載された松本かつぢの『くるくるクルミちゃん』など、日中戦争前の少女雑誌で連載された作品が少女漫画の先駆けである。1953年(昭和28年)には手塚治虫が『リボンの騎士』を連載し、少女漫画にストーリー漫画を導入し[注釈 3]、この頃から少女雑誌において従来の絵物語などを押しのけて少女漫画の比重が高まっていった。
1950年代後半から1960年代前半にかけては、宝塚歌劇団の影響を受けたり、高橋真琴らの少女画からの影響を受け、少女漫画特有の装飾的な表現が発達した。人物の背景に花を描き込む、キャッチライトが多数入った睫毛の長い目などである。先行した少女小説の影響などもあって、美形の男性・男装の麗人などが登場し、華麗なストーリーを展開した。1950年代から1960年代前半の少女漫画はちばてつやや松本零士など男性作家によって描かれていることが多く、この時期の古典的な少女漫画の様式や技法の追究は、主に前述の高橋真琴を始めとする男性作家や男性編集者によって築かれたものである。しかし一方、当時の代表的な少女漫画雑誌各誌による、女性漫画家を育てる機運の高まりがあり、女性ストーリー(長編)作家第1号とされる水野英子(1955年)らが現れ、新鮮なテーマやモチーフで少女漫画の表現の幅を広げていった[注釈 4][注釈 5]。
メディア側の視点では、1960年代前半に週刊誌化(隔週刊含む)したことによる方向の模索もあった[3]。また1960年代なかばごろまでの貸本漫画市場の存在も重要である。こちらは雑誌と違って単行本が主でページ数が多かった。貸本の世界で1960年代半場に雑誌の世界にない表現を行なった矢代まさこなどがある。また1960年代なかばごろ、少女漫画は他人の原作・原案が多かったという噂もある[4]。
1960年代なかごろから1970年代はじめごろ、日本は慢性貿易赤字から一転した黒字化の定着など高度成長がより進展を始め、人手不足による格差の大きな縮小、大企業での終身雇用の定着など生活の向上と安定が強まった。象徴的なのはオリンピック、新幹線、モータリゼーション、高速道路、海外旅行の自由化、万博、普及とちゅうのテレビのカラー生産への移行の始まりなどである[注釈 6]。反面ベトナム戦争の影響で社会そのものを見直すカウンターカルチャーが生じ、それに伴いメッセージソングが流行り、また大学紛争が起きた。出版界では外貨制限が外れて紙パルプが使いやすくもなった。
そして少女漫画はビッグ・バン的な発展を生じた。量的には、以前には少女雑誌の一部分でしかなかった漫画が雑誌のほとんど全てを占めていくようになり、雑誌の数も、隔週刊が毎週刊化、週刊誌から月刊別冊が、さらにそれぞれが増刊誌を出したり、新創刊が次々と生まれた。需要の性質と量の急激な変化と相まって、10代で雑誌デビューする女性新人がとくに多かったのもこの時代である。デビューの仕方も、それまでの持込や人脈によるものから雑誌の中の漫画講座・コンクールからの率が増えていった。これらによって少女の職業選択に少女マンガ家という選択が入ってきた。1970年代には学校にマンガ部ができ始めた。 一方で、格段に増えた少女漫画雑誌と経済発展による貸本屋の退潮によって、貸本出版の少女漫画は衰退消滅していく。
質的には、この時期の始め(1960年代半ば)に学園もの分野が生じそれは後に少年マンガに波及した。少年マンガに続いてスポーツ根性ものがブームとなった。フィクション性の強い外国もの(主にラブコメ)が無国籍漫画と呼ばれたのもこの時代である。また雑誌という紙の量の増大は作品の描写に用いるコマやページ数の増大でもあった。長ページ化とともに画面の展開手法がより流れるようなものへと変化していった。少年マンガと共に、読む漫画から見るマンガへの変化とも言われた。それまでのユーモア・かわいい・悲しい風の少女マンガのイメージから、ギャグやドラマ性などの作風の振幅が大きくなっていく。劇画的な志向や技法実験的な作品などの動きもあり、高校生以上を主な読者対象とする雑誌も創刊され、それらは少年マンガや青年漫画などの活況と同時代のものであった[注釈 7]。
また1970年代は価値観の変容した時期に当たる[注釈 8]。大学紛争とベトナム戦争が収束、米中接近と円ドル変動相場制への移行があり、スーパーが広がり、ロックは音楽として定着し、世界的に冷戦中心の図式は大きく変化し、生態系的な環境問題と石油ショックによって成長の有限性が認識され、直後から日本の出生数の低下が始まっている。また1974年の高校進学が90%に達している[5]。音楽芸能では、カウンターカルチャーのフォークソングやロックでない、シンガーソングライターという個人の個性によるニューミュージックと呼ばれる音楽が人気を集めるようになる。
少女漫画においては、1960年代的テーマといえる『ファイヤー!』(水野英子)や『ベルサイユのばら』(池田理代子)が始めに一般の注目を浴びて、さらに24年組といわれる個々の作家性の強い作家が存在を見せ始める。少女趣味的なものも独自の変化を遂げ、作品の文芸性と少女漫画の独自性は高くなり一方広くもなって、1970年代から1980年代前半まででほとんどの分野やその種が現れている。 この時期、男性少女漫画家はほぼ消滅し例外が残るだけとなった。また、アニメの発展とともにアニメ化が多く生じるようになった。
より詳しく挙げると、少女漫画の変化はその演出技法から物語ジャンルへも広がり、萩尾望都、竹宮惠子、大島弓子、山岸凉子といった花の24年組や土田よしこなど、それまでにないSF、ファンタジー、ナンセンスギャグ、少年同性愛を描く少女漫画家が出て、書くものに制限がないというほど少女漫画の世界が一気に広がった。この点では白泉社雑誌を場とした、柴田昌弘(サスペンス性・SF的要素・メカニック)、魔夜峰央(ミステリ・怪奇・耽美・ギャグ)、和田慎二(主にアクション)など少女漫画デビューの男性作家の貢献も大きい。また、主人公の成長を描く話(教養小説的作品傾向)が長編化と共に広がり、複数の成功作が生まれる。反面、少女漫画の枠に収まりきらない作品群になじめない層に、「乙女ちっくマンガ」と呼ばれる日常の微妙な少女的センスとしての少女趣味的な作品群が支持され、以後の等身大の女性を描く少女漫画の流れにつながる。
1970年代後半から1980年代前半は、少女漫画が男性読者にも注目された時期であり、少女漫画の影響を受けた絵柄や心理描写が少年漫画にも波及し始めた。また作家の環境として貸本出版が消滅した代わりに同人誌即売会が広がって発表とファン交流の場を与えた。作家の年齢層も上がっていった。
1980年代日本の貿易黒字が世界最高になり、職業選択の幅も広がる、と同時に女性の生き方にも多様性が出てきた。女性向け就職情報誌が誕生、宅配便が発展したり、マイコン技術による多品種小量生産が広がっていき、ビデオやウォークマンという個人化的製品がヒットし、軽薄短小とか分衆という言葉が誕生し、またいじめ問題が注目された。この時代は、中頃から吉田秋生[注釈 9]、紡木たくといった、従来の少女漫画と一線を画す画風の漫画家が人気を博し、従来の少女漫画的な装飾的表現は簡略化されていく。等身大の女性を丁寧に描く作家が多くなり、シンプルな背景にキャッチライトが入らない目の人物像を描く漫画家が増えた。それまでよりも性や職業を扱った作品が増え、少女漫画読者層が広がった[1]。 また、作家のキャリアが長くなってきていることもあり、大人の女性向けの漫画が成長。レディースコミック、ヤング・レディースがジャンルとして確立した。少年同士の恋愛を描いたボーイズラブ(やおい)も、少女漫画の読者層とのズレが起こり、ボーイズラブ専門のレーベルで刊行されるようになった。また少年漫画にも高橋留美子を皮切りに女性漫画家が進出、少女漫画の読者層であった少女たちも少年漫画や青年漫画を読むことが一般的になっていった。これによって、少女漫画の手法や少女漫画的なテーマが少年漫画や青年漫画の世界にも広く普及することになった。
1990年代には80年代末のバブル崩壊の影響で、世相が不安定になり、のちに失われた十年といわれる低迷した過渡期に入る。世界的にも、日本のバブル崩壊、東欧圏とソ連の解体、中国の改革、その後の金融市場の発展と、日本では歴史問題などの世界観の転換があり、後半は授業崩壊など青少年問題の質の変化が語られるようになる。少女漫画では心の問題を描く傾向がさらに顕著になり、また自ら行動を起こす主人公像が求められるようになった。青年漫画が大きく成長したこともあり、少女漫画と青年漫画をともに手がける作家、少女漫画出身の青年漫画家も多く見られるようになる。1990年代後半以降は、若年層の人口減少と読者の嗜好の多様化に伴い (また少女向けの枠で捉えにくい雑誌も増えて) 少女漫画や少女漫画誌の発行部数は減少の傾向にある。が、少女漫画的なテーマや表現手法は日本の漫画で広く定着し、男性を含めた幅広い年齢層に受け入れられている。
21世紀のインターネット普及時代に入って雑誌や媒体のさらなる多様化と時代の思考の変化などもあり、かつて男性向けとは別れている媒体と手法を持ち、女性漫画の別名であり中心だった少女漫画は、2010年代現在では多くの隣接分野との境界の薄い、漫画界の連続的な一領域の感がある。
少女漫画の現状
1980年代以降は、女性読者の少年漫画・青年漫画への流失、女性作家の仕事の場も少年雑誌さらには青年・大人漫画雑誌へと拡大していったことで[注釈 10]、残された厳密な意味での少女漫画界は衰退と対象年齢による細分化の傾向にある。
ただし、『エロイカより愛をこめて』、『パタリロ!』、『花より男子』、『NANA』、『ハチミツとクローバー』、『のだめカンタービレ』、『桜蘭高校ホスト部』、『君に届け』、『夏目友人帳』、『ちはやふる』、『宗三郎シリーズ』、『紅い牙』など、男性読者や大人の読者を掴んでいる少女漫画も存在する。特に矢沢あいの『NANA』は、男性読者や普段あまり漫画を読まない層を読者層に取り込み、2005年度オリコン1位(漫画部門男女)を獲得した。
近年ではメディアミックスが多く、高年齢向けでは『NANA』や『のだめカンタービレ』が成功例とされる。最近ではメディア展開に特化した女児向けの作品以外ではアニメーションよりも映画やドラマといった実写メディアの方が盛況であり、『アタックNO.1』、『ちびまる子ちゃん』、『はいからさんが通る』、『美少女戦士セーラームーン』、『花より男子』などの過去に連載されていた人気作品も次々にドラマ化された。特に、『花より男子』は1990年代に放送されたアニメ版よりもドラマ版の方が商業的に大ヒットし、ドラマ化で単行本の売り上げが急増したことで、少女漫画では一番売れた漫画となった。このメディアミックス化の成功により、『マーガレット』・『Sho-comi』・『花とゆめ』・『LaLa』など従来は中高生以上のティーン層とされていた雑誌の年齢層の下限がプレティーン層に当たる小学校高学年まで低下し、『ちゃお』を読まなくなった読者を取り込むようになった。
また、『ちゃお』に関しては1990年代終盤以降は『女児向けアニメ』のメディア展開に特化することで一気に低年齢化し、近年は幼児・中学年以下の小学生といった低年齢層の女児をターゲットの中心層にしており[注釈 11]、『ミルモでポン!』、『きらりん☆レボリューション』の漫画及び、『オシャレ魔女ラブandベリー』や『ジュエルペット』といった既存の子供向けキャラクターとのメディアミックス戦略の成功により市場を確立している[注釈 12]。
一方で現状では中間層にあたる小学校中学年 - 中学校1・2年生の少女をターゲットにしている『りぼん』と『なかよし』は、少女漫画の創生期から存在する歴史の古い雑誌で2000年代初頭まで少女漫画界の中心に位置し、現在の高年齢層向けの雑誌が刊行する前の1970年代頃は高校生もターゲットにし、特に1970年代から80年代の「おとめちっく」ブームに乗った『りぼん』には大人の女性や男性読者も多数存在していた。1980年代以降は高年齢層向けの雑誌の刊行により、相対的にやや低い年齢層を引き受ける状況となり、1990年代には『美少女戦士セーラームーン』・『ママレード・ボーイ』・『こどものおもちゃ』・『カードキャプターさくら』などがアニメ化されて大ヒットした影響で、年齢層が小学校低学年から中学生の少女に低下しつつも最盛期を迎えた。しかし、それらが全て終了した2000年代以降は、ヒット作がまばらな状態が続き、近年は年齢層の下限が小学生(高学年)にまで低下した高年齢層向けの雑誌と低年齢層を中心にシフトした『ちゃお』に押されて年齢層が狭まり、2012年度の発行部数は最盛期の1994年比で1/10にまで縮小している。
なお、近年の、高年齢層向けの雑誌に掲載された作品は作品の人気と掲載誌の売上シェアとの関連性がほとんどなく、雑誌単位の購買よりコミックスでの購買を重視し、編集サイドにおいても単行本出版ペースを念頭に置いた掲載が成されており[注釈 13]、近年は中間層に当たる『りぼん』や『なかよし』の作品もそれに倣っている。ただし、例外的に低年齢層を対象とする『ちゃお』は、かつてのように雑誌ペースを念頭に置いた連載が成されている。
少女漫画家
当初は男性作家も多かったが、前述の少女漫画の変化により、ほぼ100%女性により描かれるようになった[1][注釈 14]。
出版社専属の作家が多数存在するが、この業界は一種のリーグ制を導入している(ホラー作品組と4コマ枠は完全な別枠とされている)。誰もが望むであろう連載組はわずか1-2割しかいない。短期連載組1割、その残りが読み切り組につくことになる。不人気なら専属契約を解除される厳しい世界である。少女漫画作品は他のジャンルに比べて、ストーリーの完結性が強く、計算された物語性が要求されるが、1980年代以降、少女漫画家が青年漫画や少年漫画に転向する例も多く見られる。
少女漫画雑誌
作品が掲載されている主な雑誌。現在はほぼ漫画のみの誌面であるが、創刊当初は絵物語や小説、ファッション、スターの情報などの少女向け総合誌として刊行されていたが、1960-1970年代以降に漫画雑誌として再編成されたものも多く、読者層の成長と共に高年齢層向けの雑誌が刊行されていった。
主な雑誌
少女雑誌
少女漫画雑誌の前身。以下の少女向け漫画雑誌も前述のように、創刊当初は少女漫画以外の絵物語などを多く掲載していた。
幼児・低学年向け
後述のハイティーン向けと同様に、比較的新しい時代に年齢の細分化に対応して刊行された。従来児童向けの雑誌か少女向けの下限が担っていた層である未就学児(4歳頃)から小学校中学年までの女の子向けで、『ぴょんぴょん』は現在の『ちゃお』が探る低年齢層向け路線の先駆けであったが、1992年に『ちゃお』に統合された。
少女向け
創刊当初は少女向け雑誌として刊行されていた雑誌も多く、当初の読者層を小・中学生としながらも高校生にまで読まれ、文字通り少女漫画の中心であったが、高年齢層向けの雑誌の刊行、メディアミックスへの特化などで、現在は対象年齢を下げ小中学生向けになっている。少女漫画誌の多様化した現在では、前身の少女雑誌と同様に小学生の少女向け総合誌としての役割がこのジャンルを支えているともされる。
中高生向け
創刊当初は少女漫画よりもファッションやスターの情報を多く載せ総合誌的な性質を持っていたが、少女向け同様に徐々に少女漫画誌として充実してきた。
- 少女フレンド(講談社、『少女クラブ』が1962年にリニューアル - 1996年)
- 花とゆめ(白泉社、1974年 - )
- マーガレット(集英社、1963年 - )
- 少女コミック(小学館、1968年 - )
- LaLa(白泉社、1976年 - )
- 月刊プリンセス(秋田書店、1974年 -)
- ボニータ(秋田書店、1981年 - 1995年)
- ミステリーボニータ(秋田書店、1988年 -)
ハイティーン向け
年齢の細分化に対応して刊行された、高校生から20代前半向けの雑誌。比較的新しい雑誌が多く、少女向けの上限や大人向けの下限の年齢層に対応する形で出版された暖簾分けのような雑誌も多く、それらから移籍してきた作家も多い。
- ベツコミ(小学館、1970年 - 旧『別冊少女コミック』)
- プリンセスGOLD(秋田書店、1979年 - )
- デザート(講談社、1996年 - )
- Cheese!(小学館、1996年 - )
- Cookie(集英社、1999年 - )
- セブンティーン(集英社、1968年 - 現在は非漫画誌)
- プチコミック(小学館、1977年 - 現在は大人女性対象)
ヤング女性向け
読者層の成長に伴い刊行された学生から社会人向けの雑誌、ヤング・レディースも参照。
脚注
注釈
- ↑ 各時代の少年漫画と比べて目とその光の描写が大きく、骨や筋肉の隆起が少なく、表情に重点が置かれている。伝統的一典型として、21世紀に登場した萌え絵の等身を上げ、ファッショナブルにし、眼を虹彩が強調された“キラキラお目々”に変えたようなもの。
- ↑ これらの手法は主人公や特定のキャラクターに対して読者の感情移入を誘導しやすく、殊に恋愛、ヒューマン作品では有効である。
- ↑ アニメーションノートNo11 P88「それはマンガの変化に似て」においては、ストーリーマンガの手法を取り入れたのは石ノ森章太郎であるとしている。
- ↑ 女性作家としては上田としこや貸本のわたなべまさこの方が早い。
- ↑ ギャグが中心だったころは男性漫画家でも対応できたが、ストーリーが中心になると少女だった時代のことを考えて描く必要が出てきて難しくなった[2]。
- ↑ テレビでは洋画劇場が増えた。
- ↑ この時期は青少年漫画の劇画の拡大期でもあり、またテレビ番組の発展期でもある。1960年代半ば過ぎから毎週の洋画劇場が始まっている。
- ↑ 始めに大学紛争の後でしらけ世代といわれたが、社会の価値観はすでに変化したと言われた。
- ↑ 大友克洋の描線の影響が見られる
- ↑ ペンネームを男性名にして少年・青年雑誌で活躍する女性作家もいる。
- ↑ "日本雑誌協会公式HP・JMPAマガジンデータから。 なお、"思春期ダイアリー"と銘し、連載当時は看板作であった『水色時代』やアニメ版がヒットした『少女革命ウテナ』を掲載していた1990年代中盤以前は現在の『なかよし』や『りぼん』とほぼ同一の中間層をターゲットにしていた。
- ↑ これらの作品は『ちゃお』の他には小学館の学年別学習雑誌のうち、低・中学年向けにあたる『小学一年生』から『小学四年生』まで掲載されたことがあり、事実低年齢向けの作品に位置づけられている。
- ↑ 例えば単行本の最終ページに次巻のあらすじや発売時期が明記されていることなど。
- ↑ ただし魔夜峰央など1980年代以前にデビューした男性作家が一部残っているほか、にざかななど男女混合ユニットの作家も存在する。
出典
参考文献
- 米澤嘉博『戦後少女マンガ史』、新評社、1980年1月、253ページ、全国書誌番号:81003669。文庫版筑摩書房ちくま文庫、2007年8月8日、400ページ、ISBN 978-4-480-42358-0
- 『20世紀少女マンガ天国-懐かしの名作から最新ヒットまでこれ一冊で完全網羅!』、エンターブレイン、2001年、ISBN 978-4-7577-0506-7
- 中川裕美、2013、『少女雑誌に見る「少女」像の変遷-マンガは「少女」をどのように描いたのか』第1版第1刷、No.24、 出版メディアパル〈本の未来を考える=出版メディアパル〉 ISBN 978-4902251241
関連項目
- 少女向けアニメ
- 女性向けアニメ
- 少女文化
- 少女趣味
- ボーイズラブ
- 乙女系
- 女性漫画
- 少女漫画関連アニメ作品の年代別一覧
- アニメ・漫画の実写映画化作品一覧
- アニメ・漫画のテレビドラマ化作品一覧
- 少女まんが館 TAKI 1735